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電気を おこす しくみを ファラデーと ヘンリーは ほぼ おなじ ころに 見つけたのに、なぜ ファラデーだけ ゆうめいなの?

ほぼ同時に見つけたのに、なぜ発見者として知られるのはファラデーなのか

電磁誘導の発見の先後 ── ファラデーとヘンリーの発表の日付と、二人の名が別々の単位に残った経緯

分野:歴史・文化

ファラデーと ヘンリーは、ほとんど おなじ ころ、磁石じしゃくから でんきを つくる ふしぎな ことを、はなれた くにで べつべつに みつけました。でも、はっけんした人として よく しられて いるのは、ファラデーです。ヘンリーは、どうして そう ならなかったのでしょう。

この メモを よむと、ふたりの ちがいと、どちらの なまえも 単位たんいに のこった わけが わかります。

磁石や電流の変化から電流が生まれる「電磁誘導」を、ほぼ同じころ、海をへだてて別々に見つけた人がいます。イギリスのファラデーと、アメリカのヘンリーです。発見者として知られるのはファラデーですが、ヘンリーの名前も、いまは電気の単位として使われています。同じような発見なのに、名前の残り方が分かれたのはなぜでしょうか。

この記事では、発表の日付の積み重ね、ヘンリーが論文の最後に書いた独自の発見、二人の名前が別々の単位に残った経緯が分かります。

電磁誘導は、ほぼ同じころ、大西洋をはさんで別々に見つけられた。先に発表したのはイギリスのファラデーで、アメリカのヘンリーの論文はそれより7か月ほどあとである。ところがヘンリーは、その論文の終わりに「どの本にも書かれていない」と断って、ファラデーとは別の現象を書いた。なぜ発見の名はファラデーに残り、ヘンリーの名は単位に残ったのか。

この記事では、発表の日付の積み重ね、ヘンリーの中断と論文末尾の自己誘導、二つの単位名の由来が分かる。

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1. ふたりは、どこで なにを して いたの?

1. 海の向こうの学校で、同じ実験をしていた先生

1. ファラデーの実験室と、オールバニーの学校:同じ現象を別々に追っていた二人

ファラデーは、イギリスの かがくしゃです。1831ねんの 8がつの おわりごろ、てつの わに 電線でんせんを まいて、でんきが ながれるかを しらべました。そばに おいた はりが ゆれて、実験じっけんは うまく いきました。

ヘンリーは、アメリカの ニューヨーク州に ある 学校で、せいとに おしえる 先生でした。おしえながら、電線でんせんを すきまなく まいた つよい 電磁石でんじせきを つくって、おなじような ことを しらべて いました。

うみを はさんだ ふたりは、おたがいの ことを しらずに、おなじ なぞに ちかづいて いたのです。さて、この ふたりの うち、どちらが はっけんした人に なるのでしょう。

ファラデーは、1831年8月の末に、鉄の輪に電線を巻いた装置で電流が生まれる実験に成功しました。実験ノートには、針が振れてから元の位置に落ち着いたと書かれています。日付は資料により8月29日とも31日ともされるため、ここでは8月末としておきます[2]。

そのころ海の向こうのヘンリーは、ニューヨーク州のオールバニー・アカデミーで教えていました。1826年から1832年までの在職中に、絶縁した電線を鉄心にすきまなく巻いた強い電磁石を作り、電磁誘導にあたる現象を調べていたとされます[1]。

ファラデーも、実験の記録の中でヘンリーらの電磁石に触れています。ヘンリーたちの磁石が2000ポンドもの重さを持ち上げたと書いたのです[4]。二人は、離れていても、同じ種類の道具と同じ疑問を持っていました。では、この二人のうち、発見者として名が残る人は何で決まったのでしょうか。

ファラデーが鉄の輪の実験に成功したのは1831年8月の末である。実験ノートには、針が大きく振れたあと元の位置に落ち着いたことが記されている。日付は、IEEEの資料が8月31日とし、ほかの資料は29日とするため、日にちまでは断定せず8月末とするのが安全である[2]。

同じころ、ヘンリーはニューヨーク州のオールバニー・アカデミーで教えていた。1826年から1832年のこの学校での年月に、絶縁した電線を鉄心にすきまなく巻いた強力な電磁石を作り、相互誘導や自己誘導にあたる現象を調べたとされる[1]。この電磁石の巻き方は、ファラデーの側からも注目されていた。ファラデーは第1論文の中で、ヘンリーらの磁石が約2000ポンドを持ち上げた例を挙げて、強い磁石の例として紹介している[4]。

つまり二人は、同じ種類の道具(巻いた電線と鉄)と同じ疑問(磁気から電流が生まれないか)を持っていたことになる。ただし、ヘンリーが誘導の実験を始めた時期については、資料により1830年から1832年までと食いちがう。そこで本稿では、ファラデーより先か後かは断定せず、「ほぼ同じころ、別々に」と書く。では、日付で優先を争うと、何が決め手になるのか。

2. どうして ファラデーの はっけんと して しられたの?

2. ファラデーは、結果を3つの場所で早く知らせていた

2. 優先を考える手がかり:ファラデーが積み重ねた発表の日付

かがくの せかいでは、はっけんを だれが さきに みんなに しらせたかが、とても たいせつです。ファラデーは、そのことを よく しっていました。ろんぶんの なかにも、「はっけんを いう ろんぶんは、ひづけが たいせつな ことが よく ある」と かいて います。

ファラデーは、1831ねんの 11がつ24にちに、イギリスの 王立協会おうりつきょうかいという かいで ろんぶんを よんで もらいました。12がつには フランスの パリへも てがみを おくり、26にちに、アラゴという ひとが パリの かがくの かいで しょうかいしました。

こうして、ファラデーの はっけんは、いくつもの ばしょで、ひづけ つきで しるされました。

科学では、発見を最初に公に知らせたかどうかが、発見の優先を考えるうえで重要な手がかりになります。ファラデーはそのことを意識していて、第1論文の中に「発見を主張する科学論文の日付は、しばしば重大な問題になる」と書いています[4]。これはヘンリーに向けた言葉ではなく、一般的な書き方です。

ファラデーの論文は、1831年11月24日にロンドンの王立協会で読まれ、印刷は1832年4月ごろでした[3]。それより前の同じ年の12月には、パリのフランス科学アカデミーに手紙で結果を知らせ、12月26日にはアラゴがその手紙をアカデミーで紹介しています[2]。

こうして、実験の成功から3か月ほどのあいだに、口頭の発表、パリへの手紙、印刷された論文と、日付つきの記録が複数残りました。ヘンリーがこのころ何をしていたかが、次の問いになります。

誰の発見かを決める手がかりは、科学の世界ではおもに「先に公表したのは誰か」である。ファラデー自身、第1論文の中で、発見を主張する論文の日付はしばしば重大な問題になると書いている。この言葉はヘンリー個人への言及ではないが、当時の科学者が日付を強く意識していたことは読み取れる[4]。

実際、ファラデーは発表の機会を重ねた。第1論文は1831年11月24日に王立協会で読まれ、印刷は1832年4月9日ごろである[3]。それに先立つ1831年12月には、結果をパリへ手紙で送り、12月26日にアラゴがフランス科学アカデミーでその手紙を紹介した[2]。8月末の成功からここまでで約4か月である。

口頭の発表、外国の学会への手紙、印刷論文と、性質の違う記録が複数あれば、日付の根拠は一つの資料が失われても残る。ただし、これが後世に優先権を決める決定的な理由だったと、資料から言い切ることはできない。確かなのは、ファラデーの日付が公式な記録として整っていたことである。では、同じころのヘンリーは、なぜ発表が遅れたのか。

3. ヘンリーは、どうして おそく なったの?

3. 実験に使いたい部屋が使えず、再開は翌年になった

3. 部屋が使えず中断した1831年:ヘンリーの論文はなぜ7か月あとになったか

ヘンリーは、1831ねんに、でんきを つくる じっけんを はじめました。ところが、じっけんに つかいたい 部屋が つかえなく なって、とちゅうで やめなければ なりませんでした。

じっけんを また はじめたのは、1832ねんです。ファラデーの はっけんを しったのも、この とし でした。

ヘンリーは、1832ねんの 7がつに、アメリカの かがくの ざっしに ろんぶんを だしました。ファラデーが ろんぶんを よんで もらってから 7かげつ ほど あとです。ろんぶんの なかで、ヘンリーは、ファラデーたちが さきに みつけた ことにも ふれて います。

ヘンリーは1831年に誘導の実験を始めましたが、使いたい部屋が使えなくなって、いったん中断しました。実験を再開したのは1832年です。ファラデーの発見を知ったのも1832年の春から初夏のころで、資料により4月とも6月ともされます[5]。

1832年7月、ヘンリーはアメリカの科学雑誌に論文「磁気から電流と火花を作ること」を発表しました。ファラデーの論文が王立協会で読まれてから7か月ほど、印刷されてから約3か月あとのことです[6]。

ヘンリーは、この論文の冒頭近くで、エルステッド、アラゴ、ファラデーらの発見によって電気と磁気の深い関係がはっきりしたと、先行する発見を認めています[6]。学校の先生として実験室の使える時間に限りがあった中で、ヘンリーは遅れたぶんを、論文の中身で取り返そうとしたのかもしれません。ただし、これは筆者の想像であって、資料に書かれた理由ではありません。

では、そのヘンリーの論文には、ファラデーにはなかった何が書かれていたのでしょうか。

ヘンリーは1831年に誘導を探す実験を始めたが、実験に使いたい部屋が使えなくなり、中断を余儀なくされた。再開は1832年である。ファラデーの成功を知ったのも1832年の春から初夏にかけてで、この時期は、4月とする資料と6月とする資料に分かれる。したがって月は断定できない[5]。

そのため、論文の形になったのは1832年7月である。ヘンリーは『アメリカ科学・芸術雑誌』22巻に「磁気から電流と火花を作ること」を発表した(403〜408ページ)。ファラデーの論文が王立協会で読まれた日から約7か月、印刷された日から約3か月あとである[6]。

注目できるのは、遅れて書いたヘンリーが、先行者を隠さなかったことである。論文の冒頭近くで、エルステッド、アラゴ、ファラデーらの発見が電気と磁気の結びつきをはっきり示したと認めている[6]。論文の終わりに何が書かれていたのかが、次の問いになる。

4. ヘンリーの ろんぶんの さいごに かいて あった ことは?

4. 論文の最後にあった「どの本にも書かれていない」事実

4. 論文末尾の一事実:長い電線のコイルの電流を断つと、なぜ強い火花が出るのか

ヘンリーは、ろんぶんの さいごに、「どの本にも かかれて いない ことを ひとつ かく」と かきました。

それは、ながい 電線でんせんの コイルに でんきを ながして、その でんきを たつと、つよい 火花が でる という ことです。9メートルから 12メートルくらいの ながい 電線でんせんで、その 火花が みえました。よわい 電池でんちと みじかい 電線でんせんでは、火花は みえませんでした。

これは「じこゆうどう」と よばれる ふしぎな ことで、コイルを ながれる でんきが かわると、その コイルじしんに でんあつが うまれます。ヘンリーが ろんぶんに かいた、ヘンリーらしい はっけんでした。

ファラデーも、1834ねんに、おなじ ことに べつに きづいて、はっぴょうして います。ヘンリーの はっけんとは、べつべつに みつけたと いわれます。

ヘンリーは論文の終わりに、「どの本にも書かれていないことを1つ述べる」と断りを入れて、ある現象を書きました。長さ30〜40フィート(約9〜12メートル)の電線のコイルに電流を流し、回路を切って電流を断つと、強い火花が出るというのです。弱めの電池と短い電線では、火花は見えませんでした[7]。

これは「自己誘導」と呼ばれる現象です。電流が変わると、そのコイル自身に電圧が生まれる、という性質です。ヘンリーは、長い電線だと火花がはっきり見え、短い電線だと見えないと書いています。

ファラデーも、自己誘導に別に気づき、1834年に発表しました(『電気の実験的研究』第9系列)。資料はこれを、ヘンリーとは独立した発見としています[5]。自己誘導を先に書いたのは、1832年のヘンリーのほうです。

では、発見者の名前としてはファラデーが残った中で、ヘンリーの名前は、どこに残ったのでしょうか。

ヘンリーの論文には、先行研究の追認だけでなく、独自の観察が含まれていた。論文の終わりで、彼は「どの本にも書かれていないことを1つ述べる」と断り、30〜40フィート(約9〜12メートル)の電線のコイルに電流を流して回路を切ると強い火花が出る、と書いた。弱めの電池と短い電線では火花は見えなかった[7]。これが自己誘導である。電流が変化すると、そのコイル自身に電圧が生まれる現象である。

ここで注意が要る。自己誘導の論文が掲載された月を、Princetonの資料は1832年10月号とも記す。7月の論文との関係は、資料からは断定できない[7]。確かなのは、ヘンリーが自分の観察を「どの本にもない」と位置づけていたことである。

ファラデーも自己誘導に別に気づき、1834年に『電気の実験的研究』第9系列で発表し、自分の独創として扱った。ヘンリーとは独立の発見とされる[5]。つまり、電磁誘導はファラデーの発表が先で、自己誘導はヘンリーが先に論文に記した。二人の名前は、別々の形で語られている。

では、ヘンリーの名前はどこに残ったのか。

5. ふたりの なまえは、どこに のこったの?

5. 電磁誘導の発見者として知られるファラデーと、単位に名が残ったヘンリー

5. 二つの名が別々の単位に残るまで:ヘンリー(H)とファラド(F)

1893ねんに、アメリカの シカゴで、でんきの 単位たんいを きめる せかいの かいぎが ひらかれました。そこで、コイルの はたらきを あらわす 単位たんいに、ヘンリーの なまえが つけられたと つたえられて います。ヘンリーが なくなってから、15ねん あとです。

そのころ、ファラデーの なまえも、ものに でんきを ためる ちからを あらわす 単位たんい、「ファラド」に のこって います。ふたりの なは、べつべつの 単位たんいに なりました。

ヘンリーは、のちに アメリカの スミソニアンという きかんの、はじめての ちょうかんに なった 人でも あります。

1893年、アメリカのシカゴで開かれた国際電気会議が、電気の単位の名前を決めました。そのとき、コイルの性質を表す誘導の単位に「ヘンリー(H)」の名がつけられたと伝えられています。ヘンリーが亡くなってから15年後のことです[9]。

1ヘンリーは、1秒に1アンペアの割合で電流が変わるとき、1ボルトの電圧が生まれるコイルの性質を表します。一方、ファラデーにちなむ単位「ファラド(F)」は、電気をためる力を表します。ヘンリーとファラドは、別々の量を表す別の単位です[8]。

なお、ヘンリーは1846年に、アメリカのスミソニアン協会の初代長官になっています[8]。

発見の名前を一人に決めるきまりは、あとから見ると、もう一人の功績を見えにくくしたかもしれません。それでも名前が単位として残れば、電気の計算をするたび、世界中の人がその名を書くことになります。

1893年8月、シカゴで開かれた国際電気会議は、電気の単位として、オーム、アンペア、ボルト、クーロン、ファラド、ジュール、ワット、ヘンリーの名前を採用したと伝えられる。誘導の単位名が「ヘンリー」になったのは、ヘンリーの死(1878年)から15年後である。会議の詳しい経緯は資料の要約から分かる範囲にとどまるため、ここでは「1893年の国際会議で単位名になった」ことだけを書く[9]。

SIの単位ヘンリー(H)は、電流が毎秒1アンペアの割合で変化したとき、1ボルトの電圧が誘導される回路のインダクタンスである。一方、ファラデーにちなむファラド(F)はキャパシタンス、つまり電気をためる能力の単位であり、ヘンリーとは別の量を表す[8]。つまり、電磁誘導の発見者としての名はファラデーに集まり、誘導の性質を表す単位の名はヘンリーが受け取り、二人の名前は別々の場所に残った。

ヘンリーはその後、1846年にスミソニアン協会の初代長官になっている[8]。学校の教室から始まった電磁石の実験が、国の科学の仕事へと続いたことになる。

6. たんいの 「H」と 「F」を、ほんで さがしてみよう

6. 電気の本で、単位の「H」と「F」を探す

6. 単位の表と、ファラデーの原典を読む

がっこうの としょしつや、りかの ほんで、でんきの 単位たんいの ひょうを さがしてみましょう。ボルト(V)や アンペア(A)の となりに、「H」と 「F」が ありますか。「ヘンリー」と 「ファラド」と いう なまえを みつけたら、ふたりの はなしを おもいだして みてください。

理科の教科書や図書館の電気の本には、単位の一覧が載っています。ボルト(V)やアンペア(A)と同じ表の中に、ヘンリー(H)とファラド(F)はあるでしょうか。あれば、それぞれが何を表す量か、説明を読んで確かめてみてください。

図書館で、電磁誘導を扱った本を2冊借りてみるのもよい方法です。2冊の中で、発見者の書き方が同じか、違うかを見比べると、発見の名前が一人に決まる仕組みが少し分かってきます。

理科の教科書や電気の本の単位表で、ヘンリー(H)とファラド(F)が、何の量の単位として載っているかを確かめるとよい。電磁誘導を扱う本が2冊あれば、発見者の書き方を見比べられる。

原典に当たるなら、ファラデーの『電気の実験的研究』第1系列はプロジェクト・グーテンベルクで公開されている(英語)[4]。ヘンリーの1832年の論文は、ケンブリッジ大学出版局の19世紀アメリカ科学文選に収められ、公開ページでは序文まで読める[6]。本文は英語の原典として出典欄に示す。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

日付や月が資料で食いちがう箇所(8月末の日にち、ヘンリーが知った月、自己誘導の掲載月)は、本文で断定を避けました。

  1. EBSCO Research Starters, Joseph Henry. https://www.ebsco.com/research-starters/history/joseph-henry (ヘンリーがオールバニー・アカデミーで電磁石と誘導を調べていたこと)
  2. IEEE Milestone Proposal: Faraday's Discovery of Induction. https://ieeemilestones.ethw.org/Milestone-Proposal:Faraday%E2%80%99s_Discovery_of_Induction (1831年8月末の成功、12月のパリへの手紙とアラゴの紹介)
  3. PMC, Faraday (1832) commentary. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4360079/ (王立協会で読まれた日と印刷の時期)
  4. Michael Faraday, Experimental Researches in Electricity (Project Gutenberg). https://gutenberg.org/files/14986/14986-h/14986-h.htm (ファラデーが論文の日付と、ヘンリーらの電磁石に触れた箇所)
  5. American Heritage, Professor Henry and His Philosophical Toys. https://www.americanheritage.com/professor-henry-and-his-philosophical-toys (ヘンリーの中断と再開、ファラデーの自己誘導の発表)
  6. Joseph Henry, On the Production of Currents and Sparks of Electricity from Magnetism, American Journal of Science and Arts, July 1832 (Cambridge University Press anthology). Cambridge Core (ヘンリーの論文の発表時期と、先行発見に触れた冒頭)
  7. Princeton, The Joseph Henry Papers: Self Inductance. https://commons.princeton.edu/josephhenry/joseph-henry/self-inductance/ (論文末尾の自己誘導の記述)
  8. National MagLab, Joseph Henry. https://nationalmaglab.org/magnet-academy/history-of-electricity-magnetism/pioneers/joseph-henry/ (ヘンリーの単位の定義と、スミソニアン協会の初代長官になったこと)
  9. Smithsonian Institution Archives. https://siarchives.si.edu/collections/siris_sic_12595 (1893年の国際電気会議で単位名になったこと)

なおした ところ

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