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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

百人一首の かるたは どうして 「きょうぎ」に なったの?

百人一首のかるたは、なぜ競技になったのか ── 新聞社主の黒岩涙香がルールを統一

百人一首かるたの競技化 ── 黒岩涙香(萬朝報)の1904年のルール統一から、近江神宮の名人位・クイーン位決定戦まで

分野:歴史・文化

百人一首の かるたの 取りかたを きめた 人は、うたの 先生では ありませんでした。新聞を つくる 人でした。

もとは うたを たのしむ ものだった かるたが、どうして 取りあう しあいに なったのでしょう。この メモを よむと、その ながれが わかります。

百人一首の競技かるたのルールをまとめたのは、歌の研究者でも歌人でもなく、新聞を創刊したジャーナリストの黒岩涙香だとされています[2]。

和歌を味わう道具だったかるたが、なぜ、座って札を取り合う勝負になったのでしょうか。江戸の歌がるたから、明治のルール統一、戦後の全国組織、いまの近江神宮の決定戦までの流れが分かります。

競技かるたのルールを統一し、競技として確立したのは、歌人ではなくジャーナリストの黒岩涙香だと全日本かるた協会は説明する[2]。しかも彼の本業は、新聞『萬朝報よろずちょうほう』の経営だった[4]。

鎌倉時代前期の歌集が、なぜ明治の新聞社の催しを経て、現代の名人位・クイーン位決定戦につながったのか。その流れと、年や資料が割れている部分の両方が分かる。

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1. うたの ふだは、いつから あそびに なったの?

1. 歌集だった百人一首は、江戸でかるたになった

1. 定家の色紙から江戸の歌がるたへ ── 貝合・松葉屋・百人一首の定着

百人一首は、百人の うたを あつめた ものです。むかしの 人の うた が、ならんで います。

これを かるたに したのは、江戸えどの 人たちでした。京都では、あつがみに うたを 木はんで すった かるたが 売られて、ひろまりました[1]。

もっと むかしの 貝あわせ という あそびが、もとに なって いると いわれます[1]。

百人一首は、鎌倉時代の前期に、藤原定家が関わってまとめられたとされる歌集です。ただし、成立のいきさつは、はっきり決まっていません[1]。

貝合から歌がるたへ

歌を札にした遊びは、平安時代の貝合(貝覆い)が木の札に変わり、さらに江戸時代の貞享年間(1684〜88年)に、京都の松葉屋が厚紙に木版で刷った歌がるたを売り出して広まった、と説明されています[1]。歌がるたの多くが小倉百人一首になったのは、江戸の中ごろだとされます[1]。

この時点のかるたは、まだ「歌を覚えて楽しむ遊び」でした。では、いつ、勝ち負けを決める競技に変わったのでしょうか。

『小倉百人一首』は藤原定家の関わりで鎌倉時代前期に成立したとされる。明月記めいげつきの文暦2年(1235)5月27日条に、定家が障子に貼る色紙に歌を書いて贈った記事があり、成立と結びつけて語られるが、草稿本『百人秀歌』を指すとする説もあり、経緯は定説になっていない[1]。

ではそれが、どのようにして札の遊びになったのか。国立国会図書館の回答では、平安時代の貝合(貝覆い)が木札に代わり、貞享年間(1684〜88)に京都の松葉屋が厚紙に木版刷りした歌がるたを売り出して一般に普及した、とされる[1]。歌がるたの多くが小倉百人一首になったのは江戸中期とされる[1]。

歌がるたは貝合の流れで日本に生まれた遊びで、この段階ではまだ歌を楽しむ遊びだった。競技という発想はどこから来たのか。

2. 「となりと きそう」 あそびは、いつ うまれたの?

2. 一対一で取り合う形は、明治に生まれた

2. 明治に生まれた一対一の競技方法 ── 共通の土俵が必要になる

江戸えどの かるたは、みんなで わいわい 取る あそびでした。明治めいじに なると、ふたりで むかいあって 取りあう かたちが 生まれました[1]。

この かたちを、もっと 大きく ひろげた 人が いました。

明治になると、一対一で札を取り合う競技の形が生まれたと、国立国会図書館の回答は説明しています[1]。江戸の「みんなで取る遊び」から、向かい合って勝負する形へ変わったのです。

形はできても、会ごとのやり方がまちまちでは、勝負として比べられません。そこで登場するのが、新聞の人です。

明治に入ると、一対一の競技方法が生まれたと国立国会図書館の回答は述べる[1]。

注目したいのは、競技の形そのものより、それを共通の土俵にした人物である。次章で見るように、ルールの統一は学者や歌人ではなく、新聞の経営者の手で行われた。

3. きめた 人は、どうして 新聞の 人だったの?

3. ルールを統一した黒岩涙香は、なぜ新聞の人だったのか

3. 1904年の競技会 ── 黒岩涙香と『萬朝報』・常盤木倶楽部

ルールを まとめたのは、黒岩涙香くろいわるいこうという 人です。1904ねん、明治めいじ37ねんの ことです[2]。

この 人は 新聞を つくる 人でした。かるたの せんもんかでは ありません。新聞に かるたの とくしゅうを のせて、日本ばしで 第1回の しあいを ひらきました[2]。

みんなが おなじ きまりで たたかえば、とおくの 人とも しょうぶが できます。それが、ひろがる きっかけに なりました。

黒岩涙香は、1892年(明治25年)に新聞『万朝報』を創刊した人物です[4]。『巌窟王』などの翻案小説でも知られ、かるたとは別の顔が本業でした。

1904年(明治37年)、涙香はかるたのルールを統一して、競技かるたを確立したと、全日本かるた協会は説明しています[2]。新聞にかるたの特集記事を載せ、東京の日本橋にあった常盤木倶楽部で第1回の競技会を開きました[2]。

新聞に特集記事を載せ、そのうえで大会を開くという順番で、ルールと大会が世の中に知らされました。

では、その競技かるたは、実際にどんな勝負なのでしょうか。

統一の主体が新聞経営者だった点は、この競技の性格をよく表している。涙香は1892年に『万朝報』を創刊した人物で[4]、『巌窟王がんくつおう』などの翻案小説でも知られた。

全日本かるた協会は、1904年(明治37年)に涙香がルールを統一して競技かるたを確立し、新聞に特集記事を載せたうえで、東京日本橋の常盤木倶楽部ときわぎくらぶで第1回競技会を開いたと述べる[2]。

ルールを共通にすれば、別々の会の人どうしが同じ条件で勝負できる。新聞に特集を載せてから倶楽部で大会を開く順序は、記事を通じて競技を広める手順になっている。

4. きょうぎかるたは、どんな しょうぶ?

4. 競技かるたは、どんな勝負か

4. 競技のきまり ── 50枚・25枚・暗記15分

百まいの ふだの うち、つかうのは 50まいです。ひとりが 25まい ずつ ならべます。

しあいの まえには、15分 かけて、ふだの 場しょを おぼえます。よみ手が うたを よむと、その つづきの ふだを さがして 取ります。自分の じんの ふだを 先に なくした 人が かちです。

つづきの ことばを たよりに、ならんだ ふだを さがします。

競技かるたでは、百首の札のうち50枚を使い、一人25枚ずつを自分の陣に並べます。試合の前に15分間、札の位置を暗記する時間があります[3]。

取るのは下の句の札です。歌の続きを知っているだけでなく、並べた札のどこに何があるかを覚えておくことが、勝負の中心になります。

使う札は100枚ではなく50枚です。数をまちがえやすいので、気をつけたい点です。

競技かるたは、百首の札から50枚を使い、各自25枚を並べる。試合前に15分間の暗記時間がある[3]。

取る札は下の句の札である。使う札は百首すべてではなく50枚で、歌の知識に加えて、15分間で並びを覚える記憶力が土台になる。

歌を味わう遊びが、並べ方と暗記の時間まで決まった一対一の勝負になった。この形が、のちの大会や名人戦の前提になっている。

5. ぜんこくに ひろがった あと、どう なったの?

5. 全国に広がり、戦後に全国組織ができた

5. 大正・昭和の普及と全日本かるた協会(1954年)── 年が割れる名人戦・クイーン戦

大正から 昭和の はじめに かけて、きょうぎかるたは 日本ぜんこくへ ひろがりました[2]。

1954ねんには、ぜんこくを まとめる 「全日本かるた協会きょうかい」が できました[3]。

そのあと、日本一を きめる 名人せんや クイーンせんが はじまったと されて います。いつ はじまったかは、しりょうに よって ちがいます。

いまは、ぜんこくに 300いじょうの かいが あります。きょうぎを して いる 人は、100万人を こえると いわれます[3]。

競技かるたは、大正から昭和の初めにかけて全国へ広がりました[2]。そして1954年(昭和29年)に、全国統一の組織として全日本かるた協会が設立されました[3]。

名人位とクイーン位を決める大会は、戦後の1950年代半ば以降に始まったとされます。ただ、第1回の年は、資料によって1955年・1957年とする説と、昭和36年(1961年)からとする説があり、一致しません[1]。

協会には全国に300以上の登録団体があり、年間160回以上の大会が開かれています。競技人口は100万人を超えると言われますが、これは学校の部活動や子供会の活動も含めた数字です[3]。

では、その日本一を決める戦いは、なぜ滋賀県の神社で行われるのでしょうか。

大正から昭和初期にかけて競技かるたは全国に広がり[2]、1954年(昭和29年)に全日本かるた協会が全国統一組織として設立された。1996年8月に社団法人、2014年4月に一般社団法人へ移行している[3]。

名人位・クイーン位の決定戦の起点は、資料により1955年・1957年説と、昭和36年(1961年)から毎年とする回答[1]が併存し、確定できない。本稿は「戦後、1950年代以降」とだけ述べる。

協会の概要では、競技人口を100万人超と「言われる」推計で示す。ただし学校の部活動や子供会を含む数字で、競技会に出る人の数ではない。登録団体は全国に300以上、大会は年間160回以上とされ、海外にも米国・タイ・シンガポール・フランスなどにかるた会がある[3]。

6. 日本一は、どうして 近江神宮おうみじんぐうで きまるの?

6. 日本一の決定戦が、近江神宮で行われる理由

6. 近江神宮と百人一首1番歌 ── 天智天皇と「かるたの聖地」

いまの 名人せんと クイーンせんは、毎年 1月に、しがけんの 近江神宮おうみじんぐうで ひらかれます[6]。インターネットでも 見られる ことが あります。

この 神社は、天智天皇てんじてんのうを まつって います。百人一首の 一ばん はじめの うたは、天智天皇てんじてんのうの うたです[5]。

そのため、「かるたの せいち」と よばれて います。

名人位・クイーン位の決定戦は、毎年1月に滋賀県大津市の近江神宮で開かれています。会場は近江勧学館で、観戦席があり、YouTubeでのライブ配信もあります[6]。

近江神宮は1940年(昭和15年)に創建され、天智天皇を祀っています。天智天皇の歌が、百人一首の1番歌「秋の田の かりほの庵の 苫をあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」です[5]。この縁で「かるたの聖地」と呼ばれています。

毎年1月上旬の日曜には、「かるた祭・かるた開きの儀」が行われ、この前後に競技かるたの大会シーズンが始まります。70年以上続く行事だと紹介されています[5]。

決定戦の会場が近江神宮なのは、祭神が天智天皇で、天智天皇の歌が百人一首の巻頭歌「秋の田の かりほの庵の 苫とまをあらみ わが衣手は 露にぬれつつ」だからだと説明される[5]。同神宮は1940年(昭和15年)の創建で、「かるたの聖地」と呼ばれる。

名人位・クイーン位決定戦は毎年1月に大津市の近江勧学館おうみかんがくかんで開かれ、観戦席とYouTubeでの配信がある[6]。毎年1月上旬の日曜の「かるた祭・かるた開きの儀」は70年以上続き、この前後に大会シーズンが始まる[5]。

自分でも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

もし おうちか としょかんに 百人一首の かるたが あれば、何まいかを ならべて、家ぞくに 上の くを よんで もらい、下の くの ふだを さがして みましょう。

毎年 1月の 名人せんと クイーンせんは、ぜんこくの 協会きょうかいの ページで 日にちを しらべられます。ふだの うごきが はやくて、びっくりするかも しれません。

家や図書館に百人一首の札があれば、25枚だけを机に並べて、1分ほど位置を見て覚えてから、家族に上の句を読んでもらってみてください。いきなり50枚は大変なので、少ない枚数から試すのがおすすめです。

毎年1月の決定戦は、全日本かるた協会のページで開催日や配信の案内を確かめられます。競技かるたの動きを、一度ながめてみるのもいいでしょう。

全日本かるた協会の「協会の歴史」と「協会概要」は、日付や数字の確かめに使える。名人戦・クイーン戦の第1回の年が資料で割れている点は、国立国会図書館のレファレンス協同データベースの回答と、協会の資料を読み比べると、ずれの理由が見えてくるかもしれない。

毎年1月の近江神宮の決定戦は、協会のページで開催や配信の案内を確かめられる。配信を見たら、読み手が上の句を読み終わる前に札を取る場面が出てくるか、確かめてみてほしい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

年や日付が資料で割れるところは、本文で「割れる」と書いた。

  1. 国立国会図書館 レファレンス協同データベース「百人一首の成立と競技かるた」 https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000248991 (成立・江戸の歌がるた・明治の一対一の競技)
  2. 全日本かるた協会「協会の歴史」 https://www.karuta.or.jp/about/history/ (涙香のルール統一・全国への普及)
  3. 全日本かるた協会「協会概要」 https://www.karuta.or.jp/about/outline/ (設立年・競技人口・競技のきまり)
  4. 国立国会図書館「近代日本人の肖像」 https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/264 (涙香と『万朝報』)
  5. ここ滋賀(滋賀県観光)「近江神宮」 https://cocoshiga.jp/official/topic/oumijingu/ (天智天皇・かるた祭)
  6. PR TIMES(全日本かるた協会)名人位・クイーン位決定戦の案内 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000016.000054642.html (決定戦の会場・配信)

なおした ところ

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