1. 右手を あげると、どうなる?
1. 鏡の前で起きていること
1. 問いの立て方 ── 「左右反転」は本当に起きているか
鏡の 前に 立って、右手を あげて みます。鏡の 中の 子は、じぶんから 見て 左がわの 手を あげて いるように 見えます。
ところが、鏡の 中の 子の あたまは、上を むいた ままです。足も 下です。上下は ぎゃくに ならないのに、左右だけ ぎゃくに 見える。ふしぎですね。
この ふしぎには、こたえの 出しかたが 1つでは ない ことも わかって います。まず、鏡が 本当は 何を して いるのかを 見て いきます。
右手を上げると、鏡の中の像は「左手を上げている」ように見えます。ところが、鏡の中の像は頭が上、足が下のままで、上下は逆になっていません。
もし鏡が「左右を入れかえる装置」なら、なぜ上下は入れかわらないのでしょうか。この問いは、物理の説明だけでなく、人が像をどう見るかという話にもつながっていて、研究者が長く議論してきました[4]。
順番に考えます。最初に、鏡が光学的に何をしているかを確かめます。
右手を上げると鏡像は左手を上げているように見えるが、上下は反転して見えない。「鏡は左右を反転させるのに上下は反転させないのはなぜか」という問いは、物理学・心理学・哲学の側から繰り返し議論されてきた[4]。
この問いは、まず「鏡は左右を反転させている」という前提が正しいかを確かめる必要がある。以下、光学的な事実、次に人の見方の側の話へと進む。
2. 鏡が ひっくり返すのは、じつは「前と うしろ」
2. 鏡が入れかえるのは「前後」だけ
2. 平面鏡の光学 ── 反転する軸は鏡面に垂直な1本だけ
鏡に 向かって、人さしゆびを まっすぐ 鏡の 方へ さして みます。鏡の 中の 子は、こちらへ 向かって ゆびを さして います。むきが ぎゃくです。
こんどは ゆびを よこへ のばします。鏡の 中の 子の ゆびも、同じ がわを さして います。よこの むきは かわって いません。
ひっくり返って いるのは、鏡に 向かう むき、つまり 前と うしろだけです。上下も 左右も、鏡が ぎゃくに して いるわけでは ありません[1]。
たとえば、むかい合って 立つ 人を 思いうかべて ください。頭は 上で、足は 下です。でも こちらを 向いて いるので、前と うしろは、こちらと 反対です。ただし 本当は 鏡の 中に 人が いるのでは なく、うつって いるだけです。
カリフォルニア大学リバーサイド校の数学者ジョン・バエズさんは、平面鏡が特別扱いしている向きは、鏡面に垂直な1方向だけだと説明しています[1]。その向き、つまり前後だけが、鏡によって反転します。
物理学者の堀田昌寛さんも、鏡は鏡面に垂直な「前後」の反転を鏡像に起こす装置だと解説しています[2]。鏡面と平行な上下は変わらず、前後が入れかわった結果が「左右反転」として見えている、というのが堀田さんの説明です。
物理学者のファインマンは、鏡に向かって指をさす例で説明したと紹介されています[3]。鏡と平行な向き(東西を指すとします)の指は、像でも同じ向きです。鏡に向かって指した向き(北とします)は、像では逆(南)を指します。反転しているのは、鏡に垂直な軸だけです。
右手を上げたとき、鏡が変えているのは、手が指す向きのうち鏡に垂直な成分だけだ、と考えるとわかりやすくなります。
光学的には、平面鏡が単独で特別扱いするのは鏡面に垂直な1方向のみであり、その方向が反転する。鏡面に平行な方向(上下・左右)は保存される[1]。
堀田昌寛(ほったまさひろ)の解説も同趣旨で、鏡は鏡面を境に垂直方向の前後の反転を鏡像に起こす装置であり、上下は鏡面に平行なため不変で、前後が反転した結果が左右反転として見える、というのが堀田の説明である[2]。
ファインマンの説明として紹介される例では、鏡に平行に東西を指した指は像でも同じ向きで、鏡に向かって北を指した指は像では南を指す[3]。原典は未確認で、紹介記事の要約である。
ここまでは、鏡という物体の性質の話である。「左右が逆に見える」という現象がなぜ起きるかは、光学だけでは決まらない、という点が次の章の主題になる。
3. 上と 下、右と 左は、だれが きめたの?
3. 上下・左右という呼び名は、見る人が持ちこんだもの
3. 上下・左右は「見る人が世界に課した座標」である
「右」や「左」は、鏡が つけた 名前では ありません。見て いる 人が、世界に つけた 名前です。
ふだんの わたしたちは、自分の からだを めじるしに して、右と 左を きめて います。鏡の 中の 子にも、自分の からだの きめかたを そのまま あてはめて、「右手は あっちだ」と 見て しまうのです。
鏡の 中の 子を 見る とき、わたしたちは 「こちらを 向いて 立って いる 自分」だと 思って 見ます。そう 思うと、その 子の 右手は、こちらから 見て 左がわに あります。それで 右と 左が 入れかわって 見えるのです。
バエズさんは、上下・左右という向きは、鏡の中の世界に人が持ちこんだ決まりごとだ、という見方を示しています[1]。鏡が反転しているのは、鏡面に垂直な向きだけです。
物理学者の堀田さんの説明では、左右は、上下と前後の向きが決まってはじめて決まる量です[2]。「前」を向いて「上」が決まれば、右手はどちらの側か、が決まります。ですから、前後だけが入れかわった像では、上は上のままなのに、左右の見え方が変わります。
鏡の中の像を見るとき、私たちは無意識に「像の後ろへ回りこみ、像と同じ向きに立ったつもり」になっていると考えるとわかりやすくなります。そのつもりで見ると、自分の右手は、像の左手に当たるように感じられます。
バエズは、上下・左右という方向は、人が鏡像を見るときに当てはめる決まりであるとする[1]。鏡はこの区別を知らず、垂直方向を反転させるだけである。鏡を床に平らに置いて見れば上下が逆に、縁を立てて見れば左右が逆に見える、という例も挙げられるが、原文の細部は再確認が必要である。
堀田によれば、左右は上下と前後が決まってはじめて決まる量(物理でいう軸性の量)であり、前後だけが反転した像では、上は上のままで前後が逆になる結果、左右の見え方が変わる[2]。この点は要約による理解であり、原文の引用ではない。
したがって「鏡は左右を反転させる」は、物体としての鏡の作用を正確に述べたものではない。人が像を見るときの左右の当てはめ方まで含めた言い方である。
4. 文字を うつすと、なぜ 左右が ぎゃくだと 思うの?
4. 自分と文字は、別の理由で反転して見える
4. 高野陽太郎の実験 ── 自分の鏡映反転と文字の鏡映反転は別の現象
読める 文字を 鏡に うつすと、ほとんどの 人が 「左右が ぎゃくに なった」と 感じます。読める 文字は、よむ ときの むきが きまって いるからです。
ところが 自分が 鏡の 前に 立つ ときは、「左右は ぎゃくに なって いない」と 感じる 人が、10人のうち 3〜4人 いる、と 大学の 先生の 調べで わかりました[4]。
同じ 「鏡」でも、自分を 見る ときと 文字を 見る ときでは、頭の 中で 起きて いる ことが ちがうのかも しれません。
東京大学の高野陽太郎教授は、実験をもとに、自分の鏡映反転(自分の像が左右逆に見えること)と、文字の鏡映反転は、それぞれ別の理由で起きる別の現象だと示しました[4]。
大学の紹介記事によると、自分が鏡と向かい合うとき、「左右は反対になっていない」と感じる人が3〜4割いる一方で、実験で使った、読める文字については、全員が左右反対だと感じました。ここでの3〜4割は「感じない人の割合」で、「左右反転を感じる人が3〜4割」ではありません。
ロシア語をまったく知らない人は、文字でも「左右が反対」とは感じなかった、とも紹介されています。文字の反転は、読む言葉を知っているかどうかとつながっているようです。
高野陽太郎(たかのようたろう)は、自分の鏡映反転(きょうえいはんてん)と文字の鏡映反転は、それぞれ別の理由で起きる別の現象だと実験で示した。東京大学の紹介記事による[4]。
同記事では、自分が鏡に向かい合うときに「左右は反対になっていない」と感じる人が3〜4割いる一方、実験で使われた読める文字は全員が左右反対だと感じるとされる。3〜4割は「感じない人」の割合であり、「左右反転を感じる人が3〜4割」ではない。ロシア語を全く知らない人は、文字でも「左右が反対」とは感じなかったという。
この結果は、「鏡は左右を反転する」という単一の説明では、自分の像と文字の見え方の違いを説明しにくいことを示唆する。ただし、この節は大学の紹介記事に基づくもので、論文本体は本稿では確認していない。
5. 先生たちの こたえも、1つでは ない
5. 研究者の間でも、説明は1つに決まっていない
5. 多重過程説と競合する説明 ── 現在の議論状況
この もんだいに ついて、「頭の 中で 見かたが ずれて おきる」と 考える 先生も いれば、「鏡が 前と うしろを ぎゃくにして、左右の きめかたと あわさって おきる」と 考える 先生も います。
どちらが 正しいか、たくさんの 先生が 今も 考えて います。「ふしぎだな」と 思った あなたの 気もちは、先生たちと 同じです。
高野教授の多重過程説では、鏡映反転は、視点の置き方のずれ、頭の中の物の表象と鏡像のずれ、鏡の光学的な変換という、3種類の複合と考えます。1998年に学術誌に発表され、その後の2007年の実験もこれと整合的だとされています[5]。
これに対して、別の研究者は、鏡の光学的な前後反転と「左右軸をどう定義するか」の組み合わせで説明でき、心理的な過程は要らないという説を出しています[6]。
どちらの論文も要旨でしか確かめていないので、「こういう説がある」という紹介にとどめます。
高野陽太郎の多重過程説は、鏡映反転を3種の過程(視点の置き方のずれ、頭の中の物の表象と鏡像のずれ、鏡の光学的変換)の複合とみなす。1998年にPsychonomic Bulletin & Reviewに発表され、2007年のTakano & Tanakaの実験もこれと整合的とされる[5]。
これに対し、田畑・奥田(2000)は、鏡の光学的な前後反転と左右軸の定義の組み合わせで説明でき、心理過程は要らないと主張した[6]。研究者の間でも、説明が1つに決まっているわけではない。
ただし、両論文とも要旨しか確認しておらず、「〜という説」の紹介にとどめる。ほかにも日本の研究者による説があるが、ここでは取り上げない。
6. じぶんで ためして みよう
6. 自分でも調べてみたくなったら
6. 自分でも調べてみたくなったら
今日 できること
鏡の 前で、ゆびを まっすぐ 鏡に むけて さして みます。つぎに よこへ のばして みます。どっちが ぎゃくに 見えるか、くらべて みましょう。
大きな 字を 書いた 紙も、鏡に うつして みます。字が ぎゃくに 見えるのは、どんな ときでしょう。
ほかの 人にも、「左右は ぎゃくに 見える?」と ききに いって みても いいかも しれません。人に よって こたえが ちがう ことが あります。
今日できること
鏡に向かって、人さし指を鏡の方向へまっすぐ出したときと、横に伸ばしたときで、像の指がどう見えるかを比べます。鏡に向かう向きだけが逆に見えるかどうか、確かめられます。
大きく字を書いた紙を鏡に映して、文字がどう見えるかも観察できます。紙を裏返して光にすかして見た場合と比べると、「反転している」という感じ方が同じかどうか、考えるきっかけになります。
もっと調べたくなったら
出典欄に、東京大学の紹介記事があります。日本語で読めますので、実験の様子や、なぜ研究者が「別の現象」と考えたのかを読んでみてください。
今日できること
鏡に向かって指を鏡へ向けて指した場合と、横に伸ばした場合で、鏡像の指の向きを比べる。鏡に垂直な向きだけが反転する、という光学の説明を、自分の目で確かめられる。
大きく書いた文字を鏡に映し、同じ紙を裏から透かして見た場合と比べる。「反転して見える」という感覚が同じかどうかに注目する。
資料を読むなら
- 東京大学の紹介記事[4]は、日本語で実験の要点が読める。
- Baezの解説[1]は英語だが、平面鏡と反転の関係を図なしで論理的に整理している。
- 堀田昌寛の解説[2]は日本語で、前後反転と左右の定義の関係を説明している。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。ファインマンの説明は紹介記事の要約で、論文の2件は要旨の抜粋で確かめたものです。
- John Baez, "Do Mirrors Reverse Left and Right?" カリフォルニア大学リバーサイド校。https://math.ucr.edu/home/baez/physics/General/Mirrors/mirrors.html (平面鏡が反転させる向きについて)
- 堀田昌寛「鏡の中の左右の話」(note)。https://note.com/quantumuniverse/n/n73750bdd80a2 (前後反転と、左右が上下・前後で決まることについて)
- Gizmodo, "Why do mirrors reverse left and right, but not top and bottom?" https://gizmodo.com/why-do-mirrors-reverse-left-and-right-but-not-top-and-5971306 (ファインマンの指さしの例の紹介)
- 東京大学「鏡の左右逆転 1種類ではなかった」。https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/press/p01_191101_01.html (自分と文字の鏡映反転が別の現象であることについて)
- Takano (1998) Psychonomic Bulletin & Review 5(1), 37-55。https://link.springer.com/content/pdf/10.3758/BF03209456.pdf (多重過程説の内容について)
- Tabata & Okuda (2000) Psychonomic Bulletin & Review。https://link.springer.com/article/10.3758/BF03210737 (別の説明の内容について)
なおした ところ
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