1. その 名前は、だれが つけたの?
1. 音速との比の「マッハ数」は、亡くなったあとにつけられた
1. マッハ数の命名 ── 本人の没後13年
ジェットきの はやさを「マッハ2」と いうと、おとの 2ばいの はやさ、と いう いみです。おとの はやさは「おんそく」と いいます。
この「マッハ」は、エルンスト・マッハという 人の 名前です。1838ねんに うまれ、1916ねんに なくなりました[1]。
そして 名前を つけたのは、スイスの ぎじゅつしゃ、ヤコブ・アッケレートです。1929ねん、マッハが なくなって 13ねん あとの ことと いわれます[3]。
では、マッハさんは なにを した 人でしょう。じつは、とんでいる だんがんの まわりの くうきを うつした 人でした。
13年後につけられた名前
マッハ数とは、物体の速さを、その場所での音速で割った値のことです。音速の2倍の速さなら、マッハ2になります[4]。
この名前は、1929年にスイスの航空技術者ヤコブ・アッケレートが、エルンスト・マッハにちなんで名づけたとされます[3]。マッハが亡くなったのは1916年なので、13年後です。
どんな人だったのか
マッハは1838年に、今のチェコにあたる地域で生まれました。1867年から1895年までプラハ大学で実験物理学の教授をつとめ、そのあいだに学長を2度つとめています[1]。日本の百科事典は、波や超音速の研究でマッハ数の考えを導入した物理学者・哲学者として紹介しています[6]。
音の研究者の名前が、のちに飛行機の速さを表す比の名前になった。その根っこにあるのは、1枚の写真です。
2. はやい だんがんを、どうやって うつしたの?
2. 一瞬しか存在しない空気の波を、シュリーレン法で写す
2. 1887年の衝撃波写真 ── シュリーレン法で可視化
だんがんは、ほんの 一しゅんで とんで いきます。しかも、くうきは とうめいです。ふつうの しゃしんでは、なにも うつりません。
そこで 使われたのが、くうきの こさの ちがいを、あかるさの ちがいに して 見せる 方ほうです。「シュリーレンほう」と いいます[7]。
1887ねん、マッハは なかまの ザルヒャーと いっしょに、この しゃしんを はっぴょう しました[2]。しゃしんには、だんがんの まわりに ひろがる、くうきの なみが うつって いました。
写せないものを、写す
弾丸は、一瞬で飛んでいきます。しかも空気は透明です。ふつうに撮っても、空気の波は写りません。
そこで使われたのが、トプラーが1859〜64年に考えたシュリーレン法です。空気の濃さのちがいを、明るさと暗さの差にして見せる方法で、マッハは衝撃波の影をこの方法で写真に記録しました[7]。
発表されたのは1887年
マッハは、共同研究者のペーター・ザルヒャーとともに、超音速の弾丸のまわりにできる衝撃波を写した最初の写真を、1887年にウィーンの科学アカデミーで発表したとされます[2]。実験は、プラハではなく、今のリエカにあたるフィウメで、オーストリア海軍の協力を得て行われました[2]。ザルヒャーは、資料によって「弟子」とも「共同研究者」とも書かれています。
写真には、弾丸の先からV字に広がる線が写っていました。この線から、何が分かるのでしょうか。
弾丸は一瞬で通り過ぎ、空気は透明なので、普通の写真では衝撃波は撮れない。そのため、空気の密度のちがいを明暗の差に変えるトプラーのシュリーレン法(1859〜64年に考案)で衝撃波の影を写真に記録したと説明される[7]。ただしこの経緯は二次資料の記述にもとづく。
マッハとペーター・ザルヒャー(フィウメの海軍学校の教官)は、超音速の弾丸のまわりの衝撃波を写した最初の写真を、1887年にウィーン科学アカデミーに発表した[2]。実験はプラハでなくフィウメ(現リエカ)で、オーストリア海軍の協力のもとで行われた。ザルヒャーの立場は、資料によって弟子とも共同研究者とも書かれている。弾丸の速さの数値は、ここで使った資料からは分からない。
3. V字の なみから、なにが わかるの?
3. V字の角度が、弾丸の速さを教えてくれる
3. 衝撃波の角度と、マッハ数が「速さの比」である意味
しゃしんの だんがんの さきから、V字に ひろがる 線が 見えました。ふねが すすむと、うしろに V字の なみが できます。あれと にた かたちです。ただし、みずの なみと くうきの なみは べつの ものです。
この V字の ひらきぐあいは、だんがんの はやさと おとの はやさで きまります[2]。だんがんが はやいほど、V字は ほそく なります。
ところで、おとの はやさは いつも 同じでは ありません。くうきの 温どで かわります。たとえば、海に ちかい ところでは 時そく 1225キロメートルほど、たかい そらでは 1060キロメートルほどが マッハ1と されます[4]。
マッハ1は、きまった 数の キロメートルでは ない、と いう ことです。
角度と速さの関係
弾丸のほうが音より速いとき、波の面と進行方向のあいだの角度αは、「音速÷弾丸の速さ」がsinαになるという関係で決まります[2]。割り算の答えは1より小さくなるので、角度が決まるわけです。
たとえば、弾丸が音速の2倍で飛べば、sinα=1/2となり、αは30度です。3倍なら、sinα=1/3で、V字はもっと細くなります。この角度は、のちに「マッハ角」と呼ばれるようになりました[2]。
「マッハ1」は、いつも同じ時速ではない
音が伝わる速さは、気体の種類と温度で変わります[4]。そのため、日本語の解説では、海面付近の標準的な空気でマッハ1が時速約1225km、成層圏では約1060kmとされています[4]。気温の低い高空では、音そのものがゆっくり進むからです。
マッハ数は、速さを「その場の音」との比で表す数字です。km/hで言いかえるときは、場所と気温を確かめる必要があります。
超音速の弾丸のまわりの衝撃波面と進行方向がなす角αは、音速をa、弾丸の速さをvとして、sinα=a/v(v>a)で決まる[2]。式は「音速÷弾丸速度」で、答えは1以下になる(逆数ではない)。v=2aならsinα=0.5でα=30°、v=3aならsinα≒0.33でα≒19.5°と、速いほど角は小さくなる。この角は後年マッハ角と呼ばれるようになった[2]。
これは、1/sinα=v/a、つまりマッハ数に等しい。なぜマッハ数が「比」で定義されるのか、その理由は上の関係に表れる。波の形は、速さそのものでなく、音速との比で決まるからだ。
音速は気体の種類と温度で変わる[4]。標準大気の海面付近でマッハ1は時速約1225km(約340m/s)、成層圏では約1060kmとされ、同じマッハ1でも実際の速度は一定でない[4]。
4. 同じ 人が、目の さっかくも 見つけた
4. 同じ人が、目の錯覚も見つけていた
4. マッハは弾丸写真より22年前に、灰色の境目の錯覚を報告した
マッハさんは、ほかにも ふしぎな ことを 見つけて います。ぜんぶ 同じ はいいろの 四角でも、となりに ちがう いろが あると、ちがって 見える ことが あるのです。
うすい はいいろと、こい はいいろが となりあう ところ。さかいめの ちかくが、うすい ほうは もっと うすく、こい ほうは もっと こく 見える ことが あります。これを「マッハバンド」と いいます[5]。
マッハさんは、目の おくに ある 神けい どうしが おたがいを おさえあう せいだと かんがえました[5]。ひかりが かわって いるのでは なく、見え方が かわって いるのです。
1865年の報告
明るさのちがう灰色が接している境目では、境目の付近が強調されて、明るい側はより明るく、暗い側はより暗く見えることがあります。この現象を、マッハは1865年に報告しました[5]。弾丸の写真より22年前です。
マッハは、目の網膜にある神経細胞どうしが、互いに抑え合うために起こると推測しました。これを側抑制といいます[5]。紙に塗った灰色が変わるわけではなく、見え方の仕組みが生む現象です。
2つの仕事に共通するもの
空気の波は、目に見えないものを写真で見えるようにした仕事でした。マッハバンドは、目に見えているものが、実際とはちがって見えることを見つけた仕事です。どちらも「見える」とはどういうことかを調べていたといえます。
マッハは1865年、明るさの異なる灰色の境界で、境界付近が強調され、明るい側がより明るく、暗い側がより暗く見える現象を報告し、網膜内の神経細胞どうしが抑え合う側抑制が原因ではないかと推測した[5]。弾丸の写真(1887年)より22年早い。刺激の物理的な明るさは一定で、変わっているのは神経のはたらきによる見え方だ。この説明は、報告当時の推測であることに注意する。
見えないものを写真で可視化した仕事と、見えるものが実際とずれることを示した仕事。2つは、「見える」ことそのものを検討対象にした点でつながる。この見方は、次章の時間・空間への批判とも並べて読める。
5. 「あたりまえ」まで、うたがった
5. 「あたりまえ」まで疑い、アインシュタインはマッハを先駆者とみなした
5. ニュートン力学の再検討とマッハの原理 ── 影響の範囲と議論
マッハさんは、ものを うたがう 人でした。ニュートンの ちからの ほうそくでは、時間や 空間は、いつも きまった ものと かんがえます。マッハさんは、それを かんがえ なおしました[6]。
「ものが うごきにくい せいしつは、うちゅうの ほかの ものとの かんけいで かんがえる」と いう かんがえも のべました[1]。のちに「マッハの げんり」と よばれます。
アインシュタインは、マッハを そうたいせいりろんの さきがけの 一人と みて いました[1]。ただし、ふたりの かんけいには、いろいろな 見かたが あります。
時間と空間を、考え直す
ニュートン力学では、時間や空間は、物体の動きとは別に、いつも決まったものとして考えられていました。マッハは、そうした考え方を批判的に検討したと、日本の百科事典は紹介しています[6]。
その中で出てきたのが、物質の慣性は、宇宙のほかの物質との関係でだけ意味をもつ、という考えです。のちに「マッハの原理」と呼ばれました[1]。世界大百科事典は、これが一般相対性理論への道を開いたと書いています[6]。
アインシュタインとの関係
アインシュタインは、マッハを相対性理論の哲学的な先駆者とみなしました。ただし、マッハが後の年に相対性理論をどう見ていたかについては、議論があります[1]。マッハの原理を、アインシュタインがそのまま完全に採り入れたわけでもありません。
のちの年月
マッハは1895年からウィーン大学で「帰納科学の歴史と哲学」の教授となりました。1898年に脳卒中で右半身が不自由になり、1901年に大学を退きました[1]。なお、原子を「思考上のもの」と考え、物理の記述に必要なければ使わない立場をとったため、当時のウィーンの原子論には反対の側にいました[1]。
日本の百科事典類は、マッハがニュートン力学の時間・空間概念を批判的に検討し、その流れの「マッハの原理」が一般相対性理論への道を開いたと説明する[6]。原理の内容は、「物質の慣性は宇宙の他の物質との関係でのみ意味をもつ」という主張である[1]。
アインシュタインはマッハを相対性理論の哲学的先駆者とみなした。ただし、マッハが後年に相対性理論をどう見たかは議論があり、またマッハの原理をアインシュタインが完全に採用したとも言えない[1]。影響は「道を開いた」と整理されるが、その範囲は一様でない。
マッハは1895年からウィーン大学の「帰納科学の歴史と哲学」の教授となり、1898年7月の脳卒中で右半身に麻痺が残り、1901年に退官した[1]。また原子を「思考上のもの」とみなし、物理の記述に不要なら使わない立場で、ボルツマンらの原子論とは対立側に立った[1]。
6. はいいろの 四角で、目を ためして みよう
6. 紙の灰色で、境目の見え方を試す
6. 境目の見え方を試し、資料を読む
かみと えんぴつを 用意します。かみに、よこに ならべた 四角を 3つ かきます。左から、えんぴつを 1かい、3かい、6かい ぬりかさねて、むらなく ぬります。
3つの 四角が くっついた ところを、じっと 見て ください。さかいめの すぐ そばが、すこし 明るく 見えたり、くらく 見えたり するでしょうか。
つぎに、ゆびで さかいめを かくして みましょう。見え方が かわる でしょうか。見え方は 人や かみに よっても ちがいます。
ただし、これは マッハバンドの 一れいです。見え方は 人や かみに よって ちがいます。見えなくても ふしぎでは ありません。
紙と鉛筆を使います。横に並べた四角を3つ描き、左から、鉛筆を1回、3回、6回と塗り重ねて、ムラなく塗ります。
3つの四角が接している境目を、じっと見てみてください。境目のすぐそばが、少し明るく、あるいは少し暗く見えるでしょうか。次に、指で境目を隠してみます。見え方は変わるでしょうか。
見え方は人や紙によってちがうので、見えない人がいてもふしぎではありません。
もっと読みたくなったら、日本語のコトバンクのマッハの項目[6]を開いてみてください。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:哲学百科事典、航空の解説サイト、NASAの教育ページ、百科事典サイト、Wikipediaを使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- Stanford Encyclopedia of Philosophy「Ernst Mach」。https://plato.stanford.edu/entries/ernst-mach/ (生没年、経歴、マッハの原理、アインシュタインとの関係、原子についての立場)
- aerospaceweb.org「Mach number history」。https://aerospaceweb.org/question/history/q0149.shtml (1887年の衝撃波写真、衝撃波の角度の関係。二次資料)
- Wikipedia「Mach number」。https://en.wikipedia.org/wiki/Mach_number (マッハ数の命名について。二次資料)
- NASA Glenn Research Center「Mach Number」。https://www.grc.nasa.gov/www/k-12/airplane/mach.html (マッハ数と、音速が気体と温度で変わること。具体的な時速は日本語の解説による)
- Wikipedia「Mach bands」。https://en.wikipedia.org/wiki/Mach_bands (マッハバンドと側抑制について。二次資料)
- コトバンク「マッハ」(デジタル大辞泉・日本大百科全書・世界大百科事典)。https://kotobank.jp/word/%E3%81%BE%E3%81%A4%E3%81%AF-3171338 (日本の百科事典による、マッハの業績の紹介)
- Wikipedia「Ernst Mach」。https://en.wikipedia.org/wiki/Ernst_Mach (シュリーレン写真など。二次資料)
なおした ところ
更新履歴
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