1. ゆかの せんを またぐと、なぜ あるける?
1. 床の線をまたぐと、なぜ歩けるのか
1. 床の横線があると歩けるのに、なぜ普段は歩きにくいのか
パーキンソン病の ひとは、うごき はじめるのが むずかしくなったり、うごきが ゆっくりに なったり します。
ところが、ゆかに あしの ひとあしぶんの あいだを あけて せんを ひくと、おなじ ひとが ふつうの はやさで あるけた、という ほうこくが あります。かいだんなら のぼれるのに、たいらな ところでは あしが でない、という ひとの きろくも のこって います。
2009ねんの イタリアの 地震の あとには、はなしを きいた 14人の ぜんいんが、よなかに おきて いえから にげられたそうです。緊急の ときや、つよい きもちが あるときには、からだが うごく ことが あるのです。
ただし、うごけるのは ひとときだけで、病気が なおった わけでは ありません。では、そもそも この 病気は、どう 見つかったのでしょう。
パーキンソン病は、動き出しにくい、動きがゆっくりになる、といった症状が出る病気です。ところが、条件がそろうと、同じ人が普通に近い速さで動けることがあります。この現象は「逆説的運動」と呼ばれ、強い動機や外からの合図があるときに、運動のゆっくりさが一時的に乗りこえられるものとして報告されています[5]。
よく知られた例が、床の線です。パーデン・マーチンは、歩幅ぶんの間隔で床に横線を引くと、動きのゆっくりな患者でも普通の速さで歩けると示しました。ルリアは、床に紙を置いた場所では一歩ずつしか歩けないのに、はしごなら登れる患者を記録しています。1921年にはソクが、階段は昇れる例を報告しています[5]。
緊急時の例もあります。2009年のイタリア・ラクイラ地震のあと、聞き取りを受けたパーキンソン病の患者14人は全員が、夜中に起きて家から避難でき、ほかの人を助けた人も多かったそうです[5]。
動けるのは一時的で、病気が治ったわけではありません。では、何が動きにくさをつくっているのでしょうか。それを探る前に、この病気の名前の由来を見てみましょう。
パーキンソン病の患者は、動作の開始や速度に困難を抱える。しかし一定の条件下では、運動緩慢が一時的に克服されることがある。強い動機づけや外的な合図に反応して、ほぼ正常な速さで動ける現象は、逆説的運動(paradoxical kinesia)と呼ばれる。1921年にはスークが、平地では動けないのに階段は昇れる例を報告した[5]。
視覚的な合図の効果は、古くから記録されている。パーデン・マーチンは、歩幅と同じ間隔で床に横線を引くと、運動緩慢の患者が普通の速さで線の上を歩けることを示した。ルリアは、床に置いた紙の上では一歩ずつしか進めないが、はしごは登れる患者を記録した[5]。
強い動機が働く場面でも同じことが起こる。2009年のラクイラ地震後に聞き取りを受けた患者14人は全員、夜間に起きて自宅から避難でき、他者の避難を助けた人も多かった[5]。ただし動けるのは一時的であり、病気が治ったわけではない。では、普段の動きにくさは何に由来するのか。まず病気の名前の由来から見る。
2. びょうめいは、むかしの おいしゃさんの なまえ
2. 病名は、200年前のロンドンの医師の観察から生まれた
2. 6例の観察が病名になった:1817年の論文と、のちに修正された点
この 病気の なまえは、イギリスの おいしゃさん、ジェームズ・パーキンソンから きて います。
1817ねんに、パーキンソンは 66ページの ほんを だしました。6人の ようすを よく みて、ふるえる こと、からだが まえに かたむく こと、あるくと あしが こばしりに なりやすい ことを かきました。
ほんの なかで、パーキンソンは「かんかくと ちせいは そこなわれない」と かきました。のちに、うごき いがいの しょうじょうも ある ことが わかり、この ところは あらためられて います。
それから 50年ほど たった 1860ねんだい ごろ、フランスの シャルコーが この 病気を「パーキンソン病」と よび、がくせいにも よむように すすめた、と つたえられて います。
さて、脳の なかでは、なにが おきて いるのでしょう。
町の人を見つめた6人の記録
1817年、ロンドンの医師ジェームズ・パーキンソン(1755〜1824)が、66ページの本『振戦麻痺についての論文(Essay on the Shaking Palsy)』を出版しました。6人の観察をもとに、じっとしていても出る震え、体を前にかたむける姿勢、歩くうちに足が小走りになりがちなことを書いています[2]。
書かれたことと、あとで分かったこと
パーキンソンは、この病気では「感覚と知性は損なわれない」と書きました。しかし、のちの研究で、動き以外の症状もあることが分かり、この点は修正されています[2]。
病名として定着したのは、フランスの医師シャルコーのおかげだといわれます。1860年代ごろに「パーキンソン病」と呼び、サルペトリエール病院の学生に論文を翻訳するよう勧めたと伝えられています[2]。
病気の名前は、だれかの観察が、あとの世代に読まれ続けた記録でもあります。ここで、脳の中で何が減っているのかという問いが残ります。
病名の由来となった論文は、1817年に出版された。ロンドンの医師ジェームズ・パーキンソン(1755〜1824)による66ページの『振戦麻痺についての論文(Essay on the Shaking Palsy)』である。6人の観察に基づき、安静時の震え、体幹を前に傾ける傾向、歩行が小走りに移る傾向を記述した[2]。
注目すべきは、パーキンソン自身が「感覚と知性は損なわれない」と書いた点である。しかし、のちに運動以外の症状(non-motor symptoms)があることが分かり、この記述は修正された[2]。最初の観察は価値が高かったが、6例の記述には限界があった、ということだ。
では、いつ「パーキンソン病」と呼ばれるようになったのか。資料によれば、フランスのシャルコー(Charcot)が1860年代ごろに la maladie de Parkinson と呼び、サルペトリエール病院の学生に論文の翻訳を勧めたとされる。命名年は資料により1860年とも1860年代とも書かれ、ここでは「1860年代ごろ」とした[2]。
現代の説明では、この病気は黒質のドパミン神経細胞の障害で発症する神経変性疾患で、主な症状は安静時の震え(振戦)、筋強剛、運動緩慢である[1]。では、そのドパミンはどのように見つかったのか。
3. うごきの「しれいやく」は、どうやって みつかった?
3. 動かなくなった動物が、動きの指令役を教えてくれた
3. 動きを止める薬と、脳内ドーパミン不足の発見
スウェーデンの アルヴィド・カールソンは、ある くすり(レセルピン)を どうぶつに あたえる 実験を しました。すると、どうぶつは じぶんから うごかなく なりました。
その どうぶつに、ドーパミンの もとに なる ぶっしつ(エルドパ、L-ドパ)を あたえると、また うごけるように なりました。この ようすが パーキンソン病に にて いた ことが、てがかりに なりました。
カールソンは、ドーパミンが ただの ざいりょうでは なく、神経の あいだで しんごうを つたえる 「つたえやく」 そのものだと しめしました。2000ねんに、ノーベル せいりがく・いがく しょうを、ほか 2人と いっしょに うけて います。
では、パーキンソン病の ひとの 脳では、どうなって いたのでしょう。
薬で動けなくした実験
スウェーデンのアルヴィド・カールソンは、レセルピンという薬を実験動物に与えると、動物が自分から動く力をなくすことを見つけました。ところが、ドーパミンの前駆物質であるL-ドパを与えると、動物はまた動けるようになりました。この様子がパーキンソン病に似ていたことが、手がかりになりました[3]。
カールソンは、ドーパミンが単なる材料ではなく、神経から神経へ信号を伝える物質(神経伝達物質)そのものだと示しました。2000年には、神経系の信号伝達の発見で、ほか2人とノーベル生理学・医学賞を受けています[3]。
患者の脳で見つかったもの
ウィーン医科大学のオレー・ホルニキエヴィッツは、1960年に、パーキンソン病の患者の脳で、大脳基底核のドーパミンが大きく減っていることを発表しました[4]。動物の実験で見えた「動けなさ」が、人の脳の変化と結びついた瞬間でした。
ちなみに、現在の説明では、黒質のドパミン神経細胞が傷つくことが発症に関わるとされ、原因そのものは分かっていません[1]。
動きに関わる物質の手がかりは、動物実験から得られた。スウェーデンのアルヴィド・カールソンは、レセルピンを投与された実験動物が自発的な運動能力を失うことを見いだした。ドーパミンの前駆物質であるL-ドパを与えると運動が回復し、この症状がパーキンソン病に似ていたことが、研究の方向を決めた[3]。
カールソンは、ドーパミンが単なる前駆物質ではなく、それ自体が神経伝達物質であることを示した。この研究を含む、神経系の信号伝達の発見により、2000年にノーベル生理学・医学賞を共同受賞している[3]。
では、人の脳でも同じことが起きているのか。ホルニキエヴィッツ(Hornykiewicz)は1960年、エーリンガーとともに、パーキンソン病患者の脳、特に大脳基底核(線条体)で、ドーパミンが大きく減少していることを発表した[4]。
この発見は、動物実験の観察と患者の脳の変化を結びつけた。現在の公的な説明も、黒質のドパミン神経細胞の障害が発症の中心にあるとしている[1]。
4. たりない ものを たす くすりが うまれた
4. 足りない物質を「足す」薬が生まれるまで
4. 1961年のL-ドパ治療と、「足す」治療の限界
へって いるなら、たせば いいのでは? そう かんがえた ひとたちが います。
1961ねん、ホルニキエヴィッツは ビルクマイヤーと いっしょに、エルドパの こうかを しめしました。エルドパは、ドーパミンの もとに なる ぶっしつです。
エルドパは いまも、パーキンソン病の 治療の まんなかに ある くすりと いわれて います。ただし、この 病気を なおす くすりは まだ なく、治療は、しょうじょうを やわらげる ものです。
日本では、医療受給者証(国の おかねの たすけを うける ための カード)を もつ 人は 13万5千人ほど(2019年度)です。
脳の中でドーパミンが減っているなら、足せばよい。1961年、ホルニキエヴィッツはビルクマイヤーとともに、L-ドパの治療効果を示しました[4]。L-ドパは、今もパーキンソン病治療の中心的な薬とされています[3]。
ただし、この治療は症状をやわらげるもので、病気そのものをなくすものではありません。難病情報センターによると、原因は現段階では不明で、遺伝子の異常と環境の要因が関わることが分かっている段階です。根治的な治療は確立されておらず、すべての治療は対症療法とされ、薬物療法と、脳深部刺激療法などの手術療法があります[1]。
日本では、2019年度(令和元年度)の医療受給者証の保持者が135,152人でした。これは受給者証を持つ人の数で、患者の総数ではありません。発症は50〜65歳に多く、40歳以下の発症は若年性と分けられます[1]。
進行する病気ですが、生命予後は決して悪くなく、平均余命は一般より2〜3年短いだけとされています[1]。
ドーパミンが不足しているなら、補えばよい。ホルニキエヴィッツはビルクマイヤーとともに、1961年にL-ドパの治療効果を示した[4]。L-ドパは現在もパーキンソン病治療の中心的な薬とされる[3]。
ただし、これは「足す」治療であり、原因を取り除くものではない。難病情報センターによれば、原因は現段階では不明で、遺伝子異常と環境因子の関与が分かっているにとどまる。根治的治療は確立されておらず、治療はすべて対症療法で、薬物療法と、脳深部刺激療法などの手術療法に分かれる[1]。
疫学面では、令和元年度の医療受給者証保持者数は135,152人で、患者総数ではなく受給者証を持つ人の数である。発症は50〜65歳に多く、高齢ほど発病率が増える。40歳以下の発症は若年性に分類される。進行性の病気だが、生命予後は決して悪くなく、平均余命は一般より2〜3年短いだけとされる[1]。
では、薬だけでは説明できない「合図で動ける」現象は、どこまで分かっているのか。
5. 「あいず」で うごけるのは、なぜ? まだ わからない ところ
5. 合図で動ける理由は、どこまで分かっているのか
5. 逆説的運動の説明仮説:動機を扱う回路が運動に影響する可能性
さいしょの 問いに もどりましょう。ゆかの せんが あれば あるける のは、なぜでしょう。
かんがえられている せつの ひとつに、きもちや「やる気」を あつかう 脳の ばしょが、うごきの はやさにも えいきょうする かもしれない、と いう ものが あります。
これは まだ せつで、しくみが きまった わけでは ありません。
ドーパミンが減っているのに、合図があると動ける。この現象の仕組みについては、仮説が提案されている段階です。
その一つが、動機や感情を扱う脳の回路(大脳辺縁系)が、運動の速さに影響しているのではないかという考えです。動機によって動きの速さが変わることから、辺縁系が運動をつかさどる脳の部分と影響し合う可能性が示されています[5]。ただし、確定した仕組みではありません。
動けるのが一時的なことも、この現象の大切な特徴です。
6. じぶんでも しらべて みたく なったら
6. 自分でも調べてみたくなったら
6. 自分でも調べてみたくなったら
きょう できる こと
ひろくて ものが ない ろうかで、くつを はいて まっすぐ 3ぽ あるき、1ぽ めの あしあとと 2ぽ めの あしあとの ところに、あるく むきと ちょくかくに テープを はって めじるしに します。ふつうに あるく ときと、テープを またいで あるく ときで、あるきやすさが かわるか、かんじた ことを かいて みましょう。これは げんきな ひとの かんじかたの きろくで、びょうきの ひとの たいけんを さいげんする ものでは ありません。すべりにくい くつで、まわりに ひとが いない ところで やります。
しらべる とき
むずかしい ことばが おおい ので、おうちの ひとと いっしょに、「なんびょうじょうほうセンター」の ページを よんで みましょう。
今日できること
ひとのいない広い廊下で、普段の歩幅を3歩ぶん確かめ、まっすぐ歩いた足あとの位置に、歩く向きと直角にテープを貼って目印にします。普通に歩くときと、テープをまたいで歩くときで、足の出しやすさが変わるかを書きとめてみましょう。ただし、これは健康な人の感覚の記録で、病気の人の体験を再現するものではありません。すべりにくい靴で、周りに人がいない所で行います。
資料を読むなら
難病情報センターの「パーキンソン病」のページで、症状や治療の公的な説明を読めます。1817年の論文を扱った解説論文は、SciELOに英語で公開されています。
資料を読むなら
公的な説明は、難病情報センター「パーキンソン病」が読みやすい。歴史は、Arq Neuropsiquiatr 掲載の「James Parkinson and his essay on shaking palsy, two hundred years later」が、1817年の論文とその後の評価を整理している。逆説的運動は、PMC4540447の総説に、床の線や緊急時の例がまとまっている。
次に考える問い
合図で動けるとき、脳のどこが働いているのか。仮説が検証されるまで、論文は更新され続ける。同じテーマを扱った別のメモとして、iPS細胞を使ったパーキンソン病の治験を紹介する記事もある。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- 難病情報センター「パーキンソン病」. https://www.nanbyou.or.jp/entry/314 (病気の説明・原因・治療・患者数)
- James Parkinson and his essay on shaking palsy, two hundred years later (Arq Neuropsiquiatr). https://www.scielo.br/j/anp/a/jDmW5VfTgF3JgcJwZ5HRvTB/?lang=en (1817年の論文と病名の由来)
- MultiPark (Lund University), Nobel prize winner Arvid Carlsson. https://www.multipark.lu.se/article/nobel-prize-winner-arvid-carlsson-7-things-you-perhaps-did-not-know-about-him-and-his-research (ドーパミンの実験・L-ドパ)
- Medical University of Vienna, Oleh Hornykiewicz 追悼記事. https://www.meduniwien.ac.at/web/en/about-us/news/detailsite/2020/news-im-mai-2020/meduni-vienna-mourns-the-loss-of-oleh-hornykiewicz/ (患者の脳のドーパミン減少とL-ドパ)
- Paradoxical kinesis in Parkinson's disease (PMC4540447). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC4540447 (合図で動ける現象・仮説)
なおした ところ
更新履歴
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