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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

フィルムに 光が あたった とき、なかで なにが おきるの?

写真フィルムの粒に光が当たると、目に見えない像は何でできるのか

写真フィルムのハロゲン化銀の粒に光が当たると、現像前の「見えない像」はどうできるのか

分野:技術

しゃしんフィルムに 光が あたった すぐあとは、見た目が なにも かわりません。でも なかの つぶには、ぎんの げんしが 3こ、4こ ほど あつまった ちいさな かたまりが できる ことが あります。

この かたまりが、あとで つぶ ひとつを まるごと 黒く します。たった すこしの げんしで、どうして そんな ことが できるのでしょう。この メモでは、見えない えの しょうたいと、色が うつる ように なった わけ、ガラスの いたの はなしが わかります。

光が当たった直後のフィルムを取り出しても、像はどこにも見えません。ところが粒の中には、銀の原子が3〜4個ほど集まった小さなかたまりができていることがあります[3]。このかたまりが、あとで粒ひとつをまるごと黒くします。なぜ、たった数個で足りるのでしょうか。

この記事では、見えない像の正体、青にしか感じなかった粒が緑や赤にも感じるようになったわけ、ガラスの乾板が作り置きできた理由が分かります。

写真フィルムの中の、光が当たった粒には、銀原子が数個集まっただけの小塊ができる。富士写真フイルムの谷忠昭は、そのような小塊が微結晶全体の還元を触媒し、増幅率が10億を超えると述べている[3]。見えない小塊が、なぜこれほどの増幅を起こせるのか。

この記事では、光の吸収から潜像の形成、現像での増幅、分光増感と化学増感、ゼラチン乾板の登場までが、1本の道すじとして分かる。数値は、出典が述べる範囲に限って示す。

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1. 光が あたった あとの フィルムに、なにが できて いるの?

1. 光が当たった直後のフィルムの中で、見えない像は何になっているのか

1. 光を吸った粒の中で、見えない像(潜像)は何になっているのか

くらい へやで しゃしんを とると、フィルムが 光を うけます。でも、取り出して すぐに 見ても、えは どこにも ありません。

フィルムの なかには、ぎんの なかまの ちいさな つぶが ぎっしり はいって います。光が あたった つぶの ひょうめんには、ぎんの げんしが すこし あつまった かたまりが できます。これが 目に 見えない え、「せんぞう」です[1][2]。

そのあと くすりに つける「げんぞう」を すると、かたまりの ある つぶが 黒く なります。黒い つぶが あつまって、えが うかんで きます。

カメラのシャッターが開くのは、ほんの一瞬です。その間にフィルムの粒へ光が当たっても、取り出してすぐに見る限り、像はどこにもありません。薬品で現像してはじめて絵が現れます。では、現れる前の「見えない像」は、フィルムの中で何になっているのでしょうか。

答えは、光が当たった粒の表面にできる、銀の原子の小さなかたまりです。これを潜像(せんぞう)といいます[1]。粒の材料は臭化銀などのハロゲン化銀の結晶で、光を吸収すると結晶の中で電子が動き出します。結晶の欠陥や添加物でできた「感光核」がその電子を捕まえると、銀イオンが銀原子に変わります[2]。

この銀原子が3〜4個ほど(粒によって違います)集まると、現像のときに結晶全体が金属の銀に変わるようになる、と説明されています[2]。ここで「4個が目に見える」わけではありません。見えるようになるのは、現像で粒ひとつぶんが黒い銀の粒になったあとです。

暗箱の中で光を受けたフィルムは、取り出した時点では像を示さない。それでも現像すると絵が現れる以上、露光の直後にも、のちの像の原型になるものが粒の中に存在しているはずである。それが潜像であり、光を受けた粒の表面にできる銀原子の小塊だと説明される[1]。

形成の過程は次のとおりである。粒の主成分は臭化銀などのハロゲン化銀の結晶で、光を吸収すると電子が価電子帯から伝導帯へ移る。結晶の欠陥や添加物によってできた感光核がこの電子を捕らえ、銀イオンを銀原子に還元する[2]。この過程が繰り返されて小塊が育つ。

ここで注意したいのは、小塊の大きさと「見える」の意味である。ある解説によれば、小塊に3〜4原子ほどの銀が含まれると、現像で結晶全体が金属銀に変わるようになる[2]。4原子の銀が肉眼や顕微鏡で見えるという意味ではなく、現像を始められる最小限の大きさの目安として読むべき数字である。粒ごとに事情が異なるため、この数字がすべての粒に当てはまるとは限らない。

2. 「にゅうざい」の なかに、ぎゅうにゅうは はいって いるの?

2. 乳剤の「乳」は牛乳なのか:粒とゼラチンのはたらき

2. 乳剤の「乳」は何を指すのか:ハロゲン化銀の粒とゼラチン

フィルムの つぶを ふくんだ ものは、「にゅうざい」と いわれます。名前に「にゅう」が ありますが、ぎゅうにゅうは はいって いません。つぶが ちらばった えきが、ぎゅうにゅうの ように 見えるからだと いわれます[1]。

つぶの おおきさは、0.1マイクロメートルから 数マイクロメートルほどです。1マイクロメートルは、1ミリの 千ぶんの 1です。つまり、いちばん ちいさい つぶは 1ミリの 一万ぶんの 1ほどに なります。

つぶを くっつけず ちらばらせる やくめを して いるのが、ゼラチンです。ゼラチンの おかげで、ぎんの つぶが だんごに ならずに ならびます[1]。

写真の感光材料は「乳剤」と呼ばれますが、牛乳は入っていません。細かい粒が液に散らばった様子から、この名がついたといわれます[1]。

中身は、ハロゲン化銀(塩化銀、臭化銀、ヨウ化銀など)の微細な結晶粒子を、ゼラチンの中に分散させたものです。粒の大きさは用途で変わりますが、一般には0.1マイクロメートルから数マイクロメートル程度とされます[1]。1マイクロメートルは0.001ミリなので、小さい粒は0.0001ミリほどです。

ゼラチンは「保護コロイド」として働き、液の中で生まれた結晶を、くっつかないように散らばらせます[1]。粒が1つ1つ独立していることは、次に見る「1粒ごとに黒くなる」性質に欠かせません。

写真乳剤の「乳剤」の名は、粒が分散した液の外観に由来するとされ、牛乳などの乳成分を含むわけではない[1]。実体は、塩化銀・臭化銀・ヨウ化銀などのハロゲン化銀の微細な結晶粒子を、ゼラチン中に分散させたものである。

粒の大きさは用途により異なるが、一般に0.1μmから数μm程度である[1]。1μmは0.001mmだから、小さい粒では0.0001mm前後になる。ゼラチンは保護コロイドとして働き、析出した結晶を分散させる[1]。

粒が互いに離れて独立していることの意味は大きい。のちに述べるように、潜像を持つ粒だけが現像で銀に変わるのだから、粒がくっついていては、1粒ごとの「黒くなる・ならない」が分けられない。なお、ゼラチンがこの用途に適する理由の詳しい説明は、今回あたった資料にはなく、ここでは保護コロイドとしての働きまでにとどめる。

3. 数この ぎんの げんしで、どうして つぶ ぜんぶが 黒く なるの?

3. たった数個の銀原子で、なぜ粒ぜんぶが黒くなるのか

3. 数個の銀原子が粒全体を黒くする:10億倍を超える増幅は何によるのか

3こ、4この げんしで、つぶ ぜんぶが 黒く なる。ふしぎですよね。

たとえば、小さな スイッチを ひとつ おすと、大きな きかいが うごき出す ことが あります。かたまりは、この スイッチに にた はたらきを します。かたまりが あると、げんぞうの くすりが つぶの ぎんを 黒い ぎんに かえる はんのうが、いきおいよく すすみます[1]。ただし 本当は、スイッチを おして きかいを うごかすのとは ちがい、かたまりは はんのうを すすみやすく する「しょくばい」の はたらきを して います。

フィルムの がいしゃで はたらく 谷さんは、この ふえかたを「10おく倍を こえる」と しょうかいして います[3]。かたまりの ない つぶは、ほとんど かわりません。だから、光が あたった ところだけが 黒く なって、えに なります。

数個の銀原子が、粒全体を黒くする。この増幅を支えているのは、触媒の働きです。光が当たった粒の表面にできた潜像は、現像でのハロゲン化銀の還元反応に対して、有効な触媒になります[1]。

触媒とは、反応を進みやすくする働きのことです。小さな銀のかたまりがあると、現像液がまわりの銀イオンを銀に変える反応が、その粒の中で一気に進みます。現像している間、かたまりのない粒では反応がほとんど進みません。だから光が当たった粒だけが黒くなります。

富士写真フイルムの谷忠昭は、1989年の雑誌「Physics Today」の論文で、フィルムの高い感度と効率の源は、光でできる、3〜4個ほどを含むこともある銀原子の「メゾスコピック」なかたまりだと述べています[3]。このかたまりが微結晶の中のすべての銀イオンの還元を触媒し、増幅率は10億を超えるといいます。ただし最小の個数は粒によって違うので、「3〜4個」はあくまで例です。

では、4原子前後の小塊が、なぜ粒全体の還元を引き起こせるのか。鍵は、潜像が現像における還元反応の有効な触媒だという点にある[1]。現像液は、光が当たっていない粒の銀イオンも還元する力を持つが、潜像のない粒ではその反応が遅いため、一定の現像時間内には起こりにくい。潜像を持つ粒では、小塊が反応を促し、結晶全体が金属銀に変わる[2]。

谷忠昭(富士写真フイルム)は、1989年のPhysics Today誌の論文で、このことを数字で述べている。フィルムの高感度と効率は、光で生じる、少なくとも3〜4個ほどを含むこともある銀原子のメゾスコピックな小塊に由来し、その小塊が微結晶中のすべての銀イオンの還元を触媒する。増幅率(ゲイン)は10億を超える[3]。数個の銀原子から粒全体の銀へ広がるほど、大きな増幅だ。

10億という増幅率の計算方法は、論文本文で確認する必要がある。また「3〜4個」は、粒によって異なる個数の一例である。

4. 青しか 感じない つぶに、どうやって 色を おしえたの?

4. 青にしか感じなかった粒は、どうやって緑や赤にも感じるようになったのか

4. 青にしか感じない粒に色素を足す:1873年のフォーゲルの発見

ぎんの なかまの つぶは、そのままだと、青い 光のほうの 光にしか 感じません[4]。これでは 赤い ものも、みどりの ものも、うまく うつせません。

1873ねん、ドイツの フォーゲルは、つぶに 色の ついた もの(色そ)を くわえると、長い ほうの 光にも 感じる ように なると 見つけました[5]。みどりや 赤、さらに 赤外線にも 感じる ように なるのです[4]。

こうして、青だけでなく、緑や 赤にも 感じる フィルムが 作られました[5]。

臭化銀や塩化銀の粒は、そのままでは短い波長の、つまり青い側の光にしか感じません[4]。もし青にしか感じなければ、赤い花や緑の葉は、光を出しているのに、フィルムの上では反応が弱いままです。

この弱点を破ったのが、ドイツのフォーゲル(H. W. Vogel、1834〜98)でした。1873年、乳剤にある種の色素を加えると、長い波長の光にも感光することを見つけたのです[5]。色素を粒に吸着させると、緑や赤、さらに赤外線にも感じるようになります[4]。

この方法は「分光増感」と呼ばれ、青から黄色までに感じるオルソ乾板や、目に見える光の全体に感じるパンクロ材料が作られるきっかけになりました[5]。粒そのものを作り変えたのではなく、色素という「別の受け手」を足したことで、同じ粒が、もっと広い範囲の光を拾えるようになったわけです。

臭化銀・塩化銀などは単独では短波長側の光にしか感じないため、これだけでは、長波長側の光を反射する被写体は、乳剤上で十分な潜像を作れない[4]。では、感光波長域をどう広げたのか。

答えを見つけたのが、ドイツのHermann Wilhelm Vogel(1834〜98)である。1873年、彼は、乳剤にある種の色素を加えると長波長の光にも感光するようになることを発見した[5]。色素を粒に吸着させると、緑や赤、さらに赤外線にも感じるようになる[4]。これを分光増感という。

その結果、青〜黄に感じるオルソ乾板、可視域全体に感じるパンクロ材料が作られるようになった[5]。光を吸収して潜像を作るという流れそのものは変わらず、光を受け取る入口が、色素の追加によって広がったことになる。ただし、色素が光のエネルギーを粒に渡す詳しい仕組みは、今回の資料には述べられていないため、ここでは触れない。

5. ガラスの いたを 作りおきできる ように なったのは、どうして?

5. 湿板のエーテル蒸気に悩んだマドックスは、乾板で何を変えたのか

5. 湿板から乾板へ:ゼラチン乳剤は作り置きと感度向上をどう可能にしたか

むかしの しゃしんは、ガラスの いたに、とりたくなった その ばで えきを ぬって いました。ぬったら すぐ しゃしんを とり、すぐ げんぞうしなければ なりません。

1871ねん、マドックスは、この やり方で つかう じょうきで 体を わるく しました。そこで べつの ざいりょうを さがし、ゼラチンを つかう 方ほうを ざっしに はっぴょう しました[6]。とっきょは とらず、見つけた ことを みんなに 見せました。

ゼラチンの いたは、前もって 作って おけます。しゃしんを とったあと、あとで げんぞうも できます[7]。マドックスの やり方は、そのままでは つかえず、あとから かいりょうが ひつようでした。1878ねんには、ベネットが、えきを 長く あたためると かんどが ぐんと 上がる ことを 見つけました[7]。

それまでの湿板(コロジオン法)は、ガラスに薬を塗ったらすぐに露光し、すぐに現像しなければなりませんでした。撮影のたびに、その場で薬を塗って、すぐ現像まで進める必要があったのです。

1871年9月8日、R. L. マドックスは「British Journal of Photography」に「An Experiment with Gelatino-Bromide」を発表しました[6]。湿板で使うエーテルの蒸気で健康を害したため、代わりを探していたとされます。しかも特許は取らず、発見を公開しました。ただし、マドックスの案はそのまま実用にはならず、のちの改良が必要でした[6]。

ゼラチンの乾板は、前もって作り置いて、あとで現像できます[7]。その後、1878年にベネットが、乳剤を長く加熱すると感度が大きく上がることを見いだしたとされます(約10倍とする資料もありますが、発見者や倍率は資料によってずれます)。1879年にはイーストマンがガラス乾板の塗布機を開発し、1881年に会社を設立しました[7]。

感度を上げる工夫は、いまの乳剤にも引き継がれています。「化学増感」は、乳剤に増感剤を加えて加熱・かくはんし、粒の表面に微量の不純物を入れて、感光する波長域を変えずに感度を上げる方法です[1]。分光増感が「どの光に感じるか」を広げるなら、化学増感は「同じ光でもより感じる」ようにするものといえます。

湿板コロジオン法は、ガラスに塗布した乳剤を、塗ってすぐ露光・現像する必要があった。これに代わる方法を探したのがR. L. マドックスである。湿板のエーテル蒸気で健康を害したことが動機とされ、1871年9月8日付の「British Journal of Photography」に「An Experiment with Gelatino-Bromide」を発表し、特許は取らず発見を公開した[6]。ただし、この案がそのまま実用になったわけではなく、のちの改良が必要だった。

改良の中心は、ゼラチン乾板の2つの強みの引き出しだった。第1に、乾板は前もって作り置き、あとで現像できる[7]。第2に、感度である。1878年のベネットによる、乳剤を長く加熱すると感度が大きく上がるという報告があり(約10倍とする資料もあるが、倍率は一資料のみ。加熱熟成の発見者は資料により異なり、1877年のスワン説もある)、これによって乾板の感度は実用的な水準に近づいた[7]。1879年にイーストマンがガラス乾板の塗布機を開発し、1881年に会社を設立した。

感度向上は、化学増感として体系化されている。化学増感は、乳剤に増感剤を添加し加熱・かくはんして、粒子表面に微量の不純物を導入し、感光波長域を変えずに感度を上げる方法で[1]、硫黄などによる増感と金増感が使われる。併用すると感度が大きく上がる一方、カブリ(光が当たっていない部分の黒ずみ)も増えやすいとされる。具体的な機構は、今回の資料からは断定できない。分光増感が感光する波長域を広げるのに対し、化学増感は同じ波長域での感度を上げる。2つは働く場所が異なる、別の増感である。

6. 300ねんまえの びんに、光で もじが うかんだって 本当?

6. 300年あまり前、シュルツェは「黒ずむのは光のせい」とどう示したのか

6. 1717年ごろのシュルツェの実験:黒ずみの原因を、熱でなく光だと分けた方法

光で ぎんが 黒く なる ことは、ガラスの いたより ずっと まえから 知られて いました。

1717ねんごろ、ドイツの シュルツェは、ぎんを とかした くすりを まぜた ものが 日光で 黒く なる わけを しらべました。「ねつの せい」では なく「光の せい」だと しめしました[8]。

びんに もじの かたを あてて 日光に おくと、もじが うかび 上がりました。ただし、その えは のこりませんでした[8]。見えなく なってしまう えを、どう のこすのか。その こたえの ひとつが、げんぞうと ゼラチンの いたでした。

光で銀の化合物が黒ずむことは、写真の発明よりずっと前から知られていました。1717年ごろ、ドイツのヨハン・ハインリッヒ・シュルツェは、硝酸銀を混ぜたものが日光で黒ずむのは、熱ではなく光のせいだと示しました[8]。

実験では、文字の型紙を瓶に当てて日光に置くと、型紙の抜けた部分だけが黒ずんで文字が現れました。ところが、その像は残りませんでした[8]。光で像を作ることはできても、そのままでは保てなかったのです。

1717年から乾板が出る1871年までは、約154年あります。その間に、写真は「光で黒くする」ことから、「見えない像をいったん作り、現像で増幅する」やり方へ進みました。この記事で見てきた潜像と現像の仕組みは、その長い道のりの先にあります。

光による銀塩の変化の観察は、写真の発明より古い。シュルツェは1717年ごろ、硝酸銀を混ぜた物質が日光で黒ずむのは熱ではなく光のせいだと示した[8]。ここで「熱ではない」と分けられたことが、のちの光化学の出発点になった。

実験は単純だった。文字の型紙を瓶に当てて日光に置くと、文字が現れた。ただし像は残らなかった[8]。なお、この実験を1725年や1727年とする資料もあるが、それは再版の年の混同によるものとされ、実験の年は1717年ごろと考えられる。

この観察から、乾板のマドックスの発表(1871年)までは約154年、色素増感のフォーゲルの発見(1873年)までは約156年ある。その間に、「光で直接黒くなるまで待つ」やり方から、「光で見えない潜像だけを作り、現像で粒ごと増幅する」やり方へ進んだ。

7. つぎに 気に なる ことは?

7. このあと気になる問いと、読んでみたい資料

7. 残る問いと、あたってみたい資料

光が あたると、数この ぎんの げんしが あつまって、あとで つぶ ぜんぶが 黒く なる。この おはなしは、ここまでです。

こんな ことも 気に なります。ひとつの つぶが かたまりを 作るには、光は いくつ いるのでしょう。この メモで 読んだ ものには、数字が ありませんでした。図書館で「写真の 本」を さがして、しらべて みませんか。ほかにも、色が 写る フィルムが どんな つくりなのかも 気に なります。

光が当たった粒には銀原子の小さなかたまりができ、現像で粒全体が黒くなる。ここまでが、この記事で出てきた道すじです。

次の問いは2つ考えられます。1つは、1つの粒が潜像を作るために必要な光の量、つまり光子の数です。取り上げた資料には数字が載っていませんでした。もう1つは、カラーフィルムが青・緑・赤に感じる層を重ねた構造で、どのくらいの厚みなのかです。辞典に簡単な説明がありますが、詳しくは原典にあたる必要があります。

資料は、日本語の「コトバンク」で「写真乳剤」「増感色素」を引くところから始められます[1][5]。もっと深く知りたい人は、谷忠昭の英語の論文[3]に、潜像と増幅の話がまとめられています。

この記事では、まだ触れていない点がいくつかある。1粒が潜像を作るのに必要な光子の数や、カラーフィルムの乳剤層の数と厚さは、ここでは扱わなかった。10億という増幅率の計算方法は、Tani論文の本文で確認する必要がある。

原典にあたるなら、まずTani, "Physics of the photographic latent image", Physics Today (1989)がある[3]。潜像の形成と増幅を扱う総説的な文章で、英語である。日本語の辞典では、「写真乳剤」[1]と「増感色素」[5]の項から入れる。

本稿は、辞典やWeb上の解説を主な材料にした。個々の数値や発見者は、資料により食い違いがあるものを明記したが、原典の確認は途中である。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。数値や年号は、資料によって食い違うものがあります。

  1. コトバンク「写真乳剤」(化学辞典 第2版・世界大百科事典・マイペディア). https://kotobank.jp/word/写真乳剤 (乳剤の成り立ち、潜像、化学増感)
  2. Weblio「silver-halide」. https://www.weblio.jp/content/silver-halide (潜像のできかた、約4原子以上)
  3. Tani, T. "Physics of the photographic latent image", Physics Today, 1989. https://physicstoday.aip.org/features/physics-of-the-photographic-latent-image (数個の銀原子のかたまりと増幅率。要旨と冒頭を参照)
  4. コトバンク「写真フィルム」(世界大百科事典・日本大百科全書). https://kotobank.jp/word/%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%A0-3154239 (単独では青側の光にしか感じないこと、色素による増感)
  5. コトバンク「増感色素」(世界大百科事典). https://kotobank.jp/word/%E5%A2%97%E6%84%9F%E8%89%B2%E7%B4%A0-1180651 (1873年のフォーゲルの発見、分光増感)
  6. Wikipedia「Richard Leach Maddox」. https://en.wikipedia.org/wiki/Richard_Leach_Maddox (1871年の発表の経緯)
  7. Wikipedia「Gelatin silver print」. https://en.wikipedia.org/wiki/Gelatin_silver_print (乾板、加熱熟成、イーストマンの塗布機)
  8. Wikipedia「Johann Heinrich Schulze」. https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Heinrich_Schulze (1717年ごろの実験)

なおした ところ

更新履歴

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