1. どんな 学校なの?
1. 家にいながら学ぶ「空の学校」
1. 遠隔教育の学校 ── スクール・オブ・ジ・エアとは
オーストラリアの おくの ほうの 牧場では、いちばん ちかい 町まで、車で なんじかんも かかる ことが あります。まいにち 学校に かようのは むずかしいので、家で 勉強します。
そこで、町に いる 先生と、家を つなぎます。それが「スクール・オブ・ジ・エア」です[1]。むかしは 無線、いまは 衛星や インターネットです。
毎日の 授業は、およそ 1時間です。のこりの 時間は、おうちの 人が いっしょに ドリルや しゅくだいを すすめます[1]。
2. どうして はじめは 無線だったの?
2. なぜ、最初は無線だったのか
2. 空の学校の前提 ── ペダル無線と空飛ぶ医師の通信網
もう 無線の ネットワークが あったからです。牧場の 人が びょうきに なった とき、「フライング・ドクター」と よばれる 空とぶ お医者さんに れんらくする ための 無線でした。
ペダルを ふんで 発電する 無線きは、アルフレッド・トレーガーさんが つくりました。自転車の ペダルのように こぐと 電気が できて、無線きが うごきます[2]。
1944年、アデレード・ミーサキーさんという 教育者が、アリススプリングスへ 行きました。そこで、牧場の 子どもたちが 人見知りを して いる ようだと 感じました。「この 無線を、勉強にも つかえないか」と 考えたのです[3]。
そして 1951年6月8日、アリススプリングスの お医者さんたちの 場所から、さいしょの 公式の 授業が 放送されました[3]。
理由は、すでに無線のネットワークがあったからです。病気やけがをした人が、空飛ぶ医師(フライング・ドクター)に連絡するためのものでした。電気のない牧場でも使えるように、ペダルで発電して動かす無線機が作られました。つくったのは、技術者のアルフレッド・トレーガーです[2]。
この無線を「教育にも使えるのではないか」と考えたのが、南オーストラリア州の教育者アデレード・ミーサキー(Adelaide Miethke)です。1944年にアリススプリングスへ旅したとき、牧場の子どもたちが人見知りをしているようだと感じたのが、きっかけだったとされています[3]。
そして1951年6月8日、アリススプリングスのロイヤル・フライング・ドクター・サービス(RFDS)の基地から、最初の公式の授業が放送されました。子どもたちは、家のペダル式無線機で受けとりました[3]。
無線授業の土台は、アルフレッド・トレーガーが実用化したペダル式発電の送受信機と、ジョン・フリンが築いた、フライング・ドクター(のちのロイヤル・フライング・ドクター・サービス、RFDS)の無線網だった。ペダル式の送受信機は、足で自転車のようなペダルを踏んで発電機を回し、無線機を動かす。電気のない牧場でも使える。ウィキペディアによれば、ペダル式の機器の最初の導入はクイーンズランド州で1929年とされる[2]。
この無線網を教育に転用することを構想したのが、南オーストラリア州の教育者アデレード・ミーサキー(1881–1962)である。RFDSの記事によれば、1944年にアリススプリングスへ旅した際、牧場の子どもたちが人見知りをしているようだと感じ、RFDSの双方向無線で子どもたちに教育の話を届けることを思いついた。彼女はこれを、孤独な距離に橋をかけることだと表現したという[3]。
最初の公式授業は、1951年6月8日にアリススプリングスのRFDS基地から、遠方の牧場の家へ送られた。子どもたちはペダル式の無線機で受信した。その後、先生に質問できる時間も加わり、通信教育の教材を補うものになっていく。開会式でミーサキーは、聴いている子どもたちに、世界で最初の空の学校に参加していると語ったという[3]。
3. 無線の 授業は どんな ふうだった?
3. 無線の授業は、どんな時間だったのか
3. 無線授業の1日 ── 放送・通信教育・家庭の役割
先生は、町の スタジオで マイクに むかって はなしました。子どもたちは、家の 無線きで 声を きいて、じぶんの 番に なると こたえました。
授業の 時間は みじかく、のこりは 紙の 教材で 勉強しました[4]。先生は、ときどき 車で 牧場を たずねて、ノートを 見たり、子どもに 会ったり しました。こうして 先生が たずねる ことは、1960年に はじまった といわれます[5]。
先生は、町のスタジオでマイクに向かって話します。子どもたちは家の無線機で声を聞き、順番がくると答えます。授業の時間は短く、残りは紙の教材で勉強します。2003年ごろの資料では、毎日30分ほどの集団授業のほかに、学級の先生と1週間に10分ずつ話す時間がありました。そして、毎日5〜6時間ほどは、家で教材を進めていました[4]。
先生が家を訪ねる「パトロール」もあります。アリススプリングスでは、1960年に教師のナンシー・バレットが牧場をまわったのが始まりといわれます[5]。会ってみると、鉛筆の持ち方や集中のしかたなど、音だけでは分からないことが見えるそうです[4]。
無線授業では、教師が町のスタジオから放送し、生徒は家の送受信機で聴いて応答した。授業時間は短く、学習の中心は郵送や配布で届く通信教育の教材だった。オーストラリアン・ジオグラフィック(2003年の記事をもとにした2010年の再録)によれば、アリススプリングス校では、毎日の集団授業が30分、学級担任との個別の時間が週10分で、1日5〜6時間の通信教育を家で進める形だった。家庭教師を雇う家庭は3割にとどまり、多くは親が見守った[4]。
アリススプリングス校(北部準州)の教師が牧場を訪ねる「パトロール」は、1960年に始まったとされる。1976年から航空機が使われ、1991年には約4分の1が空路になった[5]。同じ2003年ごろの資料では、運営費は通常の学校の約2倍とされる[4]。
なお、アリススプリングス校の沿革は、当初の無線放送が週3回・30分で、双方向の通信ではなかったと記す。質疑応答は後から加わった[5]。「無線授業」と一口にいっても、時期によって中身は違う。
4. いつ、ネットに かわったの?
4. 無線からインターネットへ ── いつ変わったのか
4. HF無線から電話・衛星・インターネットへ ── 学校ごとの年表
かわった 時期は、学校ごとに ちがいます。クイーンズランド州の チャーリービルの 学校では、2001年に 無線を やめて、電話で 授業を する ことに なりました[6]。
そのあと、インターネットが ふえました。アリススプリングスの 学校は、2002年から、衛星を つかって、画面と 声で やりとりする 授業を はじめました。2003〜2005年に 無線の 授業を やめて、2006年には ぜんぶ 衛星に なった、と いわれます[5]。この 学校は 自分でも、「無線から 衛星へ うつった」と 書いて います[7]。
いまの 子どもたちは、画面を 見ながら、先生や ともだちの 声を きいて 勉強します。
変わった時期は、学校ごとに違います。クイーンズランド州のチャーリービル校では、1996年にはまだ無線が主役で、新しい送信機を入れていました。ところが2001年には、電話での授業が正式の方法になり、無線は役目を終えました[6]。この学校では、1999年に学校のウェブサイトを立ち上げ、2004年には、すべての家庭にコンピューターがあり、91%にインターネットがつながっていたと記録しています[6]。
アリススプリングス校の沿革によれば、1999年に家庭向けのインターネットとメール、2002年に、衛星とブロードバンド(高速の通信回線)を使い、画面と音声で先生と話す「インタラクティブ遠隔学習」が始まりました。2003〜2005年に無線の授業を段階的にやめ、2006年に、授業は完全に衛星へ切りかわった、とされています[5]。学校自身も、「無線からブロードバンド衛星へ」移ったと説明しています[7]。
資料の食い違いもあります。英語版ウィキペディアは、授業は2009年まで短波無線で、その後はほとんどの学校が無線のインターネットに移ったと書きます[1]。2006年の教育系の記事は、無線は1995年までだったと書いています[8]。アリススプリングス校だけを見ても、1995年と2003〜2005年という2つの年が出ており、ここでは食い違いを解けません。いえるのは、学校ごとに時期がずれながら、1990年代後半から2000年代にかけて、電話・メール・衛星と順に変わっていった、ということです。
移行の時期は、学校によって異なる。チャーリービル校(クイーンズランド州)の沿革では、1996年に新しいHF(短波)送信機を入れてなお無線が中心だったが、2001年に電話による授業が恒久化され、HF無線は廃止された。同じ年表に、1999年のウェブサイト開設、2002年にメール環境のある家庭が89%、2004年に全家庭にコンピューターがあり91%がインターネットに接続、2005年に高速インターネットによる「インタラクティブ遠隔学習」の試行という記述がある[6]。
アリススプリングス校では、1974年に家庭に送受信機が配られ、独自の周波数が割りあてられた。1999年に家庭向けのインターネット・メール、2002年に、衛星とブロードバンド(高速の通信回線)を使い、画面と音声で教師とやりとりするインタラクティブ遠隔学習の展開が始まり、2003〜2005年に無線授業が段階的に終了し、2006年に授業は完全に衛星技術へ移ったとされる(英語版の記述は出典不足の注記つき)[5]。学校自身は、70年を超える歩みの中で「無線からブロードバンド衛星技術へ移った」と説明する[7]。
一方、英語版の School of the Air の項は、授業は1951年から2009年まで短波無線で行われ、その後はほとんどの学校が無線インターネットに移ったと書く[1]。2006年12月の教育系記事は、無線は1995年まで使われたと記す[8]。アリススプリングス校に限っても、1995年(出典[8])と2003〜2005年(出典[5])という2つの年が出ており、本稿では食い違いを解消できない。確かめられるのは、1990年代後半の電話・メールの導入、2000年代前半の衛星とブロードバンドの導入が、学校ごとにずれて起きたという大筋である。
5. かわらなかった ことは なに?
5. 技術が変わっても、変わらなかったこと
5. 通信が変わっても残ったもの ── 対面の時間と、広さ
先生と 会える 日が あります。いまも、子どもたちは 1年に 3〜4回、1しゅうかん、学校に あつまって、先生や ともだちと いっしょに すごします[1]。
クイーンズランドの マウント・アイザの 学校には、約160人の 子どもが います。子どもたちが すんで いる ところは、クイーンズランド州の 4分の 1ほどの 広さに ひろがって います[9]。学校に あつまると、先生や ともだちと じかに 会って すごせます。
変わらなかったのは、人と会う時間です。いまも子どもたちは、1年に3〜4回、約1週間、学校に集まり、先生やクラスメートと過ごします[1]。先生が牧場を訪ねる家庭訪問も続いています[7]。
それは、広さが変わっていないからでもあります。アリススプリングス校は、2003年ごろの資料で、放送の範囲が100万平方キロをこえ、いちばん遠い生徒は町から1,000km以上離れた所に住んでいました[4]。日本の面積(約38万平方キロ)の2倍半以上です。マウント・アイザ校は約160人で、通う地域がクイーンズランド州の4分の1ほどの広さです[9]。
通信が速くなっても、広さは変わりません。だからこそ、年に数回の対面が、いまも大切にされています。
変わらなかったのは、対面の時間と、距離である。英語版ウィキペディアによれば、生徒は現在も年に3〜4回、1週間ほど学校に集まり、教師と級友に会う[1]。アリススプリングス校の家庭訪問も続いている[7]。
距離は、数字にすると分かりやすい。オーストラリアン・ジオグラフィックの資料(2003年の記事をもとにした2010年の再録)では、アリススプリングス校の放送範囲は100万平方キロメートルを超え、最も遠い生徒は町から1,000km以上離れていた[4]。日本の国土面積(約37.8万平方キロ)の2.6倍以上にあたる。マウント・アイザ校(クイーンズランド州)は、現在約160人の生徒がいて、通う地域は州の4分の1近くに及ぶ。デジタル教材を使い、教師・仲間と遠隔でつながり、家庭を訪ねる巡回チームがある[9]。
通信手段は変わっても、学校名の「空」は残った。無線はなくなっても、「電波・衛星を使って、距離をこえる学校」という意味は残っている、と読める。
じぶんでも たしかめて みよう
自分でも確かめてみたくなったら
自分でも確かめてみたくなったら
地図帳で、オーストラリアの まんなかへんに ある アリススプリングスを さがして みましょう。つぎに、じぶんの 家から 1000キロ はなれた 場所は どこか、地図の 上で 見て みましょう。
2003年ごろには、それより とおくに すむ 子どもも いました。かぞくの 人と いっしょに、ものさしと 地図の ものさしの めもりを 見くらべて みましょう。
次のことを、確かめてみましょう。
- 地図帳で、オーストラリアのアリススプリングスとマウント・アイザを探します。
- 自分の家から、1,000km離れた場所を、地図帳の縮尺の棒と定規を見くらべて、おおよそで探してみます。2003年ごろには、町からそれより遠くに住む生徒もいました。
次のことを、確かめてみるとよい。
- 地図帳で、アリススプリングス・マウント・アイザ・チャーリービル・ブロークンヒルの位置を確かめる。自分の家から1,000km離れた場所を縮尺で測り、記事の数字と比べる。
- 学校の沿革ページ(出典[5]〜[7])で、「無線をやめた年」が学校ごとにどう書かれているかを比べる。同じ学校でも、資料によって年が違う理由を考える。
- 英語の資料を読むなら、RFDSのミーサキーのページと、ウィキペディアの Alfred Traeger の項から入るとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
この記事の説明に使った資料です。ほとんどが英語の資料で、番号の順に並んでいます。
- Wikipedia(英語版)「School of the Air」。 https://en.wikipedia.org/wiki/School_of_the_Air (1951年6月8日の最初の授業、短波無線の期間、1日約1時間の授業、年3〜4回の集合、各州の分布。ウィキペディアのため参考として使い、年は他の資料で確認した。英語の資料)
- Wikipedia(英語版)「Alfred Traeger」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Alfred_Traeger (ペダル式発電の送受信機、クイーンズランド州での1929年の導入、フリンとの協力、スクール・オブ・ジ・エアでの利用。英語の資料)
- Royal Flying Doctor Service「Adelaide Miethke and the School of the Air」。 https://www.flyingdoctor.org.au/news/adelaide-miethke/ (ミーサキーの経歴、1944年の着想、1951年6月8日の最初の公式授業、開会式の言葉。英語の資料)
- Australian Geographic「Australia's School of the Air」(2010年8月18日付。もとは同誌2003年4〜6月号)。 https://australiangeographic.com.au/history-culture/2010/08/australias-school-of-the-air/ (アリススプリングス校の1日の時間割、家庭教師の割合、放送範囲、運営費。数字は2003年ごろのもの。英語の資料)
- Wikipedia(英語版)「Alice Springs School of the Air」。 https://en.wikipedia.org/wiki/Alice_Springs_School_of_the_Air (1960年の家庭訪問、1974年の送受信機、1999〜2006年の通信の移り変わり。出典不足の注記があるため、「といわれる」と書いた。英語の資料)
- Charleville School of Distance Education「History」(Timeline)。 https://charlevillesde.eq.edu.au/OurSchool/History (1966年の放送開始、1996年のHF送信機、2001年の電話授業の恒久化とHF無線の廃止、家庭のコンピューター普及率。英語の資料)
- Alice Springs School of the Air「About」。 https://www.assoa.nt.edu.au/about/ (学校自身の説明。無線からブロードバンド衛星へ移ったこと、家庭訪問の取り組み。英語の資料)
- Edutopia「Bring the Outback」(2006年12月6日付)。 https://www.edutopia.org/bring-outback (無線は1995年までとする記述。ほかの資料と年が合わないので、食い違いの例として使った。英語の資料)
- Mount Isa School of the Air「Our School」。 https://mtisasde.eq.edu.au/Ourschool (生徒数約160人、クイーンズランド州の約4分の1にあたる範囲、デジタル教材と家庭訪問。英語の資料)
なおした ところ
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