1. どうして コーヒーポットを うつしたの?
1. なぜ研究者は、コーヒーポットにカメラを向けたのか
1. トロイ・ルームのコーヒーポット ── 無駄足を避けるためのカメラ(1991〜2001)
ケンブリッジ大学の けんきゅうしつでは、みんなが 同じ コーヒーポットを つかって いました。でも、コーヒーを のみに 行ったら、ポットが 空っぽ。そんな ことが あったのです。
そこで、けんきゅうしゃたちは、ポットに カメラを むけました。1991年の ことです。ポットの 画ぞうは、1ぷんに 3かいほど、けんきゅうしゃたちの パソコンの 画面に 出ました[1]。
のちに この カメラは、インターネットにも つながりました。1993年11月の ことで、これが さいしょの ウェブカメラと されて います[2]。大学が はじめて ウェブの サーバーを もち、あたらしい けんきゅうしゃが ポットの 画ぞうを 世界に 見せた、と つたえられて います[3]。
カメラは 2001年8月22日に とまりました。もとの ポットは、3350ポンドで 買われて いきました[2]。
ただし 「せかいで さいしょ」と いうのは、大学の ほうで いって いる ことです。
空のポットに行く無駄足を、なくしたかった
舞台は、ケンブリッジ大学コンピュータ研究室の「トロイ・ルーム」と呼ばれる部屋です。研究者たちが共同で使うコーヒーポットがあり、行ってみると空だった、ということがありました。
1991年、クエンティン・スタッフォード=フレーザーとポール・ジャルデツキーらが、そのポットにカメラを向けました。ジャルデツキーがカメラ側のプログラム、スタッフォード=フレーザーが画面側のプログラムを書き、ポットの画像が1分に3回ほど、研究者たちの画面に表示されました[1]。席を立つ前に、ポットの中身を確かめられるようになったのです。
見る人が、研究室の外に広がった
このカメラがウェブに対応したのは1993年11月です。大学に初めてウェブサーバーができ、新しい研究者グループがそれを使ってポットの画像を世界に公開した、と伝えられています[2][3]。大学の記録では最初のウェブカメラとされていますが、これは大学の側の呼び方です[2]。
2001年8月22日にカメラの電源が切られ、元のポットはドイツのシュピーゲル・オンラインが3,350ポンドで落札しました[2]。
では、ウェブカメラが登場する前、カメラの映像はどうやって見ていたのでしょうか。
舞台は、ケンブリッジ大学コンピュータ研究室の共用コーヒーポットだ。コーヒーを飲みに行ったら空だった、という無駄足を避けるため、1991年にクエンティン・スタッフォード=フレーザーとポール・ジャルデツキーらがポットにカメラを向けた。ジャルデツキーが画像を送る「サーバー」側、スタッフォード=フレーザーが受け取る「クライアント」側のプログラムを書き、ポットの画像は1分に3回ほど研究者の画面に出た[1]。
この時点で映像を見られたのは、研究者の端末だけだった。それが世界に開かれたのは、大学が初めてウェブサーバーを持ち、新しい研究者グループがそれを使ってポットの画像を公開したからだとされる[3]。ウェブ対応は1993年11月で、大学の年表はこれを最初のウェブカメラとしている[2]。ただし、この「最初」は大学側の位置づけである。
カメラは研究室の移転に合わせて引退し、2001年8月22日に電源が切られた。元のポットはシュピーゲル・オンラインが3,350ポンドで落札した[2][3]。見る人が研究室の外へ広がったこの流れの前に、映像はどのように扱われていたのか、次に確かめる。
2. 「へいかいかいろ」って なに?
2. 映像が建物の外へ出なかった時代 ── 閉回路テレビ
2. 閉回路テレビ(CCTV)── 電波を使わず、有線で結ぶ映像(1949)
コーヒーポットの カメラの まえに、カメラの えいぞうは、ケーブルで つないだ 画面でだけ 見る ものでした。
これを 「へいかいかいろの テレビ」、ちぢめて CCTV(シーシーティーブイ)と いいます。「かいろ」は 電気の 通り道の ことで、ぐるりと とじて いる ので「へいかいかいろ」です。
1949年、アメリカの レミントン・ランド社が 「ベリコン」と いう セットを 売りだしました。さいしょの 商品として 売られた CCTVと いわれます[4]。
電波を 使わないので、国の きょかが いらない、と せんでんされました[4]。
ケーブルで結ぶから「閉回路」
CCTVは、カメラと画面を有線でつなぐ方式です。電波を飛ばさないので、映像はつないだ画面にしか出ません。放送のように、だれでも受け取れるわけではないのです。
1949年に、アメリカのレミントン・ランド社が、CBS研究所の設計による「ベリコン」を売り出しました。これが最初の商用のCCTVとされます[4]。電波を使わないため、政府の許可が要らないことが売り文句になりました[4]。
閉回路のテレビそのものは、これ以前にもいろいろな場所で試されていました。ここでは、商品として売られた最初のものとして、ベリコンを紹介しています。
見る人は、ケーブルでつないだ画面の前の人だった
つまり、カメラの映像を見るのは、カメラとケーブルでつながれた画面を見られる人だけでした。その枠を、まず家庭が破ります。
CCTV(閉回路テレビ)は、カメラと画面を有線で結ぶ方式だ。電波を飛ばさないので、映像は回路の内側の画面にしか出ない。放送との違いはここにある。
1949年に、米国のレミントン・ランド社が、CBS研究所の設計による「ベリコン」を売り出した。これが最初の商用CCTVとされ、電波を使わないので政府の許可が要らないと宣伝された[4]。閉回路のテレビ自体はこれ以前にも複数の例があるとされるため、ベリコンを「世界初のCCTV」とは書かず、「最初の商用」にとどめる。
この方式では、映像の見手は、有線でつないだ画面を見られる人に限られる。その限界を、住宅の玄関で破ろうとした人たちがいた。
3. かんごしさんが かんがえた げんかんの カメラ
3. 夜勤のある看護師が考えた、玄関の外を見るしくみ
3. 家庭用の防犯システムの特許 ── 看護師マリー・ブラウンと夫アルバート(1966出願)
1960ねんだいの アメリカ。ニューヨークの クイーンズに、マリー・ブラウンさんが すんで いました。マリーさんは かんごしで、しごとの 時間が きまって いませんでした[6]。
その まちでは、はんざいが ふえて いました。けいさつが くるのも おそい、と かんじて いたそうです[6]。ノックの おとが しても、だれが いるのか、わからない。そこで、おっとの アルバートさんと いっしょに、ドアの そとを 見る しくみを かんがえました。
1966年8月1日に、とっきょを 出しました。げんかんに カメラを つけて、へやの 画面に うつします。マイクで はなし、ボタンで ドアを あける ことも できます[5]。
この とっきょは、あとの 発明でも 30けんいじょう 引用されました[6][7]。ただし 「せかいで さいしょ」では なく、家の ための カメラの さきがけの 1つです。
ノックの向こうを、安全な場所から見る
マリー・ブラウンは看護師で、勤務時間が不規則でした。夫のアルバートは電子技術者です。住んでいたニューヨーク市クイーンズのジャマイカ地区では、1960年代に犯罪が増えていて、警察が来るのが遅いと感じたことが、発明の動機とされます[6]。ノックの音がしても、ドアを開けずに相手を確かめたい、という願いです。
夫妻が1966年8月1日に出願した家庭用の防犯システムは、1969年12月2日に米国特許3,482,037号として成立しました[5]。
特許に書かれた、ドアの外と寝室をつなぐ道具
特許には、玄関に上下に動くビデオカメラと、複数ののぞき穴を置き、遠くの部屋にある画面に映すしくみが書かれています。ドアの両側にマイクがあって、話もできます。さらに電動のロックと、警備員や警察に知らせる無線の警報も備えていました[5]。
この特許は、のちの特許出願に30件以上引用されたとされます。数え方は資料によってちがい、Lemelson-MITは32件、ウィキペディアは2024年7月時点で38件としています[6][7]。ただし、これを「世界初の防犯カメラ」と書くことはできません。家庭用の先がけの一つです。
見る人は、同じ建物の係員から、家の主に変わりました。次に変わるのは、見る道具のほうです。
夜勤のある看護師が、ドアの外を確かめる道具を発明した。マリー・ヴァン・ブリッタン・ブラウンは看護師で勤務が不規則、夫アルバート・L・ブラウンは電子技術者だった。住んでいたクイーンズのジャマイカ地区は1960年代に犯罪が増え、警察の到着が遅いと感じたことが動機とされる[6]。ノックの音がしても、ドアを開けずに相手を確かめたい、という切実さがあった。
夫妻は1966年8月1日に家庭用防犯システムを出願し、1969年12月2日に米国特許3,482,037号として成立した[5]。特許の記載では、玄関側に上下に動くビデオスキャナと、複数ののぞき穴(レンズ付き)があり、離れた寝室などの受像画面に映像を出す。ドアの両側にマイクがあるため会話もでき、電動ロックと、警備員や警察へ知らせる無線警報も組み込まれている[5]。
この特許は後の特許出願に引用されたが、件数は出典で32件(Lemelson-MIT)と38件(ウィキペディア、2024年7月時点)に分かれる。数え方の違いとみて、ここでは「30件以上」とした[6][7]。これは「世界初の防犯カメラ」ではなく、家庭用の先駆けの一つである。
映像の見手が家の主に広がった次の段階では、録画の技術とネットワークの技術が加わる。
4. ろくがと ネットワークで、見かたは どう かわったの?
4. 録画とネットワークで、見方はどう変わったのか
4. ビデオ録画・デジタル多重録画・ネットワークカメラ ── 見る場所と時間の制約が外れる(1970年代〜1996)
それまでは、カメラの えいぞうを、その ばで 見る だけでした。1970ねんだいに、ビデオカセットの きかいが 使えるように なります。えいぞうを とって おいて、あとで 見る ことが でき、けす ことも かんたんでした。ビデオの カメラが ひろまった きっかけの ひとつです[4]。
1990ねんだいには、カメラが たくさん あっても、1だいの きかいに いっしょに とれるように なりました。うごきが あった ときだけ とる ことも できます[4]。
そして 1996年9月17日。スウェーデンの アクシス社が、アメリカの アトランタで 「ネットワークカメラ」を はっぴょうしました。えいぞうを ウェブの ブラウザで 見る しくみです。会社は、これが せかいで さいしょだと いって います[8]。
アイデアの はじまりは、会社の 人が 東京で、「アナログの カメラを ネットワークに つなげないか」と 聞かれた ことだ、と 会社は せつめい して います[8]。
録画で、あとから映像を見られるようになった
1970年代にビデオカセットレコーダーが使えるようになり、映像を録画して、あとで見たり、消して使い回したりすることが楽になりました。ビデオ監視が広がる後押しになったといわれます[4]。
1990年代には、デジタルのマルチプレクサ(多重化装置)が開発され、複数のカメラの映像を1台に同時録画できるようになりました。時間をおいて少しずつ録る方法や、動きを見つけたときだけ録る方法も使えるようになります[4]。見る時間の自由が、少しずつ増えたわけです。
見る場所が、ブラウザの向こうに広がった
1996年9月17日、スウェーデンのアクシス社が米国アトランタで、AXIS 200(NetEye)を発表しました。同社によれば世界初のネットワークカメラで、画像をウェブブラウザで見る方式です[8]。
アクシスの説明では、きっかけは共同創業者のマーティン・グレンが東京出張で受けた質問でした。アナログカメラの在庫を抱えた顧客に「ネットワークにつなげないか」と聞かれたのです。技術者カール=アクセル・アルムが作っていたビデオ会議の試作の技術を使った、とされています[8]。
コーヒーポットで見えた「ウェブでカメラを見る」ことが、製品になったのです。ただし、ここでの「世界初」は、メーカーの主張です。
映像を見る条件を、時間と場所の2つに分けて考えると、この時期の変化が分かる。まず時間のほうは、1970年代にビデオカセットレコーダーが使えるようになり、録画・消去が容易になったことでビデオ監視が広がった[4]。さらに1990年代にはデジタルのマルチプレクサで複数カメラを1台に同時録画でき、低速録画や動き検知録画も可能になった[4]。生中継を見るだけだった映像が、あとから確かめられる記録になったわけだ。
場所のほうを変えたのが、ネットワークカメラである。アクシス社は1996年9月17日に米アトランタでAXIS 200(NetEye)を発表した。同社によれば世界初のネットワークカメラで、画像をウェブブラウザで見る方式が決め手だったと説明している[8]。「世界初」はメーカーの主張にとどまる点に注意したい。
発想の出発点は、同社の説明では、共同創業者のマーティン・グレンが東京出張で、アナログカメラの在庫を抱える顧客に「ネットワークにつなげないか」と聞かれたことだ。技術者カール=アクセル・アルムが作っていたビデオ会議の試作の技術が使われた[8]。コーヒーポットのカメラがウェブに載った1993年から3年後に、同じ発想が専用の機器として売り出されたことになる。
では、こうして広がった「見る人」は、街ではどうなったのか。
5. まちの 通りには、いつ ついたの?
5. 街の通りにカメラが置かれたのは、いつか
5. 街頭カメラは、ロンドン・ミュンヘン・オリーン・歌舞伎町でどう使われたか(1960年代〜2002)
カメラは、まちの 通りにも おかれました。ロンドンの けいさつは、1960ねんから 1965年の あいだに、まちの まんなかに はやい じきの CCTVを おきました。1963年には、ドイツの ミュンヘンで、車の ながれを 見る ために つかわれました[4]。
1968年9月、アメリカの ニューヨークしゅうの オリーンは、いちばん にぎやかな 通りに、はんざいを へらす ための カメラを おきました。アメリカで さいしょと されます[4]。
日本では、2002年2月27日に けいしちょうが、東京の かぶきちょうで がいとうの カメラの うんようを はじめました。カメラは 55だい。えいぞうは、しんじゅくけいさつしょと、けいしちょうの 本ぶへ おくられます[9]。
通りを見張る目から、車の流れを見る目まで
街頭のCCTVも、早い時期から使われました。ロンドン警視庁は1960〜1965年に、市の中心部でCCTVを設置しています。1963年には、ミュンヘンで交通を監視するために使われていました[4]。
米国では、1968年9月にニューヨーク州オリーンが、主要な商店街に犯罪対策としてCCTVカメラを置いた最初の都市とされています[4]。
日本の歌舞伎町では、警察署と本部が見る
日本では、警視庁が2002年2月27日に、新宿区歌舞伎町で街頭防犯カメラシステムの運用を始めました。ドームカメラ46台と固定カメラ9台、あわせて55台が置かれ、映像は新宿警察署と警視庁本部へ送られます[9]。
見る人は、もはや家の主だけではありません。この歌舞伎町のカメラでは、映像を警察署と警視庁本部へ送る仕組みです。
街頭へカメラが出ていく動きは、ネットワークカメラよりも古い。ロンドン警視庁は1960〜1965年に、市の中心部で早い時期のCCTVを設置した。1963年にはミュンヘンで交通監視に使われている[4]。米国では、1968年9月にニューヨーク州オリーンが、主要商店街に防犯目的でCCTVを置いた最初の都市とされる[4]。
日本の例として、警視庁は2002年2月27日、新宿区歌舞伎町で街頭防犯カメラシステムの運用を始めた。ドームカメラ46台と固定カメラ9台の計55台を設け、映像は新宿警察署と警視庁本部に送られる[9]。この歌舞伎町のシステムでは、映像の送り先に警察署と警視庁本部が含まれている。
日本の例として、一次資料に記載のある歌舞伎町のカメラを取り上げた。
6. 町で カメラを 見つけたら
6. 町のカメラを見つけたら、「誰が見るのか」を考える
6. 出口 ── 身近なカメラを「見る人」の軸で観察する/資料の読みどころ
おうちの 人と いっしょに 町を あるく ときに、カメラを さがして みましょう。お店、駅、ビルの 入り口。見つけたら、「この カメラの えいぞうは、だれが 見るのかな」と かんがえて みます。
ただし、カメラや 人に むかって じろじろ 見たり、写真を とったり しません。たち止まって 道を ふさがないように、気を つけましょう。
この メモで 出てきた カメラは、ケーブルで つないだ 画面、家の げんかん、ウェブの 向こう、まちの 通り、と 見る 人が ちがいました。身近な カメラは、どれに ちかいでしょう。
けいしちょうの ホームページでは、がいとうの カメラの ことを せつめい して います。おうちの 人と 見て みても いいでしょう[9]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:大学・特許・警視庁などの一次資料と、ウィキペディアなどの二次資料を使った。ウィキペディアは、CCTVの始まりや街頭設置の例など全体の流れをつかうために使ったので、細かい年や場所は原典でも確かめてほしい。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- Quentin Stafford-Fraser「The Trojan Room Coffee Pot」ケンブリッジ大学コンピュータ研究室。https://www.cl.cam.ac.uk/coffee/qsf/coffee.html (コーヒーポットのカメラが作られたいきさつ)
- ケンブリッジ大学コンピュータ研究室「Trojan Room Coffee Pot timeline」。https://www.cl.cam.ac.uk/coffee/qsf/timeline.html (ウェブ対応・電源停止・落札の年表)
- MIT Technology Review「Coffee Cam」(2001年)。https://www.technologyreview.com/2001/06/01/235785/coffee-cam/ (ウェブ公開の経緯について。報道)
- Wikipedia「Closed-circuit television」。https://en.wikipedia.org/wiki/Closed-circuit_television (CCTVの始まり、録画の技術、街頭設置の例について)
- Google Patents「US3482037A Home security system utilizing television surveillance」。https://patents.google.com/patent/US3482037A/en (ブラウン夫妻の特許の日付としくみについて)
- Lemelson-MIT「Marie Van Brittan Brown」。https://lemelson.mit.edu/resources/marie-van-brittan-brown (発明の動機と、特許の引用件数について)
- Wikipedia「Marie Van Brittan Brown and Albert L. Brown」。https://en.wikipedia.org/wiki/Marie_Van_Brittan_Brown_and_Albert_L._Brown (特許の引用件数について)
- Axis Communications newsroom「First network camera」。https://newsroom.axis.com/article/first-network-camera (ネットワークカメラの発表と、そのきっかけについて。メーカーの説明)
- 警視庁「街頭防犯カメラシステムについて」。https://www.keishicho.metro.tokyo.lg.jp/kurashi/anzen/anshin/gaitocamera.html (歌舞伎町の街頭カメラの台数と映像の送り先について)
なおした ところ
更新履歴
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