このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

さいしょの サービスエリアには、なにが あったの?

日本初のサービスエリアは、駐車場とトイレだけで始まった ── 休憩所が「行き先」になるまで

1963年の大津SAから道の駅まで ── 高速道路の休憩施設は何を足し、なぜ約50kmおきなのか

分野:技術

日本で さいしょの サービスエリアには、駐車場ちゅうしゃじょうと トイレしか なかった。そう つたえる 資料しりょうが あります[2]。いまは ごはんも おみやげも ある ところが 多いのに、はじめは どうして そんなに かんたんだったのでしょう。

この 記事を 読むと、ごはんや おみやげの ある 場所に なっていった わけと、サービスエリアが 50キロ くらいずつ はなれている わけが 分かります。

日本で最初の高速道路のサービスエリア(SA)は、使いはじめのころ、駐車場とトイレだけの休憩所だったと伝えられています[2][7]。いまのSAには、食事も買い物もできる大きなところがたくさんあります。

あの簡素な休憩所から、どうやって「わざわざ行きたい場所」にまで変わったのでしょうか。この記事を読むと、設備が増えた順番と理由、SAがおよそ50kmおきにある理由、一般道の「道の駅」につながる流れが分かります。

1963年に開通した日本初の高速道路・名神高速道路の途中にできた大津サービスエリア(SA)は、使いはじめの時点では駐車場とトイレのみだった、と複数の資料が伝える[2][7]。いまのSAには、食堂や売店、複合商業施設まで備えたところもある。

おもしろいのは、休憩所として使えるようになった日と、店がそろって開業した日が別だということだ。開通は7月16日、滋賀県の広報が「オープン」とするのは10月1日である。その簡素な休憩所から、通りすぎる場所が「目的地」と呼ばれるまでに、何が足され、なぜ足されたのか。設置間隔の約50kmという目安の根拠、一般道の「道の駅」との関係まで、資料ごとの食いちがいを区別しながら示す。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. さいしょの サービスエリアは、どんな ところ?

1. 駐車場とトイレから、秋にかけて店が増えていった

1. 1963年の大津SA ── 駐車場とトイレ、給油所、修理所、レストランが順に開いた

1963年の 7月、名神めいしん高速道路の 一ぶが、日本で はじめての 高速道路として 開きました[1]。とちゅうに ある 大津おおつサービスエリアが、日本で はじめての サービスエリアです。

はじめに できたのは、駐車場ちゅうしゃじょうと トイレだけだったと いわれます[2]。その あと、秋に かけて ガソリンを 入れる ところ、くるまを なおす ところ、レストランが 少しずつ できました。

どうして、くるまを なおす ところまで 作ったのでしょう。

1963年(昭和38年)7月16日、名神高速道路の栗東〜尼崎間が、日本初の高速道路として一部開通しました[1]。途中にある大津SAは、日本で初めての高速道路のSAとされています。

ある資料によると、7月16日の使いはじめの時点では、駐車場とトイレだけでした。9月16日に給油所、10月1日にレストランが開き、修理所もできて、設備が順にそろっていきます[2]。ただ、別の資料は、給油所だけが先に開いて修理所は10月9日だったと書いていて、日付は資料で少し食いちがいます[3]。滋賀県の広報は、10月1日を「オープン」の日として紹介しています[1]。

日付は割れていても、「休むだけの場所から始まり、秋にかけて給油・修理・食事が足された」という流れは、どの資料でも同じです。では、なぜガソリンスタンドだけでなく、修理所まで必要だったのでしょうか。

日本初の高速道路は、1963年(昭和38年)7月16日に一部開通した名神高速道路の栗東りっとう〜尼崎あまがさき間である[1]。途中の大津SAは、滋賀県の広報で「日本で初めての高速道路のSA」とされる。

では、大津SAに最初から何があったのか。ウィキペディアの転載ミラーは、7月16日に駐車場とトイレのみで供用を始め、9月16日に上下線へ給油所と自動車修理所、10月1日に上下線へレストランが開いたと整理する[2]。ところが自動車情報サイトの記事は、9月16日に開いたのは給油所だけで、修理所は10月9日だったと書く[3]。転載ミラーは公式記録ではなく、修理所の日付は資料で割れるため、本稿では「秋にかけて給油所・修理所・レストランが順に整った」までを確かな範囲とし、個々の日付は断定しない。

もう1つ、日付の見え方が分かれる点がある。7月16日は道路の一部開通の日で、滋賀県の広報が大津SAの「オープン」とするのは10月1日である[1]。休憩所として使えることと、店がそろって開業することは、別の日付になりうる。それでも、駐車場とトイレだけで始まり、あとから設備が足されたという点は資料の間で一致する。ここで、「なぜ修理所まで要ったのか」という次の問いが出てくる。

2. どうして くるまを なおす ところが いったの?

2. 利用者が高速道路に不慣れで、故障した車が相次いだ

2. 利用者も道に不慣れだった ── 修理所が必須とされた背景と、米国の先例

そのころの 日本には、高速道路を はしった ことが ある 人が ほとんど いませんでした。ガソリンが なくなったり、くるまの 調子が わるくなったり することが、あいついだと つたえられて います[3]。

だから、くるまを なおす ところが 大切だったのです。高速道路は、とちゅうで かんたんに おりられない 道です。休む ところには、休む だけでなく、こまった ときの 助けも ひつようでした。

ところで、この サービスエリアは、休む ほかに 人を ひきつけた ことが あります。それは なんでしょう。

開通当時は、利用者も高速道路の走り方に慣れていませんでした。燃料切れやオーバーヒートなどの故障車が続いたため、SAには修理所が欠かせなかった、と説明されています[3]。

高速道路では、思いついた場所で簡単におりることができません。だから、休憩所は休む場所であると同時に、車を直し、燃料を入れて走り続けるための補給地点でもありました。

この発想は、日本だけのものではありません。アメリカのペンシルベニア州では、1940年10月1日に約160マイル(約257km)のペンシルベニア・ターンパイクが開通し、開通のときから食事と給油ができるサービスプラザがありました[10]。長い距離を走る道には、途中で補給する場所が要る、という考え方は、先に海の向こうにあったことになります。

開通当時の大津SAに修理所が必要だった理由を、自動車情報サイトは次のように説明している。利用者も高速道路の走り方に慣れておらず、燃料切れ、オーバーヒート、オイルや水の不足などの故障車が続いたため、SAには修理所が必須だった[3]。同じ記事は逆走などの危険にも触れるが、本稿の主題ではないので深入りしない。要点は、停車できる場所が限られる道で、補給と修理をまとめて受け持つ場所が必要だった、という点にある。

この「道の途中で補給する施設」という発想は、日本が初めてではない。米国のペンシルベニア・ターンパイクは、1940年10月1日にアーヴィン〜カーライル間約160マイル(約257km)で開通し、「米国初の長距離スーパーハイウェイ」とされる。州の歴史標識は、そのサービスプラザが開通時から食事と給油の場だったと記す[10]。ただし、これを根拠に世界初のSAだとは言えない。同じ時代にドイツのアウトバーンもあり、本稿はその休憩所の歴史までは扱わない。

大津SAが「日本初」なのは、日本の高速道路に最初の休憩所を作った、という意味に限られる。では、補給のために作られたこの場所に、人が別の理由で集まったことはあったのか。

3. 休む ほかに、人が あつまった わけは?

3. 景色のよい高台で、物珍しさから観光客が集まった

3. 村野藤吾の設計と高台の立地 ── 開業当初に混雑が問題視された理由

大津おおつサービスエリアは、琵琶湖びわこの 水めんから 80メートルほど 高い ところに あります[1]。下りせんの ほうは、天気の よい 日に、びわ湖の とおくまで 見わたせます。

はじまった ころは、めずらしさから、見に 来る 人も 多かったそうです。人が 多すぎて、こんざつが こまりごとに なった ともいわれます[2]。

はじめは 駐車場ちゅうしゃじょうと トイレだけでも、けしきが よかった ことが、人気の ひとつだったと、しょうかいする 記事が あります[7]。

休む ための 場所は、どれくらい はなして 作れば よいのでしょう。

大津SAは、琵琶湖の水面から約80メートルの高台にあります。上り線のSAよりさらに高い所にある下り線のSAからは、天気のよい日に、琵琶湖の遠くまで見わたせると、滋賀県の広報は紹介しています[1]。

建物の設計は、建築家の村野藤吾が担当しました。日本初の高速道路の建物にふさわしいものを目指して検討された、と伝えられています[2]。開業当初は物珍しさから、観光が目的で訪れる人も多く、混雑が問題視されたといいます[2]。

英語で日本のSAを紹介する記事も、最初のSAは駐車場と公衆トイレだけの簡素な休憩所だったが、琵琶湖と大津の市街を見わたせる立地のよさで成功した、と書いています[7]。補給のために作られた場所が、景色のおかげで「見に行く場所」にもなった。この性格は、あとの章で出てくる「目的地としてのSA」の、いちばん古い例とも読めます。

では、こうした休憩所を、道の上にどのくらいの間隔で作ればよいのでしょうか。

大津SAは、琵琶湖の水面から約80mの高台に位置する。上り線のSAよりさらに高い下り線のSAからは、好天時に琵琶湖の遠方まで見渡せる、と滋賀県の広報は述べる[1]。補給施設の立地としては、景色のよさは本来の目的ではなかったはずだが、結果として別の役割を生んだ。

転載ミラーによれば、建物の設計は建築家の村野藤吾むらのとうごが担当し、日本初の高速道路建築物にふさわしいものになるよう検討された。開業当初は、物珍しさから観光目的で訪れる人も多く、混雑が問題視されたという[2]。

英語媒体のnippon.comは、最初のSAを駐車場と公衆トイレだけの簡素な休憩所と紹介したうえで、琵琶湖と大津の市街を見渡せる立地が成功の要因だったとする[7]。休むための施設に景色という付加価値がついた最初の例が、この大津SAだった可能性がある。後の「目的地としてのSA」とは時代も規模も違うが、人が補給以外の理由で立ち寄るという点では、芽がすでにあった。

では、こうした施設は、道に沿ってどれだけの間隔で作るのが妥当とされたのか。

4. サービスエリアは、どうして 50キロくらいずつ はなれて いるの?

4. 約50kmおきという目安を、建設費と快適さから説明する

4. SA約50km・PA約15kmの目安 ── 上限は約100km/約25km、北海道は約80km

サービスエリアは、50キロくらいずつ はなして つくる ことが 多いと いわれます。くるまで 1時間 走ると、100キロ すすむと した ばあい、50キロは 30ぷん くらいです。

もっと 小さな パーキングエリアは、15キロくらいずつです。設置せっちする 間かくを ちかく しすぎると、お金も てまも かかります。とおすぎると、休みたい とき こまります。その ちょうど よい ところを さがして、きまった めやすです[4]。

おなじ 「休む 場所」でも、サービスエリアと パーキングエリアでは、ちがいが あります。ただ、はっきり 分けにくい ところも あるそうです[6]。

設置間隔の目安は、パーキングエリア(PA)がおよそ15km、SAがおよそ50kmです。最大でも、PAが約25km、SAが約100kmという上限があります。NEXCO中日本の担当者は、間隔が近いと建設費も手間もかかるため、お客さまが満足できる快適な距離感を意識して、この目安になったと説明しています[4]。なお、これは目安で、法律で決まった固定値ではありません。ウィキペディアにも、SAはおおむね50kmおき、北海道はおおむね80kmおきと書かれています[5]。

この数字を、時間に直してみましょう。仮に時速100kmで走り続けるとすれば、50kmは約30分、15kmは約9分、上限の100kmでも約60分です。つまり「SAは30分くらい走るごとに、PAはそのあいだに何度か」という感覚になります。ただし、実際の所要時間は速度や渋滞で変わります。

SAとPAのちがいも、よく話題になります。国土交通省の整理を紹介する記事では、SAは駐車場・トイレに加えて売店・食堂・給油所などがあり、PAは駐車場・トイレと、必要に応じた売店とされています。一方でNEXCO東日本は、SAとPAの区別は実はつけにくいと説明しています[6]。SAなら必ず食堂や給油所がある、とは限りません。

SAの設置間隔について、NEXCO中日本の担当者は次のように説明している。SA・PAの間隔が近いと建設費も手間もかかるため、利用者が満足できる快適な距離感を意識すると、PAは約15km、SAは約50kmが目安になった[4]。つまり、施設を増やすほど休める機会は増えるが、費用も増える。その釣り合い点が、この数字だということになる。

同じ記事は、最大の間隔の目安にも触れる。PAは約25km、SAは約100kmである。日常で出てくる約50kmは標準の目安で、約100kmが上限の目安という関係になる。ウィキペディアは、SAの設置間隔をおおむね50kmおき、北海道はおおむね80kmおきと記す[5]。北海道のように、地域によって数字は変わる。

この数字を時間に直す。仮に時速100kmで一定に走るとして、50kmは約30分(50÷100=0.5時間)、15kmは約9分、上限の100kmは約60分になる。これは仮定にもとづく計算で、渋滞や速度制限、休憩の取り方で実際の時間は変わる。

では、SAとPAは何が違うのか。国土交通省の整理を紹介する記事では、SAは休憩所・駐車場・トイレに加え売店・食堂・給油所などがあり、PAは駐車場・トイレと必要に応じた売店とされる。一方、NEXCO東日本は、両者の区別は実はつけにくいと説明している[6]。区別がつけにくい以上、「SAには必ず食堂や給油所がある」とは言えず、ない場合もある。

間隔と設備の目安が決まると、次に起きるのは、設備が「足りているか」でなく「選ばれるか」という競争である。

5. 休む ばしょが、どうして そこへ 行きたい ばしょに なったの?

5. 民営化のあと、「通りすぎる場所」から「目的地」へ

5. 2005年の道路公団民営化とEXPASA・NEOPASA ── 調査では約5割が人気SAを目的地やドライブ旅行中に訪れる

2005年に、高速道路を 見る かいしゃが、国から ふつうの かいしゃに かわる、民営化みんえいかが ありました。それを きっかけに、サービスエリアは、おきゃくさんを よぶために、いろいろな 店や サービスを ふやして いったと いわれます[7]。

「とおる だけの 場所」から、「そこに 行きたい 場所」に かわったのです。ドライブに 行く 人を 調べた ところ、およそ 半分が、人気の サービスエリアを 行き先として、または ドライブの とちゅうで たずねると 答えたと 書かれています。ただし、これは 調べた 人の 中の わりあいです[7]。

NEXCO中日本は、人気の 店を いくつも 入れた 大きな サービスエリアを 「EXPASA」と 名づけて います[8]。

2005年に道路公団が民営化されたのをきっかけに、SAは利用者を呼ぶためにサービスを多様化していきました。nippon.comの記事は、その結果、SAが通過点から目的地へ変わってきたと説明します。2015年時点でSAとPAは約770か所ありました。ドライブ旅行者を対象にした調査では、約5割が人気のSAを目的地として、またはドライブ旅行中に訪れると答えたそうです[7]。この「約5割」は調査に答えた人の割合で、日本全国の運転者全体ではありません。

NEXCO中日本は、2010年度から展開する複合商業施設を「EXPASA」と呼んでいます。公式ページは、単なる通過点から「目的地として選ばれるサービスエリア」を目指す、と述べ、人気店の複数導入や、選ぶ楽しさ・見る楽しさのある売り場づくりを紹介しています[8]。新東名の商業施設には「NEOPASA」というブランド名もあります。

民営化より前にも、サービスを広げる動きはありました。東名高速の浜名湖SAでは、1969年(昭和44年)7月に無料の休憩施設ができ、インフォメーションと無料のお茶サービスが始まった、との記述があります[3]。ただ、この記述は1つの自動車サイトのものなので、「そうした例がある」程度に受け取るのがよさそうです。

高速道路の休憩所が変わっていく一方で、普通の道にも似た動きが出てきます。

民営化後のSAの変化について、nippon.comは次のように述べる。2005年の道路公団の民営化をきっかけに、SAは利用者を呼ぶためにサービスを多様化し、通過点から目的地へ変わってきた。2015年時点でSA・PAは約770か所あり、ドライブ旅行者を対象にした調査では、約5割が人気のSAを目的地として、またはドライブ旅行中に訪れると答えた[7]。この約5割は調査対象者の割合で、全運転者の割合ではない。

事業者側の言葉も見ておく。NEXCO中日本は、2010年度から展開する複合商業施設を「EXPASA」、新東名の商業施設を「NEOPASA」と呼び、前者の説明で、単なる通過点から「目的地として選ばれるSA」を目指すと述べる[8]。選ばれることを目標に掲げている、という点が、大津SAの「補給のための休憩所」との大きなちがいである。

サービスの広がりは民営化以前にもあった。ある自動車サイトは、1969年(昭和44年)7月に東名高速の浜名湖SAで無料休憩施設の第1号が開き、インフォメーションと無料のお茶サービスが始まった、と書く[3]。運営は日本道路公団と道路施設協会で、公共事業として要望に応える形だったとされる。ただし、この記述は1つの自動車サイトのものなので、「そう伝えるサイトがある」という強さで受け取っておく。

では、高速道路ではない、ふつうの道に、同じように休める場所を作ろうとした動きはあったのか。

6. ふつうの 道にも、休める 場所は あるの?

6. 一般道の休憩施設不足を背景に「道の駅」ができた

6. 1993年に103か所が登録された道の駅 ── 3つの機能と、登録前の実験・提言

サービスエリアは、高速道路に あります。ふつうの 道に ある、休む ための 場所が、「道の駅」です。

1993年の 4月22日に、当時の けんせつしょう(いまの 国土交通省こくどこうつうしょう)が、はじめて 103か所を 道の駅として みとめたと されます[9][12]。そのころ、ふつうの 道には、休む ところが たりなかったのです。

道の駅には、「休む」「じょうほうを 出す」「地いきと つながる」という 3つの はたらきが あると しょうかいされて います[11]。

「道の駅」は、1993年(平成5年)4月22日に、建設省(現在の国土交通省)が第1回の登録として103か所を決めたのが始まりとされています[9][12]。背景には、一般道路には休憩施設が足りなかったことがありました。

国土交通省の資料によると、1991年10月から1992年4月まで、山口・岐阜・栃木の3県で「道の駅」の実験が行われました。1993年1月に懇談会が提言をまとめ、2月に整備の要綱が決まっています[9]。道の駅は「休憩」「情報発信」「地域の連携」の3つの機能を持つと紹介されています[11]。

高速道路のSAが「補給と休憩」から始まって「目的地」へ広がったのに対し、道の駅は、はじめから「地域とつながる休憩所」として作られた点が特徴的です。同じ「休む場所」が、道によって違う進み方をしたことになります。

道の駅は、1993年(平成5年)4月22日に、建設省(現・国土交通省)が第1回登録として103か所を決めたことに始まるとされる[9][12]。背景として、一般道路に休憩施設が不足していたことが挙げられる。

登録の前には試行があった。国土交通省の資料の経緯欄によると、1991年10月から1992年4月まで山口・岐阜・栃木の3県で「道の駅」の実験が行われ、1993年1月18日に「道の駅」懇談会(会長は越正毅教授)が提言、2月23日に整備の要綱が定められた。平成5年度の第1回登録数が103駅である点も、同じ資料に注記がある[9]。道の駅は「休憩」「情報発信」「地域の連携」の3機能をもつとされる[11]。

高速道路のSAは、補給と休憩から始まり、のちに選ばれる場所を目指した。道の駅は、休憩に加えて情報発信と地域の連携を最初から機能に掲げた。同じ「道の途中の休憩所」でも、出発点が異なり、その後の進み方も違う。両者を比べると、「休憩所に足すもの」が時代と道によって変わってきたことが見える。

7. つぎに 立ちよる ときは、なにを 見る?

7. 次に立ち寄るSA・PA・道の駅を観察する

7. 次の休憩所で見ること、資料の読み方

やってみよう。おうちの 人と ドライブに 行って、サービスエリアや パーキングエリア、道の駅に 立ちよる ことが あったら、車を おりて、まず 入り口の 近くの あんないの ずを 見ます。

そこに 書いて ある ものを、「トイレ」「お店」「食べもの」「そのほか」に 分けて、メモ用紙に かぞえます。どんな ものが あったか、メモを 見て おうちの 人に 話して みましょう。駐車場ちゅうしゃじょうでは、車が 動くので、かならず おとなと 手を つないで 歩きます。

ドライブに 行けない ときは、おうちの 人に、今までに 行った 休けい場所で いちばん おぼえている ところを 聞いて みましょう。

次のようなことを、調べたり試したりできそうです。

  • 家族とお出かけして、SA・PA・道の駅に立ち寄ったら、案内図を見て、店や設備を見て、食事・買い物・景色・地域の情報のうち、どんなものがあるかをメモしましょう。駐車場は車が動くので、大人から離れずに歩きます。
  • 同じ高速道路のSAとPAの案内を見くらべて、本文の「SAには売店・食堂・給油所がある」という説明が、そこにも当てはまるかを見てみましょう。当てはまらないところが見つかるかもしれません[6]。
  • 仮に時速100kmで走るとして、次のSAまでの距離を案内板で見て、何分かかるかを計算してみましょう。
  • NEXCO中日本の日本語の公式ページ(サービスエリアの紹介)で、EXPASAがどんな売り場づくりを掲げているかを読んでみましょう[8]。

ドライブで見つけた「ここは何が中心の休憩所だろう」という疑問が、この記事の次の問いになります。

次の休憩所では、「補給」「景色」「買い物」「地域の情報」のどれが中心に見えるかを、案内図で確かめてみるとよい。大津SAの最初の姿である「駐車場とトイレ」と、そこからどれだけ増えているかを比べられる。仮に時速100kmで走るなら、案内板の距離を速度で割れば、次の休憩所までの時間を概算できる(距離÷速度=時間)。

資料を読むなら、まず滋賀県の広報ページで大津SAの公式の紹介を、次にNEXCO中日本の公式ページで現在のSAの考え方を読み、さらに大人と一緒に、国土交通省の「道路統計年報」の「道の駅」の登録数のページを探して、登録数の推移を見るとよい。本稿で1つのサイトの記述にとどまった部分(浜名湖SAの無料のお茶サービスの開始年など)は、そこで確かめる余地が残っている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の[ ]の番号は、下の資料の番号です。

  1. 滋賀県 広報「大津サービスエリア」 https://www.pref.shiga.lg.jp/kensei/koho/reports/351680.html (名神高速道路の開通日、大津SAの立地、「日本初のSA」の紹介)
  2. 大津サービスエリア(ウィキペディア転載ミラー) https://pedia.3rd-in.co.jp/wiki/大津サービスエリア (開業時の設備、設計者、混雑。転載で公式記録ではない)
  3. ベストカーWeb 「サービスエリアの歴史」の記事 https://bestcarweb.jp/feature/column/508830 (修理所が必要だった理由、日付の食いちがい、浜名湖SAの無料休憩施設)
  4. くるまのニュース 「SA・PAの間隔」の記事 https://kuruma-news.jp/post/504312 (NEXCO中日本担当者による設置間隔の説明)
  5. ウィキペディア「サービスエリア」 https://ja.wikipedia.org/wiki/サービスエリア (設置間隔の別の確認。北海道は約80km)
  6. WEBCARTOP 「SAとPAのちがい」の記事 https://www.webcartop.jp/?p=678713 (国土交通省の整理とNEXCO東日本の説明)
  7. nippon.com “Japanese Highway Service Areas” https://www.nippon.com/hk/features/jg00002/ (最初のSAの様子、民営化後の変化。英語の資料)
  8. NEXCO中日本 サービスエリア https://www.c-nexco.co.jp/corporate/operation/service_area/ (EXPASA・NEOPASAの紹介)
  9. 国土交通省 道路統計年報2023「道の駅」の登録数 https://www.mlit.go.jp/road/toukei_chousa/road_db/pdf/2023/16-3-2.pdf (第1回登録数103駅、登録前の実験・提言・要綱の経緯)
  10. Pennsylvania Historical Marker (ExplorePAHistory) https://explorepahistory.com/hmarker.php%3FmarkerId=1-A-349.html (米国ペンシルベニア・ターンパイクの開通。英語の資料)
  11. コトバンク「道の駅」 https://kotobank.jp/word/道の駅 (道の駅の3つの機能の説明)
  12. 道の駅の日(記念日)解説 https://bestcalendar.jp/dates/kinenbi/2065 (1993年4月22日の第1回登録。日付の補足)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。