1. どうして すけた ぬのが、せいそうなの?
1. 正装なのに、向こうがすけている
1. バロンタガログのすける生地とすそ出しに、武器説は当てはまるか
バロンタガログは、フィリピンで けっこんしきなどに きる、とくべつな シャツです。うすくて、すけて います。
ふつうの シャツは、ズボンに 入れて きる ことが おおいですね。でも、これは すそを 外に 出します。
よく きく せつめいが あります。「むかし、フィリピンは スペインに おさめられて いた。だから、ぶきを かくして もてない ように、すけた ふくを きせられた」というのです。
なるほど、と おもいます。でも、これは ほんとうの はなしでしょうか。
2. その はなしは、きろくに のこって いるの?
2. 「武器を隠させるため」の記録は見つかっていない
2. 通説の検討 ── 16世紀から19世紀末に、強制を示す記録はあるか
れきしの 先生の ひとり、コーさんは、「その きろくは ない」と いいます。かいた 本は、1820ねんから 1896ねんの ふくそうを しらべた ものです[4]。
「ぶきを かくさせる ために、すけさせた」という 文は、16せいきから 19せいきの おわりまでの 本や しょるいに みつからない、と かいて います[3]。
ただし、「きろくが ない」ことと「ぜったいに なかった」ことは ちがいます。わかって いるのは、いま ある しりょうでは ささえられない、と いう ところまでです。
それなら、すけた ぬのは、なにで できて いるのでしょう。
歴史研究者の指摘
19世紀の服装を研究したCooらは、「植民地の支配者が、すそ出しとすける生地を着させた」という話は広まっているが、16世紀から19世紀末までの記録にそれを示すものはない、と述べています[3]。Cooの『Clothing the Colony』は、1820年から1896年のフィリピンの服装を扱った本です[4]。
Cooは、バロンタガログが強制だったという話について、いまのところ裏づける文書は見ていないと語ったと報じられています[3][4]。
「記録がない」の意味
記録が見つからないことは、「絶対になかった」の証明にはなりません。分かるのは、この説明を支える史料が今のところ示されていない、というところまでです。
では、すけて見える布はなんでできているのでしょうか。
この通説について、Cooらは、16世紀から19世紀末までの記録に該当するものはないと述べる[3]。Cooは『Clothing the Colony』(ハワイ大学出版局)の著者で、同書は1820〜1896年の服装を扱う[4]。バロンタガログの着用が植民地政府による強制だったという話についても、裏づける文書は見ていないと語ったとされる[3][4]。
注意したいのは、これが「史料が示されていない」ことの指摘であり、「そのような命令が絶対になかった」ことの証明ではない点だ。とはいえ、「武器を隠させないため」は、現時点では史料の裏づけを欠いた説明として読むのが妥当だろう。では、薄くすける生地そのものは、何でできているのか。
3. すけた ぬのは、なにで できて いるの?
3. パイナップルの葉からとる糸で、布1メートルに約8時間
3. ピーニャ ── 繊維の性質と、無地1mに約8時間という手間
すけた ぬのの なかでも ゆうめいなのが、「ピーニャ」です。パイナップルの 葉から とる せんいで できた ぬのです。
せんいは、ぞうげの ような しろい いろで、つやが あります。ぬのに すると、すけて やわらかく なります[2]。
この ぬのを おるのは、たいへんです。むじの ぬのを 1メートル おるのに、8じかん ほど かかる、と せつめいされて います[2]。
せんいを とる、つなぐ、おる まで ぜんぶ あわせて、じゅぎょう 8じかんぶんくらいの てまが、1メートルに かかります。
そんな ぬのの ふくを、むかしは だれが きて いたのでしょう。
4. むかしは、どんな 人が きて いたの?
4. バロは昔から着られ、1700年代には限られた男性の服だった
4. バロの成立と、1700年代の着用者 ── イルストラードに限られたとされる説明
この ふくの なまえ「バロンタガログ」は、「タガログの 人の ふく」と いう いみです。「バロ」が、タガログごで「ふく」です[1]。
スペイン人が くる まえから、ルソンとうの タガログの 人は、バロを きて いたと いわれます。くびの まわりは まるく、そでは まっすぐで、ながい ものでした。あとから、えりや そでぐちが くわわりました[1]。
すがたには、中国の ゆったりした ふくや、インドの かぜとおしの よさ、ヨーロッパの かざりの すくない ふくなど、いろいろな えいきょうが あると いわれます[1]。
はくぶつかんの せつめいでは、1700ねんだいには、土地を もち、まちで いくらか ちからの ある 男の人に かぎって きて いたと いいます[1]。
とくべつな 人の ふくだった バロは、どうやって みんなの ふくに なって いったのでしょう。
名前に残る「衣服」
「バロ」はタガログ語で衣服を意味し、バロンタガログは「タガログ人の衣服」という意味です。スペイン人が来る前から、ルソン島のタガログ人は、土地に昔からある衣服から発展したバロを着ていたとされます[1]。
基本の形は、丸い首まわり、まっすぐな長袖、太ももの中ほどまでの丈です。あとから、えり、カフス、わきのスリットが加わりました。この形には、中国のゆったりした線、インドやマレー系の風通しのよさ、ヨーロッパの男性服の飾りの控えめさなど、複数の影響があるといわれます[1]。
限られた人の服
1700年代には、バロを着るのは、土地を持ち、地域でいくらかの権威をもつ男性(イルストラード)に限られていた、と博物館の解説にあります[1]。これは一つの解説に基づくため、「そういう説明がある」ととらえてください。
特別な人の服が、どうして広く着られる服になったのでしょうか。
「バロ」はタガログ語で「衣服」の意で、バロンタガログは「タガログ人の衣服」を意味する。スペイン人が来る以前から、ルソン島のタガログ人は、先住の衣服から発展したバロを着ていた[1]。つまり、すけた布の正装の原型は、植民地の支配者が持ち込んだものではなく、すでにあった服にさかのぼるとされる。
基本形は、丸首・まっすぐな長袖・太もも中ほどまでの丈で、後世にえり、カフス、わきのスリットが加わった。形には、中国のゆったりした線、インド・マレー系の風通しのよさ、ヨーロッパ男性服の控えめな装飾など、複数の影響が指摘される[1]。
1700年代のバロの着用は、土地を持ち地域で一定の権威をもつ男性(イルストラード)に限られていたと、同じ博物館の解説はいう[1]。ただし、これは博物館の解説1件にもとづく説明で、強く言いきれる段階ではない。ここから、「限られた人の服」が「広く着られる服」に変わるきっかけを探すことになる。
5. だいとうりょうは、どう つかったの?
5. 大統領が着て、国の正装として注目された
5. 1953年の就任式と1975年のバロン・フィリピーノ週間
1953ねん、ラモン・マグサイサイ だいとうりょうは、だいとうりょうに なる しきで、バロンタガログを きたと いわれます。ふつうの 人の 味方で ある ことを、ふくで しめしたと されます[3]。
1975ねんには、だいとうりょうが「ふこく」という きまりを 出しました。1975ねんの 5月5日から 11日を「バロン・フィリピーノ しゅうかん」と する ものです。はじめての 全国てんじかいを ひらき、くにの せいそうへの ちゅうもくを あつめ、もっと つかわれる ように、そして 外国へも うる ことを ねらいました[5]。
半そでで、わたなどの ぬのを つかった「ポロ・バロン」も ひろまりました。ふだんの ふくにも なりました[1]。
ところで、バロンタガログの「すそを 出す きかた」は、うみを こえた ハワイとも つながって いると いわれます。
就任式の一着
1953年、ラモン・マグサイサイ大統領は、就任式でバロンタガログを着て、自分が「庶民の人」であることを示したとされます。これでバロンタガログが庶民にも広まったという説明があります[3]。この点は一つの二次資料による説明なので、「そう説明されている」ととらえてください。
1975年のバロン・フィリピーノ週間
1975年1月17日、マルコス大統領は布告第1374号で、1975年5月5日から11日を「バロン・フィリピーノ週間」と定めました。第1回の全国バロン・フィリピーノ博覧会を開き、国の正装への関心を高め、利用を広げ、輸出も伸ばすことが目的です[5]。
その後、半袖で綿などを使ったポロ・バロンも普及し、バロンは略式の服としても着られるようになりました[1]。
ところで、このバロンの着かたは、海を越えたハワイとも結びつけて語られています。
1953年、ラモン・マグサイサイは大統領就任式でバロンタガログをあえて着て、「庶民の人」であることを示したとされ、これが庶民への普及の契機になったと説明される[3]。この説明は二次資料の引用による。「国の正装と定めた」のはこの年ではない。
国の側が動いたのは1975年で、1月17日、マルコス大統領は布告第1374号で、1975年5月5〜11日を「バロン・フィリピーノ週間」とした。第1回全国バロン・フィリピーノ博覧会の開催、国の正装への注目、利用の拡大と輸出の拡大が狙いである[5]。この布告は、週間を設けて関心と利用を呼びかけるものだった。そのうえで、特別な人の服は、半袖で綿などの略式の「ポロ・バロン」としても広まった[1]。この「すそを出す」着かたは、さらに海を渡ったとされる。
6. アロハシャツの きかたも、にて いるの?
6. ハワイのアロハシャツの「すそ出し」とのつながり
6. 研究者は、アロハシャツのすそ出しをバロンタガログと結びつけている
ハワイの アロハシャツも、すそを 外に 出して きる ことが おおい シャツです。アロハの ふくを しらべる リンダ・アーサーさんは、この きかたは、ハワイに いた フィリピンの 人たちが きて いた バロンタガログから きて いると いいます[6]。
アロハシャツには、ヨーロッパふうの みごろ、日本の ぬの、中国の 人の したて、フィリピンの きかたが まざって いると いう せつめいも あります[6]。
べつの 記事にも、「フィリピンと 中国の 人たちが、すそを 出す シャツと いろとりどりの きぬを もって きた」と かかれて います[7]。
ただし、「アロハシャツが バロンタガログから できた」とは いえません。いわれて いるのは、「すそを 出す きかた」の はなしです。
研究者の説明
アロハシャツの研究者リンダ・アーサーは、アロハシャツを「すそを出して着る」習慣は、島にいたフィリピン系の人びとが着ていたバロンタガログに由来する、と述べます[6]。
アロハシャツには、西洋式の身ごろ、日本の生地、中国系の仕立て職人、フィリピンの着かたが合わさった、という「5つの文化」の説明もあります[6]。
ほかの資料にも、フィリピン系と中国系の新来者が、すそ出しのシャツ(「バロン・タロン」と書かれている)と色とりどりの絹を持ち込んだ、という説明があります[7]。綴りは、バロンタガログの別表記の可能性があります。
言えること・言えないこと
ここで話題になっているのは、「すそを出す着かた」のつながりです。「バロンタガログがアロハシャツの元」だとまでは言えません。
では、身のまわりの服の着かたを、自分で調べてみるには、どうすればよいでしょうか。
アロハ服の研究者リンダ・アーサーは、シャツをズボンの外に出して着る習慣は、島にいたフィリピン系の人びとが着ていたバロンタガログに由来する、と述べる[6]。アロハシャツの成り立ちには、西洋式の身ごろ、日本の生地、中国系の仕立て職人、フィリピンの着かたが合わさったという「5つの文化」の説明もある[6]。Mental Flossも、フィリピン系と中国系の新来者が、すそ出しのシャツ(原文の綴りは「barong talong」)と色とりどりの絹をそれぞれ持ち込んだと書く[7]。
ただし、論点は「すそ出しの習慣」であり、「バロンタガログがアロハシャツの元になった」ではない。すそ出しの由来については、研究者がそう説明している、という位置づけだ。
7. すけるぬのを、じぶんで ためして みよう
7. 薄い布で、「すける」を試す
7. 出口 ── 布のすけ方を試す体験と、資料の読みどころ
うちに ある うすい ぬのを、あかるい まどに かざして みましょう。ハンカチや ガーゼ、うすい シャツで いいです。
1まいで、むこうが どれくらい みえますか。2まい、3まいと かさねると、どう かわりますか。ピーニャの ようすが、すこし だけ そうぞうできます。
つぎに、おうちの 人の シャツを、ズボンに いれた ときと、そとに だした ときを くらべて みましょう。ちがいは あるでしょうか。
もっと しりたく なったら、はくぶつかんの ページや、フィリピンの ふこくの ぶんしょを ひらいて みて ください。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:博物館の解説、歴史研究者の著書の紹介、フィリピンの布告原文、アロハシャツ研究者のインタビューなどを使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- Philippine Folklife Museum Foundation「Barong Tagalog」。https://philippinefolklifemuseum.org/portfolio-items/barong-tagalog/ (バロの成り立ち、形、着用者、略式のバロンについて)
- Philippine Folklife Museum Foundation「History and Origin of Piña」。https://philippinefolklifemuseum.org/portfolio-items/history-and-origin-of-pina/ (ピーニャ繊維の性質、製作の手間、最盛期について)
- Wikipedia「Barong Tagalog」。https://en.wikipedia.org/wiki/Barong_Tagalog (すそ出し説へのCooらの指摘、マグサイサイの就任式について。Cooらの研究を引いた二次資料)
- University of Hawai‘i Press「Clothing the Colony」書籍ページ。https://uhpress.hawaii.edu/title/clothing-the-colony-nineteenth-century-philippine-sartorial-culture-1820-1896/ (Cooの著書の対象年代について)
- Proclamation No. 1374, s. 1975(Lawphil)。https://lawphil.net/executive/proc/proc1975/proc_1374_1975.html (バロン・フィリピーノ週間の期間と目的について。布告の原文)
- Collectors Weekly「An Interview with Aloha Shirt Author and Scholar Linda Arthur」。https://www.collectorsweekly.com/articles/an-interview-with-aloha-shirt-author-and-scholar-linda-arthur/ (アロハシャツのすそ出しとバロンタガログについて。インタビュー)
- Mental Floss「A Brief History of the Hawaiian Shirt」。https://www.mentalfloss.com/article/66921/brief-history-hawaiian-shirt (フィリピン系の人びとが持ち込んだすそ出しのシャツについて。二次資料)
なおした ところ
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