このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ダッコちゃんという にんぎょうを、どうして みんな うでに つけて いたの?

ダッコちゃんは、どうして腕につけて歩くものになったのか

半年で約240万個、創業者は「偶然」と語った:ダッコちゃんが玩具から街の装身具になった経緯

分野:歴史・文化

1960年に 売り出された、空気で ふくらむ 黒い 人形が、はんとしで 240万こも 売れた、と いわれます[1]。

この 人形を 作った 会社を はじめた 人は、「あれは まったくの ぐうぜんの ヒット」と はなして います[2]。ぐうぜんなのに、どうして そんなに 売れたのでしょう。うでに だきつかせられる かたちの 人形が、テレビに ぐうぜん うつり、それを 見た 女の 人たちが 町で うでに ぶらさげて 歩く ように なった、と いわれます[3]。この メモを 読むと、人形が おもちゃから 「うでに つける もの」に なって いく ようすが わかります。

1960年に売り出された空気入りの黒いビニール人形「ダッコちゃん」は、約半年で正規品が240万個売れたと伝えられています[1]。ところが、作った会社を起こした人は、これを「まったくの偶然のヒット商品」と語っています[2]。偶然だったのなら、人形のどこが人々をつかんだのでしょうか。腕に抱きつかせられる形の人形が偶然テレビに映り、それをきっかけに若い女性たちが街で腕にぶら下げて歩くようになった、と伝えられています[3]。

この記事を読むと、偶然のテレビ映像、腕にぶら下げるという使い方、品切れや偽物まで出た町の熱気、そしてその後の会社の変化が分かります。

1960年(昭和35年)に宝ビニール工業所が180円で売り出した空気入りビニール人形「ダッコちゃん」(正式名はウィンキー)は、約半年で正規品が240万個売れたとされる[1]。定価180円に240万個をかけると約4億3千万円だが、これは定価で単純に計算した目安であり、会社の実際の売上ではない。ところが創業者の佐藤安太は、このヒットを「まったくの偶然のヒット商品」と語った[2]。何が偶然で、何が偶然ではなかったのか。資料が引き金とするのは、腕に抱きつかせられる形の人形が偶然テレビに映り、若い女性たちが街で腕にぶら下げて歩き始めたことである[3]。

この記事では、人形の形、テレビでの偶然の露出、街での使われ方、品切れと偽物、その後の会社の変化を複数の資料で比べ、人形が「おもちゃ」から「身につけるもの」に変わった経緯と、資料から言える範囲が分かる。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. はんとしで 240万こ 売れた 人形を、作った 人は「ぐうぜん」と いった?

1. 半年で約240万個売れた人形を、作った人は「偶然」と呼んだ

1. 半年で約240万個売れた人形は、なぜ「偶然のヒット」と呼ばれたのか

240万こと いう 数は、どれくらい でしょう。はんとしを 180日と すると、1日に 1万3千こ ほど 売れた ことに なります。1日も 休まずに、毎日です。

これは 作った 会社が はっきり 数えた 数では なく、はんとしで 240万こと いわれて いる 数から 計算した、おおよその 数です[1]。

それだけ たくさん 売れた、と いわれて います。なのに、会社を はじめた 人は、「ダッコちゃんと いう 名まえに なった ことさえ しらなかった」と はなして います[2]。

どんな 人形だったのでしょう。

半年で約240万個を、1日にならすと、1日1万3千個ほどです(半年を約180日として計算した大まかな値です)。休日もなく、毎日それだけの人形が、どこかの手に渡っていたことになります。

ダッコちゃんは、1960年(昭和35年)に宝ビニール工業所から180円で売り出された、空気でふくらませるビニール人形です。「ダッコちゃん」は愛称で、正式な名前はウィンキーでした[1]。発売から約半年の正規品が240万個、累計では600万個とする資料もあります[1]。

作った会社を起こした佐藤安太は、「あれはまったくの偶然のヒット商品です。そもそも私は『ダッコちゃん』という名前になったことすら知らなかった」と語っています[2]。愛称がいつ、どう付いたのかは、資料によって書き方が分かれています。

では、売る側が狙ったわけではなかったとして、この人形は、もともとどんな形で、何のために作られたのでしょうか。

半年約240万個を1日あたりに直すと、半年を約180日として1日約1万3千個になる。1960年(昭和35年)に宝ビニール工業所が180円で売り出したこの人形は、愛称が「ダッコちゃん」、正式名がウィンキーである[1]。240万個は「発売から半年間の正規品」の数で、累計は600万個とする資料がある[1]。600÷240で、累計は半年の数の2.5倍にあたる。

注意したいのは、数字の種類が混ざりやすいことだ。240万個(半年・正規品)と600万個(累計)は、数える範囲も時期もちがう。一つの数字を別の数字に置きかえて読んではいけない。

創業者の佐藤安太は「あれはまったくの偶然のヒット商品です。そもそも私は『ダッコちゃん』という名前になったことすら知らなかった」と述べている[2]。愛称の由来は資料により表現が異なり、本記事では断定しない。では、偶然のヒットだったとしても、そもそもこの人形はどんな形で、何のために作られたのか。

2. 黒くて りょう手りょう足が わに なった 人形は、どんな 形だったの?

2. 腕に抱きつく黒い人形は、もともと何のために作られたのか

2. 両手足が輪の形をした人形は、何を意図して作られたのか

ダッコちゃんは、空気を いれて ふくらませる 人形です。ねだんは 180円でした[1]。

体は 黒くて、りょう手と りょう足が わに なって います。木に しがみつく コアラの ようです。この わを うでに ぴたっと かけると、人形が だきついた ように なります[1]。

はじめは、へやの かざりに する つもりで 作られた、と いう 話も あります。ビニールは ゴムより かるくて じょうぶで、色も つけやすい 新しい ざいりょうでした[3]。

この 「うでに だきつく」 形が、あとで 大きな ヒントに なります。でも、それを 見つけたのは 作った 人たちでは ありませんでした。

人形は黒い人の形で、両手足が輪の形をしています。コアラが木にしがみつくようなポーズで、腕などに抱きつかせて持ち歩くことができました[1]。

作った会社は、下請けの仕事から抜け出して、自分たちの商品を作ろうとしていました。そのために企画の部署(タカラ企画)をつくり、浮き輪やビーチボールのほか、新しい商品を試していたそうです。ダッコちゃんもその流れで生まれました[4]。

一つの資料には、最初は部屋の飾りとして考えられた、という話もあります。ビニールはゴムより軽く、丈夫で、色もつけやすい新しい素材でした[3]。ただし、飾りのつもりだったという話は、この一つの資料だけです。

つまり、腕に抱きつく形は、ヒットを予想して選ばれたと決まったわけではありません。形が先にあって、使い方は後から人々が見つけたようです。その「見つかった瞬間」は、どんな場面だったのでしょうか。

人形は黒い人型で、両手足が輪状になっており、コアラが木にしがみつくポーズに似ている。そのため、腕などに抱きつかせて持ち歩けた[1]。

製造元の背景として、電撃オンラインの社史記事は、創業者の佐藤安太が下請け製造から抜け出してオリジナル商品を出そうと企画部門(タカラ企画)をつくり、浮き輪やビーチボールのほか新しい商品を試していたと伝える。ダッコちゃんはその流れの中の一つだ[4]。

素材はビニールで、ゴムに比べて軽く、耐久性があり、染めやすい。東洋経済オンラインの記事は、当初は室内のインテリアのつもりで企画されたと紹介する[3]。この意図は一つの資料にしか見えないため、「そうだった」と言いきらず、「そう紹介されている」にとどめる。

確かなのは、形が「腕に抱きつかせられる」ものだったという点である。ただ、その形がヒットの引き金だったかどうかは別の問いで、形だけでは説明できない。引き金とされるのは、テレビの映像である。

3. テレビに うつった 「うでの 人形」で、なにが かわったの?

3. 相撲中継のカメラが、観客の腕の人形を映した

3. 偶然のテレビ放映と、若い女性たちの使い方が果たした役割

作った 人の 話では、すもうの テレビで、おきゃくさんの うでに ついた ダッコちゃんが 大きく うつった そうです[2]。

これを 見た 人たちが、「あれは なんだ」と、きに なりました。ほかの 本や きじも、テレビで ぐうぜん 取りあげられた ことが きっかけで、町で 女の 人たちが うでに ぶらさげて 歩く ように なり、ブームに なったと 書いて います[3]。

ここが おもしろい ところです。おもちゃなのに、わかい 女の 人が、おしゃれの ように 身に つけて 町を 歩いたのです。

おもちゃの 売り場から、町の 道へ。人形の いる ところが かわりました。

きっかけは、創業者の回想によれば、相撲中継でした。観客の腕についたダッコちゃんをテレビカメラが大写しにして放映し、一気に注目されたといいます[2]。

別の資料も、人形が偶然テレビで取り上げられたことをきっかけに、街で女性たちが腕にぶら下げて歩くようになり、ブームに火がついたと書いています[3]。若い女性が、ファッションとして身につけたといわれます。なお、相撲中継の場面は創業者側の回想で、ほかの資料はテレビでの露出を「偶然」とだけ記しています。

ここにこの話の一番のおもしろさがあります。ダッコちゃんは子どもに売る玩具として作られましたが、広まったのは「おもちゃ売り場」ではなく、「腕にぶら下げて歩く」という使い方を通してでした。玩具が、見せて歩く物になったのです。

では、そんなふうに人気が広がると、お店や町には何が起きたのでしょうか。

創業者の回想では、相撲中継のテレビカメラが観客の腕についたダッコちゃんを大写しにして放映し、一気に注目された[2]。別の資料は、偶然テレビで取り上げられたことがきっかけで、若い女性が街で腕にぶら下げて歩き、ファッションとして身につけたと説明している[3]。

ただし、相撲中継の場面は創業者側の回想である。他の資料は露出を「偶然」とのみ記すため、本記事では「相撲中継」という具体は創業者の語りとして扱う。また、東洋経済オンラインの該当部分は、英語の要約を経て確認した内容であり、原文の言い回しそのものではない[3]。

ここで注目するのは使い方である。人形は腕に抱きつかせられる形で、「手に持つ」でなく「腕にぶら下げる」使い方が街に広まった。ただし、形が理由だったかどうかは言いきれない。

では、テレビと街の使い方でひろがった人気は、売り場にどんな現象を起こしたのか。

4. 品切れが つづいて、にせものまで 出たのは なぜ?

4. 売り場は品切れが続き、にせものまで出回った

4. 売り場で品切れが続き、模倣品まで出回った:需要に供給が追いつかない状態

デパートや おもちゃの 店では、いつも 売り切れだった そうです[1]。ねだんも、きまりの ねだんの 何ばいにも あがった、と いわれます。

ほしい 人が たくさん いて、店には ものが ない。すると、まねして 作った にせものも 出まわった、と いわれます。

ブームの 大きさは、売り場の ようすからも わかります。人形は、おもちゃの 売り場だけで なく、町の 人たちの うでの 上でも 見られる ように なりました。

デパートや玩具店では、品切れが続いたといわれます[1]。値段も定価の何倍にも上がったとされています。

欲しい人が多いのに、店に品物がありません。そこに、まねして作られた偽物も出回ったといわれます。

ここで数字の種類を整理しておきます。240万個は発売から約半年の正規品、600万個は累計です。600÷240で、累計は半年の数の2.5倍になります。数える範囲も時期もちがうので、一つの数字を別の数字の代わりに読まないようにしましょう。

これだけ大きなブームを作った会社は、その後どうなったのでしょうか。

デパートや玩具店では常に在庫切れ、価格も定価の何倍にもなったとされる[1]。需要に供給が追いつかない状態で、模倣品も出回ったといわれる。

ここで数字の種類を整理しておく。240万個は発売から半年間の正規品、600万個は累計で、600÷240により累計は半年の数の2.5倍にあたる。数える範囲も時期もちがうため、一つの数字を別の数字に置きかえて読んではいけない。

資料から言えるのは、強い需要と品不足、そして模倣品の流通が話題になった、という点である。では、この大きな需要は、作った会社の側に何を残したのか。

5. ブームの あと、会社は どう かわったの?

5. ブームのあと、会社はテレビの力を使うようになった

5. ヒット後に会社は社名を変え、テレビCMを使い始めた:そして人形は復活した

ヒットの 年に、会社は 「宝たからビニール工業所」と いう 名まえに かわりました。会社の マークや 本社の 屋上にも、しばらく ダッコちゃんが かざられた そうです[4]。1966年には、「タカラ」と いう 名まえに かえました。

この ヒットで、会社は テレビの ちからを 知った、と いわれます。つぎに 売り出した 「リカちゃん」では、おもちゃとして はじめての テレビコマーシャルを 行った、と しょうかいされて います[2]。

ダッコちゃんは、1988年に 売るのを いったん やめました。黒い 人形の えがき方が、人の 肌はだの 色や 見た目を ばかにして いるように 見える、と 考える 人が いたからです。2001年に、人を たいせつに する 新しい デザインで、色も ふやして もどって きました[1]。

ヒットの年に、会社は「株式会社宝ビニール工業所」に改組されました。ダッコちゃんのマークは、会社のロゴや本社の屋上にしばらく掲げられたそうです[4]。1966年には株式会社タカラに社名を変えました。

この経験は、次の商品にもつながったといわれます。次に売り出された「リカちゃん」では、玩具業界で初めてテレビコマーシャルを大きく使ったとされています[2]。偶然にテレビに映って広まったダッコちゃんから、テレビの力を自分から使う売り方へ、という流れです。「業界初」というのは、一つの資料の表現です。

ダッコちゃんそのものは、黒い人形の描き方が人種差別にあたるという批判を受け、1988年に製造と販売が止まりました。2001年には、人権に配慮した新しいデザインで、色も増やして復活しています[1]。当時と、のちの時代とでは、このデザインの受け止め方が変わったのです。

ブームの舞台裏はここまでです。最後に、この話を自分のまわりで確かめる方法を考えます。

ヒットの年に、会社は「株式会社宝ビニール工業所」に改組され、ダッコちゃんのマークがロゴや本社屋上にしばらく掲げられた。1966年には株式会社タカラに社名を変えている[4]。会社にとって、偶然のヒットが看板になるほどの存在だったことがうかがえる。

この経験は、次の商品にも生きたといわれる。PRESIDENT Onlineは、リカちゃんの開発時に、マスメディアの力を活かして玩具業界で初めてのテレビコマーシャル展開を行ったと紹介する[2]。「業界初」は一つの資料の表現なので、ここでは「といわれる」の強さで受け取る。偶然のテレビ露出から、テレビを自分から使う売り方へ、という流れとして読める。

一方、ダッコちゃん自身は、黒い人形の描き方が人種差別にあたるという批判を受け、1988年に製造販売が止まった。その後、2001年に人権に配慮した新デザインで、色も増やして復活している[1]。流行した当時の見方と、のちの見方がちがうことは、昔の商品の記録を読むときの一つの注意点である。

ここまでを整理すると、偶然のテレビ映像と、腕にぶら下げる使い方が重なって広まり、その経験が会社の売り方を変えた、という流れになる。では、この流れを自分の周りで観察するには、どうすればよいか。

6. おもちゃなのに 身に つけて いる ものは、おうちに ある?

6. 「おもちゃなのに身につけるもの」を、身のまわりで探してみる

6. 使い方が変わる瞬間を、身のまわりで観察する

おうちの 中や、かばんに ついて いる ものを 見て みましょう。

キーホルダーや、小さな マスコットは ありますか。もともと おもちゃとして 売られて いたのに、かばんや ふでばこに つけて、外に もち出して いる ものが あるかも しれません。

ある ものを 見つけたら、「だれが」「どこに つけて いる」かを 見て みましょう。ダッコちゃんも、まず 「うでに つける」と いう 使い方が 見つかって、町に ひろがりました。

おうちの 人に 「ダッコちゃんを 知って いる?」と きいて みるのも、おもしろいかも しれません。

家の中やかばんを見て、「おもちゃとして売られていたのに、身につけたり持ち歩いたりしているもの」を探してみてください。キーホルダー、かばんにつけた小さなマスコット、ふでばこにぶら下げた人形などが、見つかるかもしれません。

見つけたら、それが「誰の」「どこにつけて」「どんな場面で」使われているかを書き出します。そうすると、物の使い方が、作った人の考えとは別のところで決まっていくことに気づくかもしれません。ダッコちゃんは、腕にぶら下げる使い方が街で広まり、おもちゃが身につける物へと変わったと伝えられる例です。

もう一つ、家の人に「ダッコちゃんを知っている?」と聞いてみるのも手です。当時を知る人なら、ブームの記憶を話してくれるかもしれません。

身のまわりで、本来は玩具として売られていたのに、衣服やかばんに取りつけて持ち歩かれている物を探し、誰が、どこに、どんな場面で使っているかを書き出してみる。ダッコちゃんの例は、製造側の想定(一資料では室内の飾り)と、街での実際の使い方(腕にぶら下げる)がずれた例として読める。身のまわりの物でも、メーカーの想定と実際の使い方がずれている例が見つかるかもしれない。

資料を読むなら、J-PRIME(タカラトミー広報の話を含む記事)は商品の基本情報を、PRESIDENT Onlineはタカラトミー社長の記事として創業者の「偶然」の語りを、電撃オンラインは社史の流れを知るのに向いている。いずれも二次資料なので、会社の公式な沿革や当時の新聞・雑誌で、数字や年号を確かめたくなる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

数字・年号は下の資料にある内容をまとめたものです。1日あたりの個数と約4億3千万円は、資料の数字から自分で計算した大まかな目安です。

  1. J-PRIME 記事(タカラトミー広報の話を含む) https://www.jprime.jp/articles/-/5843 (発売年・価格・形・販売数・品切れ・復活)
  2. PRESIDENT Online(タカラトミー社長の記事) https://president.jp/articles/-/1101 (創業者の「偶然」の語り・相撲中継・リカちゃん)
  3. 東洋経済オンライン https://toyokeizai.net/articles/-/7752 (テレビでの偶然の露出・街での使われ方・素材)
  4. 電撃オンライン(タカラの歴史) https://dengekionline.com/article/202409/11313 (会社の背景・改組・ロゴ)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。