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プリクラは どうして みんなが とりたがったの?

プリクラはなぜ高校生に広まったのか ── 持ち帰れるシールと、友だちとの交換

プリント倶楽部(1995年〜)が女子高校生に広まった道すじ ── 持ち帰れるシールと交換の文化

分野:歴史・文化

ゲームショーに プリクラの しさくきが でた とき、コンパニオンの おんなの ひとたちが ならんだ と つたえられて います[2]。ゲームでは ないのに、どうして ならんだのでしょう。

この きじを よむと、プリクラが 「もちかえれる シール」から はじまった ことと、シールを ともだちと こうかんする あそびが ひろがった わけが わかります。

1995年に発売されたプリクラは、2年ほどで累計およそ22,000台が出荷されました[1]。ゲーム機なのに、遊ぶ目的は「シールを持ち帰ること」でした。開発した人たちの話では、試作機をゲームショーに出したとき、コンパニオンの女性たちが列を作ったと伝えられています[2]。

なぜ、シールの機械が高校生を中心に広まったのでしょうか。この記事を読むと、「持ち帰れるもの」という発想、シール交換の遊び方、友だちと撮る時間、そして「盛れる」写りの流行が分かります。

プリント倶楽部は、1995年7月25日にセガとアトラスから発売された第1号機で、1997年6月末には累計出荷台数が約22,000台に達した。ただし、これは出荷の数であり、設置台数や利用者数ではない[1]。開発側の証言では、試作機をゲームショーに出した際にコンパニオンの女性たちが列をなしたとされる[2]。

ゲーム機が、なぜ女子高校生を中心に定着したのか。この記事を読むと、「持ち帰れるシール」の発想、交換という遊び方、一緒に撮る行為の意味、写りの流行を、メーカーの資料と研究論文の範囲で区別しながら分かる。

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1. 300えんで、なにを もちかえれるの?

1. 300円払って、持ち帰れるものがほしい

1. 発想の出発点 ── ビデオプリンターと「持って帰れるもの」

ふつうの ゲームは、あそびおわると がめんが きえます。プリクラを かいはつした ひとは、「300えんを はらうなら、かならず もちかえれる ものが あるほうが きもちが ちがう」と かんがえた そうです[2]。

ヒントは、ビデオプリンターと いう きかいでした。がめんの えを、かみに うつせる きかいです。

もちかえれるのは、どんな ものが いいのでしょう。

ふつうのゲームは、遊び終わると画面が消えます。プリクラの開発に関わった人は、あるインタビューで、「1回300円を払うなら、必ず持って帰れるものがあるほうが気持ちがちがう」と考えたそうです[2]。

開発に関わった人のインタビューでは、アトラスで見たビデオプリンターがきっかけとして語られています。画面の映像を紙に出す機械です[2]。誰が最初に言い出したのかは、資料によって話が分かれるため、ここでは「アトラスとセガが組んで作った」とだけ書いておきます。

持ち帰れるものが「自分たちの写真のシール」だったことが、このあとの広まり方を決めていきます。

プリントシール機の第1号機は、1995年7月25日にセガ/アトラスから発売された「プリント倶楽部」で、愛称がプリクラである[1]。開発に関わった人のインタビューによれば、着想の源は1987年にアトラスで目にしたビデオプリンターで、開発側が「1回300円払ってでも必ず持って帰れるものがあると気持ちが違う」と考えたことが、シールという形につながったという[2]。

ただし、この証言は1つのインタビューによるもので、「誰が最初に発案したか」は資料により説が分かれる。ここでは発案者を特定せず、アトラスとセガの共同開発として扱う。また、300円は開発者の言葉に出る金額であり、当時の公式価格を確かめたものではない。

では、その機械は、実際にはどんな姿で現れたのか。

2. はじめの きかいは、どんな ものだった?

2. 最初のプリクラは、フレームを選ぶだけだった

2. 初代機の単純さ ── 補正も落書きもない機械が受けた理由

はじめの プリクラは、いまの ものとは ちがいます。らくがきも、きれいに うつる ほせいも ありません。できるのは、フレームを えらぶ ことだけでした[4]。

でも、ちいさくて、じどうはんばいきの ように いろいろな ところに おけました[4]。ゲームショーでは、コンパニオンの ひとたちが ならんだ と いわれます[2]。

この きかいは、ゲームセンター いがいにも ひろがれたの でしょうか。

初代の機械は、今のものとはずいぶんちがいます。落書きも、きれいに写る補正の機能もなく、できるのはフレームを選ぶことだけでした[4]。

それでも、試作機をゲームショーに出したとき、コンパニオンの女性たちが列をなしたと伝えられています[2]。なぜ並んだのか、理由までは資料に書かれていません。ただ、写真が小さなシールになって、その場で手に入ることは、当時としては目新しかったと考えられます。

もう1つの追い風は大きさです。小型で、自動販売機のようにどこにでも置けました[4]。置く場所が広がれば、見かける人も増えます。

では、置かれた機械の前に、高校生はどうして集まったのでしょうか。

初代機には落書きや補正の機能がなく、施せるのはフレームの選択のみだった。小型で、自動販売機のようにどこにでも設置できた点も、追い風になったとされる[4]。つまり、広まった要因を機械の高機能さに求めることはできない。

試作機をゲームショーに出した際、コンパニオンの女性たちが列をなしたという話もある[2]。ただし、これは開発側の証言で、列の理由までは述べられていない。写真が小さなシールとしてその場で手に入る体験自体が新しかった、と推測することはできるが、推測であり資料の主張ではない。

では、置き場所の広がった機械は、どのようにして女子高校生の手に届いたのか。

3. こうこうせいは、どうして しったの?

3. 高校生に、プリクラはどう広まったのか

3. 認知の広がり ── テレビ番組の企画と出荷台数の読み方

はじめは、ゲームセンターに おかれて いました。そのあと、こうこうせいを ちゅうしんに だいヒットしました。テレビや ざっしでも しょうかい されました[3]。

1995ねんには、テレビの ばんぐみで、プレゼントの きかくが ありました。すると、せっちばしょを たずねる でんわが たくさん きて、かいせんが パンクした と つたえられて います[2]。

でも、これは ひとつの はなしです。ほんとうに それが ひろがった ぜんぶの わけかは、いえません。

ひろまった あと、みんなは シールを どう したのでしょう。

プリクラは、はじめはアミューズメント施設に置かれていました。その後、女子高校生を中心に大ヒットしたと説明されています。テレビや雑誌でも紹介されました[3]。

開発側の話には、こんな場面も出てきます。発売の1995年、テレビ番組のプレゼント企画をきっかけに、全国の女子高校生から「どこにあるのか」という問い合わせが殺到し、電話回線がパンクしたというのです[2]。ただ、これは1つのインタビューによる話なので、「テレビのせいで流行した」と言い切ることはできません。

数字では、1997年6月末までの累計出荷台数がおよそ22,000台でした[1]。ただし、これは出荷の数です。何人が撮ったのか、何台が動いていたのかを表す数字ではありません。

機械は広まりました。それなら、撮ったあとのシールは、どう使われたのでしょうか。

プリクラは当初アミューズメント施設に置かれていたが、その後、女子高校生を中心に大ヒットしたと説明される。テレビや雑誌でも紹介された[3]。開発側の証言では、発売の1995年にテレビ番組でプレゼント企画が放送されて人気に火がつき、設置場所を尋ねる電話が殺到して回線がパンクしたとされる[2]。

ところが、この話は1つのインタビューにしか根拠がなく、「テレビが流行を作った」という因果は言い切れない。複数のメディアでの紹介が重なったという説明のほうが、資料の範囲に収まる。

規模の目安として、1997年6月末の累計出荷台数は約22,000台である[1]。しかし、出荷台数から利用者の数や、台あたりの利用回数を割り出すことはできない。

機械が全国に出回ったとして、次の問いは、撮ったシールがどう使われたかである。

4. シールは、どうして こうかん されたの?

4. シールを切り分けて、友だちに配る遊びが生まれた

4. 交換という遊び方 ── プリ帳と「友人であることの証」

はじめの ころの たのしみ かたは、ゲームセンターで とった シールを、ハサミで きって ともだちと わける ことでした[5]。

てちょうや ノートに シールを はる「プリちょう」づくりや、シールの こうかんも、あそびに なりました。メーカーは、こうこうせいの コミュニケーションの ひつような ものに なった と のべて います[1]。

ある けんきゅうでは、シールを たくさん もって いる ことは、ともだちが おおい めやすに なる と せつめい して います[6]。

では、いっしょに とる じかんは、どんな ものなのでしょう。

初期の楽しみ方は、ゲームセンターで撮ったシールをハサミで切り分けて、友だちとシェアするものでした[5]。手帳やノートにシールを貼る「プリ帳」づくりや、シール交換も定着し、メーカーのフリューは、女子高校生にとって欠かせないコミュニケーションの道具になったと述べています[1]。これはメーカー自身の見方で、社会調査の結果ではありません。

では、研究者はどう見たのでしょうか。2014年の鹿児島大学の論文は、先行研究(栗田1999)を紹介しています。シールは交換でき、流通するため、コミュニケーションの道具になる。そして、持っているシールの枚数は友だちの多さをはかる目安、つまり「友人であることの証」になる、という考え方です[6]。

ただし、この論文では、インターネットや携帯電話が広がったことで、シールの必要性は下がったと考察されています[6]。今は、データで共有してSNSに投稿するのが主流になりました[5]。

シールを交換する相手は、そもそも誰と撮っているのでしょうか。

初期の楽しみ方は、ゲームセンターで撮ったプリントシールをハサミで切り分けて共有するものだった[5]。フリューは、1990年代末ごろには「プリ帳」作りやシール交換といった遊び方が定着し、女子高校生の必須のコミュニケーションアイテムとしての地位を確立したと説明する[1]。ただし、これはメーカー自身の見方であり、社会調査の結果ではない。

では、研究者はどう説明するのか。烏山・齋藤(2014)は、先行研究の栗田(1999)を紹介し、シールは交換でき流通するためコミュニケーションの道具となり、保有枚数が友人の多さをはかる目安、つまり「友人であることの証」になると整理する[6]。この部分は論文自身の調査結果ではなく、先行研究の理論である。

しかし、同論文は、インターネットや携帯電話の普及がプリクラシールの必要性を低下させているとも考察している[6]。現在はデータ共有とSNS投稿が主流になった[5]。

交換の前に、そもそも誰と撮っていたのか。そこに、研究の調査が答える。

5. だれと とって、なにを はなして いるの?

5. 友だちと撮ると、どんな会話が生まれたのか

5. 利用実態の一例 ── 鹿児島の質問紙調査(2014年)が示す範囲

かごしまだいがくの ひとたちが、こうこうせいや だいがくせいに アンケートを して、2014ねんに ろんぶんに まとめました。ここでの じょせいは 48にんです[6]。

こうこうの ころ、いちばん おおく いっしょに とった あいては、ともだちが 47にんでした[6]。

また、やく7わりの ひとが、とる ときに ポーズなどを はなし、とる ことで なかが ふかまった と こたえました[6]。

プリクラを とる ことは、あそびで あり、おしゃべりの ときでも あったようです。

鹿児島大学の研究者たちが、高校生・大学生を対象にアンケートをして、2014年の論文にまとめています。女子の回答者は48人でした[6]。

女子の回答では、高校時代にプリクラを一番多く一緒に撮った相手は、友人が47人(98%)、恋人が1人でした[6]。頻度は「月に1回程度」が21人(44%)で最も多く、「2週間に1回程度」が13人(27%)です。毎日のように撮っていた、という数字ではありません。

撮るときのようすも尋ねています。ポーズやフレーム、背景について、約7割が「かなり話す」「まあ話す」と答えました。約7割が、撮ることで相手との親睦が深まったとも答えています。論文は、女子の方が積極的な理由を「人との繋がり」にあると考察しています[6]。

ただし、回答したのは鹿児島の限られた学生たちで、1990年代当時の調査でもありません。全国の傾向とはいえない一例として読みます。

では、撮るときに「どんな写り」を求めたのでしょうか。

烏山・齋藤(2014)は、高校生・大学生を対象にした質問紙調査で、利用の実態を調べた。女子の回答者は48人で、高校時代にプリクラを一番多く一緒に撮った相手は友人が47人(98%)、恋人が1人だった[6]。頻度は、「月に1回程度」が21人(44%)で最多、「2週間に1回程度」が13人(27%)であり、「毎日撮っていた」のような誇張はできない。

撮影時の会話については、ポーズ・フレーム・背景の話を約7割が「かなり話す」「まあ話す」と答え、約7割が撮影で相手との親睦が深まったと答えた。論文は、女子がプリクラを好むのは人とのつながりにあると「考えられる」と考察する[6]。これは考察であり、因果の証明ではない。

この結果の読み方には限界がある。回答者は鹿児島の特定集団で、少人数であり、1990年代当時ではなく後年の調査である。流行した理由の直接の証拠ではなく、友人と撮り、親睦が深まると感じられた利用実態の一例として扱うのが妥当だろう。

では、そうして撮る写りは、何を目指して変わっていったのか。

6. プリクラの たのしみ かたは、どう かわったの?

6. プリクラの楽しみ方は、どう変わったのか

6. 写りの流行の変遷 ── 全身から美白、デカ目、ナチュラルへ

1998ねんごろには、からだ ぜんぶが うつる「ぜんしんプリ」が、こうこうせいを ちゅうしんに はやりました。1999ねんには、しろく きれいに うつる きしゅが「もれる」と いわれて わだいに なりました[1]。

そのあと、えを かいたり もじを かいたり できる きしゅが でて、めを おおきく みせる きしゅも でました。のちには、しぜんな うつりが でて きました[3]。

メーカーは、じぶんが すきに なれる、じぶんらしさを だせる、ともだちと つながれる、この 3つを みたす しくみだから、ながく あいされた と かんがえて います[1]。

1998年ごろには、全身が写る「全身プリ」が女子高校生を中心に大流行しました。1999年には、美白のブームに乗った機種が「盛れる」と話題になってヒットしています[1]。

2000年代には、ペンタブレットで写真に文字や絵を書き込める機種が出て、人気が加速しました。2006年以降は目の大きさを強調する機種が登場し、2007年にはフリューの「美人-プレミアム-」が流行しました。のちに、ナチュラルな写りへ移っていきます[3]。

メーカーは、長く続いた理由を、若い人の自己肯定感・自己表現欲・「繋がりたい欲」を満たす仕掛けだからと考えています。盛れた写り、落書きやポーズで表す自分らしさ、シールを共有して生まれる「ウチら感」がその中身です[1]。これもメーカー自身の説明です。

機械の機能は変わり続けました。友だちと撮り、持ち帰り、見せ合う流れは、初期から続いているようです。

フリューが参入した1998年には全身が写る「全身プリ」が女子高校生を中心に大流行し、1999年には美白ブームに乗った機種が「盛れる」と話題になった[1]。2000年代には、写真に文字や絵を書き込める機種が登場した。2006年以降は目を大きく見せる機種が出て、2007年には「美人-プレミアム-」が流行した。のちにナチュラルな写りへ移った[3]。「美人」はフリューの機種名(商標)である。

長く続いた理由について、フリューは、プリントシール機が若年層の「自己肯定感・自己表現欲・繋がりたい欲」を満たせるからだと説明し、盛れた写り、落書きやポーズで表現する自分らしさ、シール・画像の共有で生まれる「ウチら感」を挙げる[1]。ただし、これは製造側の見方であり、研究者の結論ではない。

機能の変遷と、章4・5で見た交換・親睦の話を重ねると、変わったのは写りの好みで、友だちと撮り、持ち帰って見せ合う構造は残った、と読める。ただしこれは複数の資料を並べた読みで、因果関係を証明したものではない。

じぶんでも しらべて みたく なったら

自分でも調べてみたくなったら

自分でも調べてみたくなったら

今日できること

おうちの ひとに、むかし しゃしんや シールを ともだちと こうかんした ことが あるか、きいて みましょう。なにを こうかん したのか、どうして こうかん したのか、はなして もらうと おもしろいです。

出かけてできること

おうちの ひとと いっしょに、おみせの ひとに ひとこと ことわって、つかう ひとの じゃまに ならない ところから、プリントシールきの とる まえの がめんを 見て みましょう。うつりの しゅるいに、どんな なまえが ついて いるか、見るだけで かまいません。

おうちに あるもので

おうちの ひとに、むかしの プリクラの しゃしんや シールが のこって いるか、きいて みましょう。のこって いたら、どんな うつりか、見くらべて みましょう。

今日できること

家の人に、昔、写真やシールを友だちと交換したことがあるか聞いてみましょう。何を、どうして交換したのかを話してもらうと、この記事の「交換」の話と比べられます。

出かけてできること

家の人と一緒に、お店の人にひとこと断り、使う人のじゃまにならない所から、プリントシール機の撮る前の画面を見てみましょう。写りの種類にどんな名前がついているか、見るだけでかまいません。名前の移り変わりが、流行の違いの手がかりになります。

公式情報

フリューのウェブサイトに、プリントシール機30周年のお知らせ(プレスリリース)が載っています。年ごとの流行が一覧になっています。

参考にした資料

鹿児島大学の論文は、大学のリポジトリで読めます。調査のやり方を知ると、結果をどう読めばよいかが分かります。

今日できること

家の人に、写真やシールを友だちと交換した経験を聞いてみる。何を、どんな場面で交換したのかを聞き取ると、この記事の「交換」の議論と比べられる。

出かけてできること

店の人に断ったうえで、使う人のじゃまにならない所から、プリントシール機の撮影前の画面を家の人と見て、写りの種類の名前を書き留める。名前から、何を目指した機能かを推測してみる。

公式情報

フリューとセガ フェイブのプレスリリース(2025年7月25日)は、30年の流行を年ごとに載せている。烏山・齋藤(2014)は、質問紙のどの項目が、この記事のどの数字になったかを照らし合わせるとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

メーカーの発表と開発者の談話、研究論文を並べた。数字は、各資料に書かれた範囲だけを使った。開発者の談話は、取得した要約をもとに、強い言い方を避けて使った。

  1. フリュー/セガ フェイブ プレスリリース(2025-07-25) https://www.puri.furyu.jp/wp-content/uploads/2025/07/FIX_0725_puri_30th.pdf (発売日・出荷台数・プリ帳・写りの流行・メーカーの見方)
  2. Yahoo!ニュース特集 開発者インタビュー https://news.yahoo.co.jp/feature/1189/ (開発のきっかけ・試作機の反応・テレビ番組の話)
  3. Web Japan: Purikura Photo Booths https://web-japan.org/trends/11_culture/pop120216.html (広まり方・機能の移り変わり)
  4. WWD JAPAN プリ30周年記事 https://www.wwdjapan.com/?p=2404126 (初代機の機能・大きさ)
  5. Precious プリクラ記事 https://precious.jp/articles/-/6306 (切り分けて共有する遊び方・現在のSNS共有)
  6. 烏山・齋藤「若者のプリント倶楽部(プリクラ)に対する意識」鹿児島大学教育学部研究紀要23(2014) https://ir.kagoshima-u.ac.jp/record/5693/files/p83-94_BELP23.pdf (交換・友人の証・撮影の実態調査)

なおした ところ

更新履歴

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