1. 母の日の はなしを きいて、なにを おもったの?
1. 母の日の説教を聞いた人は、何を思ったのか
1. 1909年のスポケーン ── 母の日の説教から生まれた発想
1909ねん、アメリカの スポケーンという まちの きょうかいで、ソノラという 女の人が、おはなしを きいて いました。母の日に ついての おはなしです[2]。
そのとき、ソノラは こう おもったと つたえられて います。「母の日が あるなら、父の日も あって いいのでは ないかしら」。
ソノラの おとうさんは、おくさんを なくしたあと、1人で 6人の こどもを そだてました。ソノラは、その おとうさんに「ありがとう」を つたえる 日が ほしかったのです[1]。
では、その日は、いつに したのでしょう。
1909年、アメリカ・ワシントン州のスポケーンにある教会で、ソノラ・スマート・ドッドは母の日についての説教を聞いていました[1]。母の日があるなら、父の日があってもいいのではないか。日本語の資料は、このときの思いをそう伝えています[2]。
ソノラの父、ウィリアム・ジャクソン・スマートは、南北戦争に出た元兵士でした。妻を亡くしたあと、男手ひとつで6人の子どもを育てたと伝えられています[1]。ソノラが父の日を提唱したのは、その父に感謝するためでした。
思いつきを口にするだけなら簡単です。けれどソノラは、実際に日を決め、催しにするところまで動きました。最初に決めようとした日付は、父の誕生日でした。
1909年、ワシントン州スポケーンの教会で、ソノラ・スマート・ドッド(日本語資料では「ドット」表記もある)は母の日の説教を聞いた。母の日があるなら父の日もあるべきだ、という考えが、ここから生まれたと日本語資料は伝える[2]。
念頭にあったのは、自分の父ウィリアム・ジャクソン・スマートである。南北戦争の退役軍人で、妻を亡くしたあと、男手ひとつで6人の子を育てた。提唱の動機は、この父への感謝だったとされる[1]。
ここで注目したいのは、父の日が最初から「父親一般」の日というより、一人の娘が自分の父に礼を言うために考えた日だった点だ。ただし、これは資料の読み方であり、本人の内心まで確かめられるわけではない。では、その日をいつにするか。最初の案は、父自身にちなんでいた。
2. どうして 6月19日に なったの?
2. 父の誕生日の案は、なぜ6月の第3日曜日になったのか
2. 6月5日から6月19日へ ── 主催者が動かした日付
ソノラは、おとうさんの たんじょう日の 6月5日に しようと して いました。
ところが、もよおしを ひらく 人たちが、6月の 3ばんめの 日曜日に ずらしました[1]。
こうして 1910ねん6月19日、スポケーンで、父の日が ひろまる きっかけに なった もよおしが ひらかれました[1]。
この 日は、ソノラの 思いの ままの 日では なかったかもしれません。でも、ずれた おかげで、「6月の 3ばんめの 日曜日」という きまりの もとが できました。
さいしょの 父の日には、バラも 出て きます。
ソノラが最初に提案したのは、父の誕生日の6月5日でした。ところが、催しを開く側によって、日付は6月の第3日曜日に移されました[1]。
こうして1910年6月19日に、父の日が広がるきっかけになったスポケーンの催しが開かれます[1]。19日が日曜日なら、2週間前の5日も日曜日です。つまり、父の誕生日を日曜日にそろえるために動いたのではありません(日付からの計算です)。
本人の願いどおりにはならなかったわけですが、結果として、「6月の第3日曜日」という決め方が生まれました。この決め方は、のちに法律にも使われます。
さて、最初の父の日の会場には、何があったのでしょうか。
ソノラの最初の提案は、父の誕生日である6月5日だった。しかし主催者側が日付を6月の第3日曜日に移した[1]。父の日が広がるきっかけになった催しは、1910年6月19日にスポケーンで開かれた[1]。
興味深いのは、19日が日曜日なら、2週間前の5日も日曜日になる点だ(日付からの自分の計算)。したがって、曜日が合わないから動いたのではない。日付を動かした理由は、使った資料には書かれていない。
結果として生まれた「6月の第3日曜日」という決め方は、のちに法律にも採用された[3]。個人の願いが組織の都合で修正され、その修正がそのまま制度の骨格になった例といえる。
この初回の催しには、日付以外にも、後の父の日につながる要素があった。
3. さいしょの 父の日に、バラが あったの?
3. 最初の父の日のバラは、赤と白だった
3. 赤と白のバラ ── 最初の催しの色分け
さいしょの 父の日には、きょうかいで 父に ついての おはなしが ありました。
そして、わかい 男の人たちが、むねに バラを つけました。おとうさんが 生きている 人は 赤い バラ、なくなった 人は 白い バラです[1]。
この 日は、いま 元気な おとうさんを たいせつに する 日で、ここに いない おとうさんを おもう 日でも ありました。
ここで、1つ ふしぎが あります。日本の 父の日の バラは、黄色が よく 知られて います。赤でも 白でも ありません。
でも その まえに、この日が 国の きねんびに なるまでの おはなしを 見ましょう。
最初の父の日には、教会で父についての説教がありました。そして、YMCAの若者たちがバラを身につけました。父が健在の人は赤、亡くなった人は白、という色分けだったと伝えられています[1]。
ここで大事なのは、父の日が最初から、「今いる父に感謝する日」と「もういない父を思う日」の両方を含んでいた点です。花の色で、どちらの気持ちも表せるようになっていました。
ところが、いま日本で父の日のバラといえば、黄色を思い浮かべる人が多いでしょう。赤と白が元祖だとすると、黄色はあとから加わったことになります。それはどういう経緯なのかは、あとの章で見ます。
その前に、この小さな催しが、どうやって国中に広がったのかを見ておきましょう。
4. 国の きねんびに なるまで、どれくらい かかったの?
4. 国が認めるまでの62年を、言い出した人は見届けた
4. 賛同から法制化まで ── 1916年・1924年・1972年
1916ねん、アメリカの ウィルソン大統領が、スポケーンの 父の日の もよおしに、でんぽうで 「いいですね」と つたえました。1924ねんには クーリッジ大統領も おうえんしました[3]。
それでも、国の ほうりつには なりませんでした。国会は、母の日のように、物を うる ための 日に なる ことを しんぱいして いたと いわれます[3]。
ようやく 1972ねん4月24日、ニクソン大統領が ほうりつに サインして、毎年 6月の 3ばんめの 日曜日が 父の日と きまりました[3]。
さいしょの 父の日から、62ねんめでした。
ソノラは、そのとき ぶじに 生きて いました。1978ねん、96さいで なくなる ときまで、父の日を ひろめる 活動を つづけたそうです[1]。
言い出した 人が、じぶんの 思いが 国に みとめられる ところを、その 目で 見る ことが できたのです。
1916年には、ウィルソン大統領がスポケーンの父の日の催しに、電報で賛意を伝えました。1924年にはクーリッジ大統領も、この日を支持しています[3]。大統領が二人も応援したのです。
それでも、議会は法律にしませんでした。母の日のように商業化することを心配して、長く見送ったといわれます[3]。応援があっても、国が決めるまでには別の壁があったわけです。
転機は1972年4月24日でした。ニクソン大統領が公法92-278に署名し、毎年6月の第3日曜日を父の日と定めました[3]。最初の父の日から数えて62年目です(1910年から1972年を引いた計算)。
ソノラは、その場に生きていました。1978年に96歳で亡くなるまで、父の日を広める活動を続けたと伝えられています[1]。1978年に96歳で亡くなったことから、1972年には90歳前後でした。
思いつきから62年。父の日を言い出したソノラが、法律になるまでを見届けました。
最初の催しの後も、父の日はすぐには国の行事にならなかった。1916年にウィルソン大統領がスポケーンの催しに電報で賛意を示し、1924年にはクーリッジ大統領が支持した[3]。それでも議会は、母の日のように商業化することを懸念して、長く法制化しなかったとされる[3]。
では、なぜ母の日は法律になり、父の日は遅れたのか。資料は、母の日と対比した形でこの慎重さを説明している[3]。ただし、議会内の議論の細部までは、今回の資料から読み取れない。
転機は1972年4月24日で、ニクソン大統領が公法92-278(H.J.Res.687)に署名し、毎年6月の第3日曜日が父の日と定められた[3]。最初の開催から数えて62年目に当たる(1972−1910の自分の計算)。
提唱者のドッドは、1978年に96歳で亡くなるまで普及活動を続けた[1]。逆算すると、法制化の時点ではおよそ90歳だった。提案から62年後、父の日が法律になった。そのとき、提唱したソノラはまだ生きていた。
ここまでがアメリカの話である。では、日本には、いつ、どうやって届いたのか。
5. 日本の 父の日の 黄色は、どこから きたの?
5. 日本で黄色いバラが選ばれたのは、いつからか
5. 日本への伝来と黄色いリボン ── 1980年代に広まった理由
日本では、1970ねんだいの 父の日は、まだ あまり 知られて いませんでした。1981ねんに 委員会が できてから、国中の おいわいに なって いきました[4]。
1981ねんに、日本ファーザーズ・デイ委員会が できました。ここが 「父の日 黄色い リボン キャンペーン」を して、黄色を 父の日の イメージの いろに しました。黄色は、しあわせの しるしです[5]。
これが、黄色い バラを おくる ならわしに つながったと いわれて います[5]。
アメリカでは 赤と 白の バラでした。黄色は、日本で くわわった 色と いえそうです。
さいごに、父の日が いつか、カレンダーで たしかめて みましょう。
日本では、1970年代の父の日は、まだそれほど知られていませんでした。1981年に委員会ができてから、国民的な行事になっていきます[4]。
転機の一つが、1981年に設立された日本ファーザーズ・デイ委員会でした[4]。委員会は「父の日黄色いリボンキャンペーン」を行い、幸せの象徴である黄色を、父の日のイメージカラーとしました[5]。
この黄色が、黄色いバラを贈る習慣につながったとされます[5]。つまり黄色は、アメリカの元祖にはなかった、日本で加わった色です。
ただし、黄色いバラが日本でいつから一般的になったのかは、資料では年まで分かっていません。ここでは、キャンペーンが色の方向を示したところまでを書きます。
日本では、1970年代の時点で父の日はまだそれほど認知されていなかった。広まったのは1981年以降である[4]。
普及の契機の一つが、1981年に設立された日本ファーザーズ・デイ委員会である[4]。同委員会は「父の日黄色いリボンキャンペーン」を展開し、幸せや幸福の象徴である黄色を父の日のイメージカラーとした。広島市の資料は、このことが黄色いバラを贈る習慣につながったと説明する[5]。
ここで、アメリカの元祖の色が赤と白だったことを思い出したい。黄色は、アメリカの最初の催しにはなく、日本で加わった色だ。ただし、「つながったとされる」という資料の表現にとどまり、黄色いバラが一般的になった具体的な年は、今回の資料からは特定できない。
始まりが一人の娘の感謝だった父の日は、国をまたいで、それぞれの土地で色や形を変えている。最後に、この日を自分で確かめる道すじを示す。
6. 6月の 3ばんめの 日曜日は、なん日?
6. 「6月の第3日曜日」は、何日から何日の間か
6. 出口 ── 第3日曜日の範囲を計算する/原典に当たる
カレンダーを 1まい ひらいて、6月の 日曜日に まるを つけて みましょう。3ばんめの 日曜日は、なん日ですか。
ほかの 年の カレンダーが あれば、おなじ ことを して みます。3ばんめの 日曜日は、15日より まえに なる ことは あるでしょうか。21日より あとに なる ことは?
1910ねんの カレンダーが なくても、だいじょうぶです。19日が 15日から 21日の 中に 入って いるか、見て たしかめられます。
カレンダーで、6月の日曜日に印をつけてみましょう。第3日曜日は、何日でしょうか。
年を変えて、何枚か調べると、気づくことがあります。第3日曜日は、いちばん早くて15日、いちばん遅くて21日です。1日が日曜なら、日曜は1日、8日、15日。7日が日曜なら、7日、14日、21日になるからです(自分の計算です)。
この範囲に、最初の父の日の6月19日も入っています。「第3日曜日」という決め方は、毎年日付が少し動く代わりに、いつも日曜日に祝える、という性質があります。
6月の第3日曜日は、何日の範囲に収まるか。1日が日曜なら、日曜は1日・8日・15日となり、第3日曜日は15日。7日が日曜なら、7日・14日・21日で、第3日曜日は21日。したがって、第3日曜日は必ず15日から21日の間になる(自分の計算)。1910年6月19日は、この範囲に入る。
この決め方は、日付を固定する代わりに曜日を固定する方式で、毎年日付が動く。ソノラが望んだ父の誕生日の日付固定から、準備の都合で曜日固定に変わった結果が、そのまま法律の文言になった。
原典に当たるなら、米下院の歴史資料「Father's Day Becomes a National Holiday」[3]は、署名の日付と法律番号を英語で確認できる。スポケーンの新聞「Spokesman-Review」の記事[1]は、最初の催しの様子を伝える。日本語では、All Aboutの解説[4]や広島市の資料[5]で、日本での広まり方が読める。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:アメリカの新聞記事、米下院の歴史資料、日本語の解説記事2点、広島市の資料を使いました。
- Spokesman-Review「A day for dads」。 https://www.spokesman.com/further-review/a-day-for-dads/ (ソノラの動機、最初の父の日の日付、バラ、ドッドの晩年について)
- 原田英語「父の日の由来」。 https://www.haradaeigo.com/?p=13563 (母の日の説教がきっかけになったという日本語の説明について)
- U.S. House of Representatives, History, Art & Archives「Father's Day Becomes a National Holiday」。 https://history.house.gov/Historical-Highlights/1951-2000/Father-s-Day-Becomes-a-National-Holiday/ (大統領の支持、議会の慎重さ、1972年の署名について)
- All About「父の日の由来」。 https://allabout.co.jp/gm/gc/220755/ (1970年代の認知度と、1981年の委員会の設立について)
- 広島市「父の日」の解説ページ。 https://www.city.hiroshima.lg.jp/shisei/kouhou/1004010/1033044/1040069/1040964.html (黄色いリボンのキャンペーンと黄色いバラについて)
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