1. おかしは どうやって 売られて いたの?
1. 店先の樽や瓶から、子どもは何を選んだのか
1. 雑貨店の樽と瓶 ── 包装されない菓子を、その場で取り分けて買う
むかしの アメリカの ざっかやでは、おかしは つつまれないまま、おおきな たるや びんに 入って いたと、しょうかいする きじが あります。おみせの ひとが、すきな かずだけ すくって、かみぶくろに 入れて くれます。
ペパーミントの スティックや レモンの あめが、はやくから にんきでした[1]。子どもたちは、びんの まえで、どれに しようかと まよいます。それを たのしみに していた 子も いました。
「1セントで いくつ 買えたか」は、とき と みせで ちがいます。ですから、はっきりした かずは いえません。つぎは、おみせの ならべかたの はなしです。
2. おかしは どうして 店の いりぐちの ちかくに あったの?
2. ウールワースは、なぜ菓子を出入口の近くに置いたのか
2. 5セント・10セント均一店 ── 出入口の菓子売り場が子どもの目的地になる
1879ねんに、ウールワースさんが、ニューヨークしゅうに みせを ひらきました。なまえは「ウールワースの 5セントストア」です[2]。5セントや 10セントで 買える ものを ならべる、あたらしい おみせでした。
この ウールワースさんは、おかしを いりぐちの ちかくに おくと いい、と かんがえた、と しょうかいする きじが あります[1]。とおりかかった おとなが「子どもに おみやげを 買って いこう」と おもいだすからです。
こうして、おかしの うりばは、子どもに とって、行きたい ばしょに なりました。つぎは、おかしの「つつみかた」の はなしです。
F.W.ウールワースの最初の店は、1879年2月22日にニューヨーク州ユティカで開いた「Woolworth's Great Five Cent Store」です。5セント・10セント均一の店の先駆けとされ、最初にうまくいったのは、同じ年にひらいたペンシルベニア州ランカスターの店でした[2]。
ウールワースは、菓子を真鍮の盆に入れて出入口の近くに置くとよい、と考えたと紹介されています。店を出ていく人が、家で待つ子どもへの土産を思い出すからです[1]。ただし、本人の発言そのものを確かめた資料ではなく、紹介された形で伝わっています。
この配置で、菓子売り場は、子どもが行きたがる場所になりました。売り場に並ぶ菓子は、そのころまだ包まれていません。1個ずつ包むようになったのは、いつからなのでしょうか。
F.W.ウールワースの最初の店は、1879年2月22日にニューヨーク州ユティカで開いた Woolworth's Great Five Cent Store で、5セント・10セント均一の小売りの先駆けとされる。成功した最初の店は、同年6月21日開店のペンシルベニア州ランカスターの店である[2]。
注目したいのは売り場の置き方だ。ウールワースは、菓子を真鍮の盆に入れて出入口の近くに置けば、帰る客が子どもへの土産を思い出す、という趣旨の考えを述べたと紹介される[1]。本人の発言の一次資料は確認できていないため、紹介された言葉として読む。
こうして菓子売り場は、子どもの目的地になった。だが、売り場の菓子は包装されていない。そこへ、1個ずつ包む技術が入ってくる。
3. 1こずつ つつむと、なにが かわったの?
3. 1個ずつ包む機械は、菓子の売り方をどう変えたのか
3. 個包装機とツーシー・ロール ── 量り売りから包み紙つきへ
ツーシー・ロールと いう おかしが あります。つくった ひとは、むすめの クララさんの あだな「ツーシー」から、なまえを つけました[3]。
この おかしは、1こずつ つつんだ 1セントの おかしと して、アメリカで いちばん はじめだと いわれます。つくられたのは、20せいきの はじめごろです。
そのころ、1こずつ つつむ きかいが できて、おかしが ひろい ところに はこばれるように なったと、せつめいする きじが あります[4]。つつんで あれば、とおくの まちまで、やすく はこべます。ブラックや ネッコなどの おかしやさんも、ぜんこくに 売れるように なりました。
では、つつんだ おかしの なかで、ねだんが いちばん ながく かわらなかったのは、なんでしょう。
ツーシー・ロールは、レオ・ヒルシュフェルドがニューヨークで菓子づくりを始め、娘クララの愛称「Tootsie」から名づけた菓子です[3]。個別に包んだ1セント菓子として、アメリカで最初といわれます。
完成の年は、1907年とする記述や、1896年に初登場とする記述があり、資料で割れています。この記事では「20世紀の初めごろ」と書くことにします。
この時期は、自動の個包装機が登場した時期でもあります。ブラック(Brach's)、ツーシー・ロール、ネッコ(Necco)、メリー・ジェーンなどが、1個ずつ包んだ菓子を全国に安く出荷できるようになった、と説明されています[4]。
包んであれば、遠くの店まで運べ、店先で量る手間もいりません。次に、値段のほうに目を向けてみます。
ツーシー・ロールは、レオ・ヒルシュフェルドがニューヨークで菓子づくりを始め、娘クララの愛称にちなんで名づけた。個別に包んだ1セント菓子としてアメリカ初とされる[3]。
年は資料で割れ、特許をとった技法で1907年に発明を完成し1908年9月に商業発売したとする記述と、1896年に初登場とする記述がある。年を断定する根拠は薄いため、「20世紀の初めごろ」にとどめておく。
流通の変化として押さえておきたいのは、自動の個包装機の登場である。これにより、ブラック、ツーシー・ロール、ネッコ、メリー・ジェーンなどが、1個ずつ包んだ菓子を全国に安価で出荷できるようになったと説明される[4]。包んであれば量り売りの手間が要らず、遠くまで運びやすい。ただし、これは一つの解説であり、他の資料と突き合わせた数字は挙げない。
では、包装菓子の「値段」は、どのくらい変わらなかったのか。
4. 5セントの いたチョコは、いつまで 同じ ねだん だったの?
4. ハーシーの5セント板チョコは、1969年まで値段を保った
4. ハーシーの5セント板チョコ ── 1900年から1969年まで続いた価格
ハーシーの ミルクチョコレートが 売りだされたのは、1900ねんです。ふつうの おおきさの いたチョコを、5セントで 売りました[5]。
この 5セントの ねだんは、なんと 1969ねんまで つづいたと、ハーシーの しりょうかんが つたえて います。1900ねんから 1969ねんまで、およそ 70ねんです。
ミルクチョコレートは、ハーシーさんが はつめいした ものでは ありません。やすく たくさん つくる やりかたが あたらしかったのです[5]。こうじょうの まわりには、はたらく ひとの まちも できました[6]。
ところで、おかしの なかには、ひとの しごとを おもわせる かたちの ものも あります。
ハーシーのミルクチョコレートの板は、1900年に発売されました。標準サイズの板チョコを5セントで売り始め、ハーシー・アーカイブによると、この5セントは1969年まで続きました[5]。1900年から1969年までで、およそ70年です。
ミルクチョコレートそのものは発明ではなく、新しかったのは、安く大量に作る方法でした[5]。ミルトン・ハーシーは1899年に大量生産の製法を整え、1900年8月にランカスター・キャラメル社を売って、チョコレート事業を残しました。工場のまわりには、社員の住まいなどを備えた町ができています[6]。
5セント玉1枚で、子どもが店で選んで買える。この小さな買い物の基準が長く続いたことが、アメリカの菓子文化の土台の一つでした。ただし、なぜそれほど長く続いたかは、ここで使った資料からは説明できません。
この板チョコと、同じように「小銭で買える」菓子の中に、農家の暮らしを思わせる形のものがあります。
ハーシーのミルクチョコレート板は1900年に発売された。ハーシー・アーカイブによれば、標準サイズの板チョコを5セント(nickel)で売り始め、この価格は1969年まで続いた[5]。1900年から1969年まで、約70年である。
ここで注意したいのは、ミルクチョコレート自体は発明ではないことだ。新しかったのは、安く大量に作る方法である[5]。ミルトン・ハーシーは1899年に大量生産の製法(ハーシー法)を整え、1900年8月にランカスター・キャラメル社を100万ドルで売り、チョコレート事業を残した。工場の周囲は、社員の住まいなどを備えた町(ペンシルベニア州ハーシー)になった[6]。
ただし、価格が長く続いた理由は、ここで使った資料からは説明できない。大量生産が価格維持を可能にしたという因果は、資料に書かれていないため断定しない。
小銭で買える菓子には、形に意味を込めたものもある。農家の暮らしを映した三色の菓子を見る。
5. 「ニワトリの えさ」と よばれた おかしって なに?
5. 昔は「ニワトリのえさ」と呼ばれた菓子、キャンディコーン
5. キャンディコーン ── 「Chicken Feed」と呼ばれた三色の菓子
キャンディコーンは、きいろ、オレンジ、しろの 3つの いろの おかしです。とうもろこしの つぶの かたちを して います[8]。
むかしの なまえは「ニワトリの えさ」でした。1880ねんだいに、おかしやさんの ひとが かんがえたと いわれます[7]。くわしい としは、わかって いません。
1898ねんから、ゴーリッツと いう かいしゃが つくり はじめました。いまの ジェリーベリーです。2016ねんには、1ねんに 3500まんポンド、つまり 1まん6000トンぐらい つくられて いたと いわれます。ふるい かずです[8]。
この おかしは、あきの おまつりに よく 見かけます。つぎは、その わけです。
キャンディコーンは、黄・オレンジ・白の三層で、とうもろこしの粒に見立てた形をした菓子です。農業が暮らしの中心だった人々に向けた形だと、紹介されています[8]。
1880年代に、ワンダーリー社(Wunderle Candy Co.)のジョージ・レニンガーが考案したとされ、昔の名前は「Chicken Feed(ニワトリのえさ)」でした。ただし、正確な考案年は分かっていません[7]。名前の理由は、資料に書かれていないので、ここでは書きません。
1898年から、ゴーリッツ社(現在のジェリーベリー)が製造を始めました。アメリカでは年に約3500万ポンド、およそ1万6000トン作られていて、粒にすると約90億個近くです。これは2016年の数字で、最新ではありません[8]。
1950年ごろ、個包装の菓子が広まったころから、キャンディコーンは秋とハロウィンの定番になりました。個包装と、この菓子に、どんな関係があるのでしょうか。
キャンディコーンは、黄・オレンジ・白の三層をとうもろこしの粒に見立てた菓子で、農業社会の人々を意識した形とされる[8]。1880年代にワンダーリー社のジョージ・レニンガーが考案したとされ、旧名は Chicken Feed(ニワトリのえさ)である。ただし、考案年は不明とも書かれる[7]。名前の由来に因果を与える資料はないため、ここでは説明しない。
製造は1898年からゴーリッツ社(現ジェリーベリー)が担った[7]。米国での年間生産量は、2016年に約3500万ポンド(約1万6000トン、約90億個近く)とされる[8]。35百万ポンドは約1万6000トン(1ポンド=約0.45kg)である。最新年の数字ではない。
1950年ごろ、個包装菓子が広まったころから、秋・ハロウィンの定番になった[8]。小分け包装は、ハロウィンの「配る菓子」にどう関わったのか。
6. ハロウィンでは どうして ふくろ入りの おかしが おおいの?
6. ハロウィンでは、なぜ個包装の菓子が配られるようになったのか
6. トリック・オア・トリートと個包装 ── 配りやすさという背景
ハロウィンの よるに、子どもたちが いえを まわって おかしを もらう ことを、トリック・オア・トリートと いいます。
この ならわしが ひろまったのは、1950ねんだいごろだと いわれます[9]。そのころ、まちの そとの じゅうたくちが ふえて、子どもが いえを まわりやすく なりました。
りんごや ナッツ、てづくりの おかしより、1こずつ つつんだ おかしの ほうが、おとなは くばりやすかったのです。それで、おかしが しゅやくに なりました[9]。
ハロウィンの はじまりは「ハロウィン」の きじで しらべられます。さて、お店の 1セントの おかしは、その あと どうなったのでしょう。
7. 1こ 1セントの おかしは、どうして へったの?
7. 1個ずつ数えて売る菓子は、袋入りにどう移っていったのか
7. 「数えて売る」形の行き詰まり ── 1セントの次は2セント
1950ねんから 1970ねんごろに そだった ひとの なかには、ちかくの ペニーキャンディの みせの おもいでを かたる ひとが います[4]。
けれど、ものの ねだんが あがり、大きな おみせや コンビニも ふえました。1セントの つぎは、2セントです。1こ 1セントの おかしが 2セントに なると、ねだんは 2ばいです。
そこで、ふくろ入りで 売る ほうほうに うつって いったと、この ひとは せつめい します[4]。ただし、これは ひとりの ひとの かんがえです。これだけが わけとは かぎりません。
1976ねんには、ジェリーベリーが、8つの あじの ジェリービーンズを 売りだしました[10]。えらぶ たのしみは、あじの しゅるいに うつった、と 見る ことも できます。
1950〜70年代ごろに育った人の中には、近所のペニーキャンディ屋の思い出を語る人がいます。ところが、インフレや大型店、コンビニの広がりで、数十個を数えて売る形は成り立たなくなったと説明されています[4]。
この筆者は、価格の刻みも一因だと説明しています。1セント硬貨での値付けが難しくなると、値上げの最小幅は1セントから2セントです。1個1セントの菓子が2セントになれば、値段は2倍、つまり100%の値上げになります。そのため、袋入りの商品に移った、という解説です[4]。ただし、これは一人の筆者の分析で、唯一の理由とは言えません。
1976年には、ジェリーベリー(ゴーリッツ社)が、最初のジェリービーンズを8つの味(Very Cherry、Tangerine、Lemon、Green Apple、Grape、Licorice、Root Beer、Cream Soda)で売り出しました[10]。「選ぶ楽しみ」が、1個ずつ選ぶ形から、味の種類を選ぶ形に広がったと見ることもできます。
ここまでで、近所の店の菓子は、量り売りから、包み紙つき、袋入りへと形を変えたことが分かります。身の回りのお菓子の袋を見て、確かめてみましょう。
1950〜70年代ごろに育った人の「近所のペニーキャンディ屋」の思い出が語られる一方、インフレ、大型店、コンビニの台頭で、数十個を数えて売る形は成り立たなくなったとされる[4]。
この筆者は、価格の刻みも一因と説明する。1セント硬貨での値付けが難しくなると、値上げの最小幅は1セントから2セントになる。1個1セントの菓子の価格は2倍、つまり100%増になる。だから袋入りの商品に移った、という論理だ[4]。ただし、これは筆者の解説であり、唯一の理由として扱う根拠にはならない。
1976年には、ジェリーベリー(ゴーリッツ社)が最初のジェリービーンズ「Jelly Belly」を8つの味で発売した[10]。選ぶ楽しみが、数の選択から味の選択へ広がったとも解釈できるが、これは資料の記述ではなく、本稿の見方である。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
きょう できること
いえに ある おかしの ふくろを 見て みましょう。ねだんと、1こずつ つつんで あるか、つつんで ないかを しらべます。ふくろ入りの おかしと、1こずつの おかしの ちがいが わかります。
でかけて できること
おかしの うりばや スーパーで、ばらで 売って いる おかしを さがして みましょう。ばらで 売る おかしは、どんな ところに おかれて いるでしょうか。
こうしきの じょうほう
いえに ある おかしの ふくろの うらを 見て、ねだんと ないようりょうを くらべて みましょう。1こ あたりの ねだんが ちがう ことに、きづくかも しれません。
今日できること
家にあるお菓子の袋を3つ選び、値段と、中身が1個ずつ包んであるかどうかを書き出します。袋入りの菓子が、どんな形で売られているか、比べられます。
出かけてできること
スーパーや駄菓子屋で、量り売りや、バラで買える菓子を探してみましょう。ハロウィンの季節でなくても、1個ずつ包んだ菓子は売り場に並んでいます。包んである理由を、自分で考えてみます。
公式情報
家にあるお菓子の袋の裏にある表示(内容量・原材料など)を、2つ比べてみましょう。1個あたりの値段や量の違いが見えてきます。
今日できること
手元の菓子3種の「包装の層」(個包装・外袋・箱)と、1個あたりの価格を表にして比べる。価格の刻みと、売り方の関係を考える材料になる。
出かけてできること
駄菓子屋やスーパーで、量り売りやバラ売りの菓子の有無を確かめる。置き方が、記事の「出入口の近く」の考えと似ているかを見るのも面白い。
公式情報
家にある菓子の包装表示(内容量・原材料・価格)を2種類比べ、1個あたりの量と値段を計算してみる。売り方の違いが、表示にどう出るかが見える。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
ハーシーの価格は同社のアーカイブに、その他の歴史は二次の解説記事に依拠した。年が資料で割れる点は、本文で幅を示した。
- Tasting Table「The Nostalgic History Of Penny Candy Stores」 https://www.tastingtable.com/1295086/nostalgic-history-penny-candy-stores (雑貨店の量り売り、ウールワースの考え)
- Wikipedia「F. W. Woolworth Company」 https://en.wikipedia.org/wiki/F._W._Woolworth_Company (最初の店と5セント均一店)
- Wikipedia「Tootsie Roll」 https://en.wikipedia.org/wiki/Tootsie_Roll (個包装の1セント菓子と名前の由来)
- CulinaryLore「How convenience stores killed penny candy」 https://culinarylore.com/food-history:fifty-candies-for-a-quarter-how-convenience-stores-killed-penny-candy/ (個包装機と、袋入りに移った説明)
- Hershey Community Archives「Hershey's Milk Chocolate Bar」 https://www.hersheyarchives.org/encyclopedia/hersheys-milk-chocolate-bar/ (5セント板チョコと1969年まで)
- Wikipedia「Hershey bar」 https://en.wikipedia.org/wiki/Hershey_bar (大量生産の製法と町)
- CulinaryLore「When was candy corn invented?」 https://culinarylore.com/food-history:when-was-candy-corn-invented/ (キャンディコーンの考案と製造)
- Wikipedia「Candy corn」 https://en.wikipedia.org/wiki/Candy_corn (形・昔の名前・生産量)
- National Geographic「The history of trick-or-treating and how it became a Halloween tradition」 https://www.nationalgeographic.com/culture/article/the-history-of-trick-or-treating-and-how-it-became-a-halloween-tradition (小分け包装とハロウィン)
- Wikipedia「Jelly Belly」 https://en.wikipedia.org/wiki/Jelly_Belly (最初の8つの味)
なおした ところ
更新履歴
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