1. この ハエは、なにを さがして いるの?
1. 歌うコオロギを、音だけで見つけるハエ
1. 音だけで宿主を見つける寄生バエと、耳の間隔という難題
よるの くさむらで、オスの コオロギが うたいます。その うたを きいて、とんで くる ハエが います。オルミアと いう なまえの ハエです。
メスの ハエは、うたの する ほうへ とんで、ちかくに おります。さいごは あるいて コオロギに ちかづき、じぶんの 幼虫を うみつけます[1]。
めを つかわずに、おとだけで ばしょを あてるのです。でも、ハエの からだは とても ちいさく、ひだりの みみと みぎの みみも ほんの すこししか はなれていません。ちいさな みみで、むきが わかるのでしょうか。
2. おとの とどく じかんの ちがいは、どのくらい ちいさいの?
2. 左右の耳に届く時間の差は、どれほど小さいか
2. 自然な時間差は約1.5マイクロ秒:波長との比較で見える難しさ
おとが よこから くると、ちかい ほうの みみに さきに とどきます。この ちがいで、むきを しる ことが できます。
ハエの みみは 0.5ミリメートルしか はなれていません。おとの はやさは 1びょうで 343メートルほどなので、とどく じかんの ちがいは、いちばん おおきくても 1びょうの 100まんぶんの 1.5ほどです[2]。
まばたき 1かいを 0.1びょうと すると、そのあいだに 1.5マイクロびょうの ながさが 6万6千かいぶん はいる けいさんです。
コオロギの うたの 波長は 7センチメートルほど。みみの あいだは その 130ぶんの 1ほどです。[3]
音は秒速約343メートルで進みます。0.52ミリの間隔を横切るのにかかる時間を計算すると、約1.5マイクロ秒(100万分の1.5秒)になります。これは、ハエの耳に届く音の時間差が最大でもこの程度だという意味です[2]。
瞬きに0.1秒かかるとすると、その間に約6万6千回分の1.5マイクロ秒が入る計算です(筆者の計算)。こんなに短い差を、神経だけで見分けるのは大変そうです。
もう1つの手がかりは、音の波の長さ(波長)です。コオロギの歌の高さを5キロヘルツとすると、波長は約6.9センチ。耳の間隔0.52ミリは、その約130分の1です。別の論文は耳の間隔を約1.2ミリ、波長の約100分の1と書いていますが、これは概算の数字です[3]。波長に比べて耳が小さすぎると、音は左右の耳にほとんど同じように届いてしまいます。
では、ハエの耳はどんな工夫でこの小さな差を使えるようにしているのでしょうか。
音速を約343m/sとすると、0.52mmの間隔を音が横切るのにかかる時間は約1.5μsになる(0.52mm÷343m/sの調査者による計算)。これは、PMCの論文が示す自然な時間差(ITD)の値と合っている[2]。1.5μsは100万分の1.5秒で、ミリ秒ではない点に注意したい。
音の強さの差(IID)にも期待しにくい。コオロギの歌を約5kHzとして波長を求めると約6.9cmで、耳の間隔はその約130分の1になる。別の論文は間隔を約1.2mm、波長の約100分の1と書くが、概算の数値である[3]。波長に比べて耳が極端に小さいと、両耳に届く音に大きな差がつきにくく、頭の影による強さの差も生まれにくい。
つまり、ふつうに考えれば、左右の鼓膜が受ける音はほぼ同じで、向きの手がかりがほとんど残らない。この条件で向きを知るには、耳の中に何か別の工夫が必要になる。
3. ふたつの こまくは、どうして シーソーのように うごくの?
3. 2つの鼓膜をつなぐ橋が、小さな差を大きくする
3. 鼓膜連結の橋が時間差を約1.5μsから約50μsへ増幅するしくみ
ハエの ひだりの 鼓膜と みぎの 鼓膜は、まんなかの ちいさな はしで つながって います[2]。
この はしの おかげで、ふたつの こまくは、こうえんの シーソーのように、うごく もようです。ひだりが さがると みぎが あがる。そんな ふうに、ぎゃくむきに ゆれます[1]。
すると、とどく じかんの ちがいは 1.5マイクロびょうから 50マイクロびょうほどに、おとの つよさの ちがいは 1デシベルから 12デシベルほどに ふえると、マイクを しらべた ろんぶんに かかれています[2]。
ほんの すこしの ちがいを、シーソーの ように おおきく して いる ようです。ただし この かずは、ゆれかたが きまった ときの ものです。いつも この とおりでは ありません。
ハエの左右の鼓膜は、中央の小さな橋(鼓膜間の橋)で、回転軸のようにつながっています[2]。ここが他の昆虫の耳との大きなちがいです。
この連結のおかげで、2つの鼓膜は互いにずれながら、逆向きに揺れます。コーネル大学の記事は、これを公園の「シーソー」にたとえています[1]。片方が押されると、橋を通してもう片方が反対に動くイメージです。
マイクを研究した論文には、この揺れ方(ロッキングモード)の近くで、時間差が約1.5マイクロ秒から約50マイクロ秒に、音の強さの差が約1デシベルから約12デシベルに増えると書かれています[2]。時間差でいえば約33倍です(筆者の計算)。
50マイクロ秒は、音が約1.7センチ進む時間にあたります(筆者の計算)。0.5ミリの耳の間隔が、まるで1.7センチ離れた耳のような働きをするわけです。ただし、この増え方は揺れ方の条件がそろったときの値で、どの向きの音、どの高さの音でも一定とはかぎりません。
この壁を破るのが、左右の鼓膜を中央の橋(intertympanal bridge)で連結した構造である。論文は、鼓膜がこの橋を回転軸のように支点にして動くと説明する[2]。コーネル大学の記事は、2つの鼓膜が位相をずらして動くさまを、公園のシーソーにたとえた[1]。
Ormiaの鼓膜を手本にしたMEMSマイクの論文では、ロッキングモード付近で、時間差が約1.5μsから約50μsへ、強さの差が約1dBから約12dBへ増幅されると記される[2]。時間差だけを見れば約33倍になる(調査者の計算)。50μsは音が約1.7cm進む時間に等しく、0.5mmの耳が、約1.7cm離れた耳のように働く。
ここで押さえたいのは、この増幅がモード付近の値だという条件である。どの向き・どの周波数でも一定の倍率が得られるわけではない。さらに、bioRxivのプレプリント(査読前)は、機械的な時間差が、ネズミほどの大きさの動物の自然な時間差に近いと述べる[3]。神経が計算を始める前の鼓膜の動きの段階で、すでに差が大きくなっているというのが要点である。
4. どのくらい せいかくに、どこまで むきを あてられるの?
4. 向きはどのくらい正確に分かるのか
4. 約±30度で約±2度:精度の高さと範囲の限界
コーネルだいがくの きじは、ハエが 2どほどの むきの ちがいも みつけられると、かいて います[1]。ゆびを まっすぐ のばして ゆっくり よこに うごかした とき、ゆびの さきが ほんの すこし うごいた くらいの ちがいです。
ただし これは、ぜんぶの ほうこうで できる わけでは ありません。しょうめんを まんなかに して、よこに 30どずつ くらいの はんいで、2どくらいの せいかくさ、というのが めやすです[3]。
この ハエの みみは、にんげんと おなじくらい こまかく むきを わけると いわれます。みみの あいだは 0.5ミリメートルほどなのに、これだけ こまかく わけられる ことに、けんきゅうしゃの ホイさんは おどろきました[1]。
では、向きはどのくらい正確に分かるのでしょうか。コーネル大学の記事は、2度ほどの音源位置の変化まで見分けられると述べています[1]。腕をまっすぐ伸ばしたまま、指先をほんの少し動かしたくらいの差です。
ただし、ここには条件があります。ハエが得意なのは正面を中心とした約±30度の範囲で、論文によればその範囲で約±2度の精度です[3]。モデルの上でも、大きな角度では精度が落ちます[2]。全方向で2度ではありません。
耳の間隔が小さい点で見ると、この精度は目立ちます。コーネル大学の記事で研究者のホイは、体の大きさを考えれば、このハエは音の向きを知る名手だと話しました[1]。人間と同じくらいの分解能(約2度)でありながら、耳の間隔が1ミリ前後と小さいところが要点です。
ハエにとって、正面にいる相手へ迷わず近づける範囲が一番大切なのかもしれません。ここまでハエ側の話でした。では、見つけられるコオロギの側では何が起きているのでしょうか。
この仕組みで、向きの判定はどこまで細かくなるのか。PMCの論文とbioRxivの論文は、約±30度の範囲で約±2度の精度と記す[2][3]。コーネル大学の記事も、2度ほどの音源位置の変化を検出できると述べる[1]。モデル解析では、大きな角度で精度が落ちる。つまり「全方向で2度」ではなく、正面付近での値と読むべきである。
この精度は、体の大きさを考えると目立つ。コーネル大学の記事では、研究者のロン・ホイが、体の大きさをふまえるとOrmiaの向き分けは際立っていると述べた[1]。人間と同程度の約2度という分解能を、1mm前後の耳の間隔で達成している点が要である。ここで比べているのは体長ではなく、耳の間隔である。
ただし、数字の読み方には注意がいる。耳の間隔の値は資料で約0.52mmと約1.2mmがあり、精度の範囲もモデルや実験条件で変わりうる。bioRxivの論文はプレプリントで、査読前であることも考えて読む必要がある[3]。では、見つけられる側のコオロギには、何が起きているのか。
5. うたわない コオロギが ふえたって、ほんとう?
5. ハワイで起きた、歌わないコオロギの変化
5. ハワイのコオロギに起きた変化:歌を手がかりにされる側の応答
この ハエは アメリカの フロリダなどに います。ハワイには、いまから 30ねんほど まえに はいったと いわれます[4]。
ハワイの コオロギは、カウアイとうでは、その あと 20せだいほどの うちに、はねが たいらで うたわない オスが、おおく なりました[4]。
うたわない オスは、ハエに みつかりにくい ように かわったのだと かんがえられています。進化の はやさを しめす れいとして しられて います。
この寄生バエはアメリカのフロリダなどにすむ種ですが、約30年前にハワイにも入りこんだ、と紹介されています[4]。ハワイのコオロギ(Teleogryllus oceanicus)は、このハエに狙われる立場になりました。
カウアイ島では、その後約20世代のうちに、羽が平らで歌わないオスが多くなりました[4]。歌う羽をもたないオスは、歌を頼りにするハエから身を隠しやすくなったと考えられています。この変化はカウアイ島とオアフ島で、それぞれ別の遺伝子の変化から起きたと報告されています。
音で探すハエの耳が、これほど精密に向きを知ることと、コオロギ側の変化の速さは、同じ出来事の表と裏です。次は、このハエの耳の発想が人間の生活にどう近づいているかを見ましょう。
音で見つける捕食者に対して、見つけられる側は何を変えたのか。ハワイにはこのハエが約30年前に入りこんだとされ、ハワイのコオロギ(Teleogryllus oceanicus)はその標的になった[4]。
カウアイ島では約20世代後には、羽が平らで歌わないオス(flatwing)が多数を占めるようになった。この形質は、カウアイ島とオアフ島で、それぞれ別の遺伝子の変異によって独立に生じたと報告されている[4]。歌が見つかる手がかりになるため、歌わないオスはハエから身を隠しやすかったと解釈されている。
この例は、ハエの聴覚がそれだけ強い選択圧になりうることを示す。ただし、元の記事は解説記事であり、個々の数値や機構の詳細は原論文で確かめるのが望ましい。
6. ハエの みみを まねると、きこえの どうぐは どう かわるの?
6. ハエの耳をまねたマイクは、補聴器に近づいたのか
6. 鼓膜連結の発想を取り入れたマイクと、補聴器への応用の現状
この ハエの みみを まねた マイクが、つくられました。アメリカの ビンガムトンだいがくの けんきゅうしゃが、1ミリメートル×3ミリメートルの ちいさな いたを つかった マイクを、2013ねんに はっぴょうしました[5]。
この いたは、まんなかを じくに して、シーソーのように まわります。しさくの マイクを はかったら、くらべた むかしからの ふたつの マイクの やりかたより、ざつおんが 17デシベルほど ひくかったと ほうこくされました[5]。
ほちょうきは、すきな おとだけを きく ための マイクの、いちばん おおきな つかいみちと されます[2]。ただし、これは しさくの はなしです。いまの ほちょうきに ぜんぶ つかわれて いるわけでは ありません。
ハエの耳の発想は、マイクの研究に生かされています。ビンガムトン大学のマイルズらは、1ミリ×3ミリの小さな振動板が中央を軸に回転するマイクを作りました。試作マイクの測定では、比較した従来の2マイク方式より雑音が約17デシベル低かったと2013年に報告されています[5]。
補聴器は、特定の方向の音を選んで聞く指向性マイクの最大の応用分野とされています。ハエの耳にヒントを得たMEMS指向性マイクは、多くの研究グループによって研究されています[2]。
注意したいのは、ここで紹介したのが試作や研究の段階だという点です。現在の補聴器に広く使われている、とまでは資料に書かれていません。ハエの耳の発想を、人間が少しずつ工学に取り入れている途中です。
この機構は、工学にもヒントを与えた。ビンガムトン大学のマイルズらは、1mm×3mmの振動板が中央の支点を軸に回転するマイクを試作し、従来の補聴器用の2マイク方式より雑音が約17dB低いと2013年に報告した(Acoustical Society of Americaの発表をまとめたScienceDaily)[5]。振動板が音圧の差に応じて回転する点が、Ormiaの鼓膜の連結に対応する。
補聴器は指向性マイクの最大の応用分野とされ、Ormiaの聴覚器官に着想を得たMEMS指向性マイクは多数研究されている[2]。これらは設計に生物の構造を借りたものであり、実際の製品化の状況は別に確かめる必要がある。紹介した結果も、研究発表時点の試作品に関するもので、現在の補聴器にそのまま使われているという意味ではない。
この例が興味深いのは、神経による計算ではなく、まず機械的な構造で向きの手がかりを増やしている点である[3]。小さな耳の限界を、構造で補うという発想が、そのままマイク設計の手本になっている。
7. じぶんの みみで、おとの むきを あてて みよう
7. 自分の耳で、音の向きを当ててみる
7. 音の向きを体験し、原論文へ進む
きょう できる こと
おとなの ひとに てつだって もらいます。しずかな へやで めを とじて、まっすぐ まえを むきます。おとなの ひとに、ベルや すずを、まえや よこで ならして もらいます。おとが きこえた ほうを ゆびで さして みましょう。まえと よこで、あてやすさは かわるでしょうか。
もうひとつ。ものさしで 0.5ミリメートルを みて みます。ハエの みみの あいだは、このくらいの ちいささです。
ものさしで 7センチメートルも みて ください。コオロギの うたの はちょうは このくらいで、ハエの みみの あいだの 0.5ミリメートルと ならべると、どれだけ ちいさいか わかります。
家でできる音あて
静かな部屋で、目を閉じてまっすぐ前を向きます。大人にベルや鈴を、前・横・斜め前などで鳴らしてもらい、音のした方向を指さします。正面近くと真横で、当てやすさがちがうでしょうか。ハエの精度が正面の約±30度で高いという話と、比べながら試してみてください。
定規で0.5ミリを見てみるのもおすすめです。コオロギの歌の波長(約7センチ)が定規のどのくらいかも見ると、ハエの耳の小ささが実感できます。
体験と検算
静かな部屋で目を閉じ、人に鈴を前・真横・斜めで鳴らしてもらって向きを指させ、正面近くと側方で当てやすさを比べる。本文の「正面約±30度で精度が高い」という記述と照らし、自分の結果がどうなるか確かめられる。
音速343m/s、耳の間隔0.52mmとして時間差(約1.5μs)を自分で計算し、50μsが音の進む何cmかも求めてみる。
原論文へ進むなら
PMC7293328[2]は、Ormiaを手本にしたMEMSマイクの論文で、時間差・強さの差の増幅の数値の出どころである。bioRxivのモデル論文[3]は査読前だが、耳の間隔と波長の比の議論が読める。コーネル大学の記事[1]は、一般向けの入口になる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。外国語のものが多く、一部は解説記事や査読前の論文です。
- Cornell Chronicle (2001). Super fly lends ear: bio-inspired hearing aids and robotic listening devices. https://news.cornell.edu/stories/2001/04/super-fly-lends-ear-bio-inspired-hearing-aids-and-robotic-listening-devices-cornell (ハエの行動・シーソー・約2度・ホイ氏の言葉)
- Ormia-inspired MEMS directional microphone (PMC7293328). https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC7293328/ (耳の間隔・橋・時間差と強さの差の増幅・補聴器)
- bioRxiv (2021). A biologically accurate model of directional hearing in Ormia ochracea (preprint). https://www.biorxiv.org/content/10.1101/2021.09.15.460520v1.full-text (約±30度・約±2度・波長との比・査読前)
- The Conversation. Sound of silence: crickets rapidly evolved to hide from deadly flies. https://theconversation.com/sound-of-silence-crickets-rapidly-evolved-to-hide-from-deadly-flies-27262 (ハワイのコオロギの変化)
- ScienceDaily (2013). Acoustical Society of America release. https://sciencedaily.com/releases/2013/05/130530152851.htm (ビンガムトン大学のマイク試作)
なおした ところ
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