1. クリスマスの よる、なにが 見つかった?
1. 1758年のクリスマス、農夫が見つけたもの
1. 予言されたハレー彗星を、農夫パリッチュが最初に見つけた ── 1758年12月25日
ドイツの ちいさな むらに、パリッチュと いう のうふが いました。ほしを 見るのが すきで、ぼうえんきょうで よぞらを 見て いました。
1758ねんの クリスマスの よる、パリッチュは そらに ぼんやりした ひかりを 見つけました。3日あとに、べつの 人も たしかめました[3]。
この ひかりを、みんなが まって いました。でも どうして、この ねんに もどって くると わかって いたのでしょう。
ドイツの農夫パリッチュは、天体観測が好きなアマチュア天文家でした。1758年12月25日の夜、望遠鏡で、ぼんやりした光を見つけます。3日後の12月28日には、ホフマンという人も確認しました[3]。
大学や天文台の学者ではありません。それでも世界中の天文家が待っていたその光を、いちばん早く見つけたのは、夜空をよく知る農夫でした。
では、なぜこの年に戻ってくると、みんなが知っていたのでしょうか。
2. ハレーは、どうして「もどって くる」と 思った?
2. 三つの彗星は、同じ彗星だった
2. 1531・1607・1682年の彗星の軌道が一致する
ハレーは むかしの すいせいの きろくを、たくさん しらべました。すると、1531ねん、1607ねん、1682ねんに 出た すいせいは、とおる みちが、そっくりでした[2]。
ほかの すいせいは、みちが ばらばらです。ハレーは 「この 3つは、おなじ すいせいが ぐるぐる まわって もどって きて いるのでは」と かんがえました。
たとえば、ゆっくり はしる でんしゃは、なんじゅうねんに 一どだけ えきに つきます。すいせいも、その ような ものと 考えたのです。1705ねんの ほんに、1758ねんごろに また 来ると かきました。
ただし 本当は、すいせいは でんしゃと ちがって、いつも ぴったりの ときに 来る わけでは ありません。
ハレーは過去の彗星の記録を調べ、軌道をくらべました。すると、1531年、1607年、1682年に現れた彗星は、太陽のまわりを通る道すじ(軌道)の数値がほぼ同じだったのです[2]。
彗星の軌道はふつう一つ一つちがいます。三つが似ているのは偶然とは考えにくい、とハレーは判断しました。これは同じ天体が約76年ごとに戻ってくる姿で、次は1758年ごろだ、と1705年の本『彗星天文学概論』で結論しました[2]。
彗星は、ハレーが見つけたものではありません。彼の仕事は、過去の記録を並べて「戻ってくる」と気づき、次の年を言い当てるところにありました。
そのとき、ハレーはこんな趣旨のことも書いたと伝えられています。1758年ごろにまた現れたなら、後の世の人たちは、これを最初に気づいたのがイギリス人だったと認めてくれるだろう、と[4]。
1705年の『彗星天文学概論』で、ハレーは過去の彗星の軌道要素をくらべた。NASAの説明によると、ハレーは1531年・1607年・1682年の三つの彗星の軌道が似ていることから、同じ彗星の再来と考えた[1]。彗星ごとに軌道が違うのが普通なので、同じ天体が繰り返し戻ってくると考えれば説明がつく。そこで周期を約76年とし、再来を1758年ごろと予言した[2]。日本語の資料には1456年の彗星も同一と紹介するものがあるが、ハレー自身の論文に含まれていたか確認できていない[7]。
ハレーの貢献は、彗星の「発見」ではなく、周期の予言にある。彗星の記録そのものは、古くから残っている。
予言に添えて、ハレーは、1758年ごろにまた現れたなら、公平な後世の人はこれがイギリス人に最初に気づかれたことを認めるだろう、という趣旨の言葉を残したとされる[4]。これは意訳として扱う。自分では確かめられない年を、予言者は知っていた。その予言は、どこまで当たったのだろうか。
3. よげんは、ぴったり あたったの?
3. 予言はどこまで当たったのか
3. 引力の影響と、周期の幅
ハレーの よげんは、「1758ねんの おわりから 1759ねんの はじめ」と、すこし はばが ありました。木せいや 土せいの ひっぱる ちからを、くわしく けいさんできず、あらく かんがえて いたからです[2]。
ハレーが なくなった あと、フランスの けいさんの とくいな 人たちが、もっと くわしく けいさんしました。「4がつの なかごろ」と 出しましたが、じっさいは、それより はやく 来ました[2]。
すいせいが もどる ときは、すこしずつ ずれる ことも あります。ちかくの おおきな ほしが、ひっぱるからです。
ハレーの予言には幅がありました。ハレーは、木星と土星の引力が彗星の動きに与える影響を、粗く見積もったにすぎなかったからです[2]。
ハレーの死後、フランスのクレロー、ラランド、ルポートの3人が、この引力の影響を丁寧に計算しなおしました。近日点(太陽にいちばん近づくとき)を1759年4月の中ごろと予測し、誤差は約1か月とされます。実際の通過は、その予測より早かったと説明されています[2]。
周期は、毎回「ちょうど76年」ではありません。平均は約76年で、実際には約74〜79年の間で変わります。木星や土星の引力と、彗星から出るガスの影響によるものとされています[2]。予言は当たりましたが、当たり方には、計算の力が加わっていました。
ハレーの予言の日付が幅をもっていたのは、木星・土星の引力による軌道のずれを粗くしか見積もれなかったためである。その後、クレロー、ラランド、ルポートが引力の影響(摂動)を詳しく計算し、近日点通過を1759年4月中旬と予測した。誤差は約1か月で、実際の通過はそれより早かったとされる[2]。
周期は一定ではない。約74〜79年の幅で変わり、紀元前239年から1986年までの記録では、1986年の76.0年から79.3年まで変化している。木星・土星など惑星の引力に加え、彗星からのガス噴出も影響すると説明される[2]。
このため、ハレーの「約76年」は平均としての値で、再来の時期を予測するには、そのつど計算の改良が必要だった。では、この彗星に、なぜ発見者でないハレーの名がついたのか。
4. なまえは、どうして「ハレー」に なった?
4. 発見者ではないのに、名前がついた理由
4. 命名の根拠 ── 予言の的中と、2000年以上の記録
この すいせいを 見た 人は、ハレーの ずっと まえにも いました。いちばん ふるい たしかな きろくは、ちゅうごくの 本に ある、いまから 2200ねんいじょう まえの ものと いわれます[1]。
それでも 名まえが ハレーなのは、「もどって くる」と いいあてて、それが 当たった さいしょの れいだったからです[1]。1759ねんに、フランスの がくしゃ ラカイユが 「ハレーすいせい」と よぶ ことを すすめたと つたえられます[2]。
5. わかい ハレーは、どうして とおい しまへ 行った?
5. 20歳ごろ、南の空の星を測りに孤島へ
5. セントヘレナ島の観測と南天の星表(1677〜78年)
ハレーは 20さいの ころ、だいせいように うかぶ、とおい しまへ わたりました[5]。イギリスからは、みなみの そらの ほしが 見えにくかったからです。
ハレーは、その ほしの いちを 1つずつ はかりました。そして 341この ほしを のせた 本を、1679ねんに つくりました。おうさまの おうえんと、ふねの 会しゃの きょうりょくが ありました[5]。
その しまで、水せいが たいようの まえを とおるのも 見ました[5]。この ことが、あとの ハレーの 考えに つながったと いわれます。
ハレーは20歳ごろ、オックスフォードを離れ、大西洋の孤島セントヘレナへ向かいました。イギリスからは、南の空の星が見えにくかったからです。渡った年は資料により1676年か1677年と差があります[5]。
そこで星の位置を測り、341個の星を載せた星表『南天星表』を1679年に出版しました。国王チャールズ2世の支援と、東インド会社の協力がありました[5]。
1677年10月には、水星が太陽の表面を通っていく様子も観測しました。同じ現象を金星で観測できれば、太陽系の大きさを測れると、この島で気づいたとされます[5]。ただしこの部分は、検索結果の要約にもとづいています。
ハレーは20歳前後でオックスフォードを離れ、大西洋のセントヘレナ島へ渡った(1676〜77年に着いたとされ、資料で差がある)。イギリスからは観測しにくい南の空の星の位置を測るためで、国王チャールズ2世の支援と東インド会社の協力を得た[5]。この観測は341個の星を載せた『Catalogus Stellarum Australium』にまとめられ、1679年に出版された。
この島では1677年10月に水星が太陽の表面を通っていく様子(太陽面通過)も観測し、同種の現象を金星で観測すれば太陽系の大きさが測れると気づいたとされる[5]。この点は二次的な資料にもとづく。
この着想は約40年後に形になる。ハレーは、自分では見られない天文現象の観測を、後の世代に託すことになる。
6. ハレーは、もう ひとつ、どんな よげんを のこした?
6. もう一つの「自分では見られない」予定
6. 金星の太陽面通過による天文単位の測定案
ハレーは 1716ねんに、こんな 考えを 出しました。とおく はなれた ばしょから、きんせいが たいように かさなる ところを 見れば、ちきゅうと たいようの きょりが けいさんできる、と[6]。
その ときは 1761ねんと 1769ねんに 来ます。ハレーは、1742ねんに 85さいで なくなりました[6]。その ときを 見る ことは ありませんでした。
1769ねんには、イギリスの クックが タヒチで かんそくしました[6]。
ハレーは1716年、学術誌『フィロソフィカル・トランザクションズ』で、金星の太陽面通過を離れた地点から観測すれば、地球と太陽の距離(天文単位)が求められると提案しました[6]。
次の通過は1761年と1769年です。ハレーは1720年に王室天文官(ジョン・フラムスティードの後任)となり、1742年に85歳で亡くなるまで務めましたが、この通過を見ることはありませんでした[6]。
予言も提案も、自分では見られない未来に向けたものでした。1769年にはクックがタヒチで観測しています[6]。
ハレーは1716年の『Philosophical Transactions』で、離れた複数の地点から金星の太陽面通過の時刻を測れば、地球と太陽の距離(天文単位)が求められると提案した。金星の通過は1761年と1769年にあり、ハレーは1742年に85歳で亡くなっていた[6]。1720年にフラムスティードの後を継いで王室天文官に就き、亡くなるまで務めた。
この提案も、彗星の予言と同じく、ハレーが見られない未来の天体現象を予測し、後の世代に観測を託すものだった。1769年にクックがタヒチで観測しているが、詳細は二次資料による。
彗星の予言、南天の星表、金星通過の提案。ハレーの仕事は、空を測る営みが人から人へ渡されることを、はっきり示している。では、その次の約束はいつか。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
今日できること
ハレーすいせいが つぎに 来るのは、2061ねんと されて います[1]。2061から、いまの としを ひくと、その ときの じぶんの ねんれいが わかります。
出かけてできること
こうえんや としょかんで、すいせいや ほしの ほんを さがして みましょう。1986ねんの ハレーすいせいの ことを おぼえて いる おとなが いたら、きいて みるのも いいです。
こうしきの じょうほう
NASAや こくりつてんもんだい、ぼうえんきょうの 本が つたえる 2061ねんの よそくは、あたらしい しりょうで たしかめましょう。
今日できること
ハレー彗星の次の近日点通過は2061年とされています[1]。2061から今の年を引くと、あと何年かが分かります。自分の誕生日も考えて、そのときの年齢を想像してみてください。1986年の回帰では、ヨーロッパのジオット探査機などが核に近づき、核は約15km×8kmの大きさでした[1]。
出かけてできること
図書館や科学館で、彗星の本や展示を探してみてください。1986年のハレー彗星を覚えている大人がいれば、どんな様子だったか聞いてみるのもよいでしょう。
公式情報
NASAの1P/Halleyのページや、国立天文台の解説で、次の回帰の日付と観測条件を確認できます。予測日は新しい資料で確かめてください。
自分で追ってみる
パリッチュのように、空を続けて見てみましょう。望遠鏡がなくても、同じ時刻に月の位置を記録して、何日か後に見比べると、空の動きが見えてきます。
今日できること
次の近日点通過は2061年とされる[1]。今の年を2061から引くと近日点までの年数が出る。誕生日も考えて、そのときの自分の年齢を想像する。1986年2月9日の近日点通過(太陽から約0.587天文単位)では、ジオットなどの探査機が核に接近し、核の大きさは約15×8kmと報告された[1]。
出かけてできること
図書館・科学館で彗星の展示や本を探す。1986年の回帰を覚えている人に、当時の様子を聞くのもよい。
公式情報
NASA Science「1P/Halley」のページを読み、予測日を最新の天文台資料と照らす。原論文『彗星天文学概論』に当たれば、ハレーが実際に何例を比べたかが分かる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
彗星の周期予言の内容と名前の由来はNASAの説明を軸に、英語版Wikipediaなどの二次資料を突き合わせた。ハレーの言葉の引用は、原論文ではなく解説項目による。南天の観測は王立グリニッジ博物館の資料による。
- NASA Science「1P/Halley」 https://science.nasa.gov/solar-system/comets/1p-halley/ (名前の由来・周期・記録・1986年の観測)
- Halley's Comet(Wikipedia英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/Halley%27s_Comet (1705年の予言・引力の計算・周期の幅・命名)
- Johann Georg Palitzsch(Wikipedia英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/Johann_Georg_Palitzsch (1758年の再発見)
- Encyclopedia.com「Halley, Edmond」 https://www.encyclopedia.com/people/science-and-technology/astronomy-biographies/edmond-halley (後世への言葉の趣旨)
- Royal Museums Greenwich「Halley's visit to Saint Helena」 https://rmg.co.uk/collections/archive/rmgc-object-574504 (セントヘレナ島の観測と星表)
- Edmond Halley(Wikipedia英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/Edmond_Halley (金星の通過の提案・王室天文官・没年)
- 現代ビジネス 天文歴の記事 https://gendai.media/articles/-/58116 (1456年の彗星を含める紹介)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
- 調べた側の事情を述べる文(「確かめられなかった」など)を減らし、読みやすく整えた(事実・数字・出典は変えていない)。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。