1. むかしの ふゆは、どこで あったまって いたの?
1. 昔の冬は、部屋ではなく「火のまわり」を暖めていた
1. 昔の日本の冬は、部屋ではなく「火のまわり」を暖めていた
ふゆの よる、かぞくは いえの どこに あつまって いたのでしょう。むかしの いえでは、囲炉裏の まわりや、火鉢の そば、こたつの なかでした[1]。
こうぎの しりょうでは、縄文の じだいの たて穴の いえの ろ が、囲炉裏の もと だと されます。奈良の じだいの 「火舎」が、いちばん ふるい 火鉢と いわれます。こたつや 行火が でて くるのは、室町の じだいです。もやす ものも、まきから、けむりの すくない 木炭などに かわりました。
日本では、へやぜんぶでは なく、からだの まわりを あたためる やり方が はったつ した そうです。では、へやを まるごと あたためる どうぐは、いつ きたのでしょう。
冬の夜、家族が同じ場所に集まる。昔の日本の家では、それは囲炉裏のまわりであり、火鉢のそばであり、こたつの中でした。
大学の講義資料によると、縄文時代の竪穴住居の炉が囲炉裏の原型で、奈良時代の火舎が日本最古の火鉢とされます。室町時代にはこたつや行火が現れ、燃やすものも薪から、煙の少ない木炭などへ変わっていきました[1]。年代はおおまかな整理で、細かい前後までは決まっていません。
同じ資料は、日本では欧米のように部屋全体を暖める暖房ではなく、体のまわりを暖める「採暖」が発達したと説明します。火の近くに寄る暖かさです。では、部屋ごと暖める道具は、いつ日本に来たのでしょうか。
冬の夜に家族が集まる場所は、昔の日本の家では火のそばだった。囲炉裏、火鉢、こたつがその代表である。熊本県立大学の講義資料は、縄文時代の竪穴住居の炉を囲炉裏の原型、奈良時代の火舎を最古の火鉢とし、室町時代にこたつと行火が現れたと整理する。同時に、燃料も薪から木炭など煙の少ないものへ移ったという[1]。ただし資料の年代の並びは大づかみなもので、鎌倉時代の火鉢が室町の後に書かれているなど、細かい前後は断定しにくい。
この資料がもう一つ指摘するのは、日本では欧米と事情が異なり、部屋全体ではなく体のまわりを暖める「採暖」が発達した点である[1]。火の近くに人が寄る暖房なら、部屋を丸ごと暖める必要はない。では、部屋全体を暖める道具はいつ、どこから入ってきたのか。
2. 日本で ストーブが つくられたのは、いつ?
2. 1856年の箱館で、ヨーロッパの置き暖炉をまねたストーブが作られた
2. 部屋を暖める道具の最初の記録:1856年の箱館と、明治以降の輸入品
1856ねんに、箱館で、「カッヘル」と いう おきどうぐの だんろを まねた ストーブが つくられた、と いう きろくが あります。いまの ところ、日本で つくった ストーブの 1ばんめと みられて います[2]。
そのあと、明治から 大正に かけて、がいこくの ストーブが たくさん はいって きて、日本でも まねした ものが たくさん つくられました。
ところが、でんきで あたためる ストーブも、ほとんど おなじ ころに はいって きて いました。
『北蝦夷地御用留』という記録に、1856年(安政3年)、箱館(今の函館)で、「カッヘル」という置き型の暖炉をモデルにしたものを作ったとあります。日本大百科全書は、これを国産ストーブの第1号とみなしています[2]。
明治から大正にかけて、外国製のストーブは次々に輸入され、国内でもまねた製品がたくさん作られました。石油ストーブも明治のころから使われましたが、はじめはぜいたく品として扱われたようです[2]。
そのころ、もう一つの暖房がやって来ていました。電気ストーブです。
国産ストーブの第1号とみなされているのは、1856年(安政3年)に箱館で、置き型の暖炉「カッヘル」をモデルにして作られたものである。『北蝦夷地御用留』に記録があり、日本大百科全書はこれを根拠に第1号とする[2]。囲炉裏や火鉢の暖かさとは違い、部屋の空気を暖める道具の最初の例ということになる。
その後、明治から大正にかけて、外国製ストーブが次々に輸入され、国内でも模倣品が多く作られた。石油ストーブも明治から使われ国内でも作られたが、当初はぜいたく品の扱いだったという[2]。つまり、部屋を暖める道具は幕末から入っていたが、一般の家庭を変えるほどの広がりにはならなかったことになる。それでは、電気ストーブはどうだったのか。
3. でんきストーブが あったのに、どうして 火鉢の まま だったの?
3. 電気ストーブは、なぜ庶民には手が届かなかったのか
3. 電気ストーブの国産化と、電気料金・価格という壁
でんきストーブは、明治の おわりごろに がいこくから きて、大正の はじめには 日本でも つくられました。大正4ねん(1915ねん)に うり はじめた、と いう しりょうも あります[2][3]。
でも、そのころは、やっと 電灯が ひろがった ばかりで、でんきの りょうきんが とても 高く、ふつうの ひとには てが とどきませんでした[2]。
1932ねんどの 大阪市の とうけいでは、電灯を つかう いえが 51まんけん ほど、でんきの ねつを つかう いえが 5まんけん ほどでした。およそ 10ぶんの 1です。ただし、でんきの ねつには アイロンなども ふくまれて いて、ストーブだけの かずでは ありません[3]。
こうした でんきストーブの じつぶつは、はくぶつかんにも のこって います。
電気ストーブは明治の末ごろに輸入され、大正のはじめには国産品も作られました。国産の電気ストーブとアイロンの発売開始は1915年(大正4年)とされます。ただし、これは発売の目安で、最初の1台と決まったわけではありません[3]。
ところが、そのころはようやく電灯が広まったばかりで、電気料金が非常に高く、庶民には手の届かないものだったと百科事典は書いています[2]。
数字も残っています。大阪市立科学館の資料によると、1932年度の大阪市電気局の統計では、電灯の需要家が約51万軒、電熱の需要家が約5万軒でした。5万を51万で割ると約0.1、つまり需要家の数で比べると、電熱は電灯のおよそ10分の1です。ただし「電熱」はアイロンなども含むので、ストーブだけの数ではありません。1933年ごろの電気アイロンの中心価格は2〜6円で、扇風機やラジオは25〜40円でした[3]。同じ「家電」でも値段に開きがあり、暖房用の電気は家計にとって軽くなかったことがうかがえます。
江戸東京博物館には、大正から昭和初期のアメリカ製(THERMA社)の電気ストーブや、昭和前期の芝浦製作所製の電気ストーブが所蔵されています[5]。実物はちゃんと残っているのです。
電気ストーブは明治末期に輸入され、大正初期には国産品も作られた。だが、ようやく電灯が普及した頃で電気料金が非常に高く、庶民には手の届かないものだったという[2]。なお国産の電気ストーブとアイロンの発売開始は1915年(大正4年)とされるが、これは『家庭電気機器変遷史』をもとにした表の値で、最初の1台を示すものではない[3]。大正のはじめという幅で書けば、両方の資料と合う。
では、高い電気はどのくらい家庭に届いていたのか。大阪市立科学館の資料は、1932年度の大阪市電気局の統計で、電灯の需要家が約51万軒、電熱の需要家が約5万軒だったと紹介する。割ると、需要家数では電熱は電灯の約10分の1である。ここで注意が要るのは、「電熱」にはアイロン等も含まれる点で、ストーブの普及率としては読めないことだ。同じ資料には、1933年頃の電気アイロンの中心価格が2〜6円、扇風機・ラジオが25〜40円とある。25を6で割ると約4倍、40を2で割ると20倍で、同じ家電でも価格差は数倍から約20倍に及ぶ。電気ストーブそのものの値段の数字は、この資料にはない[3]。
だが、物としては確かに残っている。江戸東京博物館のデジタルアーカイブには、大正〜昭和初期のTHERMA(アメリカ)製の電気ストーブ(高さ約65cm)や、昭和前期の芝浦製作所製の電気ストーブが載る[5]。こうした実物の赤く光る部分には、どんな材料が使われているのか。
4. あかく ひかる せんは、なにで できて いるの?
4. 電気で赤く光る線を支えた合金、ニクロム
4. 1906年の特許:赤熱しても丈夫な発熱体としてのニクロム
でんきストーブの なかには、あかく ひかる せんが あります。でんきを とおすと あつく なる せんです。
この せんに、ニッケルと クロムを まぜた ニクロムと いう きんぞくが つかわれる ことが あります。1906ねんに、アメリカの マーシュさんが とっきょを とりました。ニクロムは、じょうぶで あんぜんに つかえる ねつの もとに なる と いわれ、トースターなど いろいろな かでんに つかわれました[4]。
ただし、日本の でんきストーブの せんが ぜんぶ ニクロムだと いう わけでは ありません。
電気ストーブをのぞくと、赤く光る線が見えます。電気を流すと熱くなる線で、「発熱体」と呼ばれます。
発熱体に使われる代表的な材料が、ニッケルとクロムの合金であるニクロムです。アルバート・マーシュが1906年にアメリカで特許(No.811,859)を取りました。英語版Wikipediaは、抵抗の大きい線が丈夫で安全な発熱体として使えると説明し、トースターなどの家電にも使われたといいます[4]。
赤熱しても切れにくい線は、電気を熱に変える道具を作る助けになりました。ただし、日本の電気ストーブの発熱体がすべてニクロムだったとはいえず、日本でいつから使われたかも、この記事の資料には出てきません。
電気ストーブの赤く光る部分は、電気を流すと熱を出す線、すなわち発熱体である。この線に必要なのは、赤熱しても切れにくく、安全に使えることだ。この条件を満たす材料として知られるのが、ニッケルとクロムの合金、ニクロムである。
英語版Wikipediaによると、アルバート・マーシュは1906年に米国特許No.811,859を取得した(開発は1905年頃とされる)。抵抗の大きい線を作れば、丈夫で安全な発熱体として使えるという内容で、トースターなどの家電に使われた[4]。赤熱しても切れにくい材料は、電気を熱に変える道具を作る助けになった。ただし、これは電気ヒーターの材料を説明する一例である。日本の電気ストーブの発熱体がすべてニクロムだったとは書けず、日本でいつから使われたかも、集めた資料からは述べられない。
5. そして へやを まるごと あたためる ヒーターへ
5. 戦後、部屋ぜんたいを暖める暖房が家庭に広がった
5. 戦後の洋風化・高断熱化と、1978年の石油ガス化ファンヒーター
戦後、くらしが ようふうに なり、たてものも すきまが すくなく なりました。それと ともに、火鉢に かわって、へや ぜんたいを あたためる ストーブが ひろまったと いわれます[1]。
せきゆストーブは、戦後、せきゆが じゆうに うり かい されるように なって から、つよい ひで つかわれるように なったと いわれます[2]。
1978ねんには、三菱でんきが 「石油ガス化ファンヒーター」を うりだしました。せかい はじめての かていよう 石油ファンヒーターと する ほうどうも あります[6]。
こうして、ひの まわりを あたためる どうぐに くわえて、へやを まるごと あたためる ヒーターも ひろがって きました。
第二次世界大戦のあと、生活が洋風になり、建物の断熱や気密も高まりました。講義資料は、それらとともに、火鉢に代わって部屋全体を暖めるストーブや暖炉が広まったと整理します[1]。
石油ストーブについても、百科事典は、戦後に石油の統制がなくなってから強い火力のものが広く使われるようになった、と説明します[2]。
1978年、三菱電機は「石油ガス化ファンヒーター」を発売しました。同社の沿革に記録があり、報道では、これを世界初の家庭用石油ファンヒーターとするものがあります[6]。火のまわりを暖める道具に加えて、スイッチ一つで部屋全体を暖めるヒーターも広がってきました。
第二次世界大戦後に変化が起こった。生活様式の洋風化が進み、建物の断熱化・気密化が向上するにつれ、火鉢に代わって、室内全体を暖めるストーブや暖炉が普及したと講義資料は整理する[1]。部屋が冷めにくくなったことは、部屋ごと暖める方式が広がる条件の一つだったと考えられる。
石油ストーブも、同じ流れで広がった。百科事典は、明治から使われ国内でも作られたが当初はぜいたく品扱いで、戦後の石油の統制撤廃のあとに強い火力のものが広く使われるようになった、とする[2]。
その先にあるのが、1978年に三菱電機が発売した「石油ガス化ファンヒーター」である。同社の沿革に記載があり、報道ではこれを世界初の家庭用石油ファンヒーターとするものもある[6]。ただし「世界初」は報道上の表現である。電気料金が高かった電気ストーブとは別の道すじで、部屋を暖める熱源が、石油にも広がったことになる。
6. うちの ヒーターの「ねつの もと」を さがして みよう
6. 家のヒーターの「熱の出どころ」を探してみる
6. 家の暖房器具で「何から熱を取っているか」を確かめる
おうちで できる こと
おうちや がっこうに ある ヒーターの そとがわを、さわらずに、よく 見て みましょう。ほんたいや せつめいしょに、「電気」「灯油」と いった もじや、ワットの かずが かいて ある ことが あります。ひを つかう どうぐは、かならず おうちの ひとと いっしょに 見ます。スイッチは いれません。
もっと しりたく なったら
おとなと いっしょに、江戸東京はくぶつかんの デジタルアーカイブで「電気ストーブ」と しらべると、むかしの ストーブの しゃしんが 見られます[5]。
今日できること
家や学校にある暖房器具の本体や取扱説明書を、スイッチを入れずに見てみましょう。「電気」「灯油」「ガス」など、熱を何から取っているかが書かれています。火を使う器具は、必ず家の人と一緒に見ます。
出かけてできること
江戸東京博物館のデジタルアーカイブで「電気ストーブ」と検索すると、大正から昭和初期の実物の写真と説明が見られます[5]。
公式の情報
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- 辻原万規彦「環境調整工学 第4回 暖房の歴史」(県立熊本大学講義資料). https://www.pu-kumamoto.ac.jp/users_site/m-tsuji/kougi.html/tyosei.html/tyosei19.html/tyosei1904.pdf (日本の暖房の流れと採暖)
- 日本大百科全書「ストーブ」(コトバンク). https://kotobank.jp/word/%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%96-3156486 (国産ストーブ第1号、電気ストーブの価格、石油ストーブ)
- 大阪市立科学館「月刊うちゅう」2022年8月号「1930年代の家電って、どんなの?」. https://www.sci-museum.jp/wp-content/uploads/2022/08/universe202208_8-11.pdf (発売開始年と大阪の統計・価格)
- Wikipedia: Albert L. Marsh. https://en.wikipedia.org/wiki/Albert_L._Marsh (ニクロムの特許)
- 江戸東京博物館 デジタルアーカイブ「電気ストーブ」. https://www.edohakuarchives.jp/detail-84456.html (昔の電気ストーブの実物)
- 三菱電機 沿革 1920s-70s. https://www.mitsubishielectric.co.jp/ja/about/history/1920s-70s/ (1978年のファンヒーター)
なおした ところ
更新履歴
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