1. れいぞうこが ない とき、夏の こおりは どう した?
1. 冷蔵庫がない時代、夏の氷はどうやって手に入れた?
1. 製氷会社ができる前、冬以外の氷はどう調達されたか
いまは れいとうこを あければ、すぐ 氷が あります。でも、むかしは ちがいました。
明治16年(1883ねん)に 氷を つくる 会社が できる まえは、冬の ほかに 氷を 手に入れる 方ほうが、ふたつだけ でした。外国から 買うか、氷室に しまって おくか、です[1]。
外国の 氷は、アメリカの ボストンから 来ました。とおい 海を こえて きた ぶん、ねだんも 高かった ようです[2]。
この 高い 氷を、日本で つくって やすく しよう と 考えた 人が います。中川かへえ(1817〜1897)です[2]。
2. 五りょうかくの ほりで、氷を つくった
2. 函館の五稜郭の濠が、巨大な天然の製氷場になった
2. 富士山麓の失敗から五稜郭の濠へ 函館氷の成立
かへえさんは、はじめ ふじさんの ふもとなどで ためしました。でも、うまく いきませんでした。
つぎに 目を つけたのが、北海道・函館の 五りょうかくです。まわりを かこむ ほりに 水が たまって いて、冬には こおります。
1870ねんに ほりを つかう ゆるしを もらい、1871ねん、およそ 670トンの 氷を きり出して、「函館氷」と して 売りだしました[2]。
670トンは、135キロの 氷の はしら やく5000本ぶんです。670000を 135で わって みた 計算です。これは 工場の 氷の 大きさとは べつの 数ですが、とても たくさんの 氷だった ことは わかります。
この 氷は 船で 横浜へ はこばれ、のちに 銀座で 氷屋さんを ひらいた 人が あつかった ようです[3]。
中川嘉兵衛は、富士山麓などでの氷づくりに失敗したのち、1869年に五稜郭を視察しました。1870年に濠の使用権を得て、1871年(明治4年)に約670トンの氷を切り出し、「函館氷」として商品化したと伝えられています[2]。ただし、年は資料によって1〜2年ずれることがあるため、年は「ごろ」ぐらいの幅を持たせて読むのが安全です。
670トンという量を、実感できる数字に直してみます。670トンは670,000kgで、これを後で出てくる135kgの氷の柱で割ると約4,960本分です。氷缶と濠の氷は別のものですが、冬のあいだに自然が作る氷としては、かなりの規模だったことが分かります。
切り出した氷は、開港場として外国商船でにぎわっていた函館から横浜へ運ばれました。そのうちの氷は、のちに銀座で氷屋を開いた人(函館屋)が扱ったと紹介されています[3]。夏の東京で食べる氷が、北の濠の冬から来ていたことになります。
けれども天然の氷は、冬が寒くなければ採れません。ほかの土地の天然氷は、どうやって氷にしていたのでしょうか。
中川嘉兵衛は、富士山麓などでの試みが実らなかったのち、1869年に五稜郭を視察し、1870年に濠の使用権を得て、1871年(明治4年)に約670トンを切り出して「函館氷」として商品化した[2]。ただし、資料間で1〜2年の差があり、青森市の資料などは明治3年を製造開始とする。したがって年次は「ごろ」ぐらいの幅をもって扱うのが妥当だ。
670トンの規模は、後述する氷缶の単位で換算すると約4,960本分(670,000÷135)になる。氷缶は工場の氷、濠の氷は天然氷で、厚さも切り出し方も違うので、この換算は規模の目安にすぎない。それでも、一度の冬にこれだけの氷を確保できた理由が、濠という広い水面にあったことは読み取れる。
出荷先も重要である。函館は開港場として外国商船が出入りしており、函館氷は横浜へ運ばれ、のちに銀座で氷屋を開いた人(函館屋)が扱った[3]。輸入氷が高価だったという前提に立てば、国内の北から運ぶ氷は、同じ天然氷でも価格面で有利になり得たはずだが、この点を直接示す数字は今回の資料にはない。
では、寒い土地では天然氷は今もどう扱われているのか。
3. さむい 日の 池で、氷は どう そだつ?
3. 冬の池で氷を育て、おがくずで包んで夏まで守る
3. 天然氷の条件と氷室 日光の例から読む限界
天ねんの 氷は、いまも 日光で つくられて います。1月から 2月に、池の 水を 2しゅうかん ほど かけて こおらせます[4]。
15センチくらいの あつさに なると、きり出し です。きった 氷は、氷室に はこび、ヒノキの おがくずで つつんで しまいます[4]。
むかしは 100けんちかく あった 氷室も、いまは 日本に 5つだけです。そのうち 3つが 日光に あります[4]。
日光の 金谷ホテルは、1918ねんに 近くの 池の 氷を きり出し、氷室で 食べものを ひやして いました。でも 1929ねんごろに 氷が うすく なり、とれなく なりました。そこで 氷屋さんから 買う ように なった そうです[5]。
日光の天然氷は、1〜2月に約2週間かけて池で凍らせ、15cmほどの厚さに育ったら切り出します。切った氷は氷室に入れ、ヒノキのおがくずで覆って保管します[4]。昭和初期に全国に100軒近くあった氷室は、2024年の記事では5つ、そのうち3つが日光にあるとされています[4]。
金谷ホテルの例は、天然氷が寒さにしばられる様子をよく示しています。1918年(大正7年)に小倉山の凍った池から氷を切り出し、ホテル内の氷室に運んで食材の保存に使い始めました。ところが1929年ごろに氷が薄くなって採れなくなり、氷店から買う形に変えたとされます[5]。
天然氷は、その年の冷え込みに左右されやすいのです。
そこで主役になったのが、季節を問わず氷を作れる工場でした。
日光の例では、天然氷は1〜2月に約2週間かけて凍らせ、厚さ約15cmで切り出し、氷室でヒノキのおがくずを覆って保管する[4]。昭和初期に全国で100軒近くあった氷室は、2024年の記事によれば5つ(うち3つが日光)まで減っている[4]。
天然氷の弱点は、条件がそろわないと採れない点にある。金谷ホテルは1918年(大正7年)に小倉山の池の氷をホテル内の氷室に運んで食材の保存に使い始めたが、1929年ごろに氷が薄くなって採れなくなり、氷店からの購入に切り替えた[5]。つまり、ホテルのような大きな需要家でさえ、池の氷だけで夏を越すことは続けられなかった。氷が薄くなった原因と気温との関係は、推測にとどまる。
ここから、冬の寒さに頼らない氷の作り方が、なぜ必要とされたかが見えてくる。その氷はどう作られるのか。
4. こうじょうでは、なぜ 48時間も かけるの?
4. 工場の氷が、135キロの柱で48時間かけて凍る理由
4. 缶氷の製法 冷却液・-10℃・氷結速度1時間2〜3mm
工場の 氷は、「かんごおり」と よばれる ことが あります。大きな 缶に 水を 入れて、つめたい 水そうに しずめ、ゆっくり こおらせます。
つめたい 水そうの 中身は、「ブライン」です。塩の なかまを まぜた つめたい 水で、−10℃くらい です[6]。
135キロの 氷の はしらを つくるのに、48時間いじょう かかります[6]。べつの 会社でも、48時間かけて すきとおった 氷を つくると せつめいして います[7]。
氷は、1時間に 2〜3ミリずつ そだつ そうです[6]。48時間なら 96〜144ミリ、つまり 10〜14センチ ほど すすむ けいさんです。
135キロは、300ポンド(36かんめ)に あたる 大きさです。日本の 氷づくりの ぎじゅつは、明治に イギリスから 入って きたと せつめいされて います[6]。
工場の氷は「缶氷」と呼ばれます。ブライン(塩化カルシウムを混ぜた冷却液)の槽にステンレスの氷缶を沈め、−10℃程度で凍らせます。135kg入りの氷缶なら48時間以上かかり、氷が育つ速さは1時間に2〜3mmです[6]。別の製氷会社も、純氷は48時間かけて透きとおった氷にし、加工前の原氷は135kgだと説明しています[7]。
この「1時間に2〜3mm」を48時間に延ばすと、96〜144mm、つまり約10〜14cmになります。氷缶の中でどの向きに凍っていくのかは資料に書かれていないため、この数字は氷が育つ速さの目安として読みます。
氷缶の大きさは、300ポンド(135kg、36貫目)の規格が今も使われる例があると紹介され、日本の製氷技術は明治時代にイギリスから導入されたと説明されています[6]。300ポンドを換算すると約136kgで、135kgはその丸めた数字だと考えられます。−10℃も、ある工場の一例で、全工場に共通する決まりではありません。
検品・洗浄したあとは、カットして板氷(1.7kg、3.6kg)や砕氷になります[7]。氷屋さんが手にする氷は、この工場の氷が元になっているのです。
製氷会社の缶氷は、塩化カルシウムを混ぜた冷却液(ブライン)の槽にステンレス製の氷缶を沈め、−10℃程度で凍らせる。135kg容量の氷缶では48時間以上かかり、氷結速度は1時間に2〜3mmとされる[6]。別の製氷会社も、純氷を48時間かけて透きとおった氷にし、加工前の原氷は135kgだと説明しており、数字は互いに矛盾しない[7]。
この速度を単純に48時間へ延ばすと、2mm×48=96mm、3mm×48=144mmとなり、約10〜14cmになる。氷缶内でどの面から凍るかは資料に書かれていないため、これは速度の目安にとどめ、氷の厚さそのものとして読まない。−10℃も一工場の例であり、全工場共通の固定値ではない。
氷缶の大きさには、300ポンド(135kg、36貫目)の規格が今も使われる例があると紹介され、日本の製氷技術は明治期にイギリスから導入されたと説明されている[6]。300ポンドは約136kgなので、135kgは丸めた表記と考えられる。
原氷は検品・洗浄ののち、カットされて板氷(1.7kg、3.6kg)や砕氷になる[7]。工場で作った氷が、そのまま家庭に届いたわけではなく、運びやすい大きさに切り分けられていた。ではその氷は、どのように家に届けられたのか。
5. 氷屋さんは、まい朝 どうやって とどけた?
5. 毎朝のリヤカーと、氷冷蔵庫の「一日分の冷たさ」
5. 配達と氷冷蔵庫 一日単位で冷やす暮らしの設計
むかしの 家には、氷れいぞうこが ありました。木の 箱の 中に ブリキが はって あり、上の だんに 氷、下の だんに 食べものを 入れます[8]。
氷屋さんは、まい朝 リヤカーで 家を まわり、のこぎりで 氷を きり、氷ばさみで もち上げて とどけました[9]。
朝 買った 氷を 入れると、その 日は 一日 れいぞうこが つめたい まま でした[8]。まるで、朝に でんちを 入れかえる ような もの です。ただし、でんちと ちがって、氷は とけて なくなって いきます。
ある 氷れいぞうこは、高さ 72センチ ほどの 箱でした。ただし、ねだんが 高かったので、ぜんぶの 家に あった わけでは ありません[9]。
氷冷蔵庫は、木製の箱の内側にブリキを張ったもので、上段に氷、下段に食品を入れ、冷気で冷やしました[8]。氷屋さんから朝に買った氷を入れておくと、その日は一日、内部を冷やすことができたといいます[8]。氷は電池のように、朝に「充電」する冷たさだったともいえます。ただし電池と違い、氷は溶けて減っていきます。
氷を運ぶ氷屋さんは、毎朝リヤカーなどで家々を回り、のこぎりで切り分け、氷ばさみで持ち上げて届けました[9]。のこぎりで切るのは、家ごとに必要な量がちがったからではないか、と想像できますが、資料はそこまで書いていないため、ここでは断定しません。
氷冷蔵庫の例は、高さ72cm、幅44cm、奥行き40cmです。明治末に国産が発売され、電気冷蔵庫が広まる昭和30年ごろまで使われましたが、高価で、すべての家庭にあったわけではありません[9]。
つまり、毎朝の氷屋さんは、氷冷蔵庫に入れる氷を届けてくれる人でした。この暮らしを大きく変えたのが、電気冷蔵庫です。
氷冷蔵庫は、木製の箱の内側にブリキを張り、上段に氷、下段に食品を置く構造で、氷の冷気で庫内を冷やす[8]。朝に氷屋から買った氷を入れておけば、その日は一日冷たさを保てた。氷は融解して減るので、冷却の能力は一日単位で補充する必要があり、これが毎朝の配達という暮らしの形を生んだと考えられる。
配達は、氷屋が毎朝リヤカーなどで家々を回り、のこぎりで切り分け、氷ばさみで持ち上げて届ける形だった[9]。ここまでの氷の大きさの話と重ねると、工場の135kgの原氷が板氷(1.7kg、3.6kg)などに切り分けられ、さらに家ごとの量に分けて渡されていたと読める。配達中の氷の溶け方は、ここでは扱わない。
氷冷蔵庫の例は高さ72×幅44×奥行40cmで、明治末に国産が発売され、電気冷蔵庫が普及する昭和30年ごろまで使われたが、高価で全家庭にはなかった[9]。この「毎朝の補充」の暮らしは、電気冷蔵庫の普及でどう変わったのか。
6. 電気の れいぞうこが ふえると、氷屋さんは?
6. 電気冷蔵庫の登場で、氷屋さんと氷はどうなった?
6. 電気冷蔵庫の普及と氷雪販売業の縮小、残った需要
日本で はじめて 家で つかう 電気れいぞうこが できたのは、1930ねんです。とうしばの SS-1200 で、おもさは 157キロでした。ねだんは 720円です[10]。
この ころの 銀行員の はじめての おきゅうりょうは やく70円でした[10]。720÷70を すると、10ばいほど です。とても 高い ものだった ことが わかります。
そのあと、電気れいぞうこを もつ 家は ふえました。1957ねんの 2.8%から、1970ねんの 89.1%へ、およそ 13ねんで 32ばいほどに なりました[11]。
氷屋さんなどの 氷を うる 店は、1970ねんに 7938か所ありました。いまは 1587か所で、やく5ぶんの 1です[12]。
国産第1号の家庭用電気冷蔵庫は、東芝のSS-1200で、1930年に完成しました。容量は125L、重さは157kg、価格は720円で、銀行員の初任給が約70円の時代でした[10]。720÷70は約10なので、初任給の10か月分あまりにあたります。ほかのサイトには「昭和6年」「1926年」とする記述もありますが、ここでは東芝の公式の説明にそろえました。
普及は、その後ゆっくり進みました。電気冷蔵庫の普及率は、昭和32年(1957年)の2.8%から昭和45年(1970年)の89.1%へと急に上がりました[11]。2.8%から89.1%は約32倍で、わずか13年のことです。
氷雪販売業の営業施設(許可を受けた施設)は、昭和45年に7,938施設ありましたが、家庭の電気冷蔵庫や飲食店の自動製氷機が広まって減り、令和5年度は1,587施設です[12]。1,587÷7,938は約0.2で、約5分の1です。ただし、これは「氷屋さんの数」そのものではなく、営業の許可を受けた施設の数です。
厚生労働省は、今後の氷雪販売業の道として、高品質の純氷を求める人への販売や、イベント向けの氷彫刻などを挙げています[12]。毎朝の配達という役目は終わりましたが、氷そのものは、かき氷や氷彫刻の形で別の場面に残っています。
国産第1号の家庭用電気冷蔵庫(東芝SS-1200)は1930年に完成した。容量125L・重量157kg、価格720円で、銀行員の初任給が約70円の当時としては非常に高価だった[10]。720÷70は約10.3なので、初任給の10か月あまりに相当する。この年を「昭和6年」「1926年」とする他サイトもあるが、ここでは東芝の公式の説明に従った。
では、いつ高い買い物でなくなったのか。電気冷蔵庫の普及率は昭和32年(1957年)の2.8%から昭和45年(1970年)の89.1%へと急上昇した[11]。89.1÷2.8は約32倍で、13年間に起きた変化である。ただし白書本文は1文でこの数字を述べており、調査対象世帯の定義は原表で確かめる必要がある。
この同じ昭和45年に、氷雪販売業の営業施設は7,938施設あった。家庭の電気冷蔵庫や飲食店の自動製氷機の普及で減り、令和5年度は1,587施設である[12]。1,587÷7,938=約0.2で、約5分の1になった計算だが、これは氷屋の店数そのものではなく、営業許可を受けた施設数だ。
厚生労働省は今後の道として、高品質の純氷を求める人への販売や、イベント向けの氷彫刻などを挙げている[12]。毎朝の配達という需要は消えたが、氷という商品は、純度と見た目を売る方向で別の需要を見つけたと読める。ただし、氷彫刻などは同省が示す可能性の例である。
7. おうちで、こおりが そだつ 時間を はかって みよう
7. 家の製氷皿で、氷が凍る時間を測ってみる
7. 数字を自分で確かめる 冷凍庫での凍結時間と、一次資料の読み方
こおりを つくる ざらに 水を 入れて、れいとうこに 入れて みましょう。1時間ごとに、おうちの 人と いっしょに 見ます。
何時間で 氷に なったか、ノートに 書きます。工場の 48時間と くらべて みると、おもしろいです。ただし 工場の 氷は 135キロ、おうちの 氷は とても 小さいので、おなじ ようすでは ありません。
れいとうこを あけて いる あいだは、あたたかい 空気が 入ります。見る かいすうは、ふやしすぎないように しましょう。
製氷皿に水を入れ、冷凍庫に入れて、1時間ごとにのぞいてみましょう。何時間で完全に凍るか、ノートに書きます。工場の48時間という数字は、135kgの氷缶を−10℃程度の冷却液で冷やして作る例として紹介されているものです。家の氷は、大きさも温度もちがうので、時間が合わなくて当然です。
もうひとつ、近くの郷土資料館や歴史民俗資料館に、氷冷蔵庫が展示されていないか調べてみるのもよいでしょう。今回の資料に出てきた西区立郷土資料館や盛岡市の資料館のように、昔の暮らしの展示で氷冷蔵庫が紹介されることがあります。
家族に、子どものころの氷や冷蔵庫の思い出を聞いてみると、このノートの数字に、人の声が加わります。
家庭の冷凍庫で、製氷皿の水が完全に凍るまでの時間を1時間ごとに測り、工場の48時間(135kg、−10℃程度)と比べると、時間を決める要素(大きさ・温度)を意識できる。条件がちがうので、数字の一致は目的ではなく、何がちがうかを整理する材料になる。
一次資料にあたるなら、厚生労働省の氷雪販売業のページ(昭和45年と令和5年度の施設数、今後の方向)、東芝の冷蔵庫の歴史(SS-1200の仕様と価格)、内閣府の男女共同参画白書(普及率)が出発点になる。出典欄に列挙したので、普及率の調査対象の定義も含め、出典欄の資料を自分の目で読んでみてほしい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の数字・説明の出どころです。年次や数値が資料でちがう場合は、本文で「ごろ」「といわれる」などの形にしています。
- 早稲田大学図書館 古書「函館五稜郭アイス」広告 https://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko10/b10_8028_25 (製氷会社ができる前の氷の入手方法)
- Wikipedia「中川嘉兵衛」 https://ja.wikipedia.org/wiki/中川嘉兵衛 (ボストン氷・函館氷の成立。年は他資料と1〜2年ずれる)
- nippon.com「五稜郭の氷(ライカ北紀行)」 https://www.nippon.com/ja/guide-to-japan/gu014032/ (函館から横浜へ運ばれた氷)
- Precious.jp「日光の天然氷」 https://precious.jp/articles/-/48603 (天然氷の作り方と氷室の数)
- 金谷ホテル「天然氷と氷室」 https://www.kanayahotel.co.jp/150th/treasure/62/ (ホテルの氷室と氷の購入への切り替え)
- 中部冷凍「純氷の作り方2」 http://chu-rei.co.jp/2020/02/04/pure-ice-process2/ (缶氷の温度・時間・氷缶の大きさ)
- 丸川「製氷業」 https://marukawa-inc.jp/business/ice/ (別の会社の純氷づくりとの照合)
- 西区立郷土資料館「夏の暮らし」 https://www.nishi.or.jp/bunka/rekishitobunkazai/ritsukyodoshiryokan/kyodo-tenji/spot_summer.html (氷冷蔵庫のつくりと使い方)
- 盛岡市都南歴史民俗資料館「となん歴民だより77」 https://www.city.morioka.iwate.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/000/860/rekimin-dayori077.pdf (氷の配達と氷冷蔵庫の大きさ・時期)
- 東芝「冷蔵庫の歴史」 https://www.toshiba-lifestyle.com/jp/corporate/rd/research/history/refrigerator/ (国産第1号の電気冷蔵庫の仕様と価格)
- 内閣府 男女共同参画白書 平成16年版 https://www.gender.go.jp/about_danjo/whitepaper/h16/danjyo_hp/html/column/col01_00_03_01.html (電気冷蔵庫の普及率)
- 厚生労働省「氷雪販売業」 https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/kenkou_iryou/kenkou/seikatsu-eisei/seikatsu-eisei03/10.html (氷雪販売業の施設数と今後の方向)
なおした ところ
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