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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

にほんで さいしょの てつどうは、どこを はしったの?

日本で最初の鉄道は、どこを走ったのか ── 先に走った品川と、海の上の線路

日本最初の鉄道はどこを走ったか ── 1872年の品川〜横浜の仮開業と、海上の高輪築堤

分野:歴史・文化

にほんで さいしょの てつどうは、「しんばし」から「よこはま」まで、と ならう ことが あります。

でも、いちばん はじめに おきゃくさんを のせて はしったのは、しんばしでは ありません。しながわから よこはまの あいだでした。

しんばしと しながわの あいだには、うみの うえの せんろも ありました。どうして そんな ことに なったのか、たどって みましょう。

日本で最初の鉄道は、「新橋から横浜まで」と習うことがあります。ところが年表を見ると、最初にお客さんを乗せて走ったのは、新橋ではなく、品川から横浜のあいだでした。

しかも、新橋と品川のあいだの線路には、約2.7kmにわたって、陸ではなく海の上に築いた堤を通る部分があります。どうして海だったのでしょう。

このメモでは、走った場所と日付を、旧暦と新暦のちがいに気をつけながら、いくつかの資料で見ていきます。

日本で最初の鉄道は、新橋〜横浜間(約29km)と説明される。だが国土交通省の年表では、最初の営業運転は新橋ではなく、品川〜横浜の仮開業(明治5年5月7日=太陽暦1872年6月12日)である[1]。

新橋〜品川には、現在のJR田町駅付近から品川駅付近まで、約2.7kmにわたる海上の築堤(高輪築堤)があった[5]。このメモは、走った場所・日付・海に築いた理由を、旧暦と新暦の食い違いに注意しながら、複数の資料で突き合わせる。

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1. いちばん はじめに はしったのは、どこ?

1. 最初に走ったのは、新橋ではなく品川〜横浜だった

1. 1872年6月12日 ── 品川〜横浜の仮開業

1872ねん6がつ12にち、品川しながわと 横浜よこはまの あいだで、おきゃくさんを のせた きしゃが はしりはじめました。しんばしでは ありません[1]。

ながさは およそ 24キロメートル。さいしょの 日は 1日に 2往復おうふくで、つぎの 日から 6往復おうふくに なりました[3]。往復おうふくは、いって かえって くる ことです。

しんばしから しながわまでの こうじは、そのあとで おわりました[2]。それで、しんばしから よこはままで つながりました。

ちなみに、日本で はじめて きかんしゃが はしったのは、もっと まえの 1865ねん、長崎ながさきです。でも それは、おきゃくさんを のせる しごとでは なく、みせる ための ものでした[10]。

国土交通省の年表を見ると、明治5年5月7日、太陽暦でいう1872年6月12日に、品川と横浜のあいだが仮開業かりかいぎょうしています[1]。仮開業は、正式な開業式の前に、先にお客さんを乗せはじめることです。

区間は約24kmで、初日は1日2往復、翌日から6往復になりました[3]。新橋・横浜間(約29km)の開業式は、それより後の9月12日(太陽暦10月14日)です[1]。新橋〜品川の工事が終わったのも、仮開業のあとでした[2]。

ですから、最初に走ったのは、新橋からの線路ではなく、品川と横浜のあいだ、ということになります。

「最初」には、意味がいくつかあります。長崎市の解説によると、日本で最初に蒸気機関車が走ったのは、1865年に長崎の大浦海岸で、イギリスの商人グラバーが走らせた「アイアン・デューク号」の展示運転でした。営業ではなく、線路も数百mほどです[10]。新橋〜横浜は、営業する鉄道として日本で最初、と分けて考えるとすっきりします。

国土交通省の年表によれば、明治5年5月7日(太陽暦1872年6月12日)に品川・横浜間が仮開業かりかいぎょうした[1]。鉄道コムの記事では、区間は約24km、仮開業の初日は1日2往復で、翌日から6往復になった[3]。新橋・横浜間(29km)の開業式は、それより後の明治5年9月12日(太陽暦10月14日)である[1]。

新橋〜品川の工事が終わったのも、この仮開業より後だった[2]。つまり営業の列車が最初に走ったのは新橋駅からではなく、品川と横浜のあいだ、という順序になる。

ただし「最初」にはいくつかの意味がある。長崎市の解説によれば、日本で最初に蒸気機関車が走ったのは1865年(慶応元年)、長崎の大浦海岸でイギリス商人のグラバーが走らせた「アイアン・デューク号」の展示運転で、営業ではなかった。線路は数百m(600mとする資料もある)とされる[10]。新橋〜横浜は、営業の鉄道としての日本初と整理できる。

2. うみの なかに みちを つくったって、ほんとう?

2. 品川から田町のあたりは、海の上に築いた堤の上だった

2. 高輪築堤 ── 約2.7kmの海上の線路

しながわの ちかくから たまちの ちかくまで、およそ 2.7キロメートル。ここでは、うみの なかに つくった ほそながい 道の うえに、せんろが しかれました。この 道を 築堤ちくていと いいます[5]。

プールの なかに ながい ブロックの 道を つくって、その うえを あるく ところを そうぞう して みてください。ただし ほんとうは、うみには なみも ふかさも あり、もっと ずっと 大きな こうじでした。

りょうがわは 石垣いしがきで、ふねが とおる ところには、みずの 道が 4か所 あった と いわれます[13]。

この うみの うえを はしる てつどうは、ひらく まえの 年に、錦絵にしきえにも かかれました。でも、がいこくの 本を みながら、そうぞうで かいた ものだ そうです[11]。

品川駅の近くから田町駅の近くまで、およそ2.7kmは、陸ではなく海の上でした。海の中に石を積んで細長い道をつくり、その上に線路を敷いたのです。この堤を高輪たかなわ築堤ちくていといいます[5]。

たとえば、プールの中に長いブロックの道をつくり、その上を歩くところを想像してください。ただし本当は、海には深さも波もあり、ずっと大きな工事でした。

両側は石垣いしがきで、船が通るところ4か所には水路がつくられたとされます[13]。文化庁の広報誌は、日本の伝統的な石垣の技術と、西洋の近代の技術が組み合わさっていると紹介しています[6]。

開通の前の年(1871年)には、海の上を走る鉄道を描いた錦絵にしきえも出ています。外国の書物を参考に、想像で列車を描いたものだそうです[11]。実際の線路ができる前から、海の上の鉄道は絵になっていました。

港区の解説によれば、高輪たかなわ築堤ちくていは、現在のJR田町駅付近から品川駅付近まで、約2.7kmにわたって海上に築かれた[5]。両側は石垣いしがきで、船が通る4か所には水路が作られたとされる[13]。文化庁の広報誌は、伝統的な石垣の技術と西洋の近代技術が組み合わさっていると紹介する[6]。

開通前年の1871年には、海上を走る鉄道を描いた錦絵にしきえが出ている。外国の書物を参考に、想像で鮮やかな列車を描いたものとされる[11]。実際の線路ができる前から、海の上の鉄道は絵になっていた。

3. どうして うみに つくったの?

3. 陸の用地を確保しにくかったから ── 海に通した理由

3. 用地の事情 ── なぜ海上に線路を築いたのか

とうじ、とうかいどうの そばには、むかしの おやしきの あとや、おかみが つかっている とちが ありました。そこは、せんろの ために つかいにくい ところでした[6]。

それで、うみに みちを つくって、せんろを とおす ことに なりました。

大隈重信おおくましげのぶさんが、うみに とおす ように いった と つたえられて います。でも、ものがたりの ように つたわった はなしで、ほんとうに そう いったか までは、わかりません[6]。

海に築いたのは、陸に線路の用地を確保しにくかったからです。文化庁の広報誌は、東海道ぞいに旧薩摩藩邸さつまはんていや軍用地があり、鉄道の土地を手に入れにくい場所を避けるためだった、と説明しています[6]。

伝えられる話では、兵部省ひょうぶしょうが土地の引き渡しを断り、大隈重信おおくましげのぶが海に通すよう指示した、とされます[6]。ただ、この話は伝承の色が濃く、場面の細かいところまで事実と決めることはできません。

陸の土地を避けたぶん、海に石を積んで道をつくる大きな工事が必要になった、と読めます。

なぜ海に築いたのか。文化庁の広報誌は、鉄道用地の取得が難しい地域を避けて通すためで、東海道沿いに旧薩摩藩邸さつまはんていや軍用地があったと説明する[6]。線路のための土地が確保しにくい、という用地の事情である。

伝えられる話では、兵部省ひょうぶしょうが土地の引き渡しを拒み、大隈重信おおくましげのぶが海に通すよう指示したとされる[6]。ただしこの話は伝承の色が濃く、細かな場面まで事実と決めることはできない。

陸の土地を避けたぶん、海に石を積んで、線路を通すための細長い堤を築く工事が必要になった、と読める。

4. 「10がつ14にち」は、なんの ひ?

4. 開業式は10月14日、旧暦では9月12日

4. 旧暦と新暦 ── 開業式の日付と、暦が変わる直前の年

10がつ14にちは「てつどうの ひ」です。1872ねんの この 日に、しんばしから よこはままでの かいぎょうしきが あったからです[9]。

でも、そのころの ひづけは、いまと ちがいました。ふるい こよみでは 9がつ12にち。ふるい こよみを 旧暦きゅうれき、いまの こよみを 新暦しんれきと いいます[1]。

おなじ 年の 12がつ3にちが、つぎの 年の 1がつ1にちに なり、こよみが かわりました[8]。かいぎょうしきは、こよみが かわる 2か月半 ほど まえの できごとでした。

ふつうの おきゃくさんを のせる うんこうは、つぎの 日から だ と いわれます[13]。

「10月14日」は、新橋・横浜間の開業式があった日です。ところが、当時の日付は今と同じ暦ではありません。年表には「明治5年9月12日(太陽暦10月14日)」と、二つの日付が並んでいます[1]。仮開業も、旧暦の5月7日が太陽暦の6月12日にあたります[1]。

日本の暦が切りかわったのは、この開業式のあとです。国立公文書館によると、明治5年12月3日が、明治6年1月1日になりました[8]。10月14日から元日まで、およそ2か月半。鉄道の開業式は、暦が変わる直前の出来事でした。

この日にちなみ、1994年に10月14日が「鉄道の日」と定められました[9]。

ただし、式の日と、ふつうの営業の日は別のようです。通常の営業運行が始まったのは、翌10月15日(旧暦9月13日)とされます[13]。式では、明治天皇を乗せたお召し列車が新橋を出発したと紹介されています[14]。

開業式の日付には、旧暦と新暦の二つがある。国土交通省の年表は「明治5年9月12日(太陽暦10月14日)」と並べて書く[1]。仮開業も同じで、旧暦5月7日が太陽暦6月12日にあたる[1]。

日本の暦が切り替わったのは開業式のあとである。国立公文書館によれば、明治5年11月9日に太陽暦採用の詔が出され、明治5年12月3日が明治6年1月1日になった[8]。10月14日から元日までは約2か月半で、開業式は暦が切り替わる直前の出来事だったことになる。

10月14日は、この開業式の日にちなみ、1994年(平成6年)に「鉄道の日」と定められた[9]。ただし式の日と営業の日は別で、通常の営業運行が始まったのは翌10月15日(旧暦9月13日)とされる[13]。式には明治天皇を乗せたお召し列車が新橋を出発したと紹介されている[14]。

5. のってみたら、どのくらい かかったの?

5. 新橋から横浜まで53分、駅の場所も今とちがった

5. 開業当時の列車は何分かかり、運賃はいくらだったか

しんばしから よこはままでは、およそ 29キロメートル。かかった じかんは 53ぷんでした[2]。1じかんに 33キロメートルくらい すすむ はやさです。えきに とまる じかんも ふくめた へいきんで、いちばん はやい ときでは ありません。

ひらいた ときは、1日に 9往復おうふくでした[4]。きかんしゃ 10りょうは、ぜんぶ イギリスから きました[12]。

ざせきの ねだんは 3しゅるい。いちばん たかい せきは、いちばん やすい せきの 3ばい でした[4]。

えきの ばしょも、いまと ちがいました。しんばしえきは、いまの えきより 東へ 350メートルくらい、汐留しおどめに ありました。よこはまえきは、いまの 桜木町さくらぎちょうえきの ところです[4]。

新橋から横浜までは約29km、所要時間は53分でした[2]。29kmを53分で割ると、平均で時速33kmほどになります。駅に止まる時間もふくめた平均で、最高の速さではありません。

正式に開業したときの列車は1日9往復です[4]。運賃は、全区間で上等が1円12銭5厘、中等が75銭、下等が37銭5厘でした[4]。上等は、下等のちょうど3倍です。港区は、当時の米の値段をもとにした目安として、上等を今のおよそ1万5千円ぶんと紹介しています。換算のしかたで変わるので、目安として見てください[4]。

蒸気機関車10両は、すべてイギリスから輸入されました[12]。技師エドモンド・モレルらが東京の汐留から測量を始めたのは、太陽暦の1870年4月25日で、開業式まで約2年半かかっています[1]。

駅の場所も、今とちがいました。開業時の新橋の駅は、今の新橋駅より東へ約350mの汐留しおどめにありました。横浜の駅は、今の桜木町さくらぎちょう駅にあたります。品川駅も、今より少し南寄りの海岸ぞいにありました[4]。

新橋〜横浜の距離は約29km、所要時間は53分である[2]。29÷53×60で、平均時速は約33kmになる。停車時間を含む平均で、最高速度ではない。

正式開業時の列車は1日9往復。運賃は全区間で上等1円12銭5厘、中等75銭、下等37銭5厘である[4]。1円は100銭、1銭は10厘なので、上等は中等の1.5倍、中等は下等の2倍、上等は下等の3倍になる。港区は、当時の米価をもとに、上等を現在の約1万5千円相当と紹介する[4]。円換算は方法によって変わるため、目安にとどめる。

蒸気機関車10両は、すべてイギリスからの輸入だった[12]。技師エドモンド・モレルらが東京汐留から測量を始めたのは明治3年3月25日(太陽暦1870年4月25日)で、開業式まで約2年半かかった[1]。

駅の位置は、現在とは異なる。開業時の新橋停車場は、現在の新橋駅より東へ約350mの汐留しおどめにあり、品川駅は今より少し南寄りで海岸沿いにあった。当時の横浜停車場は、現在の桜木町さくらぎちょう駅にあたる[4]。

6. うみの うえの せんろの いしがきは、いま どうなっているの?

6. 2019年に見つかった石垣は、国の史跡になった

6. 高輪築堤の再発見と史跡指定(2019〜2021年)

2019ねんの 4がつ、しながわえきの こうじの ときに、石垣いしがきの いちぶが みつかりました[7]。

2021ねんの 9がつ17にちには、くにの 史跡しせきに なりました。史跡しせきは、むかしの ことを つたえる たいせつな ばしょです[7]。

みつかったのは、いしがきの「いちぶ」です。ぜんぶが どこまで のこって いるかは、この しりょうでは わかりません。

高輪築堤は、2019年4月、品川駅の改良工事のときに、石垣の一部が見つかりました[7]。

2021年9月17日には、国の史跡しせき「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」に追加指定されました。同じ年の8月23日に、文化審議会が答申しています[7]。史跡の名前には、新橋の駅の跡と、築堤の跡の両方が入っています。

ただし、見つかったのは石垣の「一部」です。築堤の全体がどこまで残っているかは、ここで使った資料からは分かりません。

高輪築堤は、平成31年(2019年)4月、品川駅の改良工事の際に石垣の一部が発見された[7]。令和3年(2021年)9月17日には、国の史跡しせき「旧新橋停車場跡及び高輪築堤跡」に追加指定された。同年8月23日に文化審議会が答申している[7]。

史跡の名前には、新橋の駅の跡と築堤の跡の両方が入っている。ただし発見されたのは「一部」であり、築堤の全体がどこまで残っているかは、この資料からは分からない。

7. じぶんで しらべて みよう

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

ちずで、しんばし・しながわ・桜木町さくらぎちょうを さがして、ゆびで なぞって みよう。むかしの よこはまえきは、いまの 桜木町さくらぎちょうえきの ところです。

おうちの ひとと、いま でんしゃで しんばしから よこはままで どのくらい かかるか、じこくひょうで しらべて みよう。53ぷんと くらべて どうかな。

いける ときに、さいたまの てつどうはくぶつかんで、1ごうきかんしゃを みる ことが できます[12]。

地図帳や、日本語の地図のサイトで、新橋・品川・桜木町を見つけて、線でつないでみましょう。昔の横浜駅は、今の桜木町駅の場所です。

家の人と、今の電車で新橋から横浜まで何分かかるか、時刻表で調べてみるのもよいでしょう。53分と比べると、どうでしょうか。

行けるときには、さいたま市の鉄道博物館で、1号機関車を見ることができます[12]。国立公文書館には、当時の図面「新橋横浜間鉄道之図」が残っていて、紹介ページで読めます[2]。

今の地図と、当時の駅の位置(汐留、桜木町など)を重ねて、線路のたどった道を確かめてみる。今の所要時間と、当時の53分を比べるのもよい。

資料を読むなら、国立公文書館の紹介ページ[2]で「新橋横浜間鉄道之図」が確かめられる。国土交通省の年表[1]は、旧暦と新暦の対応を見るのに向く。港区の解説[4][5]は、築堤と駅の位置を説明している。1号機関車は、さいたま市の鉄道博物館で見られる[12]。

見つかった石垣は「一部」である。海上の線路は、150年ほどのあいだに、どのように姿を変えたのか。その答えは、ここで使った資料からは分からない。

しらべた ところ

参考にした情報源

参考にした情報源

出典について:国や公的機関の資料(国土交通省、国立公文書館、文化庁)、自治体の解説(港区、港区立郷土歴史館、長崎市)、鉄道の情報サイト(鉄道コム)、民間企業のまちの解説(三井住友トラスト不動産)、観光情報サイト(トレたび)、百科事典的な資料(Wikipedia)を使いました。数字や日付は、各資料が示したものです。

  1. 国土交通省「鉄道主要年表」。 https://www.mlit.go.jp/common/000227427.pdf (仮開業と開業式の日付と、旧暦・太陽暦の対応。測量開始の日付)
  2. 国立公文書館「日本最初の鉄道 新橋横浜間鉄道開業」。 https://www.archives.go.jp/learning/archive_collection_3/collection_5/ (29km・53分。新橋〜品川の工事が仮開業のあとに終わったこと。図面「新橋横浜間鉄道之図」)
  3. 鉄道コム「新橋〜横浜間、開業時の鉄道の足跡をたどる」。 https://www.tetsudo.com/special/report/20180909/ (仮開業の区間・往復数。鉄道の情報サイトの記事)
  4. 港区「鉄道開業150年 港区と鉄道の夜明け」。 https://www.city.minato.tokyo.jp/kouhou/kuse/koho/columu/tetsudo/ (1日9往復、3等級の運賃と現在価値の目安。開業時の新橋・品川・横浜の駅の位置)
  5. 港区「高輪築堤跡」。 https://www.city.minato.tokyo.jp/bunkazai/tikutei2.html (高輪築堤が海上に約2.7kmにわたって築かれたこと)
  6. 文化庁 広報誌「ぶんかる」高輪築堤跡の史跡指定。 https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/news/news_003.html (海に築いた理由。石垣の技術。兵部省と大隈重信の話は伝承の色が濃いとされる点)
  7. 港区立郷土歴史館「高輪築堤跡」。 https://www.minato-rekishi.com/muse/tikutei.html (2019年の石垣の発見と、2021年の国史跡への追加指定)
  8. 国立公文書館「日本のあゆみ 太陽暦が採用される」。 https://www.archives.go.jp/ayumi/kobetsu/m05_1872_05.html (明治5年12月3日が明治6年1月1日になったこと。太陽暦採用の詔)
  9. 国土交通省「鉄道の日について」。 https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk1_000004.html (1994年に10月14日を「鉄道の日」と定めたこと)
  10. 長崎市「ナガジン! 長崎から見た近代化の道のり」。 https://www.city.nagasaki.lg.jp/nagazine/column/201410/ (1865年の長崎でのアイアン・デューク号の展示運転)
  11. 三井住友トラスト不動産「このまちアーカイブス 芝(田町)」。 https://smtrc.jp/town-archives/city/shiba/p03.html (開通前年の海上を走る鉄道の錦絵。民間企業によるまちの解説)
  12. 鉄道コム「1号機関車の流浪の旅」。 https://www.tetsudo.com/column/1021/ (機関車10両がすべて英国からの輸入だったこと。1号機関車が鉄道博物館で展示されていること)
  13. Wikipedia「日本の鉄道開業」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/日本の鉄道開業 (築堤の水路4か所。10月15日の営業運行の開始。百科事典的な資料なので「とされる」として使った)
  14. トレたび「鉄道歴史さんぽ 東京編」。 https://www.toretabi.jp/railway_info/entry-8258.html (開業式で明治天皇を乗せたお召し列車が新橋を出発したこと。観光情報サイト)

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