1. その よる、きいていた 人は なにを したの?
1. 講演の夜、聞いていた若い医師は何をしたのか
1. 1882年3月24日の講演と、エールリッヒの反応
1882ねん3月24日、ドイツの ベルリンで、コッホという おいしゃさんが はなしを しました。けっかくの げんいんを 見つけた、という 話です[1]。
ききに きていた 人の なかに、28さいの ひふかの おいしゃさん、エールリッヒが いました。はなしが おわると、はくしゅも わすれて、じぶんの ちいさな けんきゅうしつに はしって かえった と いわれます[4]。
そして、よるの うちに、けっかくの きんを うまく 見せる 新しい そめかたを ためした そうです[4]。エールリッヒは あとで、あの ばんを 「いちばん むねを うたれた」と ふりかえった と いわれます。
では、そんなに 人を うごかした 話の もとは、なんだったのでしょう。
2. ちいさくて 見えない きんを、どう 見えるように したの?
2. 小さくて見えない菌を、色のちがいで浮かび上がらせる
2. 結核菌の大きさと、染色による識別
けっかくの きんは、とても ちいさな ぼうの かたちです。ながさは、ひとの けつえきに ある あかい つぶ(せっけっきゅう)の よこはばの 4ぶんの1から 2ぶんの1ほどです[2]。ふつうの 見かたでは、まわりと まざって 見つかりません。
そこで コッホは、いろを つかいました。きんを そめる くすりを くふうして、まわりの 体の ぶぶんは ちゃいろに、けっかくの きんは あおく 見えるように したのです[2]。ちゃいろの なかの あおい ぼうは、すくなくても ひとめで わかります。
ここで つかった そめかたは、つよい アルカリの えきを つかう、そのころは めずらしい ほうほうだったと いわれます[3]。
ただし、ほかの きんも ぜんぶ ちゃいろに なる わけでは ありません。コッホ じしんも、にた きんが ある ことを かいて います。
結核菌は細い棒の形をした菌で、長さは赤血球の直径の4分の1から2分の1ほどです。ときには赤血球の直径いっぱいまでのびるものもあります[2]。これほど小さく、しかも組織の中にまぎれているので、そのままでは見つかりません。
コッホの工夫は、色のコントラストでした。染め方を工夫すると、動物の体の組織は茶色に染まり、結核菌は青く見えます。コッホは、この色の差がとても目立つので、菌が少ししかいない場合でも確実に見分けられると論文に書いています[2]。
染色の手順には、強いアルカリ液を使う、当時としては変わった方法が使われたとされます[3]。
ただし、ほかの菌がみな茶色になる、という意味ではありません。論文には、ハンセン病の菌が似た形と染まり方をすることも書かれています[2]。色で「見える」ことと、「これが原因だ」と言えることは、別の話でした。
結核菌は非常に細い桿菌で、長さは赤血球径の4分の1から2分の1程度、長いものでも赤血球の全径までとされる[2]。しかも組織中に少数しかいない場合も多く、無染色や通常の染色では見落とされやすい。
コッホの解決策は、色のコントラストだった。論文によれば、染色すると組織の構成要素は茶色になり、結核菌は青く見える。この対比が強いため、少数でも確実に識別できるという[2]。染色手順には強いアルカリ液を用いる、当時としては特異な方法が含まれたとされる[3]。
なお、同じ論文はハンセン病菌が結核菌に形も染まり方も似ていることを述べており、染色だけで原因の証明が完結するわけではない[2]。では、見えることと「原因だ」と言えることの間は、どう埋めたのか。
3. 見えた だけで、「げんいん」と いえるの?
3. 見えただけでは足りない ── 半年の培養と動物への接種
3. 純粋培養と接種による原因の証明
きんが 見えても、それが びょうきの げんいん だと いえるでしょうか。たまたま そこに いただけかも しれません。
コッホは、きんだけを とりだして ふやす ことに しました。けっかくの きんは ふつうの ものでは そだたず、血の 水ぶん(けっせい)を ねつで かためた ものを つかうと、やっと そだちました[3]。
めに 見える かたまりに なるまで、数しゅうかんも かかったと いわれます。コッホは、およそ はんとしの あいだ、まいにち けんきゅうしつに こもって とりくんだ と つたえられて います[4]。
きんだけを ふやしたら、つぎは、げんきな どうぶつに うつして 同じ びょうきが おきるか を 見ます。おきた ことで、げんいんだと しめしました[5]。
この やりかたを コッホが はじめて 使ったのは、このときでは ありません。
菌が見えても、それが病気の原因だとは限りません。たまたまそこにいただけかもしれないからです。コッホは、菌だけを取り出して育て、それを健康な動物にうつして同じ病気が起きるかを見る、という道を選びました。
結核菌は一般的な培地では育たず、血清を熱で固めた培地を使うとようやく育ちました。目に見える集まり(コロニー)になるまで、数週間かかったとされます[3]。コッホはこの研究のために、およそ半年、毎日のように研究室にこもったと伝えられます[4]。
こうして、ほかの菌が混じらない純粋培養を得て、それを健康な動物に注射すると、結核が起きました[5]。こうして、菌が見えた段階から、この菌が病気を起こすと示す段階へ進みました。
実はこの順序は、コッホが町医者のころに一度、炭疽という病気で試したものでした。
4. まちの おいしゃさんの いえが、けんきゅうしつ だった
4. 町医者の自宅の4部屋が、実験室だった
4. ヴォルシュタイン時代の炭疽菌研究と、「人の感染症で初めて」の位置づけ
コッホは、はじめから 大きな けんきゅうしつに いたのでは ありません。いなかの まちの おいしゃさん でした。
1876ねん、「たんそ」という びょうきの げんいんが きんだと しめしました。ばしょは、いまの ポーランドに ある ヴォルシュタインの まちです[6]。
けんきゅうしつは、4つの へやの じぶんの いえ。けんびきょうは、おくさんが おくって くれた ものでした[6]。ほかの どうぐは、じぶんで そろえたと いわれます。
この けいけんが、けっかくの きんを 見つける ときの やりかたに つながりました。コッホは ろんぶんで、人の びょうきで げんいんを すっかり しめしたのは はじめてで、それまでは たんそだけだった と かいて います[2]。
5. げんいんが わかると、なにが かわったの?
5. 「ぼんやりした何か」が「手に取れる相手」に変わった
5. 論文が示した、結核対策の見通しの転換
それまで けっかくは、「まずしい くらしの せいで おきる もの」と 考えられて いました。くらしが よくなれば へる はずだ、と きたいされて いたのです[2]。
コッホの ころの とうけいでは、せかいの 人の 7人に 1人が けっかくで なくなる、と されて いました。これは むかしの かぞえ方で、いまの かずでは ありません[2]。
げんいんが きんだと わかった ことで、コッホは「はっきり しない なにか」ではなく「手に とれる あいて」と たたかえる ように なる、と かきました[2]。あいてが わかれば、しらべる ことも できます。
結核の原因が見つかる前は、結核は社会の貧しさのあらわれと考えられ、暮らしがよくなれば減るだろうと期待されていました。結核に特に向けた予防の手段は、まだ知られていなかったと、コッホは書いています[2]。
講演でコッホは、当時の統計を引き、人類の7人に1人が結核で亡くなり、働き盛りの年代では3分の1以上にのぼると述べて、ペストやコレラより重要な病気だと訴えました。これは1882年当時の統計の引用で、現在の数字ではありません[2]。
そのうえで、菌が見つかったことで、この病気との闘いは「ぼんやりした何か」ではなく、「手に取れる寄生体」が相手になると書いています。育つ条件もほぼ分かっている相手なら、調べて、備えることができるからです[2]。
コッホは論文の中で、結核が発見前は社会の貧困の現れとみなされ、生活が改善すれば減ると期待されていたこと、結核に特に向けた予防の手段が知られていなかったことを述べる[2]。さらに、当時の統計として人類の7人に1人が結核で死ぬこと、働き盛りの年齢層では3分の1以上に及ぶことを挙げ、ペストやコレラより重要な病だと位置づけた[2]。これは1882年当時の統計の引用であり、現在の数字ではない。
そのうえで、原因となる寄生体が特定されたことで、この病との闘いは「未確定の何か」ではなく「手に取れる寄生体」を相手にすることになり、その生活条件は大部分が分かっている、と書いた[2]。原因が特定の生物であれば、診断や予防の対象を絞れるという見通しが、ここで開けたことになる。
では、この発見はその後、どこへつながったのか。
6. この はっけんは、そのあと どこへ つながったの?
6. 弟子の北里柴三郎と、3月24日の世界結核デー
6. 北里柴三郎への師事と、世界結核デーの由来
コッホは 1905ねんに、けっかくの けんきゅうで ノーベルしょうを うけました[7]。
日本の 北里しばさぶろうも、ドイツで コッホの もとで まなんだ 人です。1885ねんから 1892ねんまで りゅうがくし、1889ねんには はしょうふうの きんだけを 世界で はじめて そだてる ことに せいこうしました[9]。
いまも、3月24日は 世界けっかくデーです。コッホが きんを 見つけたと はっぴょうした 日に ちなんで います。この 日は、びょうきを しらべ、なおす みちが ひらかれた 日と されて います[8]。
7. 「あおい ぼう」を さがす あそび
7. 茶色の中の青を探して、色の力を試す
7. 色の対比を試す体験と、資料の読みどころ
コッホが つかった 「いろの ちがい」を、かみで ためして みましょう。
茶色の だんボールの 上に、茶色の かみきれを 10まい、あおい かみきれを 10まい、ばらばらに おきます。1メートル はなれて、どちらが 先に 数えやすいか くらべます。
ちがいが 出たら、色の つよい ちがいが 見つけやすさを 作る ことが わかります。ただし ほんとうの コッホは、かみでは なく、体の ぶぶんを くすりで そめました。
茶色の段ボールの上に、茶色の紙きれを10枚、青い紙きれを10枚、ばらばらに置きます。1メートルほど離れて、どちらのほうが数えやすいかを比べてみましょう。
同じ色の中にまぎれたものより、反対の色のほうが見つけやすいはずです。これが、茶色の組織の中で結核菌を青く見せた、色のコントラストの考え方です。もちろん、本物の染色は薬品を使う作業で、紙と同じではありません。
3月24日の世界結核デーについては、WHOのサイトに案内があります[8]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:CDCの資料、コッホ自身の1882年の論文、ノーベル財団、WHO、報道記事を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。
- CDC MMWR「結核の歴史」。https://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/00000222.htm (発表日について)
- Koch, "The Aetiology of Tuberculosis" (1882), GHI Intersections。https://germanhistory-intersections.org/en/knowledge-and-education/ghis:document-25 (結核菌の大きさ・染色・原因の証明・当時の統計と見通しについて。英訳の原文)
- EBSCO Research Starters: Koch Discovers the Tuberculosis Bacillus。https://www.ebsco.com/research-starters/history/koch-discovers-tuberculosis-bacillus (染色のアルカリ液、血清での培養について。二次資料)
- PBS NewsHour「March 24, 1882: Robert Koch announces his discovery of the cause of tuberculosis」。https://www.pbs.org/newshour/health/march-24-1882-robert-koch-announces-his-discovery-of-the-cause-of-tuberculosis (講演の様子、エールリッヒ、約半年の研究について。二次資料)
- CDC Emerging Infectious Diseases。https://wwwnc.cdc.gov/eid/article/17/3/10-1881_article (純粋培養と動物への接種について)
- Nobel Prize「Robert Koch – Biographical」。https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1905/koch/biographical/ (ヴォルシュタイン時代について)
- Nobel Prize「Robert Koch – Facts」。https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1905/koch/facts/ (1905年の受賞について)
- WHO「World TB Day」。https://www.who.int/campaigns/world-tb-day (世界結核デーの由来について)
- nippon.com「北里柴三郎」。https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07213/ (北里柴三郎の留学と業績について)
なおした ところ
更新履歴
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