1. さいしょの マスクは、どこから きたの?
1. 最初のマスクは、アメリカ人レスラーのものとされる
1. 1枚の革マスクの出発点 ── アメリカ人レスラーと、合わなかった最初のマスク
メキシコで さいしょに マスクを つけたと いわれる のは、アメリカ人の レスラー、サイクロン・マッキーです。テキサスで、メキシコの プロレスの 会社を つくった 人に さそわれて、メキシコへ きました[2]。
さいしょの しあいは すがおでした。1ねんほど あとの 1934ねん、くろい かわの マスクを つけて「ラ・マラビージャ・エンマスカラーダ(マスクの おどろき)」と なのりました[2]。
マスクは、くつを つくる 人が つくったと されます。でも さいしょの ものは あわなくて、つくりなおしたと つたわって います[4]。
ただし、アメリカでは もっと まえから、マスクを つけた レスラーが いました。では、メキシコで あたらしかった ことは なんでしょう。
覆面のレスラーはメキシコらしさの象徴のようですが、よく最初の一人とされるのは、アメリカ人のコルビン・ジェームズ・マッシー、リング名サイクロン・マッキーです。テキサスで、のちにメキシコ初の国産プロレス団体を立ち上げるサルバドール・ルテロスに見いだされ、メキシコへ来ました[2][9]。
最初の興行では素顔で出ました。約1年後の1934年、黒い革のマスクをつけ、「ラ・マラビージャ・エンマスカラーダ(覆面の驚異)」として登場します[2]。メキシコ国立自治大学(UNAM)の記事は、そのデビューを1934年9月21日としています[1]。
マスクは靴職人が作ったとされています。ただし職人の名前は資料によって食いちがうため、この記事では書きません[1][4]。最初のマスクは体に合わず、作り直したと伝わります。黒い革という点は、Wikipediaなどの記述にもとづきます。
ここで注意したいのは、「メキシコ初」が通説だということです。アメリカでは、Wikipediaの記述によると、1915年にニューヨーク周辺でモート・ヘンダーソンが「マスクド・マーベル」を名乗るなど、覆面のレスラーは先にいました[3]。では、メキシコで新しかったのは何だったのでしょうか。
覆面レスラー自体は、メキシコの発明ではない。アメリカでは巡業の見世物として早くからあり、Wikipediaによると1915年にはニューヨーク周辺でモート・ヘンダーソンが「マスクド・マーベル」を名乗っている[3]。それでもルチャリブレの覆面の出発点としてコルビン・ジェームズ・マッシー(リング名サイクロン・マッキー)が挙がるのは、メキシコで覆面レスラーが広がるきっかけの一つとされるからだ。
マッシーはテキサスで、メキシコ人が経営する国内初のプロレス団体を1933年に立ち上げたサルバドール・ルテロスに見いだされ、その団体に加わった。最初の興行には素顔で出て、約1年後の1934年、黒い革のマスクで「ラ・マラビージャ・エンマスカラーダ(覆面の驚異)」として現れた[2][9]。UNAMの記事はデビューを1934年9月21日とし、マスクは靴職人が作ったと「されている」と書く[1]。
ただし靴職人の名は、Chilango誌とUNAMなどで食いちがう。最初のマスクは合わず、作り直したという話も伝聞の域を出ない[4]。「メキシコ初の覆面」も、1冊の本に基づく通説にとどまるため、本稿は「広まるきっかけ」と読む。では、輸入品だった覆面は、メキシコで何が変わったのか。
2. マスクは、かおを かくす ため なの?
2. 覆面は顔を隠すのか、人物をつくるのか
2. 隠すのではなく「つくる」 ── 個性の器になった覆面と、守られた決まり
メキシコで あたらしかった ことは、マスクの 人が、じぶんだけの 「らしさ」を もつように なった ことです[4]。
UNAMと いう 大学の 記事は、マスクは レスラーを かくすのでは なく、「つくる」ものだと いいます[1]。マスクを つけると、ふだんの 人と、リングの ヒーローが べつべつに なります。
だから しあいの 中では、わざと 相手の マスクを はずすのは はんそくです。まけに なります。ぬげて しまった ときは、なかまが かおを かくす てつだいを するのが ふつうです[3]。
では、それほど 大じな マスクを、わざと かける しあいが あるのは、なぜでしょう。
メキシコで新しかったのは、覆面のレスラーが「固有の個性」を持つようになったことだと、Chilango誌は書いています[4]。UNAMの記事はさらに踏みこみ、マスクはレスラーを隠すのではなく、つくるものだと述べます。マスクには、本人とキャラクターを切りはなす役目があるというのです[1]。
いっぽうで、覆面のルーツを古代のアステカやマヤにたどる説も広くあります。UNAMの研究者は、ゲレロ州の町に伝わる雨ごいの「トラ(ジャガー)の戦いの踊り」を例に、「ありうる着想」と述べています。定説ではありません[1]。
キャラクターを守る決まりもできました。試合中に相手のマスクを故意にはぎとると、反則で失格です。意図せず脱げたときは、セコンドが顔を隠す手助けをするのがふつうです[3]。
顔を隠すだけなら、これほど守る必要はありません。人物をつくるものだからこそ、守られるのです。では、そのマスクをあえて賭ける試合では、何が起きるのでしょうか。
輸入された覆面が、メキシコで変わった点は何か。Chilango誌は、覆面の人物が固有の個性を持つようになった点を挙げる[4]。UNAMの記事はこれを一歩進め、マスクは「レスラーを隠すのでなく、つくる」ものだと述べ、人とキャラクターを切りはなす役目があるとする[1]。素顔が見えなければ、観客は人物の背景ではなく、模様と名前と振る舞いでその人を覚える。
起源については、古代文明に求める説も広い。UNAMの研究者は、ゲレロ州の雨ごいの踊りを例にあげつつも「ありうる着想」と留保しており、定説ではない[1]。したがって「アステカの伝統が起源」と書くのは強すぎる。
この「つくる」性格は、決まりにも表れる。メキシコでは、相手のマスクを故意にはぎとる行為は失格の理由になり、意図せず脱げたときはセコンドが顔を隠すのを助けるのがふつうだ[3]。素顔が見えることは、そのキャラクターの印象を変えることがある。では、その終わりをあえて賭けにする試合は、どう生まれたのか。
3. まけたら、すがおと 名前を あかす しあいって?
3. マスクを賭けて負けると、何を失うのか
3. マスクを賭けた試合 ── 素顔・本名の公開という代償と、例外
1940ねん7月14日、メキシコの リングで、ムルシエラゴと いう レスラーが、マスクを かけて たたかい、ガオナと いう レスラーに まけました。マスクを ぬぎ、すがおに なりました[5]。ここから「マスクを かける しあい」の でんとうが はじまったと されます。
まけた 人は、その場で マスクを とり、ほんとうの 名前と、うまれた 町を つたえるのが ならわしです。かみの 毛を かけて まけると、その場で かみを きられます[5]。
UNAMの 記事は、マスクを うしなう ことを、だいじな ものを うしなって かなしむ ことに たとえます[1]。まけた 人の 多くは、人気も おちて しまうと いいます。
では、一どもマスクを とられなかった 人は、どんな ヒーローだったのでしょう。
1940年7月14日、ムルシエラゴ・ベラスケスが、オクタビオ・ガオナとの「マスク対髪」の試合でマスクを賭けて負け、素顔になりました。これが、マスクを賭ける「ルチャ・デ・アプエスタ(賭け試合)」の伝統の始まりとされます[5]。
負けて覆面を失った選手は、その場でマスクをとり、慣習として本名・出身地・プロ歴を明かします。髪を賭けて負けると、その場で髪を刈られます[5]。マスクを失うのは大きな不名誉で、キャリアに響くこともあります。
UNAMの記事は、マスクの喪失を、アイデンティティと威信の一部を失う「喪」にたとえています。負けた覆面レスラーの多くは人気を落としますが、ショッカーやエル・シベルネティコのように、例外もあります[1]。
賭けるものが大きいから、勝ったほうも、見ているほうも、ふつうの試合より息をのみます。ではその逆、マスクを一度も失わなかった選手は、どんなヒーローになったのでしょうか。
人物をつくるマスクだからこそ、それを賭けると試合の重みが変わる。1940年7月14日、ムルシエラゴ・ベラスケスがオクタビオ・ガオナとの「マスク対髪」の試合でマスクを賭けて負け、素顔になった。これがルチャ・デ・アプエスタ(賭け試合)の伝統の始まりとされる[5]。会場名は出典によって揺れるため、本稿は書かない。
負けた選手は、その場でマスクをとり、慣習として本名・出身地・プロ歴を明かす。髪を賭けて負けると、その場で髪を刈られる[5]。つまり代償は、「らしさ」だけでなく、守ってきた素顔と個人の情報の公開でもある。
UNAMの記事はこれを、アイデンティティと威信の一部を失う「喪」にたとえる。負けた覆面レスラーの多くは人気を落とすが、ショッカーやエル・シベルネティコのような例外もある[1]。ここから、賭け試合が成り立つ条件が見える。マスクを失うことが重いと観客が共有していなければ、賭ける意味がない。では、その重さを一生背負い続けた選手は、どんな存在になったのか。
4. ぎんの マスクを まもった エル・サントは、すがおを みせたの?
4. 銀のマスクのエル・サントは、素顔をどこまで見せたのか
4. 銀の覆面を守ったエル・サント ── 生涯守られた素顔
「エル・サント」は、ぎんいろの マスクの ヒーローです。本当の 名前は ロドルフォ・グスマン・ウエルタ。1942ねんに リングに あらわれました[6]。
リングの 上で、マスクを うしなった ことは ありません。1952ねんには、マスクを かけた しあいで、あいての マスクを はいで かちました[6]。
エル・サントは えいがに 50本 いじょう 出て、まんがにも なりました。マスクの ヒーローは、リングの そとの 子どもたちにも しられる ように なりました[7]。
すがおを みせたのは、テレビで すうびょうだけと されます。しんだ ときも、ぎんの マスクを つけて いたと いいます[7]。
エル・サント(本名ロドルフォ・グスマン・ウエルタ)は、1942年7月26日に「銀の覆面」として初登場しました。リングの上でマスクを失ったことはなく、1952年11月7日には、マスク対マスクの試合でブラック・シャドウのマスクをはぎました[6]。
人気はリングの外へ広がります。1950年代から80年代に映画に50本以上主演し、1952年から35年続いた漫画にもなりました[7]。映画の本数は資料で52本とも53本ともされ、数え方に差があるため、「50本以上」と書いています。UNAMの記事は、エル・サント、ミル・マスカラス、ブルー・デモンらがマスクを大衆文化に届く文化的なシンボルにしたと述べます[1]。
エル・サントは生涯、素顔を公にしなかったとされます。例外は1984年1月末のテレビ番組で、マスクを少しずらして数秒だけ顔を見せたことです。その約1週間後に66歳で亡くなり、銀のマスクをつけたまま葬られました[7]。
顔よりマスクのほうが有名になった人が、いちばん最後まで守ったものは、何だったのでしょう。そしてそのマスクは、その後どうなったのでしょうか。
賭けても取られなかったマスクは、英雄の印になる。エル・サント(本名ロドルフォ・グスマン・ウエルタ)は、1942年7月26日に「銀の覆面」として初登場し、リングでマスクを失ったことがない。1952年11月7日には、マスク対マスクの試合でブラック・シャドウのマスクをはいだ[6]。
人気は競技の枠を超えた。1950年代から80年代に映画50本超に主演し、1952年から35年続いた漫画にもなった。映画の本数はMilenio紙で52本、英語版Wikipediaで少なくとも53本と食いちがうため、「50本以上」にとどめる[7]。UNAMの記事は、サント、ミル・マスカラス、ブルー・デモンらがマスクを広め、映画や大衆文化に届く文化的なシンボルにしたと述べる[1]。
素顔についても、サントは生涯公にしなかったとされる。広く知られる例外は、1984年1月末のテレビ番組で、マスクを少しずらして数秒顔を見せたことだ。約1週間後の同年2月5日に66歳で亡くなり、銀のマスクをつけたまま葬られた[7]。「一度も見せなかった」と言い切らないのは、この数秒があるからだ。顔を隠し通したことが、かえって人物の像を強めたように見える。では、その像は、誰かに受け継がれたのか。
5. マスクは、子どもに うけつがれるの?
5. 覆面は親から子へ、メキシコシティの無形文化遺産へ
5. 継承と制度化 ── 「サントの息子」と、2018年のメキシコシティの布告
エル・サントの むすこ、ホルヘも、マスクの レスラーに なりました。名前は「エル・イホ・デル・サント(サントの むすこ)」。1982ねんに、おとうさんの いんたいの ツアーの 中で、おひろめされました[6]。
マスクの ヒーローは、おやから こへ、うけつがれる ことが あります。
2018ねん7月21日、メキシコシティの 町が、ルチャリブレを 町の 「むけいの 文化いさん」に すると、ふれを だしました[8]。ユネスコの 世界いさんでは ありません。
「ルチャリブレ」は、スペイン語で「じゆうな たたかい」と いう いみです[5]。ひとりの レスラーの マスクから はじまった ものが、町の たからに なりました。
エル・サントの息子ホルヘは「エル・イホ・デル・サント(サントの息子)」として覆面レスラーになり、1982年に、父の引退ツアーの中でお披露目されました。公式デビューの時期は、資料により1982年10月とも1983年ともされています[6][7]。
2018年7月21日には、メキシコシティ政府首長のホセ・ラモン・アミエバが、ルチャリブレを「メキシコシティの無形文化遺産」とする布告に署名しました。市のルチャリブレ委員会長のエル・ファンタズマは、国全体への認定を望んで働きかけましたが、応じたのは市だけでした[8]。国やユネスコの登録とは別です。
「ルチャリブレ」という名前は、スペイン語で直訳すると「自由な戦い」「自由なレスリング」です[5]。1934年の1枚の革マスクから約84年で、街の文化として認められるところまで来たことになります。
人物をつくるマスクは、血縁を通じても受け継がれる。エル・サントの息子ホルヘは「エル・イホ・デル・サント(サントの息子)」として覆面レスラーになり、1982年に父の引退ツアーの中でお披露目された。公式デビュー日は、Milenio紙の1982年10月と、別の資料の1983年とに割れている[6][7]。デビュー日が割れても、親から子へマスクの名前が続いたことは変わらない。
制度としても、覆面は認められていく。2018年7月21日、メキシコシティ政府首長のホセ・ラモン・アミエバが、ルチャリブレを「メキシコシティの無形文化遺産」とする布告に署名した。市のルチャリブレ委員会長のエル・ファンタズマは国全体への認定を望んで働きかけたが、応じたのは市だけだった[8]。国やユネスコの登録ではないので、「世界遺産になった」と書くのは誤りである。
名称の「ルチャリブレ」は、直訳すると「自由な戦い」「自由なレスリング」を意味する[5]。1934年のデビューから約84年は、輸入された見世物が、人物をつくる覆面となり、賭け、継承され、市が文化と認めるまでの時間だった。
6. じぶんだけの マスクを、紙に かいて みよう
6. 自分だけの覆面レスラーを、紙の上でつくってみる
6. 一つの覆面から、何を読み取れるか
かみに、じぶんの かおより 少し 大きな マスクを かいて みましょう。目の ところは、あけて おきます。
もようと いろを 決めたら、リングネームも つけます。つぎに、入じょうの ときの ポーズを 一つ 考えます。
かけたら、マスクを つけた じぶんと、ふだんの じぶんは、どこが ちがうか 考えて みます。マスクを つけると、ちょっと ちがう 人に なれる 気が しませんか。
えんぴつと かみだけで できます。はさみを つかう ときは、おうちの 人と いっしょに しましょう。
紙に、自分だけの覆面を描いてみましょう。目と口の部分は空けておきます。模様と色、リングネーム、登場のときのポーズを決めたら、キャラクターのできあがりです。
描けたら、考えてみます。マスクをつけた自分と、ふだんの自分は、何がちがうでしょうか。UNAMの記事が言う「隠すのでなく、つくる」は、こういう感覚に近いのかもしれません。
資料を読むなら、UNAMの記事(スペイン語)が、覆面の意味を最も詳しく論じています。エル・サントの映画や、覆面を賭ける試合を扱う日本語の資料は、図書館の事典や百科で探せます。
鉛筆と紙だけでできます。紙を切って実際に顔につけたいときは、はさみを使うので、家の人といっしょにします。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
覆面の来歴、賭け試合、エル・サント、2018年の布告は、次の資料による。日本語の資料は少なく、UNAMの記事はスペイン語。
- UNAM Global「La máscara en la lucha libre mexicana, identidad cultural」 https://unamglobal.unam.mx/global_revista/mascara-lucha-libre-mexicana-identidad-cultural/ (マスクの意味・古代起源説・喪失・サントらの役割)
- Wikipedia「Cyclone Mackey」 https://en.wikipedia.org/wiki/Cyclone_Mackey (アメリカ人レスラーの来歴・最初のマスク)
- Wikipedia「Wrestling mask」 https://en.wikipedia.org/wiki/Wrestling_mask (アメリカの先行例・マスクをはぐ反則)
- Chilango「El primer luchador en usar máscara」 https://www.chilango.com/ciudad/el-primer-luchador-en-usar-mascara/ (最初のマスクの制作・メキシコでの新しさ)
- Wikipedia「Lucha libre」 https://en.wikipedia.org/wiki/Lucha_libre (賭け試合の始まりと決まり・名称の意味)
- Milenio「El ABC de El Santo」 https://www.milenio.com/cultura/el-abc-de-el-santo (エル・サントの経歴・息子のデビュー)
- Wikipedia「El Santo」 https://en.wikipedia.org/wiki/El_Santo (映画・漫画・素顔・最期)
- Chilango「Lucha libre patrimonio cultural」 https://www.chilango.com/cultura/lucha-libre-patrimonio-cultural/ (2018年のメキシコシティの布告)
- Wikipedia「Consejo Mundial de Lucha Libre」 https://en.wikipedia.org/wiki/Consejo_Mundial_de_Lucha_Libre (団体の設立)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。