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メダルゲームの メダルは、どうして もって かえれないの?

メダルゲームのメダルはなぜ持ち帰れないのか:賭博機の賭博性をなくし、遊びに変えようとした工夫

メダルは「貸し出し」で持ち出し禁止:賭博機の賭博性をなくして遊びに変えようとした1960年代後半の発想と風営法の条文

分野:技術

メダルゲームで たくさん あてても、メダルは おみせの そとへ もって かえれません。じつは、メダルは おみせから かりて いる ものです。

どうして そんな きまりに なって いるのでしょう。この メモでは、むかしの ばくちの きかいを、おかねに かえない あそびに つくりなおした 日本の かんがえかたと、ほうりつ・おみせの ルール・きかいの くふうが わかります。

ゲームセンターで山のようにメダルを獲得しても、そのメダルは店の外へ持ち出せません。さらに、たくさん獲得して店に預けても、預かったことを示す書面は客に出せない決まりです[3]。メダルは店が貸し出すもので、販売したものではないとされています[4]。

なぜ、わざわざ「持ち帰れない」遊びにしたのでしょうか。この記事では、賭博機の賭博性をなくして遊びに変えようとしたといわれる発想と、法律の条文、機械の工夫が、どうつながっているのかが分かります。

日本の風営法は、ゲームセンターが遊技のメダルを客に店の外へ持ち出させることも、預かったと示す書面を客に出すことも禁じている[3]。二次資料のWikipediaは、メダルは店が貸し出すもので販売ではないと説明する[4]。JAIA(日本アミューズメント産業協会)の年表は、1960年代後半に「換金せず景品も出さない」日本独自のシステムが生まれ、カジノ機とは別の進化をたどったと記す[2]。

なぜ、持ち帰れない仕組みが、遊びを成り立たせる土台になったのか。この記事では、発想の出どころ、条文、業界の動き、機械の工夫、電子化までが、一本の線でつながっていることが分かる。

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1. メダルは だれの もの?

1. たくさん獲得したメダルは、だれのものなのか

1. 獲得したメダルが持ち出せないのは、メダルが貸与物だから

メダルゲームで、メダルが どんどん ふえて いく ところを そうぞうして ください。バケツが いっぱいに なるくらい です。

でも、かえる ときには、その メダルを おみせの そとへ もって いけません。ポケットに いれて かえる ことも できません。

その わけは、メダルが おみせから かして もらう ものと されて いるからです。おきゃくさんは、メダルを かって いるのでは ありません[4]。

おみせは、おおく ふえた メダルを、あずかって くれる ことが あります。ただ、「あずかりました」と かいた かみは もらえません[4]。

ふしぎですよね。どうして ここまで きびしく するのでしょう。まず、メダルゲームの はじまりを みて みましょう。

メダルゲームは、貨幣と交換できないメダルを使って遊ぶゲームの総称です[1]。獲得したメダルが増えていくのが楽しい一方で、帰るときには、そのメダルを店の外へ持ち出せません。

理由は、メダルが店から客への貸し出しとされているからです。ゲームを始めるときに受け取るのは、販売されたメダルではなく、遊ぶために貸し出されたメダルだという説明です[4]。獲得が多いときは店が預かってくれますが、預かり証は発行されません[4]。預かり枚数の上限や期間は、店ごとに決まりが違います。

この「持ち出せない」「預かり証が出ない」という決まりには、はっきりした意図があります。ただ、その意図は、メダルゲームがどこから生まれたのかを知ると、ぐっと分かりやすくなります。

メダルゲームとは、貨幣と交換できないメダルで遊ぶゲームの総称である[1]。客はメダルを購入するのではなく、店から貸与を受けるものとされる。獲得が多い場合、店は預かることがあるが、預かり証は発行されない。預かる枚数・期間は店ごとに異なる[4]。

持ち出しを禁じる意図は、店外に出たメダルが他所で金品に交換される事態を防ぐことにある[4]。ここで押さえておきたいのは、「持ち出せない」が店の気分の決まりではなく、後で見る法律の条文と対応していることだ。

ただし、この条文だけを読んでも、なぜそこまで徹底するのかは見えにくい。出発点は、メダルゲームが賭博機から作り直された遊びだったという点にある。

2. ばくちの きかいを どうして あそびに かえたの?

2. 賭博機から「賭博性」を取りのぞこうとした発想

2. 1960年代後半の発想:賭博性を除いた賭博機は、遊びとして成立するか

メダルゲームの もとは、おかねを かける ばくちの きかいだった と いわれて います。

日本では、きかいを つかって ばくちを する ことは、ほうりつで ゆるされて いません。そこで、シグマと いう かいしゃの まなべ かつのりさんは、1960ねんだいの おわりごろ、ばくちの ところを なくした あそびを かんがえた とされます[1]。

おかねに かえない しくみを つくり、ばくちではなく あそびに しようと かんがえました。それでも、きかいは おもしろい。そんな あそびを めざした のです。

このとき、けいさつの 人や、ほうりつの せんもんかにも そうだんした と つたえられて います[1]。

メダルゲームの出発点は、シグマの真鍋勝紀が1960年代後半に考えたアイデアだとされています。日本では賭博機で賭博をすることは違法です。そこで、賭博機から賭博性をなくしたうえで、遊ばせようと考えたのです[1]。

真鍋は、この条件を日本で満たすために、警察や法学者にも相談して、合法で、賭博性がないように機械の調整を進めたと、文化庁のサイトは真鍋の1998年の著書をもとに紹介しています[1]。賭博機の魅力を残しつつ、危ない部分だけを取りのぞこうとした、と伝えられる考え方もあります。当時の業界は、メダルゲームに対して疑いの目を向けていたそうです[4]。

JAIAの年表も、1960年代後半に「換金せず景品も出さない純粋な娯楽機としてメダルゲームを使う」という日本独自のシステムが生まれ、カジノ機とは違う進化をたどったと書いています[2]。

ここまでで、「お金に換えない」が出発点だと分かりました。では、それは法律では具体的にどんな形になっているのでしょうか。

メダルゲームの発想は、シグマの真鍋勝紀(まなべ かつのり)が1960年代後半に持ったとされる。日本では賭博機で賭博をするのは違法であることを前提に、賭博性をなくしたうえで遊ばせるという考えだった[1]。文化庁サイトは、真鍋の1998年の著書を典拠に、真鍋が警察や法学者の平出禾(ひらいで いさお)にも相談し、合法で、かつ賭博性がないようにメダルゲームを調整したと記す[1]。

ここで大きいのは、賭博機を禁じられた存在として切り捨てるのではなく、遊びの面白さを残したまま換金の回路だけを切る、という方向を選んだ点である。当時の業界はメダルゲームに懐疑的だったともいう[4]。

JAIAの年表は、これを「換金せず景品も出さない純粋なアミューズメントマシンとしてメダルゲームを利用する日本独自のシステム」と位置づけ、以後はカジノ機とは違う進化を遂げたと記す[2]。

では、「換金しない」「景品を出さない」は、実際の法令ではどう書かれているのか。次に条文を見る。

3. ほうりつは なにを きんしして いるの?

3. 風営法は、賞品・持ち出し・預かり証をどう決めているか

3. 風営法第23条:賞品提供の禁止と、持ち出し・預かり証の準用

ゲームセンターの ルールを きめて いる ほうりつが あります。そこには、おおきく 3つの ことが かいて あります[3]。

ひとつめは、ゲームの けっかに あわせて、しょうひんを あげては いけない こと。

ふたつめは、メダルを おきゃくさんに、おみせの そとへ もちださせては いけない こと。

みっつめは、メダルを あずかった しるしの かみを、おきゃくさんに わたしては いけない こと。

これらの きまりの ねらいは、おみせの そとに でた メダルが、どこかで おかねや ものに かえられるのを ふせぐ ことだと せつめいされて います[4]。

では、こんな ルールの なかで、メダルゲームは ほんとうに ひろがったのでしょうか。

ゲームセンターのような営業は、風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)で5号営業と呼ばれます。その第23条は、5号営業を営む者が、遊技の結果に応じて賞品を提供することを禁じています[3]。

さらに第3項で、遊技のメダルを客に店の外へ持ち出させること、メダルを預かったことを示す書面を客に出すことの禁止も、この営業に当てはめるとされています[3]。インターネット上の解説には、持ち出しの禁止を第4項とするものがありますが、条文で確かめると第3項です。

条文が定めているのは、賞品を渡せない、持ち出させられない、預かり証を出せない、という3つの禁止です。そのねらいについては、二次資料のWikipediaが、店の外に出たメダルがどこかで金品に交換されるのを防ぐためだと説明しています[4]。

こうした決まりのなかで、メダルゲームは人気になっていったのでしょうか。

風営法(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律)第23条第2項は、第2条第1項第5号の営業、つまりゲームセンター等を営む者に、遊技の結果に応じて賞品を提供することを禁じる[3]。第3項は、第1項第3号(玉・メダルなどを客に営業所外へ持ち出させること)と第4号(保管したことを示す書面を客に発行すること)の禁止を、5号営業にも準用する[3]。

ここで注意したいのは、持ち出し禁止の根拠条文である。日本語版Wikipediaなどには第4項とする記述があるが、条文に当たると第3項による1項3号の準用である。二次資料の条番号は、一次資料で確かめる必要がある。

条文が定めるのは、賞品提供、持ち出し、預かり証の発行という3つの禁止である[3]。そのねらいは条文自体には書かれておらず、二次資料のWikipediaが、店外のメダルが他所で金品に交換されるのを防ぐためと説明している。メダルが貸し出しだという説明も、この説明とつながる[4]。

では、この制約を背負ったメダルゲームは、実際に市場でどう受け入れられたのか。

4. 1ばんめの メダルゲームの おみせは?

4. 1971年の歌舞伎町から、1973年のブームへ

4. 1968年の試験展開から1970年代のブームと、業界の自主運営基準

ネットの じてん(ウィキペディア)に よると、シグマは、1968ねんに、ボウリングじょうの ゲームコーナーで、メダルゲームを ためした とされます[4]。

1971ねんの 12がつには、東京の しんじゅくに、「ゲームファンタジア ミラノ」と いう おみせを ひらきました。これが さいしょの メダルゲームの おみせと いわれて います[4]。

1973ねんには、「ペニーホール」と いう ゲームが だいにんきに なりました。セガや タイトーなど、ほかの かいしゃも メダルゲームを つくりはじめました[4]。

1975ねんには、にんてんどうも「EVRレース」で なかまいりを した そうです[4]。

それでも おかねも しょうひんも ないのに、どうして おもしろいのでしょう。

二次資料のWikipediaによると、シグマは、1968年にボウリング場のゲームコーナーで試験的にメダルゲーム機を置き、1971年12月には新宿・歌舞伎町に「ゲームファンタジア ミラノ」を開いたとされています。これが最初のメダルゲームセンターといわれています[4]。

1973年には「ペニーホール」が大ヒットし、ブームが訪れました。セガ、タイトー、ユニバーサルなど国内のメーカーが次々に参入し、1974年には全国に約50軒のメダルゲームセンターがあったそうです。1975年には任天堂も『EVRレース』で参入しました[4]。

人気が出ると、よくない動きも出てきます。1970年代ごろから、メダルゲーム機などを違法に改造して賭博を営む業者が問題になったと、文化庁のサイトは述べています[1]。そこで1974年にメダルゲーム協議会が作られ、運営の基準が定められた、という説明もあります[4]。「お金に換えない」を守ることは、遊びを続けるための、業界の共通の課題でもあったようです。

では、お金も景品もないのに、どうして人は夢中になったのでしょうか。

シグマは1968年にボウリング場のゲームコーナーでメダルゲーム機を試験展開し、1971年12月に新宿・歌舞伎町で「ゲームファンタジア ミラノ」を開いたとされる。最初のメダルゲームセンターという位置づけは二次資料によるもので、断定はしにくい[4]。

1973年に「ペニーホール」が大ヒットしてブームとなり、セガ・タイトー・ユニバーサルなどが参入した。1974年時点で全国に約50軒、1975年には任天堂が『EVRレース』で参入している[4]。1971年の1号店から1973年のブームまで、2年ほどだったことになる。

ただし、ブームには影の部分もあった。1970年代ごろからメダルゲーム機やテレビスロット機の違法改造機などで賭博を営む業者が問題化したと、文化庁サイトは記す[1]。その対応として、1974年にメダルゲーム協議会が発足し「メダルゲーム場運営基準」を作ったという記述もあるが、協議会についてはWikipediaのみの記述で、慎重に扱う必要がある[4]。

とはいえ、「換金しない」という原則は、法律だけでなく業界側の運営でも守られる必要があった、と読める。では、賞品も換金もない遊びを、機械はどう面白くしたのか。

5. おかねが なくても、どうして わくわくするの?

5. 競馬ゲームとプッシャー:お金がなくてもわくわくする工夫

5. 競馬ゲームとプッシャーゲーム:換金なしで遊びを成立させる機構

メダルゲームには、うまの レースの ゲームが あります。ほんものの ような うまの もけいが、コースを はしります。

JAIAの ねんぴょうには、1970ねんだいの レースの ゲームが のって います。10人 いっしょに あそべて、つくるのに 5000まん円が かかったと いわれて います[2]。

もう ひとつ、プッシャーと いう ゲームも あります。メダルが つまれた だんの ある ばんに、メダルを いれて おすと、まえの メダルが おされます。きめられた ところに おちた ぶんが、もらえる メダルです[6]。

おちそうで おちない。あと すこしで おちる。その どきどきが おもしろさです。

ところで、メダルは さいごには「もの」でなく、「データ」に なって きました。

メダルゲームの代表的なジャンルに、競馬ゲームがあります。JAIAの年表は、1970年代の競馬メダルゲームを、模型の馬がトラックを走るスタイルを確立した、10人が同時に遊べる機械として紹介しています。開発に5,000万円を投じたと言われています[2]。5,000万円は、うわさ話の数字なので、目安として受け取るのがよいでしょう。

もう一つの代表がプッシャーゲームです。二次資料のWikipediaの説明では、段差のある盤面に積まれたメダルを、投入したメダルで押し、指定の範囲に落ちた分が獲得になる仕組みです[4]。タイトーの『ダイノキング』シリーズは2002年に登場し、最新作は連続入賞で大量のメダルを獲得できる「爆連システム」などを備えます[6]。

どちらも、獲得できるのはメダルです。メダルは持ち帰れず、お金や景品に換えられないので、その分、レースの展開や、積まれたメダルが崩れ落ちる瞬間そのものが楽しみの中心になります。

この「物としてのメダル」には、近年、大きな変化が起きています。

メダルゲームの代表的な型は、競馬ゲームとプッシャーである。JAIAの年表は、1970年代の競馬メダルゲームを、模型の馬がトラックを走るスタイルを確立した10人同時プレイ機と紹介し、開発に5,000万円を投じたと「言われ」と伝聞で記す[2]。金額は伝聞なので、確定した数字として扱わない。

プッシャーゲームは、二次資料のWikipediaの説明では、段差のある盤面に積んだメダルを、投入したメダルで押し、指定範囲に落ちた分が獲得になる[4]。タイトーの『ダイノキング』シリーズは2002年登場で、最新作には連続入賞で大量獲得を狙える爆連システムがある[6]。

ここから読み取れるのは、どちらも獲得物がメダルのまま終わる設計だということである。賞品がなく、換金も持ち出しもできない以上、楽しさは、レースの展開や、積まれたメダルの崩れ方といった、盤面の出来事そのものに集まる。この点は、ここで見た資料からの筆者の読みで、資料が直接そう述べているわけではない。

こうした機構は、メダルが「物」であることに依存していた。その前提は、近年変わりつつある。

6. メダルが データに なると どうなる?

6. メダルが「データ」になった:完全電子化の登場

6. 2019年のスターホース4:メダルの完全電子化

2019ねんの 11がつに、セガの「スターホース4」と いう うまの レースの ゲームが はじまりました。これは、メダルを ぜんぶ データに した はじめての ゲームと いわれて います[5]。

メダルが データに なっても、おかねに かえない きまりは かわって いません。うまれた ときの かんがえかたは、のこって います。

2019年11月、セガ・インタラクティブの『スターホース4』が稼働を始めました。業界初となるメダルの完全電子化を実現したと、2020年2月のゲーム専門媒体の記事は伝えています[5]。

メダルが目に見える物から、数字のデータに変わっても、「換金しない」という出発点は変わりません。最初の店が1971年だとすると、完全電子化まで約48年かかったことになります。

つまり、メダルゲームの歴史は、「お金に換えない」という約束を、物のメダルでも、データのメダルでも守り続けてきた歴史と読むこともできます。

セガ・インタラクティブの『スターホース4』は2019年11月に稼働を開始し、業界初となるメダルの完全電子化を実現したと、2020年2月のゲーム専門媒体の記事は報じた[5]。1971年12月の1号店とされる開店から数えて、約48年後になる。

ここで一つ疑問が出る。メダルが物でなくなれば、「持ち出せない」という条文の意味は変わるのか。電子化と条文の関係は、手元の資料からは判断できない。二次資料のWikipediaは、持ち出し禁止の意図を「店外で金品に交換される事態を防ぐこと」と説明している[4]。この説明に立てば、電子化されても「換金されない設計」という出発点は共通していると読める。

また、JAIAがメダルの枚数の電子化を可能にする自主基準の改正を2019年1月9日に行った、という記述がWikipediaにある[4]。

賭博機を、お金に換えない遊びに作り直した。この一本の線が、1960年代の発想から電子化まで、形を変えながら続いている。

7. おうちで ちいさな プッシャーを ためして みよう

7. 机の上で、プッシャーの「押し出し」を試す

7. プッシャーの原理を机の上で試し、一次資料に当たる

おうちの 人と いっしょに やって みましょう。ちいさな ものは くちに いれません。

おぼんの うえに、はこの ふたを、はしが すこし おぼんの うえに はみだす ように おきます。ふたの うえに、10円だまを 3まい、ふちから すこし はなして ならべます。ふちの したに、おぼんが くる ように します。

のこりの 10円だまを 1まいずつ、うしろから すべらせて、ならべた 10円だまを おして みましょう。ふちから おちた ぶんが、おぼんに のります。

プッシャーも、おなじ ように、うしろから おして、おちた ぶんを あつめます。10円だまは、あそんだあとで、ちゃんと かえして おきます。

家の人と一緒に、お盆の上に箱のふたを、端が少しお盆の上にはみ出すように置きます。ふたの上に10円玉を3枚、縁から少し離して並べてみてください。縁の下にお盆が来る配置です。手元の10円玉を1枚ずつ、後ろからすべらせて押すと、並べた硬貨が少しずつ縁へ近づき、落ちた分がお盆にのります。

これは、プッシャーゲームの「押して、落ちた分が獲得になる」仕組みの小さな再現です。小さな硬貨は、口に入れないように気をつけ、遊んだあとは元の場所に戻します。

プッシャーの原理は、お盆の上に端がはみ出すよう箱のふたを置き、ふたの上に10円玉を縁から離して3枚並べ、後ろから1枚ずつ押して、縁から落ちた分をお盆で受けて数えるだけで再現できる。小さな硬貨は誤飲しないよう注意し、終わったら元に戻す。

この記事の内容は、次の問いで自分でも確かめられる。第23条の3つの禁止(賞品提供・持ち出し・預かり証)のうち、遊びに使うメダルを店の外へ出させない決まりはどれか。答えは第3項が準用する第1項第3号で、第4項ではない。ここまでの章を読み返せば、条番号の食いちがいまで追える。

原典に当たるなら、風営法の条文(e-Gov法令検索の第23条)、文化庁メディア芸術カレントコンテンツの記事、JAIAの年表が出発点になる[3][1][2]。真鍋の1998年の著書『これからますます四次元ゲーム産業が面白い』は、本記事の出典が引いている原典として探せる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の数字・年号・条文は、下の資料にある内容をまとめたものです。法律の条文はe-Govで、年号の一部は二次資料のため「とされる」と書いています。

  1. 文化庁 メディア芸術カレントコンテンツ「ゲームセンターと社会との関わり[後編]」https://macc.bunka.go.jp/4640/ (発想の出どころ・相談の経緯・違法業者の記述)
  2. JAIA「アミューズメントマシンの軌跡」https://jaia.jp/history/ (日本独自のシステム・競馬ゲームの記述)
  3. 風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(e-Gov法令検索)https://laws.e-gov.go.jp/law/323AC0000000122 (第23条・賞品提供・持ち出し・預かり証)
  4. Wikipedia「メダルゲーム」https://ja.wikipedia.org/wiki/メダルゲーム (貸し出し・年表・ブームの記述。二次資料のため慎重に扱った)
  5. GAME Watch「『スターホース4』」(2020年2月6日)https://game.watch.impress.co.jp/docs/kikaku/1233635.html (完全電子化の記述)
  6. GAME Watch「ダイノキング」関連記事https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1244184.html (プッシャー・ダイノキングの記述)

なおした ところ

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