1. ふるい ほんを あけると、どんな におい?
1. 本を開くと、どんなにおいがするのか
1. 古書のにおいは、どう表現されてきたか
としょかんの すみの ふるい ほんを あけると、ふわっと においが します。いつもの ほんとは、ちょっと ちがう においです。
この においを、けんきゅうした 人たちは、こう ことばに しました。「くさのような かおりに、すっぱさと、ほんの すこしの バニラが あって、その したに かびの においが ある」[1]。
すっぱくて、あまくて、くさの よう。いろいろな においが まざって います。その まざりかたは、どうやって できるのでしょうか。
図書館の書庫で古い本を開いたときの、あの独特のにおい。2009年の論文は、これを「草のような香りに、酸っぱさと少しのバニラがあり、その下にかび臭さがある」と表現しています[1]。研究者が自分の鼻で感じた印象を、論文の言葉にしたものです。
ところが、どんなに言葉にしても、においの正体そのものは見えません。この複雑なにおいは、いったいどこから出ているのでしょうか。
古書特有のにおいを、2009年の論文は、草のような香りに酸っぱさと少量のバニラがあり、その下にかび臭さがある、と表現している[1]。これは機器の測定値ではなく、研究者自身の言葉による印象の記述である。
では、この複雑な香りは、物質としては何に当たるのか。次の章では、においが空気中に出てくるしくみを見る。
2. においは、ほんの どこから でて くるの?
2. においの元は、少しずつ変わっていく紙
2. 数百種類の揮発性有機化合物と、酸が進める紙の分解
においの もとは、かみと ほんの ざいりょうです。かみが ながい あいだに すこしずつ かわると、とても ちいさな つぶが くうきの なかに でて きます。これが においです[1]。
でて くる つぶは、なんびゃくしゅるいも あると いわれます[1]。ひとつの においでは ありません。たくさんの においの あつまりです。
その ひとつに、「フルフラール」が あります。かみが さんで こわれる ときに できる ものです。かみが さんの つよい ものほど、おおく できます[1]。
たとえば、ジュースの かおりは、いろいろな ものが まざって できて います。ふるい ほんの においも、それに にて います。ただし ほんとうは、ジュースと ちがって、ほんが こわれて いく とちゅうで でる ものです。
では、どの ほんも おなじ においなのでしょうか。
においは、空気中に出てくる小さな成分が、鼻に届くことで感じられます。古い本の場合、紙や本そのものから出る、数百種類もの成分が確認されたと、2009年の論文は報告しています[1]。専門用語では揮発性有機化合物(VOC)と呼びます。
その一つが、フルフラールです。紙の主成分であるセルロースなどが、酸の働きで少しずつ切れ、糖が水を失う反応を経てできる物質で、紙の酸性度が高いほど多くできます[1]。ただし、においの主役がフルフラールだという意味ではありません。紙が変化していることを示す目印、と読むのが適切です。
複雑な香りは、こうした成分がいくつも重なって生まれます。ジュースの香りが、いろいろな成分の混ざり合いでできているのに似ています。ただし、ジュースと違って、本の場合は、紙が変化していく途中で出てくる成分です。
成分の種類や量が決まっているわけではないなら、本ごとににおいは違うのでしょうか。
3. どうして ほんごとに においが ちがうの?
3. 同じ「古い本」でも、においが違う理由
3. 本ごとの違い ── 材料とリグニン、2冊の比較が示すこと
かみや インク、とじかたは、ほんごとに ちがいます。それに、どこに しまわれて、どう つかわれたかも ちがいます。においの まざりかたは、ほんの「けいれき」で かわると、けんきゅうでは いわれます[2]。
きの なかの「リグニン」と いう ものを おおく ふくむ かみは、ちがう においの つぶが めだちます。リグニンは、かみが こわれやすいかに、おおきく かかわる ものです[1]。
16せいきの ほんと、19せいきの ほんを くらべた けんきゅうも あります。19せいきの ほんは、さんで こわれた しるしの フルフラールが おおく、16せいきの ほんは、あぶらが こわれた しるしの においが めだちました[3]。ただし、2さつを くらべただけです。どの ほんでも そうとは いえません。
ほんにも、それぞれの においが あるようです。では、ひとは その においを、どんな ことばで あらわすのでしょうか。
においの混ざり方は、紙・インク・製本に使われた材料と、その後の保管や使われ方によって変わります。論文は、においの配合が、物質が変化していく道すじのネットワークの結果で、その物の「経歴」に左右されると説明しています[2]。
たとえば、木材の細胞をつなぐリグニンを多く含む紙は、酢酸やヘキサナール、フルフラールが目立ちます。リグニンは、紙の分解のしやすさに大きく影響することが、この論文で示されました[1]。
時代による違いを調べた研究もあります。16世紀と19世紀の本を比べると、19世紀の本は酸による分解を示すフルフラールが主で、16世紀の本は脂質の酸化を示すアルデヒド類が目立ったと報告されています[3]。ただし、比べたのは2冊だけです。一般的な法則とはいえません。
バニラのような香りや、アーモンドのような香りの成分が含まれるとする解説もありますが、どの材料から出るのかまでは、今回の資料で確かめられませんでした[2]。では、人はこれらを、どんな言葉で表現するのでしょうか。
本ごとの違いは、紙・インク・製本の元の組成と、その後の保管・使用の履歴に由来する。2009年の論文は、においの配合は分解経路のネットワークの結果であり、対象の履歴に左右されると述べる[2]。
材料の面では、リグニン(木材の細胞をつなぐ複雑な芳香族高分子)を含む紙で、酢酸・ヘキサナール・フルフラールが目立つ。そのため、リグニンは紙の加水分解や熱酸化への安定性に大きく影響するとされる[1]。なお、バニラ様(バニリン)やアーモンド様(ベンズアルデヒド)の成分を挙げる解説記事はあるが、リグニンとの因果は原論文の本文では確認できなかった[2]。
時代差を示唆する例もある。19世紀の本では酸加水分解を示すフルフラールが主で、16世紀の本では脂質酸化を示す直鎖アルデヒド(オクタナール等)が目立った。ただし、比較は2冊にとどまり、一般則とは言えない[3]。
では、こうした混合物を、人の鼻はどう言葉にするのか。
4. ひとは、この においを、なんと よぶの?
4. 「チョコレート」と答えた人が、いちばん多かった
4. 古書のにおいの輪 ── 言葉を集めて、においを見える形にする
ロンドンの 大きな きょうかいの としょしつで、おとずれた 人に においを かいで もらった けんきゅうが あります。2017ねんの ことです[4]。
「き」と こたえた 人は、ぜんいん でした。「けむり」は 86パーセント、「つち」は 71パーセント、「バニラ」は 41パーセントでした[4]。
1928ねんの ほんを かいだ ときは、「チョコレート」「ココア」と こたえる 人が いちばん おおく、「コーヒー」「ふるい」「き」「こげ」と つづきました[4]。
ほんの においなのに、おかしや のみものの ことばが でて くるのは、おもしろいですね。けんきゅうした 人たちは、この ことばを あつめて 「ふるい ほんの においの わ」を つくりました。
2017年、ロンドンの大聖堂の図書室を訪れた人に嗅いでもらい、においの言葉を集める研究が発表されました。集まった言葉から、「古書のにおいの輪」が作られました[4]。
図書室の香りに「木のよう」と答えた人は100%、「煙」は86%、「土」は71%、「バニラ」は41%でした[4]。ただし、これは訪れた人の一部への質問で、人数は今回の資料で確かめられていません。
ラベルなしで嗅いでもらった1928年の本では、「チョコレート」やそれに近い言葉が最も多く、次いで「コーヒー」「古い」「木」「焦げ」が挙がりました[4]。本のにおいに、お菓子や飲み物の言葉が並ぶのは、意外です。
では、言葉を集めることは、においの科学に何の役に立つのでしょうか。
2017年、ロンドンのセント・ポール大聖堂の図書室で、訪問者に嗅いでもらいにおいの言葉を集め、「古書のにおいの輪(Historic Book Odour Wheel)」がまとめられた。図書室の香りを「木のよう」とした人は100%、「煙」86%、「土」71%、「バニラ」41%だった[4]。ただし、訪問者の一部への質問であり、人数は確認できていない。
1928年刊の、ラベルのない本では、「チョコレート」やその類語が最も多く使われ、「コーヒー」「古い」「木」「焦げ」が続いた[4]。においの輪は、においの言葉を共有して、資料の状態を知る診断の道具や、博物館でのにおいの再現に使えるとされる。
この節の数字は、解説記事(ScienceDaily)の要約による。原論文で確認するまでは、詳細を断定しない。
では、においは、本の状態を知る手がかりとして、どこまで使えるのか。
5. においで、ほんの ぐあいが わかるって ほんと?
5. においを、本の体調を診る手がかりにする
5. においを診断に使えるか ── 非破壊の分析と、図書館の空気調査
2009ねんの けんきゅうでは、かみを 24じかん かけて わざと いたませて、でて くる においの つぶを きかいで しらべました。ふるい ほんを こわさずに、いたみぐあいを しる ほうほうに なるかもしれないと、かんがえられました[1]。
この しらべは、ひとの はなで するのでは ありません。きかいで はかります[1]。
イギリスと アイルランドの 8つの としょかんなどで、くうきを しらべた けんきゅうも あります。かみの ほんが ある ところでだけ、フルフラールが いつも たかい のうどで みつかりました[5]。
においは、ほんの「からだの ちょうし」を しらせる てがかりに なるかもしれません。ただし、まだ けんきゅうの とちゅうです。
2009年の研究は、紙を24時間かけて人工的に劣化させ、出てくる成分を機器で測りました。そして、紙の酸性度やリグニンの量などと、出てくる成分のパターンを結びつけました[1]。紙に触れず(非破壊で)、傷んだ歴史的資料を素早く見分ける方法になりうる、というのが研究者の見方です。人の鼻ではなく、ガスクロマトグラフィー質量分析(GC-MS)という機器での分析です。
実際の施設でも調べられています。英国とアイルランドの国立図書館・文書館8か所の空気を測ったところ、フルフラールだけが、紙の資料がある場所で一貫して高い濃度で見つかったと報告されています[5]。紙の分解の目印になりうる、とされます。
ただし、どちらも研究の途中段階で、においだけで本の状態をすべて診断できるわけではありません。
においを診断に使う発想は、2009年の論文に明確に示された。紙を24時間の前処理(人工的な劣化の促進)にかけて放出されるVOCを測定し、紙の酸性度・リグニン量・セルロースの重合度などと、VOCのパターンを結びつけた[1]。紙に触れない非破壊の方法として、傷んだ歴史的資料を迅速に見分けられる可能性がある、という主張だ。なお、これはGC-MSなどの機器分析であり、人の嗅覚による診断ではない。
実環境での裏づけもある。英国・アイルランドの8つの国立図書館・文書館の空気調査では、フルフラールが、紙の資料のある場所でのみ一貫して高濃度で検出された唯一のVOCだった[5]。だから、紙の分解の指標になりうるとされる。ただし、この2つは検索要約を含む確認であり、原文での再確認が望ましい。
分かっているのは、においの成分のパターンが、紙の劣化の手がかりになりうる、という段階までだ。個々の本の診断に使えるかは、別に確かめる必要がある。
6. ほんの においを、ことばに して みよう
6. 本のにおいを、自分の言葉にしてみる
6. 出口 ── においを言葉にする/原典を読む
いえや がっこうの ふるい ほんを 1さつ えらびます。かびが 見える ほんは、においを かがないで ください。
ページを ひらいて、においを かいで みます。そして、「なにに にて いるか」を 3つの ことばで かいて みましょう。チョコレート、き、つち、おかし、なんでも かまいません。
べつの ほんでも やって みると、ことばが ちがうかも しれません。ほんの ふるさや 紙の しゅるいを、いっしょに かいて おくと、くらべられます。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:論文3本と、解説記事2本を使った。においの輪の数字は解説記事の要約による。
- Strlic et al., "Material Degradomics: On the Smell of Old Books," Analytical Chemistry 81, 2009. https://www.Gwern.net/doc/psychology/smell/2009-strlic.pdf (においの成分、フルフラール、リグニン、非破壊での診断の試みについて)
- ACS Axial「Why do old books smell so good」。 https://axial.acs.org/2015/09/23/why-do-old-books-smell-so-good (においの混ざり方が本の経歴で変わることについて)
- Molecules 2025, VOCs from two books at Biblioteca Capitolare of Busto Arsizio. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC12156301/ (16世紀と19世紀の本の成分の違いについて)
- ScienceDaily「Historic Book Odour Wheel」(Heritage Science, 2017年の研究の紹介)。 https://www.sciencedaily.com/releases/2017/04/170407113046.htm (においの言葉を集めた調査について)
- Gibson et al., Chemistry Central Journal 6:42, 2012. https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC3439258/ (図書館・文書館の空気とフルフラールについて)
なおした ところ
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