1. かげの 中の はいいろは、なぜ 明るく 見える?
1. 影の中の灰色は、なぜ明るく見えるのか
1. チェッカーシャドウ:同じ光の量が、なぜ別の明るさに見えるのか
白と 黒の ますが ならんだ 絵が あります。丸い ものの かげが、ますの 上に のびて います。かげの 外に ある ますと、かげの 中に ある ますを くらべて ください。かげの 中の ほうが、明るい 色に 見えます。
ところが、この ふたつの ますから 目に とどく 光の りょうは、おなじです[1]。アデルソンさんと いう 研究者が 1995年に 発表した、とても 有名な 絵です。
脳は、目に 入った 光を そのまま 見て いるのでは ありません。「ここは かげだな。かげの 中なら、ほんとうは もっと 明るい 色の はずだ」と、考えて いるようです。たとえば、くもりの 日に 白い シャツを 着ても、白いと 分かるのと にて います。ただし、脳の 中で なにが 起きて いるかは、まだ 研究が つづいて います。
白と黒のマスが市松模様に並んだ絵に、円柱の影が落ちています。影の外にある暗いマスと、影の中にある明るいマスを見比べると、影の中のほうがはっきり明るく見えます。ところが、この2つのマスから出る光の量(光子の数)は同じだと説明されています[1]。
MITのエドワード・アデルソンが1995年に発表したこの絵は、チェッカーシャドウ錯視と呼ばれます。研究者のマイケル・バッハは、人の目は露出計のように光の量をそのまま測っているのではなく、まわりの状況を考えに入れて判断している、と解説しています[1]。
場面を立体として見て、「ここには照明があり、影ができている」と解釈するとき、脳は影の中のマスを「本当はもっと明るい素材だろう」と見積もる、という考え方があります。ただしこの仕組みは研究者の間でも一つに決まっていません。ひとつ言えるのは、私たちが見ているのは光の量の記録ではなく、脳が作った「素材の明るさ」の見積もりだということです。
では、脳が見積もっているのは、明るさだけなのでしょうか。じつは、見えるはずの場所そのものを、脳が埋めている例があります。
影の外にある暗いマスと影の中にある明るいマスは、網膜に届く光の量(光子の数)が同一である。それでも影の中のマスのほうが明るく見える。この絵を1995年に発表したのは、MITのエドワード・H・アデルソンで、チェッカーシャドウ錯視と呼ばれる[1]。
なぜ、光の量が同じなのに明るさが違って見えるのか。解説者のマイケル・バッハは、目は露出計とは違い、文脈を考慮して判断するからだと述べている[1]。脳が光源の位置を推定し、影のせいで暗くなった分を差し引いて、素材そのものの明るさ(明度)を見積もると考えると筋が通る。影の中のマスは「照明が弱い場所にある」と解釈されるので、実際の光の量よりも明るい素材だと判断される。
ただし、この説明は場面を立体として解釈できることを前提にしており、その仕組みの細部は研究者の間でも一つに決まっていない。ここで重要なのは、錯視という言葉の定義である。北岡明佳(立命館大学)の講演資料によれば、錯視とは視覚の錯覚、つまり実在する対象の本当の性質とは異なる知覚のことで、形・明るさ・色・運動などの種類がある[2]。チェッカーシャドウは、このうち明るさの錯視にあたる。
脳が光の量を「そのまま」見ていないなら、見えていない部分はどう扱われているのか。次は、目の中にある穴の話に進む。
2. 目の 中に ある 見えない あなに、なぜ 気づかない?
2. 目の中の見えない穴に、なぜ気づかないのか
2. 盲点:光に反応しない領域を、脳はどう埋めているのか
じつは、人の 目の おくには、光を かんじない ところが あります。盲点と 言います[3]。ここには 光を かんじる さいぼうが ありません。だから、光が あたっても はんのうしません。
それなのに、ふだん 見て いる けしきに、黒い あなが あいて いるとは 感じません。ふしぎです。ひとつは、りょうほうの 目で 見ると、もう かたほうの 目が その 場所を 見て いるからです。もうひとつは、まわりの 色や もようを 使って、脳が あなを うめて いると 考えられて います[3]。
東京大学の 研究では、盲点を ぐるっと かこむ ドーナツの 形の 光を あてました。すると、盲点には 光が あたって いないのに、ドーナツの 中にも 光が あたって いるように 感じる 人が いました[4]。脳は、見えない ところを「たぶん こうだろう」と 作って いるのです。
人の目の網膜には、光に反応しない場所があります。視神経が束になって眼の外へ出ていく部分で、視細胞がないため、光が当たっても反応しません。これが盲点です[3]。
これだけ大きな見えない部分があるのに、ふつうは意識することがありません[3]。理由は2つ挙げられています。両目で見ると、片方の目の見えない場所を、もう片方の目の視野が重ねて見ているからです。もう1つは、盲点の周りの色や模様を使って、脳が内側を補っているからです[3]。
東京大学の研究では、盲点を取り囲むドーナツ型の光を当てると、盲点には光が当たっていないのに、内側にも光が当たっているように感じることが報告されています[4]。この研究の主題は瞳孔の反応ですが、脳が見えない場所を周りから補う様子の一例として読めます。
影の例でも盲点の例でも、脳は目からのデータをそのまま映さず、足りない分を補っていました。では、データが「止まった絵」のときは、どうなるのでしょうか。
網膜の視神経乳頭の部分には視細胞が存在しないため、そこに光が当たっても反応が起こらない。これが盲点である[3]。両目の網膜は同じ位置に盲点を持つわけではないため、両眼で見たときは、一方の目の盲点にあたる範囲を他方の目の視野が覆う。
それでも、盲点は片目で見ても意識されない。視野の中に見えない部分があるのに、それをまったく意識しないのは、隣接する部分の地の色や模様で補われるからだと説明される[3]。つまり、見えていないものを、周囲の情報から「推測して」見せている。
この補う働きの具体例として、東京大学の研究を挙げられる。盲点を囲むドーナツ型の光を当てると、盲点そのものに光が当たっていなくても、内側にも光が当たっているかのように感じるという[4]。ただし、同研究の主題は瞳孔の反応であり、ここでは「感じる」という記述だけを根拠にしている。
明るさの錯視と盲点には共通点がある。どちらも、周囲の情報を使って脳が見え方を補っている。では、情報が静止していて動きがないはずのとき、脳が「動き」を作り出すことはあるのか。
3. とまった 絵が 動いて 見えるのは なぜ?
3. 止まった絵が動いて見える「蛇の回転」は、なぜ起きるのか
3. 「蛇の回転」:静止画が動いて見える理由は、主な説明は二つあり、決着していない
こんどは、とまって いる 絵の はなしです。北岡明佳さんと いう 研究者は、へびの とぐろの ような 絵が ぐるぐる 回って 見える 作品を、たくさん つくって います[5]。「蛇の回転」と いう 名前の 絵が 有名です。
紙に いんさつされた 絵は、ほんとうは すこしも 動いて いません。それでも、見て いると、動いて いるように 感じる 人が います。ただし、感じ方には 人に よって ちがいが あり、体に わるい ことは ないと しょうかいされて います[5]。
では、なぜ 動いて 見えるのでしょう。じつは、いまの ところ、答えは 一つに 決まって いません。目が ごく すこし 動くからだと いう 考えと、明るさの ちがいで 脳に じょうほうが とどく はやさが かわるからだと いう 考えが あります[6]。
北岡明佳教授(立命館大学)は、静止画なのに動いて見える作品を数多く公開しています[5]。有名なのが「蛇の回転」です。黄・白・青・黒といった色の組み合わせの円が、ぐるぐる回って見えます。この種類の錯視は、フレーザー・ウィルコックス錯視の仲間に分類されています。
北岡のサイトは、錯視を「物の大きさ・色・動きが実際と違って見える現象」として紹介し、個人差があること、体に害のない現象であることを述べています[5]。つまり、同じ絵を見ても、動いて見える度合いは人によって違います。
では、なぜ止まった絵が動いて見えるのでしょうか。主な説明として、次の2つの考え方があります。1つは、目の細かな動きが原因だとする説です。もう1つは、明るさやコントラストによって、目や神経の反応の速さが変わることが原因だとする説です[6]。北岡らの研究には、後者にあたる、コントラストと反応の遅れを使った説明が含まれます[6]。
どちらが正しいのか、今のところ結論は出ていません。ここまでの3つの例は、いずれも「脳が見積もる」ことの副産物でした。では、その見積もり方は、育った場所によって変わるのでしょうか。
北岡明佳(立命館大学)は、物の大きさ・色・動きが実際と違って見える現象を公開しており、その中には静止画が動いて見える作品が多い[5]。代表作の「蛇の回転」は、黄・白・青・黒の配色の静止画で、フレーザー・ウィルコックス錯視(Fraser and Wilcox、1979)の系統に分類される。北岡のサイトは、この種の錯視には個人差があり、害のない現象だと紹介している[5]。
ここで問題になるのは、なぜ紙の上の絵が動いて見えるのかである。主な説明として、次の2つが挙げられる。1つは、注視中に起こる微小な眼球運動が原因とする説。もう1つは、視細胞や神経系が、明るさやコントラストの違いによって異なる速さで応答することが原因とする説である。後者は、北岡と芦田(Kitaoka and Ashida、2007)が、コントラストと視覚的な潜時(反応の遅れ)に基づいて異常運動錯視を論じた研究と関係が深い[6]。
この2つの説は、現時点でどちらかが確定したわけではない。したがって、「蛇の回転が動いて見えるのは目の動きのせいだ」あるいは「神経の反応の速さのせいだ」と、どちらか一方を正解として書くことはできない。
明るさの錯視、盲点、運動の錯視は、いずれも脳が見積もりをする過程で生じるものと考えられてきた。そうだとすると、見積もりの癖は、人が育った環境によって変わるのではないか。次に、この問いを調べた研究を見る。
4. 錯視は、そだった 場所で ちがうの?
4. 錯視の強さは育った環境で変わるのか。研究の結果は割れている
4. ミュラー=リヤー錯視とエビングハウス錯視:文化差をめぐる研究の食いちがい
ミュラー・リヤー錯視と いう 絵が あります。おなじ 長さの 線に、やじるしの はねを つけます。はねが 内がわを むくと みじかく、外がわを むくと 長く 見えます。
1960年代に、セガールさんたちが、いくつもの 国や 地いきの 人たちに この 絵を 見せました。そして、四角い たてものが 多い 社会ほど、強く 感じるのでは ないかと 考えました。「大工の 世界」の 考えと よばれます[8]。
ところが、2025年の 研究では、この 錯視は 線が まがって いても、点に かえても 起きると ほうこくされました。目の 手じゅつで はじめて 見えるように なった 人にも、鳥や 魚、虫にも 起きるそうです[7]。こうした けっかから、「大工の 世界」の 考えは うたがわれて います。
いっぽう、べつの 錯視では、くらべた 研究が あります。エビングハウス錯視では、イギリスの 子は 7〜8さいで 強く 感じましたが、ナミビアの とおい ところに すむ ヒンバの 子は 9〜10さいまで 感じませんでした[9]。錯視ごとに、ちがいます。
ミュラー=リヤー錯視は、同じ長さの線の両端に矢羽根をつけた図形で、矢羽根が内向きだと線が短く、外向きだと長く見えます。1960年代にセガールらが、世界の複数の社会の人々にこの図形を見せ、錯視の強さが社会によって大きく違うと報告しました[8]。そこから、四角い建物や直線の多い環境で育った人ほど強く感じる、という「大工の世界仮説」が唱えられました。
ところが、2025年に心理学の専門誌に載ったアミールとファイアストーンの論文は、この仮説を支持しない証拠を整理しています。報告では、この錯視は線が曲がっていても、線を点に置き換えても起こります。手術で視力を得た人もすぐ感じ、鳥・魚・昆虫などの動物にも起こるとされます[7]。こうした報告は、「大工の世界仮説」だけでは説明しにくい証拠として論じられています。ただし論文は、「文化は見え方に無関係」とまで言っているわけではなく、より高い段階の認知は別の話としています[7]。
では、文化による差はまったくないのでしょうか。別の錯視、エビングハウス錯視では、2016年の研究(336人の子どもが協力)が違いを報告しました。イギリスの子どもは7〜8歳で強い錯視を示しましたが、ナミビアの遠隔地で暮らすヒンバの子どもは9〜10歳まで錯視を示しませんでした[9]。
つまり、錯視の種類によって結果が違うのです。「文化で変わる」とも「変わらない」とも言い切れない、というのが現状です。
ミュラー=リヤー錯視は、同じ長さの線の両端に、内向きまたは外向きの矢羽根を付けた図形で、内向きだと短く、外向きだと長く見える。1960年代にセガール(Segall)らが、世界の複数の社会の人々にこの図形を見せ、錯視の大きさに社会差があると報告した[8]。この結果から、四角い建物や直線に囲まれた環境(大工の世界、carpentered world)で育つと、この錯視が強まるという「大工の世界仮説」が唱えられた。
この仮説に対し、アミールとファイアストーン(Amir & Firestone、Psychological Review、2025)は、反証となる証拠を整理した。論文によれば、錯視は線が曲がっていても、線を点に置き換えても起こる。手術で視力を得た人もすぐにこの錯視を示し、鳥・魚・昆虫などの動物にも見られる[7]。これらの報告は、大工の世界仮説だけでは説明しにくいことを示す証拠として論じられている。ただし同論文は、「文化は視覚に無関係」と結論づけたのではなく、高次の認知は別だとしている[7]。
注意すべきは、文化差を示すデータが、錯視の種類によっては別に存在することだ。ブレムナーら(Bremner et al.、Child Development、2016)は、エビングハウス錯視を使い、336人の子どもが参加した調査を行った。英国の子どもは7〜8歳で強い錯視を示したのに対し、ナミビアの遠隔地で伝統的な暮らしをするヒンバの子どもは、9〜10歳まで錯視を示さなかった[9]。この結果はミュラー=リヤー錯視ではなく、エビングハウス錯視についてのものである。
以上から、ミュラー=リヤー錯視は環境の影響が小さい可能性があり、エビングハウス錯視は環境で差が出る可能性がある、と読める。ただし、両者の実験条件は異なるため、単純な比較はできない。出典どうしの結論が割れている部分は、割れたまま理解する必要がある。
5. かみと じょうぎで、じぶんの 目を ためして みよう
5. 紙と定規で、自分の目を試してみる
5. 紙と定規で確かめる方法と、読み進めるための資料
かみと えんぴつ、定規を 用意しましょう。おなじ 長さの 線を 2本 ひきます。1本めの りょうはしには、外に ひらく やじるしの はねを つけます。2本めには、内がわに とじる はねを つけます。
見くらべて、どちらが 長く 見えるか、考えて ください。そのあと、定規で 長さを はかります。同じなのに ちがって 見えたら、あなたの 脳の「見つもり」を じぶんで ためした ことに なります。友だちにも 見せて、どう 見えたか 聞いて みましょう。人に よって ちがいが あるかも しれません。
紙と鉛筆、定規で、ミュラー=リヤー錯視を作ってみてください。同じ長さの線を2本引き、1本は両端に外向きの矢羽根を、もう1本は内向きの矢羽根をつけます。
まず、定規を使わずに「どちらが長いか」を目で答えます。そのあと、定規で測って確かめます。同じ長さなのに違って見えたなら、見たものと実際の差を、自分の目で体験したことになります。
資料を読むなら、北岡明佳教授のサイト[5]には、運動・形・色の錯視が多く公開されています。本記事の第4章で取り上げた論文は、Scientific American の解説[7]から入ると、論文の要点をつかみやすくなります。
確かめたい人は、紙と鉛筆と定規で、ミュラー=リヤー錯視を自作できる。同じ長さの線を2本引き、一方に外向き、他方に内向きの矢羽根を付ける。先に目で長さを判断し、次に定規で測る。個人差も観察できるので、家族や友人の答えと比べるのもよい。
資料を読み進めるなら、英語の資料を含むが、錯視の分類と定義は北岡明佳の講演資料[2]、錯視の作品は北岡のサイト[5]、チェッカーシャドウはバッハの解説[1]が入口になる。文化差の議論は、まず Scientific American の解説[7]を読み、次にアミールとファイアストーンの論文[8]、さらにブレムナーらの論文[9]へ進むと、論点のずれ(錯視の種類が違う点)が見えやすい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文の参照番号は、下の資料の番号に対応しています。
- Michael Bach, Optical Illusions: Adelson's Checker-shadow. https://michaelbach.de/ot/lum-adelsonCheckShadow/ (チェッカーシャドウの光の量の説明)
- 北岡明佳(立命館大学)講演資料. https://www.psy.ritsumei.ac.jp/akitaoka/meijiCOE2008.html (錯視の定義と種類)
- コトバンク「盲点(眼科用語)」. https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B2%E7%82%B9-142119 (盲点の位置と大きさ、補われる理由)
- 東京大学 FOCUS. https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/articles/a_00394.html (盲点を囲む光の研究)
- 北岡明佳の錯視のページ. https://www.ritsumei.ac.jp/~akitaoka/index-j.html (蛇の回転などの作品と錯視の紹介)
- 北岡明佳 錯視ニュース. https://www.psy.ritsumei.ac.jp/akitaoka/illnews10.html (運動錯視の研究文献)
- Scientific American, Does Culture Change Visual Perception? Debunking the Carpentered World. https://www.scientificamerican.com/article/does-culture-change-visual-perception-debunking-the-carpentered-world/ (大工の世界仮説をめぐる論文の解説)
- Amir & Firestone (2025), Psychological Review, Müller-Lyer illusion. https://perception.jhu.edu/files/PDFs/25_MullerLyer/AmirFirestone_MullerLyer_2025_PsychReview.pdf (ミュラー=リヤー錯視の文化差の研究史)
- Bremner et al. (2016), Child Development. https://ueaeprints.uea.ac.uk/id/eprint/57637/ (エビングハウス錯視の子どもの比較)
なおした ところ
更新履歴
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