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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

みえない てきに どう たちむかった? パスツールと 狂犬病きょうけんびょうの ワクチン

見えない病原体に、どうワクチンを作った? パスツールと狂犬病きょうけんびょう

病原体が見えなかった時代の狂犬病きょうけんびょうワクチン:パスツールの「弱毒化」と、世界の寄付で建った研究所

分野:歴史・文化

きょうけんびょうの もとに なる ウイルスは、パスツールが ワクチンを つくった ころ、けんびきょうでは まったく みえませんでした。はじめて みえたのは、それから 100ねんちかく あとの ことです。

みえない あいてに、どうやって たたかったのでしょう。この メモでは、パスツールの かんがえ方、9さいの おとこの子の はなし、せかいじゅうの 寄付きふ、いまの 日本の ようすが わかります。

狂犬病の原因は、パスツールが研究を始めた1880年ごろ、顕微鏡ではまったく見えませんでした。ウイルスの姿が初めて確かめられたのは、約1世紀後の1962年です[3]。見えない相手に、乾燥させた日数のちがう脊髄を、弱いものから順に打つ。そんな方法で、どうやってワクチンを作ったのでしょうか。

この記事では、パスツールの「弱らせて少しずつ」という考え方、9歳の少年への接種、世界中から集まった寄付、そして今の日本の犬の予防注射までのつながりが分かります。

パスツールが狂犬病の研究を始めた1880年、病原体は当時の顕微鏡の解像度では見えなかった。狂犬病ウイルスが初めて観察されたのは約1世紀後の1962年、電子顕微鏡によってである[3]。正体の分からない相手に、乾燥日数を変えた脊髄を弱い順に接種するという方法で、なぜワクチンが作れたのか。

この記事では、ニワトリコレラでの偶然の観察から出た「弱毒化」の発想、それを狂犬病に合わせて組み替えた方法、1885年の初接種とその証拠の限界、国際的な寄付で建った研究所、現在の曝露後接種と日本の犬の予防注射までが一本の線でつながっていることが分かる。

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1. けんびきょうで みえない びょうきを どう ふせぐ?

1. 顕微鏡で見えない病気を、どう防ぐのか

1. 病原体が見えないとき、研究者は何を手がかりにしたのか

パスツールは 1880ねんから、きょうけんびょうの けんきゅうを はじめました。かまれた どうぶつから うつる、こわい びょうきです。

ところが、びょうきの もとは けんびきょうで さがしても、みえません。いまの ような くわしく みられる きかいは、まだ なかったのです。

みえない ものは、かたちも おおきさも わかりません。それでも パスツールは、あきらめませんでした。てがかりに したのは、「びょうきの どうぶつの からだの なかには、なにかが いる」ことでした。

その ヒントは、すこし まえの ニワトリの けんきゅうに ありました。

パスツールは1880年から、狂犬病の研究に取りかかりました。ところが、顕微鏡でいくら探しても、病気の原因は見つかりません。当時の顕微鏡では解像度が足りず、ウイルスは見えなかったのです[3]。

形も大きさも分からない相手に、どうやって立ち向かうのか。パスツールが頼りにしたのは、「病気にかかった動物の体の中に、何か原因になるものがいる」という手がかりでした。見えなくても、その動物の組織を別の動物にうつせば、病気がうつる。それなら、見えない相手を「動かして」調べられます。

この考え方のもとになったのは、少し前に取り組んでいた別の病気でした。ニワトリのコレラです。

パスツールは1880年に狂犬病の研究を始めたが、原因は顕微鏡で観察できなかった。当時の顕微鏡は解像度が低く、ウイルスは見えなかった[3]。狂犬病ウイルスが初めて電子顕微鏡で確認されるのは約1世紀後の1962年である[3]。

では、見えない病原体を、どう扱ったのか。手がかりは、病気になった動物の組織を別の動物にうつすと、同じ病気が起きるという事実だった。正体が分からなくても、組織ごと動物の体で受けついでいけば、病気の起こり方を実験で調べられる。

この方法の土台は、パスツールがすでに手がけていたニワトリコレラと炭疽のワクチンにある[2]。特にニワトリコレラでの偶然の観察が、考え方の出発点になった。

2. ニワトリの ばいように おきた ふしぎな こと

2. 置いたままの培養が、ニワトリを守った

2. 空気にさらした培養はなぜ病気を起こさなかったのか:弱毒化の発見と公開実験

1879ねん、パスツールと じょしゅは、ニワトリの びょうきの ばいきんを そだてた ものを、くうきに さらした まま おいて おきました。ふるく なった それを ニワトリに うつと、ニワトリは かるい びょうきで すみ、なおりました。

びょうきの もとが、よわく なって いたのです。しかも、いちど かるい びょうきに なると、つぎは かかりにくく なりました。ぐうぜんの きっかけだった ようです。

パスツールは、「よわらせた ものを つかえば、びょうきを ふせげる」と かんがえました。これが ワクチンの かんがえ方の もとに なりました。

1881ねんには、おおぜいの 人の まえで、ひつじや ヤギの びょうきを ふせぐ ワクチンの じっけんを しました。うった どうぶつは みな いきのこり、うたなかった ヤギと ひつじは みな しんで しまいました。

では、みえない きょうけんびょうの もとは、どう よわらせたのでしょう。

1879年、パスツールと助手は、ニワトリコレラの菌を培養したものを、空気にさらしたまま置いておきました。その古くなった培養をニワトリに接種すると、ニワトリは軽い症状だけで回復したのです。偶然のきっかけだったとされます[1]。

病気を起こす力が弱まった菌は、そのあとの感染にも備えてくれるようでした。「弱らせたものを使えば、病気を防げる」。この発想を手がかりに、パスツールは家畜の炭疽のワクチンにも取り組みます[2]。

1881年、プイィ=ル=フォールという村で、公開実験が開かれました。ワクチンを打った動物は炭疽菌にさらされても生き残り、打たなかったヤギとヒツジは死んだと伝えられています[1]。頭数は資料によって食いちがうので、ここでは数を書きません。

ただし、ニワトリコレラの菌は培養して増やせる相手でした。狂犬病の病原体はウイルスで、同じようには培養できません。それでは、狂犬病でどうしたのでしょうか。

1879年、パスツールと助手は、ニワトリコレラ菌の培養を空気にさらしたまま放置した。この古くなった培養をニワトリに接種すると、軽い症状ののちに回復した。偶然の観察とされる[1]。

病原性が落ちた菌が、その後の感染への備えにもなる。この発想を手がかりに、パスツールは家畜の炭疽ワクチンにも取り組んだ[2]。炭疽ワクチンの作り方は、資料により弱毒化とも不活化とも説明される。1881年のプイィ=ル=フォールでの公開実験では、ワクチンを接種した動物は炭疽菌にさらされても生き残り、接種しなかったヤギとヒツジは死んだと報告されている[1]。頭数は資料間で食いちがうため、数は挙げない。

ところが、ニワトリコレラの手順には前提がある。菌は培養基の上で増やし、空気にさらして弱めることができた。では、培養できず姿も見えない狂犬病の病原体に、同じ「弱め方」は使えるのか。

3. うさぎと かわかした せきずいで よわらせる

3. ウサギの体で受けつがせ、乾燥させて弱める

3. 培養できない病原体をどう弱めるか:ウサギでの継代と脊髄の乾燥

パスツールと じょしゅの エミール・ルーは、きょうけんびょうに かかった いぬの のうの ざいりょうを、うさぎの のうに うつしました。それを また つぎの うさぎへ、と うけつがせて いきました。

びょうきに なった うさぎの 脊髄せきずいを とりだして、しめりけの ない ところで かわかすと、びょうきを おこす ちからが だんだん よわく なりました。

そこで、かわかした ひにちが ちがう 脊髄せきずいを じゅんびして おきました。ひを かけて かわかした ものほど、よわい ものです。

これを つかって、ちからの よわい ものから つよい ものへ と、じゅんばんに うてば、からだが すこしずつ なれて いくはずだと かんがえたのです。

パスツールは助手のエミール・ルーと、狂犬の脳の組織をウサギの脳に接種し、それをさらに別のウサギへ、と受けつがせていきました[3]。こうすると、病気を起こす力の安定したものが手に入ります。

次の一手が、乾燥でした。病気になったウサギの脊髄を、湿気のない環境に置いて乾かすと、毒性がだんだん弱まるのです[3]。乾かした日数の違う脊髄を何本も用意しておけば、弱いものから強いものまで、段階のついた「ワクチン」ができます。

この順番で打てば、体は少しずつ慣れ、いちばん強いものにも耐えられるはず。パスツールはそう考えたようです。でも、これは犬で試した話でした。人に使うとなると、話は別でした。

パスツールと助手のエミール・ルーは、狂犬の脳組織をウサギの脳に接種し、ウサギの体内で継代していく方法をとった[3]。培養基で増やせない病原体を、動物の体で受けついで増やす発想である。これで、病気を起こす力の安定した材料が得られる。

弱める工程は乾燥だった。感染したウサギの脊髄を、湿気のない環境で乾かすと、毒性が下がる[3]。乾燥の日数を変えた脊髄を何本も用意すれば、弱いものから強いものまで、段階のついた材料の列ができる。

この列を、弱いものから強いものへ順に打つ。体が少しずつ慣れ、最後に強いものを受けても発症しないようにする計画である。ここまでは犬での話だった。では、人に使う決断は、どうなされたのか。

4. 9さいの 男の子に、はじめて うった 日

4. 1885年7月、9歳のジョゼフ・マイスターへの初めての接種

4. 1885年7月6日、動物実験が十分でないまま行われた人への初接種

1885ねん7月6日、9さいの ジョゼフ・マイスターという 男の子が、パスツールの ところへ きました。くるった いぬに かまれて、やく 60じかんが たって いました。かまれた ところは 14か所でした。

パスツールは お医者さんでは ありません。だから、お医者さんの グランシェたちに おねがいして、うって もらいました。パスツールは、「大きな ふあんの なかで、いぬで うまく いった ほうほうを ためす ことに きめた」と のこして います。

男の子には、よわい ものから つよい ものへ、じゅんに 13回、ちゅうしゃを しました。そして、男の子は、びょうきに なりませんでした。

この 男の子は、せかいで はじめて、きょうけんびょうの ワクチンを うけた 人に なりました。

1885年7月6日、9歳のジョゼフ・マイスターが、パスツールの研究室を訪れました。狂犬にかまれて約60時間がたち、かまれた傷は14か所。地元の医師が石炭酸で傷を焼く手当てをしていました[4]。

パスツール自身は医師の資格を持っていません。そこで、医師のグランシェらにマイスターを託しました。「子どもが助からないと思われたので、大きな不安の中で、犬で成功していた方法を試す決心をした」。本人はそう述べています[4]。

接種は、古い(弱い)乾燥脊髄から新しい(強い)ものへと順に、13回続きました[3]。マイスターは発症せず、世界で初めて狂犬病のワクチンを受けた人になりました[6]。同じ年には、15歳の羊飼いの少年も治療を受けています[6]。

ただ、この時点で、ワクチンは動物でさえ十分には試されていなかったと、科学史の資料は指摘します[5]。大きな賭けだったのです。

1885年7月6日、9歳のジョゼフ・マイスターは、狂犬にかまれてから約60時間後に初めて接種を受けた。傷は14か所で、地元の医師が石炭酸で焼いて処置していた[4]。

パスツールには医師の資格がなく、医師のグランシェらがマイスターを担当した。本人は、子の死が避けられないと思われたので、大きな不安の中で、犬で成功していた方法を試す決心をしたと述べている[4]。接種は、古い(弱い)乾燥脊髄から新しい(強い)ものへ順に13回行われた。期間は資料により10日から3週間と割れるため、回数を軸にする[3]。

マイスターは発症せず、世界で初めて狂犬病のワクチンを受けた人となった[6]。同年には15歳の羊飼いも治療を受けた[6]。一方で、このワクチンは当時、動物でも十分に試されておらず、パスツールが述べた犬での成功件数についても、後年の実験ノートの調査で、実際はそれより少ないとされる[5]。この成功は、証拠が完全にそろった上でのものではなかった。

5. せかいじゅうの 人が おかねを だして、けんきゅうじょが できた

5. 成功の知らせは、世界中の寄付を集めた

5. 初接種の成功がどう寄付を呼び、パスツール研究所の建設につながったのか

この せいこうの ニュースが つたわると、フランスの ほかの くにからも、どうぶつに かまれた おおぜいの 人が あつまりました。ロシアや アメリカから きた 人も いました。

パスツールは、せんもんの ワクチンを うつ ばしょが ひつように なりました。1886ねん3月1日、かがくの アカデミーで、さいしょの けっかを ほうこくし、そのための センターを つくる べきだと のべました。

アカデミーは、せかいじゅうに おかねを よびかける ことを きめました。すると、どんな くらしの 人も、せかいの あちこちから 寄付きふを しました。

1888ねん11月14日、パスツール研究所けんきゅうじょが ひらきました。パスツールは「ぜんいの おもいでない ただ ひとつの いしも ない」と はなしました。

初接種の成功が伝わると、フランス各地や外国から、動物にかまれた大勢の人が集まりました。ロシアやアメリカからも来たといいます[7]。パスツールは、専用のワクチン接種所を作る必要に迫られました。

1886年3月1日、パスツールは科学アカデミーで最初の接種結果を報告し、狂犬病ワクチンのセンターを作るべきだと述べました。アカデミーは全員一致で、国際的な寄付の募集を決めます[7]。

これに、あらゆる階層の人が世界中から応えました。寄付者の名簿には、皇帝や富豪のほか、ふつうの収入の人も名を連ねたそうです[7]。

研究所は1887年6月4日に設立が認められ、1888年11月14日に、カルノー大統領が正式に開所しました。落成にあたって、パスツールは「善意の思いでないただ一つの石もない」と述べたと伝えられています[7]。

初接種の成功が伝わると、フランス内外から、動物にかまれた多くの人が集まり、ロシアやアメリカからの来訪者もあった[7]。個別に対応しきれず、専用の接種所が必要になった。

そこでパスツールは、1886年3月1日に科学アカデミーで最初の接種結果を報告し、狂犬病ワクチンのセンターを作るべきだと述べた。アカデミーは全員一致で、国際的な寄付の募集を決めた[7]。呼びかけに、あらゆる階層の人が世界中から応じ、名簿には皇帝や富豪とともに、ふつうの収入の人も載った[7]。

パスツール研究所は1887年6月4日に設立が認められ、1888年11月14日、カルノー大統領が正式に開所した。落成の挨拶で、パスツールは「善意の思いでないただ一つの石もない」と述べた[7]。

6. いまの 日本の いぬは どう まもられて いる?

6. 今の日本で、犬の予防注射が決まりになっている理由

6. 発症後の治療がない病気を、現在はどう予防しているか:曝露後接種と日本の制度

きょうけんびょうは、びょうきに なって しまうと、なおす ほうほうが ありません。だから、かまれた あとに、つづけて ワクチンを うつ ことが ふせぎ方の もとです。

いまは、パスツールの ころとは ちがう、あたらしい ワクチンが つかわれて います。まいとし せかいで やく 1500万人が、かまれた あとの ワクチンを ひつようと して います。これは、びょうきに なった 人の かずでは ありません。

日本では、1957ねん いこう、くにの なかで この びょうきに うつった 人は いません。いぬを かう 人は、とうろくを して、1ねんに 1回、ワクチンを うたせる ことが ほうりつで きまって います。

いぬの くびわに ついて いる かなぐの ふだは、とうろくや ちゅうしゃの しるしかも しれません。

狂犬病は、発症してしまうと有効な治療法がありません。そのため、かまれたあとに続けてワクチンを打つ「曝露後接種」が、予防の基本です[8]。現在は、パスツールの時代の脊髄ではなく、組織培養を使った安全で効果の高いワクチンが使われています[8]。

世界では毎年約1500万人が、この曝露後接種を必要としています[8]。これは接種が必要になった人の数で、患者の数ではありません。

日本では、1957年以降、国内での感染は確認されていません[9]。背景には、飼い犬の登録、年1回の狂犬病予防注射、鑑札と注射済票を犬に着けることが、法律で決められていることがあります[9]。海外でかまれた人が日本で発症した例は、2006年(フィリピン)と2020年にありました[9]。国内の犬での発生ではありません。

見えない相手に挑んだ19世紀の一歩が、今の犬の予防注射につながっています。

狂犬病は発症後の有効な治療法がなく、かまれた後にワクチンを連続して打つ曝露後接種が予防の基本である[8]。現在使われているのは、組織培養に基づくワクチンで、パスツールの乾燥脊髄とは別物だ[8]。世界で毎年約1500万人が曝露後接種を必要とする。これは接種が必要な人の数で、患者数ではない[8]。

日本では、1957年以降、国内感染はない[9]。飼い犬の登録、年1回の予防注射、鑑札と注射済票の装着が法律で義務づけられている[9]。輸入例は2006年(フィリピン)と2020年にあるが、海外でかまれた人の例で、国内の犬の発生ではない[9]。

つまり、1885年の初接種を出発点に、ワクチンの作り方は組織培養へ変わった。それでも、「発症前に防ぐ」という考えは現在の予防にも続いている。

7. じぶんでも しらべて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

おさんぽで みつけよう

おさんぽ中の いぬの くびわを、はなれた ところから よく みて みましょう。かなぐの ふだが ついて いたら、「かんさつ」や「ちゅうしゃずみひょう」かもしれません。いぬには ちかづかず、きに なったら おうちの 人と いっしょに、かって いる 人に きいて みましょう。

しらべる とき

こうせいろうどうしょうの ホームページに、きょうけんびょうの せつめいが のって います。おうちの 人と いっしょに よんで みましょう。

散歩で探してみる

散歩中の犬の首輪を見て、金属の札がついているかを探してみましょう。それが、鑑札や注射済票かもしれません。犬には近づかず、離れて見るだけにします。気になったら、家の人と一緒に飼い主さんに尋ねましょう。

資料を読むなら

厚生労働省の「狂犬病について」のページに、日本の現状と制度の説明があります[9]。「参考にした情報源」には、開所までの経緯をくわしく書いた資料も挙げています[7]。

犬の札を見かけたら

散歩中の犬の首輪にある札が、鑑札・注射済票かもしれない。犬には近づかず、離れて見るだけにする。気になったら、家の人と一緒に飼い主に尋ねるとよい。

資料を読むなら

日本語の公的資料として、厚生労働省「狂犬病について」がある[9]。成功の背景と限界、研究所設立の経緯を、さらに知りたくなったら、下の「参考にした情報源」から原典にあたれる[4][5][7]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. Gavi VaccinesWork, 炭疽ワクチン公開実験に関する記事. https://www.gavi.org/vaccineswork/scrutiny-or-public-spectacle-how-louis-pasteur-put-anthrax-vaccine-trial (ニワトリコレラの弱毒化と公開実験)
  2. History of Vaccines (College of Physicians of Philadelphia), Louis Pasteur. https://historyofvaccines.org/history/louis-pasteur-formemrs/overview (それ以前のワクチン)
  3. Institut Pasteur, The final years 1877-1887. https://www.pasteur.fr/en/about-us/final-years-1877-1887 (見えなかった病原体、ウサギと乾燥脊髄、13回の接種)
  4. PBS NewsHour, Louis Pasteur's risky move to save a boy from almost certain death. https://www.pbs.org/newshour/health/louis-pasteurs-risky-move-to-save-a-boy-from-almost-certain-death (初接種の日と、パスツール本人の言葉)
  5. Science History Institute, Biting Back. https://www.sciencehistory.org/stories/magazine/biting-back (当時の証拠の限界)
  6. Institut Pasteur, History. https://www.pasteur.fr/en/institut-pasteur/history (最初に接種を受けた人)
  7. Institut Pasteur, 130 years ago, Institut Pasteur was under construction. https://www.pasteur.fr/en/research-journal/news/130-years-ago-institut-pasteur-was-under-construction (寄付の募集と研究所の開所)
  8. WHO / PLOS Neglected Tropical Diseases. https://www.who.int/publications/i/item/pntd-0000839 (現在のワクチンと曝露後接種の人数)
  9. 厚生労働省, 狂犬病について. https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/index.html (日本の状況と法律上の義務)

なおした ところ

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