1. せんせいに、ひとりずつの へやは ない?
1. 先生に個室がない学校は、ほかの国と同じなのか
1. 個室を持たない教師:共有の職員室という形
おとなの 会社には、えらい 人だけが 入る へやが ある ことが あります。でも 日本の 学校では、せんせいが ひとりずつ へやを もつ ことは、あまり ありません。
せんせいは、職員室という おおきな へやに、つくえを ならべます。そして じゅぎょうの あいだに もどって、しごとを したり、やすんだり します[3]。
ある かいせつでは、西ようの おおくの 学校は ちがって、せんせいが ひとりずつ オフィスを もつ と せつめいして います。ぜんぶの 外国が そうだ、と いう わけでは ありません。
では、この へやは、いつ、なんの ために できたのでしょう。
授業のあいだに戻ってくる机
日本の先生は、授業の合間に職員室へ戻り、自分の机で仕事をします。ある百科的な解説は、これを「西洋の多くの学校と違って、教師が個人のオフィスを持たず、全員が一つの共有スペースに机を持つ」やり方だと説明しています[3]。
ここで気をつけたいのは、「外国はすべて個室」ではないことです。解説が言っているのは、西洋の多くの学校と比べて、という範囲までです。
決まった役目のない部屋?
先生が全員そろう部屋は、学校の仕事を考えれば当たり前に見えます。けれど、この部屋がどんな役目を持つ場所として生まれたのかを調べた研究があります。次の章では、その答えを見ます。
日本の学校では、教師が一つの共有の部屋に机を置き、授業の合間にそこで仕事をする。解説によれば、これは西洋の多くの学校と異なる点で、あちらでは教師が個人のオフィスを持つことが多い[3]。ただし出典の範囲は「西洋の多くの学校」との対比までであり、世界中の学校を一括して比べた結果ではない。
国際比較の研究としては、日本・中国・韓国の職員室を扱った講演の要旨がある。日本の職員室は混み合った配置のなかに感情の調和があり、新しく来た人が早く中心の参加者になる場として報告されている[5]。これは講演の紹介ページの要旨であり、三か国の調査を超えて一般化はできない。
ここで問いが残る。この共有の部屋は、そもそも何のために置かれたのか。教育史と学校経営の研究を手がかりに、役割の変遷をたどる。
2. さいしょの 職員室は、「のこりの しごと」の へやだった
2. はじめの職員室は、教室が引き受けない「残りの仕事」の部屋だった
2. 明治期の職員室:教室から切り離された「残余の機能」
めいじの はじめ、日本には 学校が できはじめました。まだ 学校の たてものが たりず、おてらや ふつうの 家を かりる ことも おおかったそうです[4]。
その なかで 職員室は、「ここで これを する へや」と はじめから きめて つくられた ものでは なかった、と けんきゅうは せつめいします[1]。
きょうしつは、じゅぎょうを する ための へやに なって いきます。すると、じゅぎょうに 入らない しごとが のこります。せんせいが やすむ ことと、かみの しごとです。この のこった しごとを ひきうけた ばしょが、職員室でした。
では、のこりの へやは、そのあと どう かわったのでしょう。
借り物の校舎から始まった学校
明治8年(1875年)には、全国に約2万6千校の小学校があり、そのうち寺院を使うものが約8千校、民家を使うものが約6800校ありました。合わせて七割を超え、学校の建物の多くは借り物でした[4]。この資料は学校の建物の数をまとめたもので、職員室のことは書いていません。ただ、学校がまだ形を探している時代だったことは伝わります。
授業のための教室、のこりの機能の職員室
職員室について、佐藤昭宏さんの2012年の論文は、水本徳明さんの研究を引いて、次のように整理しています。職員室は、はじめから明確な役割を果たすために作られた場所ではありません。明治30年ごろまでは、授業の場として純粋になっていく教室が引き受けない「残りの機能」、つまり教師の休息と事務の場として意味づけられた、というものです[1]。
「明治○年に職員室が発明された」と言える年は、この資料には出てきません。はっきりした役目がないまま、教室の外に残った仕事の置き場として始まった、というところまでが言えることです。
では、役目のなかったその部屋は、先生たちの暮らしの中でどんな役目を背負っていったのでしょうか。
明治8年(1875年)の時点で、全国の小学校のうち寺院を使うものが約8千校、民家を使うものが約6800校あり、借用が七割を超えていた[4]。この統計は校舎の借用の実態を示すもので、職員室の起源の根拠にはならない。ここでは、学校の空間がまだ固まっていない時代の背景として置く。
職員室の成り立ちについて、佐藤(2012)は水本徳明の研究にもとづき、次のように整理する。職員室は創設時から何らかの明確な役割を担うべき場所だったわけではなく、明治30年ごろまでは、授業の場として純化された教室が引き受けない「残余の機能」、すなわち教師の休息と事務取扱いの場と位置づけられた[1]。
この成り立ちは、佐藤(2012)が水本の研究にもとづいて整理したものだ。ここでは「そう整理されている」と紹介し、成立年は断定しない。
教室が授業に特化するほど、休息と事務の行き場が必要になる。そうして生まれた「残りの部屋」が、その後どんな役割を積み重ねていくのかが次の問いになる。
3. 子どもを みまもり、おきゃくさんに こたえる へやに
3. 休憩室から、子どもを見守り来客に応じる部屋へ
3. 明治10〜30年代:見守りと来客応対の部屋、そして「こもる」ことへの批判
めいじの 10ねんだいには、職員室は 子どもを みまもる ばしょとして たいせつに されたと いわれます[1]。せんせいが そこから、子どもたちに 目を くばるのです。
20ねんだいには、かみの しごとや おきゃくさんの おうたいも する、学校の しごとの まん中に なりました。学校の「のう」と よばれた ことも ある、と けんきゅうは つたえています。
ところが 30ねんだいに なると、べつの 声も 出ます。職員室に こもって いないで、うんどうじょうへ 出て 子どもを 見たら どうか、と いう 人が 出て きました[1]。
やすむ ばしょから、しごとを する ばしょへ。職員室の やくめは、じゅうたいに ふえて いきました。
見守りから、学校の中心へ
同じ研究によると、明治10年代の職員室は、主に児童・生徒に目を配り見守る場として重んじられました。原文では「監視」という言葉が使われていますが、子どもが悪いことをしていないか見張るというより、学校全体に目を行き届かせる場、という意味合いで読めます[1]。
明治20年代になると、職員室は学校の事務、来客への応対、児童の指導を一手に受ける場になります。学校経営の中心として、学校の「脳髄」と呼ばれることもあったと整理されています[1]。
こもっているだけでいいのか
明治30年代には、職員室を休憩室としか見ない考え方が薄れ、授業の準備や校務、打ち合わせの場だという見方が出てきました。同じころ、先生が職員室にこもっていることへの批判も現れ、運動場に出て子どもたちを見るべきだ、という主張もありました[1]。
休む部屋が、仕事の部屋になり、そこから外へ出て行く場所にもなった。その途中で、先生たちの間にはもう一つの問いが生まれます。校長先生の部屋は、同じ部屋の中にあるべきなのでしょうか。
役割の変化は段階的である。佐藤(2012)の整理では、明治10年代の職員室は主に児童・生徒を見守り監督する場として重視された。原文の語は「監視」だが、同じ部屋で授業の合間に学校全体へ目を配るという意味合いとして読むのが自然だろう。ついで明治20年代には、学校事務、来客への応対、児童の指導監督を担う学校経営管理の中核的な場となり、学校の「脳髄」「精神」にも例えられた[1]。
ところが明治30年代になると、職員室は単なる休憩室ではなく、授業の準備、校務の処理、打ち合わせや協議を行う場だとする見方が現れる。その一方で、教員が職員室にこもっているという実態が批判され、運動場に出て児童を見るべきだという主張も出た[1]。同じ部屋が、「出るべきだ」と言われながら「集まる場」でもあるという緊張を、この頃から抱えていたことになる。
各年代の線引きは目安だが、休息の場から事務・応対・協議の場へと役割が積み重なり、同時に「中にいすぎる」ことへの反省も生まれた流れは読み取れる。この積み重なりの先で、部屋の境界、すなわち校長室を同じ部屋に置くか否かが議論になる。
4. 校長せんせいの へやは、べつに ある? ない?
4. 校長室は職員室と別にするか、なくすかという議論
4. 大正から戦後:校長室の議論と、実現しなかった代案
たいしょうの ころには、校長室を 職員室と べつに おくか、なくすか、と いう はなしあいが ありました[1]。
べつに おく ほうが いい、と いう 人と、なくした ほうが せんせいどうしが ちからを あわせやすい、と いう 人が いて、けっきょく はっきりした こたえは 出ませんでした。
せんそうの あとには、せんせいは きょうしつの うしろに つくえを おいて、職員室は やすむ へやだけに したら、と いう 意見も 出ました。じむの 人を ふやして、じむしつを つくる かんがえも ありました。
でも、おかねや ばしょの もんだいで、これらは かないませんでした[1]。職員室は、しごとも かいぎも おきゃくさんの おうたいも 休けいも する、いろいろな へやの まま つづきました。
決まらなかった議論
大正時代には、校長室を職員室とは別に置くべきだという主張と、先生どうしが協力しやすくなるように校長室をなくすべきだという主張が並びました。研究は、はっきりした一つの結論には至らなかったとまとめています[1]。この時期から、職員室は先生たちが力を合わせる中心の場、という見方も加わりました。
戦後に出た代案は、どうなったか
戦後には、職員室を休憩だけの場にして、先生は教室の後ろに机を置くべきだ、という意見が出ました。事務員を増やして事務室を作る案もありました。ただ、予算や空間の問題でどちらも実現せず、職員室は明治のころと同じく、事務、会議、応接、休養などを含む場であり続けました[1]。
「別の形もありえた」のに、今の形が残った。職員室は、今どんな場所として計画されているのでしょう。まず、国の施設整備指針にある配置の考え方を見てみます。
大正期には、校長室を職員室と別置すべきだという主張と、他の教師と協働的な関係を築くには校長室をなくすべきだという主張が対立し、単一の明確な結論には至らなかった[1]。この時期には、職員室を教師が協力し合う中心の場とみる見方も加わっている。
戦後には、職員室を休憩のみの場とし、教員は教室の最後尾に机を置くべきだという意見や、事務員を増やして事務室を整えるという案が出た。しかし予算や空間の問題で実現せず、職員室は明治期からと同様に、事務・会議・応接・休養などを含み込む場であり続けた[1]。なお論文はこの背景に学校経営論の影響を指摘するが、それは論文の解釈にとどまり、本稿では因果の断定には使わない。
ここから分かるのは、代案が出ては実現せず、結果として多様な機能が一室に残ったということだ。残ったのは「偶然」だけが理由とも言い切れない。この部屋が実際に何を果たしているのかを、今の施設の指針と、教員の聞き取り研究から見る。
5. 今の 職員室は、どこに ある?
5. 今の職員室は、なぜ校庭の見える場所に置かれるのか
5. 施設整備指針(平成21年版):見渡せる位置、来訪者の受付、部屋の中の設備
いまの 学校を つくる ときの きまりごとに あたる「小学校施設整備指針」には、職員室を おく ばしょの のぞましい かんがえが 書かれて います[2]。
それは、うんどうじょうや 学校の いりぐちが よく 見わたせて、学校の あちこちへ いきやすい ところです。きょうしつに ちかい ことも ふくまれます。
いりぐちの もんも、職員室から 見える ばしょが よい、と されます。おきゃくさんの うけつけは、職員室の となりに おく、と 書いて あります。まどの ガラスを すきとおった ものに すると、学校の ようすが わかりやすい、とも あります。
ぜんぶの 学校が そうなって いる とは かぎりません。いまの 学校に とって のぞましい かたち、と いう こと です。
校庭と門を見渡す位置
文部科学省の小学校施設整備指針(平成21年版)は、職員室を、屋外運動場や学校の入口のあたりが見渡せて、校内のあちこちへ移動しやすい位置に計画することが重要だとしています。また、学習のための教室に近い位置にも置くよう求めています[2]。
防犯の面でも、職員室や事務室は、敷地の入口や運動場を見渡せて、緊急のときにすぐ動ける位置に置くとよいとされます。門は職員室から見通せる位置に置く、来訪者の受付は職員室に隣り合わせる、職員室の窓ガラスを透明にして校内の様子が分かるようにするのも有効、という例も挙げられています[2]。
これは望ましい計画の考え方で、すべての学校がそうなっているわけではありません。明治に「校庭に出て子どもを見るべきだ」と言われたことと、今は部屋の位置そのものが校庭を見渡せるよう求められていることは、つながって見えます。これは、このメモの読み方です。なお、この指針は平成21年版で、令和4年に改訂版も出ています。
部屋の中の設備
同じ指針は、職員室の中に、机や書棚、個人用ロッカー、教材や書類を保管する場所をそろえ、必要に応じて休憩コーナー、打ち合わせコーナー、湯沸し設備を設けるとしています。学校の規模によっては、学年ごとに分けた教師コーナーを作ることも有効、とあります[2]。
では、そうして整えられた部屋の中で、先生たちは実際に何をしているのでしょうか。
文部科学省の小学校施設整備指針(平成21年3月版)は、職員室を屋外運動場やアプローチ部分の見渡しがよく、校内各所への移動に便利な位置に計画することが重要だと述べ、あわせて学習関係の諸室に近い位置を求める[2]。
防犯計画の章では、職員室や事務室を敷地の入口と運動場を見渡せ、緊急時に即応できる位置に置くこと、門を職員室から見通せる位置に置くこと、来訪者の受付を職員室に隣接させることが挙げられ、職員室の建具のガラスを透明にして校内の状況を把握できるようにすることも「有効」とされる[2]。ガラスの透明化は例示であり、義務ではない。
各室計画の章では、職員室に机・書棚・個人用ロッカーと、教材・教具・文書の保管場所をそろえ、必要に応じて休憩コーナー、打ち合わせコーナー、湯沸し・流しを設けること、学校の規模によっては学年ごとに分散した教師コーナーを確保することも有効だとする[2]。
なお、この指針は望ましい計画の留意点を示すもので、全校がこの形とは限らない。令和4年に改訂版が出ているので、最新の条文は自分で開いて見比べてほしい。
この配置は、明治30年代に「こもるな、運動場に出よ」と批判された職員室の位置を、設計の側から補うものとも読める。これは本稿の解釈である。では、その部屋の中で教員は実際に何をしているのか。
6. 職員室の なかで、せんせいたちは なにを して いる?
6. 職員室の中で先生たちが交わしているもの
6. 職員室という場の機能:情報交換・共通理解・助言と、職員室文化
せんせいへの 聞きとりに もとづく けんきゅうでは、職員室は せんせいが やすむ ばしょで あり、子どもの ようすを おしえあう ばしょ、とも いわれて います[1]。
せんせいどうしで「この 子は、こんな ことが すき みたい」と はなしあって、おなじ ほうこうを むく。わかい せんせいが、ベテランの せんせいに アドバイスを もらう。そんな ことも おきて いると、しめされて います。
これは、「そうだと しめされた」と いう けんきゅうの ことで、どの 学校でも おなじ とは かぎりません。
べつの けんきゅうでは、学校ごとに ちがう「職員室の ふんいき」が、せんせいの そだち かたに えいきょうする かもしれない、と かんがえて います[6]。
休憩、情報交換、共通理解、助言
教員への聞き取りにもとづく研究では、職員室が教員に、休憩、子どもに関する情報交換、先生どうしの共通理解づくり、先輩教員からの助言といった活動の場を提供している、と示されています[1]。「示された」という段階の結果で、すべての学校の先生に当てはまると言い切れるわけではありません。
授業の合間に戻ってきて、ある子の様子を話し、他の先生の見方を聞く。若い先生が、先輩の経験に触れる。机が一つの部屋に並んでいるからこそ、こうした会話が自然に生まれやすいのかもしれません。
学校ごとの「職員室文化」
教員1,344名のデータを使った別の研究は、職員室文化を「各学校で大切にされている教育技能と考え方・行動の全体」と捉えています。そして、学校ごとの特色や教師の成長に影響する可能性があると述べます[6]。これは要旨で確認できる範囲であり、「可能性」という強さで受け取るのが適切です。
はじめは、役割のない「残りの部屋」だった職員室。今は、見渡す位置、受付との距離、中の設備まで考えられ、先生たちの会話が行き交う場所になっています。
教員への聞き取りにもとづく研究は、職員室が教員に対し、休憩、子どもに関する情報交換、教員間の共通理解の形成、先輩教員からのメンタリングといった活動の場を提供していると示唆している[1]。
また、教員1,344名のデータを使った調査研究は、職員室文化を「各学校で大切にされている教育技能と考え方・行動の全体」と理解し、学校ごとの特色や教師の成長に影響する可能性を述べる[6]。
一方、日本・中国・韓国を比べた講演の要旨は、日本の職員室を、混み合った配置のなかに感情の調和があり、新参者が早く中心的な参加者になる場とする。中国では豊かになるにつれ個人への配慮が日本より大きくなるとも述べるが、これは三か国を対象にした調査の要旨に限った話である[5]。
つまり職員室は、教室から押し出された残りの機能の置き場として始まり、見守り・事務・応対・協議と役割を重ね、今は位置から設備まで設計の対象になり、同時に人どうしの関わりの場として研究されている。起点が「役割がなかったこと」にあるからこそ、時代の求めに応じて役割を受け入れられた、という見方もできる。残った代案がいずれも実現しなかった事実と並べると、そう読みたくなる。ただし、これは本稿の解釈である。
7. じぶんの 学校の 職員室を、そとから 見て みよう
7. 自分の学校の職員室を、外から観察してみる
7. 観察の道すじと、資料の読み方
やってみよう。職員室に 入る まえに、そとから 見て みましょう。先生に ひとこと ことわって、あんぜんな ところから 見ます。
- まどの ガラスは すきとおって いますか。
- うんどうじょうや もんは、職員室から 見えそうですか。
- おきゃくさんの うけつけは、近くに ありますか。
こたえが ぜんぶ「はい」でも、「いいえ」でも、まちがいでは ありません。学校ごとに、ちがって いて いいのです。
やってみよう。休み時間などに、安全な場所から職員室の外を観察してみましょう。入るときは先生に声をかけて、許可をもらってからにします。
- 窓のガラスは透明か。そこから校庭や門は見えそうか。
- 来客の受付は、職員室の近くにあるか。
- 教室から職員室まで、歩いてどのくらいか。
見つけたことを、指針に書かれている例と比べてみてください。同じところと違うところが、学校ごとの事情を教えてくれます。国立教育政策研究所のサイトにある指針を読めば、条文の言葉も確かめられます。
自分の学校で、職員室の窓の透明さ、校庭と門の見え方、受付の位置、教室からの距離を観察し、指針の記述(平成21年版)と比べてみる。一致する点と異なる点は、その学校の敷地や歴史を考える手がかりになる。
資料を読むときは、次の点に気をつけたい。明治期の役割の変遷は、単一の研究論文(佐藤2012)の整理に多くを依る。一次資料や、引用されている水本徳明の研究に当たると、年代の区切りや言葉づかいの違いが見えるかもしれない。施設の指針は令和4年の改訂版が出ているため、最新版の該当箇所の確認も要る。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料の一覧です。職員室の歴史の部分は、主に1つの論文の整理に依っています。
- 佐藤昭宏「職員室風土の理論的検討」北海道大学教育学研究院紀要 第117号(2012) https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/repo/huscap/all/51033/Sato.A.pdf (職員室の役割の変遷と、教員の聞き取り研究)
- 文部科学省「小学校施設整備指針」(平成21年3月) https://www.nier.go.jp/shisetsu/pdf/syoushishin.pdf (職員室の位置・防犯・室内設備の記述)
- 「職員室」百科的解説 https://www.tkgje.jp/entries/05000/05379_shokuinshitsu.html (教師が個人のオフィスを持たないという説明)
- 文部科学省「学制期の小学校の校舎」 https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317687.htm (明治8年の校舎の借用の数。職員室の記述はない)
- 京都大学オープンコースウェア 2021ウェビナー第3回 https://ocw.kyoto-u.ac.jp/en/?p=3773 (日中韓の職員室を比べた講演の要旨)
- 林ほか「職員室文化に関する調査研究(1)」広島大学学習開発学研究 https://hiroshima.repo.nii.ac.jp/records/2017096 (職員室文化の考え方。要旨の範囲)
なおした ところ
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