このサイトは、ほんの入り口です

ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

スカートの ながさは、どうして 長く なったり 短く なったり したの?

スカートの丈は百年でどう動いたか:ミニは一人の発明ではない

スカート丈は百年でどう動いたか:ミニスカートの「発明者」と、景気で丈が変わるという説の検証

分野:歴史・文化

むかしの しゃしんを 見ると、スカートの ながさが 今と ちがう ことが あります。じつは、ミニスカートを「この人が はつめいした」と 一人に 決めるのは「神話」だと、イギリスの はくぶつかんが せつめいして います[1]。

スカートは、いつ 短く なって、いつ 長く なったのでしょう。この ページを 読むと、百年ぐらいの うごきと、そのとき 何が あったのかが 分かります。

昔の写真を見比べると、スカートの裾の位置が今とずいぶん違うことがあります。ミニスカートについては、英国のヴィクトリア・アンド・アルバート博物館(V&A)が、発明者を一人に決めることを「神話」と呼び、徐々に生まれたものだと説明しています[1]。

では、スカートの丈は百年のあいだにどう動いたのでしょうか。長いスカートが話題になった年があり、日本にミニが来た年もあります。ミニスカートは、一人のデザイナーが突然作ったものではありません。丈の上がり下がりの流れと、それぞれの背景を見ていきます。景気がよいと丈が短くなるという有名な説が、研究でどう評価されたかも出てきます。

スカート丈は、1910年代半ばから約15年ほどで床丈から膝近くまで上がった[2]。ところがその後も丈は一方向に動き続けたわけではなく、長くなったり短くなったりを繰り返した。ミニスカートについても、英国のV&A博物館は、発明者を一人に決めることを「神話」と述べている[1]。

では、丈はなぜ、いつ動いたのか。日本ではミニはどのように広まったのか。景気がよいと丈が短くなるという「ヘムライン指数」は検証に耐えたのか。この記事は、複数の資料の説明を比べながら、この三つの問いに答える。

読み方を切り替えられます。画面の上にある「よみかた」のボタンで、小学校低学年むけ・小学校高学年むけ・中学生むけの3つの書き方に切り替わります。むずかしいと思ったら、いつでもやさしい方に戻ってください。選んだ読み方はブラウザが覚えているので、次に別の記事を開いたときも同じ読み方で始まります。

1. スカートの ながさは、百年で どう うごいたの?

1. 床すれすれから膝近くへ、そしてまた長くへ

1. 1910年代から30年代:丈は一方向には動かなかった

百年ほど まえの 西洋では、おとなの 女の人の ふだんぎの スカートは、ゆかや くるぶしの ちかくまで ある 長い ものが 多かった ようです。

それが、1910年代の なかばごろから、すこしずつ 上がります。15年ほどで、ゆかの ちかくから ひざの あたりまで 上がりました。1927年には、ひざの 上まで 見える 「フラッパーたけ」と よばれる スカートも 出ています[2]。

でも、そのまま 上がりつづけた わけでは ありません。1930年代には、また 長い ほうへ もどったと せつめいされて います[2]。スカートの ながさは、行ったり 来たり しながら 今に つながって いるのです。

では、どうして 長い スカートが また 人気に なる ことが あるのでしょう。

百年ほど前の西洋では、大人の女性のスカートは床丈やくるぶし丈の長いものが中心だったようです。それが1910年代半ばから上がり始め、約15年で床丈から膝近くまで来たと説明されています。1927年には、膝頭かそれより上の「フラッパー丈」も見られました[2]。

ただし、まっすぐ上がり続けたわけではありません。一つの資料では、1920年にはふくらはぎ、1923年には足首の丈になっていたとも書かれており、上がる途中でも下がる年がありました[2]。そして1930年代になると、スカートはまた長くなったと説明されます。具体的な丈の数字は、この資料には書かれていません。

丈は、行ったり来たりしながら動いてきたのです。では、長いスカートに戻るとき、その背景には何があったのでしょうか。1940年代の出来事を見てみましょう。

スカート丈の動きを大づかみにまとめると、1910年代半ばに上がり始め、約15年ほどで床丈から膝近くに達した。1927年には、膝頭かそれより上の「フラッパー丈」が見られた[2]。ところが、丈は単調には動いていない。同じ資料の記述では、1920年はふくらはぎ、1923年は足首と、上がる途中に下がる年がある。1930年代には、世界恐慌のあと、丈はふたたび長くなったと説明される[2]。

この資料には1930年代の具体的な丈の数字が無いため、「どのくらい長くなったか」は言い切れない。確かなのは、丈が百年のあいだに一方向ではなく、上下に振れてきたという点である。

では、振れる理由は何か。ここで1947年の出来事を見ると、丈が単なる「好み」ではなく、社会の事情と結びついていた場面が分かる。

2. ながい スカートが、なぜ 話題に なったの?

2. 長いスカートは、布をたっぷり使えるしるしだった

2. 1947年のニュー・ルック:丈と布の量が意味したもの

1947年2月12日、フランスの ディオールと いう 人が、はじめての ふくの コレクションを 見せました。「ニュー・ルック」と よばれます。こしは きゅっと 細く、スカートは ふくらはぎまでの 長さで、ふんわり ひろがって いました[3]。

この ころ ヨーロッパでは、ぬのが 自由に 買えない 「はいきゅう」が つづいて いました。そこで、ぬのを たくさん 使った スカートを 「使いすぎだ」と 言う 人も いたそうです[3]。

ニューヨークの メトロポリタン美術館びじゅつかんは、このスカートの 長さと ふくらみが 「ぬのの はいきゅうが おわる」ことを 知らせた、と せつめいして います[4]。長い スカートは、ぬのを たくさん 使って いい 時代が 来た しるしでも あったのです。

1947年2月12日、フランスのクリスチャン・ディオールが初めてのコレクションを発表しました。「ニュー・ルック」と呼ばれる服は、細く絞ったウエストに、ふくらはぎ丈のたっぷりしたスカートを合わせたものでした[3]。

当時のヨーロッパでは、布の配給がまだ続いていました。ですから、一着の服にたくさんの布を使うこのデザインを、「布の使いすぎだ」と批判する人もいたと伝えられます[3]。

一方、ニューヨークのメトロポリタン美術館は、このコレクションのスカートの丈とボリュームが「布の配給制の終わりを告げた」と説明しています[4]。つまり長いスカートは、流行であると同時に、布を思い切り使える時代が来たという合図としても受けとめられた、と読めます。丈の長さが、その時代の暮らしの事情を映していたのです。

では、その後、丈はどこまで短くなったのでしょうか。

1947年2月12日、クリスチャン・ディオールが初のコレクションを発表した。「ニュー・ルック」の特徴は、絞ったウエストと、ふくらはぎ丈で量感のあるスカートである[3]。配給制が続く欧州では、1着に大量の布を使うことへの批判もあった[3]。

だからこそ、メトロポリタン美術館の説明が興味深い。同館は、このコレクションのスカートの丈とボリュームが「布の配給制の終わりを告げた」と述べる[4]。配給が続いた時期には、布の使いすぎだという批判があった。一方、メトロポリタン美術館はその丈と量を、配給制の終わりを告げるものと説明している。つまり、丈と量は、デザインの好みであると同時に、素材が手に入るかどうかという社会の条件の表れでもあった。

ただし、これは二つの資料が指す方向が一致するという意味で、丈の変化の原因をすべて布で説明できるわけではない。では、膝の上へと短くなっていく流れは、どのように進んだのか。

3. ミニスカートは、だれが はつめいしたの?

3. ミニスカートの発明者は、一人に決められない

3. ミニスカートの起源:1963年から1968年の丈の変化と、発明者「神話」

ミニスカートは、イギリスの デザイナーの クワントが つくった、と 聞いた ことが あるかもしれません。でも、イギリスの V&A はくぶつかんは、はつめいした人を 一人に 決める ことを 「神話」と よんで います[1]。すこしずつ、いろいろな 人の とりくみで うまれて きたと いうのです。

1963年、クワントの 店の ふくは、レースの すそが ひざに ふれる くらいでした。1964年4月には、クレージュと いう デザイナーの 短い スカートが 世界の 話題に なります(年は しりょうに よって 1965年と する ものも あります)。1965年には、新聞に 「ミニスカート」と いう ことばが 出はじめました。

ほんとうに 短く なったのは、1966年です[1]。1960年代の おわりには もっと 短い ものが 出て、1968年には 長い 「ミディ」と 「マキシ」も 出ました。

ミニスカートといえば、英国のデザイナー、メアリー・クワントが作ったと思う人が多いかもしれません。しかしV&A博物館は、発明者を一人に決めることを「神話」と呼び、誰か一人の発明ではなく徐々に生まれたと説明しています[1]。クワントが1963年に始めたブランドも、レースのドレスの裾は、膝に触れる程度でした[1]。

年表にすると、流れが見えてきます。1964年4月には、フランスのアンドレ・クレージュが短いスカートのコレクションで国際的に注目を集めました(年は資料により1965年とするものもあります)。1965年には、新聞に「ミニスカート」という語が出始め、本当にスカートが短くなったのは1966年です[1]。1960年代の終わりにはさらに極端に上がり、1968年には、反対に長いミディやマキシも登場しました。

名前の「ミニ」は、英国車のミニ(1959年のMini-Minor)にちなむという説があります。一方V&Aは、「ミニチュア」の略として1930年代の三輪車にも使われていた言葉だと紹介しています[1]。ひとつの出来事や一人の人物にまとめにくいのが、ミニの歴史です。

では、ミニは日本にどう届いたのでしょうか。

ミニスカートの起源は、よく「クワントの発明」と語られる。しかしV&Aは、発明者を一人に決めること自体を「神話」とし、誰か一人の発明ではなく徐々に生まれたと説明する[1]。実際、クワントのブランドが1963年に始まったときのレースのドレスは、裾が膝に触れる程度だった。同じ館の整理では、1964年4月にクレージュが短いスカートのコレクションで国際的な注目を浴び(発表年は資料により1964年と1965年に分かれる)、1965年に「ミニスカート」の語が新聞に出始め、スカートが本当に短くなったのは1966年である[1]。

この流れでは、短い丈の発表と語の普及、そして実際の流行のあいだに数年の差がある。つまり、誰が最初に作ったかを一点で決めるより、複数のデザイナーの試みが重なり、街で着る人が増えたと見るほうが資料に合う。1960年代末には丈はさらに極端に上がり、1968年にはミディ、マキシも登場している[1]。

語源も一つに絞りにくい。英国車ミニ(1959年のMini-Minor)にちなむとする説明がある一方、V&Aは、miniature(ミニチュア)の略として1930年代の三輪車にも使われたと述べる[1]。では、日本ではどう広まったのか。

4. にほんでは、いつ ミニが ひろまったの?

4. 日本でミニが広まったのはいつか:ツイッギー来日の前後

4. 日本のミニスカート:帝人の発売、ツイッギー来日、ブームの終わり

日本では、むかしは 洋服を 着る 人が まだ 少なく、きものが ふつうでした。1930年代の 銀座ぎんざでも、洋服の 女の人は 100人に 一人ほどだったと いわれます[5]。

その 日本に、1965年8月11日、ていじんが 日本で はじめての ミニスカートを 売りだしました。名前は 「テイジンエル」です。そして 1967年10月18日、イギリスの モデル、ツイッギーが 日本に 来ました[6]。

つぎの 日の かいけんでは、ひざより 上の ミニスカートで 出て、記者たちを おどろかせたと いわれます[6]。ブームは 1973年から 74年ごろに おわったと されます。

ただし、ミニが 広まった わけは、ツイッギーが 来た ことだけでは ありません。ていじんが 売りだしたのは、その 2年 まえでした。

日本の女性の服装は、昭和の初めまでは和服が中心でした。洋服を着る人はまだ少なく、1930年代の東京・銀座でさえ、洋装の女性は100人に1人ほどだったといわれます(調査名の分からない伝聞です)[5]。街の景色は、いまとまったく違っていました。

その日本にミニが来たのは1960年代です。1965年8月11日に帝人が日本初のミニスカート「テイジンエル」を発売し、1967年10月18日に英国のモデル、ツイッギーが来日しました。翌19日の記者会見には、膝上のミニで現れ、報道陣がどよめいたと伝えられています[6][7]。

ここで大切なのは、来日だけが原因ではない点です。帝人の発売は来日の2年前でした。また、来日時の到着の服装は膝下のキュロットだったとする資料もあります。日本の第一次ミニブームは1973〜74年ごろに終わったとされ、初めの丈は膝丈よりやや短い程度とされ、丈の数字は資料によってばらつきがあります[6]。

丈と景気を結ぶ有名な説があります。それは本当なのでしょうか。

日本では洋服を着る人がなかなか増えなかった。1930年代の銀座でも女性の洋装は100人に1人ほどといわれる。これは伝聞で、調査名は分からず、全国の割合でもない[5]。この事情を踏まえると、1960年代のミニの広まりは、洋服そのものが生活に定着していく流れの上に乗ったものだと読める。

では、ミニの転機はいつか。1965年8月11日に帝人が国産初のミニスカート「テイジンエル」を発売し、1967年10月18日にツイッギーが来日した。翌19日の会見では膝上のミニで登場し、報道陣を驚かせた[6][7]。だが来日を唯一の原因とは言いにくい。発売はその2年前であり、到着時は膝下のキュロットだったとする資料もある。つまり来日は、すでに動き出していた流れに大きな注目を集めた出来事と見るのが妥当である。

第一次ブームは1973〜74年ごろに終息したとされる。初めの丈は膝丈よりやや短い程度とされるが、ロンドンとニューヨークで基準が異なるなど、丈の数字は資料によりばらつく[6]。数字は目安として扱うのが安全である。

こうして見ると、丈の変化には多くの要因が絡む。そこで、もっと単純な説明も語られてきた。景気がよいと丈が短くなる、という説である。

5. けいきが いいと、スカートは 短く なるの?

5. 「景気がよいと丈が短くなる」説は本当か

5. ヘムライン指数の検証:テイラー説の誤解と、エラスムス大学の結論

「けいきが いい ときは スカートが 短く なる」と いう、有名な かんがえが あります。「ヘムライン指数(しすう)」と よばれます。

この かんがえは、1926年に ジョージ・テイラーと いう けいざいの 学者が 言いだした、と よく 言われます。でも、テイラーが 1929年に 書いた ろんぶんには、スカートの たけが くつしたを つくる しごとが 大きく なる りゆうの 一つに なったと 書いて ある だけで、この かんがえは 出て きません[8]。

オランダの エラスムス大学の けんきゅうでは、1921年からの フランスの ざっしの 記事と、けいきの データを くらべました。けつろんは「いい はなしだが、本当の 役には たたない としでんせつ」でした[9]。けいきが 数年 よく なると、たけが すこし 短く なる ことは ありますが、その えいきょうは 小さく、3年ぐらい おくれて あらわれます。

「景気がよいと、スカートが短くなる」というヘムライン指数の考え方を、聞いたことがあるかもしれません。よく、1926年の経済学者ジョージ・テイラーの説とされます。しかし、テイラーの1929年の論文は、スカート丈を靴下産業の成長要因の一つとして述べただけで、この説は唱えていません[8]。有名な説の出どころが、じつは違っていたのです。

では、データでは確かめられたのでしょうか。オランダのエラスムス大学の研究は、1921年以降のフランスの雑誌『L'Officiel』の記事を、アメリカのNBERの景気のデータと比べました。結論は、「都市伝説。良い話だが現実の価値はない」でした。景気が数年よくなると丈がやや短くなる傾向は見られますが、影響は小さく、約3年の遅れがあるとされます[9]。

これは一つの研究の結論です。丈と景気がまったく無関係と決まったのではなく、「影響は小さい」と報告されている、という言い方が正確です。

景気がよいと丈が短くなるというヘムライン指数は、1926年のジョージ・テイラーの説とされることが多い。しかしこの帰属は誤りだと指摘される。テイラーの1929年の論文は、丈を靴下産業の成長要因の一つとして述べたにとどまり、丈と景気を結ぶ説は唱えていない[8]。

では、データで検証するとどうなるか。エラスムス大学の研究は、1921年以降のフランスの雑誌『L'Officiel』の記事から丈を読みとり、NBERの景気データと比べた。その結論は「都市伝説:良い話だが現実の価値はない」である。もう少し細かく言えば、景気が数年よくなると丈がやや短くなる傾向はあるが影響は小さく、約3年の遅れがある[9]。

注意したいのは、「景気と丈は無関係」と言い切れないことである。一つの研究、一つの雑誌、一つの国のデータにもとづく結論であり、別の方法ならまた別の結果が出る可能性がある。それでも、この研究は、有名な説をデータと突き合わせた一つの例になっている。

ここまでで、丈には布の事情、デザイナーの試み、日本の暮らしの変化など、複数の要因が重なっていることが見えてきた。では、この流れを自分の目で確かめるには、どうすればよいか。

6. 古い しゃしんで、すその 高さを くらべよう

6. 古い写真やアルバムで、裾の位置を見比べる

6. 資料にあたる:写真と雑誌から丈の変化を読む

おうちに、むかしの アルバムや ざっしが あれば、見せて もらいましょう。写っている 女の人の スカートの すそが、ひざの どこに あるかを 見ます。ひざより 下か、ひざの あたりか、ひざより 上か。三つに 分けて、写真が とられた 年と いっしょに ノートに 書きます。

いくつか ならべると、年に よって ちがいが 見えるかもしれません。ただし 写真 一つでは、その 年の 流行とは 決められません。年や ばしょ、着る 人に よっても ちがいます。だれかの 服を わらったり、せいかくを きめつけたり しないで、見くらべて みて ください。

おうちの 人に 「そのころ、どんな 長さが 人気だった?」と 聞くのも おすすめです。しゃしんの うらに 日づけが あれば、年の てがかりに なります。

家に古い写真や雑誌があれば、見せてもらいましょう。写っている人のスカートの裾が、膝より下か、膝のあたりか、膝より上かを数えて、写真の年と並べて書きます。何枚か並べると、年による違いが見えるかもしれません。

ただし、写真一枚から、その年の流行は決められません。場所、年齢、着る場面によっても違います。誰かの服装を笑ったり、優劣をつけたりしないで、「この年にはこう着る人が多かったのかな」と考えるところまでにしてください。

身近な大人に、そのころ人気だった丈や、なぜその丈にしたのかを聞くのも手です。家にある雑誌や写真の裏の日付も、年を調べる手がかりになります。

家に残る古い写真や雑誌から、裾の位置(膝より下/膝/膝より上)を数え、撮影年と並べる方法がある。数十枚が集まれば、この記事で見た「行ったり来たり」を自分のデータで確かめる入口になる。ただし、1枚の写真で流行は決まらず、場所・年齢・場面で偏る。標本の偏りを意識することが、資料の読み方の基本である。

本文の各主張は、出典欄に挙げた資料から確かめられる。とくにV&Aの記事は、発明者「神話」と年表を一つの資料でまとめており、日本語の資料と突き合わせると、年や丈の数字がずれる箇所(クレージュの発表年など)が見つかる。資料どうしの食いちがいを探すことが、次の問いの入口になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料と、その用途です。

  1. Victoria and Albert Museum「The miniskirt myth」 https://www.vam.ac.uk/articles/the-miniskirt-myth (ミニの起源と年表)
  2. Wikipedia「Hemline」 https://en.wikipedia.org/wiki/Hemline (1910〜30年代の丈の動き)
  3. HISTORY.com「Christian Dior launches New Look」 https://www.history.com/this-day-in-history/christian-dior-launches-new-look-fashion-designs (ニュー・ルック)
  4. Metropolitan Museum of Art「Evening coat (Dior)」 https://www.metmuseum.org/art/collection/search/158978 (布の配給制との関係)
  5. artscape 展覧会レビュー https://artscape.jp/report/review/10162967_1735.html (昭和初期の洋装の割合)
  6. ウィキペディア「ミニスカート」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%88 (日本のミニブーム)
  7. ミニスカートの日(記念日) https://bestcalendar.jp/dates/kinenbi/4317 (ツイッギー来日の日付と会見)
  8. Wikipedia「Hemline index」 https://en.wikipedia.org/wiki/Hemline_index (ヘムライン指数の出どころ)
  9. Erasmus University Rotterdam「The Hemline index: true or false?」 https://www.eur.nl/en/news/hemline-index-true-or-false (景気と丈の関係の検証)

なおした ところ

更新履歴

更新履歴(改版の記録)

  •  初版を公開。

このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。