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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

エジソンの でんきは、どうして とおくへ とどきにくかったの?

エジソンの発電所は、なぜ遠くへ電気を送りにくかったのか ── 直流と交流の分かれ道

直流と交流 ── パール・ストリート発電所の約0.65km²と、変圧器が越えた送電距離の壁

分野:技術

1882ねん、アメリカの ニューヨークで、エジソンの はつでんしょが でんきを おくりはじめました。でも とどいたのは、ほんの すこしの はんいだけでした。

どうして とおくまで おくれなかったのでしょう。この ものがたりを よむと、いえの ACアダプターが、ちがって 見えて きます。

1882年にニューヨークで動き出したエジソンの発電所が、電気を送れたのは、約0.65平方キロメートルの区域だけでした。1辺800mほどの正方形にあたる広さです。

電気を使う人は大勢いたのに、なぜ届く範囲が小さかったのでしょうか。電気の流し方のちがいが、その後どんな勝負になったのかが分かります。1886年、ウィリアム・スタンリーは変圧器を使う交流で、約20の事業所に電気を届けました。

エジソンのパール・ストリート発電所(1882年)の供給区域は、約1/4平方マイル(約0.65km²)にとどまった[1]。1辺に直すと800m前後の正方形である。

この小ささは、110Vの直流という方式そのものから生じた。送電損失の問題と、変圧器を使う交流がそれをどう越えたのか、そして直流が今も生きている場所が分かる。

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1. はじめての でんきの まちは、どれくらいの ひろさ?

1. 初日の客は約85、届いた範囲は1辺800mほど

1. パール・ストリート発電所 ── 110Vの直流と、約0.65km²の供給区域

1882ねん9月4日。ニューヨークの パール・ストリートの はつでんしょが、でんきを おくりはじめました[1]。

さいしょの日の おきゃくさんは、やく 85。つかわれた でんきゅうは、ぜんぶで やく 400こでした[1]。

でんきが とどいた ところは、やく 0.65へいほうキロメートル。1へんが 800メートルくらいの ひろさです。まちの ほんの ひとかたまりでした。

この はつでんしょは、「ちょくりゅう」と いう ながれ方の でんきを おくっていました。どうして ひろく とどかなかったのか、つぎに 見て みましょう。

1882年9月4日、エジソンの会社がニューヨークのパール・ストリートに作った発電所が、電気の供給を始めました。初日の顧客は約85件で、電球は合わせて約400個でした[1]。

この発電所が受け持った範囲は、約1/4平方マイル、つまり約0.65平方キロメートルです[1]。1辺が800mほどの正方形ですから、歩いて10分ほどで端から端までたどりつく広さです。

送っていたのは110ボルトの直流でした[1]。直流は、電気がいつも同じ向きに流れる方式です。なぜこの広さにとどまったのか、そこが次の問いです。

パール・ストリート発電所は1882年9月4日に電気の供給を始めた。IEEEの顕彰資料によれば、初日の顧客は約85、電球は約400個で、供給区域は約1/4平方マイル(約0.65km²)だった[1]。なお資料によっては1平方マイルと書くものもあるが、ここでは公式のマイルストーン資料にある1/4平方マイルを採る。

方式は110Vの直流で、ダイナモ6台は各約100kWあり、約1,200個の電球をまかなえた[1]。一辺に直せば約800mの正方形である。大都市の一角をまかなうだけで、街全体には届かない。この小ささの理由が、直流と交流の分かれ道になる。

2. どうして とおくへ おくれないの?

2. 低い電圧の直流は、遠くへ送ると損が大きい

2. 低電圧の直流の送電損失と、変圧器がもたらす交流の利点

ひくい でんあつの ちょくりゅうは、ながい でんせんを とおると、とちゅうで ロスが おおきく なります。そのため、おくれる きょりが みじかく なりました[1]。

ながい ホースで 水を おくると、とちゅうで いきおいが おちるのに にて います。ただし ほんとうは、でんきと 水は べつの ものです。

では、どうすれば いいのでしょう。でんきの「いきおい」(でんあつ)を、じゆうに かえる ことが できれば、とおくへ おくれます。

ちょくりゅうは、でんあつを かんたんには かえられません。いっぽう こうりゅうは、「へんあつき」と いう そうちで、わりあい かんたんに かえられます[2]。

たかい でんあつで おくり、つかう ところで ひくく する。この やり方なら、とおくの おおきな はつでんしょからでも でんきを とどけられます[2]。

パール・ストリート発電所の電圧は低く、電線を流れるあいだに失われる電力が大きくなりました。そのため、電気を経済的に送れる距離が限られ、直流の発電所は、人が密集した小さな区域だけを受け持つことになりました[1]。

長いホースで水を送ると、途中で勢いが落ちるのに似ています。ただし、電気と水は別のものなので、たとえはここまでにしておきます。

解決の鍵は、電圧を変えられるかどうかでした。直流は電圧を簡単に上げ下げできません。交流は、変圧器という装置で、比較的簡単に電圧を変えられます[2]。

高い電圧にして送り、使う場所で低い電圧に戻せば、遠くの大きな発電所から電気を運べます[2]。直流が「だめ」だったのではなく、当時は電圧を変える手段がなかったために、送れる距離が短かったのです。

IEEEの資料は、低電圧の直流方式の本質的な不利として、送電線の損失が大きく、経済的に送れる距離が限られる点を挙げる[1]。このため、直流の各システムは、需要の密集した小さな区域だけを受け持つことになった。ただし「直流は遠くへ送れない」という意味ではなく、当時の条件では経済的に成り立ちにくかった、ということである。

では何が決め手になったのか。米国エネルギー省の解説によれば、直流は電圧を簡単には上げ下げできないのに対し、交流は変圧器によって比較的簡単に別の電圧へ変換できる[2]。高電圧で送って使う場所で下げれば、遠くの大きな発電所から電力を届けられる[2]。

つまり論点は、直流か交流かという名前の争いより、「送電に適した電圧へ変えられるか」という実用上の条件にあった。

3. まちで ためした こうりゅう

3. 小さな町の大通りで、変圧器つきの交流が動いた

3. グレート・バリントン(1886年)── 500Vを3,000Vへ上げ、100Vへ下げた実験

1886ねん3月20日。アメリカの グレート・バリントンと いう まちの おおどおりで、こうりゅうの でんとうが ともりました[3]。

やった人は、ウィリアム・スタンリー。はつでんきの 500ボルトを、3000ボルトに あげて おくりました。そして たてものの ちかしつの へんあつきで、100ボルトまで さげました[3]。

でんせんは、やく 20の みせや じむしょに とどきました[3]。

このじっけんには、ウェスティングハウスと いう人が おかねを だしました。500ボルトの まま やく 1.2キロメートル おくった ときの ロスは、2パーセント ほどだった そうです[4]。

つぎの ぎもんは、この ほうほうを ほかの人は どう 思ったか、です。

電圧を変える変圧器を使った交流は、本当に町で使えるのでしょうか。それを試したのが、ウィリアム・スタンリーでした。

1886年3月20日、マサチューセッツ州グレート・バリントンのメインストリートで、変圧器を使う交流の電灯が動きました[3]。発電機の500Vを送電用に3,000Vへ上げ、建物の地下室の変圧器で100Vまで下げる仕組みです。電線は、約20の事業所に届きました[3]。

実験の資金を出したのは、ジョージ・ウェスティングハウスでした。500Vで約4,000フィート(約1.2km)送ったときの損失は、2%ほどだったといいます[4]。スタンリー自身は、この仕組みの規模と新しさにウェスティングハウスが驚き、本格的に交流の分野へ入る決意をしたと述べています[4]。

なお、この実験にテスラは関わっていません。この点はよく混同されるので、注意が必要です[3]。

変圧器つきの交流は、実用の形で町に出せたのか。この問いに答えたのが、1886年3月20日、マサチューセッツ州グレート・バリントンでウィリアム・スタンリーが行った実験である[3]。発電機の500Vを3,000Vへ上げて送り、建物の地下室の変圧器で100Vに下げ、メインストリートの約20の事業所へ電気を届けた[3]。なお日付は3月6日とする資料もあるが、ここではIEEEのマイルストーン資料に従う。

実験にはウェスティングハウスが資金を出した。エジソン・テック・センターの資料によれば、500Vで約4,000フィート(約1.2km)送電したときの損失は約2%であり、スタンリーは、この規模と新しさに驚いたウェスティングハウスが本格的に交流へ参入する決意をした、と述べている[4]。ただし後者はスタンリー本人の証言であり、因果の一面を伝えるものと読むのが適切だ。

注意すべき点として、この実験はテスラとは無関係である。交流の実用化はスタンリーとウェスティングハウス側の動きと、テスラの発明とが、別々に並んで進んでいた。

4. エジソンは、どうして ちょくりゅうを えらんだの?

4. エジソンが直流を選び続けた理由と、テスラのモーター

4. エジソンの直流擁護と、テスラの多相交流モーター(1888年)

エジソンには、ちょくりゅうを えらぶ わけが ありました。ひくい でんあつの ちょくりゅうは、ガスとうに たいこうできる あんぜんな ほうほうだと 考えて いました[6]。

たかい でんあつの こうりゅうは あぶなくて、あんぜんに するには なん年も かかると 考えたのです[6]。ちょくりゅうで とくきょの おかねが 入って くる こと も、りゆうの 1つだと いわれます[7]。

いっぽう、セルビアうまれの ニコラ・テスラは、1884ねんに アメリカへ わたり、エジソンの かいしゃで はたらいたと つたえられます[5]。

1888ねん5月16日、テスラは「かいてんじかい」を つかった こうりゅうの モーターを はっぴょうしました。その とっきょの けんりを、ウェスティングハウスが 1888ねんに 手に 入れました[5]。

こうりゅうは、でんきを おくる だけでなく、まわる モーターも うごかせる ようになったのです。

エジソンは、低電圧の直流をガス灯に対抗できる安全な方式と考え、高電圧の交流は危険で、安全にするには何年もかかると見ていました[6]。安全についての考えが、直流を支持する大きな理由でした。

このほか、直流の特許から得ていた特許料収入も、こだわった一因に挙げられます[7]。ただし、これは理由の一つとされる程度で、人柄までを決める話ではありません。

そのころ、セルビア出身のニコラ・テスラが、1884年に米国へ渡りました。エジソンの会社でダイナモの改良に携わった時期があったと伝えられますが、1年足らずで去ったとされます[5]。雇われていたかどうか、細かい事情は資料で食いちがうため、ここでは深入りしません。

1888年5月16日、テスラはアメリカ電気学会(AIEE)で、回転磁界を使う多相交流モーターについて講演しました。同じ年に特許も得ています。その特許の権利を、ウェスティングハウスは1888年に手に入れました[5]。

モーターを回せる交流の方式がそろい、交流は、明かりだけでなく動力にも使える方式になりました。

エジソンはなぜ直流にこだわったのか。ウィキペディアの記述によれば、彼は低電圧の直流を、ガス灯に対抗できる安全な方式と考え、高電圧の交流は危険で、安全にするには何年もかかると考えた[6]。安全への考え方が理由の中心だった。加えて、直流の特許で特許料を得ていたことも一因に挙げられる[7]。ただし動機を一つに決めつけることは避けたい。

では、交流側には何があったのか。ニコラ・テスラは1884年に渡米し、エジソン・マシン・ワークスでダイナモの改良に携わったが、1年足らずで去ったとされる[5]。雇用の有無や条件は資料により異なる。

1888年5月16日、テスラは米国電気学会で、回転磁界を利用する多相交流モーター(誘導モーター)を講演し、同年に特許を得た。ウェスティングハウスは1888年にこの特許権を取得している[5]。これで交流は照明だけでなく動力源にも使えるようになった。ただし、実用化はテスラ個人だけでなく、ウェスティングハウス社の技術者集団の仕事でもあり、貢献の切り分けには注意が要る。

5. シカゴの ばんぱくで、どちらが かったの?

5. 1893年のシカゴ万国博覧会で、値段と実績が示された

5. シカゴ万国博覧会(1893年)── 電灯契約の入札とGE

1893ねんの シカゴの ばんこくはくらんかい。ここでは、会場を でんとうで てらす しごとの おかねを、いくつかの 会社が くらべました。

ウェスティングハウスが だした 金がくは、39まん 9せんドル。ちょくりゅうで おうぼした GEは、55まん 4せんドルでした[8]。ウェスティングハウスの ほうが、おおよそ 3わり やすかったのです。

この 会場は、やく 16まん この でんきゅうで ひかりました[8]。夜の シカゴの そらが、あかるく なりました。

この にゅうさつは、エジソン 本人では なく、GEの 会社の ものです[8]。

1893年のシカゴ万国博覧会は、新しい電気の見本市のようになりました。会場の電灯の契約で、ウェスティングハウスは39万9千ドルを示し、GE(この入札で直流を提案した側)の55万4千ドルを下回って契約を取りました[2][8]。差額は約15万5千ドルで、GEの額と比べるとおよそ3割安い計算です。

会場は約16万個の電球で照らされたといわれます[8]。

この入札の相手は、エジソン個人というより、GE社です。エジソン系の会社は、1892年4月15日にトムソン=ヒューストン社と合併してGEになっていました[7]。そのため「エジソンの負け」と一言でまとめるのは正確ではありません。

ただし、金額と電球の数は、二次資料が中心の情報です。細部は、原資料でも確かめたいところです。

決定打は博覧会だったのか。1893年シカゴ万国博覧会の電灯契約では、ウェスティングハウスが39万9千ドルで入札し、直流を提案したGEの55万4千ドルを下回って落札したとされる[2][8]。GE側の額を基準にすると、約28%安い。会場は約16万個の電球で照らされた[8]。

ただし、これを「エジソンの敗北」と単純化するのは避けたい。入札したのはエジソン個人ではなくGEである。GEは、エジソン・ゼネラル・エレクトリックがトムソン=ヒューストン社と1892年4月15日に合併してできた会社だ[7]。

また、これらの金額や電球数は、PBSの要約と二次資料に依拠する数字であり、一次の契約書での確認が望ましい。

6. ナイアガラの でんきは、どこまで とどいたの?

6. ナイアガラの水力発電所から、約42km先のバッファローへ

6. ナイアガラ・アダムズ発電所と、バッファロー送電(1896年)

ナイアガラの たきの ちからを つかった はつでんしょが、1895ねん8月26日に はたらきはじめました[9]。

1896ねん11月16日の よあけまえ、この でんきは やく 42キロメートル はなれた バッファローの まちに とどきました[2]。パール・ストリートの 800メートルと くらべると、ずっと とおくです。

そうでんの せつびを うけた のは、GEでした[2]。GEも、あとで こうりゅうを とりいれました[7]。

1900ねん5月には、5000ばりきの はつでんきが 10だい そろいました[9]。

ナイアガラの滝の近くに作られたアダムズ発電所は、1895年8月26日に運転を始めました。10基の5,000馬力の発電機がそろったのは1900年5月です[9]。大規模な多相交流の発電所として、長距離の送電には高電圧の交流が向くことを示しました[9]。

1896年11月16日の未明、ナイアガラの電気は、約26マイル(約42km)離れたバッファローに届きました[2]。発電時の二相の電気を、11,000ボルトの三相に変えて送ったといわれます[2]。パール・ストリートの800mと比べて、約50倍の距離です。

送電設備を受注したのはGEで、ウェスティングハウス単独の勝利ではありません[2]。GEも、のちに交流を採り入れました[7]。こうして、直流と交流の「勝負」は、距離と電圧の現実で決まっていきました。

交流の長距離送電は、実際に使われたのか。ナイアガラのアダムズ発電所は1895年8月26日に運転を始め、10基の5,000馬力の発電機が1900年5月にそろった。IEEEは、これを初の大規模な多相交流発電所と位置づけ、長距離送電に高電圧交流が有利なことを示したとする[9]。

1896年11月16日の未明には、約26マイル(約42km)離れたバッファローに電気が届いた。発電時の二相を11,000Vの三相に変換して送った[2]。この距離はパール・ストリートの供給区域の1辺の約50倍にあたる。ただし、アダムズ発電所の電圧・周波数の細部やバッファローまでの距離は、ここでは二次資料による。

送電設備の受注はGEだった[2]。GEは、のちに交流を採り入れた[7]。つまり、ウェスティングハウス単独の勝利という構図ではなく、交流が産業界全体に広がった結果と読むのが適切である。

7. エジソンは「まちがえた」と 言ったの? ちょくりゅうは どうなったの?

7. 「私が間違っていた」と伝えられる一言と、今も働く直流

7. 1908年の伝聞と、HVDC・電子機器での直流の復活

1908ねん、エジソンは スタンリー・ジュニアの むすこに、「おとうさんに、わたしが まちがって いたと つたえて くれ」と 言ったと、つたえられます[6]。ただし、これは つたえ きいた はなしで、たしかな きろくでは ありません。

では、ちょくりゅうは なくなったのでしょうか。いいえ、いまも はたらいています。

コンピュータや LED、たいようでんち、でんきじどうしゃでも、ちょくりゅうが つかわれて います[2]。

とても とおくへ たくさん おくる ときは、「こうでんあつ ちょくりゅう」(HVDC)が つかわれる ことが あります。

1908年、エジソンはスタンリー・ジュニアの息子に、「父に、私が間違っていたと伝えてくれ」と言ったと伝えられています[6]。ただし、これは伝聞で、確かな記録とは言えません。

直流は消えたのでしょうか。いいえ、コンピュータ、LED、太陽電池、電気自動車など、直流は今も使われています[2]。

さらに、長距離・大容量の送電には、高電圧直流(HVDC)が使われることがあり、条件によっては交流より損失が小さくなります。「直流が交流に勝った」という話ではなく、条件によって向く方式が違う、ということです。

エジソンは敗北を認めたのか。ウィキペディアの記述によれば、1908年にスタンリー・ジュニアの息子に「父に、私が間違っていたと伝えてくれ」と語ったとされる[6]。ただし、これは伝聞であり、確かな記録としては扱えない。

直流のその後はどうか。米国エネルギー省は、直流がコンピュータ・LED・太陽電池・電気自動車で「再興」したと述べる[2]。さらに、高電圧直流(HVDC)は、長距離・大容量送電に使われ、条件によっては交流より損失が小さくなる。

よって「直流が交流に勝った(負けた)」とは言えない。変圧器によって交流が距離の壁を越えた歴史と、半導体技術などによって直流が別の形で使われる現在は、同じ「電圧を、目的に合わせて扱えるか」という問いの両側にある。

8. いえの ACアダプターを 見て みよう

8. 家のACアダプターを探してみよう

8. 出口 ── ACアダプターの表示と、資料の読みどころ

いえの なかで、スマホの じゅうでんきや パソコンの ACアダプターを さがして みましょう。コンセントから ぬいて、ひょうじの もじだけを 見ます。

「入力」には、AC(こうりゅう)と かいて あります。「出力」には、DC(ちょくりゅう)と かいて あることが おおいです。

いえに くる でんきは こうりゅうですが、スマホの なかでは ちょくりゅうが はたらいて いる ようです。ぶんかいは ぜったいに しないでください。

家にあるスマホの充電器やパソコンのACアダプターを探してみましょう。コンセントから抜いた状態で、本体に書かれた文字だけを読みます。分解は絶対にしないでください。

「入力」の欄には交流を表す「AC」、「出力」の欄には直流を表す「DC」と書かれているものが多いはずです。家に届くのは交流なのに、機器の中では直流が働いている、という道すじが見えてきます。

もっと読みたくなったら、パール・ストリート発電所の顕彰資料[1]や、米国エネルギー省の解説[2]を開いてみてください。英語ですが、図や年号が載っています。

家のACアダプターの定格表示を読むと、入力がAC、出力がDCになっているものが多い。コンセントから抜いて、表示だけを読み、分解はしない。

資料を読むなら、パール・ストリート発電所は[1]、グレート・バリントンは[3]、ナイアガラ発電所は[9]のIEEEマイルストーン資料が一次に近い。戦いの経緯は米国エネルギー省の解説[2]が読みやすい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:IEEEのマイルストーン資料、米国エネルギー省の解説、博物館・歴史資料サイト、報道・解説記事を突き合わせた。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. ETHW Milestones: Pearl Street Station, 1882. https://ethw.org/Milestones:Pearl_Street_Station,_1882 (発電所の規模・電圧・直流の送電距離の限界について)
  2. U.S. Department of Energy "War of the Currents: AC vs. DC Power". https://www.energy.gov/articles/war-currents-ac-vs-dc-power (変圧器の利点、シカゴ万博、バッファロー送電、直流の現在について)
  3. ETHW Milestones: Alternating Current Electrification, 1886. https://ethw.org/Milestones:Alternating_Current_Electrification,_1886 (グレート・バリントンの交流実験について)
  4. Edison Tech Center "Great Barrington 1886". https://edisontechcenter.org/great-barrington/ (実験の資金と送電損失、ウェスティングハウスの参入について)
  5. U.S. Energy Information Administration "Nikola Tesla". https://www.eia.gov/kids/history-of-energy/famous-people/tesla.php (テスラの渡米とモーター、特許権について)
  6. Wikipedia "War of the currents". https://en.wikipedia.org/wiki/War_of_the_currents (エジソンの安全への考えと、1908年の伝聞について)
  7. JSTOR Daily "Thomas Edison and the War of the Currents". https://daily.jstor.org/thomas-edison-war-currents/ (特許料収入、GEの合併と交流の採用について)
  8. PBS American Experience "Tesla at the Columbian Exposition". https://www.pbs.org/wgbh/americanexperience/features/tesla-columbian-exposition (シカゴ万博の入札額と電球の数について)
  9. ETHW Milestones: Adams Hydroelectric Generating Plant, 1895. https://ethw.org/Milestones:Adams_Hydroelectric_Generating_Plant,_1895 (ナイアガラの発電所について)

なおした ところ

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