1. うみより ひくいって、いつの うみの こと?
1. 「海より低い」とは、どの海面と比べているのか
1. ゼロメートル地帯の定義 基準は平均海面ではなく満潮位
ゼロメートルちたいは、じめんの たかさが、まんちょうの ときの うみの たかさ いかの ところです[1]。しおが いちばん ひく ときでは なく、いちばん みちた ときと くらべるのです。
とうきょうわん、いせわん、おおさかわんの まわりには、あわせて 404まんにんが くらして います[1]。
こんなに ひくい とちは、もとから あったのでしょうか。
ゼロメートル地帯は、地面の高さが「朔望平均満潮位」以下の土地です。朔望とは新月と満月のことで、その前後に起こる各月の最高の潮位を平均した高さが、基準になっています[1]。海の水がいちばん高くなる頃を目安にした、ということです。
国土交通省の資料では、東京湾・伊勢湾・大阪湾の三大湾でこうした土地の面積は約577km²、住んでいる人は約404万人とされています[1]。「海抜0m以下」と言われることもありますが、基準が平均海面なのか満潮位なのかで話が変わるので、この記事では満潮位より低い土地の話として進めます。
では、こんなに低い土地は、はじめから低かったのでしょうか。
ゼロメートル地帯は、地盤高が朔望平均満潮位(新月・満月の前後に現れる各月の最高潮位の平均)以下の地域と定義される。国土交通白書では、三大湾で面積約577km²、居住人口約404万人とされる[1]。
「海抜0m以下」と言い換えられることが多いが、基準面が平均海面か満潮位かで意味が変わるため、ここでは満潮位基準で統一する。では、この低さは、もともとの地形で説明がつくのか。それとも別の要因が要るのか。
2. もともと ひくい ところに できた まち
2. 川と海がつくった、もともと低い土地
2. 沖積低地という出発点 川の堆積と縄文海進
とうきょうの ひがしがわは、すみだがわや あらかわ、えどがわなどの おおきな かわが うみに そそぐ ところです[2]。かわが はこんで きた つちや すなが たまって、やわらかい じめんが できました。
むかし、うみは いまより たかく、ふかく はいりこんで いたと いわれます[6]。いまから 6000ねんぐらい まえの ことです。
つまり、もともと ひくくて たいらな とちでした。ただ、それだけでは、まんちょうより ひくい ほどでは なかったのです。
3. まちの じめんが、しずんで いった
3. 江東で地面が約4.5m下がった
3. 江東地区の累積沈下量と、昭和6年ごろの道路冠水・床下浸水
とうきょうの こうとう ちくでは、じめんが すこしずつ しずんで いきました。しずみかたが いちばん おおきかった ばしょでは、あわせて 4.5メートルほどです[3]。おとなの せの たかさの 2ばい いじょうです。
しずみはじめたのは、めいじの おわりごろだと いわれます[4]。しょうわ 6ねんごろには、まんちょうの ときに みちが みずに つかる ことが めだって、こまった もんだいに なりました。
ただし、4.5メートルは いちばん しずんだ ばしょの かずです。ぜんぶの まちが それだけ しずんだ わけでは ありません。
どうして、じめんが しずむのでしょう。
東京の江東地区には、これまでの沈んだ量が最大の観測地点で約4.5mに達した場所があります。満潮時の海面より低い土地は、120km²を超える広さになりました[3]。ただし、4.5mはいちばん沈んだ観測点の値で、地域全体が4.5m沈んだのではありません。
沈みはじめたのは、明治の終わりごろ、江東地区からとされています。昭和6年(1931年)ごろには、満潮のたびに道路が水につかったり、床下まで水が入ったりすることが目立ち、社会問題になりました[4]。大正から昭和40年代にかけて沈下が進み、地面が潮位より低い地域が広がったと説明されています[2]。
地面が沈む、というのは、地面の下で何かが起きているということです。何が起きていたのでしょうか。
環境省の資料によれば、江東地区の累積沈下量は最大の観測地点で約4.5mに達し、満潮面以下の面積は120km²を超える[3]。4.5mは最大観測点の累積値であり、地域全体の沈下量ではない。
東京都の年報は、平野部の沈下が明治末期ごろ江東地区で始まったとする。昭和6(1931)年ごろには満潮時の道路冠水や床下浸水が目立つようになり、社会問題化した[4]。別の資料も、大正から昭和40年代にかけて進んだ地盤沈下により、地盤が潮位より低い地域が広く分布するようになったと述べる[2]。
では、固い地面がなぜ数メートルも沈むのか。原因を巡って、ある年に「実験」のような出来事が起きた。まずは仕組みから整理する。
4. じめんの したで、なにが おきて いたの?
4. 地下水をくむと、なぜ地面が縮むのか
4. 地盤沈下の機構 帯水層の水圧低下と粘土層の収縮
おもな げんいんは、ちかの みずを くみすぎた ことです[5]。ちかの みずは、すなや どろの すきまに たまって います。
みずを くみすぎると、すきまの みずが へって、ねんどの そうが ちぢみます。みずを たっぷり ふくんだ スポンジを ぎゅっと おすと、ちいさく なるのと にて います。
ただし ほんとうの じめんは、スポンジの ように かんたんには もとに もどりません。
では、ちかの みずが げんいんだと、どうやって わかったのでしょう。
地面の下には、水をたくわえた砂やれきの層(帯水層)と、粘土の層が重なっています。地下水を、自然に補われる量より多くくみ上げると、帯水層の水の圧力が下がります。すると粘土の層にふくまれていた水が出て、粘土の層が縮み、地表が沈みます[5]。
水をふくんだスポンジを手でおさえると、水が出て小さくなります。粘土の層に起きたことも、これに近いと考えるとイメージしやすいでしょう。ただし、粘土の層は一度つぶれると、水が戻っても元の厚さにはなかなか戻りません。
では、地下水のくみ上げが原因だと、どうして分かったのでしょうか。
5. こうじょうが とまると、じめんが もちあがった
5. 工場が止まった数年間、地面が持ち上がった
5. 揚水の減少と地盤の隆起 地下水原因説の裏づけ
しょうわ 20ねんの まえごろ、とうきょうでは、こうじょうの うごきが へった じき が ありました。そのあいだ、ちかの みずを くむ りょうも へりました。
すると、じめんの しずむ りょうが ぐっと へり、いくつかの ばしょでは、じめんが すこし もちあがりました[4]。みずを くむのを やめたら、じめんが もどりはじめたのです。
これで、ちかの みずを くみすぎる ことが げんいんだと、かんがえられるように なりました。
ところが、そのあと こうじょうが また うごきだすと、しずむのも ふたたび つよく なりました。
6. くみすぎを へらしたら、しずみかたは おさまった?
6. 規制で沈下は弱まったが、地面は元に戻らない
6. 揚水規制で沈下は沈静化したが、地盤は戻らない 濃尾平野との比較
とうきょうでは、しょうわ 36ねんから、ちかの みずを くむ ことを きびしく きめました[4]。みずに とけた てんねんガスを とる ことも、きんしに なりました。
すると、1970ねんだいの なかばごろから、しずむのが おさまって いきました。へいせい 7ねんからは、1ねんに 2センチ いじょう しずんだ ばしょは、かんそくされて いません[3]。
なごやの ほうの のうび へいやでも、おなじ ことが ありました。こうじょうの みずの くみあげが ふえて しずみ、のちに きまりが できて おさまって いきました[7]。
ただし、いちど しずんだ とちは、ほとんど もとには もどりません[5]。だから まちは、ていぼうなどで まもられて います。
東京では、昭和36年(1961年)以降の地下水くみ上げの規制や、水に溶けた天然ガスの採取禁止などで、1970年代半ばごろから沈下が収まっていきました。平成7年(1995年)以降は、年間の最大沈下量が2cm未満に減っています[4]。環境省の資料も、平成7年以降は年に2cm以上沈む地域は観測されていないとしています[3]。
同じことは濃尾平野にもあてはまります。ここにも広いゼロメートル地帯があります。昭和30〜40年代に工業用の地下水のくみ上げが急に増えて沈みましたが、昭和60年(1985年)の対策要綱で規制や代わりの水源づくりが進み、沈下は収まる傾向にあります[7]。三重県側の規制地域では、昭和36年からの沈下量は最大で1.64m。令和6年には、1cm以上沈んだ水準点はありませんでした[8]。
ただし、一度沈んだ地面は、地下水が戻ってもほとんど元には戻りません[5]。沈むのが止まっても、低くなった土地はそのままです。そのため、低い土地は堤防などの設備で守られ続けています。
東京では、昭和36(1961)年以降の地下水揚水規制や水溶性天然ガス採取の禁止などにより、昭和50(1975)年ごろから沈下が沈静化し、平成7(1995)年以降は年間最大沈下量が2cm未満に減った[4]。環境省の資料では、区部の沈下量は昭和48年ごろから減少し、平成7年以降は年2cm以上沈む地域は観測されていない[3]。開始年に資料間で2〜3年の幅があるため、ここでは1970年代半ばと幅で捉える。
濃尾平野も同じ経過をたどる。広いゼロメートル地帯があり、昭和30〜40年代に繊維・鉄鋼など工業用地下水の採取が急増して沈下が進行し、昭和60(1985)年の対策要綱で規制と代替水源の確保が進められ、沈静化傾向にある[7]。三重県側の規制地域では、昭和36年から令和6年までの累積沈下量が最大で1.64m(桑名市長島町白鶏)、令和6年に1cm以上沈んだ水準点はなかった。粘土層は場所により110mを超える厚さをもつ[8]。なお、この1.64mは三重県側の値で、濃尾平野全体の値ではない。
沈下が止まることと、土地が元の高さに戻ることは別の話である。沈んだ地盤は地下水位が回復してもほとんど戻らないとされ[5]、低くなった土地は堤防などで守る形で残る。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
今日できること
おうちの ちかくの ひょうこうを ちずで しらべ、かわや うみが どこに あるかも 見て みましょう。ひくい ところに ある まちは、かわや うみに ちかい ことが おおいかも しれません。
出かけてできること
かわの ていぼうや、みずの たかさを しめす とうが ないか、さがして みましょう。みずの ちかくでは、おうちの ひとと いっしょに いきます。
こうしきの じょうほう
すんで いる まちの やくしょの ホームページに、みずが でた ときの ようすを しめす ちずが のって いる ことが あります。
今日できること
自分の町の標高を、地図で調べてみてください。あわせて近くの川や海との位置関係も地図で見て、なぜ低いのか考えてみます。
出かけてできること
川の堤防や、水位を示す表示がないか探してみましょう。標高を書いた表示が、駅や公共の建物にあることもあります。水辺に行くときは、必ずおうちの人といっしょに行きます。
公式情報
住んでいる市区町村が出している洪水などのハザードマップには、水が出たときの想定が載っています。国土交通省や環境省の資料にも、沈下の観測結果が公開されています。
今日できること
自分の地域の標高と、最寄りの河川・海岸との位置関係を地図で確認し、「もともとの低地」か「沈下で低くなった土地」かを、成り立ちから考えてみる。
出かけてできること
堤防・水門・水位表示などの施設を探し、何を守るためにあるのか考える。標高表示がある公共施設もある。水辺では安全に注意する。
公式情報
環境省「全国地盤環境情報ディレクトリ」には、地域ごとの沈下量の推移が載っている。東京都建設局の年報とあわせて、年ごとの値と観測点を自分の目で確かめたい。濃尾平野の対策の経過は、国土交通省中部地方整備局の資料にもある。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
基準と面積・人口は国土交通白書、沈下の経過は東京都の年報と環境省の資料、縄文時代の海の広がりは辞典の解説に依拠する。数字は各資料の記述の範囲だけを使った。
- 国土交通省「国土交通白書(平成17年度版)」 https://www.mlit.go.jp/hakusyo/mlit/h17/hakusho/h18/html/H1012c40.html (ゼロメートル地帯の定義・面積・人口)
- 東京都建設局(東部低地帯)案内資料 https://www.jseg.or.jp/wp-content/uploads/2025/01/zero_chitai.pdf (東部低地の成り立ち)
- 環境省 全国地盤環境情報ディレクトリ「関東平野南部」 https://www.env.go.jp/water/jiban/directory/13kantouminami.html (江東の沈下量・沈静化)
- 東京都土木技術センター年報2008「東京低地を中心とする地盤沈下の年譜」 https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000009945.pdf (沈下の経過・隆起・規制)
- 環境省「環境白書」(平成10年版) https://www.env.go.jp/policy/hakusyo/h10/10674.html (沈下の仕組み・戻らないこと)
- コトバンク「縄文海進」 https://kotobank.jp/word/縄文海進 (縄文時代の海面)
- 国土交通省 中部地方整備局 資料 https://www.cbr.mlit.go.jp/kisya/2020/08/0811.pdf (濃尾平野の対策)
- 環境省 全国地盤環境情報ディレクトリ「濃尾平野」 https://www.env.go.jp/water/jiban/directory/24noubi.html (三重県側の沈下量)
なおした ところ
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