1. 「いちばん 古い」 だがしやは、どんな お店?
1. 最古とされる駄菓子屋の店主が語ること
1. 上川口屋 ── 1781年創業と「今の駄菓子屋」になった時期
東京に、1781ねんに はじまった とされる お店が あります。「上川口屋」という、日本で いちばん 古い だがしやと いわれる お店です[8]。
店主さんは、「10円の だがしが へって きた」と 話します。「ここ 数年で、だがしが 大きく 値段が 上がって いる」とも 言って います[8]。
この お店は、はじめから 今の ような だがしやでは なかったと いう 話も あります。昭和30年代に、ざいりょうが 手に 入らなく なり、今の すがたに なったそうです[1]。お店の 中でも、だがしは 少しずつ かわって いたのですね。
2. 「だがし」って、もともと なんの こと?
2. 江戸時代の「上菓子」に対する「駄菓子」
2. 「駄菓子」の語 ── 上菓子との対と、仙台の黒砂糖
江戸時代、お菓子には 2つの よび名が ありました。しろい さとうを たくさん つかう 高い お菓子は 「じょうがし」。ふつうの 人が 食べる、ざっこくや みずあめで つくる お菓子が 「だがし」です[1]。
江戸時代、しろい さとうは とても 高い ものでした。
仙台では、ふつうの 人は しろい さとうを 食べては いけなくて、黒い さとうの 「ざつがし」だけが ゆるされた と いわれます[2]。この ざつがしが、そのころの だがしです。これは 仙台の 話で、日本じゅう おなじ きまりだった とは 言えません。
3. 「いちもんがしや」って、なんだろう?
3. 明治の「一文菓子屋」と、安い菓子の店
3. 「一文菓子屋」の呼び名 ── 明治には存在した店
明治の ころ、だがしやは 「いちもんがしや」と よばれて いました[3]。
「一文」は、江戸時代に いちばん 小さかった お金の たんいです。そこから 「とても 安い お菓子」と いう 意味で つかわれた と いわれます[3]。お店の 名前に、お金の 小ささが 入って いたのですね。
こくどこうつうしょうの かんこうちょうの せつめいでも、だがしやは 明治に はじまった、安い お菓子や おもちゃを 売る お店と されて います[4]。少なくとも 明治には、もう あった ようです。
4. どうして 子どもが 1こずつ 買えたの?
4. 1個売りと、子どもの社交場になった店
4. 少額・1個売りと昭和初期の隆盛 ── 店主の証言と限界
だがしやでは、小さな お菓子が 1こ 1こ、ばらで 売られて いました。子どもの おこづかいでも 買える ためです[1]。
ある 店主さんは、「子どもが 買えるように」と、タラという さかなで イカの あじを つけた お菓子が 多いと 話します。「これなら 10円」だそうです[1]。これは 1人の 店主さんの はなしで、ぜんぶの だがしやに あてはまる とは かぎりません。
昭和の はじめごろ、だがしやは いちばん にぎやかでした。おこしや せんべい、ビー玉や ベーゴマも 売られて、子どもが あつまる 場所に なりました[3]。昭和40年代まで、子どもの あつまる 場所だったと する しりょうも あります[6]。
駄菓子屋では、お菓子が1個ずつ、安く売られていました。子どもが自分の小遣いで買えるようにするためです。ある店主は、「子どもが買えるようにするため」タラでイカの風味をつけた菓子が多くなっていて、「これなら10円」と説明しています[1]。ただしこれは1軒の店主の説明で、業界全体の説明にはできません。
昭和初期に、駄菓子屋はもっとも栄えたとされます。芋羊羹、カルメ焼、おこし、せんべいのほか、ベーゴマやビー玉といった玩具も並び、子どもの社交場にもなりました[3]。別の資料は、昭和40年代まで駄菓子屋が子どもの社交場だったと説明しています[6]。
小さな菓子を1個から買える店は、お金を少ししか持たない子どもにとって、友達と過ごす場所でもあったのだと読めます。
駄菓子屋で子どもが買えるのは、1個売りで安価だからだと説明される。ある店主は、子どもが買えるようにするためにタラでイカ風味を付けたものが多くなり、「これなら10円」と述べる[1]。1軒の店主の言であり、業界全体の慣行とは言えない。「なぜ1個ずつ売れたか」を制度や流通の面から説明する一次資料は、集めた範囲では乏しい。一文という少額商売の系譜(第3章)が背景にあると考えるのが妥当だろう。
駄菓子屋は昭和初期に最も栄え、芋羊羹・金花糖・カルメ焼・おこし・せんべいのほか、ベーゴマやビー玉などの玩具も扱い、子どもの社交場にもなった[3]。別の資料は、昭和40年代まで駄菓子屋が子どもの社交場だったとする[6]。ただし後者は、次章のもんじゃ焼きの起源を述べる記事の中の記述である。
5. だがしやで、もんじゃも 食べたの?
5. もんじゃ焼きは「文字焼き」から?
5. もんじゃ焼きと駄菓子屋 ── 文字焼き説と、起源の時期の食い違い
もんじゃ焼きの 名前は、「文字焼き」が かわった ものと いわれます[5]。
こむぎこを 水で とかして、てっぱんの 上に へらで 文字を 書く。そうして 子どもたちが 文字を おぼえた、と のうりんすいさんしょうの 子ども向けの ページは のべて います[5]。
いつ ごろの はなしかは、しりょうに よって ちがいます。せんそうが おわった すぐあとの ころ、という みかたも あれば、江戸時代の おわりから 明治にかけて、という みかたも あります[6]。どちらが 本当か、まだ 決められません。
だがしやでは、もんじゃが 人気だった、と する しりょうも あります[6]。
もんじゃ焼きの名は、「文字焼き」が変化したものだといわれます。農林水産省の子ども向けページは、小麦粉を水でといて、鉄板の上にへらで文字を書きながら教えたことから「文字焼き」と呼ばれ、それが変化して「もんじゃ焼き」になったと説明しています[5]。
この習慣がいつからかは、資料で食い違います。同ページは終戦直後、紙や習字道具がなかったころの話として述べています[5]。別の資料は、江戸時代末期から明治にかけて、子どもたちが生地で鉄板に文字を書いて覚えながら食べていたとし、戦後は駄菓子屋で大流行した、とも述べます[6]。
どちらの時期が正しいのか、ここでは決めません。「文字焼きが名前のもとといわれる」と、「駄菓子屋でもんじゃが食べられていたという資料がある」の二つを、別々の事実として並べます。
もんじゃ焼きの名は「文字焼き」が変化したものといわれる。農林水産省は、小麦粉を水でとき、鉄板にへらで文字を書いて教えたことから「文字焼き」と呼ばれ、それが変化したと説明する。同ページは背景として、終戦直後に紙や習字道具がなかったことを挙げる[5]。
これに対し、ダ・ヴィンチWebの解説は、文字焼きの習慣を江戸末期〜明治とし、子どもたちが生地で鉄板に文字を書いて覚えながら食べていたと述べる。戦後は駄菓子屋で大流行し、昭和40年代まで駄菓子屋が子どもの社交場だったという[6]。
起源の時期は「戦後直後」と「江戸末〜明治」で食い違い、断定できない。確かなのは、名の由来としての「文字焼き」説が公的機関の資料にもあること、駄菓子屋でもんじゃが食べられたと述べる資料があること、の二点に限られる。
6. 10円の だがしは、どうして へったの?
6. 店が減り、うまい棒も値上がりした
6. 駄菓子屋の減少とうまい棒の値上げ ── 2022年の10円→12円
大きな お菓子の 会社の 商品が 安く なって、テレビゲームなどの あそびも ふえました。すると、子どもが だがしやで 買う ことは 少なく なりました。コンビニも ふえて、だがしやの 数は ゆっくり へって きたと いわれて います[3][4]。
うまいぼうは、1979ねんに 出た お菓子です。1本 10円で 売られて きましたが、2022ねん4月1日 出荷分から、12円に なりました[7]。
42年目の はじめての 値段の 上がり方です。10円から 12円は、2円 ふえた ことで、もとの 値段の 20パーセント ぶんです。
会社は、コーンや 植物の あぶらなどの ざいりょう、つつむ ざいりょう、はこぶ お金、はたらく 人への お金が 上がった ことを 理由に あげて います[7]。
大手菓子メーカーの商品が安く手に入るようになり、テレビゲームなどの娯楽が増えると、子どもたちが駄菓子屋でこぞって菓子や玩具を買うことはなくなりました。コンビニエンスストアが少しずつ増えるにつれて、駄菓子屋の数もゆっくり減ったと説明されています[3][4]。ただし、減った時期や軒数を示す数字は、集めた資料にありませんでした。
値段のほうは、うまい棒が例になります。1979年に発売された1本10円のうまい棒は、2022年4月1日出荷分から12円(税別)になりました。発売から42年目にして初めての値上げでした[7]。
10円から12円は2円の増加で、割合にすると20%です。メーカーは、コーンや植物油などの原材料、包装資材、物流費、人件費の上昇を理由にあげています[7]。10円の駄菓子が4種類だけになった店主の実感は、こうした背景の中にあるのでしょう。
大手菓子メーカーの商品が安くなり、テレビゲームなど娯楽が増えたことで、子どもが駄菓子屋の菓子や玩具をこぞって買う状況は変わったと、文春オンラインの記事は述べる[3]。コンビニエンスストアの出店にともない、駄菓子屋は徐々に数を減らした、と国土交通省観光庁の解説は述べる(日本語要約による)[4]。衰退の時期や軒数を示す統計は、集めた資料に含まれなかったため、数字は書かない。
価格の例として、やおきん発表のうまい棒がある。1979年発売のうまい棒は、2022年4月1日出荷分から1本10円が12円(税別)となった。発売42年目にして初の値上げで、理由は、コーンや植物油などの原材料、包装資材、物流費、人件費の上昇とされる[7]。上昇は2円、10円に対して20%である。
7. じぶんでも たしかめて みたく なったら
7. 自分でも調べてみたくなったら
7. 自分でも調べてみたくなったら
やってみよう。おうちの 人に、「子どもの ころ、10円で 何が 買えた?」と 聞いて みましょう。そのあと、お店で、1こから 買える 小さな お菓子の 値段を 見て みます。
ちかくに だがしやが あるなら、おとなと いっしょに 行って みましょう。
次のようなことを、調べたり試したりできそうです。
- 家の人に「子どものころ、10円や50円で何が買えたか」を聞いてみましょう。その話を、今の値段の菓子と比べると、どんな違いが見えるでしょうか。
- スーパーやコンビニで、1個から買える小さな菓子の値段札を見てみましょう。1個いくらになるかを、自分で計算できます。
- 近所に駄菓子屋があれば、大人と一緒に行き、店の人にいつごろからある店かを聞いてみましょう。この記事で見た「昭和に今の形になった」という店の話と、比べられます。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文は、次の資料を突き合わせて書きました。起源の時期が資料で食い違う点や、1軒の店主の話にとどまる点は、本文にそう書いています。
- nippon.com 駄菓子の記事. https://www.nippon.com/ja/views/b02101/ (上菓子と駄菓子、1個売り、店主の説明、上川口屋の変遷について)
- 農林水産省「仙台駄菓子」. https://www.maff.go.jp/j/keikaku/syokubunka/traditional-foods/menu/sendai-dagasi.html (仙台で庶民が食べた雑菓子について)
- 文春オンライン 駄菓子屋の記事. https://bunshun.jp/articles/-/45201?page=3 (一文菓子屋の呼び名、昭和初期の駄菓子屋について)
- 国土交通省 多言語解説文データベース「昭和ロマン蔵 駄菓子屋の夢博物館」. https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/en/R1-02612.html (明治に起源をもつ店の説明、駄菓子屋の減少について)
- 農林水産省 こどもナビ「もんじゃ焼き」. https://www.maff.go.jp/j/syokuiku/kodomo_navi/cuisine/cuisine2_6.html (文字焼きの由来について)
- グルメWatch「うまい棒 値上げ」(やおきんの発表を伝える記事). https://gourmet.watch.impress.co.jp/docs/news/1383783.html (2022年の値上げと理由について)
- 現代ビジネス 駄菓子10円の記事. https://gendai.media/articles/-/124814 (上川口屋の創業と、10円の駄菓子が4種類になった店主の話について)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。