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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

クリスマスに、もみの木を かざるように なったのは どうして?

クリスマスツリーは、どこから来て、どう広まったのか ── りんごをつるした木と、新聞の絵

クリスマスツリーの起源 ── 「古代の木の崇拝」説への疑問、楽園劇の木、1848年の挿絵

分野:歴史・文化

むかしの ツリーには、きらきらの たまよりも、りんごや おかしが ぶらさがって いました。

どうして 木に たべものを かざったのでしょう。いまのところ ゆうりょくな 考えと、ツリーが みんなの 家に ひろがった わけが 分かります。

今のツリーには光る玉やモールが下がっていますが、数百年前の記録にあるのは、りんごやウエハースなど、食べられる飾りです。それなら、なぜ冬の木に食べ物をつるしたのでしょうか。

有力な説は、中世の劇で使われた「りんごを下げたもみの木」です。そこから、ツリーが家庭に広まった19世紀の出来事、日本に届いた明治の話までが分かります。

「ツリーは古代の木の崇拝の名残だ」という説明は、よく聞く。ところが歴史家ブルンナーはこれに疑問を示し、中世の楽園劇の木に注目した[2]。初期の飾りが、りんごやウエハースという食べ物だったことも、この見方と合う[3]。

では、食べ物の木が、なぜ家庭の飾りになったのか。その広まり方と、日本での最初の例とされる記録のあやうさまでが分かる。

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1. りんごの 木は、なんの 木だったの?

1. 冬の劇に出てきた「りんごの木」が先祖かもしれない

1. 「古代の崇拝」説と、楽園劇の木という別の見方

むかしの ヨーロッパには、12月24日ごろに、みんなで 見る げきが ありました。エデンの 園の おはなしです。

この げきでは、もみの 木に りんごを ぶらさげて、エデンの 園の 木に 見たてました[1]。この 木が、ツリーの ごせんぞでは ないかと 考える 人が います。

ただし、はっきり そうだと きまった わけでは ありません。ツリーが 本とうに ひろがるのは、ずっと あとの 19せいきです。

ツリーは古代の木の崇拝から来たのか

「ツリーは、昔の人が木をおがんでいた名残」という話を聞いたことがあるかもしれません。ところが歴史家のブルンナーは、この通説に疑問を示しました。かわりに目を向けたのが、中世の「楽園劇」にあらわれる木のイメージです[2]。

12月24日ごろの劇に立った木

楽園劇は、12月24日ごろに上演された劇です。エデンの園を表すために、りんごを下げたもみの木が舞台に置かれました。この「楽園の木」が、クリスマスツリーの前身だとする研究者がいます[1]。

ただし、これは有力な説のひとつです。ツリーが広く根づくのは、ずっと後の19世紀です[2]。

「ツリーは古代の木の崇拝の名残」とする通説に対し、歴史家ブルンナーは疑問を示し、別の源として中世の「楽園劇」の木に注目した[2]。この劇は12月24日ごろに上演され、エデンの園を表すために、りんごを下げたもみの木(楽園の木)が使われたとされる。これをツリーの前身とみる研究者がいる[1]。

ここで注意したいのは、この見方が「異教起源は完全な誤り」という意味ではない点だ。直接の採用とは言いがたい、という程度の評価にとどまる。また、ツリーが広く根づくのは19世紀、つまり近代に入ってからである[2]。木と信仰の結びつきがあったとしても、今のツリーまでの道すじは、一本の線では説明しきれない。

では、劇の木から家の飾りへ、どんな記録が残っているのか。次の章で見る。

2. はじめの かざりは、たべられる ものだった

2. 最初の飾りは「食べられるもの」だった

2. 初期の記録 ── 食べ物の飾りと、競合する「最古」

フランスの セレスタという まちでは、ツリーを ゆかに 立てず、はりから つるして いたと つたえられます[3]。

かざりは、たべられる ものでした。赤い りんごと、ウエハースです。赤い りんごは「ゆうわく」、ウエハースは「すくい」を あらわして いたそうです[3]。

ラトビアの リガでは、1510年に、しょうにんたちの なかまが、あつまる 家に おいわいの 木を 立てた という きろくが あります[1]。

どれが いちばん ふるいかは、まだ はっきり しません。

床に立てず、梁からつるす

フランス・アルザス地方のセレスタ市で、初期のツリーは床に立てず、天井の梁からつるされました。飾りは食べられるもので、赤いりんごは「誘惑」、聖体のウエハースは「救い」を表したとされます[3]。楽園劇のりんごの木と、つながりが見えてきます。

「最古」の座を争う記録

ラトビアのリガでは、1510年にブラックヘッド同胞団がギルドの館に祝日の木を立てたという記録があるとされます[1]。

セレスタでは、1521年の会計簿に、共有林のもみを見守る森番へ4シリングを払った記録が残り、「最古の文字記録」と紹介されます。ただしこれは木を飾った記録ではなく、森の木の見張りの記録です[3]。記録の内容が違うため、どれを「最古」とするかは決めにくいのです。

初期の飾りは食べ物だった。セレスタ(フランス・アルザス)では、ツリーは床に立てず梁からつるされ、赤いりんご(誘惑)と聖体のウエハース(救い)が飾られたという[3]。劇の木と同じくりんごが主役である点は、前章の見方と整合する。

では、いちばん古い記録はどれか。リガでは1510年にブラックヘッド同胞団がギルドの館に祝日の木を立てた記録があるとされ、1441・1442・1514年の例も挙げられるが、どれも最古と断定はできない[1]。

セレスタの1521年の会計簿は、共有林のもみを見守る森番に4シリングを払ったというもので、観光局は「最古の文字記録」と紹介する。しかし内容は木の飾りではなく森の木の見張りで、日付も出典によって食いちがう[3]。「最古」は、どの条件で数えるかで答えが変わる。

3. おうさまの 家の 絵が、みんなの 家に とどいた

3. 王妃のパーティーと、新聞に載った家族の絵

3. 英国王室のツリーと、1848年の絵入り新聞

1800年の 12月、イギリスの シャーロットおうひは、子どもたちの パーティーの ために、ツリーを 立てたと されます。ろうそくや くだもの、おかし、おもちゃで かざったそうです[4]。

それから 48年あと、1848年の 新聞に、女王の 家族が ツリーを かこむ 絵が のりました[5]。ツリーは 高さ やく2.4メートル、わかい もみの 木だと せつめいされました。

この 絵が、ふつうの 家に ツリーが ひろがる きっかけに なったと いわれます。新聞の 絵を 見て、「うちも やってみたい」と 思った 人が いたのかも しれません。

1800年、子どもたちのためのツリー

英国で最初に知られる王室のツリーは、1800年12月、シャーロット王妃がウィンザーのクイーンズ・ロッジで開いた、子どもたちのパーティーのものです。ろうそく、果物、菓子、おもちゃで飾られました。これより前の記録は見つかっていません[4]。

1848年、新聞の版画が家庭へ運んだ

広まるきっかけになったのは、1848年12月23日号の『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』です。ヴィクトリア女王一家がウィンザー城でツリーを囲む版画がのりました[5]。木は「高さ約8フィートの若いもみ」と説明されています。1フィートは約30.5cmなので、8フィートは約2.4mです。

夫のアルバートが英国にツリーを持ちこんだ、とよく言われます。しかしシャーロット王妃のほうが先でした。アルバートは、ツリーを熱心に広めた側の人です[5]。ツリーは、王室の影響で広まったとされます。

ドイツ出身のアルバートが英国にツリーを持ちこんだ、という話はよく聞く。だが記録上、英国で最初に知られる王室のツリーは、1800年12月、シャーロット王妃がウィンザーのクイーンズ・ロッジで子どもたちのパーティーのために立てたものだ。ろうそく・果物・菓子・おもちゃで飾られ、これ以前の記録は見つかっていない[4]。

それでも、庶民の家に広まったきっかけは別にある。1848年12月23日号の『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』(絵入りの週刊新聞)が、ヴィクトリア女王一家がウィンザー城でツリーを囲む版画をのせたからだ[5]。木は「高さ約8フィートの若いもみ」と説明された。8フィートは、30.48cm×8≒2.4mである。

この版画だけで広まったとは言い切れない。資料では、広まるきっかけのひとつとされる[5]。アルバートは持ちこんだ人ではなく、熱心に広めた側とみるのが妥当だ。

4. たべものの かざりに、ガラスの たまも くわわった

4. 食べ物の飾りに加えて、ガラスの玉も広まった

4. 飾りの素材の変化 ── ラウシャのガラス玉

ツリーの かざりは、だんだん かわって いきました。ドイツの ラウシャという まちで、19せいきの なかばごろに、ガラスの たまの かざりが つくられたと いわれます[7]。

1880年ごろには、アメリカで ウールワースという 会社が うり はじめたそうです。ただ、1879年と する ものも あり、年は はっきり しません。

いま 家に ある たまや ほしの かざりも、むかしは りんごや ウエハースだったと 思うと、ふしぎですね。

初期のツリーには、りんごやウエハースが下がっていました。ところが19世紀の半ばになると、ガラスの飾りも加わります。ドイツのラウシャで、このころガラス玉の飾りが作られたとされます[7]。

それを米国で売り始めたのが、ウールワースです。時期は1880年ごろとされますが、1879年とする資料もあります[7]。割れにくい素材ではないのに広まったのは、食べ物より長く使え、毎年しまって出せたからかもしれません。

食べ物の飾りに、見て楽しむ飾りが加わっていきました。ツリーの姿が少しずつ動いたことが、飾りの変化から見えてきます。

食べ物の飾りは、いつ今のような玉に変わったのか。ドイツ・ラウシャで19世紀半ばごろにガラス玉の飾りが作られたとされ、米国ではウールワースが1880年ごろから売り始めた(1879年とする資料もあり、年は割れる)[7]。

ここから読みとれるのは、食べ物の飾りに加えて、ガラスなどの飾りが広まったことである。ただし、なぜ広まったのかという理由は、資料に書かれていない。「果物が買えなかったから作った」という逸話も語られるが、業者のサイトに由来する話で、根拠としては弱い。

確かなのは、飾りの中身が変わっても、「木に何かをつるす」形そのものは、劇の木から続いていることだ。飾りの種類だけが、食べ物のほかに、見て楽しむものへ広がったとみられる。

5. にほんで さいしょに かざったのは?

5. 日本で最初にツリーを飾った店は横浜にあった

5. 日本の「最初」── 1886年・明治屋の記録と、その限界

にほんでは、1886年12月7日に、よこはまの めいじやという おみせが ツリーを かざったと されます[6]。ふるい みせで、がいこくの ふねの 人たちが きゃくだった そうです。

この日にちから、12月7日は「クリスマスツリーの日」と よばれます。

ただ、これより まえに かざった 人が いたという はなしも あります。「さいしょ」は、まだ たしかとは いえません。

日本では、1886年(明治19年)12月7日に、横浜の明治屋が、日本で初めてクリスマスツリーを飾ったとされます。明治屋の創業は1885年で、外国人の船員向けの店だったと説明されます[6]。12月7日が「クリスマスツリーの日」とされるのも、この話に由来します。

ただし、これより前に飾られていたという情報もあります。「初」と断定せず、「とされる」と読むのが安全です。

楽園劇の木から数百年。もみの木は、新聞の絵や船乗りを通じて、海をこえて日本までたどり着きました。

日本の最初の例はどこか。1886年(明治19年)12月7日に、横浜の明治屋が日本で初めてクリスマスツリーを飾ったとされ、12月7日は「クリスマスツリーの日」になった。創業は1885年で、客は外国人船員とされる[6]。

ただし、これは当時の新聞・社史で確認された記録ではない。さらに、これより前に飾られていたという情報もあるため、「初」は慎重に読む必要がある。

中世の劇の木が、近世の家庭の飾り、19世紀の新聞の版画を経て、明治の港町に着く。ここまでの道のりは、一本の「起源」ではなく、いくつもの出来事の積み重ねだった。

6. かざりの 木を、じぶんで 見て みよう

6. 「何を飾るか」から、ツリーを見直してみよう

6. 資料に当たるときの手がかり

色がみで、りんごや クッキーの 形を つくって みましょう。むかしの ツリーを まねて、家に ある 紙の ツリーや えだが あれば、それに つるします。はさみを つかうときは、おうちの 人と 気を つけて ください。

町で ツリーを 見たら、かざりが なにで できているか 見て みましょう。ガラス、紙、ぬの、プラスチック。むかしと くらべると、どう ちがうでしょうか。

色紙で、りんごやクッキーの形を作り、家にある紙のツリーや枝があれば、つるしてみましょう。昔の食べ物の飾りを、紙で作り直すつもりです。はさみを使うときは、大人と一緒に、気をつけて行ってください。

町や家でツリーを見かけたら、飾りの素材を見てみましょう。ガラス、紙、布、プラスチック。食べ物はどれくらい残っているでしょうか。

「最古」「最初」は、見つかった記録の中での話です。ブルンナーの本や各地の観光局の資料を読むと、記録の数え方のちがいに気づけます。

この題材は、「最古」「初」が何度も出てきた。どれも見つかっている記録の中の話で、数え方(飾りか、見張りか、家庭か)で答えが変わる。

資料を読むなら、ブルンナーの書評(Maclean's)[2]、セレスタ観光局の紹介[3]、英国国立記録院スコットランド(NRS)のブログ[4]、World History Encyclopedia[5]が入り口になる。原典の記録を探すなら、資料どうしで年が食いちがう箇所を手がかりに読むとよい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:百科事典、書評、観光局の紹介、公文書館のブログ、新聞記事を使いました。一次史料は確かめていない記録が多いため、本文は「とされる」「という記録がある」と書いています。

  1. Wikipedia「Christmas tree」。https://en.wikipedia.org/wiki/Christmas_tree (楽園劇の木、リガの記録)
  2. Maclean's「Inventing the Christmas Tree」書評。https://macleans.ca/culture/books/review-inventing-the-christmas-tree/ (ブルンナーの見方)
  3. christmas.alsace「セレスタ」。https://www.christmas.alsace/?p=3854 (セレスタの記録と食べ物の飾り)
  4. National Records of Scotland blog「O Tannenbaum」。https://blog.nrscotland.gov.uk/2021/12/09/title-o-tannenbaum-the-root-of-a-christmas-tradition (シャーロット王妃のツリー)
  5. World History Encyclopedia「How Queen Victoria Celebrated Christmas」。https://www.worldhistory.org/article/2856/how-queen-victoria-celebrated-christmas/ (1848年の版画とツリーの高さ)
  6. jprime「クリスマスツリーの日」の記事。https://www.jprime.jp/articles/-/26090 (明治屋1886年)
  7. Wikipedia「Christmas ornament」。https://en.wikipedia.org/wiki/Christmas_ornament (ラウシャのガラス玉)

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