1. 材料は、銅と 金と 水銀
1. 材料は、銅・金・水銀
1. 使われた材料 ── 銅・金・水銀
いちばん たくさん つかったのは、銅です。10円だまと おなじ 金属が ふくまれる 材料で、約500トン つかったと いわれます[6]。
この 銅は、山口けんの 長登という 銅山の ものと にた とくちょうが ある、と いわれて います[1]。奈良から とても とおい ところです。
ぴかぴかの 金色に する ために、金と 水銀も つかいました。水銀は、金を とかして ぬる ための ものです。
いちばん多く使われたのは銅で、約500トンとされます[6]。ただ、この数字はひとつの資料からの値で、記録の読み方によって差が出ます。
銅の産地には、有力な説があります。東大寺で見つかった、大仏を造った時代の銅のかたまりを分析したところ、山口県の長登銅山の銅と近い特徴を示した、といわれます[1][5]。長登銅山跡は日本最古の銅山跡とされ、奈良から遠く離れた山の中にあります。
もうひとつの材料が、金と水銀です。2つを混ぜて、銅の表面を金色にしました。使われた量は資料によって差が大きく、金は数百kg、水銀は数百kgから約2.5トンまで、数字が分かれます[6][5]。
主な材料は銅で、使用量は約500トンとされる[6]。ただし、記録によって数字が異なり、「約500トンと考えられている」と書く資料もある[5]。産地については、東大寺から出土した大仏建立時の銅塊を分析した結果が、山口県美祢市の長登銅山の鉱石とヒ素濃度などで近い特徴を示したとされ、銅の多くが同山などの産と推察されている[1][5]。分析報告そのものは、この記事では確認できていない。長登銅山跡は日本最古の銅山跡とされ、国の史跡である。
金と水銀の量は、資料によって大きく分かれる。nippon.com の解説は、金440kg、水銀2.5トンとする[6]。一方、Wikipedia は、水銀を58,620両(約820kg)、金については、陸奥国から献上された900両(約13kg)を挙げる[5]。この900両は、金の総量ではなく、国内で金が見つかって献上された分と読める。数字が分かれる理由は、確認した資料からは判断できない。数字を暗記するより、「資料で食いちがう」と覚えておく方が安全だ。
2. 8かいに わけて、したから ながす
2. 下から8段に分けて鋳造する
2. 鋳造の方法 ── 8回に分けた鋳継ぎ
とけた 銅を、形の ある 型に ながして かためる ことを、鋳造と いいます。ゼリーを おわんの かたで つくる ことを おもいうかべて ください。
ただし 大仏は 大きすぎます。いちどに ながすと、銅が かたまる まえに ぜんぶは とどきません。そこで 8かいに わけて、したから じゅんばんに ながして いったと かんがえられて います[4]。
かたは、木の はしらと なわで 形を つくり、まわりに 土を ぬって つくったと いわれます[5]。
銅を溶かして型に流し込み、固めて形を作る方法が鋳造です。ゼリーを型で作る場面を思い浮かべるとよいでしょう。ただし大仏は大きすぎて、全部を一度に流し込むと、下の銅が先に冷えて固まってしまいます。
東大寺の歴史によると、大仏は一度に鋳造せず、「3カ年8度の鋳継ぎ」で造られました[4]。実際の期間は2年あまりで、「8度」は下から上へ8段に分けて流したという意味と考えられています[5]。完成は749年(天平勝宝元年)10月で、そのあとに大仏殿が造られ、752年に開眼供養会が行われました[4]。
型の作り方は、次のような順序と推定されています[5]。
- 木の柱と縄で芯を作り、土を塗って、大仏の形をした内側の型(中型)を作る
- そのまわりに、外側の型を、8段に分けて作る
- 外型をいったん外し、内側の面を焼く。中型を、銅の厚みの分だけ削る
- 2つの型のすきまを保つため、金属の小片(型持)をはさんで組み直す
- 溶けた銅を、すきまに流し込む
『東大寺要録』所収の「大仏殿碑文」は、鋳造を「三箇年八ヶ度」で行ったと記す。実際の年数は2年あまりで、「八ヶ度」は下から上へ8段に分けて鋳造した意味と解釈されている[5]。東大寺の公式の歴史も、「3カ年8度の鋳継ぎ」と書く[4]。年表では、747年(天平19年)の鋳造開始、749年(天平勝宝元年)10月の本体の鋳造完了、752年(天平勝宝4年)の開眼供養会の順になる[5][3]。
型の作り方は、残る記録からの推定で、次の手順が考えられている[5]。
- 木材の支柱と麻縄で芯を作り、土を塗って内型(中型)を作る
- その外側に、外型を8段に分けて作る
- 外型を外して内面を焼き、中型を削る。削った厚さが、銅の厚さになる
- 型の間隔を保つ「型持」を入れて組み直す
- 溶けた銅を流し込む
型持については、正倉院文書にもとづき、4寸四方・厚さ1寸の金属片を3,350枚作ったとされる[5]。一つの資料に頼った数字なので、ここでは目安にとどめる。
3. 金色に ぬる
3. 金色にするには ── 水銀と金のメッキ
3. 鍍金(メッキ)の方法
かたを とって できた 大仏は、銅の 色で、金色では ありません。そこで 金を ぬりました。
金を 水銀に まぜると、どろっと した ものに なります。これを ぬって、火で あたためると、水銀だけ きえて、金が のこります[7]。
4. 大きさは、どう きめたの?
4. 大きさは、どう決められたのか
4. 寸法の基準 ── 「丈六」という物差し
この もんだいは、じつは、はっきりした 答えが のこって いません。「この 理由で ○メートルに した」と いう はなしは、しらべた しりょうの 中には みつかりませんでした。
ただ、手がかりは あります。むかしの おぼうさんは、仏像の 大きさに、「丈六」と いう ものさしを つかいました。おしゃかさまの せが 4.8メートルぐらい あったと いう はなしからです。
すわった 像は、その はんぶんぐらいです。大仏は、すわって いて 14.98メートルです[2]。丈六が すわった ときの 2.4メートルと くらべると、けいさんで 6ばいほどの たかさです。
実は、大仏の大きさを決めた理由を、はっきり書いた資料は、この記事で調べた範囲では見つかりませんでした。ただ、手がかりはあります。
仏像の大きさには、「丈六」という物差しがありました。釈迦の身長が1丈6尺(約4.8m)あったという伝えにもとづき、その大きさで作った仏像を丈六仏といいます。一般的な説明では、丈六より大きい像を大仏と呼びます[8][10]。
座った像は、背丈の基準の約半分になるので、丈六仏が座ると高さは約2.4mです[10]。奈良の大仏は座った姿で像高14.98mです[2]。14.98÷2.4の計算で、丈六が座ったときの約6倍の高さです。
東大寺の公式FAQには、奈良時代の記録として「金銅盧舎那仏坐像一躰、結跏趺坐高五丈三尺五寸」とあります[3]。この数字と今の測定値14.98mがどう結びつくのかは、ここでは説明できません。いまの頭部は江戸時代に作り直されたもので、当時の形そのままではないためです[3]。
大きさを決めた理由を直接書いた資料は、この記事で調べた範囲では見つからなかった。手がかりは、仏像の大きさの物差しである「丈六」だ。
釈迦の身長が1丈6尺(約4.8m)あったという伝えにもとづき、その大きさの像を丈六仏と呼ぶ。座像は半分ほどの高さになるため、座った丈六仏は約2.4mとされる[10]。一般に、丈六より大きいものを大仏と呼ぶが、例外もある[8]。
現在の大仏の像高は14.98m、顔の長さ5.33m、目の長さ1.02m、耳の長さ2.54m、台座の高さ3.05mだ[2]。像高は、座った丈六仏の約6倍にあたる(14.98÷2.4の計算)。ただし、この倍率で設計されたかどうかは分からない。結果として、そうなっているということだ。
東大寺要録の引用として、公式FAQには「金銅盧舎那仏坐像一躰、結跏趺坐高五丈三尺五寸」とある[3]。この数字は現在の実測値と単純には一致せず、理由はこの記事の資料では説明できない。また、現在の頭部は江戸時代の再建で、螺髪の数も、記録の「九百六十六個」に対し、東京大学生産技術研究所の3次元計測では当初492個と推定されている[3]。古い記録の数字と、実物から測った数字を、どう突き合わせるかは、むずかしい問題だ。
5. じぶんでも しらべて みよう
5. 自分でも調べてみたくなったら
5. 自分でも調べてみたくなったら
もし 奈良に いく ことが あったら、大仏の 体を よく みて ください。1つの 大仏を 8かいに わけて つくった ことを おもいながら みて ください。
いえに いる ときは、じぶんの 手の 大きさと、大仏の 手を くらべて みましょう。大仏の 左手の 大きさは、東大寺の ホームページに のって います[3]。
奈良で大仏を見る機会があれば、体の表面に、鋳継ぎの跡がないか探してみましょう。見つかるかどうかは分かりませんが、1体の像を8回に分けて作ったことを思いながら見ると、見え方が変わるかもしれません。
数字の食いちがいも、調べ方の入り口になります。金や水銀の量は、資料によって差があります。それぞれの資料が、どの記録や計算をもとに数字を出したのか、比べてみましょう。
東大寺のホームページの大仏殿のページには、大仏の各部の寸法が出ています[2]。自分の顔や手の長さと比べてみるのもよいでしょう。
数字がそろわない部分は、原典に近い資料で確かめられる。『続日本紀』『東大寺要録』と、東大寺の公式FAQ、文化庁の文化遺産オンラインを見比べれば、金・水銀の量や、五丈三尺五寸という寸法の意味を、自分で確かめられる。
もうひとつの課題は、「なぜこの大きさにしたのか」を直接書いた資料があるのかどうかだ。丈六という物差しとの関係を論じた専門家の研究があるか、探してみるとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:文化庁・東大寺の公式ページは一次に近い資料。nippon.com、マイナビニュース、仏像入門.com、Wikipediaは二次資料で、とくに金・水銀・銅・重さの数字は資料によって食いちがう。金・水銀の量と型持の枚数は、Wikipedia に頼る部分があり、「とされる」と弱めて書いた。大きさの決め方については、決定的な資料を見つけられなかった。
- 文化庁「文化遺産オンライン 長登銅山跡」。 https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/192592 (大仏建立時の銅塊の分析で長登銅山産とする記述。リンク先で再確認できなかったとの指摘あり。Wikipediaでは「近い特徴」からの推察)
- 東大寺「大仏殿」。 https://www.todaiji.or.jp/information/daibutsuden/ (像高14.98m、顔5.33m、目1.02m、耳2.54m、台座3.05m)
- 東大寺「よくある質問」。 https://www.todaiji.or.jp/faq/ (『東大寺要録』の五丈三尺五寸、鋳造・鍍金の年表、螺髪の数)
- 東大寺「奈良時代創建」。 https://www.todaiji.or.jp/history/narajidai/ (3カ年8度の鋳継ぎ、749年に鋳造完了、752年に開眼供養会)
- Wikipedia「東大寺盧舎那仏像」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/東大寺盧舎那仏像 (二次資料。型の作り方の推定、型持、金・水銀の量、鍍金・光背の完成時期)
- nippon.com「東大寺 盧舎那仏(奈良の大仏):六田知弘の古仏巡礼」(2025年1月2日)。 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b10923/ (銅約500トン、金440kg、水銀2.5トン、仏身250トンの推定)
- Wikipedia「大仏」。 https://ja.wikipedia.org/wiki/大仏 (二次資料。丈六の定義、丈六より大きいものを大仏と呼ぶこと)
- 「古代の鍍金と内匠式 : 金・水銀の分量比をめぐって」(CiNii Research)。 https://cir.nii.ac.jp/crid/1050850545642569984 (古代の鍍金が、アマルガムを塗って加熱し水銀を蒸発させ、みがく方法であること。要旨のみ確認)
- 仏像入門.com「仏像の大きさには決まりがあった!そのサイズや基準とは」。 https://butsuzo-nyumon.com/size (丈六1丈6尺、約4.8m、座像は約半分の約2.4m)
なおした ところ
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