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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

むかしの 家には コンセントが なかった? でんきは どこから とって いたの?

コンセントのなかった家では、アイロンやこたつの電気をどこから取っていたのでしょうか

コンセントがなかった家で、電気はどこから取っていたのか:電灯ソケットを分ける道具から延長コード・タップまで

分野:技術

100年ほど まえの 日本の 家には、かべに コンセントが ありませんでした。でんきは、天じょうの 電球の ソケットから とって いたのです。

夜は 電球が ソケットを ふさぎます。そこで 1920年ごろ、「あかりを つけた まま こたつが つかえる」と ひょうばんに なった どうぐが ありました。電気を とり出す 口を ふやす、むかしの くふうの れいです。この ページを よむと、その どうぐと、いまの 延長えんちょうコードや タップまでの 道すじが わかります。

100年ほど前の日本の家には、壁のコンセントがありませんでした。電気は、天井から下がる電灯のソケットから取っていたと、パナソニックの資料は説明しています[1]。

夜は電灯でソケットがふさがるのに、アイロンやこたつはどうやって使ったのでしょうか。そこで「あかりをつけたままこたつが使える」と評判になった道具が登場します[2]。この記事を読むと、取り出し口をふやす工夫の先例といえる道具と、いまの延長コードやタップまでの道すじが分かります。

1918年(大正7年)当時の日本の住宅にはコンセントがなく、電源は電灯ソケットから取っていた。夜は電灯でソケットがふさがるため、ほかの電化製品を同時に使うのは難しかったという[1]。

ではどうやって使ったのか。「あかりをつけたままこたつが使える」ことが売り文句になった道具があり[2]、これを、取り出し口を増やす工夫の先例として読むことができる。このメモを読むと、その道具の仕組みと、壁のコンセントやテーブルタップへ進む道すじ、そして延長コード自体の起源がなぜ年で言い切れないのかが分かる。

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1. なぜ 天じょうの ソケットから でんきを とって いたの?

1. 家の電気は、なぜ天井のソケットから取っていたのか

1. コンセントが無い家:電灯のソケットが唯一の取り出し口だった

電気が まちに とどいたのは、明治めいじの ころです。1887年に 東京で、電灯でんとうの 電気を くばる しごとが はじまりました[4]。

はじめは 電球を つける ための 電気でした。だから 1918年ごろの 日本の 家について、パナソニックの 資料しりょうは 「かべの コンセントは なく、天じょうの 電球の ソケットから 電気を とって いた」と せつめい して います[1]。

夜に 電球を つけると、ソケットは ふさがります。その あいだに アイロンも つかいたい とき、どう すれば いいのでしょう。

日本で電灯の配電が始まったのは1887年(明治20年)、東京の日本橋からです[4]。

電気の使いみちは、まず「あかり」でした。そのため、1918年(大正7年)ごろの日本の住宅について、パナソニックの資料は「コンセントはなく、電気は天井から下がる電灯のソケットから取っていた」と説明しています[1]。

夜は電灯をともすので、ソケットはふさがります。ほかの電化製品を同時に使うのは難しかったそうです。あかりを消さずに、アイロンを使いたい。さて、どうしたのでしょうか。

日本で一般向けの配電が始まったのは1887年(明治20年)で、東京電燈が日本橋の第二電燈局から送り始めた[4]。

この電気は、もともと「あかり」のために引かれたものだった。そのため室内で電気を取り出せる場所は、天井から下がる電灯ソケットに限られ、1918年当時の日本の住宅にコンセントは無かったと、パナソニックの資料は述べる[1]。ただしこれは、同社の社史にあたる資料の説明であり、全国のすべての家について言える数字ではない。

夜は電灯でソケットが埋まるので、電気アイロンのような別の電化製品を同時に使うのは難しかった。では、この一つしかない取り出し口を、どう増やしたのか。

2. ソケットを 分ける どうぐが あった

2. 電球のソケットを分ける道具が、取り出し口をふやす工夫の先例になった

2. ソケットを分岐させる道具:アタッチメントプラグと二股ソケット

1918年、松下幸之助まつしたこうのすけという 人の 会社が、電球の ソケットに さしこむ 「アタッチメントプラグ」を うりだしました。これが あれば、ソケットから 電気を とって、べつの どうぐに つなげます。つかい おわった 電球の 口を つかって、ねだんを 3〜5わりほど やすく したと いいます[1]。

1920年には、ひとつの ソケットを ふたつに 分ける 「2とう用クラスタ」(二またソケット)が できました。あかりを つけた まま、アイロンや こたつが つかえると、ひょうばんに なりました[2]。

電灯でんとういがいの 電気せいひんを つかう ときは、この どうぐが ひつようだったと されます。いまの 延長えんちょうコードと かたちは ちがいますが、「取り出し口を ふやす」という くふうの、むかしの れいと いえます。

こうした どうぐは、いまも 「セパラボディ」という 名前で うられて いて、おまつりの 出店や 漁船ぎょせんで 見かけると、きしゃの 記事は つたえて います[3]。

1918年、松下幸之助が始めた松下電気器具製作所は、電球のソケットから電気を取り出す「アタッチメントプラグ」を発売しました。使い終わった電球の口金を再利用するなどして、従来の製品より品質がよく、価格も3〜5割ほど安かったとされています[1]。

1920年には「2灯用クラスタ」(二股ソケット)が製品になりました。ひとつの電灯ソケットから2系統の電気が取れるので、部屋のあかりをつけたまま、電気アイロンやこたつが使えます。その便利さで評判になったと、同社の資料は書いています[2]。

昭和の広告にも並んでいた

1931年(昭和6年)の広告には、2灯用クラスタが電気こたつと並んで載っています。電灯以外の電化製品を使うには、アタッチメントプラグや2灯用クラスタが必需品だったのです[2]。

コードの先に差しこみ口をつけるいまの延長コードとは形がちがいますが、「ひとつしかない取り出し口を、道具で増やす」考え方は同じです。そのためこれらは、取り出し口をふやす工夫の先例といえます(延長コードの直接の祖先と決まったわけではありません)。ちなみに家電Watchの記事は、アタッチメントプラグがいまも「セパラボディ」の名前で、お祭りの出店や漁船で見かけられると伝えています[3]。

この問題に応えたのが、電球のソケットに差して電気を取り出す道具である。松下電気器具製作所(のちのパナソニック)は1918年に「アタッチメントプラグ」を発売した。使用済み電球の口金を再利用するなどしてコストを下げ、従来品より品質がよく、価格が3〜5割ほど安かったとされる[1]。

2年後の1920年(大正9年)には「2灯用クラスタ」(二股ソケット)が製品化された。ひとつの電灯ソケットから2系統の電源が取れるため、部屋のあかりをつけたまま電気アイロンやこたつが使え、評判になった[2]。ここで大事なのは、売り文句が「電気がたくさん使える」ではなく、「あかりを消さずに使える」だった点である。取り出し口が一つしかない前提を、そのまま映している。

1931年(昭和6年)の広告にも、2灯用クラスタは電気こたつと並んで載っていた。電灯以外の電化製品を使うには、これらが必需品だったという[2]。コードの先に差し込み口を付けた現在の延長コードとは構造が異なるが、「一つしかない取り出し口を道具で増やす」という役割は共通している。この点で、取り出し口を増やす工夫の先例と読める(延長コード・タップの直接の系譜とまでは言えない)。ただし、これは同社の資料にもとづく整理であり、他社や海外の製品を含めた起源の確定ではない。なお、家電Watchの記事(2022年)は、アタッチメントプラグが現在「セパラボディ」の名で売られ、祭りの出店や漁船で見かけると紹介している[3]。

3. 家に 電気せいひんが ふえると どうなったの?

3. 電化製品がふえると、取り出し口は足りなくなった

3. 電化製品の増加と配線:壁の中のコンセントとテーブルタップ

昭和の 20年代(1945年から 1954年ごろ)、家に 電気せいひんが ぐんぐん ふえました。ところが、電気を とる 場所が 足りません。ひとつの 場所に たくさん つなぐと、あぶないので、電気会社などが 正しい つかい方を 広める 運動を しました[2]。

1958年に、スイッチや コンセントを ひとつの はこに 3こまで つけられる きぐが 開発されました。かべの 中に うめる 工事へと、すすんで いきます[2]。

かべに コンセントが ふえると、そこに さして 口を ふやす どうぐが、いまの 延長えんちょうコードや タップです。

ここで 気を つけたい ことが あります。1958年は、その 会社が 開発した 年です。「この 年に 日本中の 家に コンセントが 広まった」と いう 意味では ありません。

昭和20年代に入ると、急増する電化製品に配線の設備が追いつかなくなりました。定格容量を大きく超える「タコ足配線」が広がったため、電力会社・配線器具の業界・メーカーの3業界が「適正配線運動」を進めたと、パナソニックの資料にあります[2]。

取り出し口を分けるだけでは、家電の増え方に追いつけなかったのです。そこで工事そのものが変わっていきます。1958年(昭和33年)、同社はスイッチやコンセントを1つのボックスに3個まで付けられる「埋込連用器具」を開発し、配線は壁の外を這わせる方式から壁に埋め込む方式へ進みました[2]。

壁のコンセントに差して口をふやす「タップ」へ

壁にコンセントが増えると、そこに差して口を増やす道具が、いまの延長コードやテーブルタップです。「テーブルタップ」は和製英語とされます[5]。

注意したいのは、1958年が「1社の開発年」だということです。この年に全国の家へコンセントが広まったという意味ではありません。

ソケットを分ける道具が定着すると、次の問題が出てきた。取り出し口が増えても、1本の配線に流せる電気の量は決まっている。昭和20年代、急増する電化製品に配線設備が追いつかず、定格容量を大きく超える「タコ足配線」が横行した。各地で電気事故が起きたことから、電力会社・配線器具工業界・メーカーの3業界が「適正配線運動」を展開した、とパナソニックの資料は記す[2]。

配線のしかたそのものが見直されたのが、1958年(昭和33年)である。同社はスイッチやコンセントを一つのボックスに3個まで取り付けられる埋込連用器具を開発し、配線工事は露出型から壁埋め込み型へ進んだ[2]。そのため「ソケットを分ける」のではなく「最初から壁に差し込み口を用意する」方向に変わっていく。ただし、これは1社の開発年にすぎない。この年に日本の住宅へコンセントが広まったと読むのは誤りである。

壁にコンセントが用意されると、そこに差して口を増やす延長コードやテーブルタップが、その後の道具になる。各製品がいつ登場したかを年で言い切れる資料はなく、ここでは年を挙げない。「テーブルタップ」は和製英語とされる[5]。

4. 外国にも 同じ どうぐが あったの?

4. 海の向こうの「extension cord」は、どう始まったのか

4. 米国の事例との比較:ソケット分岐から壁コンセントへ

アメリカにも、にた 話が あります。1904年に、電球の ソケットから 電気を とる 2ほんの さしこみプラグが とっきょに なりました[6]。

1920年の アメリカの ざっしには、「エクステンション コード」の 作り方が のって いたと いいます。25フィート(7.6mほど)が いろいろな ことに ちょうど よいと して います[7]。

ただし 1920年は、ざっしに のった 年です。だれが、いつ はつめいしたかは、わかって いません。

米国にも似た流れがあります。スパーク博物館の記事によると、1904年にハーヴェイ・ハッベルが、電球のソケットから電気を分けて取る2本刃のプラグを特許にしています[6]。日本で二股ソケットが製品になる十数年前のことです。

1920年7月号の米国の雑誌『Electrical Experimenter』は、「extension cord」を、電灯のある家で重宝する小物として、作り方つきで紹介したとされます。端は今の電球ソケットのような形で、長さは25フィート(約7.6m)が多くの用途に向くと書かれていたそうです[7]。

日本で二股ソケットが製品になった1920年と、同じ年です。ただし、これは雑誌に載った年であり、延長コードの発明者や発明年は分かっていません。

同じ構図は米国にもある。スパーク博物館の記事によれば、1904年にハーヴェイ・ハッベルが、電球ソケットのねじ込み口から電気を分けて取る2本刃の差込みプラグで特許を取った[6]。電球ソケットから電気を分けて取る道具が20世紀初めの米国にもあった点は、日本の資料の説明と重なる。日本で二股ソケットが製品化される1920年の16年前のことである。

「extension cord」という道具自体は、1920年7月号の米国の雑誌『Electrical Experimenter』が、電灯のある家で重宝する小物として作り方つきで紹介したと伝わる。端は現在の電球ソケットに似た形で、長さは25フィート(約7.6m)が多くの用途に適すると書かれている[7]。日本で二股ソケットが製品化された1920年と同じ年である。

ただし、この記述は回顧ページ経由の紹介である。しかも1920年は「雑誌に載った年」で、発明年ではない。日本での延長コードの初登場年は、年で言い切れる資料がないため、本稿は「ソケット分岐の道具から、壁のコンセントとタップへ」という流れの説明にとどめ、年は断定しない。

5. 延長えんちょうコードの 「1500W」は なんの かず?

5. 延長コードに書かれた「15A・1500W」の読み方

5. 定格表示を読む:125V・15A・1500Wの関係

いまの 延長えんちょうコードや タップには、「125V 15A 1500W」のように 書いて あるものが おおいと いわれます[5]。「1500W」は、このコードで つかえる 電気の 大きさの 上限じょうげんです。

たとえば 800Wの ドライヤーと 700Wの ヒーターを 一つの 延長えんちょうコードに さすと、足して 1500W。ちょうど 上限じょうげんです。それいじょう ふやすと、あつく なって、あぶなく なります。

ひとつの 口しか ない ソケットから 電気を とって いた 時代と、かわった ところと かわらない ところが あります。口の かずは ふえても、使える 電気の 大きさには かぎりが ある ことです。

日本で売られている延長コードやタップは、電圧125Vまで、電流15Aまで、最大定格容量1500Wまでのものが多いとされます[5]。「W(ワット)」は、電気をどれだけの勢いで使うかを表す単位です。

125Vと15Aをかけると計算上は1875になりますが、製品の表示は1500Wまでです。実際の製品では、箱や本体に書かれた表示に従います。

ここで、昭和20年代の「タコ足配線」の話につながります。問題は、ただ口がたくさんあることではありません。口が多いほど、つい何でもさして、定格を超えやすくなることです[5]。

たとえば800Wのドライヤーと700Wのヒーターを同じ延長コードにさすと、合計は1500Wで上限です。100年前は取り出し口が1つで苦労しました。いまは口が増えた分、「足し算して上限を超えない」ことが、使う人の仕事になりました。

現在の延長コード・タップは、電圧125Vまで、電流15Aまで、最大定格容量1500Wまでのものが多いとされる[5]。ワット(W)は電力の単位で、電圧(V)と電流(A)の積(VA)が目安になる。125×15は計算上1875VAだが、製品の定格表示は1500Wまでである。実際の製品では、本体や箱に表示された値に従う。

この表示の見方は、前の章の「タコ足配線」の問題とつながっている。問題はタップの口が多いことそのものではない。口数が増えるほど、複数の機器を同時にさして合計が定格を超えやすくなる点にある[5]。たとえば800Wのドライヤーと700Wのヒーターを同じタップにさせば、合計は1500Wで上限に並ぶ。

こうして並べると、100年の間に変わったことと変わらないことが見えてくる。変わったのは、取り出し口の数だ。天井のソケット1つから、壁のコンセントとタップで増やせるようになった。変わらないのは、1本の配線で運べる電気の量に限りがあることである。昭和20年代の「適正配線運動」が伝えようとしたのは、その限りの見方だったと読める。

6. 家の コンセントを かぞえて、表示ひょうじを 見て みよう

6. 家のコンセントを数えて、延長コードの表示を探す

6. 手がかり:家の差しこみ口の数と、定格表示の位置

おうちの 人と いっしょに、やって みよう。一つの 部屋に コンセントが いくつ あるか、かぞえます。アイロンや こたつを 使って いた 100年前なら、一つの 部屋に ソケットは 1つでした。

つぎに、おうちの 延長えんちょうコードや タップの 本体や ラベルを 見て、「V」「A」「W」の 書かれた ところを さがします。見つかったら、おうちの 人に 「いちばん 大きい かずは いくつ?」と 聞いて みましょう。

コンセントに さした まま ぬこうと して ひっぱったり、ぬれた 手で さわったりは しません。ぬく ときは、おうちの 人と いっしょに プラグを 持ちます。

家にあるもので、確かめられることがあります。まず、家の中で壁のコンセントがいくつあるかを部屋ごとに数えます。100年前なら、一つの部屋に取り出し口は電灯のソケット1つでした。

つぎに、家の延長コードやタップの本体やラベルを見て、「V」「A」「W」と書かれた表示を探します。表示が見つかったら、「125V・15A・1500W」と書き写して、この記事の数字と同じか比べてみましょう。ちがっていたら、その製品の表示が正しい数字です。

機器の抜き差しはしません。表示を探すだけにして、見るときは家の人といっしょにしてください。ぬれた手でふれるのも禁物です。

調べるための入口を、もう一つ挙げます。パナソニックの「配線器具の歴史」のページは、アタッチメントプラグから現在までを写真つきで説明しています[1]。延長コード自体の初登場年は、まだ誰にも言い切れません。古い家電カタログや雑誌の広告を探せば、新しい手がかりが見つかるかもしれません。

確かめる手がかりは、家の中にある。第一に、部屋ごとに壁のコンセントの数を数える。ソケットが唯一の取り出し口だった1918年当時と比べると、取り出し口の数がどれだけ増えたかが分かる。

第二に、延長コードやタップの本体・ラベルから、V・A・Wの表示を探す。表示の位置や書き方は製品ごとに異なる。見つけた表示をノートに書き写し、本文の125V・15A・1500Wと同じか比べる。ちがえば、その製品の表示が正しい。機器の抜き差しはせず、家の人と一緒に見ること、ぬれた手で触らないことを守る。

資料としては、パナソニックの「配線器具の歴史」(出典[1])や、2018年の配線器具100年の記事(出典[2])が、1918年からの製品の変遷を載せている[1]。ただし、どちらも自社の製品を中心にした資料で、日本全体の家庭への普及年は載っていない。他社や博物館の資料、当時の広告や雑誌を重ねれば、延長コード自体が家庭に広まった時期という、まだ言い切れない部分に近づける可能性がある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の事実は次の資料にもとづきます。日本の製品の年は多くがパナソニックの自社資料によるため、「同社の資料では」と書き分けました。

  1. パナソニック ニュース「配線器具の歴史」 https://news.panasonic.com/jp/stories/12385 (コンセントがなかった当時の住宅、アタッチメントプラグ)
  2. パナソニック ニュース 2018年「配線器具100年」 https://news.panasonic.com/jp/stories/2018/61019.html (2灯用クラスタ、昭和の広告、適正配線運動、埋込連用器具)
  3. 家電Watch「「コンセント」の裏側に、実はスゴい技術と歴史」(2022年11月11日) https://kaden.watch.impress.co.jp/docs/news/1452846.html (いまのアタッチメントプラグ)
  4. 現代ビジネス「11月29日 日本初の公衆用配電が開始(1887年)」 https://gendai.media/articles/-/58590 (電灯の配電開始と普及)
  5. ウィキペディア日本語版「テーブルタップ」 https://ja.wikipedia.org/wiki/テーブルタップ (定格の目安、「テーブルタップ」は和製英語。百科事典の記述なので断定の根拠にはしていません)
  6. Spark Museum "The story of the invention of the electrical plug" https://www.sparkmuseum.org/the-story-of-the-invention-of-the-electrical-plug/ (米国のプラグの歴史)
  7. OneTubeRadio "100 Years of Extension Cords" https://onetuberadio.com/2020/07/07/100-years-of-extension-cords/ (1920年の米国雑誌の回顧)

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