1. 森は、なにから はじまるの?
1. 森は「何もない土地」から、どう始まるのか
1. 一次遷移 ── 繁殖体もない基質から始まる変化
森の 木は、さいしょから そこに あった わけでは ありません。まず、なにも 生えて いない 土地に、小さな 生きものが やって 来ます。
そのあと、草が 生え、わかい 木が そだち、すこしずつ 森に なります。この、生えて いる 植物が 入れかわって いく ことを「せんい」と いいます[1]。
岩や 火山の はいのように、たねも 根も ない 土地から はじまる ものを「一次せんい」と いいます[1]。西之島は、まさに その はじまりを 見られる 島です。
植物の種類が時間とともに入れ替わっていくことを、遷移といいます。植物が自分たちで土や光の条件を変え、その変わった環境に合う別の植物へ席をゆずっていく、という流れです。最後は、あまり変わらない安定した状態(極相)に近づきます[1]。
遷移には2種類あります。岩や火山灰のように、種子も植物もない裸の土地から始まるものが一次遷移です。山火事や伐採のあとのように、土や種、根が残っているところから始まるものが二次遷移です[1]。
西之島の島全体が溶岩と火山灰におおわれたことで、環境省は、生き物の顔ぶれが「リセット」された場所と説明しています[2]。一次遷移を、始まりから観察できる場所です。
遷移とは、植物群落が自らつくる環境の変化によって、構成種が別の種類に入れ替わっていく過程であり、最終的に安定した極相へ向かう[1]。出発点で二つに分かれる。岩などの裸地(種子などの繁殖体も含め植物がない基質)から始まるものが一次遷移、植生の一部または全部が壊れた場所から、土壌中の種子や根が残った状態で始まるものが二次遷移だ[1]。
では、日本で一次遷移の最初の場面をほぼ「まっさら」の状態から見られるのはどこか。環境省は、令和元年12月以降の火山活動で西之島の旧島全体が溶岩と火山灰に覆われ、生物相がリセットされたと述べ、原生状態の生態系が遷移していく様子を確認できる、世界に類のない場所と位置づけている[2]。なお極相は永久に変わらない状態ではなく、災害や伐採があれば遷移はまた前の段階に戻りうる。
2. さいしょに 来たのは、どうして コケと シダ?
2. 最初に来たのは、なぜ胞子の植物だったのか
2. 先駆植物 ── 胞子による長距離分散と、定着を妨げる条件
2025年の 7月、けんきゅうの チームが 西之島に 上りくしました。海ぞいの 火山の はいの 上に、コケが 1しゅるいと、シダが 2しゅるい 生えて いました[3]。ふんかの あとで はじめて 見つかった、りくの 植物です。
コケと シダは、たねではなく「ほうし」という とても 小さな つぶで ふえます。とおくまで はこばれる ちからを もつ 植物です。風などで 島に とどいたと 考えられます[3]。
けんきゅうした 人たちは、ふつうは 先に コケや ちいるいが 出るのに、コケと シダが 同じ ころに 見つかったのは いがいだった、と のべて います[3]。
ただし、島に 植物が ふえるのは かんたんでは ありません。まわりに 島が なくて 遠い こと、しおかぜ、まみずが 少ない ことが、そだつのを じゃまして いる かのうせいが あります[4]。
2025年7月の上陸調査で、2013〜2020年の噴火で植生が消えた西之島の海岸近く、火山礫や火山灰の地面に、コケ植物のユミダイゴケと、シダ植物2種が生育しているのが確認されました。噴火後に初めて見つかった陸上植物です[3]。
この3種は、胞子で遠くまで運ばれる力をもつ「先駆的な植物」と説明されています。風などで島に届いたと考えられます。研究者は、一次遷移の始まりを示す発見としています[3]。一般にはコケや地衣類が先に出るといわれるため、コケとシダが同時に現れたことは意外だったと述べられています[3]。
とはいえ、島に植物が増えるのは簡単ではありません。噴火から5年以上たっても確認された植物はわずかで、極端な地理的孤立、塩害、淡水の不足が定着を強く制限している可能性が示されています。可能性であり、断定ではありません[4]。
2025年7月の上陸調査で、2013〜2020年の噴火により植生が消失した西之島の海岸近くの火山礫・火山灰地に、コケ植物1種(ユミダイゴケ)とシダ植物2種(イワヒメワラビ属の1種、タマシダ属の1種)が生育していた。噴火後初の陸上植物の確認である[3]。
なぜこの順なのか。3種はいずれも胞子による長距離分散能力をもつ先駆的な植物で、胞子が島の外から運ばれて届いたと考えられる。調査チームはこれを一次遷移の開始を示す発見とした[3]。一般にはコケ・地衣類が先に現れるとされ、コケとシダが同時に確認されたのは意外だったと研究者は述べている[3]。
では、なぜ植物は少ないのか。研究チームの発表は、噴火から5年以上たっても確認種がわずかであることから、極端な地理的孤立、塩害、淡水環境の不足が定着を大きく制限している可能性を示した[4]。これは可能性の指摘で、各要因の寄与の大きさまでは述べられていない。
3. 生えた 植物が、つぎの 年には きえた?
3. 一度見つかった植物が、次の年に消えていた
3. 侵入と消失 ── 遷移は一直線に進まない
西之島では、ふしぎな ことも わかりました。2026年の 7月、環境省の 調さで、コケと そうるいが 生えて いる ことが たしかめられました[2]。
でも、前の 年に シダが 見つかった みぞでは、シダが きえて いました。べつの みぞで、あたらしく 植物が 見つかりました[2]。
環境省は、「入って きては きえ、また 入る ことを くりかえしながら、せんいが すすむ」しょうこだと せつめいして います[2]。
2016年の 西之島にも 草は ありました。オヒシバと いう 草が、火山の はいの 上で たねを つけて いました[5]。でも その 草は、のちの 火山かつどうで 島が おおわれた とき、また いちど なくなりました[2]。森は、まっすぐ 大きく なる だけでは ないのです。
2026年7月の環境省の調査では、藻類とコケ植物の生育と、コケの胞子体が確認されました。前年にシダが見つかった溝は消えていて、別の溝で植物が見つかっています。昨年のシダは見つかりませんでした[2]。
環境省は、これを「侵入と消失を繰り返しながら遷移が進んでいる」ことを示す証拠としています[2]。遷移は、一歩ずつ前へ進む階段とは限りません。入ってきては消え、また入ってくる、ゆれ動きをふくんだ道のりのようです。
思い出されるのが、2016年10月の最初の上陸調査です。火山灰が積もった旧島に、オヒシバやスベリヒユが生え、オヒシバは多くの種子をつけ、新しい芽生えも出ていました。アオツラカツオドリが火山灰の上で抱卵していたと報告されています[5]。それでも、令和元年12月以降の火山活動で旧島全体が溶岩と火山灰におおわれ、生物相はリセットされました[2]。
2026年7月の環境省の調査では、藻類とコケ植物の生育に加え、コケの胞子体が確認された。一方、前年にシダが確認された溝は消失しており、別の溝で植物が確認され、昨年のシダは見つからなかった。環境省はこれを、侵入と消失を繰り返しながら遷移が進んでいる証拠とした[2]。ここでいう「消失」の原因までは、発表からは読み取れない。
2016年10月の初の上陸調査では、旧島の火山灰堆積地にオヒシバやスベリヒユが生育し、オヒシバは多数の種子をつけ、新しい芽生えも出ていた。火山灰の上ではアオツラカツオドリが抱卵していた[5]。ところが令和元年12月以降の火山活動で旧島全体が溶岩・火山灰に覆われ、環境省はこれを生物相のリセットと位置づけた[2]。
この二つの場面から、遷移を「裸地→草本→低木→高木」という直線の模式図でだけ理解すると、現実の島の出来事を取りこぼすことが分かる。模式図は平均的な方向を示すもので、個々の場所では侵入と消失が重なる。
4. 草の あとは、どんな 木が 生えるの?
4. 草の次に、明るい林から暗い林へ
4. 陽樹林から陰樹林へ ── 暗い林床がつくる入れ替わり
すこし 先の 話を しましょう。草が 生えて 土が できると、そこへ わかい 木が 入って きます。日なたが すきな 木が そだつ ことが おおいと 学校で まなびます[6]。
木が 大きく なると、林の 中は くらく なります。日なたが すきな 木の 子どもは、くらい 地めんでは そだちにくく なります[6]。かわりに、うす暗くても そだつ 木が 大きく なって いきます。
こうして、森の 木の 顔ぶれが かわって いきます。木が 自分で 林を くらく する ことで、つぎの 木に 場所を ゆずる のです。
ところで、たねは だれが 運ぶのでしょう。ブナの 林を 3年 しらべた 研究では、わたり鳥の ほうが 定住の 鳥より、たねを 遠くへ 運ぶ ようすが 見られた という ことです[7]。
遷移の中盤では、日光を好む「陽樹」が育ちます。ところが陽樹が茂った林の地面は暗くなります。そこでは陽樹の芽生えは育ちにくく、暗さに耐える「陰樹」の芽生えが育つため、陽樹林は陰樹林へ移ることが多い、と高校の生物では説明されています[6]。
ここで大事なのは、木が自分で環境を変えている点です。陽樹は、自分たちの影が次の世代の邪魔になるように、林をつくりかえます。遷移を、植物たちが環境を変えながら進む入れ替わりと呼ぶのは、このためです[1]。
極相の木は、気候によって違います。日本のなかでも、ブナ林や照葉樹林など、場所の気候で違う姿になります。また、極相に達しても、災害や伐採があればまた前の段階に戻ります[1]。
種を運ぶのは風や鳥などです。ブナ林を3年間調べた京都大学の研究では、森全体の実が多い年ほど鳥が種を運ぶ割合が下がり、距離も短くなりました。同じ実の量なら、渡り鳥のほうが定住性の鳥より遠くへ運ぶ傾向が示唆されています[7]。
遷移の中盤では、光を好む陽樹が定着して陽樹林が形成される。しかし陽樹林の林床は暗く、陽樹の芽生えは育ちにくい。一方で暗い林床では陰樹の芽生えが育つため、陽樹林は陰樹林へ移行することが多い[6]。入れ替わりの原因が、外からの力ではなく、先に育った植物が自ら変えた光環境にある点が、遷移の定義と対応している[1]。
ただし、どの樹種が最終的な極相をつくるかは気候帯で異なり、ブナ林や照葉樹林など地域で違う。したがって「陽樹→陰樹」はあくまで基本形であり、すべての地域に同じ樹種を当てはめることはできない。また極相は永久不変ではなく、災害や伐採で段階が戻りうる[1]。
種子の運び手についても、一般化には慎重さが要る。ブナ林での3年間の調査では、森全体の果実が多い年ほど鳥による種子散布の割合が下がり距離も短くなり、同じ果実量なら渡り鳥のほうが定住性の鳥より遠くへ運ぶ傾向が示唆された[7]。これは示唆であり、特定の1つの林の結果である。
5. 人が 森を つくった 話
5. 人が「森のつくり方」を計画した、明治神宮の森
5. 明治神宮の森 ── 遷移を見こして設計された人工林
東京の まん中に ある 明治神宮の 森は、じつは 人が つくった 森です。大正2年(1913年)に、つくる ことが きまりました[8]。
森に なる 土地は 70ヘクタールほど。その うち、もとから 林だった ところは 8ヘクタールほど だけで、ほとんどは 草が 生えた あれ地でした[9]。ぜんこくから 10まんぼんほどの 木が おくられ、のべ 11まん人ほどの 青年が 植えました[9]。
ただ 木を 植えるのでは ありません。林学の 先生たちは、スギだけに せず いろいろな 木を 植え、50年後、100年後、150年後の 森の ようすを 絵に して 考えました[9]。人の 手を かけなくても、自分で 森が つづく ことを ねらった のです。
東京の明治神宮の森は、約100年前に人が計画してつくった森です。造営が決まったのは大正2年(1913年)です[8]。約70ヘクタールのうち、造営時にもとから樹林だったのは約8ヘクタール。大半の約89%は、雑草の茂る荒れ地でした[9]。
全国から約10万本の木が献木され、延べ約11万人の青年が植えました[9]。人手をかけて植えたのは、はじめだけです。
林学者たちは、スギ一色にはしませんでした。多くの樹種を混ぜて植え、50年後・100年後・150年後の林の姿を予想して、人手をかけずに木の実が芽を出し、倒れた木のあとに別の木が育つ「天然更新」で自然林になる計画を立てました[9]。人がやろうとしたのは、遷移の長い時間を、はじめの一歩だけ手伝うことでした。
2013年の第2次総合調査では、森は予想図の100年後・150年後の姿に近づいている、と報告されています[9]。ただし、これを「極相に達した」と言い切れる資料までは、ここでは確かめていません。
明治神宮の森は、遷移の理論を前提に設計された人工林である。造営は大正2年(1913年)に決定された[8]。約70haのうち造営時の既存樹林は約8haで、約89%は雑草が茂る荒蕪地だった。全くの更地ではなかった点には注意が要る[9]。全国から約10万本が献木され、延べ約11万人の青年が植栽に当たった[9]。
設計の核心は、スギなど単一樹種にせず、多様な樹種で構成し、50年・100年・150年後の林相を予測して、人為を加えずに天然更新で自然林へ移行させる計画にあった[9]。つまり設計者は、「人が最初に植えれば、あとは遷移が森を育てる」と見込んだことになる。
では結果はどうか。2013年の第2次総合調査は、森が予想図の100年後・150年後の姿に近づいていると報告している[9]。「近づいている」であって、極相に達したと断定する資料は、ここで扱ったものには無い。西之島が遷移の最初の場面を、明治神宮が百年単位の設計と検証を示している。
6. 近くの あき地で、なにが 先に 生えるかな
6. 近所の空き地で、最初に生える草を見てみる
6. 身近な場所で入れ替わりを確かめるために
西之島に 行かなくても、せんいの はじまりは 近くで 見られる かもしれません。学校や 家の 近くの、道の すみや あき地を さがして みましょう。
見つけた 場所を、1つ 決めます。そこに 生えて いる 草や コケを、ノートに 絵で かきます。ひと月 たって、もう 一度 おなじ 場所を 見ます。ふえた もの、きえた ものは ありますか。
草むらの 中には 入らず、道から 見ます。植物は とらないで ください。人の 土地には 入らないで、おうちの 人と いっしょに 行きましょう。
近所の道の端や空き地、公園の隅にも、小さな遷移が見られるかもしれません。場所を1つ決めて、生えている草やコケの種類を、ノートに絵や言葉で書き出します。1か月後に同じ場所をもう一度見て、増えたもの、見当たらなくなったものを比べます。
西之島の「侵入と消失」と同じように、入れ替わりは一方向ではなく、行ったり来たりするかもしれません。草むらには入らず、道から見える範囲にして、植物は採らないようにしてください。人の土地には入らず、保護者と一緒に行きましょう。
遷移の観察は、身近な空き地でもできる。場所を1か所決め、確認できた種を記録し、1か月ほどたってもう一度同じ場所を記録して、増えた種と見られなくなった種を比べる。西之島の知見と同じく、入れ替わりが一方向ではない例が見つかるかもしれない。観察は道路から見える範囲にとどめ、植物は採取せず、私有地には入らない。
資料としては、西之島の最新の確認状況は京都大学の発表[3]と環境省の報道発表[2]、遷移の定義は百科事典の解説[1]、明治神宮の森の設計は解説記事[9]が日本語で読める。陽樹・陰樹の交代と種子散布の議論は、地域や調査の条件で結果が変わるため、読むときは「どこで、何年調べたか」に注目するとよい。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
出典について:辞典・百科事典、大学と省庁の発表、財団の会報、解説記事を使った。何に使ったかは、各項目の最後に書いている。
- コトバンク「遷移」(デジタル大辞泉・世界大百科事典)。https://kotobank.jp/word/遷移 (遷移・一次遷移・二次遷移・極相の説明について。二次資料)
- 環境省 報道発表(西之島の調査結果)。https://www.env.go.jp/press/press_05562.html (西之島の生物相のリセットと、侵入と消失について)
- 京都大学 研究成果「西之島で噴火後初の植物の生育を確認」(2026年7月17日)。https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2026-07-17 (西之島で最初に見つかった植物について)
- 研究チームの報道発表(共同通信PRワイヤー)。https://kyodonewsprwire.jp/release/202606231281 (植物の定着を制限する可能性のある要因について)
- Ocean Newsletter 第394号(笹川平和財団)。https://www.spf.org/opri/newsletter/394_3.html (2016年の最初の上陸調査の様子について)
- 高校生物の教材解説「生物IB 生態系」(ウィキブックス)。https://ja.wikibooks.org/wiki/高等学校生物/生物IB‐生態系 (陽樹林から陰樹林への入れ替わりについて。二次資料)
- 京都大学 研究成果(2018年10月15日)。https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/research-news/2018-10-15 (ブナ林での鳥による種子散布について)
- 現代ビジネス「明治神宮の森」の記事。https://gendai.media/articles/-/111010 (造営の決定年について。報道)
- nippon.com「明治神宮の森」。https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00866/ (造営時の土地の状態、献木の数、森の計画と調査について。二次資料)
なおした ところ
更新履歴
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