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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

フォークの さきは、どうして なん本も あるの?

フォークの先は、なぜ二本から四本に増えたのか

フォークの先はなぜ増えたのか ── 1611年にからかわれた旅行者から、四本が標準になるまで

分野:歴史・文化

むかしの フォークは、さきが 2本 しか ない ものが ふつうでした。いまの 4本の フォークは、そのあとで ふえた かたちです[1]。

どうして ふえたのでしょう。はじめは にくを おさえる ための どうぐで、のちに 口へ はこぶ やくも もつように なったからと せつめいされます。そのあいだに、フォークを つかって からかわれた 人も いました。くわしい ところが わかります。

いま家の引き出しにあるフォークは、先が四本のものが多いはずです。ところが、400年ほど前のイギリスでは、食事用のフォークそのものがめずらしく、使った旅行者が仲間に「フォークを持つ者」とあだ名をつけられました[5]。

先の数は、最初から四本だったわけではありません。二本から三本、四本へと変わった背景に、食べ物を「押さえる」道具から「口へ運ぶ」道具へという役目の変化があるとされます。その流れと、四本になった理由の説がいくつもあることが分かります。

1611年、あるイギリス人旅行者がイタリアで見た小さなフォークを帰国後も使い、仲間から「フォークを持つ者」を意味するあだ名で呼ばれた[5]。当時のイギリスでは、食事用のフォークは気取りと見られていたからである[3]。

では、この道具の先はなぜ増えたのか。考古学の解説は、役目が肉を押さえることから食べ物を口へ運ぶことへ移ったためと説明する[1]。ただし四本に落ち着いた理由を一つの決定で示す資料はなく、諸説がある。その説明の根拠と限界が分かる。

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1. ステーキを きる とき、フォークは なにを して いる?

1. ステーキを切るとき、左手のフォークは何をしているのか

1. 肉を切る場面で、フォークの先は何を担っていたのか

ステーキを ナイフで きる ところを おもいうかべて ください。ナイフを うごかす ときに、フォークは 肉を ぐっと おさえて います。

むかしの フォークの おもな しごとは、この「おさえる」ことでした。それが だんだん、たべものを 口へ はこぶ どうぐにも なって いきます。さきの かずが ふえたのは、この しごとの かわりかたと かんけいが ある、と せつめいされます[1]。

これが、この 記じの 問いの こたえの ひとつです。このあと、いつ、どんな 人が、なん本の フォークを つかったのかを 見て いきます。

ちなみに フォークという なまえは、ラテン語の「ふたまたの どうぐ」から きたと いわれます。ほしくさを すくう どうぐの ことです[4]。

ステーキをナイフで切る場面を思い浮かべてください。ナイフを前後に動かすあいだ、左手のフォークは肉が逃げないように押さえています。

考古学の解説によると、フォークは初め、肉を切るときに食べ物を押さえるのが主な役目でした。先の数は時代とともに増えましたが、それは役目が「押さえる」から「食べ物を口へ運ぶ」へ移ったためだと説明されています[1]。これが、この記事の問いへの答えの要点です。二本でも肉は押さえられますが、口へ運ぶとなると事情がちがってきます。

名前の由来も、この道具の出自を物語っています。英語のforkは、ラテン語で干し草用の二股の道具を指すfurcaから来たといわれます[4]。もとは、二本の先で物を押さえたり、すくったりする形でした。

では、そのフォークが食卓に現れたとき、人々はどう受けとめたのでしょうか。1611年のイギリスに、からかわれた旅行者がいました。

ステーキをナイフで切る場面を考えてみると、左手のフォークの仕事は、肉が動かないように押さえることだと分かる。考古学の解説は、フォークの先の数が時代とともに増えた理由を、役目が「切るときに食べ物を押さえる」ことから「食べ物を口へ運ぶ」ことへ移ったためと説明する[1]。これが、この記事の問いへの答えの要点である。押さえるだけなら二本で足りるが、口へ運ぶ道具になれば、食べ物をのせる面の広さが問題になる。この点は、あとの章で説の違いとともに扱う。

語源も、もとの形を示している。英語のforkはラテン語のfurca、つまり干し草などを扱う二股の道具に由来すると説明される[4]。つまり、食卓の道具になる前から、二本の先で物を押さえる、すくうという形はあった。

問題は、この道具が食卓でどう受けとめられたかである。ここでは、ヨーロッパの端のイギリスで、1611年にフォークを使って仲間にからかわれた旅行者を手がかりにする。

2. フォークを つかって、なぜ からかわれたの?

2. 1611年、フォークを使った旅行者はなぜあだ名をつけられたのか

2. 食事用フォークが「気取り」と見られた17世紀初めのイギリス

1611ねん、トマス・コリヤットという イギリスの 旅行者が、旅の きろくを 本に しました。イタリアでは、食事の ときに 小さな フォークを つかうと 書いて います。ほかの 国では 見ない、とも 書きました[2]。

みんなで おなじ 大皿から とる ので、ゆびで さわられるのを いやがるから、という わけも 書いて あります[2]。

コリヤットは かえってからも フォークを つかいました。すると ともだちに「フォークを もつ 人」という あだ名を つけられました。この ことばには、わるものと いう いみも あります[5]。

そのころの イギリスでは、食事用の フォークは まだ 知られて いませんでした。「イタリアから もちこまれた きどり」と 見られたのです[3]。

そんなに めずらしい どうぐでも、このころの フォークは 2本さきでした。では、いつから 数が かわったのでしょう。

旅行記に書かれた「小さなフォーク」

1611年、イギリス人の旅行者トマス・コリヤットは旅行記『Crudities』に、イタリア人は食事のとき小さなフォークを使い、ほかの国では見かけないと書きました。理由として、皿をみんなで共有するので、素手で触られるのを嫌うからだとも記しています[2]。

仲間がつけたあだ名

コリヤットは帰国後もフォークを使い、友人にfurciferとあだ名されたと伝えられます。ラテン語で「フォークを持つ者」の意味ですが、「悪党」の意味もある言葉です[5]。

ロンドンの博物館(V&A)の解説でも、イギリスでは食事用のフォークは17世紀初めまで知られておらず、イタリアやフランスの訪問者を驚かせたと説明されます。「イタリアから来た気取り」と見られたというのです[3]。コリヤットが最初にイギリスへ持ちこんだと言い切れる資料は今回の材料にはなく、そう評価されることが多い、というところまでです。

この博物館の収蔵品の中に、刻印のあるものとして最も古いイギリス製のフォーク(1632〜33年)があります。先は二本です[3]。では、その二本は、いつ、どう増えていったのでしょうか。

1611年、トマス・コリヤットは旅行記『Crudities』に、イタリア人は食事のとき小さなフォークを使い、他の国では見ない、と書いた。理由は、皿を共有するので指で触られるのを嫌うから、という説明である。引用はPopular Science Monthlyの1889年の記事によるものである[2]。

コリヤットは帰国後も使い続け、友人にfurcifer(ラテン語で「フォークを持つ者」。「悪党」の意もある)とあだ名された[5]。からかいの言葉に「悪党」の意味も重なっている点が、当時の見られ方を示す。

それを裏づけるのがV&Aの館蔵品の解説である。肉を食べるためのフォークは17世紀初めまでイギリスでは知られておらず、イタリアやフランスの訪問者を驚かせた。「イタリアから来た気取り」と見られたという。刻印のある最古のイギリス製フォークは1632〜33年のもので、先は二本である[3]。ただし、コリヤットが「最初にイギリスへ持ちこんだ人」だと断定する資料はない。そう評価されることが多い、という位置づけにとどめる。

なお、フォーク自体はもっと古い。個人用の食卓フォークは東ローマ(ビザンツ)帝国で生まれたとみられ、11世紀のイタリアの記録にも二本先のものが出てくる。ただし当時は広まらず、17世紀まで一般的にならなかったと説明される[2]。ビザンツの王女にまつわる逸話は人名や年が資料でまちまちなので、「といわれる」の域を出ない。

先が二本で、気取りと見られた道具が、どう一般化したか。次はそこを見る。

3. 2本から 4本へ、いつ ふえたの?

3. 二本が長く続き、四本は1760年ごろに現れた

3. 二本・三本・四本の並行期間 ── 英国と北米のフォークの先

2本さきの フォークは、イギリスと アメリカで、1600年代の おわりごろから 1800年代の はじめまで、ひろく つかわれました[1]。

3本さきの ぎんの フォークも、1600年代の イギリスで つくられて います[1]。

4本さきの フォークが はじめて あらわれたのは、1760年ごろと いわれます。1800年代には、ほとんどが 4本に なりました[1]。ただし 年は しりょうに よって ちがうので、「1700〜1800年代ごろ」くらいに おぼえて ください。

デザート用の フォークは、いまでも 3本の ことが 多いと いわれます[4]。

では、どうして 4本に おちついたのでしょう。

考古学の解説では、鋼の二本先フォークは17世紀後半から19世紀初めまで、イギリスと北米で広く使われました。同じ17世紀のイギリスで、三本先の銀のフォークも作られています[1]。

四本先が最初に現れたのは1760年ごろ、オールド・イングリッシュ型の食器とされ、19世紀にはフォークはほとんど四本先になりました[1]。ただし、資料によって登場の時期が18世紀初めだったり19世紀初めだったりとまちまちなので、「18〜19世紀ごろ」と幅をもたせて読むのが安全です。

三本が消えたわけではありません。Wikipediaは、デザート用は通常三本先で、四本先の形が一般的になったのは19世紀初めだと述べます[4]。

つまり二本の時代は長く、その途中に三本が混じり、やがて四本が主流になった、という流れです。それでは、なぜ四本だったのでしょうか。

二本先の鋼のフォークは、イギリスと北米で17世紀後半から19世紀初めまで広く使われた。同じ17世紀のイギリスでは、三本先の銀のフォークも作られている[1]。したがって、二本の時代の中に三本がすでに混じっていたことになり、「二本→三本→四本」と順に入れ替わったと単純に考えると、実態からずれる。

四本先が最初に現れたのは1760年ごろで、オールド・イングリッシュ型の食器にみられるとされ、19世紀には、ほとんどが四本になった[1]。ところが、登場の時期は資料によって18世紀初め、19世紀初めなど食いちがう。そのため、この記事では「18〜19世紀ごろ」という幅で扱い、特定の年を示す書き方は避ける。

Wikipediaには、デザート用は通常三本先で、四本先の形が一般的になったのは19世紀初めという記述がある[4]。用途ごとに本数が分かれたまま残ったことは、先の数が単線的に増えたのではなく、用途に応じて選ばれてきたことを示唆する。ただし、これは本数の違いからの推測であって、資料が用途別の選択を説明しているわけではない。

では、四本が標準になった理由は何か。次の章では、複数の説を並べて比べる。

4. どうして 4本に なったの? いくつかの せつが あります

4. 四本になった理由は、一つの決定では説明できない

4. 四本が標準になった理由 ── 運びやすさ・料理の変化・伝承

ひとつの 大きな できごとで 4本に きまった、という しりょうは ありません。いくつかの せつが あります。

ひとつめは、「はこびやすさ」です。たべものを 口へ はこぶ どうぐに なると、のせやすい ほうが よいでしょう[1]。

ふたつめは、フランスの はなしです。エンドウ豆などの あたらしい 食べものが はやった とき、さきが 多いほど たくさん のせられた、という せつめいも あります[6]。

みっつめは、でんしょうです。ナポリの 王さまが、スパゲッティを じょうひんに たべる ために 4本さきを つくらせた、という はなしも つたわります。でも ほんとうかは わかりません[7]。

どの せつが ただしいのか、決まって いません。みなさんは どれが ありそうだと 思いますか。

説1:口へ運ぶための形

先が増えたのは、フォークの役目が「押さえる」から「口へ運ぶ」へ移ったためという説明です[1]。運ぶなら、食べ物をのせる面は広いほうが落としにくくなります。

説2:新しい料理にあわせて

フランスでは、エンドウ豆などの新しい食べ物が流行したとき、先が多いほどたくさんのせられた、という説明があります[6]。ただし、これは一つの記事の説明で、ほかの資料で確かめられたわけではないので、断定はできません。

説3:ナポリの王様の伝承

四本先の基本の形は、ナポリの王様がスパゲッティを上品に食べるために考案させたという話もあります。日本語の解説記事は、これを伝承として紹介しています[7]。史実として書かれた資料ではないので、こんな話も伝わる、というところまでです。

このうち、一つの決定や発明者で四本を説明する一次資料はありません。複数の事情が重なったと読むのが、いまの資料からはいちばん自然です。

それなら、出てきたフォークの先の数さえ分かれば、時代まで分かるのでしょうか。

四本が標準になった理由を、一つの決定や発明者で説明する一次資料は見当たらない。以下の説が併存している。

第一は、役目の移り変わりによる説明である。考古学の解説は、先の数が時代とともに増えたのは、フォークの機能が食べ物を押さえる道具から口へ運ぶ道具へ移ったためと述べる[1]。のせる面が広いほうが運びやすいという推論には筋が通るが、「なぜ四本なのか」を数の面から決めた説明ではない。

第二は、料理の変化との結びつきである。Medievalists.netの記事は、フランスでエンドウ豆などの新しい食べ物が流行したとき、先が多いほど多くのせられた、という説明を紹介する[6]。ただし一つの記事の説明であり、ほかの資料で裏づけが取れているわけではない。

第三は、ナポリの王様がスパゲッティを上品に食べるため四本先を考案させたという伝承である。日本語の解説記事は、逸話として紹介するにとどめている[7]。史実としての根拠は示されていないので、この記事も事実としては扱わない。

三つの説は、役目、料理、人物と、説明の軸がまったく異なる。互いに排除し合うものではなく、複数の事情が重なった可能性もある。一方で、どの説も先が「ちょうど四本」である理由までは示していない。こうして見ると、答えが一つに決まらないことが、この問いのいちばん正確な姿だと言える。

では、出土したフォークの先の数から、年代はどこまで言えるのだろうか。

5. さきの 数を 見れば、いつの 時代か わかる?

5. 先の数だけでは、フォークの年代は決められない

5. 本数による年代判定の限界 ── 古いフォークにも二本や五、六本があった

2本は むかし、4本は あたらしい、と 思いたく なります。でも、そう かんたんでは ありません。

こうこがくの かいせつは、さきの かずは、いつの ものかを きめる たしかな めやすには ならない、と ちゅういして います[1]。

ふるどうぐの いちで うられて いる 古い フォークには、2本の ものも、5本や 6本の ものも あると いう はなしも あります[7]。

さきの かずは、時代の おおまかな ながれを しめす ヒントです。それだけで ぴったり きめることは できません。

先の本数は、大まかな時代の流れを示すヒントになります。ただし、考古学の解説は、それは年代を決める確実な方法としては使えないと注意しています[1]。

理由の一つは、すでに見たように、二本の時代の中に三本が混じり、四本が主流になったあとにも三本が残ったことです。本数が時代で単純に切り替わったわけではありません。

日本語の解説記事も、蚤の市に出る古いフォークには先が二本のものや五、六本のものがあると紹介しています[7]。本数のばらつきは、地域・用途・作り手の工夫を反映しているのでしょう。

つまり先の数は、「この時代にはこの本数が多かった」という傾向をつかむために使い、一つ一つの年代を決める証拠としては、刻印や素材など別の手がかりと合わせて読むものです。

本数が年代の目安になるかについて、考古学の解説は、確実な年代決定の方法として常に使えるわけではない、と明記している[1]。

前の章で見たように、本数は年代順に一本線で切り替わったわけではない。二本が広く使われた17世紀後半〜19世紀初めの間にも三本が作られ、四本が主流になった後もデザート用の三本が残る[1][4]。そのため、出土したフォークが三本だからといって、17世紀とも19世紀とも決められない。

さらに、日本語の解説記事は、蚤の市に並ぶ古いフォークの先が二本のものだけでなく、五、六本のものも含むと伝えている[7]。これは売り手の話に近い情報であり、年代や産地までは分からない。ただし、二本から四本へという筋だけでは収まらないことを示す材料にはなる。

つまり、先の数が語るのは傾向であって、個々の資料の年代ではない。年代の判断には、刻印(V&Aの最古のイギリス製フォークは1632〜33年と刻印から分かる[3])や素材、形式など複数の手がかりを組み合わせる必要がある。

ここまでの見方を、手もとの食器で試すことができる。

6. うちの フォークの さきは、なん本?

6. 引き出しのフォークで、先の数とすき間を見比べる

6. 手もとのフォークで確かめる ── 本数・すき間・用途

おうちや おみせの フォークを、すうほん あつめて みましょう。さきの 数を かぞえて、ならべます。

ケーキ用や デザート用の フォークは、ふつうの ものと 数が ちがうかも しれません。デザート用は 3本の ことが 多いと いわれます[4]。

こどもよう、おとなよう、ケーキよう。どれが どの 数か、ノートに かいて みると、おもしろい はっけんが あるかも しれません。

フォークの さきは とがって います。人や 自分の 顔に むけないで、おうちの 人と いっしょに さわって ください。

引き出しのフォークを何本か集めて、先の数を数えてみましょう。ふつうの食事用、子ども用、ケーキ用で、本数やすき間の広さがちがうかもしれません。

見比べるときは、「これは押さえる役か、運ぶ役か」と考えてみると、形の理由を想像しやすくなります。たとえば、肉やハンバーグを切るときと、ケーキをすくうときで、すき間の使い方はどうちがうでしょうか。

先は尖っているので、人や自分の顔に向けないようにし、家の人と一緒に扱ってください。

もっと調べたいときの入り口として、考古学の解説[1]はフォークの先の数の移り変わりを短く説明していて、ロンドンの博物館の収蔵品ページ[3]は現物の写真とともに最古級のイギリス製フォークを紹介しています。

手もとのフォークを数本集め、先の数、すき間の広さ、用途を表にしてみるとよい。本数が増えるにつれて役目が押さえる側から運ぶ側へ移ったという説明[1]が、実物でどの程度納得できるかを自分の目で判断できる。デザート用が三本のものが多いかどうか[4]も、家の食器で確かめられる。

確かめるときに注意したいのは、サンプルが家庭のものに偏る点である。先の数は、製造者や形式の違いも反映する。1つか2つの例で一般化せず、傾向として読む。

先は尖っているので、人に向けず、保護者と一緒に扱うこと。

原典に当たるなら、考古学の解説[1]は先の数と年代判定の限界を、V&Aの収蔵品ページ[3]は1632〜33年のイギリス製二本先フォークを、Popular Science Monthlyの1889年の記事[2]はコリヤットの旅行記の引用を含む歴史の概説を、それぞれ載せている。年代・名称の食いちがいに注意して読み比べると、何が確かで何が説なのかが見えてくる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:考古学の解説、博物館の収蔵品解説、百科事典、歴史の記事、日本語の解説記事を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. Maryland Archaeology(Jefferson Patterson Park & Museum)「Forks」。https://apps.jefpat.maryland.gov/diagnostic/SmallFinds/Forks.aspx (フォークの先の数の移り変わりと、年代判定の限界について。考古学の解説)
  2. Popular Science Monthly, Volume 35, October 1889「The History of the Fork」。https://en.wikisource.org/wiki/Popular_Science_Monthly/Volume_35/October_1889/The_History_of_the_Fork (コリヤットの旅行記の引用と、初期のフォークについて。古い雑誌記事)
  3. Victoria and Albert Museum「Fork M.358-1923」。https://collections.vam.ac.uk/item/O104714 (17世紀初めのイギリスでの見られ方と、最古級のイギリス製フォークについて。博物館の収蔵品解説)
  4. Wikipedia「Fork」。https://en.wikipedia.org/wiki/Fork (語源と、デザート用フォークの本数について。百科事典)
  5. Wikipedia「Thomas Coryat」。https://en.wikipedia.org/wiki/Thomas_Coryat (あだ名のfurciferについて。百科事典)
  6. Medievalists.net「The Progression of the Fork from Diabolical to Divine」。https://www.medievalists.net/2013/02/the-progression-of-the-fork-from-diabolical-to-divine/ (フランスでの先の数と料理についての説明。ひとつの記事の説明)
  7. All About「フォーク」。https://allabout.co.jp/gm/gc/442014/ (四本先にまつわる伝承と、古いフォークの本数について。日本語の解説記事)

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