1. サラダゆは、どうして できたの?
1. 「生で食べる油」は、なぜ天ぷらの国で生まれたのか
1. サラダ油は何を解決するために作られたのか:1924年の精製油
サラダゆは、1924ねんに にっしん製油という 会社が つくりました。ドイツから、あたらしい あぶらを きれいに する きかいを とりよせて いました。
そのころ、しょくようの あぶらは、おもに てんぷらむきだったそうです。でも、にしの くにには、しおや すを くわえて、ドレッシングのように たべる つかい方も ありました。
ひやしても かたまらず、なまでも つかえる あぶら。それが「サラダゆ」です。この あぶらは、まず サラダ用として うまれ、あとから ふつうの おりょうりにも つかわれる ように なりました。
この 話は 会社の しりょうに のって いる せつめいです。「サラダ」という なまえが どうして ついたかまでは、わかって いません。
日清製油は1923年秋の関東大震災の直後に、最新の精製機械をドイツから輸入しました。1924年に精製工場が本格的に動き出し、「日清サラダ油」と「日清フライ油」を業務用と家庭用に売り出しています[5]。
サラダ油の誕生について、同社の説明を紹介した記事は次のように伝えています。当時、食用油は主に天ぷら向けだった。一方、西洋には塩や酢を加えてドレッシングのように食べる使い方もあった。冷やしても固まらず生でも使える油として、「サラダ油」が生まれたというのです[6]。
つまりサラダ油は、天ぷらをやめさせるために作られたのではありません。天ぷら向けの油しかなかった食卓に、生で使える新しい種類を足したのです。ただし「サラダ」という名前の由来や、海外の食べ方に着想を得たのかどうかは、会社側の説明にとどまり、断定はできません。
それでは、サラダ油より前の揚げ油は、何だったのでしょう。まずは江戸の夜の屋台をのぞいてみます。
日清製油は1923年秋、関東大震災の直後に最新の精製機械をドイツから輸入し、1924年に精製工場を本格稼働させた。同社は両製品を、業務用と家庭用に売り出した[5]。
注目したいのは、この油が生まれた理由の説明である。同社の説明を紹介した記事によれば、当時の食用油は主に天ぷら向けで、西洋には塩や酢を加えてドレッシングのように食べる使い方もあった。そこで、冷やしても固まらず生でも使える油が「サラダ油」として世に出た[6]。
つまりサラダ油は、天ぷらの油を置きかえるものではなく、天ぷら向けが中心だった食用油の市場に「生で使える」という新しい用途を足した製品だった。ただし「サラダ」の名の由来や海外の食習慣との関係は、会社側の説明に限られ、他の資料で裏づけたわけではない。
では、それ以前の揚げ油は何だったのか。出発点は、江戸の夜の屋台にある。
2. えどの よるの やたいで、あげものの あぶらは なにだった?
2. 江戸の夜の屋台は、どんな油で揚げていたのか
2. 江戸の屋台の天ぷらは、なぜごま油で揚げたといわれるのか
えどの まちでは、よるに ひとが おおく とおる ところに、すしと てんぷらの やたいが でて いました。まちごとに 3けんから 4けんほど あったと いいます。
やたいの てんぷらは、ごまあぶらで あげたので「ごまあげ」とも よばれたそうです。ごまあぶらは けむりが でるので、かじに ならないよう、やたいで あげる ほうが よかったと せつめいされます。
そのころの てんぷらは、おもに さかなや かいの ものだったと いわれます。やさいの あげものは、てんぷらとは よばなかったそうです。
これは えどの まちの やたいの はなしで、ぜんこくが おなじだった わけでは ありません。
江戸時代の風俗を記した『守貞謾稿』は、屋台の店は「鮓、天麩羅を専とす」と書いています。寿司と天ぷらの屋台が、夜に人通りの多い場所に、町ごとに3〜4軒ほどあったという紹介があります[3]。
屋台の天ぷらはごま油で揚げたため、「胡麻揚(ごまあげ)」とも呼ばれたと説明されています。揚げ物は油煙が出て、火事の危険もあります。家の中より、屋台のように外で揚げるほうが向いていたというのです[4]。
この頃の「天ぷら」は主に魚介類で、野菜の揚げ物は天ぷらと呼ばなかったともいわれます。いまの天ぷらのイメージとは、少しちがっていたのです。
ただし、これは江戸前の屋台についての説明です。全国どこでもごま油だったと言えるわけではありません。
ところで、ごま油のほかにも油はあったはずです。そのころ、いちばん身近な油は、何に使われていたのでしょうか。
『守貞謾稿』は江戸の屋台について「屋台見世は鮓、天麩羅を専とす」と書き、寿司と天ぷらの屋台が夜の人通りの多い場所に町ごとに3〜4軒ほどあったという[3]。ここで問いたいのは、なぜその天ぷらがごま油だったのか、という点である。
説明では、屋台の天ぷらはごま油で揚げたので「胡麻揚」とも呼ばれた。揚げ物は油煙が出て火災の危険があり、換気も要る。そのため屋台のような屋外の営業に向いていた、という。ただしこの説明は台湾の食情報サイトが日本の研究(守貞謾稿や飯野亮一氏の著作)を紹介したものだ[4]。
当時の「天ぷら」は主に魚介類を指し、野菜の揚げ物はそう呼ばなかったとされる。さらに、ごま油が使われたのは江戸前の屋台についての説明であり、全国一律ではない。
では、庶民にとってもっと身近だった油は何で、何に使われていたのか。
3. あかりの あぶらが、ごはんの あぶらに なったって ほんと?
3. 明かりの油だった菜種油は、どう食卓に上がったのか
3. 灯火用だった菜種油が食用に広がった経緯と、その限界
えどじだい、あかりに つかう あぶらの おもな ものは、菜種あぶらでした。よるの へやを あかるく する、たいせつな どうぐの もとでした。
菜種は そだてやすく、いねを とった あとの たんぼで つくれます。あぶらも しぼりやすく、あかりも あかるいと いわれます。
あぶらは ながい あいだ、あかりや かみさまの ぎしきに つかう たいせつな ものでした。たべものに つかう ことは、えど の おわりごろから めいじに かけて ひろまったと されます。
これは きょうとの あぶらやさんの しりょうに のって いる 話で、ばしょに よって じきは ちがいます。
江戸時代、灯火用の油の主流は菜種油でした[1]。夜に灯りをともすための油が、いちばんたくさん作られていたということです。
京都の油店の資料によると、菜種は栽培しやすく、稲を刈ったあとの裏作ができ、油も搾りやすく、炎が明るい作物でした。油は長いあいだ、明かりや神事に使う貴重品でした。植物油が主に照明に使われる時代は、石油の輸入や電気・ガスが広まる明治まで続いたとされます。食用は早くからあったものの、広く普及したのは江戸後期から明治にかけてだといいます[2]。
ここで一つ、見えてくることがあります。明かりに使われていた油が、電気や石油に役目を譲りはじめたとき、食卓には大きな余地が生まれたのではないか、と考えられます。この資料は一軒の油店のもので、普及の時期は地域によって差があり、京都ではやや遅かったとされています。
菜種やごまの次に、揚げ油の主役へ上がってくるのが大豆の油です。ところが、その始まりは意外にも、肥料づくりでした。
江戸時代の灯火用の油は、菜種油が主流だった[1]。京都の油店の資料によると、菜種は栽培しやすく、稲の裏作として育てられ、搾油もしやすく、炎が明るい。油は長いあいだ明かりと神事のための貴重品で、植物油は石油の輸入や電気・ガスが広まる明治まで主に照明に使われた。食用は早くからあったが、広く普及したのは江戸後期から明治にかけてとされる[2]。
この話から考えられるのは、照明の主役が電気や石油に移ったことで、油の用途が「燃やす」から「食べる」へ比重を移したのではないか、ということだ。ただし、因果をはっきり述べた資料があるわけではなく、これは並べた事実からの推測である。
この資料は京都の油店のサイトで、普及の時期には地域差があり、京都ではやや遅かったとされる。
こうして、ごま油や菜種油が先に用意された。ところが現代の揚げ油の主役の一つ、大豆油の出発点は食用ではなく肥料だった。
4. たべものでは なかった だいずの あぶらが、どうして あげものに?
4. 肥料づくりから始まった大豆油が、食用油になるまで
4. 豆粕づくりから出発した大豆油は、なぜ食用に転じられたのか
にっしん製油は、1907ねんに「にっしん まめかすせいぞう」という 名まえで はじまりました。まんしゅうの だいずから、ひりょうに する「まめかす」を つくる 会社でした。
まめかすは、日本の のうかが ひりょうとして ほしがって いました。だいずを しぼると あぶらも でますが、そのころ だいずゆは、たべものとしては あまり つかわれて いませんでした。
それが、1924ねんに ドイツの きかいで きれいに する ことで、たべられる あぶらに なりました。てんぷら用の「フライゆ」と、サラダ用の「サラダゆ」が、うられるように なりました。
日清製油は1907年に「日清豆粕製造」として創立されました。満洲の大豆から作る豆粕が、日本の農家に有機質肥料として求められていたためです。大豆を搾ると油も出ますが、当時の大豆油は食用としては用途が乏しかったと説明されています[5]。
その大豆油が食用へ向かう転機が、1923年から24年にかけての精製機械の導入でした。大豆油の食用化で同業他社に先んじた日清製油は、「サラダ油」と「フライ油」を売り出しました[5]。つまり、天ぷら向けの揚げ油と、生で使うサラダ油は、同じ会社の同じ設備から、ほぼ同時に出てきたわけです。
ここで「大豆油は肥料づくりの副産物だった」と言い切ると、強すぎます。資料からいえるのは、事業の中心が豆粕で、大豆油は食用の用途が乏しかった、というところまでです。
では、そのころ始まった流れは、いまの台所にどうつながっているのでしょうか。
日清製油は1907年に「日清豆粕製造」として創立された。満洲の大豆から作る豆粕が、有機質肥料として日本の農家に求められていたためである。大豆を搾れば油も得られるが、当時の大豆油は食用の用途が乏しかった[5]。
そこへ、1923年秋に導入された最新の精製機械が加わる。精製された大豆油の食用化で同社は同業他社に先行し、「日清サラダ油」「日清フライ油」を業務用・家庭用に売った[5]。注意したいのは、揚げ油とサラダ油が同じ設備から、ほぼ同時に出てきた点である。第1章で見た「天ぷら向けが主流の市場」に、精製技術が二つの製品を同時に送りこんだことになる。
「大豆油は豆粕の副産物」とまとめたくなるが、資料が述べるのは「事業の中心は豆粕で、大豆油は食用の用途が乏しかった」までであり、副産物と断定することは避けるべきだ。
この動きは、現在の台所の油にどうつながっているのか。
5. いま、あげものの あぶらは どれくらい つかわれて いるの?
5. いまの揚げ油は、どこから来て、どれだけ使われているのか
5. 現在の揚げ油の生産と消費:国産原料に頼れない構造と、使用量の増加
いま、日本で いちばん たくさん つくられて いる しょくぶつの あぶらは、菜種あぶらです。つぎが だいずゆで、だいずゆは ほかの あぶらと まぜて、サラダゆや てんぷらゆにも つかわれます。
ひとり あたりの しょくぶつあぶらの りょうは、1965ねんど 4.6キロでした。2023ねんどには 12.4キロで、およそ 2.7ばい、つまり 3ばいちかくに ふえました。
ただし、菜種も だいずも、ほとんどは がいこくから きた ものを つかって います。
農林水産省によると、国内で搾られる植物油の原油は、菜種油の生産量が最も多く、大豆油が2番目です。菜種油はほとんど無臭に近く、軽くあっさりした味で、揚げ物や炒め物に幅広く使われます。大豆油は他の油とブレンドして、サラダ油や天ぷら油に使われます[7]。
1人あたりの植物油の供給量は、1965年度の4.6キロから2023年度の12.4キロへ増えました。割り算すると約2.7倍で、およそ3倍にあたります。こめ油を除く主要な植物油は、原料の99%以上を海外に頼っています。大豆は2024年度の需要約359万トンのうち、約240万トン(約67%)が油用です[8]。
江戸の屋台から現在の台所まで、使われる油と原料の流れは変わってきました。
農林水産省によれば、国内で搾られる植物油の原油は、菜種油の生産量が最多で、大豆油が2位である。菜種油は無臭に近く軽い味で、揚げ物・炒め物に幅広く使われる。大豆油は他の油とブレンドしてサラダ油や天ぷら油に使われる[7]。
消費の規模も変わった。植物油の1人あたり供給量は1965年度の4.6キロから2023年度の12.4キロへ、割り算で約2.7倍(概数で約3倍)になった。一方で、こめ油を除く主要な植物油は原料の99%以上を海外に頼る。大豆は2024年度の需要約359万トンのうち約240万トン(約67%)が油用である[8]。
変わったことは別々にある。植物油の一人あたり供給量は1965年度の約2.7倍になり、原料はこめ油を除いてほとんどが海外に頼られている。ただし、ここで挙げた数字は供給量などであり、家庭で実際に揚げ物に使われた量ではない。
6. こんどの ちょうさ、なにを しらべて みる?
6. 台所の油を、もう一度見てみる
6. 台所の油と一次資料から、もう一歩調べる
おうちで みてみよう
おうちの ひとと いっしょに、だいどころの あぶらの ラベルを よんで みましょう。なんの あぶらが はいって いるか、かいて あります。おうちの ひとが つかって よい ときだけ、さわって くださいね。
しらべる とき
のうりんすいさんしょうの ウェブサイトの「しょうひしゃの へや」に、しょくぶつあぶらの 話が のって います。おうちの ひとと いっしょに よんで みましょう。
今日できること
台所にある油の容器を見て、原材料名の欄を読んでみましょう。菜種油、大豆油、ごま油、「食用調合油」など、どれが書いてあるかを調べ、この記事で出てきた油とくらべてみます。油は熱くなると危ないので、あくまでラベルを読むだけにします。
資料を読むなら
農林水産省のサイトで「消費者の部屋 植物油」と検索すると、油の種類ごとの説明のページが見つかります。「消費者の部屋 こどもそうだん 大豆」のページと合わせて読むと、国産と輸入の関係がもっと見えてきます。
今日できること
台所の食用油の原材料名を読み、菜種油・大豆油・ごま油・調合油のどれが使われているかを確認する。ラベルの表示は、本文の「ブレンド」の話の裏づけにもなる。
資料を読むなら
農林水産省のサイトで「消費者の部屋 植物油」「消費者の部屋 こどもそうだん 大豆」を探すと、本文の数字の出典に当たれる。さらに『守貞謾稿』の原文や飯野亮一氏の著作にあたれば、屋台の天ぷらとごま油の話を自分で確かめられる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- 江戸東京博物館 収蔵資料(灯火具コレクション解説). https://www.edohakuarchives.jp/collection-list8.html?p=10 (江戸時代の灯火用の油)
- 油屋の資料「油の歴史」. https://www.yoil.co.jp/?p=383 (菜種油と食用の広がり)
- nippon.com『守貞漫稿』紹介記事. https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00962/ (江戸の屋台)
- FOODNEXT(守貞謾稿を引く解説). https://www.foodnext.net/life/culture/paper/5616665363 (ごま油と屋台の天ぷら)
- THE SHASHI 日清オイリオ 第1章. https://the-shashi.com/tse/2602/chapter-1/ (創立と精製機械)
- 日清オイリオ記事(ニッショク). https://news.nissyoku.co.jp/?p=1160462 (サラダ油の誕生)
- 農林水産省 消費者の部屋 植物油. https://www.maff.go.jp/j/heya/sodan/1111/01.html (菜種油・大豆油の生産量)
- 農林水産省 消費者の部屋 こどもそうだん(大豆). https://www.maff.go.jp/j/heya/kodomo_sodan/0308/05.html (供給量と大豆の用途)
なおした ところ
更新履歴
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