1. ぞうりと かみの けで、どんな おどりが できたの?
1. 草履と桃割れのままで、どんな踊りが選ばれたのか
1. 着流し・草履・桃割れ ── 服装が踊りの教材選びに関わった
めいじの はじめ、おんなの こは きものを きて、ぞうりを はいて いました。かみは「ももわれ」と いう かみがたです。
この すがたで、おもいっきり はしったり とんだり できるでしょうか。むずかしそうです。
おんなの この たいいくでは、おどりを ならう ことが ありました。けんきゅうでは、ふくや かみがたが、おどりの えらびかたにも かかわったと されて います[1]。
では、この すがたは、いつ、どう かわって いったのでしょう。
明治の初めごろ、女の子の運動服は着流し、つまり普段の着物のままでした。足もとは草履で、髪は桃割れです[1]。この格好で大きく跳んだり走ったりするのは、想像するだけで大変そうです。
体育では踊りも教材になりました。日本体育大学の研究者たちが明治期の小学校の踊り教材を調べた論文によると、こうした服装や履き物、髪型が動きを制限し、踊りの教材の選び方にも関わったとされます[1]。
体育で何ができるかには、着ている服や髪も関わっていたようです。では、この制約はどうほどけていったのでしょうか。
明治初期(着流し時代)の女子は、草履をはき桃割れに結っていた。笠井らの論文(日本体育大学紀要、2012)は、この服装・履き物・髪型などが動きを制限し、小学校体育のダンス教材の選択にも関係したと述べる[1]。
ただし、これは英文要旨で読める範囲の記述であり、地域・学校による差までは分からない。では、この制約は、いつ、何をきっかけにほどけていったのか。
2. はかまと くつと あたらしい かみがたで、なにが かわったの?
2. 袴と靴と束髪で、踊りの幅はどう広がったのか
2. 袴・靴・束髪 ── 1897〜1907年ごろの移行と教材の拡張
1897ねんから 1907ねんごろに、うんどうの ふくは、きものの まま から はかまに かわりました。ぞうりでは なく、くつを はく ように なりました[1]。
この ころ、「そくはつ」と いう かみがたも ひろがりました。かみが まとまって、うごいても くずれにくく なります。
すると、もっと げんきな おどりも、きょうざいに できる ように なったと されます[1]。
ただ、ぜんこくの がっこうが おなじ ときに かわった わけでは ありません。「ごろ」と いう めやすです。
1897年ごろから1907年ごろにかけて、運動服は着流しから袴へ、足もとは草履から靴へと変わっていきました[1]。足が捌きやすくなり、地面を蹴る動きができるようになった、という変化です。
髪型も変わります。束髪が広まると、それまで教材にしにくかった活発な踊りも取り入れられるようになったとされます[1]。
ここで注意したいのは、この年は目安だということです。全国の学校が同じ年に一斉に変わったわけではありません。袴・靴・束髪が少しずつそろうたびに、踊りの選択肢が増えていったと読むのが、論文の記述に近いでしょう。
こうして、動きにくい服はだんだん減っていきました。では、袴よりさらに動きやすい服を、学校に持ちこんだのはだれだったのでしょうか。
笠井らの論文は、運動服が1897〜1907年ごろに着流しから袴へ移り、履き物も草履から靴へ変わったと述べる[1]。ここで、束髪(英文要旨では tabanegami)が広まったことが効いてくる。髪が崩れにくくなると、活発な踊りも教材にできたというのである。
この期間は移行期の目安であり、全国一斉の変化ではない。
では、袴の次に、動きやすさをさらに押し進めた服は、だれが、どこから持ちこんだのか。
3. うごきやすい ふくを、だれが もちかえったの?
3. 井口阿くりは、アメリカから何を持ち帰ったのか
3. 井口阿くり ── 1903年に導入されたブルーマー型の運動服
いのくち あくりと いう ひとが います。せいふの ていあんで アメリカに わたって、たいいくを まなびました[2]。
1903ねんに にほんに かえって きて、たいいくの じかんの ふくを かえようと しました。ブラウスと、ふくらはぎまでの スカートと、したに はく ふくらんだ ズボン「ブルーマー」です[2]。
ねらいは、ふくで うごきを じゃましない ことでした。
この ふくは ぜんぶの がっこうに すぐ ひろまったのでしょうか。
井口阿くり(1871〜1931)は、政府の派遣でアメリカに留学し、スミス大学やウェルズリー大学、ボストン体操師範学校で学びました。1903年に帰国すると、ブラウス、ブルーマー、ふくらはぎ丈のスカートを体育の授業の服として取り入れました[2]。動きやすく体を動かせるように、という考えからだとされます。
1906年には『体育之理論及実際』という本も出版しています[2]。服を変えただけでなく、体育の考え方を書いて広めようとした人でした。
この服の呼び名は、資料によって「体操袴」「ブルーマー」と違いがあります。呼び名の違いを手がかりに資料を読み比べると、同じ服の話なのかを確かめられます。なお、井口阿くりの経歴は、主にウィキペディア英語版の記述にもとづいています。
ところが、1903年に服が登場したからといって、すぐにどの学校でも見られたわけではありません。
井口阿くり(いのくち・あくり、1871〜1931)は、政府派遣でスミス大学・ウェルズリー大学・ボストン体操師範学校に学び、1903年に帰国した。そして、ミディブラウス、ブルーマー、ふくらはぎ丈のスカートからなる運動服を、体育の授業の服として取り入れたとされる[2]。1906年には『体育之理論及実際』を出版している。
この服は、論文によって「体操袴」「ブルーマー」と呼び方が分かれる。読むときは、同じ服を指しているのかを確かめながら進めたい。なお、以上は主にウィキペディア英語版による記述であり、原典の確認が望ましい。
では、1903年に登場した服は、学校にどのくらいの速さで広まったのか。
4. ようふくの たいそうふくは、いつ ひろまったの?
4. 洋装の体操服は、いつごろ学校に広まったのか
4. 洋装の定着 ── 1920年代という目安と、残っている服
ようふくの たいそうふくが、がっこうで ふつうに なったのは、1920ねんだいごろと いわれます[3]。かなり じかんが かかりました。
ただし、がっこうや ちいきによって ちがいます。「ごろ」と いう めやすです。
おちゃのみず じょしだいがくには、たいしょうじだいの セーラーふくの ような えりの たいそうふくが、しりょうとして のこって います。ろんぶんで、ぬのや つくりが しらべられました[4]。
むかしの ふくが のこって いると、あとから しらべる ことが できます。
5. ふくらんだ かたちから、からだに そった かたちへ
5. ふくらんだ形から、体にそった形へ ── なぜ変わったのか
5. 1960年代の形状転換 ── 複数の要因を挙げる研究
ブルマーは はじめ、ふくらんだ かたちが おおかったと いわれます[5]。1960ねんだいの とうきょう ごりんの ころから、からだに そった かたちが ひろがったと されます[5]。
なぜ かわったのかは、ひとつの りゆうでは いえないようです。「ブルマーの なぞ」と いう ほんは、しりょうや ききとりで しらべて、いくつもの ようそを あげて います[6]。
たとえば、ちゅうがっこうの たいいくの だんたいの やくわりです。むかしからの ふたえの スカートの しゅうかんにも ふれて います。
この ほんは、ひとつの こたえで おわらせない ところが おもしろいのです。
ブルマーは、ふくらんだ形が主流でした。それが1960年代、東京五輪のころから、体にそった形が広まったとされます[5]。普及の割合の数字は、ここでは示しません。
なぜそんなに急に広まり、約30年も続いたのか。山本雄二『ブルマーの謎』(青弓社、2018)は、学校体育の団体や企業への聞き取りと資料調査で、その理由を調べた本です。中学校体育連盟の役割や、戦前の二重スカートの習慣などにもふれています[6]。
「外国の選手の服を見たから」のように、原因をひとつに決めてしまうと、本が挙げている複数の要因が見えなくなります。服が変わるのは、学校・団体・企業・時代の空気が重なった結果なのかもしれません。
そして、この体操服にも、着る子の側から出た悩みが重なっていきます。
6. いまの たいそうふくは、なにが ちがうの?
6. 着る子の悩みから、ハーフパンツへ
6. ハーフパンツへの移行と、現在の素材
1990ねんだいの なかばごろから、ブルマーは がっこうから すがたを けして いったと いわれます[7]。かわりに ふえたのが、ハーフパンツです。
りゆうの ひとつに、からだの せいちょうが はやく なって、たいいくの さいちゅうに したぎが ずれないか しんぱいする こえが あった ことが あげられて います[7]。きる こどもの なやみを、おとなが きいて かえた ようすです。
がっこうようひんの メーカーの カタログには、あせを すいやすく、はやく かわく ざいりょうの たいそうふくや、すけにくい シャツが のって います[8]。
がっこうに よって ちがうので、じぶんの がっこうの ふくを 見て みましょう。
ブルマーは、1990年代半ば以降に学校から姿を消し、ハーフパンツに切りかわっていったと、報道記事では紹介されています[7]。切りかわった年は自治体や学校でちがい、全国一斉ではありません。
理由のひとつとして、体の成長が早まり、体育中に生理用品がずれないかを心配する声があったことが、同じ記事で挙げられています[7]。着る側の「困った」が、服を変える力になっていきました。
いまの体操服の一例として、学校用品メーカーのカタログには、吸汗・速乾をうたうポリエステル系の素材や、透けにくい素材のシャツが載っています[8]。
明治の草履と桃割れから、動きやすさを求めて、少しずつ服が変わってきました。いまの体操服にも、これから変わる部分があるのかもしれません。
自分でも しらべて みたく なったら
自分でも調べてみたくなったら
自分でも調べてみたくなったら
今日できること
じぶんの たいそうふくの タグを 見て みましょう。ざいりょうの なまえが かいて あります。シャツと ズボンで ちがうかも しれません。
出かけてできること
おうちの ひとや ちかくの としうえの ひとに、「がっこうで たいいくの とき、なにを きて いた?」と きいて みましょう。むかしの ふくの はなしが きけるかも しれません。
こうしきの 情報
だいがくの ホームページに、むかしの ふくを しらべた ろんぶんが のって います。
今日できること
自分の体操服のタグを見て、素材の名前と洗い方の表示を読んでみましょう。上のシャツと下のハーフパンツで素材が違うか、比べるのも面白そうです。
出かけてできること
家の人や、近所の年上の人に、学校の体育で何を着ていたかを聞いてみましょう。時代によって、服も髪型も、体育の内容も違っていたかもしれません。
公式情報
日本体育大学の紀要論文や、お茶の水女子大学の研究報告は、大学のリポジトリで公開されています。題名に「体操服」「運動服」が入った論文を探してみてください。
もう一歩
『ブルマーの謎』のような本は、図書館で探せます。本が挙げている要因を、1つずつ自分で確かめてみる読み方もできます。
今日できること
自分の体操服のタグで素材(混用率)を確認し、シャツとハーフパンツで違いがあるか調べる。メーカーのカタログの説明と比べると、素材の表示が何を意味するかが分かる。
出かけてできること
祖父母世代や保護者に、学校で体育のときに着ていた服を聞き、年代ごとに並べて、本記事の順序と合うか比べる。
公式情報
笠井・津田・中間(2012)の論文(日本体育大学紀要42巻1号)と、難波・渡部(2023)の論文(お茶の水女子大学『人文科学研究』19)を読み比べる。本記事で触れなかった細部(教材の種類、布地や作り)が載っている可能性がある。
山本雄二『ブルマーの謎』(青弓社、2018)の要因の挙げ方と、本記事の挙げ方を比べると、資料ごとの書き方の違いが見える。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
体操服の歴史は、論文・書籍紹介・百科事典・企業カタログなど、確かさの異なる資料で読みました。年や数値は目安として扱い、確かさの差を本文で書き分けています。
- 笠井ほか「明治期の小学校体育におけるダンス教材の変遷」日本体育大学紀要42(1), 2012 https://nittaidai.repo.nii.ac.jp/record/1226/files/42-1-1-8.pdf (着流しから袴・靴・束髪へ、教材との関係。英文要旨)
- Inokuchi Akuri(Wikipedia英語版) https://en.wikipedia.org/wiki/Inokuchi_Akuri (井口阿くりの経歴とブルーマー型の運動服の導入)
- Old Tokyo「Undokai」 https://oldtokyo.com/?p=2494 (洋装の体操服が広まった時期の目安。英語の紹介記事)
- 難波・渡部「セーラー・ブルーマー型体操服の来歴と構成」お茶の水女子大学『人文科学研究』19, 2023 (大正期に残っている服の来歴と構成。題名のみ参照)
- ブルマー(Wikipedia日本語版) https://ja.wikipedia.org/wiki/ブルマー (体にそった形の広まり。普及率の数値は使っていません)
- 山本雄二『ブルマーの謎』青弓社, 2018(紀伊國屋書店ウェブストアの紹介) https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-1115582 (広まった理由を複数の要因から検討した研究書)
- JPrime記事 https://www.jprime.jp/articles/-/21860 (ハーフパンツへの切りかわりと、着る子の側の理由)
- トンボ学生服 スポーツ(ジュニア)カタログ https://www.tombow.gr.jp/sportsnew/brand/junior/img/catalog.pdf (いまの体操服の素材の例)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。