1. ながい はかまで、どう あるいたの?
1. 長い袴の裾を踏まずに歩く、いちばん基本の歩き方
1. 裾を地に引く長袴は、どう歩かれたのか
ながばかまは、すそが ながくて ゆかに ひきずる はかまの ことです[1]。ふつうに 足を 上げて あるくと、じぶんで すそを ふんで しまいそうです。
きょうげんという むかしからの げいのうでは、ながばかまを 着る ときに、すり足と いう あるき方を ならいます[5]。すり足は、足を 高く 上げずに、ゆかを なでるように すべらせて すすむ あるき方です。
足を 高く 上げなければ、すそが 足の 下に まきこまれにくい、と 考えられます。これが、ながい はかまで あるく ための、いちばん きほんの こつです。
でも、どうして こんなに ながい はかまを 作ったのでしょうか。
長袴とは、裾が長く、地面に引くタイプの袴のことです[1]。地面に引く長さなので、足を高く上げて歩くと、自分の裾を踏みやすそうです。
狂言の体験をした高校生の記録には、本物の狂言の衣装である長袴を着るために、摺り足の歩き方を教わったと書かれています[5]。摺り足は、足を高く上げず、足の裏を床に沿わせて運ぶ歩き方です。足を高く上げずに運べば、裾を蹴り上げたり踏んだりしにくいはずです。ただしこれは、記録からの推測です。
現代の狂言体験では、長袴を着るときに摺り足を教える例がある、というのが確かなところです。
歩き方の基本はこれです。では、その長さは、実際にはどれほどなのでしょうか。そして、なぜそこまで長くしたのでしょうか。
長袴は、裾が長く地に引く袴である[1]。地に引く長さなので、足を高く上げて歩けば、前に出した足が自分の裾を踏みかねない。
埼玉県立浦和高校の記録によれば、狂言の体験授業では、本番に本物の長袴を着るため、摺り足での歩き方が教えられた[5]。摺り足は、足を高く上げず、足の裏を床に沿わせて運ぶ歩き方である。足を高く上げずに運べば裾を巻きこんだり踏んだりしにくい、というのは推測である。現代の長袴体験で摺り足が教えられる事実と、その理由の推測は分けて考えたい。ただし、この記録は現代の体験授業のもので、江戸時代の人が日常にどう歩いたかを直接示すものではない。
実物の丈も確かめておこう。彦根城博物館の展示資料には、江戸時代後期の長袴で丈166.9cmのものがある[2]。早稲田大学演劇博物館が所蔵する川崎九淵旧蔵の長袴は、丈164.0cmである[4]。どちらも丈は約1.6mある。長袴は、裾が地に引く袴と定義されている。それならば、なぜ人は、歩きにくくなる長さをあえて選んだのか。
2. どうして、ひきずるほど ながく したの?
2. 歩きにくいのに、なぜ長くしたのか:短い袴から礼装へ
2. 歩きにくさを承知で長くした理由:切袴から礼装の長袴へ
じつは、はかまは はじめ、すその みじかい ものでした。おおやけの ばで 着る れいそうに なっていく うちに、ながい はかまが つかわれるように なった、と いわれて います[9]。
むろまち時代から、ながばかまは ひたたれや すおうという ふくに つかわれました[8]。江戸時代には、うえの ほうの ぶしの れいそうに なります。したの ほうの ぶしは、みじかい はかまの ふくを 着ました[8]。
ながい はかまは、あるきやすさより、たいせつな ぎょうじで 身分を あらわすために つかわれました。
実は、袴は最初から長かったわけではありません。もともとは裾の短い切袴で、礼装として使われるうちに、長袴が用いられるようになったと説明されています[9]。
長袴は、室町時代から直垂や素襖という武家の服に使われました。江戸時代には、肩衣という上着と組み合わせて長裃と呼ばれ、上級武家の式服になりました[8]。公服の区分では、それより下の武士には、短い半袴をつけた半裃が用いられました[8]。
位の決まりも資料に出てきます。風俗博物館の解説では、江戸時代の幕府の武家礼装は位によって分かれ、5位の大名は大紋に長袴を合わせたと説明されています[3]。一方、別の事典は、侍従以上の上級武士の礼装として長袴を用い、下に白小袖を着たと書いています[9]。位の言い方は資料で少し異なりますが、長袴が上のほうの武家の礼装だった点は共通しています。
つまり、長さは歩きやすさより、改まった場にふさわしい姿を示すものでした。このように、礼の場で長袴を着たときの苦労は、どんなものだったのでしょうか。
歩きにくいのに、なぜ長くしたのか。答えは、長袴が実用の服ではなく、礼装だったことにある。袴は初め裾の短い切袴で、礼装となるにつれて長袴が用いられるようになった[9]。
長袴は、室町時代から直垂・素襖に用いられ、江戸時代には肩衣と組んで長裃と呼ばれ、上級武家の式服となった[8]。これに対し、短い半袴をつけた半裃は、公服の区分で長裃より下の武士に用いられた[8]。同じ武士でも、袴の長さで格がちがっていたことになる。
位階との対応は、資料によって書き方が分かれる。風俗博物館の解説は、江戸時代の幕府の武家礼装を位によって分け、5位は大紋としており、5位の大名が大紋と長袴を着る姿を展示している[3]。一方、日本大百科全書の「直垂」の項は、侍従以上の上級武士の礼装に長袴を用い、下に白小袖を着たと述べる[9]。前者は大紋、後者は直垂系の礼装を主に述べているため、位階の範囲が一致しないと考えられる。だが、どちらも長袴を上位の武家の礼装として扱う点は同じである。
長さが格を示すなら、長袴を着ることは、歩きやすさを手放して格式を取る選択だったことになる。では、そのしわ寄せは、着る人にどう現れたのか。
3. ならって みると、どんな ようすなの?
3. 長袴を初めて着けた人は、どんな苦労をしたのか
3. 初めて長袴を着けた人の声:資料に残る歩きにくさ
かぶきの けいこを たいけんする かいでは、はじめて ながばかまを 着けた せいとが、あるき方の こつを おしえて もらいました[6]。「うごきが ちょっと むずかしそう」と、ようすが 書かれて います。
きょうげんを ならった 高校生も、ほんものの ながばかまを 着て、すり足の あるき方を おしえて もらいました[5]。
おみやの そうぞくを 着た 人も、「はかまが ながいので あるきづらく、うごくのが たいへんだった」と ほうこくして います[7]。
はじめて 着る 人は、みんな あるく ことから ならうのです。ながい はかまは、れんしゅうして はじめて 歩ける ふくでした。
では、すそを みじかく する くふうは、なかったのでしょうか。
歌舞伎の体験教室の記録には、初めて長袴を着けた参加者が、歩き方のコツを教わる様子が出てきます。動きがちょっと難しそう、と記録に書かれています[6]。
浦和高校の狂言体験でも、生徒は本物の長袴を着て、摺り足を教わりました[5]。
國學院大學の報告には、宮廷装束を着た人の感想が載っています。袴が長いので歩きづらく、何重にも重なった装束は重くて、身動きをとるのが大変だったそうです[7]。長袴の歩きにくさは、現代の着装体験でもはっきり感じられるものだと分かります。
ただ、どの記録も、現代の体験や稽古の場のものです。平安の女性などが日常にどんな足運びをしていたかについては、くわしい記録が限られています。それでも、長袴は、習ってから着る服だったと読み取れます。
とはいえ、昔の人が、ただ苦労を受け入れたとは限りません。裾を整える工夫も、ちゃんとあったのです。
長袴の歩きにくさは、現代の体験記録にも現れている。伝統歌舞伎保存会の体験稽古の記録には、初めて長袴を着けた生徒が歩き方のコツを教わる場面があり、動きが難しそうだと書かれている[6]。浦和高校の狂言体験でも、本物の長袴を着るため、摺り足を教わっている[5]。
國學院大学神道文化学部の宮廷装束の着装披露の報告は、実際に着ると袴が長くて歩きづらく、重なった装束は非常に重く、身動きが大変だったと記す[7]。これは長袴だけの話ではなく、装束全体の重さも含んだ感想である点に注意したい。
これらの記録はいずれも現代の体験で、昔の人の足運びを直接記したものではない。平安時代の女性らが日常の移動で具体的にどう足を運んだかについては、詳しい記録が限られている。ただ、三つの現場がそろって「歩き方を教える」ことから始めている以上、長袴は慣れと稽古を前提とする服だったと推測できる。
では、昔の人は、歩き方だけで裾に対処していたのか。実は、裾そのものを整える仕組みも、資料に残っている。
4. すそを みじかく する くふうは あったの?
4. 裾を紐でしぼる、袋にして踏む:袴の側の工夫
4. 裾口の紐と「袋」:袴そのものに施された調整の工夫
はかまの すそに ひもを とおして、しぼれるように した ものが ありました。「くくりばかま」と いいます。すそを くくった はかまで、すそを しぼる くふうの ひとつです[1]。
おみやの 人が 着た「さしぬき」は、すそぐちの ひもを ひいて しめます。ふつうは 足首で むすびます。
めずらしい つかい方も あります。足を はかまの 中に 入れたまま、すその 先を ふくろの ように して、ふんで あるく こともありました[10]。
すそを しぼる、ふくろに して ふむ、と いろいろな くふうが ありました。
江戸時代の ごろには、すそに ひきあげる ひもを つけた はかまも ありました[1]。
袴には、裾そのものを整える工夫もありました。裾をくくった袴を括袴といい、裾を絞る工夫の一つです[1]。
宮廷の指貫は、八幅(はば)の布で作った丈の長い袴で、裾口の紐を引き絞って結べました。足首で縛るのが普通ですが、足を出さず、裾を袋状にして、踏んで歩くこともあったといいます[10]。
指貫を使う布袴は、束帯より略式の装いで、朝廷の正式な儀式以外の、内々の式などに着られたと説明されています[11]。
近世には、袴の裾に引き揚げのくけ紐をつけた例も記されています[1]。
長袴は歩き方で、括袴や指貫は紐で、ほかに袋にして踏む方法も。裾の扱いには、このようにいくつもの工夫が資料に残っています。
歩き方だけでなく、袴の側にも裾を調整する工夫があった。括袴は、裾を括った袴で、裾を絞る工夫の一つである[1]。
宮廷の指貫(布袴)は、八幅で丈が長く、裾口の紐を引き絞って結べる。足首で縛るのが普通だが、足を出さずに裾を袋状にして踏んで歩くこともあった[10]。裾口の紐で絞る方法と、袋にして踏む方法は、別々の工夫として記されている。布袴は、束帯の表袴・大口袴に代えて指貫・下袴を用いる服装で、束帯より略装として、朝儀以外の内々の式などに着用された[11]。
近世には、袴の裾に引き揚げのくけ紐が付けられた例もある[1]。これも裾を扱う別の工夫である。
整理すると、長袴の歩行は、足運び(摺り足)と、袴側の調整(括る・絞る・袋にする・引き揚げる)の二本立てで成り立つ。袴は、長さを保ちながら、歩く場面に合わせて裾を扱える服でもあった。
こうして見ると、袴は「歩きにくい服」というより、「歩き方をおぼえて着る服」だったことが見えてくる。ここまでの流れは、自分の体でも、少しだけ確かめられる。
5. すり足を ためして みよう
5. 自分の足で摺り足を試す、資料を読む
5. 摺り足を試し、原典にあたる
きょう できる こと
ものが ない たいらな ゆかで、おうちの 人の そばで ためして みましょう。足を 高く 上げずに、足の うらを ゆかに そっと そわせて、ゆっくり すすみます。ふつうに あるく ときと くらべて、からだの ゆれ方が ちがう ことに 気づきます。ころばないように、かべの ちかくで やって ください。
見に いく とき
はくぶつかんや むかしの しりょうを あつかう しせつには、むかしの ふくが かざって あることが あります。はかまの ながさを、じぶんの せの たかさと くらべて みましょう。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- 日本服飾史「主な用語解説[裳]」. https://costume.iz2.or.jp/word/skirt.html (長袴・括袴の意味、裾の紐)
- 彦根城博物館「大名の装い―井伊家伝来装束を中心に―」. https://hikone-castle-museum.jp/exhibition_old/12840.html (長袴の丈)
- 風俗博物館「大紋長袴をつけた大名」. https://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000118 (位による礼装の決まり)
- 早稲田大学演劇博物館「川崎九淵旧蔵『素襖』・『長袴』」. https://enpaku.w.waseda.jp/collection/2915/ (能楽師の長袴の丈)
- 埼玉県立浦和高等学校「【Diary】伝統芸能です」. https://urawa-h.spec.ed.jp/ (狂言体験での摺り足)
- 伝統歌舞伎保存会「平成17年8月10日」. https://kabuki.or.jp/taiken_detail/1938/ (歌舞伎の体験稽古)
- 國學院大學「神道文化学部 第4回宮廷装束の着装披露のご報告」. https://www.kokugakuin.ac.jp/news/30751 (宮廷装束の歩きづらさ)
- コトバンク「長裃」(世界大百科事典ほか). https://kotobank.jp/word/%E9%95%B7%E8%A3%83-1381981 (長袴の用いられ方、長裃と半裃)
- コトバンク「直垂」(日本大百科全書ほか). https://kotobank.jp/word/%E7%9B%B4%E5%9E%82-119992 (切袴から長袴へ、上級武士の礼装)
- コトバンク「袴」(日本大百科全書「指貫」). https://kotobank.jp/word/%E8%A2%B4 (指貫の裾の扱い)
- コトバンク「布袴」(デジタル大辞泉). https://kotobank.jp/word/%E5%B8%83%E8%A2%B4-627444 (布袴は束帯に次ぐ礼装)
なおした ところ
更新履歴
更新履歴(改版の記録)
- 初版を公開。
このサイトでは、公開した記事の本文は原則として書き直しません。誤りが見つかったときや、内容が古くなったときだけ手を入れ、その理由をこの欄に残します。