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袴はかまの 下には、何を 着て いるの?

袴の下には何を着ていたのか ── 女学生の着物から、平安の袴の重ねまで

袴の下には何を着ていたか ── 明治の女学生の小袖と襦袢、江戸の重ね着、平安の袴の重ね

分野:歴史・文化

そつぎょうしきで、袴はかまを はいた 女の子を 見た ことは ありますか。袴はかまは、スカートの ような 形を して います。では、その 下には、何を 着て いるのでしょう。

こたえは、ズボンでは なく、着物きものです。むかしは、袴はかまにも、かさねて はく くべつが ありました。この 記事で、その わけが わかります。

卒業式の袴姿を見て、「袴の下は、どうなっているのだろう」と思ったことはありませんか。じつは袴は、着物の上にはくものです。昔の装束には、袴を重ねてはく区別まで、名前つきで残っていました。

では、袴の下には時代ごとに何があったのでしょうか。平安の赤い袴、江戸の重ね着、明治の女学生の姿を比べると、「下着」という言葉の意味まで変わっていたことが分かります。

袴の下には、肌着やズボンではなく、着物がある。明治から昭和の女学生は、矢絣の小袖の上に袴をつけていたと服飾の資料にあり[4]、さらに古い装束には、袴の重ねの区別があった[6]。

では、袴の下に着るものは、時代によってどう変わり、「下着」という言葉はなぜ今と意味がずれているのか。平安の女房装束、江戸の小袖の重ね着、明治の女学生という3つの場面を比べると、その理由が分かる。

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1. 袴はかまの 下は、ズボン? 着物きもの?

1. 袴の下に着るのは、ズボンではなく着物

1. 女学生の袴の下には、何があったのか

むかしの 学校に かよう 女の子は、袴はかまを はいて いました。そのとき 下に 着て いたのは、やがすりという もようの 小袖こそで、つまり 着物きものです。

袴はかまは、着物きものの 上に つける ものなのです。その 着物きものの 下には、襦袢じゅばんという はだぎを 着ます。

ただし、いつでも 同じでは ありません。時代を さかのぼると、袴はかまの 下の ようすは、ずいぶん ちがって いました。

卒業式の写真のように、袴をはいた姿を思い浮かべてください。大正や昭和になっても、女学生は着物のときに紫の袴をつける習慣が続き、下げ髪にリボン、矢絣の小袖に靴を合わせていたと、服飾の資料にあります[4]。つまり袴の下にあるのは、小袖、いまでいう着物です。

その着物のさらに下には、襦袢があります。博物館の用語では、襦袢は「着物の下に着る肌着」です[5]。袴は下半身に重ねる一枚で、体にいちばん近い層ではありません。

ところが、時代をさかのぼると、袴の下にあるものは同じではありません。次の章では、平安の宮中をのぞいてみます。

明治から昭和にかけての女学生は、着物のときに紫の袴をつける慣例があり、大正・昭和になっても矢絣の小袖に靴を合わせた姿が続いたと、服飾史の資料は述べる[4]。袴の下にあるのは、洋装の下ばきではなく、小袖である。

その小袖の下に着るのが襦袢で、アキハクコレクションの解説では「着物の下に着る肌着」と定義されている[5]。したがって、袴は肌にふれる層ではなく、小袖の上に重ねる外側の一枚として位置づけられる。

では、この「袴は着物の上」という並びは、昔から同じだったのか。ここから先は、袴の下がまるで違った平安の宮中へさかのぼる。

2. 平安の 宮中の 袴はかまと、袴はかまの くべつ

2. 平安の宮中では、袴を重ねて着る女性装束と、袴の区別があった

2. 平安の女房装束と、古い装束にあった袴の区別

平安時代へいあんじだいの 宮中で はたらく 女の人は、白い 小袖こそでに 赤い 袴はかまを 身に つけました。その 上に 単ひとえ、さらに 袿うちぎを 何まいも かさねたと、はくぶつかんの 本には あります。

もっと ふしぎなのは、袴はかまの 名前です。むかしの 服には、「はだに つける」「下の」「上の」と、袴はかまを かさねて はく くべつが ありました。

その うちの 「上の 袴はかま」は、白くて、うらが 赤い もので、はだに つける 袴はかまでは ない、と せつめいされて います。袴はかまにも、いろいろな しゅるいが あったのです。

そのうえ、正しい 服の ときは、袴はかまの 上に、こしの うしろだけに 「も」という ぬのを まとったと いいます。何まいも 重ねて、ゆっくり 歩く ところを 思いうかべて みて ください。

平安時代の宮中で働く女性の正装は、女房装束と呼ばれます。福岡市博物館の資料では、白い小袖に赤い袴をはき、まず単という衣に袖を通してから、その上に何枚も袿を重ねる形が基本だったと説明されています[1]。袴の上に、さらに衣が何層も重なっていたわけです。

面白いのは、袴そのものが重ねてはくものだったことです。古い装束には、肌袴、下袴、表袴という区別がありました[6]。袴にも、複数の種類があったのです。

このうち表袴は、束帯などの正装のときに用いる「上に着用する白袴」で、裏は紅です。服飾の用語集は、「肌につける袴ではない」とわざわざ書いています[2]。これは女房装束の話ではなく、古い装束にあった袴の区別の一例です。

また、袴の上には、女房装束の正装のとき、腰の後ろだけに「裳」という布をまとったと、同じ用語集にあります[2]。では、そこまで重ねる着方は、そのまま江戸時代まで続いたのでしょうか。

平安の宮中女性の正装である女房装束は、白い小袖に赤い袴をつけ、単の上にさらに袿を何枚も重ねる形が基本だった[1]。ここで押さえておきたいのは、袴が「最後に着る一枚」ではなく、袿が何層も重なる構成の一部だった点である。

さらに、古い装束には、袴自体にも区別があった。精選版日本国語大辞典に挙がる語を並べると、肌袴、下袴、表袴の3種である[6]。表袴は束帯・袍裳・礼服を着るときに用い、「上に着用する白袴で裏は紅」「肌につける袴ではない」と用語集に説明がある[2]。これらは女房装束での重ね方を示す資料ではなく、袴に複数の種類があったことの例にとどまる。

単についても、用語集は「男女の装束着用の時に用いる単仕立ての下具」とし、裏のない小袖形式の衣の意味も添える[3]。袴の上には、藤原時代以後の女子の正装で、腰の後ろだけにまとう裳も加わった[2]。

なお、世界大百科事典の項は、平安時代には女子も袴を着用したが、十分に発達しないまま早くすたれたと述べる[6]。では、袴が女性の服として広まりきらなかった後、日本の重ね着はどうなったのか。江戸時代の「下着」に目を移す。

3. 江戸時代えどじだいの 「下着」は、はだぎでは なかった

3. 江戸時代の「下着」は、肌着ではなく下に重ねる小袖だった

3. 「下着」という言葉は、江戸時代にはどういう意味だったか

江戸時代えどじだいの 人は、いまの 「はだぎ」の ことを 下着とは 言いませんでした。小袖こそでを かさねて 着る とき、下に 着る ほうの 小袖こそでを、下着と 言ったのです。

わかい 女の人が 出かける ときは、下着の 小袖こそでを 2まい 着て、その 上に もう 1まい 着て、あわせて 3まい 重ねた ことが あります。

つまり 「下に 着る もの」は、ずっと 前から、かさねて 着る ものだったのです。

福岡市博物館の資料は、「下着」といっても現代の肌着を意味するのではなく、小袖を重ね着するとき、下に着込むほうの小袖を下着というのだと説明しています[1]。いまの私たちが使う「下着」と、言葉は同じでも中身がちがいます。

同じ資料には、江戸時代の若い女性が、薄い青に巻貝の柄を染め抜いた下着の小袖2枚の上に、表着を1枚加えて、合計3枚の小袖を重ねた例も載っています[1]。その資料は、外出や気を張る場では、下着の小袖2枚に表着1枚を重ねるのが普通だったと説明しています。

武家の時代になると、上衣の上から袴を着用する形式も行われるようになったと、日本大百科全書にあります[6]。平安の袴が重ねの中にあったのに対し、こちらは着物の上に袴を重ねる形で、のちの女学生にも通じる並びです。

福岡市博物館の染織解説は、「下着」といっても現代のような肌着を指すのではなく、小袖を重ね着する際に下に着込む小袖を下着と呼んだ、と明記している[1]。語が同じでも、江戸時代の下着は「下の層の小袖」であり、体に直接つける肌着とは別の概念である。

同じ解説は、薄い青に巻貝を染め抜いた下着2枚の上に表着1枚を足した、計3枚の小袖の例を挙げる。若い女性が外出や気を張る場で、これを普通とした[1]。

袴との関係では、日本大百科全書が、武家時代に上衣の上から袴を着用する形式が行われるようになったと述べる[6]。この資料の範囲では、江戸の女性の外出着で小袖の下に何を着ていたか、袴の有無までは分からない。ただ、「下に着るものは小袖を重ねたもの」という発想が、次の明治の女学生に見られる矢絣の小袖の上の袴と同じ並びにあることは読み取れる。

4. 明治めいじの 女の子は、いつから 袴はかまを はいたの?

4. 明治の女学生の袴は、どんな形で広まったのか

4. 明治の女学生の袴は、どの形でいつ現れたのか

明治めいじの はじめごろ、学校の 先生が 袴はかまを はき はじめました。明治めいじ11年ごろには、学校に かよう 女の子も、紫むらさきの 袴はかまを つけるように なります。

さらに 明治めいじの 終わりに 近づくと、行灯袴あんどんばかまという 袴はかまが ふえました。これは スカートの ように、まん中が わかれて いない、つつの 形です。

むかしの 馬に のる 人の 袴はかまは、またが わかれて いて、馬の 上でも すねが 見えないように なって いました。袴はかまにも、いろいろな 形が あったのです。

このころ、動きやすい 服も 考えられました。上は 細い そで、下は 袴はかまや スカートのような 形でした。

日本の女性の服としての袴は、平安のあと、いちど広まりきらないまま、すたれたと百科事典にあります[6]。宮中では着用が続きましたが、一般の女性の服としては、明治に女子教育などを背景に、再び袴が着用されるようになります。服飾の資料では、明治4年ごろから女学塾長や教授が袴を用い、11年ごろには女学生が紫の袴をつけるようになりました[4]。

33年ごろからは、襠のない仕立ての行灯袴が女学生に広まり、華族女学校は海老茶色を用いたそうです[4]。行灯袴は、スカートのように間に仕切りのない筒状の袴のことです[6]。

襠は、袴の股の部分に入れる布です。襠を高くつけて股のある形にした馬乗袴は、馬上でもすねがあらわにならないよう作られていました[6]。行灯袴と馬乗袴は、同じ袴でも形がちがいます。

この時期に、動きやすい服を作ろうとする改良服も提案されました。名古屋市博物館の資料では、上衣と下衣が分かれ、下衣は袴かスカートのような形になっていたとされています[7]。袴は、くらしに合わせて変わっていったのです。

ただし、行灯袴の下にどんな襦袢を着るかが決まっていたのかは、資料からは言えません。確かなのは、形が変わっても「着物の上に袴」という並びが、大正や昭和まで続いたことです[4]。

平安の女子の袴は早くすたれたが、宮中では着用が続き、一般の女性の服としては明治に女子教育などを背景に再び袴が着用されるようになった。服飾の資料によれば、明治4年ごろから女学塾長や教授が袴を用い、11年ごろには女学生が紫の袴をつけた[4]。

明治33年ごろには、襠なし仕立ての行灯袴が女学生に普及し、華族女学校は海老茶色を採った[4]。行灯袴はスカートのように間に仕切りのない筒状で[6]、襠を高くつけて馬上でもすねが出ない馬乗袴とは構造が異なる[6]。

この時期の名古屋市博物館の資料は、女性の社会進出に伴って動きやすい改良服が考案され、上衣は袖口をしぼった細い袖、下衣は袴かスカートのような形だったと述べる[7]。ただし、行灯袴の普及と改良服の関係を、この資料は結びつけて述べていない。また、行灯袴の下に決まった種類の襦袢が着られたかも、資料からは断定できない。

確かなのは、袴の形が変わっても、女学生は着物の上に袴をつけるという並びが大正・昭和まで続いた点である[4]。

5. いま 着て いる 服は、何まい?

5. 今日の服は、何枚重なっているだろう

5. 自分の服の層を数えて、資料と見比べる

いま 着て いる 服を、ぬがずに 数えて みましょう。下から、はだぎ、シャツ、上着と、何まい 重なって いますか。

江戸時代えどじだいの わかい 女の人は、小袖こそでを 3まい 重ねた ことが ありました。あなたの 服と くらべると、重ねる 数は どちらが 多いでしょう。家の 人に 「はだぎは、むかし なんて 言ったの?」と 聞いて みるのも おもしろいですよ。

今日着ている服を、体に近いほうから数えてみてください。肌着、シャツ、上着と、何枚重なっているでしょうか。江戸時代の若い女性には、小袖を3枚重ねた例がありました。重ねる数は、あなたの服と比べてどうでしょうか。

もう一つ、家の人に「着物の下に何を着る?」と聞いてみるのもよいでしょう。袴の下の話が、身近な服の話につながります。

調べを広げるなら、まず自分の服を体に近い順に数え、江戸の3枚の小袖と比べるとよい。まず重ねる数を比べ、そのうえで「下着」の意味が時代で動いた点を補足として押さえたい。

次の疑問は、今回の資料に答えがない。たとえば、行灯袴の下にどんな襦袢が着られたのか、現代の男物の袴姿ではどう着るのかは、別の資料に当たる必要がある。古い装束を所蔵する博物館の解説や、服飾の用語集を直接読むのが確かである。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

袴の下に着るものの説明は、次の資料の内容を自分の言葉でまとめ、比べています。

  1. 福岡市博物館 No.275 染織シリーズ4 かさねの装い https://museum.city.fukuoka.jp/archives/leaflet/275/index.html (平安の女房装束、江戸の下着と小袖の重ね着)
  2. 文化学園服飾博物館 主な用語解説[裳] https://costume.iz2.or.jp/word/skirt.html (表袴、裳)
  3. 文化学園服飾博物館 主な用語解説[衣] https://costume.iz2.or.jp/word/wear.html (単)
  4. 文化学園服飾博物館 女学生姿 https://www.iz2.or.jp/fukushoku/f_disp.php?page_no=0000188 (明治から昭和の女学生の袴)
  5. 秋葉区郷土資料館 アキハクコレクション https://www.akihaku.jp/digital/collection/contents.php?category=4&serial_no=186 (襦袢の説明)
  6. コトバンク「袴」(日本大百科全書・世界大百科事典・日本国語大辞典ほか) https://kotobank.jp/word/%E8%A2%B4 (袴の種類、平安の女子の袴、武家時代)
  7. 名古屋市博物館 衣服雛形 https://www.museum.city.nagoya.jp/collection/data/data_47/index.html (明治の改良服)

なおした ところ

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