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はなふだの ふだには、どうして 数字が ないの?

花札の札に数字がないのはなぜか ── 禁令の時代をくぐった、12か月の草木の札

花札に数字と西洋式の図柄がないのはなぜか ── 天正カルタから禁令の江戸、明治の解禁と任天堂の出発点まで

分野:歴史・文化

はなふだの ふだには、数字が ありません。トランプのような 絵も ありません。かいてあるのは、まつや うめや さくらなど、日本の 草や 木が ちゅうしんです。

もとは 外国から 来た カードなのに、どうして こんな すがたに なったのでしょう。この メモを 読むと、そのわけと、ゲームの 会社の 「にんてんどう」が はなふだづくりから はじまった ことが 分かります。

花札のカードには、数字も、西洋式カードのような絵もありません。描かれているのは、松・梅・桜など、日本の12か月の草木が中心です。しかも任天堂は、この花札づくりから始まった会社です。

もとは海の向こうから来たカードが、なぜこんな姿になったのでしょうか。カルタの伝来、くり返された禁令、明治の解禁、そして任天堂の出発点までが分かります。

花札は、西洋式カードの数字や図柄を使わず、1〜12月の草木を中心に48枚を組む。これは、賭けごとへの禁令が続いた江戸時代のもとで生まれたという面があると説明される[2]。その花札づくりから、1889年(明治22)に任天堂が出発している[7]。

ポルトガルから伝わったとされるカードは、なぜ日本で草木の札に変わったのか。天正カルタの伝来、禁令下の販売、明治の解禁、任天堂の出発点までが分かる。

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1. はなふだは、どんな ふだ?

1. 花札は、どんな札なのか

1. 花札の構成 ── 12か月の草木×4枚=48枚

はなふだは、一年を 十二の 月に わけて、月ごとに 草や 木を 一つ あてた ふだです。一月は まつ、二月は うめ、三月は さくら。ぜんぶで 十二しゅるいの 草木が えがかれて います[2]。

草木ごとに ふだは 四まいずつ。だから ぜんぶで 四十八まい です[2]。

ふつうの トランプには 数字と マークが あります。はなふだには それが ありません。この ちがいには、むかしの きまりが かかわって いると いわれます。つぎは、はなふだの ごせんぞ から 見て みましょう。

季節の草木が12か月ぶん

花札は、1月から12月までの各月に草木を一つずつ当てています。松・梅・桜・藤・菖蒲・牡丹・萩・薄・菊・紅葉・柳・桐の12種類で、それぞれ4枚、合わせて48枚です[2]。

手に取ると、日本の季節のカレンダーのようです。ところがふつうのトランプには、数字とマークがあります。花札にはそれがなく、西洋式カードとはまったくちがう図柄です。高い点の札には、動物や器物なども描き添えられています[2]。

この姿には、江戸時代にくり返された禁令のもとで、西洋式カードの数字や外国の図柄を避けて作られた面があるといわれます[2]。では、避けたかった「元のカード」とは何だったのでしょうか。

花札は、1〜12月に松・梅・桜・藤・菖蒲・牡丹・萩・薄・菊・紅葉・柳・桐の12種の草木を当て、各4枚で計48枚を組む[2]。西洋式カードにある数字や図柄はなく、高得点札には動物や器物が描き添えられる[2]。

この構成は、繰り返された禁令のもとで、西洋式カードの数字や外国の図柄を避けて作られた面があると説明される[2]。ただし、「禁令をよけるために作った」という作り手の意図を直接示す資料は、今回の材料には含まれない。通説の域として読むべき説明だ。

では、避けようとした「元のカード」は何だったのか。次の章で、その出発点を見る。

2. さいしょの カードは、どこから きたの?

2. 最初のカードは、ポルトガルのカードをまねて生まれた

2. 天正カルタの成立 ── ポルトガルのカードを模したとされる日本最初のカード

いまから 四百ねんほど まえ、ポルトガルの 人たちが、船で カードを もって 来たと いわれます。その カードを、日本の しょくにんが まねて つくりました。「てんしょうカルタ」です[2]。

「カルタ」という ことばは、ポルトガルの ことばで カードを あらわす「carta」から 来て います[2]。

ふくおかけんの おおむたしに ある 三池カルタ・れきし しりょうかんは、日本で さいしょに カルタが つくられた ばしょは 三池だと せつめい して います[1]。これは かんの せつめいで、ほかの しりょうでは ちがう いいかたも あります。

ポルトガルのカードをまねた「天正カルタ」

16世紀の後半、ポルトガルから渡ってきたカードを手本に、日本で作られたのが天正カルタだと説明されます[2]。ただし事典によっては、伝えたのはオランダの水夫だとするものもあります。「カルタ」という言葉も、ポルトガル語でカードを表す「carta」が元になっています[2]。

天正は1573〜1592年ごろの年号で、天正カルタは日本で最初に作られた西洋式カードといわれます。48枚組でした[3]。

「発祥の地」は、資料によって言い方が分かれる

福岡県大牟田市の三池カルタ・歴史資料館は、16世紀末ごろ、ポルトガル人の影響を受けて三池で初めてカルタが作られたと説明しています[1]。これは館の説明で、伝わり方や最初の場所は、資料によって言い方が分かれます。

花札の「元のカード」は、まず日本の職人のまねから始まりました。それが、どんな運命をたどるのでしょうか。

天正カルタは、16世紀後半にポルトガルから渡来したカードを模して作られたもので、「カルタ」の語もポルトガル語carta(カード)に由来する[2]。天正年間(1573〜1592)に作られ始めた日本最初のカードとされ、48枚組だった[3]。

起点の説明は一様ではない。福岡県大牟田市の三池カルタ・歴史資料館は、16世紀末ごろ、ポルトガル人の影響を受けて三池で初めてカルタが作られたとする[1]。これは館の説明であり、学界の定説として断定はできない。事典類では伝え手や経路の書き方が分かれ、伝え手をオランダの水夫とする説明もある。

大切なのは、花札の出発点が、外国のカードを日本の職人がまねたところにあることだ。では、まねて広まったカードは、その後どうなったのか。

3. うんすんカルタは、どうして きんしに なったの?

3. うんすんカルタは禁止され、人吉に遊びが残った

3. うんすんカルタの禁止と、人吉に残った遊び

てんしょうカルタは、のちに うんすんカルタと いう 七十五まいの カードに はってん します[3]。えどじだいの ことです。

ところが、この カードは おかねを かける あそびに つかわれやすい ため、きんしに なりました。ひとたび なくなった かと 思われましたが、くまもとけんの ひとよし ちほうで、あそびが うけつがれたと いわれます[3]。

きんしされても、人は カードの あそびを やめませんでした。そこで あたらしい ふだが うまれます。それが はなふだです。

75枚の「うんすんカルタ」へ

天正カルタは、江戸時代に75枚のうんすんカルタへと発展しました[3]。

ところが、うんすんカルタは賭けごとに使われやすいという理由で、禁じられました。一時は消えたかと思われましたが、熊本県の人吉地方で遊びが受けつがれたといわれます[3]。

禁じられても、カードの遊びは消えなかった

禁令が出ても、人々のカード遊びがすぐに終わったわけではありません。そこで登場するのが花札です。次の章では、禁令のもとで花札がどう売られたのかを見ていきます。

天正カルタは、江戸時代に75枚のうんすんカルタへ発展した[3]。ところが、うんすんカルタは賭けごとに使われやすかったことから禁じられ、一時は消えたと思われた。それでも、熊本県の人吉地方で遊びが受けつがれたとされる[3]。

禁止しても、カードで遊ぶ習慣そのものは消えなかった、と読める。この流れの先に、花札が現れる。

では、禁令が続くなかで、花札はどう生まれ、どう売られたのか。次の章で見る。

4. きんしの じだいに、はなふだは どう うられた?

4. 禁令の時代に、花札はどう売られたのか

4. 禁令下の花札 ── 寛政の改革以降の成立と、店に伝わる言い伝え

はなふだは、えどじだいの 「かんせいの かいかく」の あとに うまれたと いわれます。いつ、だれが つくったかは、はっきり しません[4]。

そのあとも、きんしの ふれは なんども 出ました。いまの きょうとに ある 大石てんぐどうと いう おみせには、こんな 言いつたえが あります。おみせは こめの といやの ふりを して、はなふだを うって いました。おきゃくさんが 自分の はなを 手で こすると、それが 合図です。おみせの おくへ あんないして、ふろしきに つつんで わたした、と いうのです[6]。

ただし、おみせの 人は「ぶんしょが のこって いる わけでは なく、まゆつばかも しれません」と 話して います。本当か どうかより、それほど はなふだが すかれて いた ことが つたわって きます。

禁令が続くなかで生まれた花札

花札は、寛政の改革(1787〜1793年)以降に生まれたとされます。ただし、誕生の年や作った人は分かっていません。その後、明治18年ごろまで、何度も禁令が出て、自由には売れませんでした[4]。

禁令は、たとえば文政2年(1819)の「当春花合停止」や、天保2年(1831)にも出されています[2]。

歌かるたに見せかけた花札、米問屋の顔をした店

京都のかるた師、山口屋儀助は、一部の札に古い歌を入れて歌かるたに見せかけた花札を、「武蔵野」の名で売ったといわれます。ただし、この話はWikipediaに書かれているもので、ほかの資料での確認はまだ十分ではありません[5]。

京都の大石天狗堂には、こんな言い伝えがあります。禁令の時代に、米問屋の顔をして花札を扱い、お客さんが自分の鼻をこするのが合図で、店の奥へ通し、ふろしきに包んで渡した、というものです[6]。

ただし店主自身が、「文書が残っているわけではなく、眉つばかもしれません」と話しています[6]。本当かどうかはともかく、花札を求める人が絶えなかった様子が伝わってきます。

花札は、寛政の改革(1787〜93年)以降に生まれたとされるが、誕生年や作者は特定されていない。以後、明治18年まで何度も禁令が出て、自由に販売できなかった[4]。たとえば文政2年(1819)には「当春花合停止」、天保2年(1831)にも禁令が出ている[2]。

この状況で、売り方に工夫が生まれたとされる話が伝わる。京都のかるた師、山口屋儀助が、遅くとも寛政年間(1789〜1801)に、一部の札に古歌を入れて歌かるたに見せかけた花札を「武蔵野」の名で売ったという。ただし、これはWikipedia日本語版の記述で、一次資料は未確認だ[5]。

大石天狗堂には、禁令の時代に米問屋の顔をして花札を扱い、客が鼻をこする合図で店の奥へ通し、ふろしきに包んで渡したという言い伝えがある。ただし、同店の店主自身が「文書が残るわけではなく、眉つばかもしれません」と話している[6]。創業年についても、寛政年間の古文書に名前はあるが、同店の案内は1800年(寛政12)とし、はっきりしない部分がある。

では、この長い禁令は、どうやって終わったのか。

5. きんしは、どうして なくなったの?

5. 明治のなかば、トランプがきっかけで禁令が解かれた

5. 明治18年ごろの解禁 ── 輸入トランプとの整合性が論拠に

めいじに なると、あたらしい せいふも、はなふだを きんしに しました。ところが、外国から トランプが はいって きて、じゆうに うられる ように なります。

「トランプは うって いいのに、はなふだだけ ダメなのは おかしい」。そんな 声が 出て、めいじの なかばに きんしが とかれました。このころが、はなふだの いちばん にぎやかな じだいと いわれます[2][4]。

「トランプが自由なのに、なぜ花札だけ」

明治に入ると、新政府も花札を禁止しました。ところが、外国からトランプが輸入され、自由に売られるようになります[2]。

大石天狗堂の前田俊行氏は、「トランプは自由に販売できるのに、花札が販売できないのはおかしい」という声があり、明治18年に解禁されたと話しています[4]。解禁の年は、資料によって少し差があるため、「明治のなかば」と考えておくのが安全です。

禁令が解かれると、花札は最盛期を迎えました[2]。

明治に入って新政府も花札を禁止したが、外国からトランプが輸入され、自由に売られるようになると禁令は解かれ、花札の最盛期になった[2]。大石天狗堂の前田俊行氏は、トランプが自由に販売できるのに花札だけ売れないのはおかしいという声があり、明治18年に解禁されたと述べる[4]。

解禁年は資料によって食い違いがあり、ここでは「明治18年ごろ」までにとどめる。西洋の札が、皮肉にも日本の札の道を開いたことになる。

では、自由に作って売れるようになった花札は、その後どこへ向かったのか。

6. はなふだづくりから、どんな 会社が うまれたの?

6. 花札づくりから出発した任天堂

6. 任天堂の出発点と、輸出された花札

めいじ二十二ねん(1889ねん)、京都で 山うちふさじろうが、はなふだを つくりはじめました。これが 「にんてんどう」の はじまりです[7]。いまの ゲームの 会社と、むかしの はなふだが つながって いるのです。

そののち、日本ではじめての トランプも つくりました。1902ねんの ことです[7]。

めいじの ころ、日本国内の はなふだには 高い ぜいきんが かかりました。でも 外国に 売る ときは かかりません。そのため、中国や 朝せんはんとうへの ゆしゅつが ふえたと いいます。いまも かんこくには はなふだが のこって いるそうです[4]。

京都の花札屋が、ゲーム会社の出発点に

任天堂の沿革によると、1889年(明治22)、山内房治郎が京都市下京区で花札の製造を始めました。これが任天堂の出発点です[7]。日本初のトランプの製造に着手したのは、1902年(明治35)です[7]。

海を渡った花札

同じころ、国内で売る花札には、骨牌税という高い税がかかりました。一方、輸出する花札には税がかからず、中国や朝鮮半島への輸出が増えたと、前田氏は話しています[4]。今も韓国に花札が残っているそうです。

ポルトガルのカードをまねた札が、日本で草木の札になり、海を渡り、のちにゲーム会社を生む。花札の12か月には、そんな長い旅が入っています。

任天堂は、1889年(明治22)に山内房治郎が京都市下京区で花札の製造を始めたことから出発した。日本初のトランプ製造は1902年(明治35)だ[7]。つまり、禁令をくぐった札は、解禁ののち会社を生み出したことになる。

明治期には、国内向けの花札に高い骨牌税がかかった一方、輸出品には税がかからず、中国や朝鮮半島への輸出が増えたという。今も韓国に花札が残っているとされる[4]。税の施行年は、今回の資料では確かな数字を挙げられない。

ポルトガル由来のカードが、禁令のなかで日本の草木の札に変わり、明治に解禁され、海を渡り、ゲーム会社の出発点になった。数字を捨てた札が、日本の内外に広がる道が、この順に見えてくる。

7. じぶんでも しらべて みたく なったら

7. 自分でも調べてみたくなったら

7. 自分でも調べてみたくなったら ── 資料案内

今日 できること:じぶんの 十二か月の ふだを つくって みましょう。一月から 十二月まで、すきな 草や 木を 一つずつ えらんで、かみに かきます。カレンダーに ならべて みると、はなふだが 十二か月に わけられて いる わけが 見えて きます。

おでかけで できること:ふくおかけんの 三池カルタ・れきし しりょうかんは、カルタの れきしを しょうかい して います。行けない ときは、おうちの 人と、ほんや ずかんで しらべて みましょう。

公式の じょうほう:にんてんどうの ホームページには、会社の れきしが のって います。

今日できること:自分だけの「12か月の札」を作ってみましょう。1月から12月まで、好きな草木や季節のものを1つずつ選び、紙に描きます。カレンダーに並べると、花札がなぜ12か月に分けられているのかが、感覚として分かってきます。選んだものが、その月の花札とどう違うかを比べてみるのもおもしろいです。

出かけてできること:福岡県大牟田市の三池カルタ・歴史資料館では、カルタの歴史を紹介しています[1]。近くの博物館や資料館で、昔の遊びの展示を探してみるのもよいでしょう。

公式情報:任天堂のホームページに、沿革が載っています[7]。

今日できること:自分なりの12か月の草木の一覧を作り、花札の12種と比べる。選んだものが、その月に見られる草木かどうかを図鑑で確かめると、花札の絵がどれほど暦と結びついているかが見えてくる。

出かけてできること:三池カルタ・歴史資料館(福岡県大牟田市)は、カルタの歴史を展示している[1]。禁令や解禁の細部は、大石天狗堂の前田氏のインタビューなど、店側の視点で語られた資料が読める[4]。

公式情報:任天堂の沿革ページ[7]。花札の起源については、事典類にも説明の差があるので、複数の資料を読み比べたい。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料。事典・博物館・企業の公式ページ・店の話を突き合わせている。

  1. Crossroad Fukuoka(福岡県観光サイト)「三池カルタ・歴史資料館」 https://www.crossroadfukuoka.jp/spot/12857 (三池でのカルタ誕生の説明)
  2. 改訂新版 世界大百科事典・デジタル大辞泉「花札」(kotobank掲載) https://kotobank.jp/word/%E8%8A%B1%E6%9C%AD-115704 (天正カルタ、12か月の草木、禁令の年、解禁と最盛期)
  3. World of Playing Cards「Unsun Karuta」 https://www.wopc.co.uk/japan/unsun (天正カルタからうんすんカルタ、人吉に残った遊び)
  4. 同志社女子大学 インタビュー「大石天狗堂を訪ねて」(前田俊行氏) https://www.doshisha.ac.jp/attach/page/OFFICIAL-PAGE-JA-270/139732/file/113Interview.pdf (禁令と解禁、輸出の話)
  5. Wikipedia日本語版「花札」 https://ja.wikipedia.org/wiki/花札 (山口屋儀助の「武蔵野」の話。ほかの資料での確認はまだ十分でない)
  6. 京阪電車 沿線の名店「大石天狗堂」 https://www.keihan.co.jp/navi/famous/famous160.html (米問屋の顔で花札を売った言い伝え)
  7. 任天堂「会社の沿革」 https://www.nintendo.co.jp/corporate/history/ (花札の製造開始とトランプ製造)

なおした ところ

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