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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

てんしょうカルタと はなふだは、おなじ 四十八まいなのに どこが ちがうの?

同じ48枚なのに、分け方が逆 ── 天正カルタと花札の違いと、つながり

天正カルタ「4種×12枚」と花札「12種×4枚」── 同じ48枚の組み替えと、エースの龍が消えた経緯

分野:歴史・文化

むかしの カルタに、てんしょうカルタが あります。はなふだと おなじ 四十八まいです。でも、わけかたが ぎゃくに なっています。

てんしょうカルタの 「一」の ふだには、りゅうが かかれて います。はなふだに りゅうは いません。どうして こんなに ちがうのでしょう。この メモを 読むと、二つの ふだの つながりが 分かります。

天正カルタと花札は、どちらも48枚です。ところが、天正カルタは「4種類×12枚」、花札は「12種類×4枚」と、分け方がちょうど入れかわっています。しかも天正カルタの初期の札では、エース(1の札)に龍が描かれていました。

同じ枚数なのに、なぜ形がちがうのか。龍はどこから来て、どこへ消えたのか。二つの札のつながりが分かります。

天正カルタと花札は、ともに48枚である。だが構成は逆で、天正カルタは4種×12枚、花札は12種×4枚と、事典は「組み替え」と説明する[2]。さらに天正カルタの初期の札の各エースには龍が描かれ、花札にはない[4]。

同じ枚数の札が、なぜ逆の分け方になったのか。龍の絵柄はどこから来たのか。二つの札の関係と、天正カルタが使われなくなった経緯が分かる。

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1. おなじ 四十八まいは、どう わけて ある?

1. 同じ48枚が、どう分けられているか

1. 48枚の分け方 ── 4種×12枚と12種×4枚

てんしょうカルタは、四しゅるいの マークが あります。コップ、きんか、こんぼう、けんです。マークごとに 十二まいずつ。「一」から「九」までの かずの ふだと、人の ふだが 三まいです[1]。

はなふだは、十二しゅるいの 草や 木が あります。まつ、うめ、さくらなど です。一つの 草木に 四まいずつ あります[2]。

四かける 十二も、十二かける 四も、四十八。おなじ かずでも、まとめかたが ぎゃくです。さて、てんしょうカルタの 「一」の ふだには、なにが いるのでしょう。

4つのマークの札と、12か月の草木の札

天正カルタには、コップ・金貨・棍棒・剣の4種類のマークがあります。各マークは、1から9までの数の札と、人物を描いた札3枚の計12枚です[1]。人物の札の呼び名は、僧侶・騎士・武将とする辞典や、別の呼び方をする解説があり、資料によって少しちがいます。

花札は、1月から12月までに松・梅・桜・藤・菖蒲・牡丹・萩・薄・菊・紅葉・柳・桐を当て、それぞれ4枚、計48枚です[2][3]。

天正カルタは「4種×12枚」、花札は「12種×4枚」。事典は、花札が天正カルタを組み替えたものだと説明します[2]。ただし、これは事典の整理で、作った人が意図して並べ替えたという記録があるわけではありません。では、天正カルタのもとになった札は、どんな姿だったのでしょうか。

天正カルタは、コップ・金貨・棍棒・剣の4種のマーク(紋標)をもち、各紋標は1〜9の数札と3枚の人物札、計12枚である[1]。人物札の呼び名は、僧侶・騎士・武将とする辞典と、別の名を挙げる解説があり、資料間で揺れる。

花札は、1〜12月に松・梅・桜・藤・菖蒲・牡丹・萩・薄・菊・紅葉・柳・桐を当て、各4枚、計48枚を組む[2][3]。事典は、これを天正カルタの「4種12枚」の「12種4枚」への組み替えと説明する[2]。ただし「組み替え」は事典の整理であり、作り手が意図して並べ替えたとする資料はない。

枚数が一致するのは偶然ではなさそうだが、では天正カルタ自体は、何を写した札だったのか。次の章で、エースの龍から調べる。

2. 「一」の ふだに、どうして りゅうが いるの?

2. エースに龍がいるのはなぜか

2. エースの龍 ── ヨーロッパの札の型が日本に残った

てんしょうカルタの 「一」の ふだは、ぜんぶの マークで、りゅうが かかれて います[4]。日本の ふだなのに、どうして りゅうなのでしょう。

りゅうの ふだは、十六せいきごろ、ヨーロッパの いくつもの くにで 人気の あった かたちでした。てんしょうカルタの もとに なったのは、その ような ふだに ちかいと、けんきゅうで いわれます[4]。

日本の ふだに、海の むこうの えが のこった。この えが 日本の ふだに のこった ことは、ろんぶんでも とりあげられて います。では、日本に 来た ふだは、そのまま つかわれたのでしょうか。

龍のエースは、ヨーロッパの人気の型だった

天正カルタの初期の札では、4つのマークのエース(1枚目)に、それぞれ龍が描かれています[4]。花札には龍はいません。

この「龍のエース」を持つ型は「ドラゴン・パターン」と呼ばれ、16世紀にヨーロッパの複数の国で作られた人気の型でした。研究では、天正カルタのもとの札は、1550年ごろのアントウェルペンの札や、1560年代のフロレス社の札に近いとされます[4]。この型の発祥地はスペインだとする研究もあり、国は決まっていません。

ヨーロッパの絵柄が日本の札に残っていることは、世界の研究者の関心を引いてきました[4]。ところが、日本に来た札は、そのままの姿では長く続かなかったようです。

天正カルタの初期の札では、各紋標のエースに龍が描かれる[4]。これは、16世紀にヨーロッパの複数の国で作られた「ドラゴン・パターン」の特徴で、研究では、天正カルタの祖型は、1550年ごろのアントウェルペンの札や、1560年代のフロレス社の札に近いとされる[4]。フロレス社の札は、1組48枚全部の図像が確認できる最古の現物資料とされる。

この型の発祥地をスペインとする研究もあり、断定はされていない。ヨーロッパの絵柄が日本の札に残った点が、国際的な研究者の関心を引いている[4]。

花札に龍が現れないのは、「組み替え」の過程で消えたのか、それとも別の経路があったのか。その手がかりは、天正カルタ自身が日本でたどった変化にある。

3. にほんに 来た ふだは、どう かわったの?

3. 日本に来た札は、どう姿を変えたか

3. 国産化と図像の簡略化 ── 紺と朱の絵になった理由

日本で つくられ はじめた ふだは、さいしょから すこし ちがって いました。ふくそうや えの かきかたが、日本ふうに なって いたのです[4]。

えどじだいに なると、ふだは さらに かわります。しろい かみに、こんいろと しゅいろの かんたんな えに なりました[4]。

けんきゅうでは、こう かんがえます。ばくちには、なんの えか わからなくても、ほかの ふだと 見わけられれば よかった。だから かんたんな えが べんりだった、と[4]。ただし これは けんきゅうしゃの かんがえです。

ふだは ばくちに つかわれ、ばくふに きんじられました。それでも 人気は きえず、えや あそびかたを かえて、あそばれつづけました[4]。

人物の服装は、はじめから日本風だった

天正カルタの国産化は16世紀に始まり、17世紀の末まで作られたとされます。初期の札は、もとの札に近い絵柄でした。それでも人物の服装や描き方は、すでに日本風に置きかえられていました[4]。

白地に紺と朱の、簡単な絵へ

江戸時代になると、図像は白地に紺色と朱色の簡単な絵へ変わります(現存する札は18〜19世紀のもの)[4]。ここで考えられたのが、賭けごとにとっての便利さです。何の絵かが分からなくても、ほかの札と区別できれば遊べるので、様式化された絵はかえって都合がよかった、と論文は考察しています[4]。

禁じられても、遊ばれ続けた

天正カルタは賭けごとに使われて全国に広まり、幕府に禁じられました。それでも人気は絶えず、図案や遊び方を変えながら江戸時代を通じて遊ばれ続けました[4]。禁止の時期は資料によって説明が分かれます。

龍の絵は、こうして何の絵か分からない図案の中へ薄れていきました。そこへ、新しい48枚の札が現れます。

天正カルタの国産化は16世紀に始まり、17世紀末まで続いた。初期の札は祖型に近いが、人物の服装や描き方は、すでに日本風に置きかえられていた[4]。

江戸時代の第2期の札(現存は18〜19世紀)は、白地に紺と朱の簡略な図像に変わる。論文は、何が描かれているかを理解しなくても札を区別できればよい賭け遊びでは、様式化がかえって有効だったと考察する[4]。これは考察であり、断定ではない。

天正カルタは賭けごとに使われて全国へ普及し、幕府に禁じられた。それでも人気は絶えず、図案と遊び方を変えて遊ばれ続けた[4]。禁止の時期は資料で食い違い、日本国語大辞典は元禄頃とするため、年は断定しない。

図像が簡略になるほど、龍のような具体的な絵柄は読み取りにくくなる。この状況で成立するのが花札である。

4. はなふだは、どうやって できたの?

4. 花札は、どのようにして生まれたのか

4. 花札の成立 ── 天正カルタと「花鳥合せ」の折衷説

はなふだが できたのは、えどじだいの ごろ だと いわれます。いつ できたかは、本に よって ちがいます[2][3]。

ゆうりょくな せつは、こうです。てんしょうカルタと、「かちょうあわせ」という べつの ふだを、まぜて つくった。ばくちの かるたが きんじられた とき、かわりの ふだとして うまれた、とも いわれます[2]。ただし、きまった せつでは ありません。

天正カルタで あそんで いた あそびかたの 一部は、はなふだでも あそばれるように なりました。そこは たしかな ことだと、けんきゅうでは のべられて います[4]。

二つの流れを折衷した、という有力な説

花札の成立については、天正カルタと、教育用のかるたの流れをくむ「花鳥合せ」を折衷して作られたという説が有力とされます。寛政の改革で賭博系のかるたが禁じられたため、その代用品として生まれた、という説明も付きます[2]。ただし、これは有力な説であり、定説ではありません。

成立の時期も、資料で食いちがいます。事典は文化・文政年間(1804〜1830ごろ)とし、Wikipediaは遅くとも寛政年間(1789〜1801)としています[2][3]。この記事では、江戸時代の後期とだけ書きます。

遊び方は、受けつがれた

花札と天正カルタの関係は議論が続いています。ただ、かつて天正カルタで行われていた一部の遊び方が花札で行われるようになったのは事実だと、論文は述べます[4]。

花札は、天正カルタと、教育系かるたの流れをくむ「花鳥合せ」を折衷して創られたという説が有力とされる。寛政の改革で賭博系かるたが全面禁止されたため、その代用品として生まれたとの説明が付く[2]。ただし有力説であり、定説ではない。

成立時期も資料で割れる。コトバンクは文化・文政年間(1804〜1830ごろ)とし、Wikipediaは遅くとも寛政年間(1789〜1801)とする[2][3]。このため、本稿は「江戸後期」にとどめる。

両者の関係は議論があるものの、かつて天正カルタで行われた一部の遊び方が花札で行われるようになったのは事実だと、論文は述べる[4]。どの遊びかは、この資料では特定されていない。

5. てんしょうカルタは、そのあと どうなったの?

5. 天正カルタは、そのあとどうなったか

5. 天正カルタの衰退と地方札 ── 幕末・明治のトランプと花札の人気

ばくまつから めいじに なると、トランプや はなふだが 人気に なりました。そのぶん、てんしょうカルタは つかわれなく なって いきます[4]。

でも、きえて しまった わけでは ありません。おもに 地方で、その 土地ごとの あそびかたや、せんようの ふだが うまれました[4]。

てんしょうカルタの 名まえは、「てんしょうきんいりごくじょうしいれ」と かかれた ふだから ついたと、かんがえられて います[1]。ただし、この ふだが 今も のこって いるかは、はっきりして いません。

トランプと花札に席をゆずった

幕末から明治にかけて、トランプ(当時は「西洋カルタ」)や花札が人気になるにつれて、天正カルタは使われなくなっていきました[4]。

天正カルタは主に地方で遊ばれるようになり、地域ごとの遊び方や専用の札(地方札)が生まれました[4]。花札が広まる一方、天正カルタは地方で遊ばれ、地域ごとの札や遊び方が生まれました。

名前の由来

「天正カルタ」の名は、最初の札に「天正金入極上仕入」と記されていたことに由来すると考えられています[1]。この銘のある札が現存するかどうかは、はっきりしていません。

幕末・明治にトランプ(当時の呼称は西洋カルタ)や花札が人気になるにつれ、天正カルタは使われなくなった。一方で主に地方で遊ばれ、地域ごとの遊び方と専用の札(地方札)が生まれた[4]。

名称の由来は、最初の札に「天正金入極上仕入」と記されていたこととされる[1]。ただしこの銘の現存品は確認されていないとする資料もあり[1]、「と考えられている」の域を出ない。

龍のエースが花札から消えたのも、天正カルタが地方へ退いたのも、同じ時代の出来事である。実物を見るには、どこへ行けばよいのか。

6. もっと 知りたく なったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

6. 自分でも調べてみたくなったら

今日できること:かみを 四十八まい きって、一から 十二までの 数字を、四かいずつ かいて ください。まず、一から 十二を ならべた 列を 四つ つくります。これが 四かける 十二の ならべかたです。つぎに、おなじ 数字を 四まいずつ あつめて、十二の 山に します。おなじ 四十八まいでも、見え方が かわります。

出かけて できること:ふくおか県 おおむた市の 「みいけカルタ・れきし しりょうかん」は、りょこうの しょうかい きじで、日本で いちばん ふるいと される てんしょうカルタの ふくげんひんが あると のっています[5]。ふくげんひんで、本ものでは ありません。

公式の じょうほう:てんじの ないようは かわる ことが あります。行く まえに、しりょうかんの ホームページで 見て ください。

今日できること:紙を48枚に切り、1から12までの数字を4回ずつ書いてください。まず、1〜12を並べた列を4つ作ると「4種×12枚」の並びになります。次に、同じ数字を4枚ずつ集めて12の山にすると「12種×4枚」の並びです。同じ48枚でも見え方が変わります。

出かけてできること:福岡県大牟田市の三池カルタ・歴史資料館は、旅行紹介の記事で、日本最古とされる天正カルタの復元品を展示していると書かれています[5]。展示されているのは復元品です。実物ではありません。

公式情報:展示の内容は変わることがあります。出かける前に、資料館の案内を確かめてください。

今日できること:紙札を48枚つくって1〜12の数字を4回ずつ書き(4組×12枚)、「4種×12」と「12種×4」の二通りに並べて、同じ48枚の見え方の違いを確かめる。

出かけてできること:三池カルタ・歴史資料館(福岡県大牟田市)は、日本最古のカルタとされる天正カルタの復元品などを展示していると紹介されている[5]。展示品は復元品である点に注意したい。

資料を読むなら:マスキオ・パオラ「江戸時代における天正カルタの図像の変容」(国際日本学論叢17)は、龍のエースから江戸の簡略化、花札との関係まで扱う[4]。注17では花札の成立時期に関する説の差も触れられている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料。事典・論文・観光案内を突き合わせている。

  1. コトバンク「天正かるた」(ブリタニカ国際大百科事典ほか) https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E6%AD%A3%E3%81%8B%E3%82%8B%E3%81%9F-102441 (4種×12枚の構成、名前の由来)
  2. コトバンク「花札」(日本大百科全書系) https://kotobank.jp/word/%E8%8A%B1%E6%9C%AD-115704 (12種×4枚への組み替え、成立説)
  3. Wikipedia日本語版「花札」 https://ja.wikipedia.org/wiki/花札 (12か月の草木、成立時期の説の差)
  4. マスキオ・パオラ「江戸時代における天正カルタの図像の変容」(国際日本学論叢17) https://hosei.ecats-library.jp/da/repository/00026198/knr_17_p94.pdf (エースの龍、ヨーロッパの祖型、図像の簡略化、衰退)
  5. たびマガ「三池カルタ・歴史資料館」 https://tabi-mag.jp/fu0075/ (復元品の展示の紹介)

なおした ところ

更新履歴

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