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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

カレンダーの 2がつは、どうして ほかより みじかいの?

カレンダーの2月だけ日数が少ないのは、皇帝に日を取られたから?

月の日数はなぜそろっていないのか:ローマ暦の継ぎ足しと、2月・8月の俗説

分野:歴史・文化

2月だけ 28日しか ないのは、「アウグストゥスが 8月に 日を たすために、2月から 1日 とったから」と いう はなしを きいた ことは ありませんか。でも この はなしは、古い しりょうに ねっこが ないと されて います。

では、月の 日数は どう きまったのでしょう。この ページでは、ローマと 日本の こよみの はなしから、そのわけが わかります。

「2月が短いのは、皇帝アウグストゥスが自分の月に日を足すため、2月から1日取ったから」。そう説明されることがありますが、古い資料にこの話の根拠はなく、13世紀の学者が作った話かもしれないとされています[1][5]。

では、月の日数はどう決まったのでしょうか。この記事を読むと、月の満ち欠け、偶数ぎらい、10日の足し算、日本の明治の改暦までが、一本の線でつながって分かります。

「2月が短いのは、アウグストゥスが8月を31日にするため、2月から1日を取ったからだ」という説明は、根拠のない話とされる。13世紀の学者サクロボスコが作った可能性が指摘されている[1][5]。

では、月ごとの日数は何によって決まったのか。このメモを読むと、月の満ち欠け12回分に近い長さだったローマ暦への日数の継ぎ足し、10日の配分、日本の明治5年の改暦までが分かる。

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1. 31にちの 月は、いくつ ある?

1. 数えてみると、31日・30日・28日がでこぼこに並ぶ

1. 数えてみると:31日が7つ、30日が4つ、2月だけ28日

カレンダーを 1月から 12月まで、1つずつ 日にちを かぞえて みましょう。31日の 月が 7つ、30日の 月が 4つ、2月だけが 28日です。

ぜんぶ たすと、365日に なります。7月と 8月が つづけて 31日なのも、ふしぎです。

30日の 月は、「にし むく さむらい」と おぼえる 人が います。2・4・6・9と、「さむらい」を 漢字の かたちで 十と 一に わけた 11月です。これは いいつたえの おぼえかたです[9]。

どうして こんな でこぼこに なったのでしょう。

カレンダーの日数を足してみる

手元のカレンダーで、1月から12月まで日数を数えてみます。31日の月が7つ、30日の月が4つ、2月が28日です。31×7=217、30×4=120、これに28を足すと365日になります。

交互に並べればきれいになりそうなのに、7月と8月は31日が続きます。

覚え方に残る「でこぼこ」

30日の月の覚え方に、「西向く侍」があります。「西」は2・4・6・9月、「侍」の「士」を十と一に分けて11月です。言い伝えの覚え方として知られていて[9]、でこぼこを覚えるために、わざわざ語呂合わせが作られたことになります。

このでこぼこは、誰かが一度に設計した並びなのでしょうか。

手元のカレンダーで日数を数えると、31日の月が7つ(1・3・5・7・8・10・12月)、30日の月が4つ(4・6・9・11月)、2月が28日(うるう年は29日)になる。31×7=217、30×4=120に28を足して365日である。交互に並べればそろいそうなのに、7月と8月は31日が続く。

30日の月の覚え方として、「西向く侍」(「西」は二・四・六・九、「侍」の「士」を十と一に分けて十一月)がある[9]。由来の時期ははっきりしないため、言い伝えの覚え方として紹介するにとどめる。

この並びは、誰かが一度に設計したものではないらしい。月の満ち欠け12回分に近い長さの暦へ、太陽の1年に合わせるための日数を後から足し継いだ結果と読むと筋が通る。では、足し継ぐ前の姿はどんなものだったのか。

2. 月の みちかけと、ローマの 10この 月の こよみ

2. 月の満ち欠けは約29.5日。ローマ最初期の暦は10か月しかなかった

2. 朔望月29.53日と、304日・10か月だったローマ最初期の暦

むかしの 人は、夜空の 月を こよみの ものさしに しました。まんげつから つぎの まんげつまで、およそ 29.5日です[6]。

そこで、ひと月を 30日と 29日に して、かわりばんこに ならべる こよみが できました。30日の 月を 大の月、29日の 月を 小の月と いいます。

ずっと むかしの ローマの こよみは、1年が 10この 月しか なく、ぜんぶで 304日だった と いわれます[1]。3月から はじまり、31日の 月が 4つ、30日の 月が 6つ でした。

そのあと、ヌマと いう 王さまが 1月と 2月を たして、12この 月に した、という いいつたえが あります[2]。ところが、できあがった 1年には、ふしぎな ことが ありました。

30日と29日が交互に来る月

月の満ち欠けが一巡する周期(朔望月)の平均は約29.53日です。そのため、月の満ち欠けに合わせて月を区切る暦では、ひと月が30日(大の月)か29日(小の月)になります。実際の月の動きでは、大の月が続くこともあるそうです[6]。

29.53日を12回くり返すと、約354日です。太陽の1年(約365日)には10日あまり足りません。

10か月・304日の暦

ローマのいちばん古い暦は、3月から始まる10か月で、1年が304日だったとされます[1]。31日の月が4つ、30日の月が6つなので、31×4+30×6=304です。

その後、伝承ではヌマ王が1月と2月を加えて12か月にしたといわれます[2]。伝承なので、史実としては言い切れません。月を足したとき、日数の決め方に奇妙なことが起きました。

月の満ち欠けが一巡する周期(朔望月)の平均は約29.53日である[6]。そのため、月の満ち欠けに合わせて月を区切る暦では、朔日(ついたち)から次の朔日までが30日の月(大の月)か29日の月(小の月)になる。実際の月の動きでは、大の月が連続する場合もある[6]。29.53日を12回で約354.4日になるので、太陽の1年(約365日)には10日あまり届かない。

ローマの最初期の暦は、3月から始まる10か月で、1年が304日だった[1]。31日の月が4つ(3・5・7・10月に当たる月)、30日の月が6つで、31×4+30×6=304になる。その後、伝承ではヌマ王が1月と2月を加えて12か月にしたとされる[2]。伝承であり、史実とは断定できない。

問題は、月を加えたあとの日数の決め方である。ここに奇数と偶数の話が出てくる。

3. 2月だけ ぐうすうに なった わけ

3. 奇数ばかりにしたら、2月だけ偶数が残った

3. 355日の暦:奇数を12個足すと偶数になる

ローマの 人たちは、2・4・6の ような ぐうすうを、ふきつな かずと かんがえて いた と いわれます[2]。それで 月の 日数を、1・3・5の ような きすうに そろえようと しました。

ヌマ王の こよみでは、30日の 月を 29日に へらし、1月も 29日に しました。31日の 月と あわせて、11この 月が きすうです。のこる 2月だけが 28日で、ぐうすうでした[2]。

どうして 2月だけ なのでしょう。きすうを 12こ たすと、かならず ぐうすうに なります。1年は 355日で、きすうです。だから どこか 1つは ぐうすうに しないと、ごうけいが あいません。

2月は、なくなった 人を まつる 月で、ふきつでも よい と かんがえられた らしい、という 説明せつめいが あります[2]。ただし これは むかしの 説明せつめいの 1つで、2月が ふきつだから みじかい、と きめつけられる わけでは ありません。

29日と31日で、1年は355日

伝承では、ヌマ王は30日の月から1日ずつ減らして29日にし、1月を29日、2月を28日にして、1年を355日にしました[2]。月の満ち欠け12回分(約354日)に近い長さです。

偶数をきらったローマの人たち

ローマの神官たちは偶数を不吉な数と考えたとされ、月を奇数の29日か31日にそろえたと説明されます[2]。ところが、奇数を12個足すと、合計は必ず偶数になります。355は奇数なので、12か月のうち少なくとも1か月は偶数にしないと合いません。その1つが、2月の28日でした。

2月は亡くなった人を祀る月で、不吉でもよいと考えられたらしい、という説明があります[2]。ただ、これは当時の説明の一つです。2月が不吉だから短い、と因果を言い切ることはできません。

こうして355日の暦ができました。それでも、太陽の1年とは約10日の差が残っています。

伝承では、ヌマ王は30日の月から1日ずつ減らして29日にし、新しい1月を29日、2月を28日にして、1年を355日にした[2]。月の満ち欠け12回分(約354日)にほぼ合う長さである。

この日数の決め方には、ローマの神官たちが偶数を不吉と考えたという説明が付けられている[2]。月を29日か31日の奇数にそろえたわけだが、ここで数の都合が生じる。奇数を12個足すと合計は必ず偶数になる。355は奇数なので、12か月のうち少なくとも1か月は偶数でなければ合計が合わない。その1つが2月の28日として残った、という筋である。

2月は亡くなった人を祀る月で、不吉でもよいと考えられたらしいという説明もある[2]。ただし、これは当時の説明の一つにとどまり、「不吉な月だから短い」という因果を断定する根拠にはならない。

こうして355日の暦ができた。だが、太陽の1年とは約10日の差が残っていた。この差を、ローマ人はどう埋めようとしたのか。

4. 10日 たりない ずれを、どうした?

4. 閏月で季節とずれた暦を、カエサルが10日足して改めた

4. 閏月の乱れとユリウス暦:355日に10日を配る

355日の ローマの こよみは、たいようの 1年より、およそ 10日 みじかい ものでした[4]。

月の こよみと たいようの こよみは、ちがう はやさの 2つの とけいの ようです。1年たつと、月の とけいが 10日ほど さきに おわります。ただし ほんとうは、とけいの はりでは なく、月と たいように あわせた かぞえかたの ちがいです。

ずれを なおすため、2〜3年に 1回、うるうの 月を まんなかに 入れました。でも、いつ 入れるかは おいのりを する 人の はんだんでした。入れかたが みだれて、きせつと ずれて しまいました[4]。

2000年 いじょう まえ、カエサルが 445日も ある 長い 年を つくって ずれを なおし、つぎの 年から 365日の こよみに しました[1][2]。355日に 10日 たすと 365日です。

この 10日は、29日だった 7つの 月に くばられた と 説明せつめいされて います。もとから 31日だった 月(3・5・7・10月)と 2月は、そのままでした。2月に 手を つけなかった のは、ふきつな 月だからと する 説明せつめいが あります[3]。

10日の差と、神官の閏月

355日の暦は、太陽の1年より約10日短いため、そのまま使うと季節とずれていきます。そこで、27日か28日とされる閏月を2〜3年に1度ほど入れて合わせる決まりでした(日数や間隔は資料によって書き方に差があります)。ただ、いつ入れるかは神官の判断で、入れ方が乱れて、季節とずれてしまいました[4]。

445日の年と、新しい暦

この混乱を終わらせたのがカエサルです。紀元前46年には、調整のために1年を445日にしました。そして紀元前45年から、ユリウス暦を始めました[1][2]。1年を365日にするため、355日の暦に10日を足しています。

10日の置き場所

資料の説明では、もとから31日の月(3・5・7・10月)と2月には手を付けず、29日だった7つの月に10日を割り振りました。説明から計算すると、1・8・12月が2日ずつ増えて31日、4・6・9・11月が1日ずつ増えて30日です。2×3+1×4=10になり、355+10=365と合います[3]。2月に手を付けなかったのは、縁起の問題だとする説明があります。

これで、今のカレンダーと同じ並びになりました。では、2月や8月について広まっている「あの話」は、どこから来たのでしょうか。

355日の暦は太陽の1年より約10日短いため、そのまま使うと季節とずれていく。そこで閏月(27日か28日とされる。日数や間隔は資料により差がある)を2〜3年に1度ほど入れて合わせる決まりだったが、いつ入れるかは神官の判断に任され、挿入が乱れて季節とずれた[4]。

この混乱を終わらせたのがカエサルである。紀元前46年に、調整のため1年を445日の「混乱の年」にし、紀元前45年からユリウス暦を始めた[1][2]。1年を365日にするため、355日の暦に10日を足した。

10日の置き場所が、いまの月の日数を決めた。資料の説明では、もとから31日の月(3・5・7・10月)と2月には手を付けず、29日だった7つの月に割り振った。説明から計算すると、1・8・12月が2日ずつ増えて31日、4・6・9・11月が1日ずつ増えて30日である。2×3+1×4=10で、355+10=365になる[3]。この内訳は引用から計算した数なので、個々の月の配分を資料の言葉として断定はしない。2月に手を付けなかったのは縁起の問題だとする説明がある。

これで、今のカレンダーと同じ並びになった。では、2月や8月について広まっている「あの話」は、どこから来たのか。

5. 「2月から 日を とった」は ほんとう?

5. 「2月から1日取った」話の根拠はどこにあるのか

5. アウグストゥスの話の出どころ:8月の改名と作り話

「アウグストゥスが 自分の 8月を 31日に するために、2月から 1日 とった」。この はなしを、きいた ことが あるかも しれません。アウグストゥスは、ローマの さいしょの 皇帝こうていです。

でも この はなしには、古い しりょうに ねっこが ないと されます。13世紀せいきの 学者が つくった はなしかも しれない、という 説せつも あります[1][5]。8月は、カエサルの かいれきで 31日に なったと されます[5]。

8月の 名前が アウグストゥスに かわったのは、紀元前きげんぜん8年です。りゆうは、この 月に はじめて 大きな やくめに ついた ことなどで、日数を かえる はなしでは ありません[5]。

「7月と 8月が つづけて 31日」も、そろえようと きめた けっかでは ありません。ユリウスの こよみで、日数を くばった けっかと されます[1]。

8月は、カエサルの改暦で31日になったとされる

「皇帝アウグストゥスが自分の月を31日にするため、2月から1日取った」という説明に、根拠はないとされます。13世紀の学者サクロボスコが作った話かもしれない、という指摘もあります[1][5]。8月(当時の名前はセクスティリス)は、ユリウス暦を作ったカエサルの改暦で29日から31日になったとされます[5]。ただし、ベルギー王立天文台の資料は、8月がいつ31日になったかをはっきり述べていません[2]。資料によって食いちがいがあるので、「とされる」の範囲で読むのが安全です。

名前が変わった理由

セクスティリスが「アウグストゥス」(8月)に変わったのは紀元前8年です。古代の著作家マクロビウスが引いた元老院の決議は、アウグストゥスが8月に初めて執政官になったことなどを理由に挙げています。日数を変える話ではありません[5]。

7月と8月が続く31日

「奇数月は31日、偶数月は30日になるようにカエサルがそろえた」という説明も、根拠のない作り話とされます[1]。7月と8月が続けて31日なのは、ユリウス暦で各月の日数が決まった結果です。7月はもとから31日で、8月は29日に2日足されて31日になった、と計算できます。

ローマの暦は、こうして今の形になりました。では、同じ「月の大小」を、日本ではどう扱っていたのでしょうか。

「皇帝アウグストゥスが自分の月を31日にするため、2月から1日を取った」という説明は、広まっているが、資料は根拠がないとし、13世紀の学者サクロボスコが作った話かもしれないとする[1][5]。8月(当時はセクスティリス)は、ユリウス暦を作ったカエサルの改暦で29日から31日になったとされる[5]。なお、ベルギー王立天文台の資料は8月がいつ31日になったかを明らかにしておらず、資料のあいだで食いちがいがある[2]。

8月の名前がセクスティリスからアウグストゥスに変わったのは紀元前8年である。古代の著作家マクロビウスが引いた元老院の決議は、アウグストゥスが8月に初めて執政官になったことなどを理由に挙げており、日数を変える話ではない[5]。

「奇数月は31日、偶数月は30日になるようにカエサルがそろえた」という説明も、根拠のない作り話とされる[1]。7月と8月が続けて31日なのは、ユリウス暦で各月の日数が決まった結果である。前章の計算に当てはめると、7月はもとの暦から31日で、8月は29日に2日が足されて31日になった。「そろえた」のではなく、10日をどの月に置くかの結果として、たまたま31日が2つ続いたと読める。

ここまではローマの話である。月の長さが毎年同じではなかった日本の暦は、どう違っていたのか。

6. 日本の 月は、毎年 ならびが ちがった

6. 日本では、大の月と小の月が毎年入れかわった

6. 旧暦の大小と大小暦、明治5年12月3日の改暦

むかしの 日本の こよみでも、大の月は 30日、小の月は 29日でした。ところが どの 月が 大で どの 月が 小かは、毎年 ちがいました。つぎの 年の こよみを、毎年 けいさんして きめて いた からです[7]。

そこで 江戸時代えどじだいには、大の月と 小の月の ならびだけを しるした「大小暦だいしょうれき」が、おおはやりしました[7]。えや 文の 中に かくして、おもしろさを きそった ものも あった と いわれます[9]。

明治めいじ5年に、日本は たいようを もとにした こよみに かえる ことを きめました。明治めいじ5年の 12月3日が、そのまま 明治めいじ6年の 1月1日に なりました[8]。

きまってから 3しゅうかんほどで かわったので、12月は 2日で おわった ことに なります。大小暦だいしょうれきは いらなく なり、作られなく なりました[8]。

毎年変わる大と小の並び

江戸時代までの日本の暦(太陰太陽暦)でも、大の月は30日、小の月は29日で、2〜3年に1度は閏月が入りました。次の年の暦を毎年計算して決めたため、大の月と小の月の並びは毎年変わりました[7]。

大小暦という暮らしの道具

そこで、大小の並びだけを知らせる「大小暦」が江戸時代に大流行しました[7]。絵や文章のなかに大の月と小の月を織り込み、工夫やユーモアを競ったものもあったといわれます[9]。毎年並びが変わるので、毎年新しい大小暦が求められたと読めます。

明治5年12月3日が、明治6年1月1日に

明治5年11月9日の詔書で、太陽暦への改暦が決まりました。そして明治5年12月3日が、明治6年1月1日になりました[8]。実施まで3週間ほどしかなく、12月は2日で終わった計算になります。太陽暦の採用で、大小暦は必要なくなり、作られなくなりました[8]。

江戸時代まで使われた日本の旧暦(太陰太陽暦)では、大の月は30日、小の月は29日で、2〜3年に1度は閏月が入った。次の年の暦を毎年計算して決めたため、どの月が大でどの月が小かは毎年変わった[7]。

そこで、大小の並びだけを知らせる「大小暦」が江戸時代に大流行した[7]。絵や文章のなかに大の月・小の月を織り込み、工夫やユーモアを競ったものもあったといわれる[9]。毎年並びが変わるので、毎年新しい大小暦が求められたと読める。

この事情を変えたのが明治の改暦である。明治5年11月9日の詔書で太陽暦への改暦が決まり、明治5年12月3日が明治6年1月1日となった[8]。実施まで3週間ほどしかなく、12月は2日で終わった計算になる。太陽暦を採用すると、大小暦は必要がなくなり、作られなくなった[8]。太陽暦への改暦で毎年の大小の並びがなくなり、大小暦も作られなくなった。

7. たしざんで、ローマの こよみを つくろう

7. 足し算で、ローマの暦の日数を確かめる

7. 検算と資料案内:304日・355日・365日

かみと えんぴつで、たしざんを して みましょう。

1つめ。31日の 月 4つと 30日の 月 6つで、304日に なるでしょうか。2つめ。29日の 月 7つと、31日の 月 4つと、2月の 28日で、355日に なるでしょうか。3つめ。355に 10を たすと、365に なるでしょうか。

そのあと、いまの カレンダーで 7月と 8月の ところを ひらいて、31日が つづく ところを さがして みましょう。

もっと しりたい ときは、しらべたい ことを えらびましょう。大小暦だいしょうれきなら、国立国会図書館の「日本の暦こよみ」。ローマの こよみなら、下の しらべた もとの じょうほうに ある 解説かいせつです。どちらも、まず 年や 日数の ところだけ よんで みましょう。

電卓なしで、3つの合計を出す

紙と鉛筆で、次の3つを計算してみてください。①31日の月4つと30日の月6つで304日になるか。②29日の月7つ、31日の月4つ、28日の2月で355日になるか。③355に10を足して365になるか。①から③の答えが合えば、この記事の数字を自分の手で確かめたことになります。

資料を読み比べるなら

確かめたいことに合わせて、資料を選べます。大小暦なら、国立国会図書館の「日本の暦」と、国立天文台の暦Wikiの「月の大小」。明治の改暦なら、暦Wikiの日本の暦の解説。ローマ暦なら、出典欄のTøndering(トンダリング)とベルギー王立天文台の解説です。

ローマ人が偶数を避けた理由には、伝承に基づく説明があります。資料ごとに書き方がどう違うか、比べてみましょう。

3つの数字は、紙の上で検算できる。①31×4+30×6=304。②29×7+31×4+28=203+124+28=355。③355+10=365。この計算が合うことは、前章までの「29日だった7つの月に10日を割り振った」という説明が、数の上で矛盾していないことを示す。ただし、個々の月の配分は資料の説明から計算した数であり、原典の記述そのものではない。

資料を読み比べるなら、大小暦は国立国会図書館「日本の暦」と国立天文台の暦Wikiの「月の大小」、明治の改暦は暦Wikiの日本の暦の解説で読める。ローマ暦は、ベルギー王立天文台とTøndering(トンダリング)の解説、MercedoniusとSextilisの項目で、閏月と8月の改名を読み比べられる。

ローマ人が偶数を避けた理由や、ヌマ王の改暦は、いずれも伝承や解説の水準で書かれている。8月がいつ31日になったかも、資料によって書き方が分かれていた。どの資料がどこまで言い切っているかを比べると、ローマの話は「分かっていること」と「そう伝えられていること」に分けて読める。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・人名・日数の細部は、資料によって書き方が異なることがあります。

  1. Claus Tøndering, The Roman calendar https://www.tondering.dk/claus/cal/roman.php (304日・10か月の暦、カエサルの改暦、作り話の指摘)
  2. Royal Observatory of Belgium, The Roman and Julian calendars https://robinfo.oma.be/astro-info/calendar/the-roman-and-julian-calendars/ (ヌマ王の355日、偶数の迷信、445日の年)
  3. 国立天文台 暦Wiki「1年の月とは」 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CDD7C1C72F1A4ABB7EEA4C8A4CFA1A92FB7EEA4CEC6FCBFF4.html (10日の割り振り。内訳は筆者の計算)
  4. Wikipedia, Mercedonius https://en.wikipedia.org/wiki/Mercedonius (閏月の入れ方と乱れ。二次資料のため、閏月の日数・間隔はほかの資料とも見比べる)
  5. Wikipedia, Sextilis https://en.wikipedia.org/wiki/Sextilis (8月の31日と改名。二次資料のため、ベルギー王立天文台の解説と書き方が分かれる点は見比べる)
  6. 国立天文台 暦Wiki「月の大小」 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/B7EEA4CECBFEA4C1B7E7A4B12FB7EEA4CECEF1A4CEC2E7A4C8BEAE.html (朔望月29.53日、大の月と小の月)
  7. 国立国会図書館「日本の暦」 https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter2/s1.html (旧暦の大小、大小暦)
  8. 国立天文台 暦Wiki「日本の暦」の明治改暦の解説 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/wiki/CEF2BBCB2FC6FCCBDCA4CECEF12F6.CCC0BCA3B0DDBFB7A4C8C2C0CDDBCEF1.html (明治5年12月3日、実施までの期間)
  9. 和楽 (INTO JAPAN WARAKU) 大小暦の記事 https://intojapanwaraku.com/rock/art-rock/2329/ (西向く侍、大小暦の遊び心。紹介記事のため二次資料)

なおした ところ

更新履歴

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