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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

「はじめ・なか・おわり」と 起承転結きしょうてんけつは、なにが ちがうの?

「はじめ・なか・おわり」と「起承転結」は、何がちがうのか

三部構成と起承転結は、それぞれ何をするための型なのか:物語・説明文・レポートで使い分ける

分野:歴史・文化

じつは、起承転結きしょうてんけつは、もともと 四行の 漢詩かんしを つくる ための きまりでした。そして 大学の レポートの 書き方の こうざでは、「転は いらない」と おしえて いるそうです。

おなじ 「かた」なのに、いる ところと いらない ところが あるのは、どうしてでしょう。この ページを 読むと、国語で ならう 「はじめ・なか・おわり」と 起承転結きしょうてんけつが、それぞれ なんの ための ものかが わかります。

「起承転結」は、もとは4行の漢詩を作るときの型でした。ところが、大学のレポートの書き方講座では「転は必要ありません」と教えているそうです[4]。同じ「型」なのに、使いたい場面と使わない場面があるのはなぜでしょうか。

この記事を読むと、起承転結と、国語の授業で習う「はじめ・なか・おわり」が、それぞれ何をするための型なのかが分かります。

起承転結は、もとは4行からなる漢詩(絶句)の構成法として意識された型である[1]。ところが、大学のレポートの書き方講座では「転は必要ない」と教えられている[4]。同じ型でありながら、なぜ要る場面と要らない場面が生まれるのか。

この記事を読むと、起承転結と「はじめ・なか・おわり」が、それぞれ何を目的とした型であり、物語・説明文・レポートでどう使い分けられているかが分かる。

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1. レポートに、どうして 「転」は いらないの?

1. レポートでは「転」が要らないと言われるのはなぜか

1. レポートに「転」が要らないのは、型の目的がちがうからである

大学の せんせいが ひらいた レポートの 書き方の こうざでは、「レポートを 書く ときは、転は いりません」と つたえて いました。話が とつぜん かわると、なにを つたえたいのか わからなく なって しまうからだ、と 書かれて います[4]。

では、「転」は なんの ために あるのでしょう。じつは、起承転結きしょうてんけつと 「はじめ・なか・おわり」は、つくられた 目てきが ちがいます。

起承転結きしょうてんけつは、詩を おもしろく つくる ための 四つの ならべ方です。「はじめ・なか・おわり」は、物語の 中の 人が どう かわったかを 見たり、書いた 人の 考えを 人に つたえたり する ための、三つの わけ方です。

この ページでは、まず 「起」「しょう」「転」「けつ」の 生まれた ところから 見て いきます。

京都産業大学が開いたレポートの書き方講座では、「レポートを書くときは、転が必要ありません」と説明されたそうです。話の先が分からなくなる展開が入ると、何を伝えたいのかが読み手に伝わらなくなるから、という理由です[4]。

では、「転」は何のためにあるのでしょうか。手がかりは、この二つの型が作られた目的にあります。

起承転結は、もとは詩を組み立てる型でした。一方、この記事で取り上げる国語の授業では、「はじめ・なか・おわり」を、物語では登場人物の変化をとらえ、説明文では筆者の考えを追う手がかりとして使います。目的がちがうので、同じ「転」が、一方では見どころになり、もう一方では邪魔になります。

まず、起承転結の生まれた場所から見てみましょう。

京都産業大学のレポート講座では、「レポートを書くときは、転が必要ありません」と説明された。先の見えない展開が入ると、何を伝えたいのかが分からなくなるという理由である[4]。「転」は、いつでも役に立つ部品ではないらしい。

この食いちがいは、二つの型が作られた目的のちがいから説明できる。起承転結は詩を組み立てる型として意識され、国語の授業の「はじめ・なか・おわり」は、物語では中心人物の変容を読み、説明文では筆者の考えを追う手がかりとして使われている。目的がちがえば、「転」の位置づけも変わる。

ここでは資料に沿って、まず起承転結の出どころを確かめる。

2. 起承転結きしょうてんけつは、四行の 詩から うまれた

2. 4行の詩で「転」は見どころだった

2. 絶句の第3句:「転」が意表を突くことを求められた理由

むかしの 中国には、四行だけで できた 漢詩かんしが ありました。絶句ぜっくと いいます。

一行目は 「起」。話の はじまりを いいます。二行目は 「しょう」。一行目を うけて、もう すこし 話を ひろげます。三行目は 「転」。ここで 話の 場めんを ガラリと かえます。四行目は 「けつ」。ぜんたいを まとめて おわります。

三行目の 「転」は とくべつです。みんなが 「えっ」と 思うような めずらしさが ほしい、と されて います。詩の いちばんの 見どころに なるからです[1]。

たとえば、はる の けしきを ゆっくり ならべて きて、三行目で とつぜん 遠い 町の ことを うたう、と いった 感じです。(これは わかりやすく した たとえです。)そう すると、四行目で もどって きた とき、ぐっと 心に のこります。

辞典の説明によると、起承転結は、漢詩の中でも、4句だけでできた「絶句」の作り方として意識された型です。

第1句の「起」で詩の意味を言い起こし、第2句の「承」でそれを受けて発展させます。第3句の「転」で素材を転じ、第4句の「結」で全体を結びます[1]。

注目したいのは、第3句です。「転」は場面を変えるだけでなく、人の意表に出るような奇抜さが求められ、詩の見どころになるとされています[1]。たった4行の詩で、最後の1行に向けて読み手を驚かせ、余韻を残すための場所だった、といえそうです。

たとえば、春の景色を静かに2行並べておいて、3行目でいきなり遠い故郷を思う、という流れを想像してください(わかりやすくした例えで、実際の詩の引用ではありません)。4行目で気持ちが戻ってくるとき、読み手の心に残ります。

では、この「4行の型」は、詩の外へ出ていったのでしょうか。

辞典の説明によると、起承転結は、漢詩、とくに4句からなる絶句の構成法として意識された。第1句の起句で詩意を言い起こし、第2句の承句でそれを受けて発展させる。第3句の転句で素材を転じ、第4句の結句で全体を結ぶ[1]。

この中で「転」だけが特別な条件を課されている。転句は場面を転換するだけでなく、人の意表に出るような奇抜さが必要であり、一つの見どころになるとされる[1]。わずか4句の詩では、最後の結句に入る前に読み手の予想を裏切ることで、全体に起伏が生まれるためと考えられる(この理由づけは資料の記述をもとにした解釈である)。

たとえば、春の景色を2句続けて描き、第3句で突然遠い故郷へ視点を移す構成を想像すれば、結句で元の景色に戻ったときの効果が分かりやすい(説明用の仮の例であり、特定の詩の引用ではない)。

こうして詩の中では合理的だった型が、詩の外へ出たとき、何が起きたのか。

3. 四行の かたは、おはなしの 本や まんがにも ひろがった

3. 4行の型は、小説やまんがにまで広がった

3. 詩の型が散文・小説・音楽へ広がったとき、何が起きたか

四行の かたは、漢詩かんしの 中だけには とどまりませんでした。ほかの 詩にも つかわれ、さらに ふつうの 文しょうの 組み立てにも つかわれるように なりました[1]。

いまでは、お話の 本や ひとこまずつ すすむ まんが、音楽、おどりなど、時間と ともに すすむ ものなら 使える かたと、いわれて います[1]。

この ことばには、もう ひとつ ふしぎな ことが あります。もとの 文書では、さいごの 字は 「けつ」では なく 「ごう」と 読む 字で 書かれて いたようです。後に なって 「けつ」の 字が ふつうに 使われるように なりました[1]。ことばも、時間と ともに 少しずつ かわって きたようです。

辞典の説明によると、起承転結は絶句の中にとどまりませんでした。律詩や連歌、俳諧にも使われ、さらに散文の組み立てにも応用されるようになった、と説明されています[1]。

いまでは、戯曲、小説、連続漫画、音楽、舞踏など、時間の経過がある多くの芸術で使える型と考えられています[1]。「4コマ漫画の最後でひっくり返る」のも、同じ発想かもしれません。

言葉そのものにも、おもしろい経歴があります。もともとは詩人の口伝に出た言葉らしく、元のころの文献では最後の字は「結」ではなく「合」と書かれているそうです。「結」が普通に使われるようになったのは、あとのことです[1]。

ここまでで、起承転結は詩から広がった、「転で意表を突く」型だとわかりました。では、国語の授業で習う「はじめ・なか・おわり」は、何のための型なのでしょうか。

辞典の説明では、起承転結は絶句の外へ広がった。律詩に使われ、連歌や俳諧にも適用され、さらに散文の構成にも応用される[1]。この方法は、時間的な経過を持つ多くの芸術、すなわち戯曲、小説、連続漫画、音楽、舞踏にも適用できるとされる[1]。4コマ漫画の最後でひっくり返す構成は、その身近な例といえるかもしれない(資料に直接書かれているわけではなく、筆者の連想である)。

用語にも変遷がある。同じ辞典の説明によると、起承転結はもともと詩人の口伝に出た言葉らしく、元のころの文献では最後の字は「合」と書かれていて、「結」とするものは見あたらない。その後、「結」が普通に使われるようになったという[1]。型の名前自体が、時間をかけて形を変えてきたことになる。

ここまでに分かったのは、起承転結が詩の中で「転で意表を突く」役割を持ち、そのまま他の分野にも持ち込まれたことだ。では、国語の授業で使う「はじめ・なか・おわり」は、同じ目的の型なのか。

4. 物語を 三つに わけると、なにが 見えるの?

4. 物語を三つに分けると、主人公の変化が見えてくる

4. 物語の三部構成が見ようとしているもの:中心人物の変容

国語の じゅぎょうでは、物語を 「はじめ・なか・おわり」の 三つに わけて 読む ことが あります。ねらいは、物語の 中心に いる 人が、なにに であって、どう かわったかを 見つける ことだと、国語を おしえて いる 先生は はなして います[2]。

たとえば、なき虫だった 子が、友だちの ひとことを きっかけに、一ぽ ふみ出す お話が あるとします(これは たとえの お話です)。はじめでは なき虫、おわりでは ゆうきを 出した 子に なって います。この かわった ところを 見つけるのが、三つに わける 目てきです。

この 先生は、わけた あとで 「中心人物が、なにに よって、どう かわったか」を 一つの 文に まとめると、物語 ぜんたいが つかめる、と かかれて います[2]。

では、起承転結きしょうてんけつで 物語を 読むと どうなるのでしょう。おなじ 先生は、中心人物の かわり方が 見えにくく なり、「転」の 場所も あいまいに なりやすいと のべて います[2]。これは 一人の 先生の 考え方です。

国語の授業では、物語を「はじめ・なか・おわり」の三つに分けて読むことがあります。国語を教えている白石範孝さんは、物語を読むねらいは「中心人物の変容」を読むことにあり、そのために三つに分けるのが有効だと説明しています[2]。

たとえば、泣き虫だった子が、友だちの一言をきっかけに一歩踏み出す物語を考えてみます(説明のための仮の例です)。「はじめ」では泣き虫、「おわり」では勇気を出せる子になっています。この変化に気づくのが、三つに分ける目的です。

白石さんは、分けたあとに「中心人物が、何によって、どう変容したか」を一文にまとめることで、物語全体がとらえられると述べています[2]。

同じ文章は、起承転結で物語を四つに分けた場合、中心人物の変容があまり見えず、設定と山場を合わせて「起・承・転」に分けることになるので、境目があいまいになると指摘しています[2]。これは国語指導の立場からの意見で、起承転結が物語に向かない、と決めつけるものではありません。

では、物語ではなく、説明文やレポートでは、三つの部分はどんな働きをするのでしょうか。

国語科では、物語を「はじめ・なか・おわり」の三部に分けて読むことがある。国語授業の指導者である白石範孝は、物語を読むねらいを「中心人物の変容」を読むこととし、それをとらえる方法として三部構成が有効だと述べている[2]。三つに分ける目的は、中心人物が、何によって、どう変容したのかを一文にまとめ、物語全体をとらえることである[2]。

変容の例として、泣き虫だった子が友だちの一言で一歩踏み出す、という仮の物語を考える(説明用の例であり、特定の作品ではない)。「はじめ」の状態と「おわり」の状態を比べれば、何がその子を変えたかが問いとして立つ。三部構成は、この比較を可能にする枠組みである。

同じ資料は、起承転結で物語を捉える場合の課題も挙げる。中心人物の変容があまり見えなくなり、設定と山場を合わせて起・承・転の三つに分けることになるので、境目があいまいになるという[2]。ただし、これは国語指導の実践者の見解であり、起承転結が物語の分析一般に不適切であると結論づけるものではない。

また、起承転結の「転」が物語の「なか」の後半と一致するのか別の役割なのかについて、今回の資料からは定義の一致が見えない。では、物語以外では、三つの部分はどう働くのか。

5. おしえる 文や レポートでは、三つの ぶぶんは なにを するの?

5. 説明文やレポートで、三つの部分は何をするのか

5. 説明文・レポートの三部構成と、論文の「転」の読み替え

せつめいする 文でも、「はじめ・なか・おわり」の 三つは よく つかわれます。この かた で 書かれた せつめいの 文は とても おおく、書いた 人の 考えを 読む 人に つたえるのに ぴったりだと、大学の 先生たちの けんきゅうに かかれて います[3]。

「はじめ」では、話題を 出して、読む 人の きょうみを ひきます。「なか」では、たとえばを あげて くわしく 話します。「おわり」では、まとめたり、読む 人に よびかけたり します[3]。

ここでは、「転」で 話を かえる ひつようが ありません。よむ 人に わかって もらう ことが いちばん だいじだからです。それで、レポートでも 「はじめ・なか・おわり」に あたる 三つが つかわれます。

ところで、大学の 先生の なかには、「転」を 少し ちがう ふうに 読む 人も います。まえの 人が した けんきゅうに たいして、あたらしい じっけんを する ことを、「転」と 考えるのです[5]。これは 一つの かんがえ方です。

説明文では、三つの部分が次のように使われます。筆者はまず話題を掲げて読み手の興味を引き、「なか」で例を挙げて詳しく説明し、「おわり」で内容をまとめたり、読み手に提案したりします[3]。三部構成で書かれた説明文は非常に多く、筆者の考えを伝えるのに適した構成だと、大阪の教育機関の研究報告は述べています[3]。

レポートの構成は、序論・本論・結論の三つです。読みやすさのためには「転」が必要ない、と京都産業大学の講座では説明されました[4]。先の読めない展開が入ると、結論が見えにくくなるからです。

ここに、おもしろい見方があります。北海道大学の高橋吉文さんの論文は、起承転結の「転」を、意外な展開ではなく、先行研究に対する新しい観点や新しい実験への転調だと考えれば、論の流れとして必然になると論じています[5]。英語の要旨では、「転」を、不十分な先行研究を批判して覆す転換点と位置づけています[5]。

この論文は、現代の論の組み立てでは、序論・本論・結論の三分けを古代から受け継いだ西洋近代の型が主流になっている、とも述べています[5]。つまり「転」は、レポートでは邪魔になりやすい一方、論文では「新しい研究を足す場面」として読み替えられる可能性がある、ということです(これは一つの論文の主張です)。

説明文では、筆者は「はじめ」に話題を掲げて読者の興味を引き、「なか」で例を挙げて詳しく説明し、「おわり」で内容をまとめたり読者に提案したりする。三部構成で書かれた説明的文章は非常に多く、読者に筆者の考えを伝えるのに適した文章構成だと、大阪教育大学の研究報告は述べている[3]。

レポートの構成は序論・本論・結論の三つであり、京都産業大学の講座は、一見すると話の先が分からない「転」が入ると、何を伝えたいのかが分からなくなるため、レポートでは「転」が必要ないと説明している[4]。つまり、「転」の働きが「意表を突く」ことだとすれば、その働きは、結論を読者に確実に届けることが目的のレポートとは両立しにくい。

ところが、「転」を別の意味に読み替える論文がある。北海道大学の高橋吉文は、「新<起承転結>考I」で、転調を先行研究に対する新機軸や新実験と解するならば、「転」は論理的に不可欠の必然に一変すると論じる[5]。英語要旨でも、「転」は不十分な先行研究を批判し覆す機能を持つ転換点とされる[5]。同論文は、現代の論の構成では、序論・本論・結論の三分節を古典古代から継承した西洋近代の型が主流だとも述べる[5]。

この読み替えは一つの論文の主張であり、レポートに「転」が不要だとする講座の説明と矛盾するわけではない。前者は研究論文における新規性の位置づけを、後者は読み手に伝えるための文章設計を、それぞれ論じているためである(この整理は、二つの資料を並べた筆者の解釈である)。

型は、何を達成したいかで選ぶものだと見えてきた。最後に、自分で試せる道すじを示す。

6. すきな お話で ためして みよう

6. 好きな物語を三つに分けて、主人公の変化を一文にする

6. 好きな物語で確かめ、原典に当たる

きょう できる こと

すきな 絵本や 物語を ひとつ えらびます。「はじめ」「なか」「おわり」の 三つに わけて、中心の 人が、はじめと おわりで どう かわったかを くらべます。

それから、「中心の 人が、なにに よって、どう かわった」と いう 文を 一つ つくって みましょう。友だちの 文と くらべると、見る ところの ちがいが おもしろいです。

もう 一つ

四コマ まんがで 「転」が どの コマに あるかも さがして みましょう。

物語で試す

好きな物語を一つ選び、「はじめ」「なか」「おわり」に分けます。中心人物が、何によって、どう変わったのかを一文にしてみてください。友だちと文を見比べると、注目する場所のちがいがおもしろく見えます。

4コマ漫画で探す

新聞や本の4コマ漫画で、「転」にあたるコマがどこにあるかを探してみます。起承転結の「転」で驚かせる型が、身近にあるか確かめられます。

資料を読むなら

起承転結の説明は国語辞典のオンライン版[1]、三部構成と中心人物の変容は[2]、説明文の三部構成は[3]で読めます。レポートの書き方講座は[4]、「転」を読み替える論文は[5]です。

物語で確かめる

好きな物語を選び、三部に分け、中心人物が何によってどう変容したかを一文にまとめる。起承転結で四つに分けた場合に、変容の見え方がどう変わるかも比べるとよい。

4コマ漫画で探す

4コマ漫画で「転」にあたるコマを探し、意表を突く働きがあるかを確かめる。資料[1]が述べる、連続漫画への適用の確認になる。

資料を読むなら

起承転結の語義と適用範囲は[1]、三部構成と変容の考え方は[2]、説明文の構成は[3]、レポートの書き方は[4]にある。「転」を新機軸と読む論文は[5]で、英語要旨も付いている。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文で使った資料です。

  1. コトバンク「起承転結」. https://kotobank.jp/word/%E8%B5%B7%E6%89%BF%E8%BB%A2%E7%B5%90-12404 (起承転結の成り立ちと適用範囲)
  2. 白石範孝の国語授業の教養講座 指導用語編 vol.1 物語の基本三部構成(東洋館出版社). https://www.toyokan.co.jp/blogs/shiraishi_kyouyou/01 (物語の三部構成と中心人物の変容)
  3. 大阪教育大学「低学年における説明文の学習について」. https://osaka-kyoiku.ac.jp/Portals/0/files/faculty/kenkyuseika/R4%EF%BC%BF5/kouryu03.pdf (説明文の三部構成)
  4. 京都産業大学「これさえ押さえれば大丈夫!レポートの書き方講座」開催. https://www.kyoto-su.ac.jp/wr-news/st/20210720_345_ki01.html (レポートに「転」は必要ない)
  5. 高橋吉文「新<起承転結>考I」メディア・コミュニケーション研究 55(北海道大学). https://eprints.lib.hokudai.ac.jp/dspace/handle/2115/38486 (「転」を新機軸と読む説)

なおした ところ

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