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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

はくしゅも できなかった こうえん ── けっかくの きんは どう 見つかったの?

拍手もできなかった講演 ── コッホは、見えない結核菌をどう見つけたのか

コッホと結核菌の発見(1882年)── 染色・純粋培養・動物への接種で示した「原因の証明」

分野:からだ

1882ねん、ドイツで ある こうえんが ありました。ききに きた おいしゃさんたちは、おどろいて はくしゅも できなかった と つたえられて います[4]。

けっかくという びょうきの 「げんいん」が 見つかった という 話だったからです。でも、その きんは ちいさすぎて、ふつうには 見えませんでした。どうやって 見つけたのでしょうか。いろの くふうと、ながい 時間が かぎでした。その ようすが わかります。

1882年3月、ベルリンの講演を聞いた医師たちは、感動のあまり拍手もできなかったと伝えられます[4]。話の中身は、結核という病気の原因となる菌を見つけた、という発表でした[1]。

けれども、その菌は小さくて、ふつうに顕微鏡をのぞいても見えません。コッホは、どうやって見えるようにして、さらに「これが原因だ」と示したのでしょうか。染め方の工夫と、根気のいる培養と、田舎の町医者だった時代の経験から、そのわけが分かります。

1882年3月24日、ロベルト・コッホはベルリン生理学会で結核の原因を発見したと発表した[1]。聞いた医師たちは感動のあまり拍手もできなかったとされる[4]。

結核菌は細く小さく、通常の染色では組織の中で見分けにくい。では、なぜコッホはそれを見分け、しかも菌が病気の原因であることまで示せたのか。染色の工夫、固めた血清での培養、動物への接種という3つの手順と、その手順に至る町医者時代の経験を、一次資料と公的機関の資料から読み解く。

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1. その よる、きいていた 人は なにを したの?

1. 講演の夜、聞いていた若い医師は何をしたのか

1. 1882年3月24日の講演と、エールリッヒの反応

1882ねん3月24日、ドイツの ベルリンで、コッホという おいしゃさんが はなしを しました。けっかくの げんいんを 見つけた、という 話です[1]。

ききに きていた 人の なかに、28さいの ひふかの おいしゃさん、エールリッヒが いました。はなしが おわると、はくしゅも わすれて、じぶんの ちいさな けんきゅうしつに はしって かえった と いわれます[4]。

そして、よるの うちに、けっかくの きんを うまく 見せる 新しい そめかたを ためした そうです[4]。エールリッヒは あとで、あの ばんを 「いちばん むねを うたれた」と ふりかえった と いわれます。

では、そんなに 人を うごかした 話の もとは、なんだったのでしょう。

1882年3月24日、ロベルト・コッホはベルリン生理学会で、結核の原因を発見したと発表しました[1]。4月10日には論文「結核の病因」が出ています。

会場にいた医師たちは、感動のあまり拍手もできなかったと伝えられます。なかでも28歳の皮膚科医パウル・エールリッヒは、のちにこの夜を、科学者としていちばん心を打たれた体験だったと振り返りました。講演のあとすぐ、自分の簡素な研究室へ駆け戻り、結核菌の新しい染め方を一晩かけて作ったそうです[4]。

エールリッヒは講演のあと、さっそく新しい染め方を試したのです。では、コッホは何を見せたのでしょうか。

コッホの発表は1882年3月24日のベルリン生理学会で行われ、論文「結核の病因」は4月10日に出た[1]。PBSの記事によれば、聴衆の医師たちは感動のあまり拍手もできなかった[4]。

そのひとり、当時28歳の皮膚科医パウル・エールリッヒは、のちにこの夜を科学者人生で最も心を打たれた体験と回想している。講演後ただちに自分の簡易な研究室へ戻り、一晩かけて結核菌の新しい染色法を考案したという[4]。では、そこまで人を動かしたものは何だったのか。

2. ちいさくて 見えない きんを、どう 見えるように したの?

2. 小さくて見えない菌を、色のちがいで浮かび上がらせる

2. 結核菌の大きさと、染色による識別

けっかくの きんは、とても ちいさな ぼうの かたちです。ながさは、ひとの けつえきに ある あかい つぶ(せっけっきゅう)の よこはばの 4ぶんの1から 2ぶんの1ほどです[2]。ふつうの 見かたでは、まわりと まざって 見つかりません。

そこで コッホは、いろを つかいました。きんを そめる くすりを くふうして、まわりの 体の ぶぶんは ちゃいろに、けっかくの きんは あおく 見えるように したのです[2]。ちゃいろの なかの あおい ぼうは、すくなくても ひとめで わかります。

ここで つかった そめかたは、つよい アルカリの えきを つかう、そのころは めずらしい ほうほうだったと いわれます[3]。

ただし、ほかの きんも ぜんぶ ちゃいろに なる わけでは ありません。コッホ じしんも、にた きんが ある ことを かいて います。

結核菌は細い棒の形をした菌で、長さは赤血球の直径の4分の1から2分の1ほどです。ときには赤血球の直径いっぱいまでのびるものもあります[2]。これほど小さく、しかも組織の中にまぎれているので、そのままでは見つかりません。

コッホの工夫は、色のコントラストでした。染め方を工夫すると、動物の体の組織は茶色に染まり、結核菌は青く見えます。コッホは、この色の差がとても目立つので、菌が少ししかいない場合でも確実に見分けられると論文に書いています[2]。

染色の手順には、強いアルカリ液を使う、当時としては変わった方法が使われたとされます[3]。

ただし、ほかの菌がみな茶色になる、という意味ではありません。論文には、ハンセン病の菌が似た形と染まり方をすることも書かれています[2]。色で「見える」ことと、「これが原因だ」と言えることは、別の話でした。

結核菌は非常に細い桿菌で、長さは赤血球径の4分の1から2分の1程度、長いものでも赤血球の全径までとされる[2]。しかも組織中に少数しかいない場合も多く、無染色や通常の染色では見落とされやすい。

コッホの解決策は、色のコントラストだった。論文によれば、染色すると組織の構成要素は茶色になり、結核菌は青く見える。この対比が強いため、少数でも確実に識別できるという[2]。染色手順には強いアルカリ液を用いる、当時としては特異な方法が含まれたとされる[3]。

なお、同じ論文はハンセン病菌が結核菌に形も染まり方も似ていることを述べており、染色だけで原因の証明が完結するわけではない[2]。では、見えることと「原因だ」と言えることの間は、どう埋めたのか。

3. 見えた だけで、「げんいん」と いえるの?

3. 見えただけでは足りない ── 半年の培養と動物への接種

3. 純粋培養と接種による原因の証明

きんが 見えても、それが びょうきの げんいん だと いえるでしょうか。たまたま そこに いただけかも しれません。

コッホは、きんだけを とりだして ふやす ことに しました。けっかくの きんは ふつうの ものでは そだたず、血の 水ぶん(けっせい)を ねつで かためた ものを つかうと、やっと そだちました[3]。

めに 見える かたまりに なるまで、数しゅうかんも かかったと いわれます。コッホは、およそ はんとしの あいだ、まいにち けんきゅうしつに こもって とりくんだ と つたえられて います[4]。

きんだけを ふやしたら、つぎは、げんきな どうぶつに うつして 同じ びょうきが おきるか を 見ます。おきた ことで、げんいんだと しめしました[5]。

この やりかたを コッホが はじめて 使ったのは、このときでは ありません。

菌が見えても、それが病気の原因だとは限りません。たまたまそこにいただけかもしれないからです。コッホは、菌だけを取り出して育て、それを健康な動物にうつして同じ病気が起きるかを見る、という道を選びました。

結核菌は一般的な培地では育たず、血清を熱で固めた培地を使うとようやく育ちました。目に見える集まり(コロニー)になるまで、数週間かかったとされます[3]。コッホはこの研究のために、およそ半年、毎日のように研究室にこもったと伝えられます[4]。

こうして、ほかの菌が混じらない純粋培養を得て、それを健康な動物に注射すると、結核が起きました[5]。こうして、菌が見えた段階から、この菌が病気を起こすと示す段階へ進みました。

実はこの順序は、コッホが町医者のころに一度、炭疽という病気で試したものでした。

見えることと原因であることは別である。そこでコッホは、菌を分離して他の菌が混じらない純粋培養を作り、それを健康な動物に接種して結核を起こさせる手順で、因果を示した[5]。

結核菌は一般的な培地では増えず、羊の血清を加熱して固めた培地を使うとようやく増殖した。肉眼で見えるコロニーまで数週間の培養を要したとされる[3]。PBSによれば、コッホはこの研究のため約半年、毎日研究室にこもった[4]。

この手順は、コッホが以前に炭疽で行った研究の延長にあった。炭疽菌の研究では、どのような環境で行ったのか。

4. まちの おいしゃさんの いえが、けんきゅうしつ だった

4. 町医者の自宅の4部屋が、実験室だった

4. ヴォルシュタイン時代の炭疽菌研究と、「人の感染症で初めて」の位置づけ

コッホは、はじめから 大きな けんきゅうしつに いたのでは ありません。いなかの まちの おいしゃさん でした。

1876ねん、「たんそ」という びょうきの げんいんが きんだと しめしました。ばしょは、いまの ポーランドに ある ヴォルシュタインの まちです[6]。

けんきゅうしつは、4つの へやの じぶんの いえ。けんびきょうは、おくさんが おくって くれた ものでした[6]。ほかの どうぐは、じぶんで そろえたと いわれます。

この けいけんが、けっかくの きんを 見つける ときの やりかたに つながりました。コッホは ろんぶんで、人の びょうきで げんいんを すっかり しめしたのは はじめてで、それまでは たんそだけだった と かいて います[2]。

コッホは、はじめから大きな研究所にいたわけではありません。田舎の町ヴォルシュタイン(現在のポーランド)で、郡の医師をしていました。

1876年、ここで炭疽菌が炭疽の原因であることを示します。研究室は4部屋の自宅で、道具の多くは自分でそろえました。顕微鏡だけは、妻から贈られたものだったといいます[6]。

この経験の上に、結核の研究が立っています。1882年の論文でコッホ自身は、人間の感染症について、原因となる寄生体であることの完全な証明ができたのは初めてで、それまで証明されていたのは炭疽だけだったと述べました[2]。

さて、結核菌が見つかったことで、世の中は何が変わったのでしょうか。

コッホは、現在のポーランドにあるヴォルシュタイン(ヴォルシュティン)で郡の医師をしていた時期に、炭疽菌が炭疽の原因であることを示した(1876年)。研究室は4部屋の自宅で、器具の多くは自前、顕微鏡のみ妻から贈られたものだったとされる[6]。

この経験が、結核での手順の土台になった。1882年の論文でコッホは、人間の感染症について寄生体であることの完全な証明を行えたのは今回が初めてで、それ以前に証明されていたのは炭疽のみだと述べている[2]。コッホ自身が、結核の研究を炭疽菌研究の先に位置づけている。

では、原因が分かったことは、結核に向き合う人々の考え方をどう変えたのか。

5. げんいんが わかると、なにが かわったの?

5. 「ぼんやりした何か」が「手に取れる相手」に変わった

5. 論文が示した、結核対策の見通しの転換

それまで けっかくは、「まずしい くらしの せいで おきる もの」と 考えられて いました。くらしが よくなれば へる はずだ、と きたいされて いたのです[2]。

コッホの ころの とうけいでは、せかいの 人の 7人に 1人が けっかくで なくなる、と されて いました。これは むかしの かぞえ方で、いまの かずでは ありません[2]。

げんいんが きんだと わかった ことで、コッホは「はっきり しない なにか」ではなく「手に とれる あいて」と たたかえる ように なる、と かきました[2]。あいてが わかれば、しらべる ことも できます。

結核の原因が見つかる前は、結核は社会の貧しさのあらわれと考えられ、暮らしがよくなれば減るだろうと期待されていました。結核に特に向けた予防の手段は、まだ知られていなかったと、コッホは書いています[2]。

講演でコッホは、当時の統計を引き、人類の7人に1人が結核で亡くなり、働き盛りの年代では3分の1以上にのぼると述べて、ペストやコレラより重要な病気だと訴えました。これは1882年当時の統計の引用で、現在の数字ではありません[2]。

そのうえで、菌が見つかったことで、この病気との闘いは「ぼんやりした何か」ではなく、「手に取れる寄生体」が相手になると書いています。育つ条件もほぼ分かっている相手なら、調べて、備えることができるからです[2]。

コッホは論文の中で、結核が発見前は社会の貧困の現れとみなされ、生活が改善すれば減ると期待されていたこと、結核に特に向けた予防の手段が知られていなかったことを述べる[2]。さらに、当時の統計として人類の7人に1人が結核で死ぬこと、働き盛りの年齢層では3分の1以上に及ぶことを挙げ、ペストやコレラより重要な病だと位置づけた[2]。これは1882年当時の統計の引用であり、現在の数字ではない。

そのうえで、原因となる寄生体が特定されたことで、この病との闘いは「未確定の何か」ではなく「手に取れる寄生体」を相手にすることになり、その生活条件は大部分が分かっている、と書いた[2]。原因が特定の生物であれば、診断や予防の対象を絞れるという見通しが、ここで開けたことになる。

では、この発見はその後、どこへつながったのか。

6. この はっけんは、そのあと どこへ つながったの?

6. 弟子の北里柴三郎と、3月24日の世界結核デー

6. 北里柴三郎への師事と、世界結核デーの由来

コッホは 1905ねんに、けっかくの けんきゅうで ノーベルしょうを うけました[7]。

日本の 北里しばさぶろうも、ドイツで コッホの もとで まなんだ 人です。1885ねんから 1892ねんまで りゅうがくし、1889ねんには はしょうふうの きんだけを 世界で はじめて そだてる ことに せいこうしました[9]。

いまも、3月24日は 世界けっかくデーです。コッホが きんを 見つけたと はっぴょうした 日に ちなんで います。この 日は、びょうきを しらべ、なおす みちが ひらかれた 日と されて います[8]。

1905年、コッホは結核に関する研究と発見でノーベル生理学・医学賞を受けました[7]。

日本の北里柴三郎は、1885年から1892年までドイツに留学してコッホに学びました。ベルリンで1889年に破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、翌年には抗毒素を発見しています。1892年には、日本の伝染病研究所の創設にも関わりました[9]。

そして今も、3月24日は世界結核デーです。WHOは、コッホが結核菌を発見したと発表した1882年のこの日にちなみ、診断と治療への道が開かれた日としています[8]。

コッホは1905年に、結核に関する研究と発見によりノーベル生理学・医学賞を受けた[7]。

日本の北里柴三郎は1885年から1892年までドイツに留学してコッホに師事した。ベルリンで1889年に破傷風菌の純粋培養に世界で初めて成功し、翌年に抗毒素を発見している。1892年には日本の伝染病研究所の創設に関わった[9]。

WHOは、コッホが結核菌の発見を発表した1882年3月24日にちなみ、この日を世界結核デーとしている。診断と治療への道が開かれた日、という位置づけだ[8]。純粋培養という考え方が、結核だけでなく別の病気の研究にも受け継がれた様子が、北里の経歴から見える。

7. 「あおい ぼう」を さがす あそび

7. 茶色の中の青を探して、色の力を試す

7. 色の対比を試す体験と、資料の読みどころ

コッホが つかった 「いろの ちがい」を、かみで ためして みましょう。

茶色の だんボールの 上に、茶色の かみきれを 10まい、あおい かみきれを 10まい、ばらばらに おきます。1メートル はなれて、どちらが 先に 数えやすいか くらべます。

ちがいが 出たら、色の つよい ちがいが 見つけやすさを 作る ことが わかります。ただし ほんとうの コッホは、かみでは なく、体の ぶぶんを くすりで そめました。

茶色の段ボールの上に、茶色の紙きれを10枚、青い紙きれを10枚、ばらばらに置きます。1メートルほど離れて、どちらのほうが数えやすいかを比べてみましょう。

同じ色の中にまぎれたものより、反対の色のほうが見つけやすいはずです。これが、茶色の組織の中で結核菌を青く見せた、色のコントラストの考え方です。もちろん、本物の染色は薬品を使う作業で、紙と同じではありません。

3月24日の世界結核デーについては、WHOのサイトに案内があります[8]。

茶色の段ボール上に、茶色と青の紙片を同数ずつ並べて離れた位置から数えると、背景と反対の色のほうが見つけやすいことが分かる。結核菌の染色の「茶色の中の青」と同じ原理を、紙で試す体験だ。ただし実際の染色は薬品を使う作業であり、紙の実験とは別物である。

資料を読むなら、コッホの1882年の論文(英訳)が、ドイツ歴史研究所のGHI Intersectionsに載っている[2]。染色・培養・動物への接種の手順が、本人の言葉で書かれている。CDCの資料とあわせて読むと、発表日や講演の様子を確かめられる[1]。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

出典について:CDCの資料、コッホ自身の1882年の論文、ノーベル財団、WHO、報道記事を使った。何に使ったかは、それぞれの項目の最後に書いている。

  1. CDC MMWR「結核の歴史」。https://www.cdc.gov/mmwr/preview/mmwrhtml/00000222.htm (発表日について)
  2. Koch, "The Aetiology of Tuberculosis" (1882), GHI Intersections。https://germanhistory-intersections.org/en/knowledge-and-education/ghis:document-25 (結核菌の大きさ・染色・原因の証明・当時の統計と見通しについて。英訳の原文)
  3. EBSCO Research Starters: Koch Discovers the Tuberculosis Bacillus。https://www.ebsco.com/research-starters/history/koch-discovers-tuberculosis-bacillus (染色のアルカリ液、血清での培養について。二次資料)
  4. PBS NewsHour「March 24, 1882: Robert Koch announces his discovery of the cause of tuberculosis」。https://www.pbs.org/newshour/health/march-24-1882-robert-koch-announces-his-discovery-of-the-cause-of-tuberculosis (講演の様子、エールリッヒ、約半年の研究について。二次資料)
  5. CDC Emerging Infectious Diseases。https://wwwnc.cdc.gov/eid/article/17/3/10-1881_article (純粋培養と動物への接種について)
  6. Nobel Prize「Robert Koch – Biographical」。https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1905/koch/biographical/ (ヴォルシュタイン時代について)
  7. Nobel Prize「Robert Koch – Facts」。https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1905/koch/facts/ (1905年の受賞について)
  8. WHO「World TB Day」。https://www.who.int/campaigns/world-tb-day (世界結核デーの由来について)
  9. nippon.com「北里柴三郎」。https://www.nippon.com/ja/japan-topics/b07213/ (北里柴三郎の留学と業績について)

なおした ところ

更新履歴

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