1. むかしの くちべには、どんな かたちだった?
1. 江戸の口紅は、棒ではなく「猪口」に塗った紅だった
1. 江戸の紅は猪口に塗りつけたもので、棒状ではなかった
江戸の ころの 日本の くちべには、ちいさな おちょこに べにを ぬりつけた ものでした[5]。
今の ように、ぼうを そのまま くちびるに あてる やりかたとは、ずいぶん ちがいます。ぼうの かたちは、いつ、どこで うまれたのでしょう。
江戸以来の日本の口紅は、小さな猪口(紅猪口)の内側に紅を塗りつけたものでした[5]。
これは今の「棒を直接くちびるに当てる」使い方とは別物です。棒の形は、いつ、どこで、何をきっかけに生まれたのでしょうか。
江戸以来の紅は、小さな猪口の内側に塗りつけた形で流通していた、と紅ミュージアムを紹介する記事にある[5]。持ち運べる器そのものが、商品の形だったことになる。
この形と、今の棒状の口紅とは、使うときの手順がちがう。では、棒という形はいつ、どこで、何を手がかりに生まれたのか。
2. ぼうの かたちは、どこから ヒントを えたの?
2. 棒の形は、ろうそく作りの技から生まれたとされる
2. 棒状の着想元:ろうそく作りの技法とされる説と、年の食いちがい
ぼうの かたちの くちべには、19せいきの おわりごろ、フランスで つくられました[1]。
パリの ゲランと いう 会社が、ろうそくを つくる ぎじゅつから ヒントを えて、ろうのような ざいりょうを ぼうの かたちに した、と いわれて います[2]。
ろうそくも ぼうの かたちですね。かたちを ととのえる しごとの 知えを、くちべにに つかったのです。
ただし、この 話は ひとつの 資料に よる ものです。ゲランが さいしょに つくった 年は、1870年と する 資料と、1884年に はじめて 売ったと する 資料が あり、わかれて います。
スティック状の口紅は、19世紀後半のフランスで作られました[1]。パリのゲラン社が、ろうそく作りの技法から、ろう状の化粧品を棒にする着想を得たとされています[2]。
ろうそくも、ろうを細長い棒の形にしたものです。口もとに使うろう状の材料も、同じ棒の形にすれば、持ちやすくなります。この持ちやすさが、棒の形を選ぶ理由になったのかもしれません(資料にそこまでの説明はなく、筆者の想像です)。
ただし、年には食いちがいがあります。最初に作った年を1870年とする資料のほかに、1884年ごろに最初の市販品を出したという記述もあります[4]。ろうそくから着想した、という話も二次的な資料に出てくるもので、「とされる」と受け取るのがよさそうです。
棒の形ができたとして、すぐに今の使い心地になったのでしょうか。
スティック状の口紅は、19世紀後半のフランスで開発された[1]。部品製造企業Aptarの解説は、パリのメゾン・ゲランが最初の口紅を作り(年は1870年とされる)、ろう状の化粧品を棒にする着想はろうそく作りの技法から得られた、と述べる[2]。
溶かして型で固めれば、材料を細長くそろえられる。ろうそく作りで培われた考え方が、顔に使う材料にも当てはまった、という筋の通った説明である。しかし、ACMのブログは最初の市販品を1884年ごろとしており、年は資料で割れている[4]。ろうそく由来の逸話も、いま確かめられる範囲では、企業の解説など二次的な資料に頼る話である。したがって、本記事では「とされる」にとどめる。
棒の形が生まれたことと、使い心地が整うことは別である。では、棒はどんな入れ物に入って売られていたのか。
3. さいしょの ぼうは、どんな いれものに 入って いたの?
3. 棒の口紅は、金属の筒の前は紙などに包まれていた
3. 金属容器以前:紙筒・色つき紙・小さな容器の時代
さいしょの ころの ぼうの くちべには、今の ような かっこいい つつには 入って いませんでした。
はじめの ころは、紙の つつや、いろの ついた 紙、ちいさな いれものに 入れて 売られて いたと されます[2]。
ほかにも、ねった べに、クレヨンの ような べに、紙の べに板など、いろいろな かたちが 生まれて います[3]。
ぼうの かたちは、まだ 「できたて」でした。つかうとき、中身を 出す くふうが ほしくなります。
4. くるくる まわす つつは、どう うまれたの?
4. 金属の筒と回転式:入れ物の工夫が使い心地を変えた
4. レバー式から回転式へ:発明者は一人に決まらない
1915ねんごろ、アメリカで、金属の つつに 入れて、よこの レバーで ぼうを おし上げる くちべにが 売り出されました[4]。モーリス・レヴィという 人が かんがえたとされます。
1923年には、同じ アメリカの ジェームズ・メイソンが、つつの 下を まわして ぼうを 上げ下げする つつを 考えたと されます[4]。
今の くるくる まわす つつと、ほとんど 同じ しくみです。
ただ、だれが 「いちばん さいしょ」かは、はっきり しません。日本の 図書館の 資料には、1915年に レイモンド・ローウィが とっきょを とったと 書かれて います[3]。レヴィの 話と 食いちがうため、だれが 最初かは 決められません。
1915年ごろ、アメリカで、金属の筒に口紅を入れ、側面のレバーで棒を押し上げる「レヴィ・チューブ」が売り出されました。考案者はモーリス・レヴィ、製造はスコヴィル社とされています[4]。
さらに1923年には、アメリカ・テネシー州ナッシュビルのジェームズ・ブルース・メイソン・ジュニアが、底を回して棒を上下させる回転式の筒を考案したとされています[4]。今の口紅とほぼ同じしくみです。
ここで、棒の形は変わっていません。変わったのは入れ物です。中身を少しずつ出し、使い終われば引っこめて持ち歩ける。この入れ物の工夫が、口紅を携帯できる道具に変えました。
一方で、発明者を一人に決めるのは難しい話です。日本の図書館のレファレンスには、1915年にレイモンド・ローウィが繰り出し式の特許を取った、という記述があり、レヴィ説と合いません[3]。1911年に欧州で押し上げ式の金属容器があったとする資料もあるため、「世界初」は断定しないほうがよいでしょう。
1915年ごろ、モーリス・レヴィが金属筒に口紅を入れ、側面のレバーで棒を押し上げる「レヴィ・チューブ」を考案し、スコヴィル社が製造したとされる[4]。1923年には、ジェームズ・ブルース・メイソン・ジュニア(テネシー州ナッシュビル)が、底のホイールを回して棒を上下させる回転式を考案したとされる[4]。
この二つの変化では、棒という中身の形は同じまま、入れ物だけが変わった。レバーが側面から底の回転へ移ったことで、片手で操作でき、棒を引っこめて持ち歩ける形が整ったと考えられる(この利点は資料の直接の記述ではなく、構造からの推測である)。使い心地を決める要素は、中身の形だけでなく、入れ物の仕組みにもあった。
ただし、誰が最初かは資料で食いちがう。日本のレファレンス協同データベースには、1915年にレイモンド・ローウィ(ローウィの読みは「ろーうぃ」)が繰り出し式の特許を取ったという回答要旨があり、レヴィ説とは合わない[3]。1911年に欧州で押し上げ式の金属容器があったとする資料もあり、金属容器の「世界初」はどの資料でも確実とは言えない。メイソンの特許番号も、原本は未確認である。したがって、発明者を一人に決めず、複数の人と企業が積み重ねた改良の流れとして読むのが妥当である。
5. 日本の ぼうの くちべには、いつごろ できたの?
5. 日本で棒状の口紅が作られたのは、大正のころ
5. 日本の棒状口紅:大正ごろ国産化、年と会社は資料で割れる
日本でも、20せいきの はじめごろに、国で つくった ぼうの くちべにが 売られました[1]。
ひとつの 資料では、1918年(大正7年)に、ある 会社が 売り出した「オペラくちべに」が、日本で さいしょの ぼうの くちべにと されて います[3]。
けれども、ほかの 資料では、ちがう 年や 会社が 書かれて います。だから、「日本で いちばん さいしょ」は 一つに 決めず、「大正のころに ぼうの くちべにが 日本で つくられるように なった」と おぼえて おきましょう。
日本でも、20世紀前半に国産のスティック状口紅が発売されました[1]。レファレンス協同データベースによると、国産初のリップスティックは1918年(大正7)に中村信陽堂が売り出した「オペラ口紅」とされています[3]。
ところが、別の資料は、資生堂が1917年にスティック状口紅を出した、1908年にスティック状の紅の販売が始まった、とも書き、年も会社も一致しません[6]。1908年は輸入品のスティック状口紅の販売開始、1917年は国産初の製品の登場とする資料もあり、同じ出来事を別の角度から書いているのかもしれません。一つに決められない以上、本記事では「大正のころに、日本でも棒状の口紅が作られるようになった」とまとめます。
江戸の猪口の紅から、大正の棒状の口紅へ。欧米で生まれた形と入れ物は、日本の暮らしにも入ってきたようです。
スティック状の口紅は、日本では20世紀前半に国産品が発売されたとされる[1]。ポーラ文化研究所の回答を収めたレファレンス協同データベースは、国産初のリップスティックを、1918年(大正7)に中村信陽堂が売り出した「オペラ口紅」とする[3]。
一方、アットコスメの伊勢半関連の解説は、1908年に輸入されたスティック状口紅の販売が始まり、1917年には国産初の製品が登場したとする資料もあり、1917年は資生堂のスティック状口紅と書く[6](この解説は本文に文字化けがあり、要約から読み取った)。年も会社も一致せず、「日本初」を決める根拠は、現時点の資料では足りない。したがって、日本では大正ごろに棒状の口紅が国産化された、という幅で捉える。
江戸の猪口に塗った紅から、大正の棒状へ。変化の速さに、国内の製造と、欧米の容器の工夫の両方が関わっていた可能性があるが、国内の製造と欧米の容器の工夫が、どのように関わったのかは、資料からは分からない。
6. 家の くちべにや リップを 見て みよう
6. 家の口紅やリップの筒で、仕組みを観察する
6. 家の容器で構造を観察し、原典に当たる
きょう できる こと
おうちの おとなの 人に、つかい終わった リップクリームや くちべにの つつを 見せて もらいましょう。そこを ゆっくり まわすと、ぼうが 上がったり 下がったり します。
ぼうが どんな しかけで うごくのか、中を 見て みましょう。ふたを あけたとき、ぼうの さきが 何で まもられて いるかも 見て みましょう。ただし、くちびるに つかう ものは、人に かさずに、じぶんの ものだけを つかいましょう。
容器を観察する
家にある使い終わった口紅やリップクリームの筒を、おとなの人と一緒に見せてもらいましょう。底を回すと棒が上下します。回す向きと、棒が出る長さ、止まる位置の関係を観察してみてください。分解するときは、けがをしないよう、おとなの人に任せます。
資料を読むなら
日本での国産化の話は、レファレンス協同データベース[3]に載っています。江戸の猪口の紅については、紅ミュージアムの紹介[5]も読めます。家の容器では、底を回す向きと棒の動きを、第4章のレバーで押し上げる形と比べて、ちがいを自分のことばで説明してみてください。
構造を観察する
使い終わった口紅やリップクリームの容器を、おとなと一緒に確かめる。回転式の筒では、底を回すと中の部品が動いて棒が上下する。第4章で述べたレバー式と見比べ、同じ棒でも入れ物の仕組みが使い方を変えることを、手で確かめられる。分解の際は破片や金属でけがをしないよう注意する。
資料を読むなら
棒状の着想元と容器の流れは、Aptar社の解説[2]とACM Ubiquityのブログ[4](どちらも英語)にある。両者とも企業やブログの色が強く、年や発明者は他の資料と照らす必要がある。日本の国産化の話は、レファレンス協同データベース[3]と、紅ミュージアムの紹介[5]がたどる手がかりになる。国産の第一号が資料で割れているため、伊勢半や資生堂の企業資料館など、一次に近い資料へ進むと、食いちがいの理由が見えてくるかもしれない。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文で使った資料です。
- Wikipedia日本語版「口紅」. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A3%E7%B4%85 (棒状口紅の起源/日本での国産化の時期)
- Aptar: Discover the innovations in lipstick over the last 120 years. https://aptar.com/news-events/discover-the-innovations-in-lipstick-over-the-last-120-years/ (ゲランとろうそくの着想/紙筒の時代)
- レファレンス協同データベース(ポーラ文化研究所の回答). https://crd.ndl.go.jp/reference/entry/index.php?page=ref_view&id=1000199660 (19世紀後半の形/繰り出し式の特許/国産初の口紅)
- ACM Ubiquity: Lipstick, extraordinary ordinary things. https://blog.ubiquity.acm.org/lipstick-extraordinary-ordinary-things/ (レヴィ・チューブと回転式の筒)
- Time Out Tokyo: 伊勢半 紅ミュージアム. https://www.timeout.jp/tokyo/ja/things-to-do/isehan-beni-museum (紅猪口)
- @cosme NIPPON PROJECT(伊勢半). https://www.cosme.net/feature/201709_nipponpjt_legend03_isehan_02/ (日本の棒状口紅の年の食いちがい)
なおした ところ
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