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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

ビワの 小さな みは、さむい ふゆを どう すごすの?

ビワの実は、いちばん寒い季節をどう乗りきるのか

ビワの実は、真冬の寒さの中でどう育つのか:冬の開花、幼果の寒害、袋かけ、種なしビワ

分野:生きもの

ビワは、ふゆに 花を さかせます。それも、いちばん さむい 11月から 2月ごろです。

さいた あとの 小さな みは、さむさに よわいのに、そのまま ふゆを こします。どうして そんな ことが できるのでしょう。この ページでは、ビワの みが そだつ ようすと、人の くふうが わかります。

果物の多くが夏から秋に実るなか、ビワは11月ごろから2月にかけて花を咲かせ、できたばかりの小さな実で冬を越します。しかもこの実は、寒さにいちばん弱い時期に、いちばん寒い季節を迎えます。

弱い実が、なぜそんな時期に育つのでしょうか。この記事を読むと、寒さが実の中で何を起こすのか、農家が実をどう守ってきたのか、そして種を抜いたビワまでが分かります。

ビワは日本では11月上旬から2月下旬にかけて開花し、5〜6月に熟す[1]。花が咲く時期の約4か月は、そのまま一年でもっとも冷え込む時期に重なる。しかも千葉県の資料によれば、このとき実は寒さに弱い幼果の段階にあり、低温にあうと胚が凍死して肥大しなくなる[2]。

寒さに弱い時期を、あえて真冬にさらすのはなぜか。このメモを読むと、寒害の実際の数字、摘房から袋かけまでの手入れ、中国から長崎に渡った種が品種になった経緯、種を抜いた「希房」の位置づけが分かる。

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1. 花が さくのは ふゆ、みの 食べごろは なつ

1. 実がなるのは初夏なのに、花が咲くのは冬

1. 花期は約4か月:実の熟す初夏と、冬の開花のあいだ

ビワの 木は、もともと 中国の まん中から みなみに ある 木です。一年じゅう、はっぱが 緑の ままの 木です[1]。

日本では、11月の はじめごろから、2月の おわりごろまで、花が さきつづけます。みが 食べごろに なるのは、5月から 6月です。だいだいいろに なります[1]。

花の じきと、みの じきの あいだに、ふゆが まるごと はさまっています。どうして ふゆに さくのかは、わたしが 読んだ しりょうには 書かれて いませんでした。

では、さむい ふゆの あいだ、小さな みは だいじょうぶなのでしょうか。

4か月続く冬の花

ビワは中国の中部から南部にもとからある常緑の木で、日本では11月上旬から2月下旬にかけて花が咲きます。実は5〜6月に、橙色がかった黄色に熟します[1]。

花の時期は、数えると約4か月あります。一つの季節のあいだじゅう、枝先のどこかで花が咲き続けていることになります。

冬を丸ごとはさむ

花が咲く冬と、実が熟す初夏のあいだに、一年でいちばん寒い時期が入っています。ビワがなぜ冬に花を咲かせるのか、その理由を説明した資料は、今回読んだ範囲には出てきませんでした。分かっているのは、冬に咲き、実のまま冬を越す、という事実のほうです。

では、できたばかりの小さな実は、寒さの中で無事なのでしょうか。

ビワは中国の中部・南部に原生する常緑の高木で、日本では11月上旬から2月下旬にかけて開花し、5〜6月に橙黄色に熟す[1]。ここで目を引くのは、開花期が約4か月と長いことだ。一斉に咲いて一斉に終わる花とは違い、冬じゅう、どこかの枝先で花が咲き続ける。

この開花期は、日本では一年でもっとも気温が低い時期と重なる。つまり実は、受粉のあとの発達の初期を、そのまま真冬に過ごすことになる。冬咲きの理由(なぜこの時期なのか)を説明した資料は、今回の調べでは見当たらなかった。確かな事実として言えるのは、冬に咲き、小さい実で冬を越す、という生活のかたちまでである。

では、その小さな実は、冬の寒さにどこまで耐えるのか。

2. 小さな みの 中の「はい」が こおる

2. 小さな実の中の胚が、寒さで凍る

2. 幼果の寒害:胚の凍死と、被害が出はじめる気温

みの 中には、のちに たねに なる 小さな ぶぶんが あります。これを「はい」と いいます。

小さな みが ひどい さむさに あうと、この はいが こおって しんで しまう ことが あります。そう なると、みは おおきく なれません[2]。

千葉県の しらべでは、ひんしゅ「大房おおふさ」の 小さな みの 2わりより おおくに この ひがいが でる きおんは、マイナス 4度ぐらいと いわれて います[2]。ただし、ひんしゅや ばしょで ちがうので、どこでも この すうじでは ありません。

人は、この さむさの ひがいを ふせぐ ために、どんな くふうを して いるのでしょう。

実の中の胚が凍る

千葉県の資料によると、ビワは初冬に花をつけて結実し、寒さに弱い幼果の段階で、一年でいちばん寒い時期を過ごします。この幼果が低温にあうと、実の中の胚が凍って死んでしまう寒害が起こり、実が肥大しなくなります[2]。胚は、のちに種になる部分です。

被害が出はじめる気温

同じ資料では、品種「大房」について、幼果の寒害の発生率が2割を超えて経済的な被害になる気温を、-4.02度と推定しています[2]。-4度を下回れば必ず全滅する、という意味ではありません。2割を超えると被害として大きい、という目安で、品種や場所で変わりうる数字です。

別の栽培の解説では、木そのものは-3℃を下回ると枯れる可能性があるとされ、水はけがよく冷たい空気がたまりにくい傾斜地が適するとあります[3]。幼果の数字と、木の数字は、測っているものも資料の性質も違うので、並べて比べないでください。

寒さの話は農家の手入れにもつながります。では、実を守るために、人は何をしているのでしょうか。

千葉県の資料は、ビワが初冬に花をつけて結実し、寒さに弱い幼果のまま厳寒期を過ごすことを、寒害の前提として挙げる。幼果が低温にあうと胚が凍死し、果実が肥大しなくなる[2]。胚は種子になる部分である。つまり、果実の外見が残っていても、中で種子の芽が先に死ぬ場合があり、その実は育たない。

同じ資料は、品種「大房」について、幼果の寒害発生率が2割を超え、経済的な被害になる気温を-4.02度と推定している[2]。注意したいのは、これは「-4度を下回れば全滅」ではなく、2割超を被害の目安として推定した値だという点である。品種・場所・その年の冷え込み方で変わりうる。

これとは別に、栽培の解説(マイナビ農業)では、木そのものは-3℃を下回ると枯死する可能性があるとされ、排水がよく冷気のたまりにくい傾斜地が適地として挙げられる[3]。幼果の-4.02度(行政の試験・推定)と、木の-3℃(二次的な解説)は、測る対象も資料の性質も異なる。数字だけ並べて、「幼果のほうが寒さに強い」などと読むことはできない。

農家は花が咲く前から、どんな手入れをしているのか。

3. 花の まえから、人は みを へらす

3. 咲く前から始まる、実を減らして袋で包む仕事

3. 摘房から袋かけまで:実を減らし、害虫と日差しを遮る

ビワの 農家さんは、花が さく まえの 10月から 11月ごろ、「てきぼう」と いう しごとを します。みを つける ふさの かずを へらす しごとです[3]。

そのあとも みを へらして、ひとふさの みを 3つか 4つぐらいに する ばあいが あります。これは ひとつの れいです[3]。

3月から 4月のはじめには、のこした みに、一つずつ 袋ふくろを かけます。むしや つよい 日ざしで、みに きずや しみが つくのを ふせぐ ためです[3][4]。

ふゆの さむさを ふせぐ ためではなく、はるに ふえる むしと 日ざしから まもる ための 袋ふくろです。

花の前に房を減らす

農家の仕事は、花が咲く前の10〜11月に始まります。「摘房」といって、実をつける房の数を減らす作業です[3]。その後も実を摘んで、1房の実を3〜4個にしぼってから袋をかける、という例が栽培の解説にあります[3]。3〜4個はあくまで一例で、作り方によって違います。

3〜4月の早めの袋かけ

3月から4月上旬にかけて、残した実を一つずつ袋で包みます。この時期は害虫も現れはじめるので、できるだけ早くかけるとよいとされます[3]。袋の役目は、ゾウムシなどの害虫や、強い日差しによる傷・しみ(そばかす)から実を守ることです[3][4]。

ここで押さえておきたいのは、袋が守る相手です。資料に書かれているのは、虫と日差しです。冬の寒さそのものを袋で防ぐ、とは書かれていません。

実を守って育てたビワを割ると、中には大きな種が入っています。あの種には、どんな意味があるのでしょうか。

千葉県の寒害の資料が示すのは、寒さは防ぎにくい自然条件だということだ。それでも農家の手入れは、開花より前から始まる。10〜11月の摘房(実をつける房を減らす粗摘果)がそれで、その後も摘果を重ね、1房の実を3〜4個にしぼってから袋をかける、という例が示されている[3]。3〜4個は栽培の解説にある一例で、すべての農家の数字ではない。

袋かけは、3月から4月上旬に、できるだけ早く行うとされる。害虫が現れはじめる時期だからである[3]。袋の目的は、ゾウムシ・ナシヒメシンクイなどによる被害と、強い日差しによる傷・しみ(そばかす)から果実を守ることだ[3][4]。

寒さの話と袋かけの話は、混ぜて読まないほうがよい。幼果の寒害は、低温で胚が凍る現象であり、袋はその対策としては書かれていない。袋が守るのは、春以降の虫と日差しである。冬の寒さには、傾斜地を選ぶという立地の工夫のほうが資料に出てくる[3]。

守り育てた実を割ると、大きな種が出てくる。この種は、ビワという果物の来歴とどうつながっているのか。

4. ビワの みの 中には、大きな たねが ある

4. ビワの実の中には、大きな種がある

4. 2室に分かれた果実と、1〜2個の大きな種子

ビワの みを わると、中に つやつやした 大きな 種たねが はいって います。

しりょうでは、みの 中は 2つの へやに わかれていて、それぞれの へやに 1こか 2こ、大きな たねが あると 書かれて います[1]。

たべられる ところは、たねの まわりの 果肉かにくです。たねが 大きい ぶん、食べられる ところは すくなく なります。

この 大きな たねが、じつは ビワの くらしの 大きな きっかけに なりました。

2つの部屋に1〜2個ずつ

ビワの果実を切ると、中は2つの部屋に分かれていて、それぞれに1〜2個の大きな種があると説明されています[1]。食べられるのは、その種のまわりの果肉です。

種が大きいぶん、同じ大きさの実で食べられる部分は減ります。ビワを食べて、種の大きさに驚いたことがある人は多いでしょう。

この大きな種を、人は捨てるだけではありませんでした。種を蒔いて育てることで、新しい品種が生まれてきたのです。

ビワの果実は2室に分かれ、各室に1〜2個の大きな種子がある[1]。食用になるのは種子のまわりの果肉だから、種子が大きいほど、同じ大きさの実で食べられる部分は少なくなる。

この大きな種子が、日本のビワの品種の来歴を左右してきた。次章で述べるように、現在の栽培品種の多くは、人が種から育てた系統に始まる。種子が果肉を減らす邪魔ものであると同時に、品種を生む起点でもあった、というのが、このあとの流れである。

では、その種は、どこから来たのか。

5. 長崎ながさきに とどいた たねから、品種ひんしゅが うまれた

5. 長崎に届いた種が、新しい品種のもとになった

5. 長崎に渡った果実の種子:茂木と田中の育成

いま、日本で つくられて いる ビワの 品種たねは、えどじだいの おわりごろ、1830年から 1848年のころに、ふねで 中国から 長崎ながさきに とどいた 果実かじつの たねから そだてられた ものだと されます[1]。

「茂木もぎ」は、そのころ 中国から 長崎ながさきに わたって きた ひんしゅと いわれます[6]。茂木もぎの みは、40グラムぐらいで、あまみが つよく、すっぱさは すくないと 書かれて います[6]。

めいじ12年(1879年)には、田中芳男たなかよしおと いう 人が 長崎ながさきから たねを 東京へ もちかえり、そだてた ことから「田中」が うまれました。田中の みは、60グラムぐらいです[6]。

茂木もぎの 40グラムと くらべると、田中は 1.5ばい。じぶんで けいさんして みると、おおきさの ちがいが わかります。

貿易船が運んだ果実

現在の栽培品種は、天保・弘化(1830〜48年)のころ、貿易船で中国から長崎にもたらされた果実の種から育てられたものだとされます[1]。「茂木」も、江戸時代の末期に中国から長崎に渡ってきた品種です[6]。

日本でビワそのものが知られていたのは、もっと古い時代からです。ここで話しているのは、いま育てられている栽培品種の来歴だけです。

長崎から東京へ、種を持ち帰った人

明治12年(1879年)には、田中芳男が長崎から種子を持ち帰り、東京で育てました。そこから生まれた品種が「田中」です[6]。

船橋市の紹介ページ(2014年更新)によれば、田中の果重は約60g、茂木は約40gで、茂木は甘みが強く酸味が少ない品種です[6]。60÷40で、田中は茂木の約1.5倍の重さです。これは資料にある平均の目安なので、1つの実の重さを比べたものではありません。

種から新しい品種が生まれる一方で、その種が大きいことは、食べる側にとって悩みの種でもありました。種そのものをなくす、という発想は、どこから出てきたのでしょうか。

現在の栽培品種は、天保・弘化(1830〜48年)のころ、貿易船で中国から長崎にもたらされた果実の種子から育成されたとされる[1]。「茂木」は、江戸時代末期に中国から長崎に渡来した品種である[6]。なお、ビワという植物の利用そのものは日本でも古く、平安時代の文献にも名が見えるため、ここで述べているのは、あくまで栽培品種の来歴にとどまる。

「田中」は、明治12年(1879年)に田中芳男が長崎から種子を持ち帰り、東京で育成した品種である[6]。同じ船橋市の紹介ページ(2014年更新)に、田中の果重が約60g、茂木が約40gとある。60÷40=1.5で、田中は茂木の約1.5倍の重さになる計算だ。ただし、これは資料に記された品種ごとの目安であり、個々の果実の実測値の比較ではない。

茂木と田中のように、同じ長崎の種に始まる品種でも、果重や味の特徴は資料の上で書き分けられている。種子は品種の出発点である一方、種子が大きいぶん、同じ大きさの実では食べられる果肉が少なくなる。この両面を一度に解こうとしたのが、種子をなくしたビワである。

6. たねの ない ビワを、15年かけて つくった

6. 種を無くしたビワ「希房」は、15年かけて生まれた

6. 世界初とされる種子なしビワ「希房」:1991年の育成開始から2006年の品種登録まで

千葉県には、たねが ない ビワが あります。「希房きぼう」と いう 名前で、せかいで はじめての たねなしビワだと されて います[5]。

つくりはじめたのは 1991年で、ひんしゅと して とうろくされたのは 2006年です。15年も かかりました[5]。

ふつうの ビワより、食べられる ところが ふえます。たねが ない ぶん、果肉かにくの わりあいが おおいと しょうかいされて います[4]。

みの おもさは、へいきんで 70グラム。ビニールハウスで つくるのに むいて います[5]。

世界初とされる種なしビワ

千葉県が育成した「希房」は、千葉県の説明では、世界で初めての種子なしビワとされています。三倍体を利用する技術で、1991年から育成が始まり、2006年に品種登録されました[5]。育成開始から登録まで、15年かかったことになります。

種がない分、果肉が多い

種子がないため、一般のビワに比べて、果肉の割合が多いと紹介されています[4]。これは果肉が占める割合の話で、1個の実が重いという意味ではありません。千葉県の資料には、割合を3割程度多いとするものと、果肉割合90%で2割増とするものがあり、数え方で数字が変わります。

平均の果重は70g、糖度11.5、酸度0.2で、収穫は5月下旬からです。安定して作れるハウス栽培に向いている品種とされます[5]。田中の約60gと比べると、平均の重さは少し重めです。

冬の花、寒さの限界、袋、大きな種。ビワを巡る話を読んで、身近なビワの木を見たくなったでしょうか。

千葉県が育成した「希房」は、千葉県によれば世界初の種子なしビワ品種とされる。三倍体を利用する技術により、1991年から育成が始まり、2006年に品種登録された[5]。育成開始から登録までに15年を要した計算になる。なお、検索で見つかる資料には2003年出願・2004年公開という記述もあるが、これは育成の時期ではなく、登録に向けた手続きの年と混同しないほうがよい。

種子がないことで、果肉の割合は一般のビワより多いと紹介されている[4]。これは果肉の割合の話であり、1個の重さが増えたという意味ではない。千葉県の資料には、3割程度多いとするものと、果肉割合90%で2割増とするものがあり、数え方で数字が変わる。平均果重は70g、糖度11.5、酸度0.2、収穫期は5月下旬からで、安定生産できるハウス栽培に適するとされる[5]。

寒さに弱い幼果を持つビワと、ハウス栽培の相性を想像したくなる。ただし、資料はハウス栽培に向くと述べるだけで、寒さ対策としてハウスが選ばれたとまでは書いていない。この点は「向く」とだけ読むのが妥当である。

7. ビワの 木を さがして みよう

7. 冬のビワの木を探してみる

7. 冬の枝先と果実を、自分の目で確かめる

ビワの 木は、一年じゅう、はっぱが 緑の ままです。だから、ふゆでも さがしやすい 木です。

11月から 2月ごろに、ビワの 木を 見つけたら、えだの さきに 花が ついて いるか、見て みましょう。木に かってに さわったり、人の にわに 入ったり しないで、道から 見える ところで 見ます。

はるに なったら、小さな みに 袋ふくろが かかって いるかも しれません。

ビワを 食べる ときは、たねの かずと、へやの かずを かぞえて みましょう。

冬の枝先を見る

ビワは一年中葉をつけている常緑の木なので、冬でも見つけやすい木です。花が咲く11月から2月ごろに、近所でビワの木を見かけたら、枝先に花や小さな実がついているか見てみましょう。人の家の庭に入らず、道から見える範囲で見ます。

春には、実に袋がかかっているかもしれません。袋が守っているのは、資料では虫と日差しでした。

種と部屋を数える

ビワを食べる機会があれば、種の数と、実の中の部屋の数を数えてみてください。資料では2部屋、各部屋に1〜2個とありますが、実際に割ってみて、同じになるでしょうか。

原典にあたるなら

寒害の気温は千葉県の研究紹介、希房の育成の経緯は千葉県の品種のページが、出典欄にあります。ビワはなぜ冬に咲くのでしょう。その理由を説明する資料も探してみましょう。それが、次の問いになります。

この記事で確かめられるのは、冬咲き・幼果の寒害・袋かけ・種子・種なしビワという事実の組み合わせである。実際の木と実で、その一部は自分の目で確かめられる。

11月から2月に、ビワの枝先で花やつぼみを見つけたら、花期が約4か月にわたるという記述と照らして、咲き方に偏りがあるかを観察できる。人の敷地には入らず、道から見える範囲で見る。春以降に袋のかかった実を見つけたら、その袋が何を防ぐためのものか、農家の話や地域の農協の案内で確かめられる(資料には虫と日差しとある)。ビワを食べる機会があれば、種を数え、2室という記述と一致するかを見るのもよい。

一次資料としては、千葉県の寒害の研究紹介(幼果の推定気温)と、千葉県の希房のページ(育成開始と登録の年)が、出典欄に挙がっている。冬咲きの理由は、この記事の資料には出てこない。その理由を探すことが、次の調べものの出発点になる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・数値・名称は、資料によって細部が異なることがあります。

  1. コトバンク「ビワ」(日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/%E3%83%93%E3%83%AF (開花・結実の時期、果実の構造、栽培品種の来歴)
  2. 千葉県「果樹の寒害に関する研究紹介」 https://www.pref.chiba.lg.jp/ninaite/network/field-kajyu/kajyu-2026-3-1.html (幼果の寒害と、被害が出る気温の推定)
  3. マイナビ農業「ビワの育て方」 https://agri.mynavi.jp/2021_02_07_147849/ (摘房・袋かけの時期、木の耐寒の目安、適地)
  4. 千葉県「くだものずかん びわ」 https://www.pref.chiba.lg.jp/ryuhan/pbmgm/zukan/kajitsu/biwa.html (袋かけの目的、希房の果肉の割合)
  5. 千葉県「ビワ(育成品種)希房」 https://www.pref.chiba.lg.jp/ryuhan/pbmgm/norin/nosan/ikuse/biwa.html (希房の育成開始・登録、果重・糖度・収穫期)
  6. 船橋市「ビワ」 https://www.city.funabashi.lg.jp/shisetsu/shiminkatsudo/0003/0001/0005/p004336.html (茂木・田中の来歴と果重)

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