1. 天皇の めいれいは、なに色の 紙に 書かれた?
1. 天皇の命令を伝える文書にも使われた薄墨色の再生紙「宿紙」
1. 薄墨色の綸旨 ── 宮中で使われた再生紙「宿紙」の作り方
むかしの 天皇の めいれいが 書かれた 紙には、うすい はい色の ものが ありました。ぴかぴかの 白い 紙では ありません。
これは「宿紙」と よばれる 紙です。いちど 字を 書いた 紙を、もういちど 紙に つくりなおした ものでした[1]。ふるい 字の すみが ぜんぶは ぬけず、すこし くろっぽく、むらが できます。
この 紙は、蔵人という 人が、天皇の ことばを つたえる 文書に 使った ことが ありました[2]。では、いちど 使った 紙を、どうやって 新しい 紙に するのでしょう。
ぬらして、たたいて、ほぐして、もういちど 紙に します[2]。
平安時代以降の宮中に、白くて新しい紙ではなく、墨の色がうっすら残った灰色っぽい紙で書かれた文書がありました。これが宿紙で、薄墨紙ともいいます。一度字を書いた紙を漉き返して作った再生紙で、墨が十分に抜けないため、浅黒くむらがあるのが特徴です[1]。
宿紙は、綸旨や宣旨の案文などに使われました[1]。京都府の資料は、薄墨の綸旨を、蔵人が天皇の命を伝える文書に使ったものだと説明しています。作り方は、使用済みの紙を濡らし、叩いてほぐして、もう一度紙にするというものです[2]。
天皇の命令という重い場面で、新品ではない紙が使われていた。そのこと自体が意外ですが、宿紙は日用にも使われ、そちらは綸旨用よりずっと質が落ちたといいます[2]。では、この再生紙は、どんないきさつで作られるようになったのでしょうか。
2. りっぱな 紙の 名前が、古い 紙の 名前に なったのは なぜ?
2. 高級だった「紙屋紙」が、再生紙の代名詞になった理由
2. 紙屋院は反故紙を原料にした ── 高級紙の名が再生紙の代名詞になるまで
むかしの 都に、紙屋院という 紙を つくる ところが ありました。ここで つくる 紙は、もとは とても りっぱな 紙でした[3]。
ところが 平安時代の おわりごろ、貴族の せかいが おとろえて くると、かわりました。都には、使い おわった 紙が たくさん でます。紙屋院は、それを ざいりょうに して、つくりなおした 紙を つくるように なりました[3]。
りっぱな 紙の 名前が、あらい つくりなおしの 紙の 名前の ように なって いきました。いちど 使った 紙は、すてられる だけでは なかったのです。
では、とかして つくりなおさずに、紙の うらを そのまま 使う ことは なかったのでしょうか。
紙屋院は、紙屋紙という紙で知られていました。もとは高級な紙でした[3]。ところが平安時代の後期になると、貴族社会が衰え、事情が変わります。都に大量に出る反故紙、つまり不要になった紙を原料にして、漉き返しの紙である宿紙を作るようになりました[3]。
その結果、本来は高級だった紙屋紙という名前が、粗い再生紙を指す言葉のようになったと説明されています[3]。
高級品の名前が再生紙の代名詞になる。そこまで、使い終わった紙は都にあふれていたことになります。では、溶かして作り直す手間をかけず、紙をそのまま二度使う方法はなかったのでしょうか。
紙屋院は、本来は高級な紙屋紙を作る場所だった。ところが平安後期、貴族社会が衰えると、都に大量に出る反故紙を原料にして、漉き返しの紙を作るようになる。この紙は宿紙とも呼ばれ、紙屋紙という名は粗い再生紙の代名詞のように使われるに至った[3]。
ここで宿紙の二つの顔が見えてくる。綸旨のように天皇の命を伝える文書に使われる薄墨の紙がある一方、日用の質の低い紙もあった[2]。同じ再生紙でも、用途によって扱いが分かれたことになる。それでも「紙屋紙」という名が、粗い再生紙を指す言葉にもなった。紙の格が入れ替わるほど、都には使い終えた紙が多かったのである。
再生紙づくりは、紙を濡らし、叩き、ほぐして漉き直す作業であり、手間がかかる。では、手間をかけずに済む方法、つまり紙の裏をそのまま使う習慣は、どう残っているのか。
3. 日記も おきょうも、うらがえした 紙に 書いた?
3. 日記や経典は、使い終わった文書の裏に書かれた
3. 紙背文書 ── 裏に日記や経典が書かれた古文書
むかしは 紙が たいせつでした。だから、いちど 使った 紙を ひっくりかえして、うらに 字を 書く ことが ありました[4]。
貴族の 日記にも、そんな ものが のこって います。おおやけの しごとで もらった 文書の うらに 書かれた 日記が、おおいのです[4]。東大寺の 写経所では、いらなく なった 役所の 文書の うらに、おきょうを 書き写しました[4]。
うらに 書かれた 字が、よまれる ことも あります。ぼろぼろに なった 日記を 直す ときに、うらがわの 字まで よみとくのです[5]。
うらも 使い、とかして つくりなおした 紙は、さいごに どこで 使われたのでしょう。
古文書の裏が使われて新しい文書が書かれたとき、先に書かれていたほうの文書を紙背文書といいます。裏文書とも呼ばれ、古代や中世は紙が貴重だったため、使用済みの文書の裏が使われました[4]。
身近な例が日記です。貴族の日記『中右記』や『兵範記』には、公務で手に入れた文書の裏に書かれたものが多く残っています。東大寺の写経所では、不要になった官庁の文書の裏を使って経典を書き写しました[4]。表側には、役所の事務の跡が残っていることになります。
東京大学史料編纂所の紹介記事には、送られてきた手紙や手元のメモを裏返して使う習慣が、『中院一品記』の修復でも見られるとあります。修復では、裏面の文字も読み解くそうです[5]。
日記の裏には、誰かが受け取った手紙の文字が隠れているかもしれない。読み解く人にとっては、表も裏も手がかりです。では、裏まで使い切り、溶かして作り直された紙は、最後にどこで使われたのでしょうか。
溶かして作り直さなくても、紙は二度使える。古文書の裏を使って新たな文書が書かれると、先に書かれていた側が紙背文書と呼ばれる。裏文書の別名もあり、背景には古代・中世に紙が貴重だったことがある[4]。
具体例は貴族の日記に多い。中右記や兵範記は、公務で入手した文書の背面に書かれたものが多く残る。東大寺の写経所でも、不要になった官庁文書の裏が経典の書写に使われた[4]。日記や経典の裏に、役所の事務の跡が重なっているわけである。裏に日記を書いた貴族にとって、公務で受け取った文書は、役目を終えれば日記帳に変わる材料だったことになる。紙の裏は、捨てずに取っておく価値のある余白だった。
この習慣は、東京大学史料編纂所が紹介する『中院一品記』(中院通冬の日記)の修復でも見える。送られてきた手紙や手元のメモを裏返して使っていたため、修復では裏面の文字も読み解く対象になる[5]。
裏を使う方法は、材料に手を加えない。では、使い終えて溶かされた再生紙は、最後にどんな場所へ行きついたのか。
4. 江戸の まちで、古い 紙は どこへ いったの?
4. 江戸では、古紙とぼろが「浅草紙」に生まれ変わった
4. 浅草紙 ── 古紙とぼろを漉き返した江戸の下等紙
江戸じだいの あさくさでは、ふるい 紙や ぼろぎれを 使って、また 紙を つくって いました。「浅草紙」と いいます[6]。
色は くろい ものが おおく、あまり きれいな 紙では ありません。おとしがみ(トイレの 紙)や 鼻紙に 使われました[6]。
『経済要録』という 本には、江戸の ちかくで つくりなおされる 紙が、1年に 十万両に なると 書かれて います[6]。十万両が 今の お金で いくらかは、ここでは きめません。それほど 大きな しごとだった、と いう ことです。
では、紙では ない ものは、書きなおす ときに どう したのでしょう。
江戸時代の浅草で作られた再生紙が、浅草紙です。古紙やぼろ布を漉き返して作った下等の紙で、落とし紙や鼻紙などに使われ、色は黒いものが多かったと説明されています[6]。
数字も残っています。『経済要録』は、江戸近郊の漉き返しが年に十万両に及ぶと記しています[6]。十万両は漉き返し紙の産額とされる値で、今のお金にそのまま置きかえることはできません。それでも、使い終えた紙を作り直す仕事が、小さな工夫にとどまらなかったことは伝わります。
宮中の薄墨の綸旨と、江戸の黒っぽい鼻紙。使われる場所は違っても、どちらも一度使った紙の「二回目」の姿でした。紙ではない材料にも、書き直しの工夫があります。木の札は、書き間違えたらどうしたのでしょうか。
5. 木の ふだは、まちがえたら どう したの?
5. 消しゴムのない時代、木の札は「削って」書き直した
5. 木簡 ── 小刀で削れば何度でも書ける材料と削屑
むかしは 紙の ほかに、木の ふだに 字を 書く ことも ありました。これを「木簡」と いいます。
けしゴムは ありません。でも、小さな 刀で 木の おもてを うすく けずると、まっさらに もどり、また 字が 書けました[7]。
けずった ときに でた かけらは「削屑」と よばれます。ほとんどが 5センチより みじかい、うすい かけらです[7]。
木も、紙と おなじように 何回も 使えたのです。では、外国の 人たちは、どうして いたのでしょう。
6. 外国でも、おもてと うらを 使ったの?
6. エジプトのパピルスは、表も裏も書かれたといわれる
6. パピルスの表と裏 ── オクシリンコスのごみの山
エジプトでは、パピルスに 字を 書きました。高い ものだったので、おもても うらも 書く ことが おおかったと いわれます[10]。
オクシリンコスという 町の はずれには、パピルスも ふくむ ごみの 山が、千年ぐらい つもって いたと いわれます。1896年から 97年に、グレンフェルと ハントが ほりました[10]。
すてられた 紙の 山は、のちの 人が ほりおこす ことに なりました。では、もっと 大がかりな 書きなおしは あったでしょうか。
7. アルキメデスの 本は、どんな 本に つくりかえられた?
7. アルキメデスの著作を写した本は、消されて祈祷書に作り替えられた
7. パリンプセスト ── 13世紀、アルキメデスの写本は祈祷書になった
アルキメデスという 人の 本を うつした ものが、10せいきに コンスタンティノープルで 羊皮紙に 書かれました[8]。羊皮紙は、どうぶつの かわで つくった 紙の ような ものです。
13せいきに なると、ある 修道士が、その 字を けしました。まんなかの おり目で ページを きって、ぐるっと 90ど まわし、ふたつに おって、ほかの 本の 羊皮紙と あわせて、おいのりの 本に しました[8]。
このように 字を けして 書きなおした ものを「パリンプセスト」と いいます。この おいのりの 本は 1229年ごろ に つくられ、羊皮紙が とても たりなかった からかもしれない、と こうしきサイトは すいそくして います[9]。
大切な 本の 字を けして まで 使うほど、書く ものは 手に 入りにくかったのかも しれません。
アルキメデスの著作を写した本は、10世紀にコンスタンティノープルで羊皮紙に書かれました[8]。羊皮紙は動物の皮から作った書く材料です。それから約3世紀後の13世紀、ある修道士がその文字を消し、ページを中央の折り目で切って90度回し、二つ折りにしました。ほかの本の羊皮紙と合わせて、祈祷書に作り替えたのです[8]。
文字を消して別の内容を書いた羊皮紙の本を、パリンプセストといいます[8]。この祈祷書は1229年にエルサレムでほぼ確実に作られたとされ、公式サイトは、羊皮紙が非常に不足していたからかもしれないと推測しています[9]。理由は推測で、はっきりした記録があるわけではありません。
宮中の宿紙、江戸の浅草紙、木簡の削屑、羊皮紙の祈祷書。材料は違っても、貴重な書く材料を、もう一度使い切る工夫が、いくつもの場所にありました。さて、この話を、身のまわりの紙で確かめるにはどうしたらよいでしょうか。
アルキメデスの著作を写した本は、羊皮紙から祈祷書へ作り替えられた。10世紀にコンスタンティノープルで羊皮紙に写されたその写本を、13世紀に修道士が文字を消し、中央の折り目で切って90度回し二つ折りにして、ほかの本の羊皮紙と合わせ、祈祷書に作り替えた[8]。文字を消して別の内容を重ねた本をパリンプセストと呼ぶ。
なぜそこまでしたのか。祈祷書は1229年にエルサレムでほぼ確実に作られたとされ、公式サイトは「羊皮紙が非常に不足していたのかもしれない」と推測する[9]。
「紙は一度使っても終わらない」という感覚は、宿紙の薄墨色、紙背文書の裏の日記、木簡の削屑にも共通する。材料が貴重な時代には、消す・溶かす・裏返すという別々の方法で、書く面が繰り返し使われた。
8. うちの 紙の「にかいめ」を さがして みよう
8. 身のまわりの紙の「二回目」を探す
8. 身近な紙の再利用と、次に調べたいこと
うちに ある 紙で、むかしの 人と おなじ ことを して みましょう。
1つめは、うらが 白い チラシや プリントを さがして、うらに メモを 書く ことです。使い おわったら、おもてと うらを 見くらべて みましょう。紙の うらを 使う のは、むかしの 人と おなじです。
2つめは、トイレットペーパーや ノートの ふくろに、ふるい 紙から つくった と 書いて ないか、見る ことです。宿紙や 浅草紙の なかまが、今の くらしにも いるかもしれません。
出かけられる ときは、はくぶつかんや しりょうかんで、むかしの 日記や 文書を 見て、せつめいの 文に「うら」の ことが 書いて ないか、さがして みても よいでしょう。
身近な紙でも、昔の人と同じ「二回目」を探せます。
まず、家にあるチラシやプリントで、裏が白いものを探し、裏にメモを書いてみます。使い終わったら表と裏を見比べると、紙背文書がどんなものか実感できるはずです。
次に、トイレットペーパーやノートの包みに、古い紙から作ったことを示す表示がないか探してみます。宿紙や浅草紙の仲間が、今の暮らしにもあるかもしれません。
博物館や資料館に行く機会があれば、古文書や日記の展示で、説明文に「紙背」という言葉が出てこないか見てみましょう。出典に挙げた東京大学史料編纂所の紹介記事は、日記の修復で裏の文字まで読み解く現場の話です[5]。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
次の資料を参照しました。コトバンクは辞典の記述を集めた二次資料です。パピルスの表裏の利用・ごみの山の年数・発掘の時期は一般向けの解説[10]にもとづくため、本文でも断定を避けています。
- コトバンク「宿紙」 https://kotobank.jp/word/%E5%AE%BF%E7%B4%99-528172 (宿紙の作り方・色・用途)
- 京都府「Emperor's command written on thin black paper」 https://hyakugo.pref.kyoto.lg.jp/eng/?p=274 (薄墨の綸旨と宿紙の作り方)
- コトバンク「紙屋紙」 https://kotobank.jp/word/%E7%B4%99%E5%B1%8B%E7%B4%99-466643 (紙屋院が反故紙を原料にした経緯)
- コトバンク「紙背文書」 https://kotobank.jp/word/%E7%B4%99%E8%83%8C%E6%96%87%E6%9B%B8-74685 (紙背文書の意味と日記・写経の例)
- 東京大学 FOCUS 史料編纂所 https://www.u-tokyo.ac.jp/focus/ja/features/fsi018.html (日記の修復と裏面の文字)
- コトバンク「浅草紙」 https://kotobank.jp/word/%E6%B5%85%E8%8D%89%E7%B4%99-424040 (浅草紙の材料・用途・十万両の記述)
- 文化庁 月刊文化財「木簡」 https://www.bunka.go.jp/prmagazine/rensai/bunkazai/bunkazai_030.html (木簡を削って書き直す方法と削屑)
- Walters Art Museum「Lost and Found: The Secrets of Archimedes」 https://thewalters.org/news/lost-and-found-the-secrets-of-archimedes/ (写本が祈祷書に作り替えられた経緯)
- The Archimedes Palimpsest「History」 https://www.archimedespalimpsest.org/about/history/index.php (祈祷書の制作年と羊皮紙不足の推測)
- Historic Mysteries「Oxyrhynchus Papyri」 https://www.historicmysteries.com/history/oxyrhynchus-papyri-egypt/10104/ (パピルスの表裏の利用と発掘。一般向け解説)
なおした ところ
更新履歴
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