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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

枕まくらの そうしって、どんな ほんなの?

「枕にしましょう」と答えた清少納言は、枕草子に何を書いたのか

高価な紙と「枕にこそは侍らめ」:跋文から読む枕草子の成り立ちと、「をかし」で世界を見る目

分野:歴史・文化

せいしょうなごんは、たかい 紙を まえに、「なにを かきますか」と きかれて、「枕まくらに しましょう」と こたえた と、本の さいごに かかれています。ねる ときの まくらでは なさそうです。では、どんな ほんが うまれたのでしょう。

この メモでは、せいしょうなごんと 中宮ちゅうぐうの ていしの ばめんを とおして、「枕まくらの そうし」が、すきな ものを 見つけて たのしむ ほんだと わかります。

平安時代、とても高価だった紙をもらった清少納言は、「何を書こうか」と聞かれて「枕にしましょう」と答えた、と枕草子の跋文(あとがき)は伝えています。ところが「枕」が何を指すのかは、いまも定説がありません。紙の上に、何が書かれたのでしょうか。

この記事では、中宮定子とのやりとりや、香炉峰の雪の場面を通して、枕草子が「身の回りのおもしろいものを見つけて書きとめた本」であることが分かります。

枕草子の跋文によれば、書名のもとは、高価な料紙を前にした清少納言の「枕にこそは侍らめ」という一言である。ところが、その「枕」が何を意味するのかには、歌枕説・備忘録説・宮仕えの必携説などがあり、定説がない。意味が決まらない題名を、なぜ千年あまり読み継いできたのか。

この記事では、跋文の場面、中宮定子との受け答え、約300の章段を貫く「をかし」の目を順に読み、枕草子が「おもしろいと感じた気持ちを書きとめる本」として成立した道すじが分かる。

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1. たかい 紙を もらった とき、なんと こたえたの?

1. 高価な紙をもらった清少納言は、なんと答えたのか

1. 高価な料紙を前にして:跋文が伝える題名の由来

むかしの 紙は、いまより ずっと たかい ものでした。本の さいごの 「ばつぶん」には、こう かかれています。平安へいあんの みやこで、中宮ていしの ところへ、とても いい 紙が とどきました。

みかどの いちじょう天皇てんのうは、この 紙に 中国の 大きな 本を かき うつす と いいました。ていしが「では、わたしたちは なにを かきましょう」と たずねると、せいしょうなごんは「枕まくらに しましょう」と こたえた と いいます。ていしは、その 紙を せいしょうなごんに あげました。

この 話は、本の さいごに かかれた「ばつぶん」に あります。ただし、「枕まくら」が なんの ことかは、ほんとうは はっきり していません。うたを よむ ときの ことば、ねる ときに そばに おく メモ、はたらく ひとの ひっす の ほん、など いろいろな かんがえ方が あります。

跋文によると、あるとき内大臣の伊周が、中宮定子と一条天皇に、当時まだ高価だった紙を献上しました。天皇はこの紙に『史記』を書き写すといいます。定子が「では、こちらは何を書きましょう」と尋ねると、清少納言は「枕にこそは侍らめ」と答え、紙は清少納言に与えられた、という場面です[2]。

では、この「枕」とは何でしょうか。歌を詠むときのお手本になる歌枕のことだという説、寝るときに枕元に置く備忘録だという説、宮仕えに必携のものだという説などがありますが、定説はありません[1]。私たちが知っているのは、答えを一言で返した清少納言が、その紙で一冊の本を書きはじめた、という流れまでです。

この「一言」が気になるのは、問いに対する答えがとても短いからです。「何を書くか」と聞かれて、中身の説明をせず、題名のようなものだけを返す。そのやりとりのあと、紙は清少納言に渡されました。ここに、枕草子全体に流れる、ちょっとした機転と余裕を感じる読み方があります。

枕草子の跋文には、書名の起こりが書かれている。内大臣の伊周が中宮定子と一条天皇に、当時まだ貴重だった料紙を献上した。天皇はこの紙に『史記』を書写するという。定子が「こちらは何を書こうか」と尋ねたところ、清少納言は「枕にこそは侍らめ」と答え、紙は清少納言に下された[2]。ここで押さえておくべきなのは、私たちが読めるのが跋文の原文そのものではなく、その内容を伝える解説だという点である。

では、「枕」は何を指すのか。歌を詠む際の手引きになる歌枕、枕頭の備忘録、宮仕えの必携といった意味が考えられているが、定説はない[1]。説が割れているのは、清少納言が理由を説明していないからで、それが読み手の想像をかき立ててきたともいえる。題名の意味が不明のままでも、本が千年あまり読まれてきたこと自体が、この一言の余白の強さを示している。

ここで見えてくるのは、「何を書くか」という問いに、内容ではなく態度で答えている点である。書く中身を説明する代わりに、短い返答で定子の問いを受けとめ、そのやりとりごと、のちの本の入口にしてしまった。この機転は、後の章に出る「香炉峰の雪」の場面とも通じている。

2. 「春はあけぼの」から はじまる ほんって?

2. 「春はあけぼの」から始まる、約300の短い文章

2. 「春はあけぼの」と、約300の章段:どう分けて読むか

「春は あけぼの」。これが、本の いちばん さいしょに ある 文です。春は、よあけが いい、という こと。そらが すこし 白く なって、山の ふちが ほんのり あかるく なり、紫むらさきがかった 雲が ほそく ながれる。そんな ようすを かいています。

この ほんは、約やく 300の みじかい ぶんの あつまりです。ながい ものがたりでは ありません。

「山は」「木の 花は」と、おもしろいと 思う ものを ならべて いく ぶん(山では どれが すきか、花では どれが すきか、と えらんで いきます)。春や 夏の ことを かんがえた ぶん。ていしの ところで あった できごとを おもいだして かいた ぶん。おおまかに この 3しゅるいに わけて よむ ことが できます。

書き出しは、あまりにも有名です。「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」春は夜明けがいい、という宣言で、空が少しずつ白くなり、山の輪郭のあたりがほんのり明るくなって、紫がかった雲が細く横にたなびく、という様子までをさらりと描きます[7]。

枕草子は、約300の章段(短い文章のまとまり)からなるとされます。数え方は伝本によって変わります。長い物語のように筋を追う本ではなく、どこから開いても読める短い文章の集まりです。

内容は、研究者の池田亀鑑の分類にならって、大きく三つに分けて考えられます。「山は」「木の花は」のように、同じ種類のものから気に入ったものを挙げていく類聚章段。「春はあけぼの」のように、自然や人について思うことを書く随想章段。そして、宮仕え中の出来事を思い出して書く日記章段です[2]。

全体は、澄んだ鋭い目で身の回りに美を見つけ、簡潔で正確に描く作品と評され、『源氏物語』と並ぶ平安の女流文学の傑作ともいわれます[1]。

枕草子はどこから読み始めるのが自然か。第一段の「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」が、多くの人にとっての入口になっている。春は夜明けがよい、と言い切ったうえで、空が白んでいく様子、山際の明るみ、細くたなびく紫の雲という色と形の移り変わりを、ごく少ない言葉で並べている[7]。

章段の数は約300とされるが、伝本によって数え方が変わる。そもそも伝本は、雑纂本系(三巻本・能因本)と、内容ごとに並べ替えた類纂本系(前田家本・堺本)に大きく分かれ、現在は三巻本系を底本にするのが普通である[1]。同じ「枕草子」でも、並び方や本文には系統ごとのちがいがある、ということだ。

内容の整理には、池田亀鑑が提案した三分類がよく使われる。「山は」「木の花は」と同類のものから気に入ったものを挙げていく類聚章段、「春はあけぼの」のように思いや感想を述べる随想章段、宮仕えでの出来事を思い出して書く日記章段である[2]。ただしこの分類は読み手が整理のために引いた線であり、清少納言がそう分けて書いたわけではない。

全体の評価としては、澄んだ鋭敏な目で身の回りに美を見出し、描写が簡潔で正確であること、『源氏物語』と並ぶ平安女流文学の傑作とされることが挙げられる[1]。では、その「見つけ方」には、どんな気持ちが働いているのか。次の章で見る。

3. 「をかし」って、どんな きもち?

3. 「をかし」とは、どんな気持ちか:好きなものを数える目

3. 「をかし」と「あはれ」はどうちがうのか

この ほんで よく でてくる ことばが「をかし」です。いまの 「おかしい」とは ちょっと ちがい、「おもしろい」「いいなあ」と 思う きもちです。

新しい ものを 見て、「なんだろう」と わくわくする。すこし はなれた ところから、にこにこ 見て たのしむ。そんな 気もちです。

たとえば「心ときめきする もの」と いう 文が あります。すきな ものを ひとつずつ あげて いくと、その ひとが なにに 心を うごかされたか、よく わかります。

枕草子の中心にある言葉が「をかし」です。新鮮な印象を受けて、好奇心や興味をそそられる気持ちが基本にあります。少し離れたところから余裕をもって眺めて、楽しむ感覚です[6]。

同じ平安時代の言葉に「あはれ」があります。こちらは、深く心に染みこむような、しみじみとした感動です。それに対して「をかし」は、より知的に対象を見つめる美意識とされ、枕草子はその代表格といわれます[6]。

こう考えると、「春はあけぼの」の一文からは、夜明けの空を眺めて、いいなと思った気持ちが伝わってきます。ほら、きれいだと思わない?と、ちょっと得意げに指さしているようなものです。

第26段「心ときめきするもの」のように、好きなものをあげていく段も、そうした目の働きが見える場所です[7]。自分が何にどきどきするかを数えるだけで、その人らしさが見えてきます。

枕草子の文章を貫いているのは、「をかし」という感覚である。新鮮な印象を受けて好奇心や関心がかき立てられる気持ちが基本で、対象から一歩離れ、余裕をもって眺めて楽しむ構えをともなう[6]。ここで対比されるのが「あはれ」で、こちらは対象に深く入りこみ、しみじみと心を動かされる感動を指す。をかしのほうは、対象を知的に見つめる美意識とされ、枕草子はその代表といわれる[6]。

この区別は、「春はあけぼの」を読むときにも役に立つ。夜明けの空の色の変化を観察し、よいと感じたことを短く書きとめている。簡潔で正確という評価[1]は、感情をあふれさせず、見えたものを選んで並べる書き方を指しているのだろう。

類聚章段は、その見方を最もはっきり示す形式である。第26段「心ときめきするもの」のように、好きなものを並べていく段があり[7]、何を挙げるかを選ぶこと自体が、書き手の感性の表れになる。だが、ここで注意が要る。「をかし」は読み手の側が整理した用語で、清少納言がこの言葉で自分の方針を宣言したわけではない。作品の傾向を言い表した言葉として理解しておくのがよい。

4. 「こうろほうの ゆき」では、なにが おきたの?

4. 香炉峰の雪の日、簾を上げただけで通じた会話

4. 香炉峰の雪の段:白居易の詩を踏まえた受け答え

ある 雪の ふる 日、ていしが、まわりの 人たちに「こうろほうの 雪は どうでしょう」と たずねました。

せいしょうなごんは、なにも いわずに、すだれ(みす)を たかく 上げました。外の 雪が よく 見えます。

これは、中国の 詩人 はくきょいの 詩に、「こうろほうの 雪は すだれを かかげて 見る」と いう 言葉が あるからです。ていしは、その 意味が つたわったので、よろこびました。

ほかの 女房にょうぼうたちも 詩は しっていて、うたに よむ ことも ありました。でも、その 場で すぐには 思いつかなかった、と 本に かかれています。ことばの 知しきを、とっさに うごきに かえた ところが、おもしろい ところです。

枕草子のなかでも、よく教科書に出てくるのが「香炉峰の雪」の段です。雪の降る日、定子が「香炉峰の雪はどうでしょうね」と尋ねます。すると清少納言は、何も言わずに御簾(すだれ)を高く上げました[5]。

種明かしは、唐の詩人・白居易の詩にあります。「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」という一節を踏まえて、「あの詩のとおり、簾を上げて雪を見ましょう」という意味の返事を、言葉でなく動作でやってみせたのです。定子はそれを見て、とても喜んだとされています[5]。

作中では、ほかの女房たちもその詩句は知っていて、歌に詠むこともあるが、とっさには思いつかなかった、と語られます[5]。知識があることと、場面にあわせて使えることは別、という話でもあります。

ただし、これは清少納言自身が書いた場面です。「自分がうまく返せた」という話なので、少し得意げに書いている面もあると思って読むと、いっそうおもしろくなります。

香炉峰の雪の段は、雪の降る日、定子が「香炉峰の雪はいかならん」と問いかけ、清少納言が何も言わずに御簾を高く上げる、という場面である。白居易の詩に「香炉峰の雪は簾をかかげて看る」という句があり、この句を踏まえた応答だった。定子は喜んだと書かれている[5]。

この場面の面白さは、問いに言葉で答えず、動作で答えたところにある。詩を知っていれば「簾を上げる」という動作が答えになる。定子はその意図を理解して喜んだ。作中では、ほかの女房たちも詩句は知っていて歌にも詠むが、とっさには思い至らなかった、と語られる[5]。知識があっても、その場で使えるとは限らないという、機転の話でもある。

では、ここで清少納言が引いた詩は、なぜ「定子の問い」とつながったのか。それは、定子の問いかけそのものが詩の句を下敷きにしていたからで、問いかけを受けた側が、元の詩句を踏まえて動作で返した、ということになる。詩句を知っている相手に動作で返す点は、跋文の「枕にこそは侍らめ」という短い返事にも通じる。

ただし、この段は清少納言自身の筆による自己評価でもある。「うまくいった」という話として書かれている点は、読み手が割り引いて読む余地がある。事実としての記録というより、清少納言の記憶と語りの面白さが前面に出た章段として読むのがよい。

5. この ほんは、どうやって ひろまったの?

5. 書きためた文章は、どうやって世の中に出たのか

5. 作者の手を離れた枕草子:定子のそばで書かれ、世に出るまで

せいしょうなごんは、ちちが うたの 名人で、ていしの ところに 10ねんほど つかえた と いわれます。ていしは、せいしょうなごんが つかえて いる あいだに なくなりました。そのあと、せいしょうなごんは、きゅうちゅうの しごとは しなかったと いわれます。

この ほんは、ていしの そばに いた とき、または いえに かえっていた ときに かきはじめた、という かんがえ方が あります。

ほんの さいごには、みなもとの つねふさ という 人が、せいしょうなごんの いえから ほんを もちだして、ひろめて しまった、と かかれています。そのあとも、ことばが たされて いったと いわれます。

清少納言は、歌人の清原元輔の娘です。正暦4年(993)ごろから約10年、一条天皇の中宮定子に仕えました。なお、「少納言」とよばれる理由は、はっきり分かっていません[3]。

書き始めた時期や場所には、説があります。996年(長徳2)、定子の兄の伊周・隆家をめぐる事件のあと、定子は内裏を出て二条宮に移りました。この前後、清少納言が定子のそばを離れて家にいた間に書き始めたという説があります[4]。

跋文には、源経房という人物が、作者の家から本を持ち出して世に広めた、とあります。その後も、加筆が続いたとされます[2]。成立は長保2年(1000)ころから長保3年(1001)ころとされますが、ここも「ころ」です[1]。

定子は1000年12月に亡くなり(西暦では1001年1月)、清少納言はその後、宮仕えをしなかったとされます[3]。それでも文章は、定子と過ごした明るい場面をたくさん残しました。

この本はどのように書かれ、いつ世に出たのか。清少納言は、歌人清原元輔の娘で、正暦4年(993)ごろから約10年、一条天皇の中宮定子に仕えた。少納言と呼ばれる理由は明らかでない[3]。仕えた年数には、約10年とする資料と、定子の没(1000年)まで七年余りとする資料があり、幅がある。定子は976年生まれで、990年に中宮となった[4]。

書き始めた時期には説がある。996年(長徳2)、定子の兄の伊周と隆家をめぐる事件で、定子は内裏を出て二条宮に移った。この前後、清少納言が里下がりの間に書き始めたという説がある[4]。ただし、これは一つの説で、決着はついていない。

跋文によれば、源経房(左中将)が作者の家から持ち出して広め、その後も絶えず加筆されたとされる[2]。初稿が996年秋ごろ、改稿が998年10月から1001年8月の間とされ、成立は長保2年(1000)から長保3年(1001)ころという[1]。

定子は長保2年12月(西暦では1001年1月)に亡くなり、清少納言はその後、宮仕えをしなかったとされる[3]。それでも、書かれた文章は定子と過ごした明るい場面にあふれている。作者が置かれた状況と、書かれた文章の調子は、必ずしも一致していない。ここも、読み手が考える余地として残されている。

6. じぶんの 「すきな もの」を 3つ かいて みよう

6. 自分の「心ときめきするもの」を3つ書いてみる

6. 一段書いてみる:自分の「ものづくし」と、原典の読み比べ

せいしょうなごんの まねを して、「すきな もの」を 3つ かいて みましょう。「あさ おきて、いちばんに すきな こと」でも、「雨の ひの すきな ところ」でも かまいません。

ただし、だれかの ことを わるく かく のは やめましょう。じぶんが「いいな」と おもった ものだけを かきます。

かいたら、ひとに よんで みせても いいし、じぶんだけの ものに しても いいです。もし きょうみが わいたら、図書館で、子ども向けに かかれた「枕まくらの そうし」の 本を さがして みると、「春は あけぼの」の ほかにも、たくさんの 「いいな」が 見つかります。

枕草子を読むときは、章段の一つひとつを、清少納言が選んだ「いいな」の小さな箱として読むことができます。

自分でもやってみたくなったら、ノートを一冊用意して、「心ときめきするもの」「好きな朝のこと」など、お題を一つ決めて、当てはまるものを三つ書いてみます。ポイントは、「なぜそれを選んだか」を、ひとことだけ添えること。何にどきどきするかは、人によってちがいます。

実際の枕草子に触れてみたいときは、学校の教科書に載っている章段や、図書館にある現代語訳つきの本が入口になります。同じ段でも、本によって訳し方や注のつけ方がちがうので、二冊を見比べると新しい発見があります。

枕草子の魅力は、現代の読者が自分でも試せる点にある。まず、「春はあけぼの」の型にならって、自分にとって季節ごとにいちばん好きな時間帯を一つずつ書いてみる。次に、第26段「心ときめきするもの」のように、好きなものを三つ以上挙げ、なぜそれを選んだかを短く添える。選んだ理由を書くことで、自分の「をかし」がどこにあるのかが見えてくる。

原典に当たるときは、同じ章段を校注つきの本と現代語訳で読み比べ、ちがいを見つけてみるとよい。注の入れ方や読みの選び方のちがいが見えてくる。底本は、現在は三巻本系にするのが普通である[1]。跋文や香炉峰の雪の段は、教科書や古典の入門書にも取り上げられている[5]。

清少納言が高価な紙の前で返した一言から、千年あまり読まれる本が生まれた、という流れは、跋文が伝える話である。跋文の言葉と章段を読み比べると、題名の由来と、実際の文章の雰囲気を自分で確かめられる。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

本文の事実は、次の資料を突き合わせて確認しました。説が分かれる点は、本文で「説」と書いています。

  1. コトバンク「枕草子」(日本大百科全書ほか) https://kotobank.jp/word/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90 (成立時期、書名の意味、伝本、評価)
  2. Wikipedia「枕草子」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90 (跋文の内容、三分類、広まり方)
  3. コトバンク「清少納言」 https://kotobank.jp/word/%E6%B8%85%E5%B0%91%E7%B4%8D%E8%A8%80-85976 (作者の経歴)
  4. Wikipedia「藤原定子」 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E5%AE%9A%E5%AD%90 (定子の生年・中宮、里下がり説)
  5. Wikibooks「高等学校国語総合/枕草子」 https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90 (香炉峰の雪の段)
  6. コトバンク「をかし」 https://kotobank.jp/word/%E3%82%92%E3%81%8B%E3%81%97 (「をかし」と「あはれ」)
  7. ダ・ヴィンチWeb「枕草子 あらすじ」 https://ddnavi.com/article/d1146263/a/ (第一段、章段数、第26段)

なおした ところ

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