1. おやが りょうてを ひろげて まもる あそび
1. 古い鬼ごっこでは、親が両手を広げて子を守った
1. 比々丘女の3役:鬼・親・子と、列の最後の子
おにごっこは、おいかける おにと、にげる 子で あそびます。つかまった 子が、つぎの おにに なります[1]。
むかしの かたちは、すこし ちがいました。役が 3つ あって、おに、おや、子です。子は おやの うしろに 一れつに ならびます。おには、れつの いちばん うしろの 子に さわろうと します。
おやは、れつの いちばん まえで、りょうてを ひろげて、子を まもります[1]。にげる だけではなく、みんなで まもる あそびでした。
この あそびは、えど時代には「子をとろ子とろ」と よばれて、さいきんまで あそばれて いました[1]。
基本の形は「追う・逃げる・交代」
鬼ごっこの基本は、鬼(追い手)が子(逃げ手)を追いかけ、つかまった子が次の鬼になって遊びが続く、というものです[1]。この論文は、「追う・逃げる」と「役割の交代」をもつ遊びを、広く鬼ごっこと呼んでいます。
鬼・親・子の3役
ところが、日本で古い形とされる遊びは、これと少し違います。鬼、親、子の3つの役があり、子は親の後ろに一列に並びます。鬼は列の最後の子にさわろうとし、先頭の親が両手を広げてそれを守ります[1]。
走る速さを競う遊びとは、少し性格が違うように見えます。この遊びは江戸時代には「子をとろ子とろ」と呼ばれ、近年まで子どもたちに遊ばれてきました[1]。三重県の昔遊びの案内も、「ことろことろ」を貴族文化として親しまれた遊びと紹介しています[3]。
では、この遊びは、いつごろ生まれたのでしょうか。
鬼ごっこの基本は、鬼(追い手)が子(逃げ手)を追い、捕まった子が立場を変えて次の鬼になり、遊びが続くことだ[1]。論文は、この「追う・逃げる」と「役割の交代」の構造をもつ遊びを、広く鬼ごっこと呼んでいる。
ところが、日本で古い形とされる比々丘女は、この基本形と少し違う。鬼・親・子の3役から成り、子は親の後ろに一列に並ぶ。鬼は列の最後の子にさわろうとし、列の先頭の親は両手を広げてそれを守る[1]。逃げる子は走って逃げるのではなく、守られる側にいる。足の速さで勝負する遊びとは性格が違うように見える。
この遊びは江戸時代には「子をとろ子とろ」と呼ばれ、近年まで子どもたちに遊ばれてきた[1]。三重県の昔遊びの案内も、「ことろことろ」を貴族文化として親しまれた遊びと紹介する[3]。江戸時代から近年までと、貴族の遊びという2つの紹介が並ぶので、この遊びは身分も時代も越えて受け継がれた可能性がある。では、いつごろ、誰が始めたといわれているのか。
2. この あそびは、いつから あるの?
2. 平安時代に、僧が子どもに遊ばせたという話
2. 恵心僧都の創作説:根拠は室町時代の説話集
三重県の あんないでは、この あそびは へいあん時代の きぞくに したしまれた、と しょうかいされて います[3]。へいあん時代は、いまから 1000ねんほど まえの ことです。
はじまりの はなしも あります。えしんそうずという おぼうさんが、子どもに おしえを わかりやすく つたえる ために、この あそびを つくった、というのです[1]。
でも、この はなしが のっている 本は、むろまち時代の ものです。おぼうさんの 時代から、300ねんいじょう あとに 書かれました[1]。
だから、ほんとうに そうだったのかは、はっきり しません。ほかにも ちがう はなしが あります。
通説は「恵心僧都の創作」
鬼ごっこの始まりについて、よく知られた説があります。平安時代中期の天台宗の僧、恵心僧都(源信、942〜1017)が、地蔵菩薩が地獄の鬼から人を守るという教えを子どもにも分かりやすく伝えるため、この遊びをさせたというものです[1]。
この話の根拠は、室町時代に書かれた説話集『三国伝記』のエピソードです。室町時代は、源信が亡くなった1017年から300年以上あとです。当時の記録ではなく、後の時代の物語として伝わった話なので、確かな史実としては書けません。
実際、これとは別の考え方を示した研究者もいます。
通説では、平安時代中期の天台僧・恵心僧都(源信、942〜1017)が、地蔵菩薩が地獄の鬼から罪人を守る教えをわかりやすくするため、子どもに遊ばせたのが比々丘女の始まりとされる[1]。親が子を鬼から守る遊びの形は、確かにこの教えと重なる。
だが、根拠として挙げられるのは、室町時代に沙弥玄棟が著した説話集『三国伝記』のエピソードだ[1]。室町時代は、源信の没年の1017年から数えても300年以上あとである。本人の時代に近い記録ではなく、後世の説話が土台になっている以上、確かな史実とは扱えない。形が教えと似ているからといって、その教えのために作られたとは限らないからだ。
三重県の案内は、同じ遊びを平安時代の貴族に親しまれたものと紹介する[3]。ただし、これは自治体の案内であり、平安時代の原文の史料ではない。遊びが平安時代に遊ばれていたという紹介と、それを恵心僧都が作ったという話は、別々の問題として読み分ける必要がある。この通説に疑いを向けた研究者は、どこに根拠を求めたのか。
3. ほかにも、はじまりの はなしが ある
3. 起源の説は3つあって、まだ決着していない(恵心僧都説・寒川説・追儺説)
3. 寒川説・追儺説と、「鬼」の字の古さ
ある けんきゅうしゃは、こう かんがえました。この あそびは、こくもつを そだてる 人たちの あいだで うまれた、と。「やせいの どうぶつが、かって いる どうぶつを おそう」ことを、あそびに したのです。日本には、イネづくりが はじまった やよい時代ごろに つたわったと かんがえて います[1]。
べつの はなしも あります。せつぶんの もとに なった 行事に、「ついな」が あります。おにを おいはらう 行事ですが、おにが こうたいする きまりは ありません。だから おにごっこと おなじ ものでは ない、と 書かれて います[1]。
どの はなしが ただしいのか、まだ きまって いません。
寒川説:野生動物が家畜を襲う遊びが原型
寒川恒夫という研究者は、世界の遊びの分布と、役割の呼び名を比べました。そして、この遊びの原型は、穀物を栽培する人々の間で生まれた「野生動物が家畜を襲う」という発想だと考えました。日本には水稲耕作が始まる弥生時代ごろに伝わり、仏教と結びついたのは鎌倉時代ごろだと考えています。この考えは、恵心僧都の創作説を退けるものです[1]。
追儺説:節分の元になった宮中行事
3つめは、追い手を「鬼」と呼ぶ理由を、節分の元になった宮中行事「追儺」に求める説です。追儺は中国から伝わり、平安時代初期から宮中で大晦日に行われました。もとは方相氏という役が疫鬼を追う儀式でしたが、10世紀半ばごろ、方相氏のほうが追われる鬼の役に変わったと考えられています[1]。
ただし、追儺には鬼が交代するきまりがなく、鬼ごっことは同じではありません[1]。つまり、どの説も、いまのところ「これが起源だ」とは言い切れません。
これらの説とは別に、人以外の動物の子どもたちが、似た遊びをするという報告があります。
起源の説は3つある。1つめの恵心僧都説は前章のとおりで、2つめは寒川説だ。寒川恒夫は、世界の分布と役割名の比較から、この遊びの原型は穀物栽培民の中で生まれた「野生動物が家畜を襲う」という発想だと考え、恵心僧都の創作説を退けた。日本への伝来は水稲耕作が始まる弥生時代ごろ、仏教と結びついたのは鎌倉時代ごろと想定している[1]。ただしこれは船井の論文を通した紹介で、寒川本人の著作そのものではない。
3つめは、追い手が「鬼」と呼ばれる理由を、節分の元になった宮中行事の追儺に求める説だ。追儺は中国から伝わり、平安時代初期から宮中で大晦日に行われた。もとは方相氏が疫鬼を追う儀式だったが、10世紀半ばごろには方相氏のほうが追われる鬼の役に変わったと考えられる[1]。ところが、追儺には鬼が交代するきまりがない。そのため船井は、鬼ごっことは同じものとは言えないとみている[1]。
3つの説とは別の論点として、「鬼」という呼び名・表記の古さも、思ったほど単純でない。この字が文献に最初に現れるのは『出雲国風土記』(733年)で、一つ目の鬼を指すが、「おに」と読んだかどうかは明らかでないという。字の読みが定まるのは平安末期より後と、馬場あき子は考えている[1]。船井は、鬼ごっこ的な遊びの存在が文献で確かめられるのは8世紀初頭と述べるが、その根拠は追儺であり、遊びそのものの記録ではない。8世紀に鬼ごっこがあったとは言い切れず、3つの説は並び立ったままである。この「追う・逃げる・交代」の遊びは、人だけのものなのか。
4. サルの 子も、にた あそびを するの?
4. 子ザルの「枝引きずり遊び」は、鬼ごっこの原形か
4. ニホンザルの子の遊び:餌づけ群で確立した追う・逃げる・交代
京都の あらしやまの サルの 子どもたちは、えだなどの ものを もった 子が にげる 役、もたない 子が おう 役に なります。ものを うばうと、役が いれかわります[5]。
これは、人の おにごっこと にて います。ある けんきゅうしゃは、おにごっこの ような あそびの はじまりを かんがえる てがかりに して います。ただし、サルが おにごっこを して いるとは いえません。にた あそびです。
この あそびは、人に えさを もらって いる むれの 子ザルで、きまった あそびに なって いました。えさを もらって いない べつの むれでは、まだ きまって いませんでした[5]。
枝を持った子が逃げ役になる
京都・嵐山のニホンザルの群れには、枝などの物を持った子が逃げ役、持たない子が追い役になる遊びがあります。物を奪うと役が入れ替わります。この遊びは、「枝引きずり遊び」と呼ばれています[5]。
追う、逃げる、役が入れ替わる。鬼ごっこの基本と同じ形です。島田将喜は、物を持つ子が逃げ役になるこの追いかけ遊びを報告し、鬼ごっこのような遊びの起源を考える手がかりとしています[5]。
どこまで言えるか
ただし、サルが鬼ごっこをしていると決めてしまうのは早すぎます。この遊びは、人に餌づけされた嵐山の群れの若い個体で確立していますが、餌づけされていない金華山の群れでは確立していません[5]。「似た遊び」が観察された、というのが慎重な言い方です。
人の鬼ごっこの起源がどこにあるにせよ、「追う・逃げる・交代」の形は、世界の多くの場所にあるようです。では、追い手の呼び名は、ほかの国でも「鬼」なのでしょうか。
ニホンザルの子の遊びを調べた島田将喜(2018)の研究では、京都・嵐山の餌づけ群の子ザルが、枝などの物を持った子を逃げ役、持たない子を追い役とし、物を奪うと役が入れ替わる「枝引きずり遊び」をすることが示された[5]。追う・逃げる・交代という鬼ごっこの構造と重なるため、島田はこれを、鬼ごっこのような遊びの起源を考える手がかりとしている。
ただし、この遊びが確立しているのは嵐山の若い個体で、餌づけされていない金華山の群れでは確立していない[5]。観察された範囲では、人に餌づけされた群れで目立つ遊びであり、サルが鬼ごっこをするとまで言うことはできない。「似た遊びが観察された」という慎重な書き方が適切である。
この観察は、前の章の3つの説と、直接にはつながらない。サルの遊びが人の鬼ごっこの先祖だと示したわけではなく、「追う・逃げる・交代」の形が、人に限らない遊びの型かもしれないと考えさせる材料である。では、この型は、世界の遊びでどう呼ばれているのか。
5. せかいでは、おいかける 人を なんと よぶの?
5. 世界の追い手は「捕まえる人」や「それ」と呼ばれる
5. 追い手の呼び名の比較:tag・it・Fänger・動物たち
外国にも、おにごっこに にた あそびが たくさん あります。でも、おいかける 人の よびかたは いろいろです。
英語では「タグ」や「イット」と いいます。ドイツ語の 国では、「つかまえる 人」と いう いみの ことばです。フランスでは オオカミや ねこ、ひがしスラブと いう ちいきでは、オオカミや クマ、さむさを もたらす おじいさんまで 出て きます[1]。
おにのような ふしぎな ものを おいかける 人に する あそびは、英語の「イット」の ほかには あまり みつかって いない、と けんきゅうしゃは せいりして います[1]。
日本の「おに」は、せかいでも めずらしい よびかたの ようです。
呼び名は国によってちがう
追い手の呼び名は、国や地域でそれぞれ違います。英語圏では「tag(タグ)」や「it(イット)」、ドイツ語圏では「Fänger(フェンガー)」、つまり「捕まえる人」です。フランスではオオカミや猫、東スラブでは、オオカミ、クマ、サギ、厳寒をもたらす老人などが追い手になります[1]。
追い手を日本の「鬼」のように超自然的な存在にする例は、英語圏の「it」のほかにはあまり類例がない、と船井は整理しています[1]。
世界の追いかけ遊び
英語の「tag」の語源は、辞書でもはっきりしないとされています[4]。
似た遊びは世界各地にあり、ポーランドは「berek」、バヌアツは「lelu」と呼ぶ遊びが挙がっています[4]。
世界に追いかけ遊びがあふれていても、日本の「鬼」は少し特別なようです。では、日本の中では、鬼ごっこはいつも「鬼ごっこ」と呼ばれていたのでしょうか。
追い手の呼び名は地域でさまざまだ。英語圏では「tag」や「it」、ドイツ語圏では「Fänger」(捕まえる人)、フランスではオオカミや猫、東スラブではオオカミ・クマ・サギ・厳寒をもたらす老人などである。船井は、追い手を日本の鬼のように超自然的な存在とするのは、英語圏の「it」のほかにはあまり類例がないと整理している[1]。
英語の「tag」の語源は、辞書でもはっきりしないとされる[4]。
類似の遊びは、イギリスの一部のtig、イングランド南部のit、ポーランドのberek、バヌアツのleluなど世界各地に挙がる[4]。ただし、これはウィキペディアに依拠した二次的な情報である。
この比較から言えるのは、「追う・逃げる」遊びは世界に広くあり、追い手の呼び名は多くが「捕まえる人」や動物であって、「鬼」のような超自然的な存在をあてる遊びは少ない、という整理までである。呼び名を決めるのは遊び方より言葉の側の事情かもしれないが、資料はそこまで述べていない。では、日本の中では、呼び名はそろっていたのか。
6. まちごとに、なんて よんで いたの?
6. 江戸時代は町ごとに呼び名がちがい、遊び方も増えた
6. 江戸後期の呼び名の地域差と、遊び方が増えた理由
えど時代の おわりごろ、おにごっこの よび名は、まちごとに ちがいました。えどでは「おにわたし」、京都では「つかまへぼ」、大坂では「むかへぼ」、せんだいでは「おにおに」、つがるでは「おくりご」と いう きろくが あります[2]。
あそびかたも、ふえて いきました。「たかおに」「いろおに」「こおりおに」などには、つかまらない 場所や じょうけんを つくる きまりが あります。足の おそい 子を まもる くふうとして うまれた、と けんきゅうしゃは かんがえて います[1]。
日本の おにごっこは、数えて いくと 500しゅるいほど、へんけいまで いれると 2000しゅるいいじょう とも いわれます[1]。しりょうに よって、かずは ちがいます。
町ごとの呼び名
江戸時代後期には、鬼ごっこは「鬼わたし」(江戸)、「つかまへぼ」(京都)、「むかへぼ」(大坂)、「鬼ごと」(東北や長崎など)、「鬼々」(仙台)、「おくりご」(津軽)、「鬼のさら」(常陸)などと呼ばれていた記録があります[2]。同じ遊びなのに、町をまたぐと名前が変わったことになります。
遊び方が増えたわけ
鬼ごっこには、「高鬼」「色鬼」「氷鬼」など、種類がたくさんあります。船井は、遊ぶ集団の中に走る速さや年齢の差があっても面白さが損なわれないよう、条件を足していったからだろうと考えています。とくに安全地帯のあるタイプは、足の遅い逃げ手が、足の速い鬼から身を守るための工夫として生まれたとみています[1]。
種類の数は、資料によってちがう
種類の数は、資料によって違います。船井の論文は、基本形だけで約500種、変形まで含めれば2000種以上と書きます。和樂webは、日本全国で250種以上、「鬼遊び」という広いまとまりで数えると2000種以上と紹介しています[1][2]。「2000種以上」は共通です。250と500のちがいが何によるのかは、これらの資料だけでは分かりません。
江戸時代後期には、鬼ごっこが「鬼わたし」(江戸)、「つかまへぼ」(京都)、「むかへぼ」(大坂)、「鬼ごと」(東北や長崎など)、「鬼々」(仙台)、「おくりご」(津軽)、「鬼のさら」(常陸)と呼ばれていた記録が残る[2]。ただし、この記録の元の文献名は、紹介記事に明記されていない。元の文献にあたるまでは、地域ごとの呼び名の例として読むのが妥当である。
遊び方が多様になった理由について、船井は、遊ぶ集団の年齢や脚力の差で面白さが損なわれないよう、制限や条件を足したためだろうと推測する。「高鬼」「色鬼」「氷鬼」などの安全地帯は、脚力の乏しい逃げ手が足の速い鬼から身を守る工夫として生まれたと考える[1]。これは筆者の推測であり、史料で示された事実ではない。
種類の数にも注意がいる。船井の論文は、加古里子の整理を引いて、基本形だけで約500種、変形まで含めれば2000種以上と述べる[1]。和樂webは、250種以上、「鬼遊び」という広い分類で数えると2000種以上と述べる[2]。共通するのは「2000種以上」で、250と500の違いが何によるかは、これらの資料だけでは分からない。数字を見るときは、何を1種と数えているかも確かめたい。
7. おにごっこの よびなを、きいて みよう
7. 自分の町の呼び名を聞き、ことろことろをやってみる
7. 呼び名の聞き取りと、資料の読み分け方
おうちの 人や ともだちに、「おにごっこを、なんて よんで いた?」と きいて みましょう。むかしの よびかたや、ちがう ルールが 出て くるかも しれません。
この ページで しょうかいした ことろことろも、できます。4人いじょうで、広い 場所で、ゆっくり あるいて あそびます。おに 1人、おや 1人、のこりが 子です。子は おやの うしろに 一れつに ならび、まえの 人の かたに 手を おきます。おには、いちばん うしろの 子に さわろうと します。おやは、りょうてを ひろげて とめます。
はしらず、ぶつからない ように しましょう。さわられた 子を つぎの おにに するか どうかは、みんなで きめて かまいません。
呼び名を聞いてみる
家族や友だちに、「鬼ごっこを何と呼んでいたか」「どんなきまりがあったか」を聞いてみてください。江戸時代に町ごとで呼び名が違ったように、いまも地域や学校ごとに、呼び名やきまりの違いが見つかるかもしれません。
ことろことろを試す
この記事で紹介した形を、4人以上で、広くて平らな場所でゆっくり歩いて試せます。鬼1人、親1人、残りが子です。子は親の後ろに一列に並び、前の人の肩に手を置きます。鬼は最後の子にさわろうとし、親は両手を広げて止めます。走らない、ぶつかったらすぐ止まる、というきまりにすると安全です。さわられた子を次の鬼にするかどうかなど、決め方は自分たちで決めて構いません。
原典にあたるなら
この記事の多くは、船井廣則「鬼ごっこを考える」(神戸市外国語大学リポジトリ)をもとにしています。論文は日本語で、ネットで読めます。出典欄から探して、起源の説がどう紹介されているか、確かめてみてください。
身近な確かめ方として、家族や友だちに、鬼ごっこをどう呼んでいたか、どんなきまりがあったかを聞いてみる方法がある。江戸後期に地域差があったことを踏まえると、いまの呼び名やきまりにも、地域や学校ごとの違いが見つかるかもしれない。
この記事で紹介した比々丘女(ことろことろ)の形は、4人以上で、広くて平らな場所でゆっくり歩いて試せる。鬼1人、親1人、残りが子で、子は親の後ろに一列に並び、前の人の肩に手を置く。鬼は最後の子にさわろうとし、親は両手を広げて止める。走らない、ぶつかったら止まる、というきまりにすれば、安全に確かめられる。さわられた子を次の鬼にするかどうかなど、細かいきまりは遊ぶ人たちで決めてよい。
資料の読み分けとして、この記事で引いた起源の説(恵心僧都説、寒川説、追儺説)は並び立つ仮説であり、船井論文からの紹介が中心である。原典として読むなら、船井廣則「鬼ごっこを考える」(神戸市外国語大学リポジトリ)、島田将喜の論文(『認知科学』25巻1号、J-STAGE)が、出典欄から探せる。和樂webの江戸後期の呼び名は、元の文献名が明記されていないため、元の文献を探すことから始められる。
しらべた もとの じょうほう
参考にした情報源
参考にした情報源と、その使い方
本文は、ここにある資料の内容を、自分の言葉で言いかえたものです。年・名称・種類の数は、資料によって細部が異なることがあります。
- 船井廣則「鬼ごっこを考える」(神戸市外国語大学リポジトリ) https://kobe-cufs.repo.nii.ac.jp/records/1286 (基本の形、親・鬼・子、起源の説、世界の追い手、種類の数)
- 和樂web「鬼ごっこの『鬼』とはなに?」 https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/70431/ (江戸後期の呼び名、種類の数)
- 三重県「昔遊び」ページ https://www.pref.mie.lg.jp/SHOSHIKA/HP/m0329700017.htm (ことろことろの紹介。自治体の案内のため二次的な資料)
- Wikipedia, Tag (game) https://en.wikipedia.org/wiki/Tag_(game) (世界の追いかけ遊び、語源。二次資料)
- 島田将喜(2018)『認知科学』25巻1号(J-STAGE) https://www.jstage.jst.go.jp/article/jcss/25/1/25_63/_article/-char/ja (ニホンザルの枝引きずり遊び)
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