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ここにあるのは、だれかが実際に調べ、考え、作ってきたことを集めたメモです。気になったら、ページの下の「参考にした情報源」から、もとの本や記事、それを生み出した人たちに、直接ふれてみてください。このメモには書ききれないおもしろさが、そこにあります。

東京の 昭和どおりと いう みちの なまえは、いつ、どうやって ついたの?

昭和通りの名前は、「昭和」が始まる前の計画に、いつ付いたのか

昭和通りの名は、元号「昭和」より前の計画に、いつ付いたのか ── 道の名前と、日本の住所

分野:歴史・文化

とうきょうの 昭和どおりを つくる けいかくが たてられた とし、「昭和」と いう 元号は、まだ ありませんでした。みちの なまえは、あとから つけられた のです。

では、なまえは いつ、どうやって つくのでしょう。すぐ となりの みちには 「へいせいどおり」も あります。この 記事で、みちの なまえが つく ばめんと、日本の 住所に みちの なまえが でて こない わけが わかります。

東京の昭和通りを造る計画が立てられた1924年、元号の「昭和」はまだ存在しませんでした。道は、名前より先に計画されていたことになります。

ではその名前は、いつ、どのように付くのでしょうか。近くには「平成通り」という名の道もあります。この記事では、道の名前が付く場面と、日本の住所に道の名前が出てこない理由が分かります。

昭和通りの整備計画が立てられたのは大正13年(1924)で、元号が昭和に改まる2年前である[2][3]。計画の時点で、「昭和」という名の元号はまだ存在していなかった。

では、道の名前は誰がどんな場面で付け、なぜ日本の住所は道の名前ではなく区画の番号で表されるのか。名前の付き方、並行する「平成通り」と「靖国通り」の例、1962年の住居表示の法律を資料で比べ、その二つの答えが分かるようにする。

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1. けいかくの ときに、「昭和」は まだ なかったの?

1. 計画が立った年に、「昭和」はまだなかった

1. 計画は大正13年、元号の改まりはその2年後 ── 名前は後からついた

昭和どおりは、東京を 南北に はしる 大きな みちです。台東区から 新橋まで、およそ 8キロメートル。あるくと 2じかん ぐらいの ながさです[1]。

この みちは、大きな じしんの あとに、まちを たてなおす けいかくの 中で つくられました[1]。けいかくが たてられたのは 1924ねんです[2]。ところが 元号が 「昭和」に かわったのは、1926ねんの 12月でした[3]。けいかくの ときには、「昭和」と いう 元号は まだ ありません。

だから 「昭和どおり」の なまえは、けいかくの あとで つけられた ことに なります。あたらしい 元号の 「昭和」に ちなんだ なまえだと いわれています[1]。

だれが どうやって きめたのでしょう。ここは、しりょうに はっきり かいて ありません。ただ、おなじ ころの とうきょうには、みちの なまえを しんぶんしゃが みんなから あつめて きめた れきしも あります[2]。昭和どおりが そうだったかは、わかりません。

昭和通りは、東京の台東区から港区の新橋までをほぼ南北に結ぶ、約8kmの幹線道路です[1]。関東大震災後の帝都復興で計画された幹線の第1号で、新しい元号の「昭和」にちなんで名づけられたとされます[1]。

ここで年を並べてみると、不思議なことに気づきます。復興の道路計画が立てられたのは大正13年(1924)です[2]。元号が「昭和」と定められたのは、その2年後の1926年12月です[3]。計画のときには、「昭和」という元号がまだなかったのですから、道の名前は、計画の後で付いたことになります。

ただ、いつ、誰が決めたのかは、手元の資料からは分かりません。復興道路の計画では、幹線53路線と補助線123路線のうち、幹線22路線の名称は東京日日新聞社(毎日新聞の前身)の懸賞募集で決まった、という説明があります[2]。ただし昭和通りの名がその募集で決まったかどうかは、その資料には書かれていません。

名前がまだなかった頃、この道は、どんな姿を目指していたのでしょうか。

昭和通りは、関東大震災後の帝都復興で計画された幹線第1号で、新しい元号の「昭和」にちなんで名づけられた道路である[1]。三ノ輪(台東区)から新橋(港区)までの約8kmを南北に走る[1]。起点・終点の書き方は資料によって差があるので、ここでは約8kmにとどめる。

ところが、この名前には時間の順序に引っかかる点がある。道路計画は大正13年(1924)に立てられた[2]。一方、元号が「昭和」に定められたのは1926年12月25日で、出典は『書経』堯典の「百姓昭明、協和万邦」とされる[3]。つまり計画の段階には、道の名前の元になる元号がなかった。名前は計画の後でついた、と読むほかない。

それでは、その名前はどう決まったのか。復興道路は幹線53路線・補助線123路線が計画され、幹線22路線の名称は東京日日新聞社(毎日新聞の前身)の懸賞募集で決められたとされる[2]。けれども昭和通りの名が懸賞で決まったかどうかは、この資料に記述がない。ここでは「新元号にちなむ」までが言えることで、決定の経緯は断定しない。名前の前に、道そのものの姿はどう変わったのかを次に見る。

2. はじめの けいかくより、どうして せまく なったの?

2. 100m道路の計画は、なぜ44mになったのか

2. 幅員108mの構想は、予算の縮小で44mになった ── 完成年も二つの説がある

さいしょに かんがえられた みちは、はばが 108メートルも ある、とても 大きな ものでした[1]。いまの はば 44メートルの、2ばいより すこし 大きい はばです。

そのあと 72メートルの けいかくに なり、さいごは 44メートルに なりました。りゆうは、よさんが ちいさく なったからだと いわれます[1]。

それでも 44メートルは、ひろい みちです。まん中に、木が うえられた ひろい 場所が あります[4]。できあがった とし は、1928ねんと する しりょうと、1931ねんと する しりょうが あって、わかれています。

最初の構想は、とても大きなものでした。復興を指揮した後藤新平の原案では、昭和通りは防火帯も兼ねる幅員108mの「100m道路」で、パリのシャンゼリゼを参考にしたとされます[1]。108mを44mで割ると約2.5倍ですから、最初の案は、今の昭和通りの2倍半ほどの幅があったことになります。

その後、南北の軸として72mの計画になり、さらに予算の縮小で44mになりました[1]。それでも44mの幅員と、植栽のある広い中央分離帯を持つ通りとして完成した、と説明する資料があります[4]。

完成した年は、その資料では1928年(昭和3)です。ところが1931年(昭和6)とする資料もあり、食いちがっています。

計画の後で名前が付いた道には、後から別の名前が増えることもあります。昭和通りのすぐ近くで、何が起きたのでしょうか。

最初の構想は、現在の姿とはかなり違った。後藤新平の原案では、昭和通りは防火帯を兼ねる幅員108mの「100m道路」で、パリのシャンゼリゼを参考にしたとされる[1]。その後、南北の軸として72mの計画となり、予算の縮小により44mになった[1]。108mを44mで割ると約2.5倍で、当初案は完成形の2倍半ほどの幅を想定していたことになる(この倍率は資料の数字から計算した)。

では44mでは小さな道になったのかというと、そうでもない。44mの幅員と植栽のある広い中央分離帯を持つ通りとして1928年(昭和3)に完成した、と説明する資料がある[4]。ただし完成を1931年(昭和6)とする資料もあり、二つの説は食いちがう。どちらかに決めるには、復興事業の記録など別の資料との照合が要る。

なお、予算の縮小が幅員の縮小の理由であることは前記の資料にあるが、72mから44mに具体的にどう決まったかまでは書かれておらず、ここでは断定しない。計画段階の大きな案が縮むのは珍しくないが、名前のほうは、この後さらに増えていく。

3. 昭和どおりの となりに、「へいせいどおり」が あるの?

3. 昭和通りの近くに「平成通り」がある

3. 並行する「平成通り」 ── 1989年に地元の案を募って決まった愛称

昭和どおりと ならんで はしる 中央区の みちに、「へいせいどおり」と いう あだなが あります[6]。1989ねん、ちょうど 元号が へいせいに かわった とし に きまりました。

この あだなは、町の 人からも 「こんな なまえは どう?」と あんを あつめて、きめられました[6]。どこかの 町の なまえから とったのでは なく、「へいせい」が えらばれた そうです。

この みちの あだ名は、まちの 人から あつめた あんを もとに きまりました。まちの 人の こえで きまる ことも あるのです。

昭和通りと並行して走る中央区内の道には、「平成通り」という愛称があります[6]。昭和通りの隣に、平成通りがあるわけです。

この愛称は、地元からも案を募り、1989年(平成元)に制定されました(中央区道路課の説明)[6]。特定の町名に由来しない「平成」が選ばれた、とされています[6]。

昭和通りの名前は、新しい元号を道路の名前にしたものでした。それから60年ほどのちの平成通りでは、新しい元号を、愛称に選んだことになります。ただし、昭和通りのほうは、名前を決めた人や経緯が分かっていません。

こうした愛称は、法律上の路線の名前とは別に、人が呼びやすい名として付けられます。東京都では、それが大がかりに進められた年があります。

昭和通りの名が、新しい元号を道に与えた例だったとすると、その近くには別の例がある。昭和通りと並行する中央区内の道には「平成通り」という愛称があり、地元から案を募って1989年(平成元)に制定された[6]。特定の町名に由来しない「平成」が選ばれたとされる[6]。

ここで注意したいのは、昭和通りの命名と平成通りの命名は性格が違う点である。昭和通りは、震災復興の幹線道路の名前として元号にちなんで付けられた[1]。一方の平成通りは、すでにある道の「愛称」を、地元の案を集めて決めたものだ。同じ「元号を道の名にする」発想でも、前者は計画の名、後者は呼び名であり、決め方が違う。

では、愛称とは何か。次の章で見るように、東京都は法律上の路線名とは別に、利用者に分かりやすく親しみやすい通称名を、国道・都道に付けていった。平成通りも、その流れの先にある呼び名と考えられるが、資料はそこまでは書いていないので、ここでは関連は推測にとどめる。

4. 「大正どおり」と よばれた みちは、いま 「やすくにどおり」

4. 大正通りと呼ばれた道は、今は靖国通り ── 1962年の通称設定

4. 1962年の通称道路名 ── 東京都が129路線に付けた、分かりやすい名前

とうきょうには、むかし 「大正どおり」と よばれた みちが ありました。いまは 「やすくにどおり」と いいます[5]。

1962ねんに、とうきょう都が、おもな みちに よびやすい なまえを つけました。「やすくにどおり」という なまえも、そのときの ものです[5]。

なまえは、じぶんの 住む まちの 人が いつも つかって いた ものが えらばれる ことが 多かった そうです[5]。

東京にはかつて、「大正通り」と呼ばれた道がありました。今は「靖国通り」という名で知られています[5]。

靖国通りの名前は、1962年(昭和37)に東京都が69路線に通称を設定したときのものです[5]。東京都建設局の説明では、通称には、地元でなじんでいた呼び名が採用されることが多かったそうです[5]。

東京都は、1962〜63年(昭和37・38)に69路線、1984年(昭和59)に60路線、合わせて129路線の国道・都道に「通称道路名」を設定した、と建設局の資料にあります[7]。通称名は、道路法で決まる路線名とは別のもので、利用者に分かりやすく、親しみやすい名として設けられたものです[7]。

「大正」の名が消えた理由を、元号が避けられたからだと考える人もいるかもしれませんが、資料にはそうは書かれていません。分かっているのは、靖国通りの名が1962年の設定のときのものであることと、地元でなじんだ呼び名が採られることが多かったことです。

元号を使った道の名前は、昭和通りと平成通りだけではなかった。東京には、かつて「大正通り」と呼ばれた道があり、現在は「靖国通り」と呼ばれている[5]。「靖国通り」の名は、1962年(昭和37)に東京都が69路線へ通称を設定した際のものである[5]。

この1962年の設定は、東京都建設局の資料では、第1回(昭和37・38年)が69路線、第2回(昭和59年)が60路線で、合計129路線とされる[7]。通称名は道路法の路線名とは別に、利用者が分かりやすく親しみやすいよう設けられたものである[7]。建設局は、通称には地元でなじんでいた呼び名が採用されることが多かったと説明している[5]。なお、建設局の資料は本文全体を読めておらず、129路線の数字は抜粋に基づく。

ここで、「大正が避けられた」と推測したくなるが、資料にその理由は書かれていない。資料から言えるのは、靖国通りの名が1962年の設定のときのものであることと、地元になじんだ名が採られることが多かったことの2点にとどまる。変更の年についても、資料によって記述が割れる点があり、ここでは1962年の設定という建設局側の説明に従った。

5. どうして 日本の 住所には、みちの なまえが でて こないの?

5. 日本の住所に、道の名前が出てこないのはなぜか

5. 街区方式 ── 1962年の住居表示の法律が、道路でなく区画に番号を振った

ここまで みちの なまえを 見て きましたが、ぼくたちの 家の 住所には、みちの なまえが でて きません。「〇丁目〇番〇号」の ように、まちを くぎった 区画に 番号が ついています[8]。

外国の 中には、みちに なまえを つけて、そこに ならぶ たてものに 番号を ふる くにも あります[8]。日本の ほとんどの ばしょは、ちがう やり方です。

むかしの 日本では、土地の 番号を、そのまま 住所の かわりに つかって いました。ところが、この 番号は、もともと 住所の ために つけた ものでは ありません。それで 場所が わかりにくく なって、こまった ことが 出ました[10]。

そこで 1962ねんに、住所の ための あたらしい ほうりつが できました[9]。道や 川で かこまれた 区画に 番号を ふる やり方です[10]。

ここまで道の名前の話をしてきましたが、日本の住所を思い浮かべてみると、道の名前は出てきません。「〇丁目〇番〇号」のように、まちを区切った区画に番号をつける形です。国土交通省の説明では、日本のほとんどの地域で使われているこの方式を「街区方式」と呼び、欧米で一般的な「道路方式」とは区別しています[8]。道路方式は、道に名前をつけ、道沿いの建物に番号を振る方式です[8]。

なぜ日本は街区方式なのでしょうか。世田谷区の説明では、もともと住所のために作られたものではない「地番」を住所代わりに使ったことで、さまざまな不便が生じたため、昭和37年に「住居表示に関する法律」が公布・施行されました[10]。この法律は1962年5月10日に施行され、目的を、合理的な住居表示の制度と実施に必要な措置を定め、公共の福祉の増進に役立てることとしています[9]。

街区方式では、公道や河川などで囲まれた区域を街区とし、その周囲に沿って番号を振ります[10]。つまり、道は区画の「境目」として使われ、道の名前そのものは住所に入りません。

東京都が道に通称を付けた1962年は、住居表示の法律が施行された年でもあります。通称道路名を設定し始めた時期と、住居表示法の施行年は重なります。ただし、二つが関係して決まったとは、資料にありません。

日本の住所は、道の名前を使わないのが一般的である。国土交通省の説明では、日本のほとんどの地域で使われているのは、道路や河川などで区切った「街区」に番号をつける街区方式(住居表示)であり、欧米で一般的な道路方式は、道に名前をつけて沿道の建物に番号を振る[8]。その例として、ワシントンDCの「1600 Pennsylvania Avenue NW」という表記が挙げられている[8]。

では、日本はなぜ街区方式になったのか。世田谷区の説明によれば、本来、住所表示のために設けられたものではない地番を住所代わりに使ったために障害が生じ、それを解消するため、昭和37年に「住居表示に関する法律」が公布・施行された[10]。法令情報では、施行は1962年5月10日(昭和37年法律第119号)、第1条の目的は、合理的な住居表示の制度とその実施に必要な措置を定め、公共の福祉の増進に資することとされる[9]。

街区方式の仕組みは、公道や河川などで囲まれた区域を街区とし、周囲に沿って番号を振るというものだ[10]。道路方式のように道に名前をつけて建物の順に番号を振るのではなく、道は区画を区切る境目として働く。したがって、道の名前が住所に現れないのは、命名が遅れたからではなく、住所の方式が違うからである。

興味深いのは、東京都が通称道路名を設定した1962年が、住居表示の法律の施行年と重なる点だ。ただし二つの制度が関連づけられていたという記述は資料にないので、偶然の一致かどうかは判断しない。

では、道の名前で場所を伝える文化は、日本にはなかったのだろうか。

6. 道の なまえで、ばしょを つたえる まちは あるの?

6. 京都では、道の名前で場所を伝える

6. 京都の通り名 ── 歌で覚え、商人や寺から名がついた

あります。京都では、むかしから 道の なまえで ばしょを つたえる ことが あります。子どもたちは、「まるたけえびすに…」と はじまる 歌で、道の なまえを おぼえるそうです[11]。

京都の 道の なまえには、人や ものの なまえが のこって います。たとえば 寺町通は、むかし この道の 東がわに お寺が うつされて できたと いわれます。ほかにも、むかし 商人が すんでいた ことから ついた なまえも あります[11]。

道の なまえは、その まちで くらした 人の あしあとを のこして いるのです。

日本でも、道の名前で場所を伝える土地があります。京都です。子どもたちが通り名の歌(「まるたけえびすに…」で始まる歌)で覚える、と紹介されています[11]。

京都の通り名には、商人や寺に由来するものが多くあります。たとえば寺町通は、秀吉の市街地改造で寺が通りの東側に移されたことによる名で、麩屋町通は、麩や豆腐を扱う商人が住んだことによる名だといいます[11]。

やがて、その通称を使って住所が書かれるようになり、通り名が次第に定着していったとも説明されています[11]。

道に名前を付けるとき、昭和通りは新しい元号を、平成通りは地元の案を、靖国通りは目印の神社を、京都は住む人の商売や寺を、それぞれ手がかりにしていることが分かります。名前の付け方には、決まった一つの形がないのです。

日本でも、道の名前で場所を伝える文化は京都に残る。通り名は子どもが歌で覚えるもので、「丸竹夷二押御池」で始まる歌が知られている[11]。歌詞の全文は本記事では取り上げず、始まりの部分の紹介にとどめる。

通り名は、商人や寺に由来するものが多い。寺町通は、秀吉の市街地改造で寺が通りの東側に移されたことによる名とされ、麩屋町通は、麩や豆腐を扱う商人が住んだことにちなむ[11]。資料は、その通称を使って住所が書かれるようになり、次第に通り名が定着したと説明している[11]。

以上から、道の名前の付き方は、東京の昭和通り・平成通り・靖国通りを含めて、元号(昭和通り)、地元の案(平成通り)、目印(靖国通り)、住む人の営み(京都の通り名)と、少なくとも四つの出どころがある。そのうえで、法律に基づく日本の標準的な住所は街区方式であり、京都のように通り名が住所の書き方として定着した例は例外的に見える。これは資料から読み取った整理であり、京都以外の地域の事情まで言えるわけではない。

7. 家の 前の みちには、なまえが あるかな?

7. 自分の町の道と、住所を見比べる

7. 手元の地図で確かめる ── 通称名・街区・丁目番号

おうちの 住所を、紙に かいて みましょう。「〇丁目〇番〇号」の 数字が、まちの どこを さして いるのかを、家の 人と いっしょに 地図で さがして みます。

つぎに、近くの 大きな みちの なまえを しらべて みましょう。家の 人に きいても いいですし、地図に かいて ある かもしれません。その なまえは、だれが、なぜ つけたのか、きに なりませんか。なまえの もとが わかったら、ノートに かいて おきましょう。

家の住所を地図で確かめてみましょう。「〇丁目〇番〇号」の数字が、どの道に囲まれた区画を指しているのかを探すと、街区方式の考え方が見えてきます。

次に、近くの大きな道を一つ選び、地図や案内で「通称」を探します。その名前は、その名前の由来が分かる資料が見つかるか、調べてみます。法律上の路線名と、人々が呼ぶ名前が違うことに気づくかもしれません。

調べて分からないときは、お住まいの市区町村の道路を担当する課や、図書館の郷土資料で聞いてみる手があります。書かれていないことは、書かれていないと知ることも、ひとつの発見です。

手元の地図で、自分の住所の「丁目・番・号」が、どの道や川に囲まれた街区を指しているかを探すと、街区方式の考え方を確かめられる[10]。次に、近くの幹線道路について、通称名と路線名が一致しているかを調べるとよい。東京都内であれば、東京都建設局の通称道路名の資料が手がかりになる[7]。

疑問として残るのは、昭和通りの名がいつ、誰によって決まったのかである。東京日日新聞社の懸賞募集との関係は、本記事で使った資料には記述がない[2]。当時の新聞記事や復興事業の記録、自治体史が、この疑問に答える可能性のある一次資料である。出典欄の資料は二次的な解説が多いので、原典に当たる価値がある。

しらべた もとの じょうほう

参考にした情報源

参考にした情報源と、その使い方

道の名前と住所の制度について、本文で使った資料です。数字や年は、資料によって食いちがう場合があるため、本文で断った箇所があります。

  1. tabi-mag「昭和通り(震災復興道路)」 https://tabi-mag.jp/tk1679/ (昭和通りの由来・幅員の変遷・路線)
  2. tabi-mag「東京の主要道路(震災復興道路)」 https://tabi-mag.jp/mainroads-tokyo/ (復興道路計画の年と路線数・名称の募集)
  3. コトバンク「昭和(元号)」 https://kotobank.jp/word/昭和 (元号が定められた年月日)
  4. このまちアーカイブス(銀座) https://smtrc.jp/town-archives/city/ginza/p05.html (昭和通りの幅員と完成年)
  5. 乗りものニュース「東京『大正通り』のナゾ」(1ページ目) https://trafficnews.jp/post/79829 (大正通りから靖国通りへ)
  6. 乗りものニュース「東京『大正通り』のナゾ」(2ページ目) https://trafficnews.jp/post/79829/2 (平成通りの制定)
  7. 東京都建設局「通称道路名」の資料 https://www.kensetsu.metro.tokyo.lg.jp/content/000006211.pdf (通称道路名の設定路線数)
  8. 国土交通省「通り名・位置番号」(ねらい) https://www.mlit.go.jp/road/torimei/toorina/nerai.htm (街区方式と道路方式)
  9. 「住居表示に関する法律」(法令情報) https://hourei.net/law/337AC0000000119 (施行年と目的)
  10. 世田谷区「住居表示制度」 https://www.city.setagaya.lg.jp/02233/3756.html (住居表示制度が生まれた理由と街区方式)
  11. 京阪「京都 通り名の由来」 https://www.keihan.co.jp/navi/kyoto_tsu/tsu201103.html (京都の通り名と歌)

なおした ところ

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